阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 それから僕は五日ほど、学校を休んだ。休んだ、というか、現在進行形で休んでいて、絶賛不登校中である。

 わーい。

 …………。

 体の具合が悪いだとか怪我をしてしまったんだとか、別にそんなことは無いんだけど、僕は学校を休んでいた。そもそもいつも授業をうっちゃらかしていたり、早退なんて当たり前だった僕にとってはあまり変わりがないのだが(いや、流石に五日も休むと土日も含め一週間丸々だ。大型連休じゃあるまいし、さすがに変わりないというのは意地を張った)、しかしその行為が生んだ結果として、少し悩ましいところがないわけではなかった。日頃からの行いが祟ってか、下手すれば足りないかもしれない出席日数も悩ましいといえば大変悩ましいんだけど、一番の悩みは学校になかなか行けないということだった。

 いや、行けばいいじゃん。体はどこも悪くないんだろう? と、軽いノリで言われてしまうかもしれないけど、よく考えてもみてくれ。五日も休んでしまうと──土日も含めれば一週間も休んでしまうと、学校に行くという行為に照れが生じるというか、なんだか抵抗力が生まれないだろうか。

 上手く言葉で言い表せないのは僕の語彙力のせいでもあるけど、よく分からなければ、一度祝日のない週に丸々七日間休んでみてほしい。きっと、僕の気持ちがわかることだろう。なんだかいたたまれない気持ちになる。

 

 しかし、理由はそれだけじゃない。他にだって、理由は存在する。それこそ──ちっぽけな悩みというか、気にする必要がないというか。己が望んで招き入れた未来なのだから受け入れるべきなのだろうが……。いやあ、学校には、どうも行き辛い。そして家にも居づらい。

 自業自得であるということは重々承知であるものの、それでもやはり学校には行きたくはないのだ。無断で休んでいるというわけではなく、しっかりと先生には病気であるという旨を(仮病だけど)電話で伝えているので、一応正当な手続きを踏んで正式に休んでいる(しかしそれでも出席日数が加算されることは無い)。無断で学校を休むと何かあったんじゃないだろうかと心配されて家に先生が来てしまうのだが(経験済み)、病気の時も病気の時で、お見舞いという形をとって誰かしらが家に来るのだ。風邪という体をとっているために、マスクでもして暖かそうな格好で身を包み、咳き込んでさえいればお見舞いを乗り切ることはかなり容易いことだろうけれど、でも、お見舞いが問題、という意味ではなく、来る相手自身が問題の時だってある。

 

 この五日間。毎日のように生徒会副会長、学級委員長の二人……つまり、羽川翼と七海千秋がツーマンセールスの如くやって来たのだが、全てにおいて僕は居留守を使った。

 自転車を駐輪所に停めてあるので、居留守も何もないのだろうけど。

 ともかく、いつも十分から二十分程、彼女らは家の前にいる。その間はひっそりと息を潜める。気配を勘付かれないよう、空気に溶け込むようにして気配を殺す。

 

 メールなんかも二人からよく送られて来ていたのだけれども、一つも開けずにいた。どうしても見たいとはどうしても思えなかったのだ。しかしそのメールアドレスをブロックしたりしないあたり、何か思うものがあるのだろう。それとも、僕の人間強度がただ下がっただけか?

 

 ……しかし、いつまでも居留守を使っているわけにもいかないし、流石に風邪で五日以上休むというのは、いささかやり過ぎな気もするので、そろそろ学園には行かなければならない。この時はいつかは訪れるもので、それは分かりきっていたことだ。

 それに、先生にも今日は学園に行きますと言ってしまっているし、後には退けない。

 

 なので、別に風邪なんて引いているわけでもなく、健康体そのものといった大変元気な体を三日ぶりに動かし、冬の寒気に当てられすっかりと冷え切ってしまった制服に腕を通す。右手首に腕時計を巻くことも忘れない。

 

 今日は土日の通常休み明けな訳だから月曜日か。

 学校を休むと、曜日感覚がなくなる。

 

 教材は教室に置きっぱだし、そもそも授業なんてまともに受けるつもりはさらさらないから、曜日によって変わる学習教科についてはあまり気にしなくてもいいんだけど。

 

 気怠い体を引っ張るように動かし、部屋を出る。

 すると、意外というか予想の範囲というか、いややっぱり予想外の展開であった。

 

「……あ、やっほう。阿良々木くん」

「…………」

 

 クラスの委員長、七海千秋だった。後ろに見慣れない自転車があるところを見ると、どうやらそれに乗って来たらしい。いや、まあ……そもそも学園から自転車を漕いでも三十分かかる場所に歩いて向かうというのもおかしな話である。だから、自転車なり自動車なりに乗ってくるというのは当然だろう。

 突然の彼女の登場に対し、僕は呆気に取られるわけでもなく、ただ口を閉ざし黙っていた。

 絶句──ではなく、謎の罪悪感にかられての沈黙。

 彼女に不満があるわけじゃないのだけれども、やっほうと話しかけられてやっほうと返してもいいのかどうか、また、何か他の言葉を言うにしてもなんて言えばいいのかが分からなかったのだ。

 そもそも、そんなことをする資格があるのかどうかさえ、疑った。

 

「……おはよう」

 

