阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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「……じゃあ、その、頑張ろう。忍に──斧乃木ちゃん」

 

 忍の物質創造能力はとても便利で、その能力を用いて創り出したドレスは極めて高貴さ溢れるものであった。忍自身のセンスというものが大きく影響しているのだろうけれども、それにしたって大変美しく、また可愛らしく、幼い彼女たちの良さというものを最大限に引き出しているように思えた。物質創造能力により創り出したドレスを着用している二人の少女の肩に手をのせる。さっと撫でて見るだけでも触り心地の良いそのドレスは、フリルがふんだんに使われており、スカートは女性的な膨らみを持っていて、黒い生地の上を所狭しと走るフリルとレースは二人の可愛らしさを大人っぽいものに変えているように思える。

 大人可愛いとは。最強か?

 

 普段なら、このような格好をしている二人を見かけたならばすぐにでも抱きしめて、キャッキャウフフ仲良しこよし、青い空が映える草原を駆けて遊びたいところなのだが、今は本番前。緊張のあまりに震える手で、二人の肩を触る程度が僕にとっての精一杯であった。

 

「鬼のおにいちゃん、略して鬼いちゃん。どうしたんだい。まさか、緊張しているのかな?」

 

 相変わらず無表情を貫く斧乃木ちゃんは、僕をからかうように小さな声でそう言った。

 

「ふむ、緊張よのう……儂らがせっかくこのような格好をしてやっておるというのに、緊張のしすぎなんぞで失敗されてしもうたら、うぬのことをどう懲らしめてやろうか……」

 

 かかっ。

 忍は尖った八重歯を見せながらそう笑った。笑い事じゃねえよ。

 僕に対して緊張をねぎらうような言葉をかけるどころか、むしろ煽るように喋る二人にツッコミを入れる元気すら無く、ただ僕は深呼吸にもなっていない溜息を吐くだけであった。

 

 暗幕に遮られ、とても暗いこの舞台裏で二人の格好がよく見えているあたり、僕にはまだ吸血鬼としての後遺症が残っているわけだ。つまりはある程度の人間離れした能力を少しばかり、ほんのちょっぴり所持しているのだから、この緊張を(ほぐ)すような能力(スキル)を保有してはいないものだろうか……。

 

 高鳴る心臓の鼓動を頰に感じる。

 

 さて、心を落ち着かせるために、今一度今日の出来事を振り返ってみようか。

 

 まず、僕は後輩である扇ちゃんと午前中を一緒に過ごしていたのだけれども、いつのまにか彼女はどこかへと消えてしまい不思議に思ったことを曖昧に覚えている。もしかしたら普通にどこかへと行ってしまったのかもしれないから、忽然と消えたというわけではないと思う。

 流石に扇ちゃんも人間なわけだから、そんな怪奇現象みたいなことはありえない。他にも楽屋には生徒がいたわけだし、誰一人として消えた瞬間を見ていないわけだから、やはり普通に出て行ったのだろうか。

 覚えていないなら──所詮はその程度の理由だったということだろう。

 

 ほんの些細なことである。気に留めることでもないだろう。

 

 そしてそのあとは午前中を気ままに一人で過ごし、午後を迎えた。お昼ご飯は超高校級の料理人(本人曰くシェフ)である花村輝々のディナーが振る舞われ、そしてようやく午後の部がスタートした。

 

 僕は午後の部に出番があるのだけれども、しかしそれは後半の方であるため、やはり数時間ほどを一人で過ごすこととなった。不思議と緊張してきてしまったため、暇を持て余すということはなかったのだけれども……。

 

 特に問題もなく茶話会はスムーズに進んで行き、そして今は僕の出番となったのだ。今は、というか、次なのだけれども。ちなみに今舞台に出ているのは澪田(ミオダ)舞園(マイゾノ)で、ヘヴィメタと国民的アイドルの劇的な組み合わせ……だとか。天才のすることはよく分からない、いつだって前衛的だ。

 舞台裏にいる今も、面の方からは阿鼻叫喚地獄のような音と、まさに今時というようなアイドルらしい(実際アイドル)音が交互に流れて来ていて、なかなかどうして混沌とした光景が繰り広げられているのだろうということが容易く想像できた。

 この後に出なきゃいけないのか……なんかやだなあ。

 

「……はあ、大丈夫かな」

 

 と、僕は悩ましく口を歪め俯きながら言った。

 すると忍は、ふてぶてしい態度をとりながら「何を今更弱気になっておる。お主らしくないぞ、しっかりと自信を持て」と言った。

 

「ああ、分かってはいるんだがな……緊張するときはどうしたってきんちょうしてしまうものだぜ?」

「ほおう、緊張よのう……さっき儂らに頑張ろうなどと声をかけておったのは、一体誰か? これじゃと、逆にうぬが頑張れと言われる立場ではないか」

 

