その喫茶店は、やはり僕が一年前にも七海と来たところらしかった。
このような都心ともなると、オシャレな喫茶店なんてものはゴロゴロとあるわけで、ただ単に外見や雰囲気が似ているだけという可能性も捨てきれないわけだから、直感だけでここが一年前に来たところだ、と断定するのは証拠不足極まりなかったのだけれども、羽川が「ここ、一年くらい前に七海さんと阿良々木くんがいたんだよね。七海さん寝ちゃってて……大変だったなあ」、なんて、懐かしそうに過去を振り返って言っていたため、おそらく僕の記憶に残っているあの店であると思われる。
特に思い入れもないし、入店したのはあれっきり一度もなかったため、特に何も考えず適当に店内を見渡した後にコーヒーとケーキを注文し三人でテーブルを囲んだ。やはり女子はスイーツが好きなのだろうか。二人はかなり真剣な顔つきでメニュー表を見ていたと思う。値段か名前、どちらとにらめっこをしていたのかは露知らずだが。
「で、戦場ヶ原と羽川は、一体何やってるんだよ」
やや身を乗り出す形でそう切り出す。
すると戦場ヶ原が鬱陶しそうに眉を細めながら言葉を発した。
「内緒って言ってるじゃない。しつこい男は嫌われるわよ」
「そうだよ。嫌う原因には個人差があって、時と場合によるからみんながみんな嫌うかっていうと一概にそうとは言えないけど、でもしつこいよ、阿良々木くん」
「……ちぇっ、いいじゃねえか。教えてくれてもさ、僕とお前らの仲だろ?」
「雲と泥じゃない」
「僕らの間には雲泥の差があるってのか!」
こいつ何様なんだ?
「戦場ヶ原ひたぎ様、です。崇め敬い崇拝して私のために命を賭して働いてくれてもいいのよ。ちなみに、あなたに拒否権はないわ」
「心の中を読むな! お前はエスパーか何かか? つうか、自分で自分のことを様付けで呼ぶって……かなり痛いというか、目を当てられないっていうか。それと! 拒否権どうこうは僕が拒否してからいうもんだろ!」
僕が拒否しても言って欲しくはないのだが。
「まあまあ。阿良々木くんに、戦場ヶ原さん。ケーキ来たし食べようよ」
やや慌て気味に僕らの間に入って来た羽川は、ずいっとケーキが乗った白い皿をこちらに押し出してくる。ちなみに、僕が頼んだのはチーズケーキだ。それを口に運びながら、話を続ける。
「お前らって、いっつもこんなことしてるのか?」
「こんなことって、なに? 阿良々木くんの悪口のことなら、まさしくその通りだけど」
「聞きたくなかった……。いや、いつも喫茶店とか来てるのかなって思ってさ」
「ああ、そういうこと」
戦場ヶ原は少しだけ紅茶を口に含み、いちごのタルトを食べる。羽川は羽川で、話を聞きながらショートケーキのイチゴを食べていた。
「まあそうね。この喫茶店自体は来るのが初めてだけど、羽川さんとは休日に色々と出かけたりするわ。今日みたいに、放課後二人でっていうのは、休日と比べたら珍しいんだけど」
「ふーん」
コーヒーに大量の砂糖とミルクを投入しそれを飲むと、羽川から体に悪いよとのご指摘を受けてしまった。飲むのに少しためらいを覚えたが、入れてしまったものは仕方がないと心配そうな羽川を横目に甘いコーヒーを飲む。
「そういう阿良々木くんは、なにやってるの? 休日」
「僕か? 僕はだな……」
休日はなにをしてたっけか。特に記憶に残らないようなことをしていたような気がするし、なにもしてなかったような気もする。斧乃木ちゃんと踊ったり、忍とおしゃべりしたり……あれ? なんか僕って小さい女の子としか遊んでないか? 最近江ノ島や戦刃は何故だか付き合いが悪いし、神原は神原とてなんかやってるみたいだし、日向は日向であんな状態で、七海も学級委員長としてみんなのために奮闘しているわけで……ありゃりゃ、僕は一体、なにをやっているのやら。
自分が暇していることに、少しばかり嫌気がさした。みんな頑張ってるっていうのにさ。
「僕は特になにもしちゃいないよ。暇暇、受験を控えてるっていうのに、暇してる」
「ふうん、怠慢ね」
「言うな。僕が一番分かってる」
口に広がる甘みが、自分自信に対しての甘えのように思えた。
砂糖とミルクで甘々なわけで、ブラックのような人生の苦さから逃れてしまっている。そのせいで、知らず知らずのうちに身を切っているのだろう。砂糖が骨を蝕み溶かすように、その甘えがいつしか僕に大きな影響を与えるのかもしれない──。
「まあ、阿良々木くんは今までずっと頑張ってたわけだし。人生プラスマイナスゼロになるとは思わないけど少しくらい休んでもいいんじゃないかな?」
そうじゃないと救われない、とまでは言わないけど、少し可哀想だよ。休むのは当然の権利だし。
羽川は優しい声でそう言ってくれたが、別に僕は大それたことをしたわけでもないし、頑張っただけじゃ意味がないんだ──と言いたくなったが、気が引けた。
僕もトゲがなくなったものである。
「ところで阿良々木くん。最近、七海さんとはどう?」
「……七海か? まあ、どうっていうか、あいつはいつも通り頑張ってるよ、ほんと、僕と比べるのがおこがましいくらいにさ。何かあいつにしてやれることがあればいいんだけど、変に手を出したら余計な手間を増やしなしまいそうなくらいだ」
僕がそう言うと、戦場ヶ原は細い目でこちらを見て「ほーん」と、声を漏らす。なんだなんだ? なにか不満があるって言うのか?
