阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 そしてその夜。

 僕は物理的に狭い思いをしながら机の隣で寝そべっていた。狭い思いをする理由が物でごった返していて片付けを怠っているなどということでは断じてなく。理由としては、ただ単純に部屋面積が狭いからというものであった。しかしまあ、物が少なく整理整頓が行き届いているかと聞かれれば首を縦には振れないが。

 そんな狭い部屋で一人、僕は興味があるわけでもないテレビを心に寂しさを秘めつつ眺めていた。

 

 自分は物が多ければ整理したり捨てることができる人間だと思う。潔癖というわけではないけれども、それなりに日頃から掃除はするのだ。整理整頓はもちろん当然のこと、部屋の中はかなりあっさりもしている。あっさりとはしているが、綺麗とまではいかない。やはり生活をして行く中で物は多くなってしまうものだ。

 

 いくら狭いと言っても物でごった返しているわけではないので、それなりに寝ころぶことは出来るし、頑張れば前転や後転などのマット運動も可能である。……ま、そんな体育の授業でやるようなことをこのボロい骨董アパートでしてしまえば、建物全体に音が響いてしまい近所の方に迷惑をかけてしまうため、それは(はばか)られるのだが。

 近所付き合いはしないが、知らないところで嫌われるのは勘弁だ。

 

 ただ悪戯(いたずら)に時間をもてあそんでいると、「ピロリン」という軽快で安っぽい音とともに、卓袱台(ちゃぶだい)の上に置きっぱなしにしてあった携帯電話が明るく点滅した。

 

 はて、誰だろう。

 もしや、また僕の妹が何かをやらかしでもしてメールを寄越してきたのだろうか。そんな、面倒だなという気持ちと不安になる気持ちがまざりつつも、やはり面倒だなあと心に倦怠感を覚える。

 ま、電話ではなくメールということはそこまで切羽詰まってはいないらしい。

 

 というか、火憐(カレン)ちゃんってメール打てるんだな。

 いや、流石に打てるか。あれでもあいつは女子中学生なわけだし、メールの一つもロクに打てないようじゃ友達付き合いもままならないだろうからな。

 

 なんてことを思いながら上体を起こして携帯電話を手に取り、受信したメールを開く。

 予想通りというか、案の定というか。予測出来たことだろうけれども浮かんでこなかった人物からのメールだ。

 ……クラスメイトである七海からだった。そういえば放課後にメールアドレス交換したんだっけか、今日のことだというのにすっかり忘れていた。

 ……しかし、何の用だろう。

 

 七海と放課後、どのような内容の会話交わしたのかをまるっきり忘れてしまっていたのでどうしたものかと頭を悩ませたが、メールを読めば思い出すだろうと、それを開いた。

 

 内容はこうだ。

 

『阿良々木くんへ。

『こんばんは。夜分遅くにごめんね、明日の放課後の話なんだけど、よく考えたら阿良々木くんの事情とか聞いてなかったなって思ってさ。

『だから、何か不都合があれば都合は合わせるから教えて欲しいって思ったんだけど、予定とか大丈夫かな?

『何か不都合があれば教えてね』

 

 ……ああ、そうだったそうだった。今日の帰りしなに、明日話をしようどうこうの約束を七海に取り付けられたんだっけ。強要されたわけでもなく、弱みを握られていたわけでもなかったから、取り付けられたという言い方は、ただ口が悪いが。

 

 ああそうだ。それに同意をしたのは自分なわけで、自分の意思に基づいての約束なのだが──しかし、あの状況で断るということは並大抵の人間では不可能だろう。僕としてもやむなしという感じだったし。

 断れる人は、それこそとっても忙しくってスケジュールが空いていないか、さほど必要性を感じられないといけないだろう。

 

 ま、どうせ先生からの印象稼ぎだろうから、適当にあしらい、変な空気に持っていって、自然解散という形で明日は終わらせるとしようか。七海には悪いが、僕は別に友達なんていらないしクラスの輪に溶け込むつもりもないんだ。

 

 お仲間同士の馴れ合いは僕のいないところでしてほしい。

 孤独を愛し一人を好むこの僕を巻き込まないでほしい。

 

 しかし、そんな風に思ったところで僕の心にわだかまりが残る一方だった。果たして、本音はいったいどうなのだろうか。

 本音──そもそもそんなもの、存在するのか?

