「あれ……私……」
「……おはよう、幽々子」
「ゆかり……?」
幽々子が目を覚ましたのは、白玉楼の一室だった。
敷かれた布団に仰向けに寝ている幽々子の側に、紫が座っている。
「はぁ……本当に、無茶をするんだから」
「私は、博麗の巫女に負けて……その後…………どうしたのかしら?」
「……」
「紫?」
「––––ショックで寝込んでいた。それだけよ」
「……そう」
おそらく紫は何かを隠している。
それは誰にとっても明らかだった。
もちろん幽々子にも分かっている。
––––しかし、幽々子は知ろうとは思わなかった。
興味がなかっただけかもしれないし、そうではないかもしれない。
ただ、知りたいとは思わなかった。
「桜は……散ってしまったのね」
襖の空いたその部屋からは庭が見渡せた。
そこにはもちろん、あの西行妖もある。
しかしそれは異変の時とは異なり、木の肌が丸見えの寂しげな風情をしていた。
さらに西行妖以外の桜は全て咲いていることが、より一層寂しく見せていた。
「また、咲かせたい?」
「うーん……」
桜が散ってしまったことは残念に思う。
満開にすることができなくて悔しくも思う。
だが、もう一度満開にしようという気にはならなかった。
「もう、満足したわ。どうしてかは、分からないけれど」
「……なら、よかった」
負けたはずなのに。
満開にできなかったはずなのに。
––––封印を解くことも出来なかったはずなのに。
幽々子は何故か、達成感に満たされていた。
◆◇◆
夢想封印の光が消えて、辺りが桃色に光る桜の花びらで満たされる。
西行妖がみるみる散っていくのが分かった。
同時に幽々子の身体も、舞い降りる桜のようにフワリと西行妖のもとに落ちていった。
––––そして同時に、霊夢の身体も真っ逆さまに落ちていた。
「霊夢ッ!?」
魔理沙が全速力で霊夢のもとへと向かう。
しかし、幻想郷でも屈指のスピードを誇る魔理沙でさえ、到底届く距離ではなかった。
そのまま霊夢は地面に––––
––––パチンッ
私は時を止めて、落下する霊夢を受け止めた。
華奢で軽い霊夢とはいえ、かなりの力が私の腕にのしかかった。
「くっ……」
「咲夜!?」
少し遅れて、魔理沙が到着した。
彼女は息を切らしながら、早口で捲《まく》し立てた。
「霊夢は? 霊夢は大丈夫なのか!?」
「……うるさいわね」
答えたのは私ではなく、私に抱えられた霊夢だった。
「少し……疲れただけよ」
「よ、よかった……」
霊夢の声を聞いた魔理沙は安堵の表情を浮かべながら、ホッと一息吐いていた。
「咲夜、ありがとうな。霊夢を助けてくれて」
「構わないわ」
「私、重たくない?」
「大丈夫。落ちてくるのが魔理沙でなくて良かったわ」
「ちょっとそれ、どういう意味だよ!?」
「ふふ、冗談よ。霊夢、立てる?」
「ええ、ありがとう」
「そういや……あの亡霊は大丈夫なのか?」
「大丈夫でしょ。死ぬことはないわ」
「もう死んでるものね」
「亡霊って……怪我するのかな?」
「さぁ? 確認してみる?」
そんな他愛もない雑談を交えながら私たち3人は、既に妖夢が駆け寄っている亡霊嬢のもとへ向かった。
◆◇◆
「ソイツ、大丈夫か?」
そう問うたのは魔理沙だった。
「ソイツじゃない。幽々子様、西行寺幽々子様だ。無礼は許さないわよ」
「そうか。それで、大丈夫なのか?」
「眠っておられるだけよ……だぶん」
幽々子はまるで死んだかのように眠っていた。
それはとても安らかで、満足気な表情をしていた。
僅かに笑みが溢れているようにも思える。
「当たり前だけど、亡霊は死なないわ。消滅することはあるけど」