 僕は白い吐息と共にそう呟くようにして言い、七海を置いて駐輪場にある自分の自転車を取りに行く。

 その間にも、自分はどうすればいいのだろうかと色々考えるものの、しかし具体的で素敵な案は全く浮かばなかった。くだらない案すらも、僕の頭には現れてこなかった。これだから──他人と関わるのは嫌なんだ。こんなことで悩むくらいなら、最初からあのお誘いに乗るべきではなかった。

 今回の件は、悔いるべきことだ。今後は頭ごなしに断っていくべきだろう。

 

「……あの、ごめんね。阿良々木くん。その、やっぱりダメだったよね。まだ私達二人の仲もそこまでなのに、それなのにまた、新しい人を紹介するだなんて──」

 

 ──私も、いくらクラスメイトだからと言っても出会ってまだ二日三日みたいなものだしね。

 と、彼女は悲しそうな声で言う。表情は見えないものの、きっと悲哀に満ちた表情で言っているのだろう。

 そんな言葉を、口にしないでくれ。

 そんな声色で、話さないでくれ。

 僕の中にまだ残っていた良心が、チクチクと痛む。

 僕が悪いと言うことは分かっているのだけれども、それを言葉にして口から出すことは出来なかった。したくなかった。

 

 弱い人間だよなあ……、僕は。

 

「……ああ、そうだな。僕とお前は、ほんの二日程度話しただけの仲だ。仲といえるほどでもない。やっぱりただのクラスメイトといった関係だ。それもなんの関わり合いもないような間柄で──それだから、お前は、なにも気に病まなくっていい、だから──だから、もう、僕には関わらないでくれ」

 

 弱いから、虚勢を張って、強がって、それで後悔するのだろう。後でこの行為を激しく後悔することは目に見えていたけれども、それも他人と関わって人間強度が下がってしまったが故だ。元にリセット出来るならと身を切る思いで、僕はそう言い残し、自転車を全力で漕いで逃げた。

 

 七海の目の前でメールや電話番号を消せば良かったんだろうと、今になって思うけれど、そうしなかったのは──僕がやっぱり、弱いやつだからだと思う。心残りがあって、消すのを躊躇ってしまっていて、結局消せずじまいに終わってしまったのだ。まあ、きっと七海のやつは、僕のメールアドレスなんて消しちゃうだろうから、問題はないか──いやそれでも、あの七海ならと、思うところは少なからず存在した。

 僕は信号のあたりで一度立ち止まり、学生鞄から取り出した携帯電話を開く。アドレス帳に記載されたメールアドレスはたったの二つだけ。僕はその片方に軽く触れ、そしてその情報を削除した。

 ……少しは、強くなれただろうか。

 そう思い見上げた空は、酷く哀しい色であった。

 

 およそ二十五分で、僕は学園についた。いつもはブラブラとゆっくり自転車を漕いでいたために三十分以上かかってしまっていたようで、かなり本気で息が切れるほどに漕いでみると五分も時間を短縮できた。この二年間で初めて気がついたことだ。

 

 学園に着き、そのまま教室へと向かう。教室では既に担任の先生がいて。

 

「ん、やあ、阿良々木くん。もう体の方は大丈夫なのかな?」

「ええ……、まあ、全快といった感じです」

 

 八九寺先生は、例のごとく大きなリュックサックを教卓の横に置いている。あのリュックサックには一体なにが入っているのだろうと入学当時から疑問に思っていたが、結局聞けずじまいであった。この学園を卒業するまでには聞いておきたいものだ。

 

「そりゃ良かった。生徒が健康だと、先生も嬉しいよ」

「はあ、さいですか」

「──そういえば、阿良々木くん。聞いておきたいことがあるんだけれども」

「…………」

 

 自分の席に向かい、いつもの通りに窓の外でも眺めていようと思っていたのだが、それは八九寺先生によって遮られる。

 僕に投げかけられた問いかけに対し、僕はやや鬱陶しそうな表情をしながら「なんですか」と言葉を返す。

 

 その言葉を聞けば、八九寺先生はわざとらしく、笑顔を悲しみの表情に変えた。

 

「いやあ、なに。最近七海さんが元気なさそうなんだけど……、何か知らないかな?」

「……いえ、なにも」

「そう、まあ何かわかったら教えて欲しいな。先生は。彼女、笑顔なのは笑顔なんだけど、どこか悲しげというかね……」

 

 ……悲しげ、ね。

 別に知ったこっちゃないから僕としてはスルーしていいことだし、今後のことを考えれば、スルーするべきことでもあった。

 心当たりはないわけではない。というか、その原因はきっと僕だろう。僕が彼女仲介の話をあんな風に断ってしまったのが理由であるだろうと簡単に推測できた。

 

 ……でも、彼女とていつまでもそのことを引きずるような人間じゃないはずだ。青春の一頁にすら刻まれないような、そんな出来事を、いつまでもいつまでも引きずるなんてことはきっとないはずである。

 

 僕は、今後七海に話しかけるつもりはなかったし、話しかけられても適当にあしらおうと心に決めたのだった。崩れかけていた人間強度を支えるものとして、心に強く強く、その思いは巻きつけた。

 暇つぶし程度にし外を眺めていると、窓から見た景色に、彼女は写り込んでいた。駐輪所を悲しそうな顔をしながら歩いている。

 

 いつしかその表情が僕のいないところで明るいものになることを、願っておこう。

 ただ、願うだけ。


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