紅魔女中伝   作:ODA兵士長

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序章
第1話 名もなき殺人鬼 –– ザクラ・ザ・リッパー ––


 

 

「ハイよッ! お嬢ちゃん! お待ちどぉ!」

「……」

「お嬢ちゃん、別嬪さんだからオマケしといたよ!」

「……どうも」

「くぅーッ! 手厳しいねぇ!」

 

 明るく元気に振る舞うこの酒屋の店主に、無愛想な態度を見せる、銀髪で背の高い容姿が整った少女。

 ––––これが私。名前は……忘れてしまった。

 思い出したいとも、思わない。

 

「でも、お嬢ちゃん、なんだかんだここに顔出してるよなぁ〜」

「そうそう。俺ら常連にも負けねぇくらいにな!」

 

そこはカウンター席がいくつか並ぶだけの小さな居酒屋だった。

 店員も、店主とその奥さんしかいない。こじんまりとした、しかし居心地のいい店だった。

 確かに私は、よくここに顔を出している。

 

 そして、ここに顔を出すときは決まって––––

 

 

 

 

「にしても聞いたかい? あの話」

「……あぁ今日もまた、その辺りであったらしいな」

「そうそう。また同じ手法だってさ」

「これだけ多いと、模倣犯も居そうだけどなぁ」

「でも居ないって言われてるぜ? 誰でもできるもんじゃないってよ」

「喉元をナイフでスパッと––––いやぁ、怖いねぇ! "切り裂きザクラ"は」

 

 

 切り裂きザクラ––––

 

 

 それは、この街に潜んでいると言われている殺人鬼。

 その殺人鬼は、ナイフで喉を切り裂くという殺人方法と、最初の被害者が桜の木の下で発見されたことから、切り裂きザクラと名付けられた。

 半年前に始まってから現在まで、被害者はおよそ30人。

 正気の沙汰ではない数だ。

 

「そんな中で、閉めずにやってるのはここくらいだよ、おやっさん!」

「そんな殺人鬼なんかにビビってちゃあ、商売なんてやってられないからな」

「流石だねぇ! 道理でここの酒は美味いわけだ!」

「へっ、当然よ!」

 

 "切り裂きザクラ"による犯行は、夕方から夜の間に行われていた。

 そのため、陽が落ちる頃には、人々は出歩かず、街が静まりかえる。

 街を去る者も多く、どんどんと寂れていくこの街で夜まで店を開けているところなど数えるほどしかない。

 

「おや、お嬢ちゃん帰るのかい?」

「お金ならそこに」

「ありがとね。まあ、お嬢ちゃんなら奢ってやってもいいんだけどねぇ! あっはっはっ!」

「おいおい、おやっさん。まさかあんたも飲んでるのかい?」

「俺は客と酒を楽しむのが好きなんだよ!」

「かァーッ! いいねぇいいねぇ!」

「あ、お嬢ちゃん! 気をつけなよ、この辺りは危ないからね!」

「……どうも」

 

 私はそう言うと、扉を開けて暖簾をくぐった。

 

 

 

 

 ––––これはまだ、私が名もなき 殺 人 鬼 だった頃の話である。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 陽が沈み、暗くなった街の中を、その男は歩いていた。

 男は1人だった。近くに人の気配はない。

 辺りは閑散としており、今日は少し強い風の音だけが聞こえてくる。

 

「少し……肌寒いな」

 

 気温はさほど低くはなかった。

 しかし、風が運んでくる冷気に、男の身体は冷やされていた。

 

「……ぁ…………?」

 

 突然のことに、男は驚きが隠せなかった。

 先ほどまでは寒かった筈なのだ。

 しかし温かい何かが、男の体に掛かった。

 暗闇に隠れ、色までは確認できない。

 その液体が人体に影響のあるものなのか?

 そもそも何故、その液体が突然自分に掛かったのか?

 色々と考えることはあるだろう。

 疑問に思うことも、多々ある筈だ。

 しかし、男の考えはただ1つ。

 その考えに頭が全て支配され、何も考えられていなかった。

 

 

 

 ––––どうして俺は、声が出せないんだ……?

