阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 放課後から昨晩にかけてそのようなことがあってから、僕はその次の日──つまり、今日の放課後。希望ヶ峰学園の玄関ホールで友達よろしくといった風に七海と待ち合わせ、彼女に連れられるがままに近くの喫茶店に入店する運びとなった(こんなところに喫茶店なんてものがあったのか……知らなかった)。喫茶店という場所に足を運ぶことは滅多にないので、少し心が落ち着かない。僕はきっと、妙によそよそしい雰囲気を出していることだろう。

 そして今は、店外のテラスにある机を二人で挟んでいる。

 

 ただお話がしたいという雑談が相手の目的であったため、僕としては特にこれといった話題があるわけではなく。また、七海も七海とてこれといった話題はないらしい。そのため、玄関ホールを出発し喫茶店にて適当に各々注文してから(とはいえども、僕は「彼女と同じものを」と言っただけなので、何が来るのかはあまりよく分かってない)お互いに軽い挨拶をしたくらいで、僕と七海の間には気不味く深い沈黙が続いていた。前日、僕はこの雑談の場を居心地の良くない雰囲気にでもして帰ろうと考えてはいたけれども、最初からこうも気まずい雰囲気だと、そんなことを考えていた僕の方が気を悪くしてしまう。しかしそれは七海とて同じことだろう。

 この沈黙を打破する何かがないかと不器用なりに模索している最中、注文の品が運ばれてきた。コーヒーとショートケーキがシンメトリーに机の上へと置かれる。

 あまりコーヒーは飲まないんだけど、一口飲んだ時に苦味を感じないほど、僕はこの雰囲気をどうにかしようということに意識を寄せていた。何必死になっているのやら。

 

「…………」

「…………」

 

 勇気を少し出して、少し質問をして見た。

 

「コーヒーとかって、良く飲むのか?」

「え? ……あー、うん。まあね。いっつも眠くなっちゃうからさ。ほら、眠気覚ましにはコーヒーが一番だなんて言うでしょ」

「なるほどな……」

 

 確かに、七海はいつも、良く眠たげな表情をし、虚ろげな瞳で微睡(まどろ)んでいた。

 しかしそこまで無理する必要はあるのだろうか。まあ、超高校級のゲーマーって言うくらいだしなあ。

 

「阿良々木くんは、コーヒー飲む?」

「僕か? 僕は、まあ、嗜む程度に」

「……本当かな」

「本当本当。マジと書いて本当と読んでもいいくらいだ。マジマジ(本当本当)

「それって逆な気がする。 普通、真剣と書いてマジと読む、みたいな……」

「細かいことは気にするな。卵が先か、鳥が先かみたいな話だろう」

 

 いや、そうじゃないんだろうけど。

 

「ところで七海」

「なにかな、阿良々木くん」

「七海はコーヒーを飲んで夜更かしをしてでも、ゲームをしたいっていう風に思えたんだが──そのゲーム、飽きたりとか、しないのか?」

「しないよ」

 

 即答だった。

 七海は迷いなく、そう答えたのだ。

 その純粋な「好き」という姿勢が、少しばかり羨ましく感じた。

 

「愚問だよね。阿良々木くんだって、なにか一つくらい、飽きないことがあるでしょ?」

「んー……いやなあ、なんせ僕。趣味がないものだからさ」

「嘘だあ」

 

 趣味がない──というのは、半分正解で半分ハズレだ。僕の趣味を挙げるなら、強いて言えばそれはサイクリングだろう。けれども最近、自分の好きなマウンテンバイクのサドルを跨ぐことはめっきりと無くなった。それに才能に関することだって──僕はもう、好きじゃあないのだろう。

 

 なにはともあれ、コーヒーの話を切り出すことで、それなりに話をすることが出来た。

 

 無難にお互いの超高校級の才能の話。

 無粋な僕の妹の話。

 無敵とも言えるチーターをどう倒すかの話。

 

 スーパーマリオの話は、そのゲームを少しやったことがあるのでなんとか付いて行けたが(それにしたって知識量で敵うはずがなく、驚かされるばかりであった)、そもそも幼少期からゲームをあまりしないでいた僕は、最近のゲームの話に差し掛かるにあたって、討論というよりただただ彼女が熱弁していることを聞いているだけ、相手の言葉に合わせて適当に相槌を打つだけになってしまっていた。

 スーパーマリオの話に至っても、結局のところ、そんな感じに相槌を打っていただけだったのかもしれない。

 それでもまあ七海の話すゲームの話は興味深いもので、「そうだな」とか「へえ、そうなんだな」と返事を返しているうちに、何気なくそのゲームを今度一緒にしようという約束を取り付けられてしまった。側から見れば僕が彼女の誘いに乗っただけなのだろうけれども、僕の中ではしてやられたという気持ちが強かった。

 ゲームをするその時には、僕の得意なゲームをしようかと言えば、「うーん、私は確かにゲーマーだけど。阿良々木くんの専門になっちゃうと勝てそうにないや」と言われた。

 

 それもまあ納得のいく話である。

 

