阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 感情の(おもむ)くままに喫茶店から立ち去った僕は、あの後何も考えずに希望ヶ峰学園の中をなんの気もなしに歩いていた。希望ヶ峰学園の敷地面積はとても大きく、本来の学校という施設だけで二つ以上ある上に、また更に才能研究のための棟がズラリと並んでいるのだ。その他にも色々な施設があるために、自然と学園を取り囲む塀の円は大きなものとなってしまう。希望ヶ峰学園の中だけで一つの街の人間が一年は暮らせるという噂がまことしやかに囁かれているが、流石にそこまでは広くない──けれど、地下施設もあると聞くし、また非常用の備蓄も沢山あるらしい。その噂によれば、核シェルターもあるとかないとか。まあ、もしそんなものが存在するならありそうな話ではある。

 現実味がないが、希望ヶ峰学園ならあり得る。あり得てしまう。

 ともかく、そんな希望ヶ峰学園を適当に僕は歩いており(下手すれば遭難するかもしれない──というのは、流石に言い過ぎか?)、どうしたものかと考えに(ふけ)っていた。いや、まあ、何も考えちゃいなかったようにも思える。

 

 陽の傾きが強くなってきた。そろそろ帰ろうかな──僕は、あの誰もいないアパートに帰ろうと思っていた。引くも孤独、進むも孤独、立ち止まるも孤独……僕らしい。ともかく帰るためには、自転車という移動手段が必要不可欠だ。

 なので希望ヶ峰本校舎近くにある駐輪場に向かっていると、生徒会で副会長を務める羽川翼の姿を見つける。なんでこんな時間帯まで──と思ったが、昨日も陽が落ちて空が暗くなるまで外にいたようだし、何よりここは校内だ。別に不自然に思うほど珍しいことじゃないだろう。──いや、でも、あいつは自転車なんて使ってなかったし、そもそも学園付属の寄宿舎を住まいとしていたはずだ。だから、駐輪所付近にいるのはなんだか変に思えた。僕の知る限り、どこからどこへの道の中間地点にあの駐輪所は存在しないのだから。

 少し疑問に思いながら、ポケットの中にある自転車の鍵を探りつつ歩みを進めた。

 

 何もなかったかのように──いや、何もなかったのだ。僕には、何もなかったのだ。そして何もない。羽川のことを意識するようなことも、ない。

 

 キーホルダーすら付いていない、良いように言えばシンプルイズベストを体で表したかのような銀色の鍵をちらつかせ、羽川の隣を通り過ぎようとする。流石に僕に気付いていないということはないだろうから、挨拶くらいしておくべきかと思う。すると。

 

「……あれ? 阿良々木くん。今帰り?」

「えっ……、ああ、まあな。ちょっと図書館で調べ物をしてたんだよ、早く家に帰って、お風呂にでも浸かろうかと考えていたところさ」

 

 彼女が僕に話しかけてきたときには、お互いに通り過ぎてしまったあとだったので、面と向かって話すことはなく、背と背を向けて話し合う形であった。流石に無視して通り過ぎても良かったのだけれども、そうする理由が見当たらないし聞こえてなかっただなんて言い訳は出来ないだろうから、僕は立ち止まった。

 理由なんて、必要ないだろうけど。

 いつから僕は、理由付けしなきゃいけないと思うようになってしまったのだろう。

 弱くなったものである。

 

「へえ……、いやでも、七海さんがね。阿良々木くんと予備学科の人を合わせるから、ちょっと今日は学園に戻るのに間に合うか分からないなあって言ってたから、実のところ外にいたんじゃないかって──例のあの喫茶店あたりで、仲良くお茶でもしてるんじゃないかって、思ってたんだけどさ」

「それは──あれだよ。破断? っていうか、まあ、合わなかったっていうか。会わなかったわけじゃなくって、合わなかった」

「ふうん」

 

 二人して振り返る。お互いの見えなかった顔を見ようとして。しかしお互いに背を向けていたわけだし、相手の顔を見ようというより、話し相手の姿を視界に捉えておくため──背中でも良いから姿を見るために、振り返ったのだ。いつまでも相手をどこ吹く風とちゃらんぽらんな方向を向いているわけにもいかないし。ま、結果としては目を合わせることになったんだけど。

 一瞬目が合ってしまい、なぜか罪悪感というものを感じてしまった僕は、反射的に目を逸らした。

 

「……」

「……」

「阿良々木くん。友達いないのに、無理しちゃって」

「友達がいないって言うな!」

 

 いないけど!

