門をくぐると、大きな庭園が広がっていた。
色鮮やかな花々が、センスよく散りばめられている。
もっとも、あまり花に興味のない私には、それを見ても綺麗だと感じる程度で他に思うことなどないのだが。
私が思うことといえば––––
既に日は沈んでいるものの、辺りが異常に明るい。
館には灯––––電力によるものだとは思えない灯––––があるが、それを考慮しても明るすぎるのだ。
例えば……そう、この庭園の花々の色を"鮮やかだ"と感じられる程度には。
私は空を見上げる。
そこには紅く輝いた月が浮かんでいる。
かなり低い位置にあるそれは、館の背後に見え、なかなか絵になる構図だ。
「……」
そんなことを考えながら歩いていると、すぐに館のエントランスへと辿り着いた。
そこにもまた、大きな扉がある。
だが、先ほどのような門番は居なかった。
「……」
私は少し、その扉を開けるのを躊躇っていた。
どんなに大勢で来ようとも、どんなに巧妙な罠を仕掛けようとも、時を操る私の前では無意味だ。
ただしそれは、普通の人間レベルで考えた場合だ。
先ほどの門番は……強かった。
文字通り人間離れした身体能力や技能を持っていた。
もしこの先にも、人知を超えた存在が居たら……?
いや寧ろ、居ると考える方が自然だろう。
私の認識は甘かったのだ。
もちろん、吸血鬼が人に非ざる者であることは認識していた。
しかしながら、吸血鬼に仕える者までもが人間ではないことまで想像することはできなかった。
よくよく考えれば、人外の周りに人外が集まるのは当然だろう。
––––常識で物事を捉えていると、痛い目に遭うかもしれないわね。
不意に、あの妖怪の言葉が思い出された。
「––––私に失うものなんて、何もないじゃない」
私は扉を押し開けた。
◆◇◆
「ほんと……趣味の悪い館ね」
扉を開けると、そこには広いロビーがあった。
奥の方には横幅の大きな階段があり、上の階にもそこから行けるようになっている。
見渡してみると、幾つもの扉があり、どこに行けばいいのかは分からない。
それにしても––––やはり、紅い。
カーペットから壁に至るまで、色の濃淡はあれど、全てが紅で統一されていた。
そして今は、窓から入る光さえも、それらを紅く照らしている。
まるで世界が、血で染め上げられてしまったかのようだ。
「……」
私は辺りを見回していた。
そうするほどの余裕が、私にはあった。
何故かこの館には––––誰もいない。人のいる気配がしないのだ。
もっとも本当に、"人"など居ないのかもしれないが。
◆◇◆
「人間なんて、久しぶりに見たかも……」
ロビーで辺りを見渡し、この先どう進むかを慎重に考えていると、不意に上の方から声がした。
まるで闇の中から現れたようだ。先ほどまでそこには誰も居なかった気がするのだが。
「……誰かしら?」
「さぁ? 私には名前がないので」
そこには紅い長髪をなびかせ、白いシャツに黒いベストに身を包んだ女がいた。
そして、背中に黒い大きな翼を持つ彼女が人間でないことは明らかだった。
「奇遇ね。私も名前なんてないのよ」
「え……? 人間は生まれた時に名前を授かるんじゃ……」
「今、そんなことはどうでもいいでしょう。先ほどは質問を間違えたわ。貴女は、一体何者?」
「それ、普通は私がする質問じゃないですか?」
「貴女は私が何者か知ってるみたいじゃない」
「そうですね。人間は匂いで分かりますよ……ふふん、美味しそう」
「……それで、
「何を隠そう、私は悪魔です! ……驚きました?」
「悪魔って、案外大したことなさそうね」
「し、失礼なっ! 悪魔は強大なんです。私も悪魔には頭が上がりません」
「じゃあ、貴女は悪魔じゃないのかしら?」
