阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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004 (非)日常編

「やっぱり、不安なんですよね」

 

 舞園は、口に含んでいた水を飲み込んでからそう言った。

 食堂には私たち以外に人がおらず静かであったからか、舞園の不安が直に伝わってくるようだった。

 

 あの後私達は食堂の長机に面を合わせる形で座り、朝食を食べていた。三人分の料理を三人で作り始めたのだが、如何(いかん)せん何を作るか決めていなかったために少し混乱を起こし、結局、ざっくばらんに切り刻まれた野菜炒めを完成させたのは十時を回る頃であった。

 野菜炒めを作るのに三人も必要がないのは火を見るよりも明らかで、人が多いために余計に時間がかかってしまったように思えて仕方がないが──まあ、私はそこまで時間にシビアな人間ではないし、こんな生活なら尚更だった。

 それに、たとえ私が時間を無駄にしたくないという人間であったとしても、二人と賑やかに料理を作っていた時間というのはこの環境下においては実に有意義なものであったと私は思うだろう。

 

 ともかく、私と舞園と苗木の三人で朝食というには少し遅く、また昼飯というにはあまりに早いご飯を食べることになったのだ。

 食堂には誰かがいた形跡が残ってはいたものの、既にその人物の姿はなく、厨房含め食堂には私たち以外の誰もいやしなかった。

 

 紆余曲折、トラブルはあったもののなんとか野菜炒めは完成したのだが、しかしそこには計算ミスが一つあった。

 私は左利きであるのだが、その左腕が人ならざるものに変質しているせいか、まともに箸を持つことができなかったのである。せいぜいスプーンをくくりつければどうにかなるだろうといったところであり、野菜炒めを食べるにはあまりにも適していない。

 右の手で箸を動かそうにも、そういう経験は皆無であったため、結局私はフォークで苦戦しながらもキャベツなりモヤシなりを口に運んでいた。

 野菜炒めを作りながら、可能であればお味噌汁も作りたいと思っていたのだが、そこまでしているとお昼になってしまいそうな気がしたし、そもそも作れたからといってまともに食べられそうにもなかったので、時間もほどほどに切り上げたのは正解だったように思える。

 

 利き手がこんなふうになってしまっている以上、しばらくの間はパンをちぎって食べるとしよう。

 

 そしてご飯も平らげ、片付けも終わってようやく落ち着き、私が席に着いた時ごろに、舞園が冒頭の台詞を私と苗木に告げたのだ。

 

「舞園さん……不安って、やっぱり、コロシアイのこと……?」

「……はい。やっぱり、なにがあるか、分からないじゃないですか……。苗木くんや、神原さんとは簡単に打ち解けられましたけど、みんながみんなそういう人じゃないですし」

 

 少し暗い雰囲気を出しながら、舞園は続けた。

 

「アイドルですから、それなりに鍛えてはいるんですよ。ステージで歌いながら飛んで跳ねて踊るっていうのも、結構体力使いますしね。でも──それでも、やっぱり男性の腕力には到底敵わないですし。疑うようで悪いんですけど──もしも襲われでもしたら、それこそ、抵抗できないうちに殺されちゃうんじゃないかって」

 

 それはまあ、もっともな意見だったと思う。

 きっと私も非力であれば同じような考えに至っているだろうし、それに私だって喧嘩は強くない。まあ鍛えてはいるから、抵抗くらいはできそうなものだが──護身術なんて覚えちゃいない、本気で殺そうなんて血迷った考えを、鬼気迫った人間の一振りを食い止められるほど、私は強くはないのだ。だから、舞園の不安は、とても共感し得るものであった。

 自然と首を縦に振る事が、できるのだ。

 

「だから、護身用になにか持っておきたいんですけど、一緒に探すのを手伝ってくれませんか……? 状況が状況ですし、危ないものを持っている場面を見られて、変に誤解されるのもアレですし……」

「協力するよ。ね、神原さん」

「ああ、もちろんだ。けれど──」

 

 使い方を、見誤っちゃいけない。

 それは大切なことだろう。

 

