水連場と銘打たれたネームプレートの下にある扉を開けると、朝日奈、セレス、不二咲の三人がいて、どうやらプールが解放されたことに喜んでいる朝日奈の話を二人が聞いている……という構図らしいかった。珍しい組み合わせだなと思いつつ、話を聞いてみる。
「すごいんだよ! いっぱいトレーニング器具があってね、プールがあってね! んもう、ずっと狭い思いだったから、ようやく羽が伸ばせるよっ」
「まさに水を得た魚、ですわね。羽を伸ばすのなら鳥ですが……それにしてもプール。わたくし、水泳の授業は日陰に座ってレポートを書く人種なので、こういう場所はとにかく縁がないといいますか……」
「えーっ、もったいない! せっかくなんだから、一緒に泳ごうよ! 不二咲ちゃんも、神原ちゃんもさ。苗木は……泳げる?」
「泳げるよッ!」
苗木は先の「サンケー」を未だに引きずっているらしく、柄にもなく声を荒げて言葉を返していた。
突然の大きな声に不二咲が背筋を硬直させていたのを見逃す私ではなかったが、朝日奈は特に気にした様子もなく話を続けた。
「とにかく泳ごうよ! ね、ね? きっと楽しいよ!」
「ぼ、僕は……水着、着たくないかなあ……」
朝日奈から目をそらすように後ろめたい表情で遠回しに誘いを断る不二咲に、便乗するようにしてセレスも自身の意見を述べる。
「わたくしもこの服を脱ぐのはあまり好ましく思えませんので、せっかくお誘いいただきましたが……プールサイドから見ているくらいなら構わないのですけどね」
「それじゃあ意味ないよ! 一緒に泳がないと! 泳げないなら私が教えるしさっ」
と、食い下がる朝日奈。
苗木ならまだしも、二人は別に泳げないというわけでも……いや、セレスはプールの授業に参加していなかったというし、練習すれば泳げるかもしれないが、今のところは泳げないのかもしれない。
それにしたって、朝日奈の熱というものはなかなかに勢いを衰えさせなかった。それを見かねて私は、
「私と苗木と、朝日奈の三人でも十分じゃないか? 無理に誘うのは良くないぞ」
と窘めるように言った。
朝日奈はどこか物言いだけな表情で、残念そうに肩を揺らしていたが、「まあこんな状況だしね。こんな状況だからこそ……っていうのもあるけど、人によりけりだもんね」と、自身の中で諦めがついたようだった。
朝日奈は朝日奈なりで、みんなに元気になってほしいとプールに誘っていたようだったけれど、その頑張りが空回りしているのを見ると超高校級だからってなんでも上手く行くわけではないのだと思わされる。
超高校級とはいえたかだか高校級、万能超人のは行くまい、高校生の範囲が関の山なのだ。
そんな無力な私たちはやはり子供で、そして同時にどうしようもなく
背伸びをしたい年頃というのはまさしくその通りで、精一杯爪先立ちをしていると、ちょっとした衝撃で姿勢を崩してしまうといった危うさが私たちにはあるのだ。
地にかかとまでつけて歩きたいものだが──それまでに死んでいないことを、私は祈っておこう。
背伸びをした結果、地に足付かぬ幽霊になってしまったなどと……笑い話にもならないじゃないか。
「じゃあ泳ごう……って、そういえば、水着がないんだよね……私、探してくるね!」
そう言い朝日奈は、どこかへと向かって行ったのだった。
「明るい人ですわね……ただ単純なだけなのか、それとも馬鹿なのか」
呆れたというよりも不安そうに溜息をつくセレス。そのニュアンスからは朝日奈を心配するというよりも、自身の平穏が乱されかねないと身の上を案じているような含みが見られた。
完全に空気だった不二咲は(結構気圧され気味だった)どうしたら良いか分からないようだったが、辺りを一回りしてから「と、図書室の方見てくるねっ」と言い、水連場を出て行った。
朝日奈がいなくなってからは静かなものだったが、まあ探索なのだから、静かな方が集中できるというものだろう。そう思って、ようやく、この場所に来た目的を果たすため水連場の調査を始めた。
あまりに殺風景な部屋で、おそらく更衣室に繋がると思われる扉が二つあり、さらに天井にはガトリングガンが……ガトリングガン?!
