阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 朝食のあと、僕と戦刃は千石撫子(センゴクナデコ)という中学生の女の子の家を訪ねた。

 

 千石撫子。

 数ヶ月前、神原と共に山奥のとある廃れた神社へお使いとして出向いた際に、道中の石階段で出遭った人見知りな女子中学生である。

 当時巷で流行っていた「おまじない」の呪いによって全身を二匹の蛇に巻かれ、その華奢な体の隅から隅までを痛々しいまでに──それこそ、蛇の鱗が肌にくっきりと写ってしまうほどに締め付けられてしまっていた悲劇の少女。

 そして、怪異に関わってしまったが故に不幸にも人生の一本道から足を踏み外してしまった、こちら側の人間でもある。

 怪異に出遭った者はその後の人生でもまた怪異に出遭いやすくなるというが、「おまじない」の被害者である千石撫子はもう、これまで経験してきた人生よりも圧倒的に長い()()()()を怪異という非日常の存在と共に生きて行かねばならない。

 怪異に縛られた人生を、怪異の隣に立ちながら、歩んでいかなければならない。

 それは僕も同じで、また、戦場ヶ原や羽川も同様にそうである。

 もう僕たちは元の生活には戻れないのだ。

 どれだけ悔もうとも──それはどうしようもないものだから、どうにもならないものだから。僕らはそういう星の元に引きずり込まれたのだと──そう、折り合いをつけるしかない。

 けれども、千石はまだ中学生──僕ら高校生からすればまだまだ子供なわけで、そんな人生を諦めるような妥協をするにはあまりにも早すぎる。

 怪異のタチの悪いところは、その一件が解決したからといって、それで全てが丸く収まるわけじゃないといったところだろう──わかりやすく言えば磁石だ。自分に憑いた金属を一つ取り除いたところで、磁石としての金属を引き寄せる性質が完全になくなったわけじゃない。

 ……これからの人生に刻まれた傷跡は、どのようなものであれ隠しきれないほどに大きい。

 

 怪異に関わったからとはいえ傍目からすればなにも変わりはないのかもしれないが……そもそも怪異は人に見えないものなのだ──それこそ、病気のようなもので、千石のように全身に蛇の索条痕が症状として現れることがあるにしろ、それでも病原菌である蛇自体は人には見えないし、戦場ヶ原のように見た目からはてんで想像がつかないにも関わらず、物理的法則を凌駕した形で体重が半分以上も減少するなんていうこともある。

 ただ見えないだけで、怪異と触れ合った以上その禍根が消えることはないというのは非常に厄介なもので。そして怪異が見えたからといってそれがどうこうできる問題ではないというのが現実だ。

 なにか手立てがあったとしても、触ることができず障ることしかないので、そのため、後始末もつけられない。

 

 怪異に関わった者は被害者であるときもあれば加害者でもある。何かに巻き込まれた場合や、自分から巻き込まれに行った者もいるが──みんな、きっと後悔しているだろうし、いつだってその心には(かげ)りが差していることだろう。

 

 あの一件以降、千石が何かしらの怪異と接触したという話は聞いてないが、いつ、また怪異に関わってしまうかは未知数で──それはある日頭に隕石が落ちてくるようなことだけれども、でもゼロじゃない……限りなく可能性がゼロに近い定式であるから、気をつけなければならない──それに、気が付いていないだけで既に関与していたりするかもしれないのだから、今回は話を聞きに行くという意味もあるけれども、それと同時に定期検診みたいな意味合いも含まれていたりするのだ。

 僕は怪異は見えないし、気配を感じ取ることもできないので、そこは忍に任せきりだが。

 ……それに、千石はまだまだ子供なんだから。なんにもできない僕なりに、人生の先輩として、気遣いをしてやらなくっちゃならないと思う。

 悩みを打ち明ける話し相手とまではいかないにしても、頼り甲斐のあるお兄さんポジションあたりなら狙ってもいいんじゃないだろうか?