「ぁ……そ、そうですよぉ、私は小悪魔です」
そういうと、小悪魔は地面に降り立つ。
飛べない私と、同じ土俵に立った。
「まあ、私にはどちらでも関係ないけど」
––––パチンッ
「貴女は私の邪魔をするのかしら?」
「ひっ……」
私は小悪魔の喉にナイフを突きつけていた。
痛めていない左手で。
「貴女をすぐに殺してもいいのだけど……幾分私には情報が欠如していてね。この館に関することを聞きたいのよ」
「……答えませんよ?」
「そう。なら殺すだけね」
私はナイフに力を込める。
鋭い刃が皮膚に食い込み血が滴る。
どうやら人外の血も紅いようだ。
「ま、ままま、待ってください!!」
「あら、命乞い? 随分と情けないのね、小悪魔さん?」
「あ、貴女を案内するように言われてるんです!」
「……私を案内?」
「パチュリー様がお呼びなんです!」
「パチュリー……? さっきも言ってたけど、誰よそれ」
「魔法使いのパチュリー・ノーレッジ様です!」
「へぇ……魔女ということかしら? 私が会いたいのは吸血鬼なんだけど……まあいいわ。案内して頂戴」
「お任せください!」
小悪魔は、無邪気そうな笑顔を浮かべると何故か自信げにそう言うと、私に背を向けて歩き出す。
その笑顔や態度の意味に全く興味のなかった私は、そのまま小悪魔の後ろに付いて歩いた。
「でも、もし私の隙をみて攻撃しようと思っているなら––––」
「とと、とんでもない! そもそも私は、戦闘向きのタイプじゃないので…………美鈴さんを倒した方を相手にするなんて……あはは」
「メイリン?」
「あれ?戦ってないんですか?」
「……もしかして、あの門番のこと?」
「そうですそうです。やっぱり戦ったんですね。そして勝ったからここにいる……でしょう?」
「まあ、そういうことになるのかしらね」
「だったら私が叶わないのは目に見えてますよ」
「へぇ……あのメイリンって門番はそんなに強いの?」
「ええ、かなりの腕前ですよ。武術に関してなら、あの方の右に出るものは居ないでしょうね」
「……そう。妖怪ってのも、大したことないのね」
「あはは……それはどうでしょう」
「どういう意味かしら?」
「美鈴さんは確かに腕が立ちますし、種族的にも体力・精神力共に人間とは桁違いです。目立った弱点なども存在せず、あらゆる戦闘スタイルに対応できるでしょうね」
小悪魔は、言葉を続ける。
「––––しかし、それだけなんです。ただ腕が立つ妖怪。それだけの妖怪なら、いくらでも存在します。もちろん美鈴はその中でも上位ですし、彼女の能力もそれを後押ししています。でも……それだけなんです」
「言いたいことが分からないわ。つまり、どういうことなの?」
「美鈴さんはあくまでも、"ただの"妖怪なんです。吸血鬼などのように、特別な種族ではありません」
「よく分からないけど、つまりこの先にいるのはその"特別な"種族に当たるのかしら?」
私たち2人は立ち止まる。
目の前には大きな扉がある。
その扉の上には" LIBRARY "と記されていた。
「それはご自身でお確かめ下さい。私の仕事はここまでなので」
小悪魔が扉を開ける。
少し頭を下げる小悪魔の横を通り過ぎ、私はその図書館へと足を踏み入れた。
「お気をつけて」
扉は大きな音を立てながら閉められた––––
◆◇◆
そこは大きな図書館だった。沢山の背の高い本棚が並んでいる。
しかしそれでも仕舞いきれていないようで、本が山積みになっている所もあった。
お陰様で進める道が限られており、迷う事はなさそうだ。
もしかしたら私を迷わせないための配慮なのかもしれない、と考えたりもしたが……
流石にないでしょうね。この館の者にとって私は、突然現れた未知の存在なのだから。