「ねえ神原さん、あれって……本物かな?」
「モノクマのことだ、偽物だとしても……それでも、危険なものに違いはないだろう」
最近はエアガンだって、人を傷つけるに十分な威力を持つというし、本物にしろそうでないにしろ、この重機関銃が殺風景な部屋に独特な雰囲気を与えていることは確かであった。
そしてその銃口が向く先には更衣室があり、扉の隣にはカードリーダーのようなものが備え付けられていた。
「ひょっとして」
そう言って、私は、自分に近いところにあった男子更衣室の方のカードリーダーに電子生徒手帳をかざそうとする──とその時、
「まったまったまあーった!」
と、上から降ってきたのはモノクマだった。
反射的に私はそれを受け取ってしまった。職業病だというのなら、このまま地面に叩きつけた後跳ね続けていたいが(モノクマはどうにも反発性が少なそうだから、バウンドするかはいざ知らず)、そうもいかず。
……うっ、結構重い。
ぬいぐるみのようだと思ったりしたけど、やっぱりロボットはロボットなのだと、謎に幻想を打ち砕かれた気がした。
「ふう、間に合ったー! ねえ神原さん、そこは男子更衣室だよっ」
「え? ……あ、ああ」
まさかそのことを注意するためだけに、モノクマはわざわざ私たちの前にこうして現れたのだろうか……だとしたら、どれだけ暇なんだろう。そう思ったのもつかの間、かなり自体は重大のようだった。
「……なんだかよく分かってない様子だね。あのね、異性の更衣室に入ろうとしたら……つまり、強引に誰かの後ろについて入ろうとしたり、自分の電子生徒手帳を異性の更衣室のカードリーダーにかざしたりした場合、上に付いてるガトリングガンが火を噴くってえ寸法よ! 不純異性交遊は健全な青春にはご法度だからね!」
もうちょっとで蜂の巣になるところだったね、とモノクマ。
「まったく世話がやけるよ。ボクもまだまだ気が抜けないね」
まるで他人事である。このガトリングガンを設置したのは、他ならぬモノクマであるだろうに。
そのような態度に指摘を加えようかと思ったが、それよりも自身の命が脅かされていたという事実の方が強く印象的だった。
人に殺されるかもしれない……という恐怖に怯えるだけでなく、モノクマ側による無機質かつやり過ぎなオシオキにも気を払わなければならないとは……。やはり、この生活は想像を絶するほどに過酷なものなのだろう。
四国ゲームほど初見殺しに溢れていない分、まだマシだろうか……? どちらにせよ、経験したくない体験であるに違いない。
「電子生徒手帳、ですか。でしたら、例えばわたくしと苗木君が電子生徒手帳を交換した場合、それはどうなるのでしょうか?」
「いいや、ダメだよ! ダメダメ! 監視カメラでバッチシ見てるからね、推定無罪でも……ガトリングガンの『射程』に入ったなら、即! 始末しちゃうよ……」
どちらにせよ、異性の更衣室には入れない、ということか。まあ、生き死に抜きにしたって、別に男子更衣室に入りたいとは思はないので問題はないのだけど。
でもまあ何か違いがあるかもしれないし、入れない男子更衣室は苗木に調べてもらうことになった。
一応保険だと言い、モノクマは新たな校則として「電子生徒手帳」の貸し借りの禁止を追加すると私たちに告げた後、なにか裏があるのではないかと疑わしく思えるほどやけに念押しに注意をしてから去っていった。
その後、苗木と一旦別れ更衣室を見てみると、中はトレーニングルームのような仕様になっていることが分かった。ルームランナーもあったため、走り込みなんかもできるかなと期待が募る。特に水連場に関しては夜時間がどうこうと言っていなかった気がするし、夜時間である朝方に来ても問題はないだろうと、機体が募る。
プールはかなり広く、朝日奈があのように興奮していたのも無理はないなと小さく頷いた。
それから最初のガトリングガンがあった場所に戻ってから、二階にある、水連場とは違ったもう一つの施設、図書室の方へと向かった。
「苗木って、運動はどれくらいできるんだ?」
「うーん……並くらいかなあ。ボクと同年代の全国平均を見たら分かるんじゃないかな? ボクって、大体平均と同じなんだよ」
「へえ……すごいな、それは。超高校級の平凡とかでもいいんじゃないのか?」
