「咲夜さん、貴女本当に人間ですか!?」
悲鳴にも近い声を上げるのは、紅魔館の門番––––紅美鈴である。
美鈴には、私の体術トレーニングに付き合ってもらっていた。
普段は1人でトレーニングすることが多いのだが、どうしても対人戦という形を取らなければ出来ない訓練もある。
それを美鈴に手伝ってもらっているのだ。
「人間のつもりよ?」
「つもりって……でも本当に、人間とは思えませんよ」
「ふふっ––––」
私は口元だけで笑ってみせる。
目はまっすぐ美鈴を捉えており、威嚇するように睨みつけている。
「––––嫌味かしら?」
そう言う私は、既に片膝をつき、腹部に手を当て、息切れを抑えるのに必死だった。
対して美鈴は、驚きの表情を浮かべながらも、二本の足でしっかりと地面に立っていた。
「そ、そんなつもりはありませんよ! だって咲夜さん、能力もナイフも使っていないんですから……」
私は自ら、時間を操ることと、ナイフを用いることを禁じている。
それは偏に、体術トレーニングの為だ。
私は再び立ち上がる。
そして、構えをとった。
まだ、腹部が痛む……
「続き、いくわよ」
「まだやるんですか……? お腹、相当痛みますよね?」
私の腹には、先ほど受けたダメージが残っていた。
美鈴の人間離れした力で蹴りを入れられ、私の肋骨は数本折れてしまっていた。
吐血をしていないところから、内臓に傷は付いていないと思われるが……
本来、美鈴が本気で蹴り上げていれば、私の内臓はグチャグチャになってもおかしくはない筈だ。
それほど、妖怪と人間には力の差が存在する。
それを私も美鈴も理解している。
だからこそ、美鈴は蹴る時に躊躇したのだろう。
私に後遺症が残らない程度の力しか出していないのだ。
つまり私は、手心を加えられている。
私は、より強く美鈴を睨みつけた。
「……まったく。負けず嫌いも程々にして下さいよ」
私は少し踏み込んでローキックを放つ。
美鈴は、それを少し後ろに下がりながら避けると、瞬時に踏み込み間合いを詰める。
私は美鈴の顔面にジャブを入れて牽制するも、如何せん体勢が悪かった。
速度もパワーもない私の拳を、掌底で軽くいなすと、私の腹部に手を当てる。
「ぐぁッ……!」
「やっぱり、痛いんですよね?」
軽く押されただけだが、私には激痛が走っていた。
骨が折れているのだから、当然だが。
「やめましょう、咲夜さん。これ以上は体に毒ですよ」
「……分かったわ。貴女の言う通り、やめにしましょう。仕事に影響が出ても困るし」
「え、その体で仕事するつもりなんですか!?」
「当たり前でしょう? 館の掃除や、お嬢様のお世話はどうするのよ?」
「そんなの、妖精メイドに任せれば……なんなら、私も手伝いますし!」
「いらないわ」
「で、でも……」
「大丈夫。この程度の傷、仕事には大して影響しないわよ。それともまさか、私を心配しているの?」
「まさかも何も、当たり前ですよ!」
「当たり前……? どうして?」
「だって咲夜さんは、私達の家族でしょう!?」
「家族……?」
––––パチンッ
「何を言っているのかしら?」
「……」
「私は、貴女達の主を殺そうとしている……謂わば敵なのよ?」
「……」
私は美鈴の背後に立ち、首の急所にナイフを正確に突きつけている。
美鈴は、何も言わない。
「私は仕事に戻るわ。貴女は門番の務めを果たしなさい」
私はナイフをしまうと、美鈴に顔を合わせることなく館の中へと歩き出した。
やはり美鈴は、何も言わなかった。
––––家族なんて、私にはいない。
私はそんな事を考えながら、なんだか熱いものが溢れてくるのを堪えていた。
◆◇◆
「本当に素直じゃないなぁ……咲夜さんは」
そんな美鈴の顔は、可愛い我が子を見るような穏やかな笑顔で埋め尽くされていた。
◆◇◆
「お待たせ致しました、お嬢様」
美鈴とのトレーニングを終えた私は、お嬢様の"昼食"を用意していた。
以前は取ることのなかった昼食だ。
太陽が昇っているこの時間は、吸血鬼にとっては窮屈な時間である。
もともと窓の少ない紅魔館であるが、全く無い訳ではない為、館内でも行動が一部制限される。
そんな時間に、何故起きて、何故食事を取っているのか?
