なんとか克服せねば
「行こう」
そう言って、二人の手を引き表舞台へと身を運ぶ。
ただでさえ強く燦々と天に位置する太陽のようなスポットライトが──暗がりから出てきたということもあってだろう──より一層、眩く、僕の眼を刺した。その閃光とも言える衝撃に僕は衝動的に手のひらで視線を遮ったが、会場から降って湧いた激流のように僕らへと注がれる視線や拍手喝采らに応えなければという無意識の義務感から、自ずと目の上にやった手を彼らに向かって軽く振る。しかしそれで眩さが収まるわけもなく、半ば前屈姿勢で歩くという間抜けな格好で登場することになってしまった。
「おーい、兄ちゃーん! もっと背筋伸ばして、シャキッと歩けよー!」
うるせえ。
スポットライトの逆光であまり見えないのだが、やたらと真っ赤な奴が大きく身を振っているのが遠目からでも視認できた。
我が妹ながらにして、なかなかどうして声が大きい……父さんや母さんは一体何をしているのだろうかと嘆息をつくが、月火ちゃんの姿がうかがえないところを見ると、おそらくそっちの方に手を焼いているのだと思える。月火ちゃんは月火ちゃんで、火憐ちゃんとはまた違った危うさがあるからなあ……。
むしろかえって、火憐ちゃんのように大きな声を出すだけで済んだと思った方が良かったのだろうか。
しかして。
気を取り直そう。
取り繕ったようなそれっぽい雰囲気を醸し出しながら、静かに、かつ大人ぶって、僕は中央に構えられたテーブルの席に着く。
僕の座る椅子の他にも二つ、小さな椅子が用意されていた。少々不機嫌気味ではあるものの、忍と斧乃木ちゃんは黙ってそれにちょこんと座った。その非日常感が溢れる高貴なドレス姿もあってか、遠目から見ると、可愛らしい人形のように映ってもおかしくないなと思える。その可愛らしさに思わず手を伸ばしたが、おっといけないとすんでのところで手を引っ込める。
「なにが『すんでのところで手を引っ込める』じゃ。思いっきり触っておるじゃろ」
不満げに言う忍。しかして彼女はきっと喜んでいるはずだ。これはきっと、緊張からくる照れ隠し的なもののはずだ。
「うつつを抜かすな、たわけが。早う儂から手を離せ、後からどう言われようと知らぬぞ」
「怖いこと言うなよ、忍。なにも肋骨を触っているわけじゃあるまいし」
「鎖骨ならセーフみたいな言い方をするでない」
そう言い、忍は気だるく蝿を払うように僕の手を鎖骨から払いのけた。
ケチだなあ、斧乃木ちゃんならパンツ見せてくれるのに。
「鬼いちゃん、まるで僕がパンツを見せたがってる痴女──もとい痴童女みたいに言わないでくれるかな、別に僕は見せたがってるわけじゃないんだよ。ただ鬼いちゃんが見てくるだけで、もしもあの行為が鬼いちゃんの言うところの『見せてくれる』っていう言葉の意の通りなら、世の中性犯罪者なんて生まれてこないと思うんだ」
「まるで僕のやってることが性犯罪だとでも言わんばかりの発言だな。まあ確かに、深夜アニメでもギリギリ、都条例に引っかかるかもしれないくらいのグレーな感じだけど」
「グレー? ああ、純白のパンツと鬼いちゃんの漆黒の罪歴を混ぜてみたんだ。流石だね、いやあ、一本取られたよ」
「そんな自虐ネタで笑いを取ろうとするほど僕は落ちぶれちゃいない」
「ところで、漆黒ってなんだか厨二病っぽくないかな」
「漆黒のパンツ? なんだか蠱惑的な感じがするけど」
僕がそういったところで、この会話は羽川の進行によって中断された。
一度起立し、そして眼前に立つセレスと握手を交わす。その際に一言、
「元気な妹さんですこと」
と、痛い言葉をいただいてしまった……。ふとまた火憐ちゃんらの方に視線を向ける、そこではさっき見た光景と
「兄としては恥ずかしいばかりだよ」
と、恥じらいから背を丸め言った。
そういった、他愛もない社交辞令を交わし、再度席に着く。
それと同時に、厳粛で、かつ重たい空気が会場中へ一斉に広がったような気がした(火憐ちゃんもある程度空気を読んだのだろうか、周りを少し見ては、一際大きな声で『頑張れ兄ちゃん!』と檄を飛ばした後に席へ大人しく? 着席していた。)。
