阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 窓から夕焼けの暖かい色が見えた。

 もうそんな時間かと思ったけれど、冬であることを鑑みればさして不思議がるような時間帯でもなかった。

 

 どうしてだかその夕陽から目を離すことができずに窓から空を眺めていると、対面に座る七海から、

 

「……阿良々木くん。ひょっとして、話聞いてない?」

 

 と、お叱りを受けてしまった。

 

「っあ、ああ、いや聞いてるよ」

「そうは見えなかったよ? さっきからぼうっとしちゃってさ。……やっぱり受験勉強で疲れてるんじゃないかな、しっかり休んだ方がいいよ? ゲームとかして」

「ゲームで休めるのはお前くらいだよ、七海……」

 

 そもそも電子ゲームに縁のない僕だ。

 慣れてないことをしようとして、余計に疲れてしまうだろう。ボタンが多いんだ、ボタンが。

 ……戦場ヶ原あたりにこういう話をすると原始人のような男だと揶揄されかねないな。

 

 茶話会という学年末最終行事の企画について、僕は学級委員長の七海千秋と二人で机を挟み話し合っていた。

 生徒会会長である羽川も顔を出すということで本来はこの場にいるはずだったのだけれど、彼女は彼女で急な用事ができてしまったのだと、スケジュール管理に定評のある羽川にしては珍しく欠席してしまっている。

 そのために今この教室には学級副委員長の僕と学級委員長である七海の二人しかおらず、普段は賑やかな(騒がしいの間違いかもしれない)教室がこうも静かで人気がないと、なんだか落ち着かない。

 静かで落ち着かない、というのはおかしな話だが。

 

 ……まあ、二人きりとはいっても、決して甘酸っぱい青春らしいことなんていうのは起きやしないのだけど。あくまで七海とは、友人という距離感が一番良い。

 放課後に男女が教室で二人きり、なにも起きないはずもなく……という見出しがこの話に付けられているとするならば、起きるならきっとそう、茶話会について頭を抱えることくらいだろう。

 

 別にそういうテンプレートな展開に期待してるわけじゃないし、たとえなにかの手違いや過ちがあったとしても、七海のことはきっとそういう目で見れないだろうというのが事実な訳だから、もし、限りなくあり得ない話ではあるが、そんなありきたりなお約束が起きたとしても、ただでさえ幼女と遊んでいるだけだというのに社会的な立場が危ぶまれている僕としては丁重に辞退させてもらいたいものである。

 

 ちなみに今日は三度目の集まりだ。

 放課後にこうやって教室でぐうたらと意味もなく残っていることはこの一年間でよくあることで。委員会関係だったりだとか、ただ単におしゃべりをしているだけであったりだとか、……補習受けたりとか。ともかくなにかとこの教室に居残っていることは多かった。

 今回は最初に言った委員会活動を務めていて、卒業式を除けば今回のこの仕事が僕らにとって最後の大仕事となるのだろう。

 およそ一年にわたって続いた学級委員としての最後の仕事、それが学校生活を締めくくる学期末の大イベントというのだから、なかなかどうしておあつらえむきな文化行事だとは思わないだろうか。

 そして、そんな大層なものに僕なんかが参加してしまっても良いものなのだろうかと考えてしまう。

 

 人と関わりたくない。友達は作らない、人間強度が下がるから──なんていう、今思い返せば穴があるなら入りたくなるような若気の至り全開だったあの頃の僕であれば運営に携わるどころか、きっと行事に参加すらしていなかっただろうに。

 変にひねくれて、適当に学園から抜け出しては近くの公園で一人ぼうっとしていたに違いない。

 というか実際、一年生、二年生の頃の僕がそうだった。

 

 先が見えないことに対する不安というのもあったのかもしれない。だから、高校を卒業するという未知へのスタートを切る三年生の先輩の姿を見るのを辛く感じていたりしたのかもしれない。

 あの頃の僕には、そういう未来の予想図は漠然としたものでさえ、イメージできてはいなかった。大学に行くのか、就職するのか──分からない。希望ヶ峰学園は入学するだけで人生の成功が約束されるとまで言われている超が何個もつくような名門であるけど、学園始まって以来初の落ちこぼれになるんじゃないかとすら考えていたし、あの頃の僕じゃきっとそうなっていたに違いない。