 というか、前にも誰かに同じようなこと言われたな……ええっと、誰だったっけか。確か──ああ、そうそう。江ノ島だ。江ノ島にもこうしてからかわれた記憶がある。しかし……別にいいだろう。友達がいないくらい。

 友達なんて、いてもいなくても同じだろう。同じか? 同じだな。

 

「……で」

「……で?」

「いや、ほら。断っちゃったんでしょ? 七海さん仲介による初めての男友達が出来るチャンス」

「僕に今まで男友達がいなかったみたいな言い方をするな。僕だって流石に、そこまで悲しい人生を送っちゃいないよ」

「あっそ。で?」

「……まあ、断ったけどさ。なんというか──そもそも、七海ともそこまで仲は良くないのに、その友達を紹介されてもって感じだった。友達の友達は都市伝説みたいなものだけど、僕の場合は、友達のいうポジション、立ち位置にいる七海が友達ですらないんだよ」

 

 そう、七海は友達ではないのだ。

 ただのクラスメイトである。ほんの少し話をしただけでは友達とは言わないだろう。例えばお互いの考えに強く共感し、なにか通じるようなものがあればまた別なのだろうが──しかし、そんなことはなかったし、仮にそのようなことがあったとしても、七海は僕の友達ではないだろうし、また僕の友達は誰でもないのだ。知人はまだしも、友達、親友なんていうのは僕には必要がない。

 必須品ではない。

 

「結構、阿良々木くんと七海さん。お似合いだと思うんだけどね」

「お似合い? そんなに仲良さげに見えたか?」

「うん、見えたよ」

 

 おんぶとか、普通出来っこないだろうし、と羽川。

 やめろ。

 

「……でも、仲良さそうに見られたとしても、見えたとしても、見えてしまったのだとしても──僕は友達なんて、いらないんだよ」

 

 (かたく)なに、直向(ひたむ)きに、ひたすらに、僕は友達を作ることを拒む。いつから僕はこうなってしまったのだろう──はたまた、昔からこうだったのかもしれない。案の定昔からという記憶が間違っていて、ここ最近そう思うようになっていたというのが正解なのかもしれない。結局この問いの答えが出ることは、この先ないのだろうけれど、自分を自分たらしめる起因がどこにあってどう働いたのかは少し気になるところでもあった。

 

「まあ、さすがに知らない人をいきなり紹介されたら気が引けちゃうよね……いくらクラスメイトからといっても、実質昨日今日会ったようなものみたいらしいし」

 

 私もだけど、と、羽川は前に両手で持っていた学生鞄を右手だけに持ち替え、(かかと)を軸にし、くるりとあちら側を向き僕に背を向けた。彼女の頭から垂れる二本のおさげが旋回し、やがて背中へと落ち着く。

 僕はそれを、黙って見ていた。

 

「阿良々木くん」

「……なんだ?」

「友達、作る気ないの?」

「無いな、人間強度が下がるから」

「なにそれ?」

「なにって……ほら、友達が困ってたら助けてやらないといけないし、悲しんでたら慰めないといけないだろう? でも、一人だったらそんなこと気にせずに済むじゃん。それに、例えば誰かと旅行に行くとする。そしたら相手に合わせなきゃいけないわけだし、色んな面倒が二倍になる。勝手に生きて、勝手に動いて、勝手に死にたい」

「でも、友達が喜んでたら自分も嬉しいし、自分だって何か困ることがあるわけだから、その時は助けてもらえるよ?」

「友達が喜んでたら妬ましいし、僕が困ってても助けてもらえないかもしれない」

「せこ。というか、後者に至っては阿良々木くんの日頃の態度によるんじゃないかな?」

 

