二日目。
その響きは、良くも悪くも私の心を酷く掻き乱した。私は一つの夜を、生き延びたのだ──という、生の実感と、昨日のアレが夢ではなかったのだという理解したくもないような現実によってだ。
出来ることなら……叶うのなら、悪夢であって欲しかった。おじいちゃんにおばあちゃんがいる実家の一室で、悪夢に
だけれども、そうは問屋が
結局私は、朝早くに目を覚ましてしまうのだ。
悪夢の中で、目が覚めるのだ。
──とはいえこの施設内……認めたくはないが、希望ヶ峰学園かもしれないこの場所に太陽の光が差し込みところはない。探せばあるかもしれないが、今のところ見つかっていない。そのために、モノクマが定めた朝時間と夜時間を除いてしまうのなら、今この時を刻む本当の時刻なんてものは分かりっこないのだ。
体内時計というものが世の中にはあるが、このように日常とはかけ離れた劣悪な環境でそれが遺憾なく発揮されるとも思えない。
私は一応、スポーツマンらしく朝はいつも同じ時間帯に目を覚ますようにしているのだが、時計を見る限りそれには少しばかり差が生じていた。
一時間ほど、起きる時間が早かったのだ。
……ま、昨日あんなことがあったし、快眠という訳でもなかったのだから当然と言えば当然なのだが。結局、食堂に集まった後私は部屋に帰って寝てしまっていた。
何はともあれ。
私は朝時間がくる二時間前──夜時間が終わるまであと二時間と言った時間帯に目を覚ました。
今は夜時間。つまりシャワーを浴びることは出来ないし、食堂で昼食をとることもままならない。部屋に置いてあるものといえば、精々昨日持ち込んだペットボトルの水くらいだ。
……何にもない部屋だなあ、殺風景というか。少し恥ずかしい話なのだが、実家にある私の部屋は
……しかし、どうしようか。
いつもの生活通り行動を行うなら、まずはシャワーを浴びてランニングを始める。そしてその後汗を洗い流すために再度シャワーを浴びた後に朝食を摂り、意気揚々と学校へ向かうのだ。
しかしまあ、今の環境でランニングが行えるかと思うと、肯定しにくいものがあった。
仮にもし、寄宿舎を囲うようにしてグルグルと走っていれば、それは完全に不審者だ。怪しいやつだと、この施設内にいるみんなから後ろ指を指されることだろう。
それこそ魔女裁判にかけられる魔女のように。
この生活で何が大切なのかは未だに分からないが──怪しいと思われることは、どんな状況であれ、まず避けなければならないことだろう。
大抵人というものは、グループという輪の中に押し込まれた際、誰か一人ほどが何らかの捌け口になってしまうものなのだ。
イジメなんかが、悪い例。クラスのお調子者で、いじられっこなんかが良い例だろうか。
ともかく、怪しまれないようにしなければならない。
友達を作るにしろ──人を騙すにしろ。
けれども、どうしたって私の体は運動を求める。まるで時間を知らせる作り物の鳥のように、来るべくして訪れるそれに抗えないのだ。
私は悩んだ。
走るべきか、走らざるべきか──答えは明白ではあるものの、判断は難しかった。
こんなくだらないことを考えているのは──きっと、現実逃避なのだろう。昨日のコロシアイというキーワードが──あの、手加減というものを感じなかった命を奪うための爆発が、私の心の中に深い傷跡を残し、尾を引いているのだ。
嫌な話だ。
モノクマ! おまえのくだらない爆発は、これを狙っていたのなら予想以上の効果をあげたぞッ!