 

 千石宅のインターホンを押そうと手を伸ばすと、まるで僕が玄関前に到着したのをどこかから見ていたんじゃないかと思うほどにタイミングよく、勝手に扉が開き「お、おはよう。暦お兄ちゃん」と、千石が玄関扉から顔を覗かせた。

 よく顔が見えると思ったけど、どうやら、いつも視線を隠すようにして眼前に垂れ下がっている長い前髪をカチューシャであげているようだった。それに夏らしく涼しげな格好をしていて……やや露出が多いというか完全にオフな感じの格好だったけれど、まあ突然訪ねることになったのだからそれも無理はないだろうか。

 口調こそまともになってはいるものの、それでも顔は真っ赤で。長い黒髪の間から見える耳までもが赤で染まっていた。

 千石は、どこか嬉しそうにこちらを見る、彼女が中学生ということを知らなければ、完全に童顔の酔っ払いにしか見えないが……。ともかくそうすると、一瞬、驚いたように……そして訝しげな目をした後、先ほどとは一転悲しそうな表情をした。アルコールの類に情緒不安定の効用はなかったはずだが……気になって尋ねてみる。

 

「どうしたんだ? 千石」

「ううん。なんでもない、なんでもないんだよ。……でも、だけど──」

 

 迷ったように指をまごつかせて。そしてその指をゆっくりと戦刃の方へと向け、

 

「ええっと、暦お兄ちゃん。そちらのお姉さんって……誰、かな?」

 

 もしかして、彼女さん……? と千石。

 

「いやいや、違うよ。こいつは僕の後輩の──」

「戦刃むくろです。阿良々木先輩には向こうで……希望ヶ峰学園の方で色々とお世話になっています」

 

 一体、何度間違われるのだろう。……いや、何度っていうほどでもないんだけど、なんだか、この様子じゃあ両親にだって間違われかねない……この街に来てるかどうかは知らないけど、下手すれば影縫さんや臥煙さんあたりとかにも会ったら言われちゃうんじゃないのか?

 戦刃は僕より身長高いのに。……まあ身長が高いからといって彼女ではないというのはそれはそれでおかしな話だけど。……みんなして恋愛脳、ということだろうか。

 多感な時期なのだろうかと想像する。中学生だった頃の僕も、ちょっと優しくされるだけで「こいつ、僕のこと好きなんじゃないのか?」と勘違いするようなときがあったし(今もだけど)、そんな感じで、とにかく手当たり次第くっつけたがりな時期なのかもしれない。

 

「そう、なんだね。ふーん……後輩さん」

「ああ、後輩だ。つってもまあ最近知り合ったばっかりなんだけどさ──ああ、そうそう。話があるから来たんだけど、時間は……大丈夫なんだよな?」

 

 そうだ。もう一つ、先ほどの千石撫子についての所見に付け足すべき情報がある。

 千石撫子もまた、超高校級の才能を望まれている金の卵であるということだ。その点で言えば火憐ちゃんと近しい存在だが……まあ、ご覧の通り対極的と言っても良いほどに二人の性格は異なっているのだけど。

 

 少女漫画家。

 

 千石は今、少女漫画というジャンルにて才能を磨いている。さすがに、連載を掛け持ちする売れっ子漫画家なんていうような活躍っぷりを発揮しているわけではないにしても、その界隈ではそこそこ話題になっていると聞く。まあ要するに育成段階というところだろう。世間では未だ無名だし、読み切りだって雑誌には載ったことがないという話だ。

 まだまだ中学生、才能があるとはいえどもまだ中学生なのだ。それに漫画家は不安定な職でもあるし、才能があっても必ず成功するとも限らない。むしろかえって、幼い頃から持ち上げられたりすると大成しない場合もある。それに今のところ千石は才能があるだけの状態であるだろうから──しっかりとした実力をつけさせたいというのが、編集者であったりなどの本音なのだろう。

 

 いくら才能があるとはいえ、漫画ばかりに集中して小卒というのも、今時の学歴社会では良い顔できないだろうし。

 

 とにかく中学を経て希望ヶ峰学園に入学し、高校を卒業してから本格的に活動……と言った形になるのだろうと千石から話を聞いたことがある。今まで卒業していった先輩も、そういった人が多かった(大学に行く人も少なくはなかったから、ひょっとしたらそういう道に進む可能性も否めないが)から、おそらく千石も、何事もなければそのような軌跡を──まさしく希望に溢れた将来への道を辿っていくのだろう。

 

 ここ最近、ようやく大学生になろうという身近な将来しか決めることができていない僕からすると、将来の夢があるというのは──そして実現に向かって努力できているというのは、羨ましい限りだ。

 

 そんな学生と漫画家見習いという二足の草鞋を履く彼女だから大変な生活を送っているだろうし、僕のために割けるような時間も夏休みとはいえあるかどうか分からないので、電話をしてみるまで会えるかどうか不安だったのだが……今は今で、別の不安がある。飲酒って。飲酒って。

 いやまあ、電話のときに薄々気付いてはいたけど……こうもありありと臆面もなくその様を見せつけられてしまうと、やや気が引いてしまうのが本音である。

 

「千石、お前、またビール飲んでたのか……?」

「ひぇっ? しょんなこと、しょんなことなひよ!」

「恐ろしく呂律が回ってないぜ」

 