 

 

 

 男は訳も分からないまま、絶命した。

 

 

◆◇◆

 

 

 ナイフで喉を抉る。人間の体とは、随分と柔らかいものだ。

 私はこの感覚が堪らなく好きだった。

 

「……ぁ…………?」

 

 音もなく忍び寄り、ナイフを立てる。

 彼らは、訳も分からないまま死んでいく。

 この時に浴びる返り血は、とても温かい。

 

 

 ––––私には特別な能力がある。

 それは物心がついた時には既に備わっていた。

 だが、その能力について他言したことはない。

 だってこれは、私だけの––––

 

 

「お見事ですわ」

「ッ……!?」

 

 声がする。

 私は驚きが隠せなかった。

 

「人間業とは思えない」

「……誰かしら?」

「私は、ただの通りすがりですわ」

「そう……なら––––」

 

 

 ––––パチンッ

 

 

「––––死になさい」

 

 私はいつも通り忍び寄り、首筋にナイフを立てる。見られてしまったのなら、殺す他ないのだ。

 私は躊躇わずに、ナイフで喉を抉る。私の手には、いつも通りのアノ感覚が––––

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 ––––なかった。

 

 

 

 私の手は、"何か"に呑み込まれていた。両端がリボンで結ばれている"穴のような何か"が、私の手を呑み込んでいるのだ。

 それは突如として空間に現れた、謎の()()()だった。その中からは、無数の目がこちらを見ている。

 酷く……気味が悪い。

 

「その能力は、人間にしては出来過ぎた力ね。本当に恐ろしい」

「……貴女、何者?」

「私はただの、通りすがりの妖怪ですわ」

「妖怪……?」

「妖怪は初めて?」

「……そんなもの、会ったことある方が少ないんじゃないかしら?」

「ふふっ、確かに。外の世界の人間なら当然ね」

 

 目の前の女は、自分を妖怪だと言った。確かにこの女には人間離れした能力が備わっているようだ。

 異空間を作り出しているのだろうか?

 腕の感覚はある。ナイフも握っている。間合いも十分すぎるほど近付いている。

 なのに、そのスキマが女にナイフが刺さることを阻んでいるのだ。

 スキマから手を出すと、いつも通りの自分の腕があり、その手はしっかりナイフを握り締めていた。

 まるで理解できない現象が起こっているが……案外驚かないものだ。

 私の心が冷めきっているというのも1つの要因かもしれないが……

 

 最も大きな要因は、私も人間離れした能力を持っているからだろう。

 

「貴女は一体何の為に、私の前に現れたのかしら? 私を殺すため?」

「そうだ……と言ったら?」

「……面白い、と思うわ。相手になる者なんて、今まで居なかったもの」

「では、殺してあげましょうか?」

「勝手にすればいいわ。でも私は、殺す側にはなっても––––」

 

 

 ––––パチンッ

 

 

 私には"時間を操る程度の能力"がある。生まれながらにしてその能力があった。

初めは皆が当然の様にできることだと思っていた。"時間を操る"という事が当たり前すぎて、それが特別なものだと気づくまでに時間がかかった。

 だから幼い私は、この能力を惜しみなく使用していた。

 

 ––––気付いた時には、私の周りには誰もいなかった。

 人は皆、私のことを化け物と呼んだ。

 何処からともなく現れては、いつの間にか消えている私を、人は恐れた。

 

 人間ほど恐ろしい生き物はない。

 

 初めのうちはそんな人間共に復讐するために、人を殺していた。

 酷い仕打ちを受けた仕返しだった。

 

 だが……一体いつからだろうか?

 殺す事に、私は快感を覚えた。この私の能力は、人を殺す為にあるのだと思った。

 

 そうして手に入れた"切り裂きザクラ"という私の地位は、私にとって、この下らない世界での唯一の居場所であった。

 "切り裂きザクラ"として人に恐れられながら人を殺す事で、私は生を感じられるのだ。

 だから私は––––

 

 

 ––––パチンッ

 

 

 止まっていた時間が、流れ始める。

 

 

「––––殺される側には、絶対にならない」

 

 

 私が常に携帯している多数のナイフが、女に向かって飛んでいく。

 それらは私が時を止めてるうちに設置したものだった。

 

「……ッ!」

 

 女は突然現れた幾多のナイフに驚き、目を見開いていた。

 

「––––ふふっ」

 

 しかしその直後、女はその状況下で笑っていた。

 

「なっ……」

 

 大量のスキマが姿を現わす。

 それらは私のナイフを(ことごと)く呑み込んだ。

 

「本当に恐ろしいわ」

 

 女は言う。私を嘲笑うかのように。

 しかし私は、その光景を見て、驚きも怯えもしなかった。

 ただ純粋に、この女には勝てないという諦めだけがあった。

 