 いくらなんでも、超高校級のゲーマーという肩書きを持つ彼女とて、全てのゲームが達人級というわけじゃないのだ。

 全てを難なくこなすというのは化物故の行動である。しかし七海は誰がどう見ても化物ではないし、凡人の皮を被っているようにも思えなかった。

 

 ──それでもいつしか。彼女は化物へと成り上がってしまうのだろう。

 

 でも、恋愛ゲームは苦手だとか。

 しかし苦手な物があったとしても、彼女は成長し、いつか全てを極め切ってしまうのだろう。

 この「いつか」は必ず起こる事象だ。

 新しい作品が生まれれば生まれるほど、それを極めるのだ。超高校級のゲーマーである七海千秋は。

 

 それが彼女の性というものなのだろう。

 

 七海の様々なゲームを極めるということに対し、僕はただ一筋の道を極めるだけなので──とは言えども、最近は極めるという行為すら疎かになってしまっていて、僕の超高校級の肩書きなんて無いのと同じ、ただの冠みたいになってしまっているから、こうも生き生きと才能関連について話をされちゃ、羨ましく思えてしまう。

 

 妬み嫉みではなく。

 

 羨み。

 強い羨望。

 

 自分の好きなことを熱く語れることが、とても羨ましく思えた。

 彼女が、眩しく見えた──なんて言ってみると、まるで僕が七海に惚れてしまったんじゃないかと勘違いされかねないが、それは大きな勘違いであり、七海とは親しくしたことがなければ、話なんて、記憶を遡るに、昨日が初めてというような関係なのである。しかし、それでも二年間一緒に過ごしたクラスメイトなのだ。二年間顔を突き合わせ、授業やら人との会話なんかの声も少なからず聞いている。

 

 今更惚れた腫れたの恋話に発展することなんていうのは、あまりにも定番過ぎて逆にあり得ないし、あり得たとしても、それは一時の気の迷いであると言える。

 僕は一目惚れというものを信じていない。だから、仲良くなって好きになるのが恋愛である……というのが僕の持論であるのだが、彼女──七海千秋とはそう言った間柄にならないと断言できる。

 根拠はないが、なんとなくそう思った。彼女は恋人というより、友達というポジションが一番似合う人間だな、と。

 

 友達というポジションにすらなれない僕がなにを言っているんだという話だが。

 

 そして、話は冒頭に遡る。

 

 過去編からの現代編だ。

 

 話し込んでいるうちに、いつのまにか空も十分に暗く落ち込んできたようで、右手首に巻いた腕時計の時間を読み取ってみると、もう既にあれから四時間も経過していた。そして、七海は七海で活動限界が来てしまったらしく、情けなくヨダレを垂らして机に突っ伏している。

 

 今回のおしゃべりは思いがけずに結構楽しいものだったので、不満げ仏頂面ではなく、久し振りに笑みを浮かべていたと思う。でも、友達としては首を傾げかねない。精々話し相手か知り合いぐらいの関係が丁度いいんじゃないかと判断した。

 

 そんな僕と相反し、七海のやつは目を擦る回数が時間が経つにつれ増えていき、欠伸(あくび)も増え、挙げ句の果てには眠ってしまった。さすがにテーブルに寝かしたまま店に置いていくということはいくらなんでも僕にはできないので、今日はこれくらいにしておこうと七海を起こすべきであると考える。家に送ってやってもいいのだが、住所は知らない。しかしこのような時間帯、女子一人は危ないだろうからせめて付き添いくらいはしてやろうと席を立ち、会計を済ませ、七海がうたた寝するテーブルに向かった。

 

「なあ、七海」

 

 反応なし。

 どうやら完全に熟睡してしまったらしい。……だからとは言え、起こすことを諦め、そのままにして置くわけにもいかないので、今度は肩を持って、強く揺らしながら、

 

「なーなーみー」

 

 と呼びかけた。

 しかしそれでも彼女は、

 

「むにゃむにゃ」

 

 という漫画の世界でしか聞いたことのないような寝言うわ言を発するだけで、目はとうとう最後まで開けやしなかった。本当は起きているんじゃないか、僕をからかっているんじゃないかという疑いを心の内に抱き、顔を覗き込んでみると、なんとも幸せそうな寝顔をしているのだ。

 

 これは、起こしてしまうことをなんらかの秘密機関、および秘密結社に咎められてしまうんじゃないかと錯覚するくらいに可愛い寝顔で、なんなら写真の一枚撮っておこうと思い携帯電話を開けるものの、すんでのところで罪悪感が芽生えてしまい写真を撮るのことは出来ず、携帯電話はズボンのポケットを出し入れさせられただけとなる。

 

 ……どうする? これ。

 

「ぐう」

 

 頭を悩ませるが、ただ悩ませるだけでなにも思いつかない。やっぱり起こした方がいいんじゃないかともう一度肩に手をかける。すると──

 

「あれれ、阿良々木くん……? それに、七海さんも。……ははあん。なるほどなるほど」

 

 ──そこには、同じクラスメイトである羽川翼の姿があった。

 