ただし私にとっても、未知の領域であることも間違いないが。
「……よくもまあ、これだけの本を」
かなり歩いたはずだ。
なのに先ほどから景色は変わらず、本ばかりが並んでいる。
しかし終わりが見えてきていた。
どうやらこの先には、広い空間がありそうだ。
そしておそらくそこには––––
「こんなに読み切れるのかしら?」
「既に読み切ったわ」
女の声がした。
本棚に挟まれた通路から出ると、やはりそこには今までとは異なる、少し開けた空間があった。
そしてその中央には大きな机がある。女の声は、そこからしたようだ。
「……貴女が魔法使い?」
紫色の長髪の先をリボンで纏め、その上に薄紫色の帽子をかぶり、開いた本を眺めている少女がいた。
服装はゆったりした物で、髪の毛と同じ紫色の帽子と同じ薄紫色のスプライト柄だった。
服装が全体的に紫で統一されている彼女の肌は、やけに白く見える。まるで陽の光に当たったことがないほどに。
「ええ、そうよ。こぁから聞いたのかしら?」
「こぁ?ああ……あの小悪魔のことね。そうよ、彼女から聞いたわ。偉大な魔法使い、パチュリー・ノーレッジ様?」
「……嫌な言い方するのね」
「本を読んでいるようだけど、ここにある本は全部読み切ったんじゃなかったかしら?」
「本は何度でも読む価値があるわ。無いものもあるけれど」
読んでいた本を手を使わずに––––おそらく魔法の力で––––閉じると、私の方に顔を向けた。
「貴女がここへ来た目的は分かっているわ」
パチュリーは言った。
なぜ彼女が知っているのかは分からない。
だが、彼女が知っているのは確かだろう。
そうでなければ、わざわざ使い魔を寄越して私をここに案内したりするだろうか?
「なら話は早いわ。吸血鬼とやらのところまで案内してくれるかしら?」
「それは出来ない相談ね」
「あら、残念ね。ならば––––」
––––パチンッ
いつも通りだ。
時を止めているうちに間合いを詰め、喉元をナイフで抉る。
簡単なことだ。
「ッ!?」
しかしその簡単なことが、私にはできなかった。
––––パチンッ
「ならば……何かしら?」
「……私に何をしたの?」
「少し動きを封じただけよ。隙だらけだったから」
「もしかして、私の能力も知っていたのかしら?」
「いいえ、知らないわ。でも……相手の動きを封じるのは、狩りの基本でしょう?」
「へぇ……私を食べるつもり?」
「馬鹿言わないで。そんなわけないでしょう。魔法使いは食事も睡眠も必要としないわ」
「じゃあ長期戦は禁物ね。私が眠くなったら負けてしまうもの」
「私と闘うつもりなの?」
「足を封じたくらいで、いい気にならないことね」
私はナイフを取り出す。
そして数本投げつけた。
私の両手から放たれたナイフは、かなりの速さで飛んでいく。
右手で放った数本を除いては、正確無比なコントロールによりパチュリーに命中する軌道を描いていた。
「まさか……魔法使い相手に遠距離戦をやるつもり?」
パチュリーは魔法陣を展開し、私のナイフを防いだ。
私のナイフがその魔法陣を破る事はなく、ぶつかった後に落ちてしまった。
全てのナイフを防ぎ終え、パチュリーは魔法陣を消滅させる。
「馬鹿な事はやめて、さっさと帰––––ッ!?」
パチュリーは目を疑った。
先ほどまで、そこには何もなかったはずだ。
どうして目の前に、こんなにもナイフが––––?
「訳も分からないまま、死になさい」
*挿絵に使わせていただいた素材
・地霊殿 鯖缶様
・小悪魔 アールビット様
(ステージモデルに地霊殿を使用したのは、この地霊殿モデルの構造が自分の中の紅魔館のイメージに合っていたからです。本当はステージを紅く塗る技術とかがあれば、より良かったのかもしれない……)