僕は今、知らない喫茶店にいる。いや、見覚えがあるような気がする場所なので、もしかしたら過去に来たことがあるかもしれないのだけれども、しかしそれは思い出せない。そもそも喫茶店なんて生まれてこの方指で数えることができるほどしか入店したことがないし、そもそもどの店だって同じような雰囲気だったような気がする。まあ来たことがない店というのもあながち間違っちゃいないだろう。店名からして記憶になかった──けれども、店内の各所各所に懐かしとまでは行かずとも記憶の鱗片を感じることができたということは、それはやはりここに来たことがあるのだろうか? ひょっとすれば、チェーン店かもしれない。
むしろかえってそんなオチだった時だ。チェーン店でした、なんてオチ。僕がもし僕自身の人生をつらつらと記された小説を読んでいたなら、きっとそのシーンで面白みを感じ無くなり、興味が失せて本を閉じることだろう。
否、それ以上前の時点で既に閉じているかもしれない。
要は目立ちたくない、ということなのだ。期せずして目立ってしまった時は周囲の人やまたその人伝に様々なところへ噂が行き届く──かもしれない。なにかしらの失態を大勢の前で犯してしまったのなら、それなりに赤面するし、とても嫌な思いになる。
そもそも目立つ機会がない僕にすれば、杞憂というものだけれど。
ともかく僕はこの喫茶店の内装に見覚えがあり、学校が終わり次第この店に来店してからずっと、挙動不審に辺りを見回していた。キョロキョロと、落ち着きなくだ。その姿を見て不審に思ったのだろう、七海が僕に不思議そうな視線を向け、
「……? どうしたの。昨日来た時はそんな感じじゃ、なかったけど」
と言った。
昨日来た。……おい、嘘だろう。流石の僕も驚きだ。
昨日──というのは、そりゃまあ文字通り昨日のことだよな。
どうやら、この喫茶店はあの喫茶店らしい。
らしい、なんて言っちゃってるけど、まあそう言われてみれば昨日の喫茶店だった。
あの時はまさか喫茶店に入るとも思っていなかったから、店の名前や外装はまるで見ていなかったし、それに内装に関してだって、話に夢中で目に入って来てなかった。というか、よく考えてみれば僕らはテラス席にいたのだから、内装を知らないのは当たり前か。それはとっても言い訳がましいし、事実これは言い訳で、そしてそんなことをする必要はないのだけれど、それが人間というものなのかもしれない。人間語れるほど大層なことはしてないので聞き流してくれて構わないが。
いやしかし、流石にそれでも昨日訪れた喫茶店を覚えていないというのは些か不自然であり、激しく自分を疑った。
「あ、ああ。いや、なんでもないよ。ただ、昨日はよく内装とか見てなかったからさ──今になって、こんなお店だったんだなって思ってて」
なぜ僕が二日連続喫茶店に通っているのか、というと、それは全て七海の導きの元であった。
導きの元。
なんだか怪しげな雰囲気を感じるのは僕だけだろうが、ともかく七海から言い出したことがキッカケだ。
一日目はただ話がしたいから。二日目──つまり今日は、会わせたい人がいるから。もしかしたら、昨日の他愛もない雑談は今日会わせたいと言っていた人と、会うに相応しい人間か否かの試験のようなものだったのかもしれない──いや、それはあまりにも考えすぎか?
しかし、だ。もしそうだとして、そうでなくとも、こんな僕に紹介したい人──というのは、一体誰なのだろうか。事前情報として聞いた話だと、予備学科の生徒らしいのだが……。予備学科とはなんら関わり合いのない僕は、予備学科との始めての接触になるのだけれども、七海は一体何を考えて僕とその生徒とを会わせようとしているのだろうか。ただただ疑問符が頭の上に浮かぶだけで、今だに見当は付きそうになかった。
まあ今現状をざっくり説明すれば、その予備学科の生徒、聞くところによると同級生らしい人物とここで待ち合わせてるから待っていよう──という感じだ。
どうやら僕らが先に到着していたようなので、ひとまずお先にコーヒーを一杯注文させてもらい、椅子に腰をかけ外の景色を眺めながら待っていた。流石都心といったところだろうか。たくさんの車が広い道路を走り抜け、スーツ姿のサラリーマンやモダンな服を着た若い女性などが目の前を往来していた。
街の喧騒は僕らの耳にも入ってきているのだが、しかし、僕と七海との間には沈黙が流れる。店内には聞いたことがないもののどこか懐かしい昔の洋楽が流れていて、そのメロディーがただ僕の思考を霞めるのであった。今日は店の外にあるテラス席でなく店の中なので、冬の厳しい風に晒されて寒いということはない。真冬なわけだし、また更に今日は冷え切っているために外は昨日と比べて格別に寒かった。昨日だって、風がなく陽も強かったとはいえ寒いことに変わりはなかったのだ。
僕はコーヒーだけを注文していたのだが、七海はケーキも注文していたようで。タルトというのだろうか、サクサクとした生地の上にチーズケーキが乗っているものをコーヒーを飲みつつ小さなフォークを使い食べていた。待ち人を待たずに食べ出してしまって良いのだろうか……。良くも悪くも、自由だなと思った。
そのケーキが大体半分ほど皿の上から消えた頃、店の扉が開き例の予備学科の生徒らしき人物が登場した。
かなりガッチリとした体形で、僕よりも身長が高く、自然体が萎縮してしまう。彼に対し、勝手に緊張感を感じている。
そいつはこちらでケーキを食べている七海に気付き、こちらに向かってくる。そして相席をしている僕の存在を知ってか、僕の方をジロジロと遠巻きに眺めていた。