なんだかそれっぽいBGMが流れる。聞いたことのない曲であったが、しかし自然と落ち着く曲調であった。おそらく、僕ら希望ヶ峰学園の生徒たちの先輩にあたる元超高校級の誰かが作曲したものだろう──大抵、こういった行事の際、元在校生からの贈与物のようなものでなにかしら楽曲や食材が提供されることがあるのだ。花村が料理に使用している食材も、元超高校級の漁師であったり野菜農家などの才能を持つ方々から提供してもらったのだと先生から聞いたことがある。
そういうことを思い出し、僕は、後輩たちに何かを残してやれるような人間だろうか──と、途端に不安になった。けれども、そんな気持ちも白い吐息のようにスッと消えていった。
なんにせよ、僕と超高校級のギャンブラーであるセレスとのエキシビションマッチが始まりを告げようとしているのだから。
僕としちゃあ、そっちに気合を入れなきゃならない。
今回の趣旨について、羽川が説明を始める。
「今回、卒業生である阿良々木暦くんと、超高校級のギャンブラーであるセレスティア・ルーデンベルクさんは、皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう花札で勝負をいたします。ルールは簡単。ざっくり説明しますと、手札、場、山札、それぞれの札を用いて猪鹿蝶や五光などの役を作り、総合の文数が多い方が勝ち、というものです。ちなみに文というのはいわゆる点数のことで──」
昔から花札に慣れ親しんできた僕にとって、今更ルールなんて確認するまでもないため(といっても、地域によって決まりごとが異なるゲームなので、自分の知っている花札と違うところはないか片耳で聞きながらだけれども)、暇を持て余していた僕はテーブルの向かい側に座るセレスにちょっかいを出すようにして声をかけた。
「なあ、セレス。お前花札とかってしたことあるのか?」
超高校級のギャンブラーの彼女にとって、それは愚問とも言える問いかけであっただろう。麻雀、ポーカー、ブラックジャック、スロット──果ては丁半博打まで、おそらく、ありとあらゆる賭け事に興じてきたであろうセレスが、日本に昔から伝わる娯楽の一つ花札を今の今まで遊んだことがないということは決してあり得ないだろうからだ。
というか少なくとも、賭け事以外であっても何らかのきっかけで花札のことを知り、そして興味を持ち、一度くらいは遊んでいそうなものである。僕のような人間であれ、家庭的な遊びとして昔から花札と触れ合ってきたのだから。古き良き風習が失われつつある昨今においてもこの法則が通用するかどうかは怪しなところではあるが、しかしてそれでも僕らの世代はギリギリ大丈夫なはずだ。
心の中では知っているだろうと思っている。だというのに、なぜ僕はこのような質問をしたのか。それは、お互いの緊張を解すための簡単なコミュニケーションの一部であると言えばそうであるし、単に疑問に思ったと言えばそうでもある。その僕の頭の中にふつと浮かんできた疑問というものは彼女のその格好によるものなのだが……なんたって、俗に言うゴスロリという洋風な衣装に身を包んだセレスに対し、花札という和風な遊びはあまり似合わないように思えたのだ。
洋的な人物が、和的な遊びに身を投じるはずがない。それが偏見であることに間違いはない、がしかし違和感を感じてしまうのだから仕方がない。けれども僕はマリー・アントワネットが音を立てて味噌汁を啜るような──清少納言がいとをかしとサンドウィッチを頬張るような、そんな違和感を意識下で感じてしまっている。
味噌汁に限っては近似の類が存在していそうなものの、それでもそこに意外性や奇妙さといったものを感じずにはいられない。
そんな、単なる妄想と片付けることができる、偏見による質問を僕は投げかけた。
羽川の説明に熱中していたのだろうか、僕の声に一瞬間身を震わせたセレスは、数秒思い出すような手振りを見せてから、いつもの妖しげな笑みでこう答えた。
「ええ、まあ、そうですね、思い返してみればこの十数年……花札は、してこなかったかもしれません」
「……なっ!? 一度もないのか、本当に?」
「ええ、本当ですよ。私、勝負以外では嘘は付かない真面目主義なので。……まあ、嘘かどうかはあなたに判断を委ねますが」
そう言って、セレスは緩慢な動きで頬杖をつき、再度羽川の説明に耳を傾け初め。
……おいおい、嘘だろう?