 

 ありえない話じゃなかったし。

 むしろあり得る可能性が高い話でもあった。

 

 あの頃の僕、なんてまるで一年前が既に通過点であるかのように語っているけど、今の僕とそう変わりはない。

 あるとすればそう、周りの環境が変わったのだ。

 僕は僕のままだ、いつだって変わらないし、変われない。

 

 羽川はきっと「阿良々木くんは変わったよ」と言ってくれるのだろうけれど、いくらあの羽川がそう言ったって、僕としては首肯するに難い話である。

 

 ともかく、僕は授業を終え早々に家に帰るということはなく、教室の窓側に位置する机を挟んで七海と卒業前に行う茶話会について話し合っていた。

 話し合うといっても、僕ら二人が誰が何もすると決めてしまうのではない。そういったことは事前に済ませており、今はその選定作業に差し掛かっているのである。

 みんながやりたいといっている出し物から、危険なものや予算的に無理があるものなどを却下し、大丈夫だろうというものを許可する仕事だ。

 それに学期末に行う茶話会には他の学年も参加するので、みんながみんな出し物をしようとすると一日では終わらずに二日か三日ほどかかってしまうから──学校生活の最後を締めくくるのだからそれはそれで良いのかもしれないけれど──流石に僕ら三年生は受験生なわけで、また超高校級ともなると芸能関係の人間は仕事で参加できない場合があるということもあるから、惜しくはあるもののこうして一日で終わる量にまで絞り込まないといけないのだ。

 サプライズ性を重視するといったことで他学年の出し物を事前に知ることはできないという性質上、今はこうして同級生の出し物を僕らは審査していた。

 

 ちなみに生徒会長である羽川は、最終的に許可が出された書類の全てに目を通した上で先生と審査をしなければならないらしく……他にも色々と仕事を掛け持ちしているという話だから(今日だってその類だろう)ぶっ倒れてしまわないか心配になってしまう。

 羽川が倒れてしまったときクッションになるための準備くらいはもちろんしているけれど、せいぜい今の僕ができるお手伝いといえば、羽川の胸を支えるか何らかの不祥事があった際に土下座をしに行くくらいである。

 土下座の綺麗さには定評がある僕だ。自信はある。

 

「それでね、澪田さんのリサイタル……なんだけどさあ」

 

 困ったように、七海はボールペンを指先で回した。

 そのボールペンは記念品かなにかのようで、ビットで形成された戦闘機のような柄がプリントされていた。

 

「澪田のリサイタル……昔、あいつの歌声を聞いたことがあるんだけどさ、その、なんて言ったらいいんだろう」

「言っちゃ悪いけど、良くない意味で凄い歌だよね。オブラートに包むと個性的」

「あいつの歌もオブラートに包めることができたら良いんだけどな」

「それはそれで、また別のなにかが生まれそうだなあ、うん」

 

 歌といえば、そう、二年生にもそういうのが得意な奴がいたような気がする。

 

「舞園さんじゃないかな? 超高校級のアイドルの、舞園さん」

「ああ、そうそう。……いやあ、あんまりテレビとか観ないからさ、芸能界には疎くって」

「言ってることがおじいちゃんのそれと変わらないね……阿良々木くんは」

「例えばの話だけど、舞園の歌声で澪田の歌声を打ち消すっていうのはどうだろう。オブラートに包むとまではいかないが、プラマイゼロくらいにはできると思うんだけど」

「んー……どうかなあ? 澪田さんが一人で活動するようになった理由って音楽性の違いとかだったような気もするし……合うかなあ?」

「音楽性の違いっていうか、澪田はあれで独自のジャンルを形成しているような気がするけど」

 

 本人がこの話を聞いていたらうるさくなりそうだなと思いつつ、とりあえず澪田のリサイタルは保留にすることにした。保留、と言ってはいるが、おそらくはボツになる可能性が高めの保留である。

 

