三日目の朝。
私は、溜め込んでしまっていた大量の洗濯物を抱え、ランドリーを幾度か往復し、運び込んだ衣類を複数台の洗濯機にかけ、フル稼働させていた。
洗濯機特有の轟音がいくつも重なり、ランドリーの中央に設置されているベンチに座っていても骨の髄にまで振動が伝わってくる。ごごごごご。
もしくはごうんごうん。
地鳴りにも近い印象を持つそれは、なかなかどうして体の芯にまで刺激を与えるものである。軽いマッサージのように取れないこともなかったが、そう考えるとあまりにも軽過ぎる。
今朝は、いつものように、いつもの三人で朝食を食べていた。
朝食、といっても一口には語れないだろう。世の中にはきのこ派たけのこ派という、第三次世界大戦が勃発しかねない論争が繰り広げられているように、またそれと同列に語られる、朝はパン派かご飯派かという論争が存在する。私はどちらかといえば「ご飯な気分!」になる時が多いような気がするけど(あくまで気がするだけだ。パンも好きだから論争には巻き込まないでくれ。争い事はエロいことだけでいいのだ。ブルマーは不潔だと言う人がいれば私を呼んでくれ、真っ向から戦うぞ)、でも、まあ、今朝はどちらでもなかった。
おいおい、ご飯とパン。それ以外に食べるものなんてあるのか? ラー油でも食べるのか? と、お思いの方も少なからずいらっしゃるだろう。まあ、回りくどい言い方をせずに今朝のご飯を言ってしまうなら、ラーメンである。
おいおい、麺派が出てきてしまったぞ……。三つ巴だな、三つ巴。スクール水着、ブルマーに次ぎ、胸空きセーターが登場したようなものだ。
これが、第四次世界大戦勃発の時である。
ともかく今朝は、平和を願いながらラーメンを食べた。パンでもなくご飯でもなく、ましてやスクール水着、ブルマー、胸空きセーターでもない。食べたものはラーメンだ。ラーメンといえば味噌派、とんこつ派、醤油派、塩派が存在する。……第五次世界大戦勃発か……? 流石にこうも簡単に世界大戦を起こし続けるというのは、平和主義者の私としてはいかがなものかと首を傾げざるを得ないので、良い加減にここら辺にしたいと思う。
食後は少しの間彼らと会話を楽しんで、今日は何をしようかといった話題に差し掛かったあたりで、私は、「溜め込んだ洗濯物を洗わなきゃいけないんだ」と思い出したように言い、彼らとは別行動をとる事にした。
洗濯なんて借りてきた猫の手で
現に今だって、私は、とても暇をしている。だから今からでも二人の元に向かっても良かったのだが──なんだかあの二人は、二人でいた方がいいように思えるところがあった。お似合いというか、なんというか。
あの年頃の男女二人がなにもないわけもなく、またなんの感情も抱いていないということもないだろうから、私は一歩身を引いて、同世代のそう言った事情を後ろから見守る事にする。
頑張れ苗木。
良い報告、待ってるぞ。
吊り橋効果で差をつけろ。
ので、絶賛暇中である。
なんともご親切なことに、ランドリーには暇つぶし用の雑誌があるのだけれど、どれもファッション誌やら世俗のことについて書かれたものしかなく、興味をそそられるようなジャンルではなかった。
あー、暇だなー。
空から女の子でも降ってこないだろうか。
そんなことを願いながら(我ながら馬鹿な願いだ。叶うなら叶ってほしいものだけど)ふと頭上を見上げてみれば、あるのは無機質なタイルで覆われた天井であった。これじゃあ降ってくるものも降ってこないな……。
「……ふぅ」
笑みとも取れる溜息を、口から漏らす。
それから小一時間ほど経ってからだろうか。
ひとまず洗濯が終了し、次いでは乾燥機にかける。
最近は人に親切な設計らしく、先の洗濯機も含めて初めて使う型であったものの、
でも、偏りというものも、人生必要だろうか──
