阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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009 非日常編

「えっと、神原さん、その……」

「皆まで言うな。それより苗木、今朝は色々とあってまだご飯を食べていないだろう。腹が減っては戦はできぬ──戦というにはいささか頭脳的ではあるし、それに楽しくご飯を食べている場合じゃないっていうのもよく分かってはいるのだが、しかし脳という器官は大量に栄養を消費するんだ。何か物を食べなくっちゃあ、推理もなにもできないぞ」

「はあ……」

 

 私はそう言いながら、多少困惑した態度を見せる苗木を横目に、厨房の戸棚や冷蔵庫やらから様々な食材をトレーに盛っていた。同じ部活の後輩や友だちが言うに、私は所謂(いわゆる)大食いの部類に入るらしく、よく「そんなに食べて太らないの?」と聞かれていたものだ。苗木も同じような内容を尋ねたそうにしてはいたが、しかし女子に対して大食らいだねとか体重を尋ねるなどの話をするのはデリカシーがないと判断したのだろうか、物言いたげに口を開けはしたものの、何も言うことは無かった。

 

「……これから他にも誰か来るの? 神原さん」

「さあ? どうかしたのか?」

 

 多少栄養バランスに偏りがあるのが否めないが(パン等)、しかしまあ背に腹は変えられない。腹を膨らませるためにはやはり食べなければならないだろう。

 トレーいっぱいの食材を前に、キチンと箸を持ち「いただきます」と食べ物に対し一礼をしてから食事を始めた。

 

 もぐもぐ。

 グルメ漫画ではないので味の感想は割愛。

 

「ささ、苗木も食べろ」

「うん……、いや、でもさ」

 

 苗木は、どこか気まずそうな表情をしている。無理もない──今朝、友達が死んでいて、さらに在ろう事か、苗木は舞園を殺した犯人なのではないかと疑われているのだ。

 自分が犯人なのではないかと、疑われる。

 ただでさえ、第一発見者という一番心身的なダメージを負いやすい立場であるというのに、にも関わらず、更にあろうことか犯人としての疑いをかけられてしまっているというのだから、苗木の精神的な疲労というものは計り知れなかった。

 第一発見者はいつもドラマなんかで犯人ではないかと疑われているのを観てはいたが──。

 こうなってしまった経緯をカップ麺よりも簡単に説明してしまうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()が大きな原因らしい。というより、それだけが決め手と言えるだろう。モノクマが用意したモノクマファイルなるものによると、死亡時刻は午前一時半ごろ……夜時間ということもあり、苗木はアリバイを証明することが出来ていない。アリバイがないのは私たちも同じなのだけれども──しかし、そんなことが気にならないほどに、彼の疑わしさというものは鋼鉄よりも強固なものだった。

 

 私は苗木を信じている。

 そんな言葉ですら。いや──そんな言葉だからこそ、安っぽく聞こえるのだろう。

 

 そんな彼に対し、どのような言葉をかけるべきか。はたまた、かけないでおくことが最も最良の選択なのか。私は手をこまねき、食事という楽しむべき時間ですらも思い悩んでいた。

 

 ともかく、時間を過ごし巻き戻して考える。歯型のついたクロワッサンの歪な螺旋に視線を落とし、今朝の事を振り返る。

 

 超高校級のギャルという肩書きを持つ江ノ島盾子が、底知れぬ黒洞々とした穴に落下したのち、私たちはモノクマから『モノクマファイル』なるものをそれぞれ手渡された。なんでも、こういうことに不慣れな素人である私たちに対する最低限の配慮──ということらしいのだが、どうせならコロシアイ自体を無くすくらいの寛大な心を持っていてほしいものである。

 兎にも角にも、そのモノクマファイルには今回の事件におけるある程度の情報が記載されていた。文字通り、ある程度。私のようなズブの素人から見ても、あまり重要そうではない情報ばかりであった。

 それだけを見たところで、私には犯人が誰だとか、どういった経緯で舞園が殺害されたかなんて分かりっこなかったのだが、しかし苗木が犯人ではないということだけは、確かにこの心で感じることができた。

 

 アヤフヤで、オカルトチックな確信ではあるものの、私はそう感じつつあった。いや、そう思いたかったのかもしれない。そう思う自分で、あって欲しかったのかもしれない。

 

 ともかくそういう気持ちを、私は感じていた。

 