 私はそう行った類のことを、やんわりとオブラートに包んだ物言いで、舞園に伝えた。

 それはもちろんなことだと、彼女は頷いてくれた。

 

「でも、護身用の道具なんて、どこにあるんだろう?」

「それこそ、探索を兼ねて探せばいいんじゃないか?」

「三人で探索、ですか。なんだか私、ワクワクします!」

 

 半ばピクニック気分というか、内容こそアレだが和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気がどことも知れずこの場に流れているような感じがする。これでいいのか? おい危機感。

 

 食堂にある厨房にも、それなりに護身となるようは道具はチラホラと見受けられたのだが、それはあまりにも殺傷性が高く、まかり間違えて相手を殺しかねないと判断し、とりあえずは食堂以外の場所を探してみようかと外に出た。

 

「ところで舞園。参考までに聞きたいのだが、なにか護身術とか経験はないのか? 合気道とか、柔道とか、空手とか」

「特には無いですかね。ほんと、歌って踊るための練習ばっかりでしたから──強いて言うなら、筋力トレーニングとかはしましたけど、それは護身術というにはあまりに心許ないものですよね」

「まあ……それだと、護身用の道具があっても抵抗は難しいかも知れない──それこそ、スタンガンだって、当たらなければただのハンディサイズの箱だ。もしくは棒」

「そう、ですよね」

「でも、夜時間は部屋にいればいいし──それこそ、日常的な生活を送る分には私たちと行動を共にしていれば、結構、安全と言えば安全だと思うぞ。護身用の道具だって、持っているだけで心の支えになる──それに、使う機会なんて、本来訪れるべきじゃないのだから」

「うん、ボクもそう思うよ」

 

 と、苗木が言ったところで、まずは購買部の方に到着した。

 なぜここに来たのか──というと、まあ、物が多いから、というのが正しいか。

 特にアテもなく来たと言われてしまえば、私はぐうの音も出ない──いや、ぐうの音くらいしか出す事ができなくなってしまうけれど、しまうのだけれど。そもそもこの施設(希望ヶ峰学園と認めるにはまだ私の心が追いついていないため、現状この場所は総括して『施設』と呼んでいる)に存在する教室であったり特別教室については、あまり深く知れていない。それに探索も兼ねているのだから、しらみ潰しを行うようにして色んな教室を回ってみようじゃないかという事で、結構近くにあり、聞くところによると物が多いという購買部へ向かうことにしたのだ。

 

 しかし、護身用の道具があるのだろうか……?

 それは購買部に対する不安ではなく、この施設全体に対する不安でもあった。このコロシアイの首謀者であるモノクマが、なにを思ってこんなことをさせているのかは知らないが──単に殺し合いをさせたいというのであれば、身を守らせるような道具をわざわざ用意するだろうか。

 それこそ、人を殺めることのできる道具は幾らでもある。包丁だって、なんだって。それこそ椅子も上手く使えば殺傷性が生まれるし、水だって人を殺すには十分すぎるほどに有名なアイテムだ。素手でも、人の命を奪うことは、安易と言えるだろう。

 

 人を殺したこともないような人間がなにを言う、と言われてしまえば、私は渋々とその通りであると頭を下げざるを得ない。私は人を殺したことなど、一度だってないのだから──あったら大問題である。

 それこそ、人の倫理に関わることだ。少年法だとかがあるが、しかしそれでも殺人は許されざる行為だ。

 

「んー……、やっぱり、購買部だしね。パンとか、お菓子とか。そればっかりだね……、いや、それが普通なんだけどさ」

 

 と、苗木が溜息交じりに言う。

 それに反応するようにして、舞園が「そうですね」と相槌を打った。

 行動の内容もあってか、出発した際はピクニック気分だったというのに、出鼻を挫かれたかのように最初からこれである。いや、まあ、これが普通だろうけど。

 そんな雰囲気を察してか、もしくはただ単に自然にか。苗木はおもむろに突っ込んだポケットから、光り輝く銅色のコインを三枚取り出した。

 