「やだよ! それならまだ超高校級の幸運の方がマシだよ! っていうか、超高校級の平凡って才能なの?」
「今何人かの人を敵に回したぞ」
「ま……ボクは超高校級の幸運じゃなくって、不運なんだけどね。……ボクなんかが何かの間違いで希望ヶ峰学園に入学するなんていういつ死んでもおかしくない幸運に見舞われたせいで、こうしていつ死んでもおかしくない不運に出遭ってしまったんだよ、きっと。塞翁が馬だよね」
「それだったら、また幸運が来るだろう。これがどうして福とならないことがあろうか? いいや、きっとなるだろう」
「でもそのあとは、これがどうして禍とならないことがあるだろうか? いいや、きっとなるだろう。だよ」
「無限ループだな」
「無限に続くってことは、少なくとも生きてるってことだから、それはそれで幸せなのかもしれないけどね」
そう語る苗木の目には、どこか言い知れない感情があるように思えた。生きることのない、もう、その輝かしい人生の物語が続くことのない、死んでしまった舞園のことを考えているのだろうか。
そのことについて尋ねることができるほど、私はぶっきらぼうな人間ではない。
そして同時に思い出す。昨日霧切に頼まれていたことを。
今、言うべきだろうか──舞園が、苗木に罪を被せるために動いていたということを。舞園はただの被害者なのでなく、元を辿れば加害者であるのだということを。
今はまだそのときじゃない。けれども、そのときというのがいつ訪れるのか──想像というものがつかなかった。
「終わりがないのが終わり、だなんていう結末だったら、さすがに幸せじゃないだろうけど」
「中の人ネタか?」
「中の人ネタじゃないよ!」
「でも、ほら、他の二次創作で……」
「ああもう、ひとつも読んでないくせになにも言わないでよ!」
図書室には十神と腐川、山田に霧切と、まあ予想通りといえば予想通りなメンバーが揃っていた。水連場にいた三人があまりに意外だったものだから、ここには大和田なんかがいそうだなと思っていたけれど、どうやら超高校級の暴走族は図書室にはいないらしい。
やけに埃っぽく、照明も暗いため、どちらかといえば書庫のような感じで……図書室であるというにもかかわらず、読書には向かない環境だ。換気する窓もないようで、梅雨の時期などは本が腐ってしまいそうだ。……もっとも、この施設がどこにあるのか分からないため(ひょっとしたら海外かも、なんていう嫌な想像が浮かんだ)梅雨が来るかどうかは定かではないが。
本も一時代前の古めかしいものばかりで、あまり見たことのないものばかり置いてある。……本について詳しいわけではないので、実際には有名なものもあるのだろうけど、精々山本周五郎先生の名前を認めることができた程度である。
苗木も文学方面はさっぱりなのか、さっきから本の背表紙を流すように見ては、天井やら屋上やらを眺めたりしていた。
「ん、ああ、霧切さん」
どうしても本に興味を持つことができなかったらしく、苗木は本棚に背を向け霧切の方へと向かっていった。私もそれを追うようにし、霧切の元へと身を運ぶ。
「あら、苗木くん。それに神原さん」
いつものどうにも感情が読み取れない表情。石仮面でも被ってるんじゃあないかっていうくらいに、顔の筋肉が動くことがない。目はそうではないのだけれども、表情はとても冷ややかだ。
あまりみんなと会話をすることがないという点で言えば十神も非干渉的な人間だけど、十神とは違って霧切は、その胸の内を晒すようなことはしない。意見を言うというよりも、どうしてもといった必要最低限のやり取りしかしていないような気がする。
よく朝日奈やらと口論を交わす十神とは違い、霧切はそこのところ結構ドライである。
それなりにフレンドリーに人と接することができると思う私だって、霧切と一対一で会話をしたのなんて、昨日の夜くらいだったように思うし……。それだって、向こう側から話しかけてきて──それで世間話ではないというのだから、数に入れていいものかも疑わしい。
……霧切は、何かを隠しているのではないだろうか? そんな疑問は必然的に頭に浮かぶ。
人間誰だって、なにかを隠そうとしていても小さなボロは出てしまうもの。そのことを知っているからこそ──秘密が発露する危険性を限りなく減らすために、人との会話を極端に減らしているのではないだろうか?