ともかく私は、一旦落ち着きを取り戻すためにペットボトルの水を口に含んだ。
冷蔵庫に入れてなかったからか、とても生温い。その生温さがまた、私の心に染みる。
…………。
時計の針が時を刻む。その音が、はらわたの奥まで浸透した。
…………。
乱暴に冷蔵庫の扉を開き、そこにペットボトルを突っ込む。そして、勢いそのまま、ぼうっとした意識そのままに、私は
それから考えた。
自分が一体どうなってしまうのか──
ドッキリという希望的観測が事実であってくれないだろうか──
こんなことを考えるなんて、私らしくないな。と、ほくそ笑んだりもした。
そうこうしているうちに、私はまた眠りについてしまうのだ。眠りに着く寸前、二度寝というのはいつ以来だろうとか、そんなことを考えていたような気もする。
ともかく、私が再度朝を迎えるきっかけとなったのは、耳をつん付くような不気味な放送によるものだった。
どうやら、朝が来たらしい。希望の朝ならぬ絶望の朝だ。
酷く倦怠感に襲われる体を起こし、ベタつく汗を洗い流すためにシャワールームを使用することにした。ここのシャワールームを使用するのは初めてだけれども、部活なんかでよく使うし、別に使っていなくなって利用方法くらいは分かるものだろう。ガスなどを付ける機械が無いのを見ると、勝手にしてくれるのだろうか。
「……ああ」
服を脱ぐ最中、私はそれを認識しなければならなかった。必然的に、認識せざるを得なかった。
恐る恐る、巻きつく包帯を解けば、コロシアイなんて優しく思えて来るほどの(それでも非常に非現実的な話であり、恐ろしい事実だ。)悪夢が、私の左腕に残されていた。
まるで猿の腕を移植したかのようなそれは、鏡に映る私の裸と比べてみると、明らか様に異色を放っている。隠しようのない存在感。隠そうと思えども、溢れて来る異質なオーラ。
……昨日は本当に、散々な一日だ。
私はそう嘆く。
包帯を解き終え、私は軽くシャワーのノズルを回した。ゴムが擦れる音と共に、冷たい水がヘッドから流れ出る。
私はその冷水を、そっと、泥だらけの犬を洗うようにして左腕にかけた。……暑いだの、冷たいだのの、温度を感知することは出来るらしい。ギュッと筋肉が引き締まる感覚がする。
次第に水は熱を持ち、温水へと変化する。それを頭から被り、私は目を瞑った──
──私はふと、もう一度鏡を見た。
……ん、また胸が大きくなったか? それも、とてもとても大きく育っているような気がする。よくよく見てみれば、体が全体的に成長しているような気がした──いや、確実に、成長していた。
身長も、筋肉も、肉のつき方一つ取ったって──鏡に映るその体は、私の知っている私ではなかった。
またこいつは、おかしなことを言い出したなんていう風に思うかもしれない。けれども、確かに変わっているのだ──髪型こそ、同じだけど。
ここが見知らぬ場所が故に距離感がつかめず身長が伸びたことに気が付かなかった。泥のような倦怠感が故に体が重くなっていることに気が付かなかった──それに、昨日は先に述べた理由の通り強く強く、混乱していたのだ。気付かないのも無理はない……のだろうか。
この体の異常な成長と、私のものではない左腕は、関係しているのだろうか……? なにはともあれ、不思議であることに違いは無かった。
さっきとは逆の方向にノズルを回し、シャワーを止める。近くに掛けてあったタオル(次からは自分で用意しないといけない。幸い、この施設にはランドリーがあるようだから後で行くとしよう。)を手に取り、水を吸わせるようにして髪に当てた。
火照る体は湯気を発する。
体に残る水滴をある程度タオルで拭えば、適当に部屋着を見繕い着用した。タンクトップである。肌着だな。これで外に出れば痴女と疑われても仕方がない。
タオルで拭いたものの、それでも濡れている私の左腕は、どうやらまだ包帯を巻くことができそうになかった。そういえば、この包帯はいつから巻いているのだろうか。後で換えとかないとな。
冷蔵庫を開ければ、二度寝する前に入れておいたペットボトルの水がとてもよく冷えていて。それを悪戯心そのままに頰に当ててみると、思わず思いもしないような声を上げてしまう。
そんな声が出てしまったことに驚き、私は一人で笑っていた。
笑えていた、と思う。