 ため息混じりにそう言っては、流石に今の彼女をご近所に見られるのはかなり危険なので、というか普通にスキャンダルなので急いで家に上がらせてもらった。夕方のニュースで知り合いの顔を見たくはない。

 

 覚束ない足取りで階段を上る千石に先導され、彼女の部屋へと招かれる。まだ準備ができていないから──と、千石は一階へと降りていった。さすがにその足取りじゃあ危険だろうから付いていこうとしたけれど、「お客さんに立たせるのは、悪いよ」と止められてしまった。

 

「千石さんって、いつもあんな感じなんですか? 聞いた感じだと、もっと大人しい子かと思ってましたけど」

 

 戦刃は少し憚られるように、小さな声でそう言った。

 

「さすがにいっつもビールやらお酒やらを飲んでるわけじゃあないけどさ……」

 

 そう言って、なんだか千石が酒乱のようなイメージを与えていないかと思い、慌てて訂正するように言葉を繋げる。

 

「今日のアレだって、多分、まだ一缶も飲みきってないだろうし──そもそも親のやつを盗み飲んでるんだろうから、ちびちびとやってるんだと思うけど」

「はあ……いずれにしても、結構大胆な人だったんですね」

「大胆……? ああ、あれは単に夏服だろ。千石は本当に大人しいやつだよ。最初に会った頃なんて、目も合わせてくれなかったし」

「そう聞くと、あの髪型も結構攻めてるような」

「人は変わるもんだと、つくづく思うよ。きっと心境を変えるなにかがあったんだろう。いやあ、一安心、一安心」

 

 そうこうしているうちに、千石が部屋に戻ってきた。

 スナック菓子やらコップやらで溢れかえったお盆を両手に──ペットボトル入りのジュースも脇に抱えていたからだろう、階段を登って部屋に到着したという安堵からか、それとも酩酊状態だったからだろうか──? ぐらりと姿勢を崩した千石を、戦刃は素早い動きで支え、同時にお盆やペットボトルも取りこぼすことなく腕に抱えた。

 

「大丈夫ですか」

「っ……、ありがとうございます」

 

 戦刃から離れた千石は、僕と戦刃の向こう側に座り、手慣れた感じでコップにジュースを注いだりしていた。

 それらをあらかた終えた頃、こちらの様子を伺うように見ていた千石は(前髪が長ければ気が付かないような視線だった)話のタイミングを見計らっていたようだけれど、結局空気に耐えきれなくなってか、雑談などを飛ばし最大の疑問とも言えるであろう事柄を訊いてきた。いや──単にやはり、スケジュール的に忙しかったから、早めに済ませておきたいという気持ちがあったのかもしれない。だとしたら悪いことをしたなと罪悪感を覚える。

 

「ええっと……それで、暦お兄ちゃんの後輩さんが、私にどんな用があって、わざわざ希望ヶ峰なんて遠いところから来たのかな……?」

 

 千石の言葉には、不安の色が見えた。

 人見知りをしている、というわけではなさそうで。いやそれもあるのだろうけど、それよりも希望ヶ峰学園なんていう遠い土地の人間がわざわざこんな地方都市なんかに来るくらいに、私自身に利用価値があるのだろうか──という不安めいたニュアンスがひしひしと伝わってきた。

 

 その点別に心配はいらないと、言った方がいいか否かを考えるが、その結論が出るよりも先に議題の結論が出そうだった。

 

「千石さん。千石さんに、理想の姉っていうのを教えて欲しくって」

「理想の姉……?」

 

 戦刃のどこか言葉足らずなところを僕が補足すると、千石はある程度こちらの事情を掴めたようで、なるほど、と考え始めた。

 千石は顎に手を当て俯き、うーむと声を漏らしながら悩んでいた。考えていた。

 やはり、こういう質問はとっさに答えられないものなのだろうか──それとも、既に答えは出ているものの、言葉の取捨選択に手間取っているのだろうか?