「要するに、ここに幽々子の実体が存在していること自体が、幽々子がまだ亡霊である証拠に他ならないということね」
「貴女は本当に察しがいいわね、咲夜」
私達の言葉を聞いて、妖夢も安堵したようだった。
「それにしても……さっき封印した何かは、亡霊とは思えなかったけど––––」
「それに関しては一切、貴女達の知るべきことではないわ」
不意に現れたのは八雲紫だった。
突如現れたスキマから現れた彼女は、そのスキマの切れ目に腰掛けていた。
「……覗き見の上に、盗み聞き。本当に悪趣味ね、紫」
「そんなに嫌味を並べないで頂戴な」
「あんた、冬眠中じゃないの?」
「暦の上では春ですもの」
「ふーん。で? 何しに来たの?」
「貴女達に用事はありません。私が見に来たのは、そこで眠ってるお姫様よ」
「あっそう。なら、私達は帰るとするわ」
「……霊夢」
紫は霊夢を呼び止めた。
その声は、先ほどとは異なり優しい類のものだった。
「よくやったわね」
そう言って微笑む紫の顔は、『幻想郷の管理者』や『妖怪の賢者』と名高い妖怪の顔ではなかった。
娘の活躍を喜びながらも、心配を隠しきれていない……そんな嬉しげで不安げな母親の顔だった。
少なくとも私は、そんな風に感じた。
霊夢はそれを見て、ふんっと鼻で笑うと何も言わずに足を進めた。
それはただ呆れているようにも見えるが、照れ隠しであることは明らかだった。
それを察したのか、霊夢はさらに歩みを早め、終いには何も言わずに飛んで行ってしまった。
私は魔理沙の箒に乗せてもらい、2人で慌てて霊夢を追った––––
◆◇◆
「いやー、あのときの霊夢は本当に可愛かったよ」
酒を片手にそう語るのは霧雨魔理沙だ。
そしてここは博麗神社、幻想郷の境である。
桜の様子も、
「あんた、その話一体何度目よ……」
初めのうちは魔理沙が語る度に恥じらいを見せていた霊夢だが、今では慣れたようで、軽く流すようになっていた。
そんな魔理沙の話だけでなく、連日に近い程の花見も、徐々に新鮮味が薄れ、日常へと変化していた。
しかし霊夢は、それが日常に近ければ近い程、また生活にとって無駄であればある程、それが風情である、という事を感得していた。
「花見はいいけどね」
「いいけど?」
「最近、亡霊が増えた」
そう嘆く霊夢の隣にいるのは、今回の異変の主犯––––西行寺幽々子である。
「もう、花見も幽霊見も飽きたぜ」
「みんな、久々の
「良かったな、この神社にも参拝客が来て。大勢」
「でも、誰もお賽銭を入れていかないわ」
茶化す幽々子と魔理沙を尻目に、霊夢は一つ大きな溜め息を吐いた。
「幽霊は、誰も神の力なんて信じていないって。神社なんかを巡るのは学生霊の修学旅行かなんかよね」
「やっぱり、祓おうかなぁ」
少しだけ怒りを露わにしながら、霊夢は一口酒を煽った。
見渡せば沢山の幽霊がいる。
人が滅多に訪れない神社は、何時の間にか霊たちの観光スポットとなっていた。
––––そのとき、場違いな格好をした一人の人間が神社を訪れたのだ。
「こんな所にいた。亡霊の姫」
甲高いヒールの音を鳴らしながら階段を登ってきたのは、紅魔館のメイド––––十六夜咲夜である。
「私? メイド風情がこんな所まで何の用?」
「こんな幽霊だらけの神社に人間とは、場違いだぜ」
「こんなとは失礼ね!」
ケラケラと笑う魔理沙と、そんな彼女に怒りをぶつける霊夢。
そんな2人を尻目に、咲夜と幽々子は睨み合っていた。
「貴女が、ひょんな所でのん気に花見してるうちに、巷は冥界から溢れた幽霊でいっぱいだわ。何を間違えたか、
「私だって、ただひょんな所でお茶を濁しているだけじゃないわ。もうすでに、冥府の結界の修復は頼んであるわ」
幽々子は咲夜から視線を逸らすと、一口酒を飲む。
