日が沈みかけ、空は
夕陽が辺りを照らす中、一際紅く染まった建物があった。
それは紅魔館––––名前の通り、悪魔の棲む紅い館である。
その館の門前には、紅魔館の門番––––紅美鈴が門に寄りかかりながら立っていた。
心地よい暖かさの中、美鈴は眠気を感じていたが、ある気配を感じ取り目を覚ました。
「––––ん?」
「久しぶりね。美鈴……だったかしら?」
その気配の正体は博麗霊夢。
妖怪退治や異変解決を生業とする幻想郷の守護者、博麗の巫女だ。
「ええ、紅美鈴です。それにしても……貴女が訪ねてくるなんて珍しい……というより、初めてですよね?」
「何言ってるの。異変の時にも訪ねたじゃない」
「あれは訪問というより、襲撃だったような……」
「あんたらが迷惑なことするからでしょ? それより、ここを通してもらっていいかしら?」
「いいですよ……と、言いたいところですが、本日来客の予定はありません。いくら貴方と
「なら、押し通るまでよ」
「なら、迎撃するまでです」
––––光符「華光玉」
––––夢符「封魔陣」
◆◇◆
「スペルカードブレイク……ですね」
目の前の門番が、少し申し訳なさそうにそう言った。
予想外にも、勝負は拮抗……いや、私の方が劣勢だった。
私の1枚目のスペルカードが、たった今破られてしまったところだ。
「あんた、こんなに強かったっけ?」
「これは、私の得意分野ですから」
この門番、異変の時はこんなに手こずる相手ではなかったはずだが……
ただし、今回は以前とは異なる形式の戦いだった。
もちろんスペルカードルールには則っている。
しかし、遠距離戦が主となる弾幕戦ではなく、近接格闘戦に近いものであった。
「さて、第2ラウンドと行きましょうか」
◆◇◆
「本当に人間なのかな、あの2人は……」
美鈴は大の字になり、門の前で天を仰いでいた。
顎に食らった巫女の一撃は、相当重いものだった。
しかし美鈴は気絶したわけではなく、手心を加えて巫女に"負けてやった"のだ。
それがお嬢様からの命令だったから。
「はぁ……嫌われたかな、霊夢さんには」
そして霊夢は、美鈴の手心を見抜いていた。
少なくとも、美鈴にはそう思えた。
美鈴を倒した後、喜ぶわけでも安堵するわけでもなく、霊夢はただ睨みつけていたのだ。
「霊夢さんだって、本気じゃなかった癖に……」
◆◇◆
紅魔館の門に手をかける1人の巫女。
私、博麗霊夢は複雑な心持ちだった。
––––ムカつく。
まずは先ほどの門番に対して。
結果は私の勝ちだった。
しかし、内容は私の負けだった。
そう思う理由は––––言い訳のように聞こえるが––––2つある。
1つは"弾幕シューティング"ではなかったから。
言うなれば"弾幕アクション"と言ったところだろうか?
どちらもスペルカードルールに則った"弾幕ごっこ"であることには違いないが、対戦形式が少し違う。
私にとっても、もちろん門番にとっても初めての試みだであるそれを、門番は"得意分野"だと言っていた。
もう1つは––––
「手加減なんて、生意気なことしてくれるじゃない」
私は館に入り、1人呟いていた。
外から見る以上に広く感じるその館には、何者の気配も感じられなかった。
居なかった筈だが––––
◆◇◆
『スペルカードルールに則った新しい決闘スタイルか……』
巫女の来訪から遡ること1週間前––––
八雲紫が紅魔館に訪れていた。
『ええ。先の異変で行われた弾幕ごっこは、言うなれば"弾幕シューティング"でした』
『なら今度のは、"弾幕アクション"と言ったところか?』
『ええ、そうなりますわ』
『ほぅ……面白い。だが、これでは人間は戦いにくいだろう?』
『従者の心配ですか?』
『いや、咲夜じゃない。お前のところの巫女や白黒の魔法使いの話だ』
『霊夢に関しては心配する必要はございません。霧雨魔理沙の方は図りかねますが』
『ふんっ……まあいい。元々妖怪が人間相手に手加減をするためのスペルカードルールだ。それに従った決闘なら、どんなスタイルでも手加減は必須と言ったところだろう?』
『ふふ……貴女は本当に妖怪らしい』
『お前は憎たらしいがな』
そう言って睨みつけるお嬢様と、それを見て不敵な笑みを浮かべる八雲紫。
尤も、彼女の笑みは自身の扇子で覆い隠されているが……
その胡散臭さも含めて、彼女達はいつも通りだった。
そしていつも通り、それをただ立って興味もなさそうに聞いているのは私––––十六夜咲夜である。
『で? どうしていきなり新しい決闘法など話に出したんだ?』
『貴女達は幻想郷に来て日が浅い故に知らないでしょうが、異変が解決された際には盛大に宴会をやるのが
『その余興に、新しいスタイルの弾幕ごっこをやるとでも言うのか?』
『その通りですわ』
『なるほど……分かった。宴会の会場はどうするんだ?』
『今回の宴会には紅魔館の方々しか招くつもりはございません。ですから、博麗神社か……そちらの都合が良ければ紅魔館になるかと』
『なら紅魔館にしてくれ。私の友人が出不精なんでな』
『それは
『アレは違う。私が閉じ込めているからな』
『ふふふ……そうですわね』
いつも通りお嬢様は口調が変わっておられるし、八雲紫は嫌味な丁寧口調を使っている。
しかし、私には以前とは違う印象が感じられていた。
二人の間の緊張感が緩和されている。
二人は決して親しいとは言えないが、少なくとも"敵"ではない何かになったということだろうか?
