阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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010 非日常編(捜査編)

 部屋に入ると、今朝とは違った雰囲気が感じ取れた。

 あの時はチャイムを鳴らしても返事がこないといった少しばかりの不安と、扉を開けたときには予想だにしていなかった部屋中に刻まれた刀傷に驚かされ、また気圧されていたのだが。今は既に舞園が死んでしまったという事実と大体の部屋の様子を知っていたため多少の心構えを持って部屋に入れた。そのおかげか、部屋に入り怯えてしまうということはさほどなかった。

 また大神や大和田といった複数人の人間が部屋にいるため、先ほども言った通り大きく雰囲気が違っている。

 しかし、だけれども、妙なおどろおどろしさを感じずにはいられない。いくら知っていようと、いくら人がいようと、非日常的な異様な光景に変わりはない。

 

 既に部屋にいた人たちは扉を開ける音で私たちに気付いたらしく、一番手前側にいた大和田が話しかけてきた。

 

「おう、早かったな。桑田の奴走って行ったのか? いや、だとしても早えな」

「丁度今、そこで会ったんだ」

「そうか、そりゃ早えわけだ。ナイスタイミングって感じだ」

 

 そう言うと、大和田は私たちから視線を外し──いや、監視という名目上警戒心自体は怠っていないだろう。視線を外すというよりかは、会話の矛先を私たちからずらしたと言うべきだ──おもむろにその筋肉質な腕を組んだ。

 

 苗木はその様子を見て若干怯えたように背を曲げつつ(殴られたことを思い出しているのだろうか)部屋の奥の方へと向かった。

 

 部屋の中央においても傷は存在しており、相当激しい争いがあったということが安易に想像された。そして何よりも目を引くものは、見覚えがある金色に光る模擬刀であった。

 

「これは……」

 

 そう、あれは三日ほど前。舞園が謎のノックに怯えていたため、護身のために何かしらの防衛手段が欲しいとのことで校内を探し回った結果見つかった代物がこれである。模擬刀ということで刃はつぶされているため実際に何かが切れるというわけではなく、また金箔を全体的に満遍(まんべん)なく塗られていたため素手で持ってしまうと手が汚れてしまうといった見た目だけのものではあるが、まあ、ただの棒切れよりかは重さもあるし、一応は刀の形を取っているのだから、無いよりはマシという気安め程度での存在であった。

 結果から言ってしまうと舞園はあえなく死んでしまったし、それにこうまでも金箔が剥がれてしまえば、美術品としての価値も無くなっていることだろうから、わざわざこの模擬刀を選ぶことはあまり意味がなかったのかもしれないが……。

 でもまあ、心の支えになるという点では役目を果たしたと言えよう。あくまでも、そういうことにしておこう。

 

 しかし──。

 

「……苗木、ここはお前の部屋だろう? なぜ、舞園が持っていたはずの模擬刀がお前の部屋にあるんだ?」

「ああ……、それはね、ほら。今朝話したと思うんだけど、僕と舞園さんは部屋を交換してたんだよ。その時に、護身用だからって、舞園さん。模擬刀を僕の部屋に持って行ってたんだ」

「ふうん……、そういえば、そんなことを言っていた気がする」

「気がするって……。こんな話もしたじゃないか、ネームプレートがなぜだか入れ替わってるっていう話」

「あー、確かに。していたな」

 

 少し部屋を見渡してみると、苗木の名前が彫り込まれているキーホルダー付きの鍵が落ちていた。あれを調べて舞園の指紋が出てくれば良いのだが、しかしそんな事ができるほど私は器用じゃない。もはや指紋云々は器用不器用どうこうではなく知識の問題な気がしなくもないが、生憎この場面で活用できる知識など持ち合わせていない。

 苗木の部屋を入れ替えていたという話の真偽は不明であるものの、しかしそのうち分かることだろう。何でもかんでも鵜呑みにするのは良くないので、今は仮定という立ち位置に置いておく。