のん気というより、何も考えていなそうな顔をする幽々子に咲夜は呆れていた。
ふと思いついた疑問を魔理沙が問う。
「ならなんで、ひょんな所でのんびりしてるんだ? 帰れなくなるぜ?」
「そうねぇ、どうしましょうか」
「そもそも、ひょんなって何よ」
少し苛立つ霊夢。
そんな事はつゆ知らず、また1人、亡霊姫をたずねてくる者がいた。
いや、1人ではなく、2分の1人かも知れないが。
「幽々子様! また、
「あなた、さっきの私達の会話聞いてたみたいね」
霊夢のつぶやきに疑問符を浮かべるも、妖夢は幽々子への言葉を続けた。
「とにかく、あの方に結界の修復を頼んだのに、まだ寝ているみたいなんですよ」
「あいつは、冬は寝るからなぁ。でも、もうとっくに春になってる気がするけど」
「春になったのは、地上ではまだ最近です」
「あんたらの所為でな」
2人の会話を聞いていた魔理沙が、ため息混じりに呟いた。
「でも……紫のやつ、この前起きてたような」
「彼女の冬眠は、一般的の冬眠とは違うから。あれはただ、冬に睡眠時間が長くなる程度の冬眠なのよ。だから……じきに起きて来るわ。毎年の事じゃない」
「遅れる分にはいいんですけどね」
「「「あんまり良くない」」」
霊夢、魔理沙、咲夜の三人が口を合わせてそう言った。
「ただ、代わりに変な奴が冥界に来ているんです」
妖夢はそれを気にする様子も見せずに言った。
「あの方の、何でしたっけ? 手下? 使い魔? そんな様な奴が、好き勝手暴れてるんですよ」
「そんなん、その刀で
「まさか、滅相もございません。幽々子様の友人の使いだって言ってる者を、斬ることなんて出来ないですよ」
「なら、私が懲らしめてあげようか?」
霊夢は手に持っていた
「なら、私がすぱっと」
「すぱっと」
咲夜と魔理沙も、霊夢に続く。
「それなら、任しておきましょう」
「良いんですか? 友人の使いですよ?」
「友人の使いは友人ではないわ」
クスクスと幽々子が笑う。
その側で妖夢は小さくため息を吐いた。
「みんなが冥界に行ってくれるなら、私は行かなくてもいいわね」
「何言ってるのよ、私も忙しいの」
「私はかまわないが、皆の代わりに行く気は無いぜ。ここは一つ、ジャンケンで決めるってのはどうだ?」
「ありきたりね」
「ありきたりだわ」
「ジャンケンで、後出しをしなかった奴が行く」
「それでいいわ」
「いいわよ」
「ジャ~ンケ~ン・・・」
◆◇◆
三人は、薄くなった冥界との境を行き来し、何故か冥界の秩序を保つ羽目になっていたのだ。
三人が出かけている間も、亡霊の姫はここみょんな神社に居たり、いなかったりと、好きな様に生活していたのだ。
「それから、妖夢。使い魔じゃなくて、式神よ。似たようなもんだけどね」
「幽々子様はなんでほったらかしにしてるんですか?」
「あら、庭の掃除は誰かに任せっきりですけど」
「 み ょ ん 」
◆◇◆
「はぁ、面倒ねぇ」
「お前、自分から引き受けてたじゃないか」
「酔ってたのかも。冷めたら何だか面倒になってきたわ」
「相変わらず、いい加減な奴だぜ」
私は魔理沙の後ろで箒に乗りながら、2人の会話を聞いていた。
まさかもう一度、こんな風に3人で遠方に出向くなど思ってもいなかった。
以前と違うことといえば、冥界から取り戻した春で当たりが一面桜色に染まっていることだろう。
暖かい風がとても心地よく感じられていた。
「そろそろ冥界か……それにしてもこの結界、お粗末なことこの上ないな」
「それは紫に言ってやりなさいよ」
「あいつの結界術はこんなもんなのか」
「……そうね。こんなものよ」
霊夢は何かを含んだような言い方をしていた。