 しかし──みんな大切な時期だろうに積極的に出し物の案を出してくれている気がする。詐欺師の才能を持つやつは詐欺に引っかからないための講座(矛盾を感じる)、花村や一部の女子は観客への料理のおもてなし。花村が料理を作るというのに不安を感じないわけでもなかったが、昨年、一昨年と評判が良かったと聞くから、おそらくは今年も大丈夫だろうと信じたいところだせど。

 そして小泉が茶話会の記念写真と年間行事や日常での写真をムービーにして流したり──これも、昨年、一昨年と評判が良く、今年もやるだろう。

 

 才能に関わる出し物が多い中で、才能とはまた関係のないことで出し物をする人も多く。

 ソニアを中心とした劇団が組まれていたり(主に左右田が中心になって人集めをしているのを見かけた、劇の内容は言わずもがな)、なぜか罪木が一人で一発芸を行うなんていう企画もあり(もちろん却下)、良い意味でも悪い意味でも学生らしい部分もあった。

 

 そんな風に、一部例外を除いてほとんどの生徒がこの茶話会に参加しようとして意気込んでおり、そしてそれは僕と七海も例外ではなかった。

 七海は昔のゲームのRTA(アトランチスのなんとかというゲーム)、僕は一つ下の学年にいる超高校級のギャンブラーであるセレスティア・ルーデンベルクとのエキシビジョンマッチを行う予定である。話し合った結果、僕の得意分野である花札でゲームをするということになっている。

 なんでも、餞別だとか。

 舐められたものだなと思いながらも、嬉しい気持ちが少しあったのは否めない。僕の得意分野だからというわけではなく、ただ単純に、後輩とこうして仲良く出来ていることに少し喜びを覚えているのだろう。

 認めたくはないけれど。

 

「えーっと、とりあえず毎年やってて好評なやつとか安定したものは許可を出しても大丈夫かな……それより、うーん、狛枝くんのロシアンルーレットって……なんだか、いや絶対に危険そうなんだよね。危険が危ないかんじ」

「ロシアンルーレット? わさび入りシュークリームとかか? それなら結構楽しそうじゃないか」

「違うよ。なんか、ガスガン使うんだって……魔改造した」

「ガスガン!? 魔改造!?」

「そう……。狛枝くんのことだから、普通に危ないやつなんじゃないかな……?」

「アウトだろ、それ」

 

 狛枝が提出した出し物の内容をまとめたカラフルでポップ(色だけ)なレポート用紙を二人無言で却下の書類を入れるケースに置いた。『DOKI DOKI ! RUSSIAN ROULETTE !!』と謳われたイベント。タイトルのサイドにいる風船を持ったピエロがやけに怖い。

 

 その後も選定作業を行い、最終的には十ほどに絞った。

 あとはこれを生徒会に届けるだけである。

 

 こうして誰がなにをやるのかという企画書に目を通しはしたものの、茶話会には参加したことがなかったので、一体どんなふうに彼らが活躍するのだろうと既に期待で胸がいっぱいだった。

 それも、ただの学芸会ではないのだ。超高校級が行う、それこそプロと遜色違わないような出し物だって多くあるのだろうから、いつもは馬鹿やっている彼らの真面目な姿を見ることができるというのも、なかなかにどうして楽しみだ。

 惜しむべくは、西園寺がもう少し小さかった頃の日本舞踊を見ることができなかったというところなのだけれど。

 

 しかしこうして学級委員最後の仕事をしていても、この学園で三年間を過ごしたのだと──後一ヶ月もすれば卒業し、希望ヶ峰学園の生徒ではなくなってしまうのだということに、僕はまるで実感が持てないでいた。

 学園を卒業したからとはいえ、まだまだ人生というものは続く──そこに終わりはない。

 自分が高校生であるのなんて、自分が高校生ではなくなってしまうのなんて、ほんの通過点でしかないというのに──きっとそれは、重要なことなのだろうけれども、どうしたって僕は他人事のようにしか思えないでいるのだった。

 

 時間が経つのはあっという間。

 ちゃらんぽらんに生きていた僕からすれば、最初の二年間はまるでスポンジのように中身のない過去だった。無理に押し込めばとても記憶としては小さいものになる。

 打って変わって今年の一年間はとても濃密なもので──濃密であるがゆえに一年というひと時が圧縮されていて、それはそれでまた小さなものだった。

 