「そう言えばさ、この学園の至る所に、こういう『モノクマメダル』っていうのが落ちてるらしいんだ」

 

 そう言って苗木が見せてくれたコインの表には、趣味の悪いことに、やけに忠実に再現されたあのモノクマの顔が図々しくも刻印されていた。

 

「で、そのコインでこのモノモノマシーンってガチャが引けるらしいからさ。──丁度ピッタリ、三枚あるし、一人一回引いてみようよ。軽い運試しってことで」

「運試し、ですか」

 

 まあ、こういうのは嫌いじゃない。

 中学校でもよく後輩を連れて、近くのスーパーにあるガチャガチャを馬鹿みたいに回したものだ。なぜだかいつも欲しいものだけが当たらなかったが。

 

 苗木は私たちにメダルを一枚ずつ渡した。

 それを私はぎゅっと(てのひら)で握りながら、良いものが引けるようにと念を込める。そんなものをこのメダルに込めたところで、なにか良いことが起こるわけでもないのだが、しかし、気持ちが大切だ。

 なにごとも、気の持ちようなんだ。

 

「じゃあ、私から」

 

 そう言い舞園は、モノモノマシーンと呼ばれるそれにコインを一枚入れる。チャリンといった金属音が、購買部に響く。そして、ガチャガチャ特有のプラスチックを石臼で挽くような音。

 軽快な音とともに、カプセルが飛び出した。市販されているカプセルと比べ、ふた回りほど大きかった。

 

「結構、大きめなんですね」

「そう、だね。これは期待大だよ」

 

 じゃあ、と。次は苗木、そして私と順番に回した。

 どうやら各々色が違うらしく、舞園が黄色、苗木が紫、私は緑色であった。レアリティだとかが関係あるのだろうか? もしあるなら、金とかがやっぱり高いんだろうけど──モンハンで言うのなら、今のところ苗木が一番レアだな。紫。

 

「結構、普通のガチャガチャと比べると重ためだね」

「ああ……、なにが入っているんだろうな」

 

 いっせーのーで。

 

 そんな気の抜ける掛け声とともに、ぽんとカプセルを同時に開ける。中にはビニール梱包をされた何かが入っていた。

 

 恐る恐るそれを取り出してみると……。

 

 ん、んんんー?

 

 他の二人の表情を伺ってみると、双方共に微妙な顔をしていた。やはり、ロクなものは入っていないらしい……。まあ、てっきり危険なものが入っているのではないかと心なしか警戒していたから、良い意味で気が抜けた。

 

「私はなんだか、らしいものが当たりました」

 

 そう言って舞園が取り出したのは、『希望ヶ峰の指輪』というものであった。

 

「確かに。そんなものも、当たるんだな。このガチャガチャ」

「へえ……、よかったね、舞園さん」

 

 じゃあ次は私が、と、半ば急ぎ気味に当たったものを前に出した。

 

「『動くこけし』、だ」

「うわぁ……」

 

 うわぁってなんだ。うわぁって。

 つくづく運が無いと昔から思ってはいたけど、これはまた別の意味で運が悪かった。嫌がらせか? 嫌がらせなのか?

 電源を入れると電動マッサージばりの振動を起こすこけし。私は即座に電源を切り、購買部の籠のところへ突っ込んだ。卑猥な意味ではなく正確には放り込んだのだが、勢いが勢いなため突っ込んだという方が正しいように思える。

 

「じゃあ、最後はボクか……」

 

 なぜか出したく無さそうな顔をしている苗木。やはり彼も、ロクでも無いようなものが当たってしまったようだ。

 

「……引かないでね?」

 

 そう、年を押すようにして苗木は言った。私たち二人はそれに対し、勿論だと答える。

 

 恐る恐る、仰々しくも、苗木はそれを取り出した。

 

「……『手ブラ』」

「苗木くん……」

「苗木、私は理解できるぞ。ああ、良いとも。健全な証拠だし、私もそういう類のものは嫌いじゃない」

「神原サンっ! それはフォローになってないよ!」

 

 論破!