私はそれに気づいたが、特に興味もなかった。
「とにかく、また上を乗り越えさせてもらおうぜ」
そう言って魔理沙は、結界を上から通過した。
霊夢も後に続く。
「はぁ……ほんと、嫌になるくらい長い階段だぜ」
飛んでいるとはいえ、その終わりが見えないほど長い階段は、嫌悪感を覚えるものだった。
尤も、この地が生きた人間に合わない所為もあるだろうが。
「でも……今日は幽霊があんまりいないのね」
「そういや、そうだな。私達にビビってんじゃないのか?」
辺りを見回す私に、魔理沙は少し笑いながらそう言った。
以前は幽霊達がせかせかと動き回っていたのが印象的だったが、今回は全く気配がしない。
そもそも、幽霊に気配があるのかは疑問だが。
「止まれ! 人間共!」
不意に声が聞こえた。
「止まれと言われて止まるやつがあるのか?」
「ある」
「例えば?」
「お前達」
私達はその声の主の目の前に降り立った。
声の主は、先の異変で戦った化け猫であった。
「いつぞやの猫。またやられたいの?」
私はクスッと笑いながら、化け猫の少女に言った。
「また馬鹿にして……今日は、この前のようにはいかないから!」
「へぇ……?」
「ここであったが100年目! 今日は憑きたてのほやほやだよ!」
「まだ、10日くらいだ」
「というか、この冥界にいるってことは……死んだのかしら?」
「またまたまた馬鹿にして〜〜!! さっさとかかって来い、返り討ちにしてやる!」
「だとよ、咲夜」
「また私がやるの?」
「お前がやらないなら私がやるぜ?」
「別に、私はそれでもいいのだけど……」
少女はジッと私のことを見つめていた。
「貴女は私がお望みみたいね」
私はナイフをスッと取り出すと、それを少女に向けてみせた。
頼んだぞ、と言うように私の肩を叩く魔理沙は、霊夢と共にその場から少し離れた。
それを見てから、私はポケットから二つの球体を取り出した。
例の魔力ナイフを排出する銀色の星印が付いた青い球体である。
「今度こそ、返り討ちだ!」
「どちらかというと、向かってきてるのは貴女じゃない?」
「うるさい!」
––––鬼符「青鬼赤鬼」
少女は青と赤の大きな弾幕を真横に発射すると、ある点で向きを変え、それを一直線に前方に飛ばした。
それは私を狙っているようには思えず、私の真横を通り過ぎて行く。
しかし、その大きな弾幕からは小さな弾幕が無数に排出されており、それらが私に向かって飛んできていた。
それを避けることは、難しいことではなく、私は余裕を持って躱していた。
◆◇◆
「あの猫、以前に会った時よりも頭が良くなってるのか……?」
「頭がいいというよりは、咲夜を対策しているだけのような気もするけど」
「たしかに、咲夜の弱点をしっかり突いている。前回は
「ええ。今回ばかりは、舐めてかかると痛い目見るわよ……咲夜」
◆◇◆
第2波が発射された。
先ほど発射されたものよりも、さらに私に近い軌道で迫ってくる。
まるで私に避ける隙を与えないように、だんだんと私の可動域を狭くしていた。
「お前は空を飛べない、だから上には避けられない!」
得意げに叫ぶ少女。
事実、私は避けるのが辛くなっていた。
空を飛べない私は、どうしても2次元平面での戦いを強いられてしまう。
そのため『上下に避ける』ということが叶わず、このように左右から攻められると回避が難しくなるのだ。
「これで終わりだよ!」
少女は第3波を発射した。
それはやはり、先ほどまでのものよりも内側を通って私の真横を通過した。
『左右に避ける』ことすら叶わなくなった私は、『前後に避ける』という1次元的な動きしかできなくなっていた。
「……ふふっ」
そんな中で、私は笑っていた––––