僕が出演する演目は午後の部にて行われるため、午前の部の時間帯では、僕はみんなの活躍をモニター越しで見守るしかなかった。それも一人で、である。
羽川は挨拶を終えて戻ってきたかと思えば「みんなに声かけしてくるね、緊張してるだろうし」と、舞台の暗幕裏の方へと足早に向かってしまい。戦場ヶ原は戦場ヶ原で、神原と先輩後輩水入らずといった具合に楽しく会話に花を咲かせていたため、なんだかその輪に入りづらかった。
言えばその輪に僕を入れてくれるのだろうけれど、しかし、どうしたって躊躇いが生じた。
忍や斧乃木ちゃんをここに呼ぶというのはいささか人の目が気になるし、かといってわざわざ楽屋の外に出てまで話すこともないだろう。──それに、江ノ島みたいに外にいるやつが少なからずともいるようだから、外だって安全とは限らない。
見られることに何かやましさを感じているわけではないものの、しかし周囲からの目線が明らかにおかしなものになってしまうことは理解していたため、なるべく避けたいという思いがあった。
僕は一人で退屈を噛み締めつつ、ぼんやりと大きなモニターを眺める。その画面の向こう側では、超高校級のメカニックである左右田和一が自分で作成したというロボットを披露していた。爆発しなければいいがと思った。一度あいつに触らせてもらった機械が爆発したのは、今となってはある意味良い思い出である。
午前の部は十二時半に終わり、そこから花村の料理がおよそ一時間ほど振舞われる。その間も超高校級の才能を持つ生徒たちがちょっとした特技であったり隠し芸など、一発芸大会のようなものを壇上の上で催しており、その際には会場が沸くこともあれば静まり返ることもあった。後者の方についてはあまり深く言及しないでおくことにしよう。
そして、そのあと一時半からは午後の部が始まる。ちなみに僕は午後の部でも後半の方が出番であり、それは午後五時半と日が暮れ始める時間帯なのだ。夏頃であればまだ明るい時間帯ではあるものの、しかし冬ともなれば簡単に日は没する。
それから、七時以降のディナーショーを挟んで会場に超高校級の生徒全員を呼び込み、各々が挨拶をした後に三年生に向けて一、二年生からの歌や言葉、ムービーなどを贈る時間が訪れる。
僕は毎年、茶話会というものに参加してこなかったため、それらがどのようなものかというのは少し楽しみだったりする。神原がなにかやらかしてしまわないだろうかと、既にもう胃が痛いが……。
腕時計の時間を見ると今は十時。昼までまだ二時間半以上あると思うとやっぱり──「……一人か」
ガヤガヤと賑わう楽屋の中で、ポツンと椅子に座りながらそう呟いた。
いやまあ、あれだぜ? 僕という人間は元々元来一人を好むような人間なわけだし、一年前は友達を作ると人間強度が下がるだなんて呪文のように心の中で唱え誰かと一緒にいるなんてことは無かったわけだから、孤独というものには既にほとほと慣れきっているし、別に寂しいとかは思わないのだけれどもさ。いや、なんだ? なんて言ったらいいんだろう。うーむ、謎だな。きっとこれはなんらかのSCPによる影響を受けている可能性が……。
「寂しい時は寂しいと言った方がいいんじゃないですか? 阿良々木先輩。自分を騙すということは、あまり良くないですよ。それに──自分を騙すことは人を騙すより難しいんですから、人を騙すことすらできないあなたに自分を騙すなんて大それたことは出来ませんよ」
ぱさり、と僕の胸元に女子生徒の制服の裾が落ちる。そして、僕に向けられた侮辱とも取れる意味合いを含められているであろう人を嘲笑うような声とともに、自分の背中に人の体温、体重を感じた。
どうやら僕は、彼女に後ろから抱きつかれているという形になっているらしい。
彼女の姿を視界に捉えるため首を曲げて後ろを振り向こうとすると「先輩たちが頑張って壇上に立ってるんですから。いくら大好きな後輩の顔を見たいとはいえ、今はモニターに目線を向けてください。阿良々木先輩」と、無理やり顔の向きを前へと向けさせられてしまった。
「……どういうつもりだ? 扇ちゃん」
「どうもこうも、どうもしませんよ、阿良々木先輩。私はこうしたいからこうしてるだけです。それともどうにかして欲しいですか?」
きっと扇ちゃんは笑みを浮かべているのだろうなと安易に想像できた。
忍野扇。希望ヶ峰学園七十九期生であり、僕の後輩、一年生だ。
本人曰く超高校級のフィールドワーカー。
本人曰く忍野メメの姪。
本人曰くほどよい胸。
扇ちゃんの瞳は光と闇を吸収し無にすら帰させないような黒く底知れない色をしていて、その瞳で見つめられると僕は不思議な気持ちになる。何故だろうか、分からない。けどその理由は別に大したことじゃないのだろう。
気のせいだとか、たまたまだとか、そんなどうでもいい理由なのだろう。
ともかく、彼女は僕にとってそれだけで、彼女も僕に対して出す情報はそれだけであった。