 忍は溜息がちにそう言えば、カツリと靴音を鳴らし、着慣れていないドレスのスカートの裾を指でつまみながらこちらへとおぼつかない足取りで歩いてくる。昔はよくこういった衣装を着ていたのだろうが(春休みなんかは特に)、あれから一年以上はワンピースなどのラフな格好をしていたものだから忘れてしまったのだろうか。体が覚えていそうなものだけど、忍は案外そういうところが抜けている。

 しかしはてなんだろうと、首を傾げている僕を横目に、おもむろに僕の腰元へと手を持ってきたかと思えば。強く激しく、表に聞こえてしまいかねないほど大きな音が出るほどに、強く僕の尻を叩いた。

 

「い……っ! なにすんだ!」

 

 根性で声を抑えながらも、その突然の出来事に僕は目を白黒とさせる。小さく忍に叱責を飛ばすと「緊張には痛みが良いと聞いてのう、どうじゃ? 緊張は解けたかの?」と、僕を叩いたことなど、どこ吹く風と言いたげなすました顔で忍は言った。

 

「大して変わらねえよ、緊張しっぱなしだ……っ!」

 

 僕はそう言い返したが、忍は何も言うことなく斧乃木ちゃんの方へと戻り、椅子に腰をかけた。少しイラっときたため、そちらに寄って話を続けようかと思い足を一歩踏み出す。しかしその時気付かされた。

 

「……」

 

 さっきよか緊張が解けたような──緊張感を忘れたと言うわけではないし、今も僕は心臓が強く鼓動を繰り返しているのだけれども、だけどもそれでもさっきと比べれば幾分かマシになっている気がした。いつものようなテンションで、忍と話したからだろうか──。

 ふと忍の顔を見ると、こちらをドヤ顔で見つめていた。

 

 くそう、なんだかまたイライラしてきたぞ。

 

 しかし、緊張が少しとは言えども解けたのは事実であり、忍のことはこれ以上叱るに叱れない。どうしたものかと頭の中で考える。そしてその結論が出る前に、僕は誰かからか声をかけられた。

 

「……阿良々木くん、あなたのそういう趣味について今はなにも話さないとして、どう? 調子はいかが?」

 

 戦場ヶ原が僕のことを冷たい目で見ながらそう言った。

 なぜ冷たい目で見られているのか──戦場ヶ原がチラチラと見る目線の先を辿ってみれば、そこにはドレスを着た忍と斧乃木ちゃんがいるわけで、あらぬ誤解を生んでいるのだろうということは火を見るよりも明らかであった。

 

「戦場ヶ原、これは誤解だからなにも心配しなくっていいよ」

「隠さなくってもいいのに、まあ今更どうこう言おうったって、ツイッターで拡散済みだけどね」

「なんだとっ!」

「阿良々木くん、(わら)

「消せっ、すぐに消せ!」

 

 僕が必死になっている姿を見て、戦場ヶ原は笑った。

 

「嘘に決まっているじゃない。私がツイッターなんてやってると思う?」

「ああ……、まあ、それならいいんだ」

「インスタグラムはしてるけどね」

「消せっ!」

 

 閑話休題。

 

「で、どうなの?」

「……まあ、緊張はしているが、これからの出番に支障が出るようなものじゃないさ」

「そう、なら良いんだけど。それならせいぜい、袖から出てくる際に何もないところで(つまず)いて失笑を買うだけね」

「嫌な予想をするな、案外当たりそうで怖い」

「期待してるわ」

 

 そう素っ気なく言えば、戦場ヶ原はくるりと後ろを向いて出口の方へと向かっていった。曲がり角の付近で一度こちらをくるりと振り返り、一言僕に言葉を伝える。

 

「頑張ってね」

「ああ、任せてくれ」

 

 角を曲がった先に戦場ヶ原は消えていった。僕はそれを見届けた後、後方にいる忍の斧乃木ちゃんの方へと向き、彼女たちに近寄る。

 

 そのあと二人の間に割り込んで、頭を撫でた。とても柔らかな感触強く手のひらに焼きついた。そして同時に、勇気が湧いてきた。

 

「……」

「──かかっ」

「……ふは」

 

 口元が少しほころんだところで、突如開かれた暗幕の隙間から激しい光が差し込む。眩しさにその光を手で遮れば、その手のひらの向こう側から澪田と舞園の声が聞こえた。

 

「ちーっす! こよみん、頑張るっすよーっ!」

「あ。阿良々木先輩、頑張ってくださいね!」

 

 手を退けてそちらをみれば、若干汗ばんで火照っている二人が興奮気味にそう言っていた。

 

「ああ、頑張るよ。セレスのやつにも声をかけてやってくれ」

 

 微笑みながら彼女らに伝えると、二人は分かったという旨を言ったのちに奥の方へと消えていった。

 

 舞台は一度照明が落ち、次のイベントの準備に差し掛かる。

 いよいよ僕の出番だ。

 

 僕は固唾をのんで、その時を待った。


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