「でも私は、貴女を殺しに来たわけじゃないの」

「……じゃあ、何のために?」

「貴女に殺してほしい者がいるわ」

「殺してほしい者?」

「ええ、そうよ」

「貴女が殺せば良いじゃない」

「私では駄目よ。貴女でなければいけないの」

「言ってる意味がさっぱり分からないわ」

 

 私は言葉を続ける。

 

「––––悔しいけど、貴女には敵いそうもない。流石は妖怪、と言ったところなのかしら? 人知を超えてるわ」

「人に非ざる者だもの。当然よ」

「だからこそ……どうして強い妖怪の貴女が、弱い人間の私に頼むの? 理解に苦しむわ」

「さあね。それは今の貴女が知ることではないわ」

「は……?」

「この先に答えがあるはずよ。確証はないのだけれど」

 

 目の前に大きなスキマが開く。それは私の体よりも大きなもので、女の姿はそれに隠され見えなくなった。

 そう思った矢先に、女は私の背後から現れた。

 私に驚きはなかった。振り返ることすらしない。

 

「この先に大きな紅い館があるわ。そして、その館にいるレミリア・スカーレットという吸血鬼……貴女には彼女を殺してもらいたいの」

「……吸血鬼?」

「鬼のように強靭な肉体を持ち、天狗のように俊敏な動きをする妖怪よ。そして、主食は言わずもがな––––」

「私の天敵ってことになるのね。まあ、面白いんじゃない?」

「あら、意外と乗り気なのね?」

「別に元々断るつもりもなかったわ。居場所のないこの世界に飽きてきた頃だったから……刺激が欲しいのよ」

「いい性格してるわね、貴女」

「貴女ほどじゃないと思うわ」

「そうかしら?」

「それに、なんだか行かなきゃいけない気もするのよ。言うなれば––––運命、かしらね?」

「ッ……」

 

 女は、何故か驚いた様子だった。

 私にその意図は分からなかったが、興味もなかった。

 

「……せいぜい、死なないように頑張りなさい」

「私は死なないわ。強靭な肉体だろうと、俊敏な動きだろうと関係ない。相手の動きを封じることは得意なのよ」

「甘く見過ぎよ。そんなんじゃあ、すぐに死ぬわ」

「別にいいわよ。死にたい訳じゃないけど、こんな世界に、未練なんてないもの」

「そう……あぁ、そうだ。貴女へのプレゼントがあるのよ」

 

 その時、目の前のスキマから女の手が伸びる。

 その手にはナイフの束が–––それらは可愛らしいリボンで束ねられている–––握られていた。

 それは先ほど私が投げたものと似ているが、少し違和感があった。

 

「受け取って頂戴」

「……重いわね」

 

 私はそれらを受け取る。

 いつも使っているナイフよりも、重たいものだった。

 

「銀製のナイフよ。貴女が今まで使っていたものでは、吸血鬼に傷を負わせることは出来ないわ」

「へぇ……そうなの」

「もうこれは貴女のモノよ。好きに使ってくれて構わないわ」

「……これが報酬の一部になるのかしら?」

「違うわ。これは私からではないもの」

「……?」

「時が来れば分かるわよ」

「はぁ……分からないことだらけじゃない」

「ふふっ、世界なんて未知で溢れているのよ?」

「それもそうね。じゃあ、貴女からの報酬はどうなるのかしら?」

「……本当に殺せたら考えてあげるわ。とびっきりのやつをね」

「そう。期待してるわ」

「いえ、その必要はないと思うわ」

「どういうこと……?」

「おそらく貴女は、私なんかから貰うよりももっと大きな何かを授かるでしょうから」

「はぁ……?」

 

 女は何故かクスクスと笑っている。

 

「……まあいいわ。どうせ私に拒否権なんてないのでしょうし」

「別に拒否してもいいのよ?それ相応の報いはあるかもしれないけれど」

「それは、拒否権がないということと同義よ」

「ふふっ、それもそうね。あぁ、それと、1つだけ助言してあげるわ」

 

 女は笑みを浮かべ、さらにそれを扇子で隠すように覆った。

 

「これから貴女が向かう場所は、非常識で溢れているわ。常識で物事を捉えていると、痛い目に遭うかも」

「……もともと、時間を操れる私には常識が通用していないでしょうに」

「確かに、そうかもしれないけど……」

「安心なさい。吸血鬼だろうと何だろうと、私が切り裂いてあげるわよ」

「あらあら、頼もしい限りですわ。切り裂きザクラさん?」

「……」

 

 

 

 そして私は、その大きなスキマに足を踏み入れた––––

 

 

 

 

 

 

 

 


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