◆◇◆
「いらっしゃい、霊夢」
「時を止めたわね……?」
「ええ、その通り」
「いきなり現れるの、やめてくれないかしら?」
「驚いたの? 意外ね」
「はぁぁ……あんたらは本当に、人を
居なかったはずのメイドが現れ、クソ生意気なことを言った。
先ほどの門番に対するイライラが、その対象を変えて、さらに加速し始める。
「私がいつ、貴女を虚仮にしたのよ?」
さも不思議そうにこちらを見るメイド。
私はそれにもイライラを募らせる。
「……今、あんたと話すことはないわ。案内するなら早くして」
「随分と棘のある言い方ね? 何をそんなにイライラしているのかしら?」
「関係ないでしょ? 案内するのか、しないのか……どっちよ?」
「はぁ……ほら、付いてきて」
「え……?」
私に背を向けるメイドに、疑念しか浮かばない。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「あら、何かしら?」
メイドは振り返る。
先程と同じく、不思議そうな表情を浮かべて。
「あんたは戦わないの?」
「ええ、そのつもりはないわ」
「なんでよ?」
「なんでって……戦う理由がないでしょ?」
「そこはほら、レミリアを護るとか……」
「私が、お嬢様を護る……? 面白い冗談ね」
クスクスと笑うメイドに、私は拍子抜けしてしまった。
気付けば、イライラしてた気持ちも何処かに行ってしまった。
「はぁ……もう、なんか私だけ……馬鹿みたい」
私は深いため息と共に、ボソッと小さく呟いた。
その独り言がメイドに聞かれたかは分からないが、メイドは気にする様子もなく、ただ私を先導した。
少し歩くと、大きな扉が見えた。
その扉を開けると、途轍もなく広いパーティールームが現れた。
その部屋を見て、異変の時に訪れた場所であることに気がついた。
もちろんあの時は部屋の装飾など無かったが、今は煌びやかな雰囲気に包まれている。
高い天井から垂れ下がる大きなシャンデリアが、辺りをさらに輝かせていた。
これほどまで豪華な装飾を今まで見たことがなかった私は、純粋に驚き、そして言葉を失っていた。
「貴女も感動することがあるのね」
不意に声をかけてきたのは館の主、レミリア・スカーレットだった。
レミリアの接近に気がつかないほど、私はこの部屋に見とれていた。
「……馬鹿にしてる?」
「そんなことはないわ。ただ、他人の物事に興味がないものだと思ってたから」
「別に……綺麗なものを見れば綺麗だと思うし、汚いものを見れば汚いと思うわ」
「人の心があるのね」
「人だからね」
「あら、そうだったの?」
「あんた、やっぱり馬鹿にしてる?」
レミリアから殺意、もしくはそれに近い何かを感じることはなかった。
純粋に来客を喜んで迎え入れているように見える。
「そんなつもりはないの。別に、そう捉えてもいいけど」
「はぁ……やっぱりあんたと話すのは疲れる」
「悪いわね。ならば、本題に入りましょうか」
レミリアが立ち止まると、私のそばにいたはずのメイドがレミリアの斜め後ろへと移動した。
おそらく時を止めたであろうその移動は、私には瞬間移動にしか見えなかった。
「私の館に何の用だ? 博麗の巫女」
「あら、あんたは戦うの?」
「用件によるさ」
「用件って……もう分かってるんでしょ?」
「ああ……準備万全さ」
次の瞬間、部屋にあった幾つものテーブルに料理が並んだ。
それまでは白いテーブルクロスが敷かれているのみで何もなかった筈だ。
おそらく、というより確実にメイドの仕業だろう。
「さて、宴を始めようか?」
◆◇◆
『それで? 日はいつにするんだ?』
『異変の無い時、巫女はいつでも暇ですわ』
『だろうな。私がいつ行っても、寝てるか茶を啜っているだけだ』
『ええ。ですので、貴女の都合のいい日でどうぞ』
『分かった……ならば、ちょうど2週間後にしよう。その日は満月だ。いい宴になる』
