阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 身が凍るように寒い冬。

 凍るようにっつーか、実際に凍ってしまったんじゃないかと疑ってしまいたくなるほど耳たぶが痛む。

 片手間に耳たぶをゴツい手袋越しで揉みながら、僕はいつもの通学路を颯爽とママチャリで駆けていた。

 

 わけあって今乗り回しているママチャリは数ヶ月前に購入した新車なのだが、だからとはいえ、いくら新しかろうともママチャリはママチャリである。

 颯爽となんていう形容詞で飾ったところで、変わり映えのない通学風景はどう足掻いたって変わり映えのない通学風景であることに変わりない。

 そんな飽き飽きとする通学の様子にも、この時期になると雪がちらほらと降り、華美な街並みに余白を作るようにして隅に残った残雪が目につくようになる。

 

 あいにくと季節を楽しむ感性は持ち合わせてはいないので、嗚呼よきかなと趣深さを楽しむことはできないが……それでも子供っぽく、楽しい気分にはなるのだった。

 受験前だからとあらゆる娯楽がご禁制の時期。

 童心に帰るのも無理はない。

 

 雪は太陽光を反射するので(雪で日焼けをすることもあるという。実際、冬休み中にスキーに行ったという左右田は季節外れの日焼けをしていた)吸血鬼からすれば天敵とも言える相手であるが──人間もどきである僕には、既に化物ではないこの僕にしてみれば、さして慄くべき相手でもない。

 とるにたらぬ雪どもよ!

 

 ……それこそ春休みの僕であればかなり手強い相手だったかもしれないが(写真のフィルムのごとく真っ黒に感光してしまうことだろう)、今の僕には吸血鬼としてのスキルはほとんど残っておらず、精々体力が高かったり新陳代謝が高いくらいだから、むしろ日焼けなんて、皮膚が燃えるどころかその日の晩には皮がめくれてすっかり新しい肌に生まれ変わっていたりするかもしれないのだ。

 

 もっとも、忍に血をやった直後は吸血鬼性がいくばくか戻ってしまうので(それでも、春休みの頃と比べれば微々たるものだけど)治癒能力をあげるどころか、かえって手痛い火傷を負ってしまうこともあるだろう──そこら辺は、曖昧なラインである。

 少なくともあの頃のように火達磨になることはないだろうけれど。

 

 治癒能力なんてあってないようなもの。

 後遺症は決して頼るべきものではない。

 ……なんていう言葉は、後遺症による高い体力をもってして日夜徹夜による受験勉強を可能にするという恩恵を得ている僕の口からは、とてもじゃないが言えたものではないだろうが。

 

 とにもかくにも、そんな冬。

 前述の通り、僕はやはり受験生らしく、さほど勉強ができないなりにも受験勉強に追われていた。

 

 クリスマスや正月といった大きなイベントは過ぎ、時は既に二月の初旬。

 暦の上では冬もそろそろ終わるだろうが、あいにくの寒さに喜んではいられない。

 昔と今では気温も違ったのだというけれど、地球温暖化防止を叫ばれる現代社会において、昔よりも寒い冬というのはどこか矛盾しているような気がしてならないかった──

 

 ──けど、それもまあいいかと。そう思えるほどに、僕は昔と比べて寛容的になっていた。

 一年前の僕であれば、そう、きっとこんな異常気象に対してだって捻くれた考えを持っていたに違いない。別に暑くないだろう、寒くないだろうと強がるに違いなかった。

 けれども今の僕は捻くれてなんかいないはずだ──相変わらず、腕時計は右腕に巻いているものの。

 

 卒業まで、あと一ヶ月と少し──

 

 ──悔いはあるだろうか。

 

 部活動に身をやつしていなかった僕にとって、自分がいなくなることが心配になるような部室はないわけで。大学だって、なりたい将来のために必要なスキルを磨くわけではなく、ただ単に友達と同じところに行きたいというためだけに行くのだから(これも、一年前の僕には浮かびもしなかった感情だろう)、同級生との別れ──というのも、実に薄い。

 

 ソニアなんかは国に帰るだろうから会う機会は限りなく限られるだろうし(そも一国の王女であるのだから、今までこうして教室という一つの密室空間の中で机を並べていたこと自体が異常なのだ)、花村や西園寺なんかも仕事で忙しくなって会えなくなるだろうけど──いや、それも要らない心配か。

 

 卒業してからもどこかに集まって遊ぶような仲を築けたと言える人物は、ただでさえ少ない同級生の中でも数限られているのだから。

 

 会える会えない以前に、まず会う必要もない。

 

 これもまた、友達を作らなかったがための結果といえるだろう。

 

 ちなみにこのことに関しては、後悔はしていない。

 むしろ少なくて良かったのだと、折り合いをつけていたりする。

 

 怪異と出遭ったものは、その先の人生においても怪異と出遭い続ける──僕が半端な存在であれども、それが適用されないといった法はない。だから出遭うわけにはいかなかった。

 希望ヶ峰本科生徒という、将来の希望とも言える彼らを傷物にしてしまうわけにはいかないのだから。

 