ゆったりとした動きでそいつは席へとたどり着き、座ろうとしながら挨拶を交える。
「よう、七海──ええっと、そこのやつが……例の阿良々木か」
「……あ、日向くん。うん、そうだよ。彼が例の阿良々木くん」
日向くんと呼ばれた彼は、荷物を地面に置き、羽織っていたジャケットを一つの椅子の背もたれにかけてからその椅子に座る。コーヒーを注文した後こちらに体ごと向いて口を開いた。
「あー……、はじめまして。俺は
「話は聞いている──といっても、予備学科の生徒、ということくらいしか聞いてないんだがな。まあ、この際それは関係ない。僕の名前は阿良々木暦。本科の方の生徒だ、よろしく」
日向が一瞬、顔をしかめたように思えた。
その表情はどこかで見たことがあるような気がするが──忘れた。
予備学科は本科に対し、劣等感だとか、良いイメージを持っていないと聞く。確かに、本科の生徒はあまりにも各々の個性が強いため、僕を含めてそうロクな奴がいない(江ノ島とかは一目でわかるタイプだろう。初対面であれば凄い)。だから
「──で。話があるって聞いたんだけどさ」
僕は若干の間を開けて、日向に向かいそう言った。すると、日向はよく分からないと言った表情をしていて。
男二人が頭の上に疑問符を浮かべている様はなかなか滑稽だが、そこに女子一人がハッと気付いたかのように言葉を入れる。
「あ、実は二人を呼んだのは私なんだよね。どっちかがどっちを──っていうわけじゃなくってさ。日向くんも、阿良々木くんも、二人とも、私が呼んだんだよ」
「そうなのか。──いや、でも、なんで俺なんかを本科の生徒と?」
「僕も似たような意見だよ。別に、予備学科を見下してるわけじゃないけどさ──ほら、全くもって関わり合いがないし、なんでだ?」
「それはね……ほら──」
七海は言う。帰ってきた返答は意外なものというか、予想外というか、灯台下暗しだが、元からそれは存在しないみたいな答えであった。
「──日向くんと阿良々木くん。友達いないみたいだし、二人で友達になっちゃえばいいんじゃないかな──なんて」
えへへ、とはにかむ。
というかこの男、友達いないのか。人のことは言えないが。
でと、予備学科は人数も多いと聞くし、一人くらいいそうなものだ。というよりか、それよりもっと気になるのは七海と出会うキッカケみたいなのは一体全体どのような事だったのだろうか? 少し、気になるところではあった。
「友達……? なあ七海、俺は別に本科のやつと友達なりたさでお前と仲良くしているんじゃないんだぜ? そんな利用するようなことなんて、するつもりはからっきしない」
「それくらい分かってるよ。日向くんが人を利用するなんて悪いことする勇気がないのも知ってる」
「確かにそんな勇気、俺には無いが……少し、心にくるな」
「まあ、それはいいとして──どうかな? 私としては、二人に仲良くなってもらえたら嬉しいんだ。──あわよくば、三人で仲良くさ」
七海……こいつは、もしかしたら最初からこれが目的だったのだろうか。だとしたら──僕は、七海という人間を、少しばかり甘く見ていたのかもしれない。恐ろしい人間だ──まったく。この友達ができるという機会を甘んじて受け入れるべきなのだろうか、それとも、拒否するべきなのだろうか。
答えは明白のように思えた。人とはあまり、関わりたくない。自分の弱点が増えるだけだ──
僕は一年生の冬から、今現在にまでかけて──僕は、人との繋がりというものを、極力拒んできた。大型の休みに入れば実家に帰るくらいのことはしたが、それだっていつも自転車に乗っているくらいで家族のと時間なんてないに等しい。何故そのような行動をとるようになったのかは──覚えてない。けど、覚えていたくないものだったのだろう。
人間関係、皆無。
兄妹関係、険悪。
親子関係、無関心。
今更、その信念を捻じ曲げるというのは強い抵抗があり、その行為は自分の人生そのものを否定するように思えてしまう。
これは、自衛行為だ。僕はこれ以上──弱くなることはできない。人間強度は、強くあらなければならない。そう思う根源は分からないが、しかし思うことで心が落ち着くのは確かであった。
だから──
「……申し訳ないけど、用事を思い出した。急用だ。
僕はそう言い、ポケットに入れてあるお財布から千円札を二枚、机に置いて立ち上がった。コーヒー代は五百円だけれども、七海と日向の分を含めると税込でおよそ千八百円。つまり、今回は奢るからもう関わらないでくれ──という意味を、僕なりに表現してみたつもりだった。遠回りというか、回りくどいというか。ハッキリ迷惑だと言ってしまけば良かったものの、そんなことをする勇気は僕にはない。
荷物は学生鞄しかなかったので、ひったくるようにして鞄を手に取り、店から出る。後ろの方から僕の名前を呼ぶような声が聞こえたが、きっと気のせいだろう。
この二日間で覚えた感情も、きっと、気のせいなのだろう。気の迷い。
人間は、気のせいと勘違いと空耳と錯覚と誤認と気の迷いと魔がさすことで生きているようなものだ。
僕は二度と後ろを振り返ることはなかったために店内に残された二人がどんな表情をしているのかは見えなかったが、安易に予想出来た。
きっと、困惑に満ち溢れた顔だ。
二人の表情は想像できたが、しかし、今の自分の表情を想像することはとても難しく、そして結局のところ出来やしなかった。
僕は一体、今どんな表情を浮かべているのだろうか。