「ありがとう、咲夜。今日も美味しそう」
「光栄でございます」
それは偏に、"あの巫女"の影響だった。
お嬢様が何を思ってそうしているかは私の知るところではない––––そもそも興味もない––––が、結果を言うなら、お嬢様は人間に合わせた生活をするようになった。
勝手な推察をするならば、霊夢を訪れるにしろ、霊夢が訪れるにしろ、人間に合わせた生活を送っていた方が都合がいいのだろう。
実際、お嬢様は霊夢と幾度となく会っている。
それは全てお嬢様の方から訪れているが。
さらにそれは、私にとっても都合が良かった。
あの巫女には、私自身も興味がある。
「あぁ、そうだ」
お嬢様は突然食事の手を止めると、私の方へと振り向き言った。
「パチェが貴女を呼んでいたわ」
◆◇◆
「パチュリー様、紅茶とクッキーはいかがですか?」
「あら咲夜、気が利くわね」
私が図書館を訪れると、いつものようにパチュリー様は本を読んでいた。
側近の小悪魔は見当たらない。
「いえ。ところでパチュリー様」
「なにかしら?」
「お嬢様から、パチュリー様が私にご用があると聞いたのですが」
「ええ、ちょっとこっちに来なさい」
「?」
パチュリー様が、自身の側に寄るように、私に催促をする。
「なんでしょう?」
「いいから来なさい」
私はその意図が読めなかったが、とりあえずパチュリー様の横に立った。
「これでよろしいですか?」
「ええ、じっとしてなさい」
そう言うと、パチュリー様は私の腹部に手を当てた。
少しだけ、痛みが走る。
「ッ!?」
「美鈴から聞いたわ」
「怪我のことなら、大したことは……」
「いいえ。怪我もそうだけど、怪我じゃなくてね」
私の腹部に添えられた手が、淡い光を帯び始めた。
あまり実感はないが、直感的に治癒しているのだろうと分かった。
少しずつではあるが、痛みが引いているようにも思える。
「ねぇ咲夜」
「なんでしょうか、パチュリー様?」
「私達は、家族でしょう?」
パチュリー様は私の目を真っすぐ見つめながら言った。
私はすぐに視線を逸らしてしまった。
「そんなことも美鈴は喋ったのですか……でしたら、私の答えも知っていらっしゃいますよね?」
「ええ、知ってるわ。でも、貴女自身の口から聞いた訳じゃない」
「ならば、もう一度言いましょう。私は、貴女達の主を殺そうとしている、敵なのです。家族ではありませんわ」
「そう……」
弱々しいパチュリー様の声に、私は素直に驚いた。
どうしてそんな声を出すのか、分からなかった。
だから私は、もう一度パチュリー様へと視線を戻––––
「私は、貴女のこと……結構好きよ?」
––––パチュリー様は、目に涙を浮かべていた。
「どうして……」
そんなことを言うのか?
そんな顔をするのか?
私には……分からなかった。
「……傷は治ったわ。私の用は済んだから、レミィのところにでも戻りなさい」
パチュリー様は、再び本を読み始めた。
その目が本の文字を追っているかは、定かでない。
◆◇◆
「咲夜、何かあったの?」
今は、お嬢様のティータイム。
外のテラスで美鈴が手入れする庭を眺めながら紅茶を啜っていた。
もちろん、お嬢様は日陰にいる。
そんなお嬢様が、突然私に言った。
「……え?」
「なんだか貴女、浮かないような……でも嬉しそうな顔をしていたから」
「そんなことは……」
「パチェに何か言われたの? あいつは偶に訳のわからない戯言を言うから、気にしちゃダメよ」
あれは、パチュリー様なりのジョークだったとでも言うのか?