『承知致しました。では、2週間後に巫女を伺わせますわ』
『ああ。それで私達は、その新しい決闘形式で戦えば良いのだな?』
『ええ。当日、誰がどの順番で戦うか等は貴女にお任せ致します』
『そうか……分かった。こちらも色々と"準備"しておくよ』
『シナリオは、もう出来ているようで』
『ああ、視えているんだ』
◆◇◆
「別に……お姉様は、何か意図があってそう言ったわけじゃないと思うけど」
「……と言うと?」
「
「ふふっ……フランドール嬢は、レミリア嬢をそのように思われているのですね」
「だって、事実だもん」
レミリア嬢の妹、フランドール嬢もこの宴会に参加していた。
異変の一端を担っていた彼女が参加することに不思議はないが、幽閉されていた彼女が外に出ていることに対しては疑問が残る。
異変解決後にこの娘が外に出たのも、レミリア嬢の意図的なものであると私は睨んでいる。
だからこそ私は、彼女と取り留めもない会話をすることで、彼女の最近の経過や姉のレミリア嬢の意図等を探ろうとしていた。
「あらフラン、お姉様のことを"アイツ"だなんて……随分と悪い子ね?」
私たち2人が話していれば、彼女は絶対に来る。
私はそう思っていたし、案の定レミリア嬢は私たちの様子を伺いに来た。
少し予想外のことと言えば、普段は常に側に仕えさせているメイドが居ない事だ。
「……お姉様、私そんなこと言ってないわ」
「最近落ち着いて来たから外に出してあげてるけど……館の外に出すのはまだまだ先になりそうねぇ」
「ッ……お姉様のケチ」
フラン嬢は小声で、レミリア嬢を睨みつけるようにして呟いた。
その呟きは私にも微かに聞こえる程度の大きさだった為、もちろんレミリア嬢にも聞こえていただろう。
「フフフ…….まあいい、仕切り直しだ。3人で改めて乾杯でもしようじゃないか」
レミリア嬢はグラスを掲げてそう言った。
それに私はクスッと笑みをこぼしながら、フラン嬢は軽い溜息を吐きながら、その言葉に従った。
「「「乾杯」」」
◆◇◆
「なあなあパチュリー、これはどうやってやるんだ?」
「貴女にはまだ早い」
「そんなこと言わずに教えてくれよ」
「駄目。身の丈に合わない魔法は、己を傷つけるだけよ」
「ちぇ……いいよ、自分で考える」
「その本、ちゃんと返しなさいよ」
パチュリーは魔導書を片手に酒を
そんなパチュリーを見兼ねて話しかけに行った魔理沙だが、いつの間にか魔導書は魔理沙の手に渡り、それに読み入ってしまっていた。
はぁ……と深いため息を
「パチュリー様、どうぞどうぞ」
そう言ってパチュリーに酒を注ぐのは小悪魔である。
「魔理沙さんも、ほら。折角ですから飲みましょうよ」
「ん? あぁ、そうだな。これは家に帰って読むことにするよ」
「ちゃんと返しなさいよ」
「そんなに言わなくても返すって。……死んだら」
再びパチュリーは大きな大きなため息を吐く。
「と、とにかく乾杯しましょうよ!」
小悪魔がグラスを掲げてそう言った。
魔理沙とパチュリーもそれに続く。
「「「乾杯」」」
◆◇◆
「ふぅ……」
私は独り、酒を飲んでいた。
ザワザワと騒がしい周りの連中を肴にしながら。
別に独りで飲む酒は嫌いじゃない。
というより、いつも神社では、独りで飲んでいるのだ。
一人酒には慣れっこだった。
「あれ、霊夢さん一人酒ですか?」
「……あんたか」
そんな私の
先程から消化不良になっているイライラを、彼女に少しぶつけるようにして、私は睨みつけた。
「あはは……やっぱり嫌われちゃってますかね?」
「別に。ムカついてるだけよ」
「それって嫌いってことじゃ……?」
別に美鈴のことが嫌いな訳ではない。
手心を加えられたことに関して腹が立っているだけだ。
その苛立ちも、美鈴だけに向けたものかと言えばそうではなく、私に向けたものでもあった。
「はぁ……私ってさ、そんなに弱い?」
「……へ?」
「手心加えられるほど、弱いの?」
「……」