洗濯機で人生を悟りかけていると(軽い人生だ)、視界の端に大きな布の塊が現れた。最初は見間違いかと思ったので見逃したのだが、見間違えるようなものはこの部屋にないと記憶していたので、今度はしっかりと視界にそれを捉える。
ランドリーの出入り口から現れた、小山のように盛られたそれは大型動物の背中のように揺れていて、今にも崩れそうだと、警戒心以前に心慌ただしくなるものであった。
おいおい。
その衣類の山に隠れている人間は、よっぽど横着なのだろう。今にも溢れそうなほどに服やらなんやらを抱えているのだから。小分けにして持って来ればいいものを。
しかしまあ、その行為は分からない話でもなかった。実のところ、私も最初はそうしようかと思っていたものだ。だけれども持ちきれず、廊下に足跡を残すようにして落としてしまっていたので(ヘンゼルとグレーテル歩行法)、結局何度か小分けして持ち運んだ。
「だ、大丈夫か?」
「んっ、んー!」
山の向こう側から情けのない非力な声が聞こえる。一度にそれだけの量の衣類を運ぶことが大変であるということを知っているがために、思わず立ち上がり、そちらの方へと駆け寄った。
私の存在に気付いたのか、ゆらゆらとした足取りで、私を避けるようにしランドリーの中へと入ってきた。
私のことを考えての行動なんだろうけど、その行為のせいで衣類の山は安定さを失うことになる。
「──わぁっ」
段ボール箱などであれば、また籠に入っているのなら、支えるという行為は確かな効果を発揮しただろう。しかし、そもそも衣類の山を両の腕だけで持ち運ぶのは無理があるのだ。
バスケットボールと比べるには、あまりに大きすぎで、また数も果てしない。まあ──不可能では、ないのだけど。
「…………」
甲斐無く床に散らばってしまった衣類を見て、それを運んできていた本人は「あっひゃぁ……」といった悲鳴が、今にもそのぽっかりと開かれた口から聞こえてきそうなほどに悲哀に満ちた表情をしていた。
「まっまだ、洗濯してなかったから……セーフっ」
確か……、
どことなく、この褐色肌には見覚えがあった。面識こそないが、しかし、聞いたことはある。中学時代に私はバスケットボール部で大変な活躍を見せていたのだが(自分でこう言うのは、少々恥ずかしい。照れるものがある)、そのころ付き合いがあった先輩から聞いたことがあるのだ。なんでも、水泳部員でありながらバレーボール部や陸上部などを七つも掛け持ちしている人が存在し、以前参加した大会に出た時に会った、と。
私と同級生であると言う風に聞いていたので、その話自体がおよそ一年と少し前の出来事であったものの、一応頭の片隅に置いてはいたが……。
別に親の仇があるわけでもないし、ここで会ったが百年目、なんて決め台詞を出会い頭に吐くような仲でもない、ただただ初見なので、変にこちらが一方的に知ってしまっている分、少し硬い態度で接してしまうことになった。
「ああ。……えっと、朝日奈、だったっけ?」
「うんっ、そうだよ。朝日奈葵。超高校級のスイマーなんだ!」
いやあ、明るいなあ。
スイマーということは、水着に着替えてプールで泳ぐということなのだろうけど、そのように扇情的なボディはいかがなものかと教育委員会とか、PTAとかから何か言われないのだろうか? というか、私もそれなりに肉付きの良い体をしていると思うのだが(顧問の先生曰く、男好きのする体だそうだ。ふふん)、同等、いや、火を見るよりも明らかか、私を上回るプロポーションである。
水泳大会で軽い暴動が起こってもおかしくないかもしれない。
いや、流石にそれは言い過ぎか。
しかし、そう思えるような印象を、私は第一に見受けた。
私も軽い自己紹介を彼女に対して行い、手が空いていたので床に散らばった衣類を洗濯機に入れる手伝いをした。人の洗濯物をまじまじと見るのは配慮に欠けるというものなので、あまり直視はしないように、だ。
「ありがとうねー! 神原さん」
「いいんだ、別に」