 

「こっちに(さや)が落ちてるよ」

 

 そう言う苗木の方に視線を向けると、確かにそこには模擬刀の鞘だけが抜き身とは別に落ちていた。

 

「部屋の壁や床と同様に、切り傷が付いているな」

 

 鞘にはなにかしらの刃物を斬りつけたような跡が残っていた。モノクマファイルによると舞園の体には刃物が刺さっていると記載されていたため、きっとそれによって付けられたものだろう。もし模擬刀で誰かに襲いかかるというのであればこのような傷はきっと抜き身の方につくことだろうから、鞘の方にこの傷がつけられている状況から鑑みるに、やはりこの模擬刀は舞園が自分を守るために使用したのだという考えが、より、強固なものとなった。

 

 それと同時に、なにもしてやれなかったという自責の念がどろりとした液体のようにして心に(まと)わり付く。舞園がこの部屋で犯人と鉢合わせてしまっているとき、私は部屋で呑気に眠ってしまっていたのだから。情けないったらありゃしない。

 何かしてやれることがなかっただろうかと考えるが、時すでに遅しであった。

 

 私が鞘を眺めている間、先に苗木は舞園の様子を見にいったらしく、シャワールームの方から彼の話し声が聞こえた。独り言、というわけではなく、誰かと話しているようだった──この声は、確か霧切という女子のものだろう。

 

 三人でシャワールームというのは少し窮屈なため、彼らの肩の間から覗くようにして舞園の様子を伺う。

 今朝はあまりよく見てなかったのだけど、確かに腹部に何かが刺さっているようだ。あれは……包丁だろうか。

 

「あっ、神原サン」

「んむ。どうだ、舞園の様子は」

 

 私がそう問いかけると、苗木は舞園の傍で屈み込み、拙い言葉遣いで今分かっていることを話してくれた。

 

「え……っと、まず、モノクマファイルにもあったとおり腹部に刺さっている刃物が死因みたいだね。それと、右手首が骨折していて、その箇所だけキラキラと光る塗料みたいなものが付着していたよ。あとは……左手の人差し指にだけ、血がついてたんだ」

 

 ほら、と、苗木は先ほど説明した点を端的に述べながらそれらの位置を指で示した。

 

「そうそう、最後に言った人差し指の血痕なんだけど……」

 

 そう言って苗木が指差したのは、舞園の後ろの方だ。舞園の影に隠れてよく見えなかったため覗き込んでみると、そこには血で書かれたと思われる数字があった。どうやら壁にもたれた体勢で書かれたようだ。

 

「11037。多分、ダイイングメッセージなんじゃないかって──全部、霧切さんの受け売りなんだけどさ」

 

 ダイイングメッセージ……。ドラマや漫画なんかで目にする機会こそ多いものの、こうして実際に目の当たりにしてみると、凄まじい何かを感じる。死を間際にした人間の思いが込められているからというか、命の瀬戸際に残した最後の言葉だからというか。ただ単に血文字であることに畏怖の感情を覚えているだけなのかもしれないのだけど。

 

 壁にもたれかかりながら舞園を眺めていた霧切は、ふと我に返ったかのようにこちらを向く。そして死体を目の前にしていながらも物怖じせず、淡々とした口調でこう言った。

 

「あなた達に聞いておきたいことと、話しておきたいことがあるんだけど……良いかしら?」

 

 そう尋ねると霧切は、是非を聞く前にシャワールームを出た。その背を追うようにし苗木、そして私の順番で外に出る。その時、後ろ手でシャワールームの扉を閉めようとした時に気付いた。入るときは開いたままだったため気付かなかった、ある点に。

 

「ん? 苗木、ドアノブが外れかかっているぞ」

「えっ? うそ……あ、ホントだ、ネジが外れちゃってる」

 