 ……まあ、だからって、七海や江ノ島と出会えたことが失敗だったとは言わないけれど。

 

 ともあれ、改心? 羽川に言わせれば更生だが(羽川は、なぜだか僕を不良のように思っている節がある)、『友達はいらない、人間強度が下がるから』主義を辞めて一年──その間にできた友達の一人に、戦場ヶ原ひたぎという危ない女子がいた。

 

 蟹と出遭い、重さを根こそぎ奪われた少女。

 

 儚げで、深窓の令嬢とも囁かれていた彼女は、現役の頃ほどではないものの今はとても元気な姿で陸上に励んでいる。天体関係も盛んに活動しているらしく、またそれと同時に学業にも励んでいるという文字通りの才色兼備、性格さえ良ければ完璧に近い人間だ──そんなやつと同じ大学を、僕は受験するのだから、不安は雪のように積もる。

 

 もっとも、戦場ヶ原のやつは既に推薦をもらっているらしい……。

 

 下手すれば僕は受かることなく、彼女だけ大学に通うという可能性もあるかもしれない。いや、その可能性が一番高い。

 

 そんな不安を以前から抱いていた僕は、さすがに戦場ヶ原に言うのもアレなので一度だけ八九寺先生に相談した際。

 八九寺先生に少し渋い顔をされた後、とびっきりの笑顔で「大丈夫、阿良々木くんなら行けるって! ねっ! ケ・セラ・セラ!」と言われてしまったことがあった。

 それはもう、ダメだと言っているようなものじゃないか。

 

 ……しかし、戦場ヶ原と希望ヶ峰三大才女の一人である羽川に勉強を教えてもらっているのだから、特に羽川の顔に泥を塗らないためにも、必ず受からなければならない。

 

 ちなみに希望ヶ峰学園三大才女というのは、我らが羽川さんと後輩である霧切。そして残る一人は謎の美少女枠として残してある……の三人のことを言う。

 ちなみに、彼女ら三人をそう呼んでいるのは僕だけである。

 

 卒業まで残すところ後一ヶ月という中で。

 何か思い残すことがあるだろうかとどうにか記憶を探ってみると、青春らしい甘酸っぱいものこそなけれども、やはりそういうものは存在していた。

 

 そういえば……では片付けられない、不穏な雰囲気が漂う未解決の事柄が。

 叩けば叩くほど埃がでるような記憶力をしているので、他にもあるかもしれないが……今ある三つというのは、一つに月火ちゃんのこと。二つに日向のこと。三つに臥煙さんら専門家たちのことだ。

 

 一つ目の疑問。

 

 月火ちゃんは、去年の夏、突然我が家にやってきた。

 

 別に養子というわけではない。

 正真正銘、血の繋がった兄妹姉妹であり、また腹違いというわけでもないというのだからなんとも奇妙な話である。

 

 父母から聞いた話だと、生まれて間もなく死んでしまったはずの子供、らしい。

 僕は一度しか母のお腹が大きく膨らんでいた姿というのを見たことがないのだけれども、もしかしたらそれが月火ちゃんだったのだろうか。

 てっきり火憐ちゃんとばかり思っていたが、しかしその大きなお腹の中にいたのが月火ちゃんであると一旦思ってしまえば確信に近付いていくものだ。

 

 火憐ちゃんは実は川の下から拾われてきたのかもしれない。森で狼に育てられた少女と言われても違和感はない。

 むしろその方が妥当とも言える、が。

 

 出産したがその日のうちに死んでしまったのだ──というけれど、そんなの初耳だし、僕と火憐ちゃんは戸惑いを隠せず、なぜそのことを黙っていたのかと両親に問い詰めたりもした。

 結局詳しいことは何も聞けないまま──というか、両親もよく覚えていないようで、ぬかに釘を刺すような問い詰めであったので、すぐに辞めた。

 

 でもまあ、こうして我が家に帰って来たわけだし良いじゃないかと、その小さな妹、月火ちゃんは今では我が家の一員で、今では火憐ちゃんと仲良くファイヤーシスターズなんていうコンビを組んだりして仲良くしているらしいから、なによりだ。

 

 しかし、謎が残る。

 

 なぜ、月火ちゃんは今我が家へと帰って来たのだろうか。

 なぜ、死んだはずの月火ちゃんは生きていたのだろうか。

 なぜ、今まで月火ちゃんの存在を隠していたのだろうか。

 

 二つ目の疑問。

 日向が明らかにおかしな様子に成り始めたのは、成り果ててしまったのは、夏休みの時だったと記憶している。

 

 日向は、カムクライズルと名乗っていた。

 最初はあれが日向だということに気がつかなかったが──どこかで聞いたことがある声、そして日向が消えたタイミングとカムクライズルが現れたタイミングの一致から。いくらなんでも僕だって、カムクライズルが日向創なのだということに気がつく。

 

 しかしそのことを七海に伝えられるほど僕には勇気がなかった。

 日向と最も仲が良い。僕が知り合う前から知り合いだった二人の仲を思えば、どうしても伝えられない。

 