陽の光が差さないこの施設内で太陽のような笑顔を見せる朝日奈は、お礼にと、どこから取り出したか分からないドーナツを元気よく膝元においた。お店で買った時にドーナツを入れておくような入れ物いっぱいに入れられたドーナツは、見るだけでお腹いっぱいになってしまいそうである。
その見た目が全て均等で整っていたため、手作りのようにはどうしても見えない。あの厨房にはこんなものまで置いてあるのかと、少しばかり驚きを感じる。
「これ一緒に食べよ! 私好きなんだ、ドーナツ!」
これぞ人生において、最高に幸せな時である。といった顔で、朝日奈はドーナツを頬張り始めた。もともと彼女一人で食べる用だったのだろうというスピードで食べ進む(そう考えると、一人用にしちゃあ、わりかし量は多いように思えた。でもスポーツ選手な訳だし、そう考えるとむしろ少ないくらいか)。
まあ、お言葉に甘えて。
私もドーナツを手に取り、朝日奈の食べっぷりに若干の気の引けを感じつつも、ドーナツを口に入れる。
「ん、おいしい」
「でしょ?」
少々脂っこいが、それがまたドーナツといった感じを引き立てている。甘ったるいわけでもなく、また味が薄いわけでもない。味の方は、申し分ない。ただ……、
「……少し、喉が乾くな」
これも揚げ物の宿命か。
ドーナツのパサつきが口腔内の水分をごっそりと持っていったことに、後から気がついた。
「あー、そうだねっ。あとで食堂に飲み物を取りに行こうかな?」
そう言いながらも、朝日奈は口にドーナツを運ぶ作業をやめることはなく、パクパクと楽しげに食べ進む。目に見えるようにして数を減らすドーナツ。ここまで食いっぷりが良いと、見ているこっちがなんだか気持ちよくなって来る。フードファイターなどのテレビ番組が昔は流行っていたらしいが(最近そういうのをあまり見ないのは、食べ物を粗末に云々というクレームがあったりするからなのだろうか?)、なんとなく、その理由がわかった気がする。やがて箱の底が見え始めた辺りで朝日奈は悲鳴をあげた。
「あー! ……また食べ過ぎちゃった。太っちゃうなあ」
手に持つ食べかけのドーナツをもぐもぐと食べきれば、残り少ないドーナツが入った箱を、少し自分から遠ざけた。あくまで食欲に対する抵抗のつもりらしい。
んん……、見たところ太ってもないようだし、日頃運動をしているのなら、食べていても大丈夫そうなものだけど……。やっぱり、水泳という水の抵抗をモロに受けてしまうスポーツは、体付きなどをミリ単位で気にしてしまうものなのだろうか? 私なんかはただ鍛えてただ練習して汗をかいてるだけみたいなところがあるから(流石にそれは言い過ぎた。もっと苦労している)あれなんだけれど、やはり一口に運動といっても、競技によってこういった違いが生まれるのだな……。
よし、ここはバスケットボールの道を歩む者として、一つ良い運動プランを朝日奈に伝授することにしよう。
「朝日奈。食べても太らない……、むしろ食べなきゃどんどん痩せてしまう運動プランを伝授したい」
「えっ?! そんな、まるで夢のようなものが存在するの?!」
「ああ、存在するとも。まずは朝、10kmランニング二本から始まる」
「……ま、まず? それで終わりじゃなくって?」
「ああ。その後軽い朝食を取ってからだな……」
「わーわー! ストップ! ごめんねっ、私できそうにないやっ」
楽して良い思いはできないんだね……。そう言っていた彼女の横顔は、どこか寂しいものがあった。
食べるのをやめればいいのに、と私は思う。
「……あっ! 今、それなら食べなきゃいいのに……みたいなこと、思ったでしょ!」
「いやっ、思っていない」
「いいやっ、絶対に思った!」
頬を膨らませて怒る朝日奈。
「食べないでいられていたら、どんだけ楽か……、はあ、辛いよ。ドーナツが美味しすぎて辛いよ……」
幸せな悩みだなと、私は柔らかな苦笑いをした。
サブタイトルに『(非)日常編』入れてみたら、もういっぱいいっぱい。