 とはならないか?

 

「別に僕は、引きたくってこれを……『手ブラ』を引いたわけじゃないんだよ……」

「超高校級の幸運が何を言う。流石だ」

「それは違うよ!」

 

 論破!

 となったかもしれない。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 謎の沈黙が流れる。

 おじいちゃんおばあちゃんと一緒に洋画を見ているときに、ちょっとえっちなシーンが流れた時と同じような雰囲気だった。

 気不味い。

 舞園の指輪はまだ良かった。というか普通だったんだが、私と苗木のツーコンボが非常に不味いものであったことは言うまでもないだろう。

 

「……次、行こうか」

「うん、そうだね」

「そうですね」

 

 逃げ出すようにして購買部を出た私たちは、その足で体育館の方へと向かっていった。

 すごく今更だけど、学校には刺又という防犯用のアイテムが置かれている。なんでも消火の際にも使われたらしい(延焼を防ぐために家屋を破壊したいなど)。その歴史は長く、なんでも江戸時代からだとか。まあ信頼と実績のそれを護身用具として用いるのは、なかなかどうして真っ当な考えだと思ったのだが──なにぶん、置いてある場所が分からなかった。

 普段は警備室とか職員室に置いてあると聞いたが、それらしい部屋は未だ見つかっていない。それこそ購買部に似たようなものがあったような気がするが(あれは完全な棒だったけど)、しかしもう戻れないだろう。雰囲気的に。

 

 そこで、なんとなく体育館の倉庫にでもありそうだな──なんていう思いも心の片隅にありつつ、そちらに向かっているのだ。

 

 もしかしたら、走り高跳びの棒と勘違いしていた──というオチかもしれないが(そんなのだと落ちる物も落ちないだろう)。

 

 ともかく、体育館前のところには到着した──

 

 すると、目が止まるものがあった。

 

「──ん」

「……どうかした? 神原さん」

「いや、なんか、こんなものもあるんだななんてさ」

 

 その一室は──体育館と廊下の中間に位置するその部屋には、所狭しとトロフィーや盾、写真などが並べられたガラスのショーケースであったりなどが立ち並んでいた。

 探せば私の名前もありそうなくらいに、たくさんあった。

 見てみれば、見らほらと聞いたこと見たことがあるような名前があったため、そこそこ有名な人たちのものらしい──

 

「あ、これとか、元プロサッカー選手の人のやつじゃないかな? へー、高校生の時……でも、なんでこんなものがあるんだろう。もう三十年くらい前だと思うんだけど」

 

 そう苗木が指差したのは、今はタレントとして活躍している元サッカー選手の名前が彫られた金のトロフィーだった。

 確かその選手は、希望ヶ峰学園出身だったような──

 

「こんなのもありますよ」

 

 と、舞園が見ていたのは金の模擬刀だった。

 それに興味を示したのか、苗木が(おもむろ)に模擬刀を持ち上げた。

 

「わあ、重たい。本物かなあ」

 

 そう言えば、情けなくもすぐに元の位置へと模擬刀を戻した。

 金の刀なんて、切れ味が悪そうなものだな。だなんて思っていれば、

 

「……あっ、苗木くん。これ金箔ですよ。剥がれちゃってます」

 

 と舞園。

 

「あ……、本当だ。手に付いてる」

「ふむ、金箔か」

 

 既に剥がれてしまった所を(なんだかマダラ模様になっていて、不恰好だ)持ち、鞘を抜いてみた。すると、どうやら刃は潰してあったようで、

 すっと刃の方を撫でてみても、手が切れるといった流血沙汰には発展しない。

 

「少々重たいし、手が汚れてしまうかもしれないが──これでも、いいんじゃないか? 護身用の道具。下手に軽いものよりは、重たい方が扱いやすいかもしれない──それに、殺傷性も低いだろう」

 

 舞園も鍛えているというし、ロクに持てないということもないだろう。

 金色に光り輝く刃を鞘に収めると、独特の金属音が鳴った。鼓膜をツン付くようなその音は、よく響いた。


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