まさかの花札初体験と聞いて、僕は困惑したが、……しかし、もしかしてこれは僕を混乱させるための軽い揺さぶりのようなものだったりするのだろうか……? さすが超高校級のギャンブラー……戦いは既にもう始まっていたってわけか……。そういやあいつ、「勝負以外では」なんて言っていたし、今のこの段階がすでに勝負であるというのなら、それはやはり嘘と言えるかもしれない。
しかし、彼女の態度や姿勢から鑑みるに、どうやら本当に今の今まで花札というもので遊んだことがないように見受けられる。はて大丈夫なのだろうかと、途中からグダグダとした泥仕合になりやしないかと、そう、不穏な雰囲気を案じ始めた僕は、ただ座っているだけの忍と斧乃木ちゃんに助けを求めようと後ろを振り向く。
けれども忍は僕を冷たく突き放すように睨みを利かせ、斧乃木ちゃんは感情無さげに虚空を見つめている。
くそう、ロリコンビに助けを乞おうとした僕が間違っていた!
アレはあくまで愛でる対象であり、僕を慰めたり奮起させてくれるような存在ではないのだった!
ううむ、ええい、ままよっ!
ひょっとしたら相手は初心者かもしれない、僕はいったいどうすればいいものかと、そう考えてセレスの表情をチラと伺っては見るものの、アイツはただ笑みを浮かべるばかりであった。
その笑みは揺さぶりに成功したという達成感から来る笑みなのか、それとも適当に返事してたらなんだか相手がたじたじとしていてラッキー! から来ている笑みなのか……。
僕としては、前者であって欲しいのだけど。
というか、企画的にも前者であって欲しいのだけど! 初心者相手に勝っても後ろ指さされるだけだし、負けても戦場ヶ原やらなんやらに嘲笑われるだけだから!
深く考えるだけ無駄だと分かってはいるが、しかし分かることと出来ることには違いがある。これは勝負なのだから、事前に練習やらリサーチをしていなかった相手が悪いと割り切ることができない。
んむむ。
とにかく、だ。
既に羽川による説明も終わっており、じきに勝負が始まるようだ。
なお僕らの会話はマイクで拾われているわけではないため、変に大きな声を出さない限り観客には聞こえない(そもそもそんなに多くをプレイヤーが語るようなゲームじゃない)。そのため、僕ら以外の人間はみな机の上で繰り広げられる戦いを上部に垂らされたスクリーン見るだけだ。
その大画面に映るのは僕らではなく、もちろん台の上だけなので若干迫力に欠けるかもしれないが、まあそう間延びするようなものでもないので飽きはしないはずだ。絵柄だって綺麗だし、人によっちゃその目には新鮮に映るかもしれない。
羽川が僕とセレスに交互に札を配る。
……いつも思うが、こいつ、働きすぎじゃないか?
何か手伝ってやれることがあるならしてやりたいのだが、どれもこれも僕には出来そうにないものばかりなので僕は手伝えずにいて……僕、情けないなあ。
……おほん。
よし、勝負の始まりだ。
僕は手元に配られた八枚の札を重厚な手つきで手に取った。しかとその札に記される意味を捉える。
手札、そして場に並ぶ色彩豊かな季節と景色が描かれた札を眺めながら、僕はどうしたものかと眉間を指で小突く。軽い衝撃が脳に伝わった。
いくらルールをついさっきまで知らなかった……いや、それは嘘なのかもしれないが、しかし例えその話が本当だとしても相手は超高校級のギャンブラーなのだ。勝負のプロ。戦略もさることながら……きっと彼女の持つツキというものは常人レベルではないはずだ。聞けば麻雀という実質的運ゲーでビギナーズラックだけで猛る猛者どもを組み伏せたという。下手に手を抜いてしまえば手痛いしっぺ返しを食らうだということが分からないほど僕も間抜けじゃない。そのため、今回は防衛に回ろうかと考える。
札の乾いた音がやけに響く。
山札を一枚めくり、場におく。
そんな一連の動作を真似るようにして、セレスは場に札を置き、山札から場に一枚を置く──という、いたって普通の、キチンとしたプレイスタイルを反復した。
その行動から読み取れるものなど僕にはなかったが、未知の可能性というものを感じないわけではなかった。そんな気がするだけかもしれないけど、そんな気はするのだ。
力を秘めているようでいて──けれども、普通の一手。
妙に緊張を感じるためか、若干強張ってきた指先を軽く動かし、ゆっくりと場と手札やらを見合わせて値踏みする。