僕がそう思い眉をひそめると、ため息混じりにこう言われた。
「……阿良々木くん、そういう意味じゃないわよ」
「そうだね、そういう意味じゃないね」
「……おいおい、羽川まで、なんだなんだ?」
僕のことを二人して白い目で見る彼女たちに、僕は困惑の目線を向ける。
それを見て、二人共仲良く同時にため息をついていた。
「……阿良々木くん、ほんと鈍感よねえ。後から知ったけど、羽川さんがあなたのこと好きだったっていうのに、言われるまで気付かなかったって話じゃない」
「ぐう」
「しかも? 私と羽川さんの告白を両方とも断ってるって聞くし」
「そうだよね……鈍感だよねえ」
今更だが、僕は今目の前にいるこの女子二人から去年の一年間の間に告白されたことがあったんだった。僕のような落ちこぼれとは縁がないように思えた優等生である羽川は意外だったし、戦場ヶ原なんてもっと意外だったが……ともかく、結果から言えば僕はこの二人からの告白をキッパリと断ったのだった。好きじゃないからとか、嫌いだからという理由ではなく。また、なんとなく断っただとかそういう曖昧な答えでもないのだけれども、なぜ断ったかと言う理由について僕はまだ答えてないし、きっと僕はいつまでも答えられないのだろう。
「言うな言うな……。あれは本当に、申し訳がないと思ってる」
「申し訳ない思ってる、ねえ」
「ねえ」
「……結局、なにが言いたいんだ? お前らは。鈍感な僕には何一つ分からないぜ?」
「阿良々木くん、鈍感なんだからヤドラギくんに名前を変えなさいよ」
「ヤドンか? 僕の名前をヤドン風にしたいって言うのか? 伝わりづれえな! おい!」
「酷いわね。畜生野郎じゃない」
「誰が畜生野郎だ。ヤドラギくんなんて言うやつに言われたくないな」
「やだ、照れちゃう」
「照れるな!」
「冗談はここまでにして……」
やれやれ、と首を横に振っては、戦場ヶ原は口を開く。
冗談とかやめろよ。
「阿良々木くん、七海さんのこと好きなんじゃないの?」
「……は?」
そう言う意味の言動がこの会話で出てきたことが少し驚きだったし、また、七海という人物名が出てきたことは一番驚きであった。なんでそう思い至ったのやら……見当違いも
「違う違う、そんなことはないよ。僕は七海のことを恋愛的な目で見ちゃあいないし、きっとこれからの人生でもそう言う目で七海を見ることは出来ねえよ」
「ふーん、じゃあ、私と七海さんだったら、どっちがいい?」
「七海」
「即答しないで」
理不尽なことに、僕はテーブルの上に置いてあるストローで戦場ヶ原により目を刺されかけた。ギリギリ間一ミリといったところであり、ふとした拍子に刺さりかねなかったが、羽川の必死の制止により僕の眼球はまだ光を映すことが出来る。
しかし、僕が七海のことを、ねえ。
なにをどう見てどう感じればそういう風になるのか。聞いてみたいところではあったけれども、これ以上聞くと僕の心に傷がついてしまいそうで、体の方にも一生背負わなければならない傷を負いかねなかったため、やめにした。
もし、僕が七海のことを好きなら──と、考えては見たけれども、恩人に対して恋愛視できるほど僕の身分は高くなかったようだ。