頭の良さそうな──現に昨日の学級裁判では、私達よりも早く事件の真相に辿り着いていたであろう彼女なら、それもありえない話ではないかもしれない。
だとしたら、話しかけるというのは、霧切の意に沿わないことかもしれなかった。
「二人が図書室に来るだなんて意外ね。本、読んだりするの?」
「ボクは……あんまり。話題になってたやつなんかは、読んだことあるんだけどね」
「私もさっぱりだな、BLなんかは結構読んだりするのだが、一般文学となると……太宰治の『女生徒』や夢野久作の『少女地獄』……あとは、谷崎潤一郎の『痴人の愛』とか──」
「ちょ、ちょっとまって。情報量が多すぎてついてけないや」
「なんだ? 知らないのか? 特に山本周五郎先生の『美少女一番乗り』は──」
「悪意があるよね?! 神原さんはタイトルだけで本を読んでるんじゃないかって、ボク思うんだけどさ」
「失礼な! そんなことなくはないが、なくはないぞっ」
「否定するなら最後まで否定し切ってよッ!」
「山本周五郎先生は……」
「霧切さんまで?!」
苗木はあまりにも多感になっているようで、明らかに真面目な返事を返そうとしていた霧切にも噛み付いた。
「苗木くん、あなた疲れてるのよ」
そうした会話の最中、ふと、腰ほどの長さの本棚の上に置かれた茶封筒が目についた。普段なら見逃すようなものだけれど、“探索”という“何か”を探している今、明らかに怪しげなそれを見過ごすことはできない。
二人と会話を交わしながら、その封筒に手を取り外見を見聞する。随分と埃をかぶっていたところから察するに、かなり前からここに置かれていたらしかった。
ただでさえ空気の悪い環境下なものだから、通常よりも格段に早く埃が積もってしまっている可能性も否めないけど。それにしたって、ここ最近数週間の間に置かれたものではないようだ。
「? なにそれ」
興味深そうに、私の手元を覗き込む苗木。
何かが書いてあるようなので軽く埃を払うと、封筒に印刷された希望ヶ峰学園事務局という文字が見えた。
「さあ……? 事務局っていうんだから、事務的な手紙かなにかじゃないのか? こんなところに置いてあるっていうことは、さほど重要なものでもないのだろうけど」
既に封は開いているようで、封筒から手紙を取り出す。内容としては、要約するとこうだった。
希望ヶ峰学園は深刻な問題の発生により、一時的に活動を終了させる……というものだ。一時的に? 活動を終了?
そんな話、聞いたことがない……いや、普通に考えて希望ヶ峰ともあろう超有名教育機関が活動を停止するなんていう情報を、そうそう簡単に公式が公表することは考えにくいから一般人が知らなくってもおかしな話ではないのだが……けれども、私は既に希望ヶ峰学園生徒という立派な関係者になっているのだから、いくら新入生とはいえなにも知らされていないというのはおかしいような……。
それに今私たちがいる希望ヶ峰学園(仮)に、私たち十六人の他に人がいないのは……それこそ、希望ヶ峰学園が閉鎖されてしまった結果なのだろうか? だからこそ人がおらず……無人の校舎に人がいるわけがないと思われているからこそ、誰も助けに来ないとか。
いずれにせよ、あの希望ヶ峰が活動停止にまで追い込まれるほどの一大事件をその生徒である私が知らないわけがないので、この手紙が不可思議であることに違いはなかった。
「モノクマが用意した偽物かもしれないのだから、鵜呑みにするのもあれだけど……まあ、頭の片隅に留めておく程度にしておきましょう」
その言葉に異論はなく、手紙の話についてはここで終わった。
もう少し追求しても良かったかもしれないけれど、かといって何も知らない私たちがどうこうできる話でもなかったため、やはり知識として備えておく程度でいい。
そしてタイミングを見計らったかのように、遠くの方から誰かが走ってくる音が聞こえてきた。図書室の前がやや空間があるからだろうか、やけに音が響いているような気がする。
「……! ああ、いたいた! 水着、あったよ!」
音の主は朝日奈だったようで、走ってきたからか若干肩で息をしていた。
おそらくこれから水着があったという場所に向かうのだろう……そう思い、そして思い付いた。
「そうだ、霧切。一緒に泳がないか?」
思い付きでそう提案したけれど、今となっては軽率な発言だったと思う。かといって、思い付きで重大な話をするのもなんだけど──霧切は、いつも着けている手袋を撫でるようにして「誘ってもらって悪いけど、辞めておくわ」と、珍しく感情のこもった言葉で言った。
霧切が感情を表に出すというのはとても貴重な出来事だ──そのとき垣間見た感情が、哀愁であったことはともかく。