 いくらなんでも僕だって気がつく、と言ったが、しかしまだカムクライズルが日向ではないという可能性というものを僕は探っていたのだ。

 世の中には自分と同じ顔をした人間が三人いるというが、もしかしたらその類なのではないか──と思ったからだ。

 そう、思いたかったからだ。

 

 なぜなら、あまりにも雰囲気が違いすぎる。いつもの明るい、気兼ねなく絡みやすい男友達としての日向創とは到底かけ離れたもの──それも、真反対のものだ。

 僕の知る日向とは対極的な存在。

 だから、カムクライズルが日向だとしても、カムクライズルは日向ではない。

 

 そこにあいつはいないのだ。

 

 それに、聞くところによるとカムクライズルは超高校級の才能を持っていると言う。

 何があったのかは知らないけれども、あのとき出会った頭に大量の包帯を巻いた男はカムクライズルで……そして、きっと日向に何かがあったのだ。

 

 なんとか、しなければ。

 なにをどうするか具体的な案は思いつかないが──

 

 僕の恩人である七海に、恩返ししなければならない。

 僕の友人である日向を、正気に戻さないといけない。

 

 それはまるで使命にも思えた。

 

 三つ目の問題。

 専門家達との音信不通。

 

 専門家達と連絡が取れなくなったのだ。

 いつを境に途絶えたのかは定かではないが、最初に異変に気がついたのは斧乃木ちゃんだった。

 暴力陰陽師と悪名高いあの影縫さんと連絡が取れないのだという。

 

 まあ、影縫さんと連絡が取れないということはよくあることらしく、斧乃木ちゃんは臥煙さんや他の専門家にも連絡を取ったとのことなのだが……どうにも、繋がらないのだという。

 

 なんとも分かりやすい異常事態だ。

 

 街からいなくなるのはまだわかる。

 忍野のときがそうだったからだ──けれど、だからといって誰とも連絡がつかないというのは異様だ。

 サイズがふたまわりほど大きそうな服の中にマジシャンのようにして大量の端末機器を所持していた臥煙さんとさえ、連絡がつかない。

 教えてもらっていた電話番号やメールアドレスは複数あるのだが、その全てがダメだった。

 

 なにか起きたのだろう、というのは間違いない。

 そして、怪異の専門家である彼らに何か起きたというのなら、次に狙われるのはきっと僕らだろう。

 彼ら大人の共通点が怪異であるのなら、それは僕ら──戦場ヶ原や羽川──にも共通する事象だ。

 

 あの大人たちの消息を途絶えさせるまでの力を持つ矛先が、僕らに向いたっておかしくないし──そうなると、太刀打ちするのは極めて難しいと言えるだろう。

 

 単に、彼らがなんらかの大掛かりな仕事に取り組んでいる最中で、やむなく僕らとは連絡が取れない、なんていう可能性もなくはないが……それはあまりにも楽観視ししすぎているだろう。

 

 ──この一年間で色々なことが起きた。

 否、僕がのうのうとなにも知ろうとしないで生きていた間も、また生まれる前からも。この世界ではこういうことは起き続けていたのかもしれない。

 僕がその世界に不運にも足を踏み外してしまっただけで、こんなことは日常茶飯事だったのだろうけど──しかしそれでも、僕という一人の人間の価値観を大きく変えるほどに、様々なことが起きた。

 

 そしてその様々なことは、僕以外の誰かがいつだって解決してきた。

 僕一人でなにかを終わらせることができたことは一度だってないのだ──いつだって、何かが終わる時は誰かがそばにいた。

 

 僕は無力だ──正義であれ悪であれ力あるものが人を傷つけるのなら……それはそれで、無力も悪くないのかもしれないけれど。

 でもそれじゃあ、誰かを守ることはできないだろう。

 実際そうだった。

 僕はなにも、守れちゃいない。

 

 ……全てが杞憂に終わるという結末が、それが一番いい。

 物語に必要な意外性なんて。

 劇的な展開や、ドラマチックなストーリーはいらないんだ。

 

 ……最近は後輩との付き合いも悪いし、どこかに遊びにでも行こうかな。

 さすがに受験前は厳しいだろうけど、それ以降なら構わないだろう。

 戦場ヶ原とか、神原とか、江ノ島や戦刃を誘って。

 どこか遊びに行こう。

 約束していた蟹もまだ、食べに行ってないんだし。

 ……そうだ、北海道に行こう。

 

 そんな呑気なことを考えながら、僕は自転車を漕ぐ。

 その行き先は、きっと良いものだ。

 先は見えず、一寸先は闇だけど──そんな闇の中でも、ここ一年で光が見えたような気がした。

 

 楽しげな光景を脳裏に浮かべながら、あいつはこれが苦手だからダメだなとか、こうしたらあいつも楽しんでくれるかなとか、そういう昔には出来なかった気配りを不器用ながらにもやってみせようとするのは……少しくらいは進歩したんじゃないか? 僕だってさ。

 

 卒業まであと一ヶ月。

 

 子供からの卒業まで、あと一ヶ月。

 

 高校生という今を楽しもう、このきらめく瞬きの中で。


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