私には、とてもそうとは思えなかった。
「一度貴女に言ったことがあると思うけど……」
私がお嬢様の御言葉に返事もせず、ただ惚けていると、唐突にお嬢様が切り出した。
「私は、運命を操ることが出来る。でもそれは、他人の思考を支配できるということではないの。だから私は、貴女が何を考えているかは分からない」
「……」
「ねぇ咲夜。貴女は今、何を思い、何を考えているの?」
「私は––––」
––––何を考えているのだろう?
どうして、困惑しているのだろう?
目の前のお嬢様は、私が殺すべき存在だ。
そんな彼女はもちろん敵であるだろう。
そしてその友人や、仕える者たちも、味方とは言えないだろう。
況してや、家族なんて––––
そうだ。
私を惑わせているのは、"家族"という言葉だ。
両親どころか、自分の名前すら忘れてしまった私には縁のない言葉だ。
気付いた時には独りだった。
今までずっと独りだった。
そしてこれからもずっと独り……の、はずだった。
気付いた時には周りに人がいた。
お嬢様、妹様、パチュリー様、美鈴や小悪魔、霊夢に魔理沙……
たくさんの人がいた。
もちろん"人"の中には妖怪も多く含まれている。
––––私は今、独りなのか?
お嬢様に生きる名前を貰い、生きる場所を貰い、生きる意味を貰った。
––––私は今、独りなのか?
美鈴に家族だと言われ、パチュリー様に好きと言われた。
––––私は今、独りなのか?
私は––––
「––––嬉しいのです。お嬢様」
少し……いや、かなり時間を置いたのちに、私はお嬢様に告げた。
お嬢様は、口元に笑みを浮かべていた。
そして更に、私は言葉を続ける。
「貴女が無防備な姿を見せてくれることが」
そう言って私は、時を止めてお嬢様の首元にナイフを当てた。
「それでこそ、私の咲夜だ」
お嬢様は、まだ笑みを浮かべていた。
「さて、お仕置きの時間だ」
彼女には、私の本心など、きっと見抜かれているのだろう。
その日のお仕置きは、今までで一番心地良かった。
◆◇◆
夜、私は自室にいた。
以前ならば、お嬢様の活動時間である為、仕事が山ほどあった。
しかし、お嬢様が人間の生活に合わせるようになった今、夜に行う仕事は限られてくる。
また、妖精メイド達も少しずつ成長しているようで、昼のうちに作業が順調にこなせている。
それでもする事が無いわけではないのだが、これもお嬢様の命令だ。
人間らしく夜は睡眠を取れ、と。
今では時間を止めて休憩することも禁じられている。
だから私は、こうして自室で休息を取っている。
「……」
私は今、無性に仕事がしたかった。
掃除でも料理でも、はたまた殺しでも何でもいい。
とにかく、仕事がしたかった。
––––今は何も考えたくない。
「……」
しかし、何もすることがない今、何かを考えざるを得なかった。
『––––嬉しいのです。お嬢様』
あの言葉は本心だった。
いや、本心であるとしか考えられないのだ。
だってあれは、意図せず私の口から出たのだから。
声になって初めて、自分が発した言葉の意味を理解したのだ。
だから、私は嬉しかったのだと考えるしかないのだ。
「……滑稽な話ね」
人に恐れられて人を憎み、孤独を選んできた私が……
妖怪達によって"人"の温もりを感じるようになって……
それを、嬉しいと思っているのだ。
もう私は、笑うしかなかった。
でも、現実の私は泣いていた。
悲しくないのに、泣いていた。
「本当に……どうしちゃったのかしら?」
私に訪れているものは、変化なのか?
それとも––––