──結局その後、大きな変化がないまま睦月戦は終わり、文の変化はないままであった。
月日は巡り、やや終盤。
取ったり取られたりという攻防戦はあり、魅せるプレイもあったが、結果的には二人の文数に大きな差が生まれることはなかった。
そして僕が山札から札をめくり、それを場の札と共に自分の持ち札に加えた際、ふとセレスが口を開いた。
「阿良々木先輩。一つ、質問があるのですけど」
勝負が始まってからというものの、彼女から僕に対して何か話題を持ちかけるといったことはなかったので、僕は少し驚いてセレスの方に意識を向ける。
セレスは、目線を僕に向けるでなく、場札の方に寄せていた。
「なんだ? 質問って」
「大したことではないのですが……」
表情一つ変えず、セレスは僕に問いを投げかけた。
「その、今更、なんですけど……、後ろの幼女は一体……」
「……あっ、ち、違うんだよっ!」
「違う、なんて言われると、余計に勘繰ってしまうのが人間というものですが」
「いやっ、あのだな。コイツらは親戚の子供っていうかさ」
「へえ、金髪の。海外の方か何かで?」
「そう、らしいんだよ。国際化が進んだ現代じゃあ、あんまり珍しいことじゃないぜ?」
「ふうん……まあ、そういうことにしておきましょう」
僕は心を大いに乱し、冷や汗を流しながら冷静な判断をすることが出来ぬまま曖昧な決断で札を取った。
「……ま、それが嘘であれ本当であれ、私には関係ないのですけど」
落ちてきた横の髪をかきあげて、セレスは言葉を続けた。
「ただ、夕方や深夜零時前付近でよくあるニュースで……貴方の名前と顔は見たくないなと」
「妙にリアルな話をするなっ」
「想像しても見てくださいよ、仮にもそれなりに慣れ親しんだ人を学校で見るでなく、児女誘拐及び監禁で逮捕……なんて銘打った報道でニュースで再び顔を見ることになるなんて……」
「ははっ、冗談が上手いんだな、お前は。普段そういった話を聞かないもんだから、だから僕は少し驚いたよ。でも、僕がそんなことをするような人間に見えるかい?」
「見えます」
即答だった。
瞬答とも言えるかもしれない。
まだ質問が、とセレス。
僕はかいた冷汗を手で拭い、そしてなんだと尋ねる。
今思えば、これは、彼女なりの──いや、なんでもない。
なんでも、ないんだ。
「あなたは、困っている人がいればどんなに無理をしても、どんなに無茶をしてもその人を助ける──と聞きましたが、もし自分の大切な人に酷いことをした人に対しても、助けを求められれば同じことができますか?」
僕は少し、考えたフリをした。
そして、山札から一枚札をめくりながらこう答えた。
「さあ、どうだろうな。僕はそこまで善に貪欲であり続けることはできないと思う。そんなことができるのはきっと……聖母マリアとか、キリストとか、そういう人さ。それに僕は助けることなんてしようとしただけで、できたことがない」
でも。
「被害者のことを大切に思っていたやつに、助けを求めるような加害者なら、そいつはきっと弱いやつなんだろうし、それに僕も馬鹿だから、何も考えずに助けたいと思ったりするんだろうなあ……」
ただ善でありたいだけなんだよ、と、自嘲の言葉をつぶやいた。
「確かにそれは。馬鹿ですわね」
セレスはそう言ったのち、笑顔で場に『柳に蛙』の札を置いた。
「餞別です、受け取ってくださいな」
場に置かれた一枚の札。
その『柳に蛙』を僕が取ったことが決め手となり、僕には多くの得点が入った。
結果、僕とセレスの文数には大きくの差が生まれてしまい、その差は埋まることなく試合は決した。
セレスが手を抜いたというわけではなく、その『柳に蛙』からはあいつだって本気でやっていたと思う。
多くの拍手とともに、僕には花束を贈られ。
そして、対戦相手である超高校級のギャンブラー、セレスティア・ルーデンベルクと握手を交わす。
「お金に困ったら私のところに。どうぞお越しになられてください」
「はは……嫌な予感しかしないな」
「いやですねえ、もう付き合いも二年だというのに、信頼性に欠けるのでしょうか。安心安全ですのに」
僕は、その冗談に軽く笑った。セレスもそれにつられるようにし、ふふ、と笑う。
また今度、機会があれば、花札以外でもいいから遊んでみたいなって。僕は再戦を望むのだった。
※2/24 修正