 先日、苗木の部屋に入った時には特に違和感を覚えなかったためその時は恐らく正常だったと思われる扉のネジが、片側だけ不自然に外れていた。ネジが緩んで──ということにしちゃあ、そのもう片方にあるネジは全く緩んだ様子はない。

 ということは、何か意図的な目的でネジが外されたというのだろうか。

 

「このドア建て付けが悪いから、無理やり開けようとしたのかな……」

「建て付けが悪い?」

「うん、超高校級の幸運なんていう肩書きを持ってるのに、なんでか知らないけどボクの部屋だけシャワールームの建て付けが最初から悪くってね。ね、神原さん」

「そうだったな。私と苗木、そして舞園の三人でいた時にその話をしたのを覚えているぞ」

「……ドアの建て付けが、ねえ」

 

 霧切は口元へと手を持って行き、考え込むようにしてドアノブを少し見ると、「苗木君、工具セットとかって持ってるの?」と尋ねた。どうやら苗木はそれを持っていたらしく、私の部屋でいうと裁縫セットが入ってあった引き出しを開け、まだ封がされてある未使用の工具セットを取り出しこちらへ持ってきた。

 

「あるけど、これがどうかしたの?」

「いえ……ちょっとね。それより、聞きたいことがあるから、こっちに来て」

 

 そう言い、霧切は言葉を続ける。

 

「苗木君、部屋はマメに掃除する方?」

「え、掃除? あんまり、しないかな……全くっていうわけじゃないけど、でも日に何回とかは流石に。多くても一日一回、整理整頓するくらい」

「そう……、これを見て欲しいんだけど」

 

 そう言い霧切は、苗木の部屋に備え付けられていた粘着テープクリーナーを取り出した。粘着テープクリーナー、コロコロという愛称がとても馴染み深い。幼い頃、あれに髪の毛を絡ませてしまったことがあるのを思い出した……ひょっとして私が短髪なのはあれが原因……? 絡まってしまった際に取るのが困難で髪を大胆に切った結果、そのままその髪型が定着したとか……? いや、流石にそれは違うか。

 

「テープクリーナーがどうかしたの?」

「あなた、これを使ったことはある?」

「まあ家にいたときはあるけど……ここに来てから使ったことはない、かな」

「それはおかしいはずよ。だって、明らかに大きくテープの部分が減っているもの」

「あっ、本当だ」

 

 苗木の部屋に備え付けてあったそれは、量が一回りか二回りほどロールの部分が細くなっていた。見ただけで、減っているということがはっきりと分かるほどに。ちょっとやそっと使った程度でああはならないだろう。

 

「それに、あなた達が来る前に調べたんだけど、この部屋にはほとんど髪が落ちていなかったわ」

「えっ、調べたの?」

「ええ。床やベッドの上にも、毛髪はほとんど見つからなかった。普通に生活しているなら──それにもう一週間近く暮らしているというのに、毛がほとんど落ちていないなんて変だと思わない?」

「それもそうだな。舞園が酷く潔癖ならまだ頷けるが、そんな様子は今まで見たことがない」

 

 流石に地を這ってまで毛を探す気にはなれなかったが、つまりはコロコロが何か証拠を隠蔽するために使用されたのではないかということだろう。犯人がなにかパラパラとしたようなものものを振りまいてしまっただとか……それこそ犯人は、毛の色や生来生まれ持った髪質が特徴的で、一目見ただけで誰だかわかってしまうような、そんな人間なのかもしれない。

 

「そ、ありがとう。私はもう少しこの部屋を捜査するつもりだけど、あなた達は他のところも捜査した方がいいんじゃない?」

「それもそうだな。苗木、一緒に行くか?」

「うん、お願いするよ」

 

 部屋を出る際、私は舞園をもう一度この目で見ておこうとはとても思えなかった。むしろ、避けていたように思う。

 怖かったのだろうか。

 分からない。

 後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。


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