 なんで、ここに羽川がいるのだろう──そう思ったが、良く考えてみれば今まで誰とも会わなかったことの方が珍しい。

 ここは学園近くなわけだから、普通に同じ学校のやつがいてもおかしくないし、そもそも僕らは外のテラス席にいるんだ。歩道を歩いている人からは丸見えなのだから、見つかるのも当然だろう。

 それなりに希望ヶ峰学園の生徒というのは有名だったりするのだけれど、僕と七海はアイドルや科学者といった世間に大々的にアピールされている──それこそ、ニュースで流れたり芸能に携わっていてテレビを視聴していれば、一度くらいは見たことくらいはある──人達とは違い、幾分マイナーでプライベートを隠す必要もなく、こういう風に外に出れていてかつ今まで誰にも声をかけられなかったところを見ると、やはり僕らは有名人というわけではないが──さすがに、そうだとはいえ、同級生にはバレてしまう。

 なにもやましい思いはないわけだから、バレるという言い方は変だが。

 

 それに、それぞれの世界で闘っているわけであり、あくまで世間にはそう頻繁に出ていないのだから知名度なんて気にしちゃいけないもの──ま、七海はゲーマーだし、それなりにネットなんかで知名度はあるだろうが、僕は……な。

 

 ともかく、同級生はまだしも、同じ学校のやつに会うということはさほど珍しくはなく、むしろ今までなかったのが不思議なくらいなのだ。

 

 納得納得。

 超納得。

 

「ええっと、阿良々木くんと七海さん。どうしたの? こんな時間まで。そろそろ帰らないと門閉まっちゃうよ──ああ、でも、阿良々木くんは外でアパート借りてるんだっけ。いや、それでも七海さんは学生寮なわけだし急がないと」

 

 テラスの柵から身を乗り出し、委員長気質のあるお節介焼きの羽川はこちらを心配する。

 

「親切に今の状況を説明してくれたところ悪いが、ちょっと待ってくれ。なにか誤解されてないか?」

「誤解?」

 

 誤解もなにも──と、続ける。

 

「分かりきったことは言わなくても分かるでしょ、それより時間がないから──わわっ! 七海さん寝ちゃってる」

 

 わかりきったこと……? やっぱり、この委員長はなにか勘違いしてるぞ? しかし、話によると結構状態としてはヤバイらしい。優先順位としてはまずこっちだろう。

 羽川は羽川はでおっかなびっくりという表情をし、後ろでまとめられたおさげを揺らし若干後ろに下がる。そりゃそうか……もうすぐ門が閉まるっていうのに、七海自身は寝てるんだしさ。

 

 出来ることなら誤解どうこうの話を続けたいのだが、このままぐうたら話をしていると門が開いている間に校内に入れそうにないので、そこはまた今度聞くことにした。また今度の機会があればだが。

 

「七海は僕がおぶっていくからさ。羽川、お前は七海の部屋を教えてくれないか?」

「えー、でも、それだと七海さんの胸が阿良々木くんに当たっちゃうんじゃないかな。変態」

「僕のことを変態というなっ! そんなやましい気持ちは一切ない!」

 

 一欠片もないと言えば嘘になるし、むしろこの世代の男子高校生にそう言った感情を持つなというのは無理難題な訳である。

 しかし、自分の身の潔白を示すためだけに、女子高校生を冬の夜空の下に一人残して置くわけにはいかないので、なんとかして学園の寄宿舎まで送り届けなければならない。羽川に任せたところでキチンと時間までに運べるかどうかは不明だし。

 

 やはり、起こした方がいいのだろうか。

 

「うーん、でも、七海さん起きそうにないし、確かにおぶっていくしかなさそうだね……」

 

 羽川は七海の肩を揺らしたり背中を軽く叩いたり頰を指先でツンツンしたりして(羨ましい)、起きないという結論に至ったのかそう言って。

 

 今からなら歩いて学園に向かっても、僕が覚えている時間通りなら、門を閉める時間までには十二分に間に合うだろう。さらに、羽川だって門限には間に合うという計算の元、外を出歩いていたんだろうし。

 

 しかし、さすがに女子といっても体はもう大人である。男子の僕がおぶってもそれなりに重い。僕は地面を一歩一歩、踏み固めるようにして歩く。

 

 ……僕がおぶっていったとするなら多分時間はギリギリになってしまうだろう。しかし、羽川なら、まず、おぶることが出来るかどうかという時間依然の問題なのだ。

 となると、七海の身の心配をするなら僕がおぶってやらなければならないということは火を見るよりも明らかで、揺るぎない事実なのである。

 

 よし、これで明日バレても言い訳ができる。

 いやだから、バレるってなんだ。なにもやましい思いはないじゃないか。

 

「それじゃあ、阿良々木くん。変なことを考えないように」

 

 どう良いように捉えようとしても僕を疑っているようにしか思えない目線をこちらに向け、それからその視線を七海に落とす。

 僕も自然にその目線の先を追い、七海に視線を向ける。

 

 若干後ろめたさを覚えるものの、冬の夜空の下を歩く。

 人をおぶるということが滅多にない僕は、悪戦苦闘をしつつもどうにかこうにか七海を寄宿舎の部屋まで送り届け、「また明日」と羽川に別れ際の挨拶を交わしてから帰路に就いた。


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