「どうして私は……弱いの?」
少し興味本位で聞いてみた。
「……」
「……」
美鈴は黙り込んだ。
何かを考えているような、しかし何も考えていなさそうな顔で。
私は何も言い出せずに、その美鈴の顔をじっと見つめていた。
「ふふっ」
沈黙を破ったのは美鈴だった。
突然の笑み。
それは無表情で見つめ合い、恥ずかしさから出るような吹き出す笑いではなかった。
何かを意図した、どこか懐かしそうな笑み。
優しい笑顔だった。
「……なんで笑うのよ?」
私のことを馬鹿にしているような笑みでないことは確かだった。
だからこそ私は、何だか気恥ずかしくなって目を背ける。
「いえ……すみません。昔、同じようなことを言われたのを思い出しまして」
「同じようなこと?」
「ええ。まあ、あの時は『どうして私だけが弱いの?』だった気がしますが」
「??」
突然の昔話に、私はポカンとしてしまった。
「すみません、貴女には関係のない話でしたね」
「ふーん」
「興味なさそうですね」
「まあね。知っても意味なさそうだし」
「そうですか。では、先程の質問にお答えしましょうか」
「ええ」
「霊夢さんは、強いですよ。私なんかよりもずっと」
「じゃあ……」
「あれは特別なルール上での戦いですから。恥ずかしい話、人間よりも優れた身体能力を持つ筈の私が、ルールに助けられているんです」
「……へぇ」
「納得、してくれないんですね」
私の心を見透かしたように、美鈴は言う。
実際、私は納得していなかった。
「いいわ。そういうことにしておく」
「そういうことって……本当に私は、体術メインの方が好みなんですよ?」
「それはなんとなくわかるけど。でも、あんたの実力は底が知れないから」
「あはは……」
「だから、もういい。何だかシラケちゃったわ。変な話振って悪かったわね」
「いえいえ。でもお互い醒めてしまったようですし、飲み直しといきましょうか」
「そうね」
「「乾杯」」
◆◇◆
各々が入れ替わり立ち替わり乾杯し合う。
そんな宴会の風景を眺めながら、私は雑務をこなしていた。
空いた皿やグラスを下げ、新しい料理と酒を補充する。
時を止め、それらを卒なくこなし、たまに誰かと言葉と酒を交わしながら、私は宴会というものをそれなりに楽しんでいた。
やがて宴会が終わり皆が帰ると、やけに館内が静かに感じる。
そこにほんの少しだけ寂しさを感じている私は、やはり宴会というものを楽しんでいたのだろう。
今回参加した者全て、私が心を開いて打ち解けるような者ではない。
寧ろ敵対しているもののほうが多い。
そんな中でも、少しだけ楽しめてしまった。
そんな自分が恥ずかしいような、悔しいような……
でも、悪い気分じゃないことは確かだった。
やはり私は、少し変わりつつあるのかも知れない––––
––––大事な何かを、忘れている……?
◆◇◆
「今日はなかなか楽しめたわ」
「そう。それは良かった」
「パチェは楽しくなかったの?」
「いえ、別に。たまにはこういうの、悪くないと思ったわ」
「ふふっ……そうか。なら、またやりたいわね」
「どっかの誰かが異変を起こせば、また出来るわよ」
「すぐに起こるさ」
「あら、もしかして視えているの?」
「どうだろうな? だが、宴会をする風景は何となく浮かんでいるよ」
「へぇ、それは楽しみね」
「でも……駄目なんだ」
「どうして?」
「まだ、足りない」
「……咲夜かしら?」
「よくわかったわね」
「何年貴女と一緒にいると思って?」
「ふふっ……そうね。確かにパチェとは長い付き合いだ」
「あの頃はそうなると思ってなかったけど」
「ああ、まったくだわ」
2人は少し笑い合うと、すぐに黙って真剣な表情になる。
「私が視た光景には、まだまだ程遠い。もう少し、私に付いてきてくれ……パチェ」
「レミィの仰せのままに」
そして再び、2人は笑い合った。
––––いつか幻想郷中が、こんな笑顔で満たされることを夢見て。