 トランプやら花札なんかをしていると自分の直感というものが疑わしくなってくるが、しかしこればかりはなんとも言えないほどに確信が持てた。

 証拠があるわけでもないし、苗木と夜中に一緒にいたというアリバイ証明ができるわけでもない。がしかし、苗木が人を殺すような人間ではないと──はっきりと言ってしまえば、人を殺すことができるような度胸も力もないのだと、私は思うのだ。苗木には失礼だけれども、しかし私はそう思っているのだ。

 

 けれども、いくら私が何かを思ったところでそれを皆が共感してくれるかといえば、それはNOだ。

 みんながみんな、苗木を疑心を抱いた目で見る。それを咎めるつもりはない──私だって、その立場だったかも知れない人間なのだ。一度だって苗木を疑わなかったかと、最初から一貫して信じ続けていたかと言われると、私はそれにYESと胸を張って答えることは出来ないだろう。

 でも、だからこそ、私は今の役が務まるのかも知れない。

 現在私たちが、捜査をしている他のみんなと別行動を取り、食堂で呑気に食事を摂っているのには訳があった。

 

 それはもちろん栄養補給という面もあるにはあるのだが、もう一つの大きな要因として、犯行現場からの苗木の隔離にあった。

 犯人は必ず現場に戻る──という言葉しかり、犯行現場に何かしらの証拠があった場合、それを最も疑わしい苗木が隠蔽する事を恐れての行動と言えるだろう。

 そのため、今苗木の部屋──犯行現場では、幾人かが捜査を行なっている。直接見に言ったわけではないのでよく分からないのだけれど、監視をつけた状態で部屋の調査をしているらしい。ある程度それを終えると私たちも調査することができるのだが……そこから何かを得ることができるのかどうかは、正直言って不安であった。

 

「神原さんは──」

 

 苗木は言う。

 

「神原さんは、舞園さんが死んでいるのを見て、どう思った?」

「どう、思った……か」

 

 私は口に入ったものを飲み込み、言葉を続けた。

 

「そう、だな。やっぱり見たときは衝撃的だったし、とてもとても、残念なことではあったけど、けど──」

「けど?」

「──いや、なにもない。なんにも、ないんだ。ただただその二つの気持ちが心の中で膨張するように、他の感情を圧迫するかのように存在していただけだ」

「……そっか。ちなみにボクはね、信じられないと思ったよ。そりゃあボクだって神原サンと同じように衝撃的だったし、残念だった。そして同時に思ってたんだよ──こんなのあっていいはずがないって、あの舞園さんが、死んでいいはずがないって──なにかの、悪い夢なんだって」

 

 小さくちぎったままのパンを指でつまんだまま、苗木は独り言のように言う。

 

「良い人はみんなすぐに死んでしまうっていうけど、こういうことを言うのかな」

 

 …………。

 

「そうなのかも、しれないな」

 

 良い人か。

 私が幼い頃に死んでしまった父と母は、はたして良い人だったのだろうか。良い人であったが(ゆえ)に、ああも早くに死んでしまったのだろうか。

 

 私はそんなことを思いながら、コップになみなみと注がれた牛乳を無理に胃へと流し込んだ。

 

「食事っていう気分ではないか」

「うん、まあね」

 

 皿の上に残る食材を強引にかき集めるようにして手元へと引き寄せ、それを口に放り込んでいく。

 やがて全てが胃の中に入った。満足感と同時に、やる気というものが少しだけ満ちた気がする。

 

「ごちそうさまだ。──よし、じゃあ苗木。私たちもそろそろ捜査を開始しよう。悲しんでばかりでは、落ち込んでばかりでは、舞園が一向に報われない」

 

 少し考え込むようにして(うつむ)いた後、苗木は前を見据えて「分かった、行こう。舞園さんのところへ」と言い、椅子から立ち上がる。

 

 食堂から舞園の部屋は目と鼻の先というほどに近いため、また既に校内はある程度探索していたため、道に迷うだなんていう初歩的なミスを犯すことはなかった。

 

 犯行現場の前へと到着すると、見計らったようにタイミングよく苗木の部屋から桑田が出てきた。

 

「おっ、苗木と神原か。ちょうど今、呼びに行くとこだったんだぜ。捜査してもいいってよ」

 

 そう言う桑田に軽く礼を言った後に、私たちは部屋へと入った。

 捜査の始まりだ。


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