 楽しいことも、辛いことも、色々あったけれど──そんな感情を抱くことができる思い出の数々を心から良かったと思える。胸を張って楽しかったと言うことができる。

 みんなと過ごせて僕は楽しかったんだろうなと──だが、こういうことを思ったり、言い合ったりするのはもう少し後だと相場が決まっているから、まだその感情はぐっと心に抑えている。

 

 この学園生活が終わってしまうのは悲しいけれど。

 でも、その先にだって人生は続いているのだから。

 きっと、未来が──

 

「? どうかしたかな? 阿良々木くん」

「いや、なんでもないよ。なんでもない。……、それよりさ、そろそろ帰ろうぜ」

「それもそうだね、眠くなってきちゃったよ」

 

 教室の電気を消すと、窓から差し込む夕陽で教室の中が紅く染まった。

 今日という一日の終わりを、否が応でも感じてしまう。

 

「あっという間だったね、一年間」

「ああ、そうだな──本当に、あっという間だったな」

 

 過ぎていく時間はいつも速く、未来はいつも待ち遠しいほどにゆっくりだ。

 七海はぼんやりと空を眺める。斜陽に顔を照らされてはいるが、陽の強さが弱いからだろうか、その明るさによって目を閉じることはなかった。

 七海は空を見ながら、僕に語りかける。

 

「私はこの一年間、阿良々木くんと一緒に居れて楽しかったよ」

「なんだよ、そんな急に改まってさ。気味が悪いぜ?」

 

 茶化すように僕は言った。

 けれども、七海は言葉を返さない。

 

「……まあ僕も、七海と出会えて良かった。良かったよ。楽しかったぜ、この一年間」

「あはは。そんなこと言う阿良々木くんが、一番気味が悪いよ」

 

 意地悪な口調で、七海は言った。

 なにを、と言い返そうかと思ったけれど、そんな怒りはすぐに消えて、口元に笑みを含ませながら、僕も空を見た。

 

 綺麗だと思う。

 奥に見える黒い雲が、より、夕陽を引き立たせているようにも見えた。

 

「じゃあ僕、こっちだから」

 

 そう言って自転車置き場の方へと行こうとすると、少し大きな声で七海に引き止められる。

 

「日向くんの件なんだけど」

 

 どきり、と胸が高鳴るのを感じた。

 

「私、やっぱり諦められないし……卒業までになんとかできないか、頑張ってみようと思う。具体的にどうするのかはまだ決まってないけど、でも、なんとかできないか、足掻いてみたいんだ」

 

 七海はあれから何度も日向と──いや、カムクライズルの接触を図ってきたらしい。

 策を弄し、また時には誰かの力を借りて、道を探ってきた──むろん僕もそれを応援して、日向の友達として出来る限りのことはやってきた──しかし、全てが全て失敗に終わっていた。

 けれどもそれでも、七海は無理だと言わなかったし、諦めるとも言わなかった。

 

「無理は禁物だぜ。何か困ったら僕に連絡してくれよ。きっと、なんとかするさ」

「なんとかするって、阿良々木くんは万能じゃないでしょ──それに、阿良々木くんこそ困ったら連絡しなよー。いつも一人で抱え込んじゃってさー、たまには私にも恩返しくらいさせてよね」

 

 友達でしょ。

 

 七海は笑ってそう言う。

 

 友達だからこそ、迷惑かけられないんだ。

 大切な、友達だからこそ、僕のせいで失いたくないだ。

 それに、恩返しだなんていうけれども、僕は七海にまだあのときの恩を返せていない──今の僕が僕であれたのは、半分以上は七海のおかげだというのに。

 

 その言葉を言うことはできずに、僕は七海の笑顔に返すようにして笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、また」

「そうだな、また明日」

 

 空の奥に見える黒い雲が、さっきよりも大きくなっているような気がする。

 太陽もだんだんと沈み、空も暗くなってきた。

 今夜は雨が降りそうだなと、そんなことを考えながら僕は七海と分かれた。


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