 言われてしまった。

 

「まあとにかく、阿良々木くん。携帯電話貸してくれないかな? 別に私のことは助けてもらわなくってもいいし、存分に妬んでもらってもいいから、友達になろうよ。友達っていっても、そんなに深入りはしない。所詮肩書きだけ──」

 

 羽川はもう一度こちらを振り向き、手に持つ鞄から流れるように携帯電話を取り出し、慣れた手つきで電源を入れた。ぽっと彼女の顔が明かりで照らされる。

 どうやら、携帯番号だとか、メールアドレスだとか、そういうのを教えろということらしい──先のようにお金を置いて行くわけではないが、このまま無視して自転車を取りに行くという手もあった。しかし、実際にそうしようと視線を変えれば、さっき七海や日向とやらに対する態度を思い出してしまった。

 あれで良かったとは思う。ただ、本当に正しかったのかといった迷いが心に浮かんでいた。感情に赴くままというか、後先考えずにただしただけのような酷い態度を取ってしまったという罪悪感が、今更になって心に芽生え根を生やし、確実に巣食うようにして蝕んでいた。

 しかし、今からメールするなり喫茶店に向かうなりして謝ろうとするくらいなら、この関係は本当にもうなかったことにしてしまってもいいんじゃないかとすら思えてきてしまっているのも事実だけど、しかしそれでも罪悪感は残ったままなのだ。それに、心残りもある。だから七海のメールアドレス電話番号はいまだに消せずにいた。

 

 ああ、弱いなあ。

 

 罪悪感を償う──ということには、どう考えようともならないんだけれども、それに後押しされた形で、僕もポケットから携帯電話を取り出し、ロックを解除した。

 

「ん、えーっと、メールアドレスとか電話番号とか入力するから貸してくれないかな?」

「ああ」

 

 後少ししたら機種変しようと考えている二世代ほど前の薄型携帯電話を羽川に手渡す。やはり女子高生か、ものすごく早い打鍵で文字数字英数字を打ち込んでいき、手渡してから、ものの十秒ほどで僕の携帯電話は手の中に戻ってきた。

 

「これでよし。案外すんなりいけちゃったから、ちょっとビックリしてるんだけどね」

「頑なに拒否されるよりは、マシじゃないか?」

「それもそうだけど──んん、ま、よかったよかった」

 

 羽川は携帯電話を鞄にしまい、「じゃあ、また明日」と、今度は振り返ることなくそのまま校門の方へと向かった。追いかければ余裕で追いつくだろうけれども、追いかける理由はない。

 

 そろそろ帰ろうかな……。

 そう考えていた頃には既に、陽は完全に没していた。宵闇に包まれるような夜でも、希望ヶ峰校内は明るいものである。

 自転車にキーを指し、スタンドを上げサドルに跨った。

 よし、帰ろう。

 校門から出て行こうとそちら方面に最初は向かったのだが、よく考えたら校門を出るときに七海と鉢合わせる可能性はないわけじゃない。どうしたものか……。

 

 考えた末、僕は学園の中庭を自転車で走り、裏門から出ることにした。家に帰るには表からの方が近いし、断トツで信号機の数も少ないのだけれども、たまにはこういうのもいいだろうと自分に言い聞かせ、ペダルを漕ぐ。風の中を走っているという感覚がたまらなくいい。滑らかなコンクリートの上だとガタガタせずにすごく静かに走れるので、僕は舗装されてないオフロードよりかは完成したての周りと少し色の違う黒い道路を走る方が好きだ。

 

 ここ希望ヶ峰学園の中庭には、噴水、家庭菜園用のビニールハウスや散歩用の遊歩道。さらにはサイクリングコースまであるので、一応気を使ってサイクリングコースを通り裏門へと向かう。二年通っている学校どけれども、一度も入ったことのない初見の校舎をいくつも通り過ぎ、僕は家路に着いた。

 

 後悔先に立たずというが、あれから見れば後となる今の僕は、悔やんでいるのだろうか。


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