 

 天井を見ながらそんな事を考える。

 年季の入ったアパートの天井についたシミが、僕を嘲笑っているように見えた。

 

 携帯電話の人工的な明かりに目を差し向け、メールの返信を打ち込む。

 ──明日、なにかしらの予定はあったっけと、一応念のため、ToDoリストに目を通す。忘れっぽいところがたまにあるので、用心は重ねておきたい。なんでも杞憂に終われば良いのだ。

 ……想像通り、清々しいほどに真っ白であった。ここまで白いとこのままの白い状態を保っておきたいという気持ちがないわけではない。白いシーツは気分がいいし、また白いToDoリストも気分がいいだろう。……悲しいがな。

 

『こんばんは、七海。

『珍しいことに、明日は予定がないからなんら問題ないよ。

『だから明日の放課後で別に構やしないが、集合場所とかってもう決まっているか?』

 

 虚勢を含めた文章。

 無駄な意地。

 

 メールを打つのは得意じゃない。

 そもそも携帯電話だなんてたいして触らないし、使い道がせいぜい電話とメールだけという本来の携帯電話と手紙の根本的な機能しか使っていないのだ。……携帯電話の意味。

 いやっ、そもそも携帯電話のゲームだとか検索機能なんかはそっと添えてあるような機能であり、僕が利用している機能こそが本質的根本的な機能なのだ。

 携帯電話はゲーム機でなければカメラでもない。ましてや電子辞書でもなければ思ったことを書き連ねるものでもない。本来は連絡ツールとして開発されたものなのだから。

 

 ……いやしかし、メールだってそう頻繁にはしないし、電話だって自慢話、武勇伝をいやいや聞かされるくらいで自分から誰かにかけることは滅多にない。

 携帯電話を持つ意味がないんじゃないか、月額料金を払うだけで無駄なんじゃないかとすら思えてくる時がある。

 

 ……おいおい、駄目だな。連絡ツールとして開発された携帯電話の本質的根本的な機能すら使えてないぞ。僕。

 

 それでも携帯電話を解約しないのは現代人としての意地だろう。

 文明の利器を扱えない奴に携帯電話で張れる意地なんて存在しないし、よく考えれば張る意味も必要性もないのだが、期せずして今回はこの携帯電話が役に立つことになったので、少し嬉しかったりもする。役に立ったかどうかはまだ分からないが、とりあえず役に立ったということにしておきたい。

 

 ともかく、画面とにらめっこをしながら打ち込んだ文章を送信し、謎の達成感を感じては、風呂にでも入ろうかとお風呂セットを片手に持ち銭湯に向かわんと意気揚々、立ち上がる。すると、またもや携帯電話からピロリンという軽快な安っぽい着信音が鳴った。

 

「…………」

 

 返信のあまりの早さに、実は僕はどこからか監視されていて向こう側に返信のタイミングが筒抜けだったんじゃないかと、物が少ない──良い風に言うなら慎ましい純日本人の性格を体で表したような部屋。はっきりと言ってしまえば殺風景な──部屋を慌てて見回す。しかし、それらしい監視カメラだったり盗聴器であったり、覗き穴はなかった。……というか、そもそもこの部屋には誰も招き入れたことがないわけだし、その可能性はサラサラないわけで、返信が早いというのもたまたま七海が携帯電話をいじってる最中だったからだろう。

 

 一旦お風呂セットを置き、腰を落ち着かせる。

 機種変したばかりで傷ひとつないそれのロックを外しメールボックスを開く。

 

『よかった。阿良々木くん、もう寝てたらどうしようと思ってたよ。安心安心。

『そっか、珍しくね。ありがとう。

『えーっと、集合場所は玄関ホールでいいかな?変に知らないところより知ってるところの方がいいし。

『明日はよろしくね』

 

 素朴に了解という旨の返信を送ってから、僕は銭湯に向かった。

 

 外の寒さが身にしみるようだった。


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