出番を終えた僕は、背で拍手を受け暗幕の奥へと消える。
舞台裏には次に発表を行う生徒がいたが、どうやら一年生らしく、名前も知らないようなやつだったので、頑張れとだけ告げ僕は外に出た。
先の花札で僕は少し興奮していたため、熱を冷ます意味合いを込めて外を少し歩くことにした。熱気に包まれた体育館内とは違い、涼しい風が柔らかく頬を撫でる外はとても心地が良く、たまにはこういうのもいいなだなんて思ってしまった。すると、背中に誰かの手で叩かれた感触がある。
誰だろうと振り返れば、彼女らの姿が目に入るだろう。
「これこれ、儂らのことを忘れるでない」
ドレスの裾を地に引きずりながら歩く、忍と斧乃木ちゃんの二人がいた。あ、やべ、忘れていた。
「その表情を見ると、どうやら僕たちのことを忘れていたみたいだね。鬼いちゃん。さすがの僕も落胆の色を隠せないよ」
と、両手で残念だという意思表示をしながらも斧乃木ちゃんは真顔で言った。落胆の色なんて見えないのだが、そこにツッコミを入れるのは野暮というものだろうか?
忍は嘆くように息を吐き、言った。
「……儂らが出た意味はあるのか?」
「そうだね、意味なんてないよね」
「少なくとも、斧乃木ちゃんは自分から立候補したんだけどな」
嘲笑うように僕はそう言った。そして、
「……ま、ありがとうな。お前らの言う通り、意味は無くは無いんだけど、私情だし」
僕のその言葉を聞いてすぐ、忍は眠くなったと言い影へと身を潜めた。よく考えてみれば、忍はもうとっくに眠っていてもおかしくない時間だったし、無理させてしまっていたのだろうかと申し訳ない気持ちに襲われたが、同時に、いろんな意味で変わったなと思った。
僕はそろそろ楽屋に戻ろうかと考え、斧乃木ちゃんにこれからどうするのかと尋ねる。
「そうだね、どうしようかな。アイスでも買ってくれれば、終わるまで待ってられると思うんだけど」
アイスを買ってくれということらしい。
斧乃木ちゃんの手を引いて、僕は学園内にあるアイスの自販機のところまで向かった。この姿を誰か知人に見られてしまえば、彼らの目にはどのように映るのだろうか。あまり良いイメージが浮かんでこなかったため、半ば急ぎ足で向かう。
てっきり一つと思っていたのだが、お札を入れたせいか数本買われてしまった……。僕は残ったお釣りを財布に入れ、両手でアイスを抱える斧乃木ちゃんの方をちらと見た。
「……なんだい、そんなに見たって、アイスはあげないよ」
「一本くらい、いいだろ」
「一本だけ、あと一つ、これが最後って言って、結局人は辞められないんだよ」
立てた人差し指を横に振り、斧乃木ちゃんは教えを説くようにした。
「そこまでアイスに依存性があるとは思えないがな」
「うるさい」
斧乃木ちゃんは複数ある中から一つのアイスを選び、悠々と(悠々と?)包装紙をめくる。
僕はその様子の眺めながら、近くのベンチに腰をかけた。背もたれに両腕を乗せ、空を見上げる。
まだ明るいが、少しづつ、空が暗くなっていく。太陽が地平線に吸い込まれるようにして、高度を失って行く。もうすぐ夕方か、茶話会もあと少しで終わるなと、僕は謎の虚無感を感じていた。味わったことのない気持ちだ。
斧乃木ちゃんはチラリとこちらを見て、
「……やりきったって感じの表情だね、鬼のお兄ちゃん」
と、ボソリと呟くようにして言う。
「……なんたって、一仕事やり終えたわけだからな。そりゃ、やりきったって感じの表情にもなるさ」
「そう」
興味なさげに返事を返せば、斧乃木ちゃんは再びアイスを舐め始めた。本当にアイスが好きなんだなと、僕はその姿を見ている。ただ、見ている。
斧乃木ちゃんと初めてあったのはいつの日のことだったか──なんて、少し感傷的な姿勢で思い出を振り返ったりもした。あっと驚くような劇的な出会いだった気もするし、別段大して記憶にとどまらないような取り留めもない出会いだったような感じもする。まあなんにせよ、あの春休み──背筋が凍るように美しい鬼と出会ったあの春休みと、まさしく生き地獄であり、僕の人生を決定的に変えてしまったあの春休みと比べてしまえば、全ての出会いが劣ってしまうというものだけれども。
今となっては、その鬼もただの幼女である──少し、平和だなあだなんて呑気な考えが頭に浮かんだ。
「──そろそろ戻るかな」
「そうかい。茶話会が終わるまで僕はここで待ってるから、終わったらキチンと迎えに来てね」
「ああ、分かった。じゃ、変な人に付いていかないようにな、斧乃木ちゃん」
「それはつまり、鬼いちゃんに付いて行くなってこと?」
「誰が変な人だ」
コツンと頭に拳を食らわせてやる。混乱している童女をよそに、僕は楽屋の方へと足を向かわせた。茶話会も既に終盤であるし、最後を見届けなければならないという謎の使命感に駆られたのである。
そして、その道中、七海とすれ違った。
「──ん、よっ、七海」
「あ。阿良々木くん。お疲れ様、見たよ、花札の試合。勝ててよかったね」
「ああ。──ま、僕一人の功績じゃないんだけどさ」
その言葉に七海は首を傾げるが、特に深い意味はないと僕は言う。
「ところで七海、どこに行くんだ? 特にお前は出番もなかったろう」
「えーっと……、ちょっと、外の風が吸いたくって」
えへへ、と、七海ははにかむ。この笑顔は、久しぶりに見た気がした。最後に見たのはいつだったっけか──ま、覚えてないんだけど。
そうか、と僕は言い、そろそろ終わるから遅れるんじゃないぞと告げ、僕は軽く手を振りながら、あと少しの間しか通うことのない校舎を背に、七海と別れた。