「で、うぬはアホ面でぬけぬけと帰って来おったと」
「アホ面ってなんだ、ぬけぬけも。やめろ」
今僕は、ドーナツではなくサンドイッチを頬張りながらこの狭い部屋のかなりの面積を図々しくも占領している金髪金眼の幼女と対面しているわけで、今日会ったことを問いただされている途中だ。特に何か僕が悪いことをしたというわけじゃないのだが、まるで尋問をするかのような寛大なる威圧をその幼女はかけてくる。
伝説の吸血鬼の成れの果て。
鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼。キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの搾りかす。
怪異の王とまで呼ばれた彼女も、今となってはこの通りである。長くすらりとした脚も、小さくて柔らかみのあるものへと変わっており、芯が強かった線も今となってはか細いものへと変わってしまっている。スレンダーであった当時の体型からは到底想像できないほどのロリータ体型になってしまっており、力強く抱きしめてしまえばそれだけで体が潰れてしまいそうなイメージがある。
そんな彼女とは──幼女とは、去年の春休み。僕が高校二年生から三年生に上がる節目に出会ったのだ。
地獄のような春休み。
否、まさしく地獄だったのだろう。あの廃塾跡は、僕が憧れていた私立直江津高校のグラウンドは地獄と呼ぶにふさわしかった。
忍野忍。
それが、彼女の名前である。
「はん、それならドーナツくらい買ってこれたろうに……まったく、我が主人様はなにを考えていたのやら」
「悪かったって言ってるだろ……機嫌を損ねるなって」
先の春休みの一件からおよそ数ヶ月間、忍とは口を開かない対抗状態が続いていたのだが、一度こうして仲良くなっておしゃべりをするような間柄になってしまえば、また断交状態になってしまうことはなんとしても避けたいことなのだ。
心にくる。
「ま。このサンドウィッチはなかなか美味であったし、今回はお咎めなしとしておいてやるかの」
指についたマヨネーズを舐めながら、彼女は言う。
もう眠いのだろうか。目は半開きで時折大きなあくびをする。
「むにゃむにゃ」
「寝るな。まだ話は終わってないぜ」
つうか、まだ夜だぜ? やっと夜だぜ?
いくら吸血鬼から成れ果てたとはいえ、さすがにこうなってしまえば吸血鬼の面影なんて口元で光る鋭く尖った歯くらいしかない。
「儂は寝ることすら許されぬというのか……」
「悲劇のヒロインみたいに嘆くな。サンドウィッチやったんだからそれなりの働きをしろ」
「ドーナツじゃないというのにかの?」
「食ったろ、サンドウィッチ」
「ぐう」
わざとらしく媚びるような態度を忍はする。しかし、それに惑わされ騙されるほど僕もやわな男じゃないのだ。
「そんな目をしても僕は見逃さないぜ」
「けちけち、そんなんじゃからうぬは身長が低い」
「関係ないだろ!」
気にしてるんだよ! 低身長は! コンプレックスなんだ!
やれやれ、と仕方がないといった風体を醸しながら忍は立ち上がる。
ん、そういえば今日は斧乃木ちゃんいないみたいだな。珍しい。どうりで忍がこうも大胆に外に居られるわけだ。──いや、忍がこうして外に出ているから、斧乃木ちゃんはいないのか?