「……扇ちゃん。君はなにかするのかい?」
僕は前を向きながら言った。
「そうですねえ、超高校級のフィールドワーカーという才能を生かして人の手伝いをしましたよー。私は主役を張れるほど派手な才能ではないので、表舞台には出たくても出れません。……それに比べて、阿良々木先輩は主役じゃないですか。凄いですねえ。かの有名なあの超高校級のギャンブラーとのエキシビションマッチなんでしょう?」
扇ちゃんはいつものお気楽な口調でそう言った。
「フィールドワーカーってのがなにかよく知らないが、扇ちゃんもやればできると思うんだがな……。いや、たいして凄くはないよ。それに、勝てるかどうかも分からないしさ……」
僕がそう言うと、すると、扇ちゃんが少し黙ってしまった。フィールドワーカーについてあまりよく知らないと言ったことで気分に害してしまったのだろうかと思い。「そ、そうだ。今度フィールドワークってやつに連れて行ってくれよ。百聞は一見にしかずっていうしさ、僕は話を聞くより直接行った方がよく分かる気がする」と、早口で取り繕ったような言葉を並べた。
「そうですか? 阿良々木先輩ができるとは到底思えませんが……まあ、私やあなたとでフィールドワークができるような未来が来ればいいんですけどねえ」
世の中そう上手くいかないものです、と扇ちゃん。
「……それは、どういう意味だ? 扇ちゃん」
「意味もなにもないですよ。もう何にもありませんし、どうでもないです。ちょっと話し過ぎちゃいましたかね……、ま、今更どうもできないですし。あなたには関係のないことですよ、阿良々木先輩。女の子のじじょーに男子が口を突っ込むのは無粋ですよ」
そう言われてもと、僕は言葉を続けようとするが、すんでのところで唇を扇ちゃんの指で押さえられた。優しく、ピトリと。
「うわっ」
驚きのあまり飛び退きそうになり、反射的に扇ちゃんの手を払いのける。
「酷いですねえ」
全くもって悲壮感を感じられない口調で扇ちゃんは言った。そしてこう続ける。
「ささ、早くモニターに映る先輩たちの姿を見ましょう。阿良々木先輩は今まで茶話会に参加したことがないと聞きましたよ? だったら、楽しまないと損じゃないですか?」
「あれ、扇ちゃんにそのこと言ったっけ。僕が一、二年生の頃、茶話会に参加してないって話」
「言ってましたよ。ええ、あなたはその口で言っていましたとも。いつのことだったかはさておき、私に話してくれたじゃないですか」
そうか、扇ちゃんが言うならきっと、そうなんだろう。
扇ちゃんの顔を拝むということはもう半ば諦めに入っていて、僕はされるがままに彼女に身を任されていた。
しかしそれで自分の心の寂しさが埋まるというわけではなく、扇ちゃんが来る前とあまり変わりがないように思えた。扇ちゃんじゃ満足できないとか、そういうことじゃないんだけれども──なぜだろうか。とんと不思議だ。まるで独り言を呟いているような──。
「そういえば阿良々木先輩」
「なんだい? 扇ちゃん」
「例の札、千石撫子に預けていると聞きましたが──大丈夫なんですか?」
「……なんで知ってるんだ? 流石にそのことを君に言った覚えはないぞ」
僕は首を傾げ、不審に思う感情を露骨に表情に出した。すると扇ちゃんは、「やだなあ、阿良々木先輩。前に言ってたじゃないですか。忘れちゃったんですか? 悲しいなあ、私との会話内容を忘れちゃうだなんて」と、これまたお気楽な口調で言う。
「そうだったっけか……、まあ君がそう言うならそうなんだろう。変に疑って悪かったよ。──ああ、あの札は千石に預けている。僕は今凄く狭いアパートに住んでるから収納するところが無くってな。仮に金庫があったとしても、ボロアパートだから金庫ごと人に盗られかねない。それなら、千石とか、僕からとても遠い場所にいるやつに預けた方が逆に安全なんじゃないかと思ってさ」
「ふうん……そうなんですか」
あまり興味がないご様子で、その話に関しての言葉のまぐわいはそれっきりだった。
「いやまあそれはそれでいいんですけど、本題に入るとですね。さっきから私の胸が阿良々木先輩の背中に当たってるんですけどツッコミ無しですか?」
と扇ちゃんは言う。
……えっ、胸が当たってるのかっ?!
僕は全くもってそんな感触を感じなかった背中に意識を集中させる。そして慌てふためく僕を見て扇ちゃんは声を押し殺すように笑った。
「……あー、僕をからかったんだな」
僕は少し怒りを込めた口調で言う。すると扇ちゃんは。
「……いえ、本当ですけどね。あーあ、やっぱり阿良々木先輩は巨乳派なんだー。変態なんだー。私のこのほどよい胸なんて興味がないんだー」
と、他のみんなに聞こえかねない大きさの声で言った。
別にやらしい気持ちはなかったのだが、これはマズイと僕は扇ちゃんの口を急いで抑える。その手を彼女はゆっくりと腕でどかし、ニンマリと深みのある笑みを浮かべて「愚かですねえ」と僕を嘲った。