忍と斧乃木ちゃんは仲が悪いと言うか、決していい方ではない関係性なのだけれども、忍がこうして外に出ている際。斧乃木ちゃんは大抵近くの公園で遊ぶなり散歩するなりして時間を潰している。この前なんかも学校の用事で帰りが遅くなってしまった時に近くの公園で一人寂しくシーソーで遊んでいる斧乃木ちゃんを見かけたものだ(その後めちゃくちゃ一緒に遊んだ)
「で、儂はなにをすれば良い?」
「ええっとだな。ほら、僕って後1ヶ月もしたら高校卒業だろ?」
「ふうん、もうそのような歳になったのか……ふぁああ。時の流れも、早いものじゃのう」
「まあ、な。そこでだ、僕は今度茶話会ってやつに参加するんだけど、忍。ちょっとお前も手伝ってくれないか?」
「ほおう、手伝う。この儂がか」
「ああ」
それからおよそ30分に渡って、忍が茶話会でなにをすればいいのかの説明をした。事細かなことは無理なので、大まかな予定を[忍にしか出来ないこと]という言葉を用いてだ。
その間忍はうたた寝することなく真面目に聞いてくれた。やはり僕の卒業というのを少しでも考慮してくれているらしく、そこはそこで僕思いなところもあるんだなと少し可愛く思えた。
「うむ、承諾した。その──茶話会とやらはいつじゃ?」
「あと、一週間くらいかな」
「結構近いのう……もう少し早う言ってくれても良かったじゃろうに」
「ぐ、仕方ないだろ。さっき思いついたんだ」
「さっき……突発的にもほどがあるじゃろ」
そんなことを言いつつ、なんやかんやで承諾してくれる忍はやっぱり忍だな。不思議とそう思えた。
「それじゃあ、よろしく頼むぜ」
「うむ、了解した」
話にひと段落がつき、忍も眠いと僕の影に入ろうとした瞬間。部屋のドアが大きく開いた。
「あ」
その扉の間から垣間見えたのは斧乃木ちゃんであったが、その視線を辿ってみると忍と目があってしまったらしく、アパート全体に響き渡るほど力強く扉を閉めていった。
やはりこの骨董アパートとも老朽化が進んでしまっているのだろうか、どうも不気味な嫌な音がしたが──目をつむるというか、耳を閉じておこう。
僕はなにも見てないし、なにも知らない。
「…………」
「…………」
イレギュラーな介入によってしばし沈黙が生まれたものの、もう寝ると言い残し忍は影の中へと消えていった。あいつ、いっつも寝てるけど……大丈夫か?一抹の不安を抱えながらも忍が影の中に入ったことを確認してから僕は立ち上がり玄関の扉に手をかける。
「……斧乃木ちゃーん……」
案の定、斧乃木ちゃんは部屋の前で体育座りをして待機中だった。最初の頃、追いかけようと僕が外に出た時は柵を飛び越え遥か彼方まで走っていっていたものだけれども、最近はこうして人形のように座っている。汚れてしまうだろうから洗濯してあげると言っているのだけれども、いつも頑なに断られてしまうが──やはり、思春期なのだろうか。ちゃんと洗ってるっぽいからいいんだけど。
「やあ、鬼のお兄ちゃん。略して鬼いちゃん」
「略すな」
「かのキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードさんはお休み中かな」
斧乃木ちゃんは無表情かつ無感情な声のため、今彼女が恐怖に打ちひしがれているのか、それともふざけているのかは不明だが、やけに丁寧な物言いであった。
「寝てるよ、多分。さっき影の中に入ったし」
「多分ってなんだい。多分って、もっと確定的な情報が欲しいな」
「知るかよ……」
とりあえず入れ、と部屋に招き入れる。
斧乃木ちゃんは死体人形な訳で、死体なわけで、寒い環境の方が腐りにくくっていいかもしれないと考えてはいたのだが──どうやらそうではないらしかった。まあ、アイスの差し入れは今もなお続いているのだが。
斧乃木ちゃんは器用にふりふりのスカートの裾をたくし上げ正座で座り込む。ご飯は必要ないと思うのだけれども、図々しくも戸棚からお茶碗とお箸を取り出しては行儀が悪いことにお茶碗にお箸を当てた音を鳴らし始めた。
「鬼いちゃん。ごはん」
「飯を食おうとするな。ねえよ」
「えー、白米白米」
「そんな洋風の服着といてご飯って……サンドウィッチ食えサンドウィッチ」
さっき忍が食べていたサンドウィッチのあまりを斧乃木ちゃんに押し付ける。残念そうにため息をついては食器棚にお茶碗とお箸をなおしてから小さくサンドウィッチを頬張り始めた。
「で、鬼いちゃん。僕になにか言うことはないのかい?」
「……言うこと?」
何か悪いことしたっけか。
心当たりがない。
「いや、ほら。さっき忍姉さんに茶話会のオファーを出してたじゃないか。僕にはないのかって聞いてるんだよ」
「お前いつから聞いてた!」
「忍姉さんがこのサンドウィッチ食べてたところから」
「最初からじゃねえかよ!」
はあ、とため息を一つついてから、僕が口を開く。
「まあ、どうしてもって言うならないわけじゃないが……忍に頼らねえといけないぜ?」
「む、忍姉さんにかい?」
「ああ、斧乃木ちゃんが忍に」
「えー。鬼いちゃんが頼んでよー」
面倒くさそうに斧乃木ちゃんは言うが、さすがにそこまで面倒は見きれないので結果的に斧乃木ちゃんが忍に頼み込むということで話はついた。
二人は仲が悪いが、まあドーナツでも差し入れればなんとかなるだろうと助言しておいたから、失敗することがあればそれはきっと斧乃木ちゃん側の失態が原因だろう。
今日は久しぶりに斧乃木ちゃんと一緒の布団で寝た。
とても、冷たかった。