 実際僕がこのようなことを尋ねられたとき、きっと、そのとき思ったことをそのまま言ってしまいそうだけど。

 お陰で今まで冷たい目で見られることが多かった──あまり、僕の趣味趣向が理解されることがない。結構、一般的だと思うけど……まあ、女性相手に話すことが多かったし、性別的に価値観が違う点があったりしたのだろう。

 

 少しの間を置いた後、千石はコップに入ったジュースを半分ほど飲んでから話し始めた。

 

「私、一人っ子だから……よくお姉ちゃんがいたらーとか、お兄ちゃんがいたらーとか、考えるんだけど……、でもやっぱり、そのときそのときで理想像っていうのは違うんだ。本当に、私の求めてることを映す鏡みたいで」

 

 だから。

 と千石は繋げる。

 

「きっとその妹さんにも鏡があると思うんだけど、きっとその鏡にはその人の求める理想が映ってるだろうけど、それはその人だけしか見ることのできないことだから」

 

 鏡、というのは、言い得て妙だった。

 誰もが自分の心の中に鏡を持っている──男子とは違い、比較的鏡に向かうことが多いであろう女子だからこそ、出てきた言葉かもしれなかった。どちらかといえば男子寄りな、下手すれば近頃の男子中学生よりも男男している火憐ちゃんからは到底出てこないような話だろう。

 江ノ島も鏡を持っていて、そこに映るものこそ、文字通り理想の像──白雪姫の魔法の鏡でないにしろ、つまり千石の言いたいことは、人によって理想というものは違うのだから、実際に江ノ島に聞けばいいだろうというもののはずだ。

 ……江ノ島と直接話し合うというところを抜き出すのなら、奇妙にも千石と火憐ちゃんの意見は一致していて、そしてやはりそれが最善策のように思える。

 

「だから、私はどうにも……個人的な理想を言うなら、優しいお姉ちゃんが欲しいなあとか、そんな凡庸な答えしか出ないし……。何があったのかは知らないけど、私がどうこう出来る話じゃないかな、役に立てなくってごめんね」

「いえ、良いんですよ、千石さん。ありがとうございます。お陰で、今後どうするかが、はっきりしました」

 

 ですよね? と戦刃はこちらを向く。

 

「ああそうだ、ありがとうな、千石」

「んん、なら、良かったのかな……?」

 

 そのあとは適当な雑談を──ほんと、他愛のない、寝て起きれば忘れてしまうようなくだらない内容の話をしていた。

 そろそろお昼時だし帰ろうかと腰をあげると、お昼ご飯でも食べて行って──と引き止められたが、これ以上お世話になるのは気が引けたので、また数日後に遊ぶ約束をして家路に着いた。

 

 帰路の途中、ふとこんなことを、戦刃から訊かれた。

 

「阿良々木先輩は、盾子ちゃんのことを、どう思っているんですか?」

「……どんな姉が欲しいとか、そういうのじゃなくって──江ノ島のことを、どう思っているか?」

「はい。理想だとか、そういうボンヤリとした抽象的な像でなく、一人の人間についてです」

 

 てっきり僕に対しても理想の姉について訊いてくるかと思っていたから、少々拍子抜けといった感じが否めないけど、だからとはいえ適当に答えていい質問でもなさそうだったので、真剣に、誠実に考えてみる。

 不真面目な奴のことを誠実に考えるだなんてこの上なくおかしな話だけど、実際考え始めてみるとどう答えていいのかがまるで分からない。

 江ノ島のことを、どう思っているか?

 そんなこと意識したこともないし──することもなかったから、上手いこと言葉が出てこない。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「なにも、深く考えなくってもいいんです。本当に、思ったことを口にしていただければ」

 

 そう言う戦刃に、「良いのか? 本当に。結構酷いこと言うぜ?」と前置きし、僕は江ノ島に対する印象というか、アイツに抱いている感情を言葉にした。

 結構本音だと思う。話す相手が話す内容の人物の肉親なものだから、柔らかめな言葉を自然に選んでしまっているかもしれないが。

 

「底抜けて、憎ったらしいやつだなあと思うよ。でも、憎ったらしくても憎めないみたいな……矛盾してるんだけど、分からないか? 嫌だなあと思ってても、実際そこまで嫌じゃないみたいな」

「はあ」

 

 意味がよく分かっていない様子だったため、言葉を付け足す。

 

「だからさ、僕は江ノ島の顔を見たり声を聞いたりしたら陰鬱な気分になるんだけど……でも別に、アイツことが心の底から嫌いってわけでもないんだよ。むしろ仲良いくらいだし」

 

 実際どうなのだろうか? 僕は江ノ島と、仲は良いのだろうか?

 自分で言っていてそんなことが気にかかる。

 結構、自分が思っていることと相手が思っていることというのは違っている場合が多い。それが普通で、それが当たり前なんだけど、だとすれば僕と江ノ島の互いの認識には、どのような相違点があるのだろうか……?

 案の定、アイツは僕のことを学校の先輩のひとり、程度にしか思っていないかもしれない、むしろその可能性が高い。今僕の携帯電話に残る無数のアドレスから鑑みるに、アイツは交友関係がとてつもなく広いようだし。

 かくいう僕の交友関係は、それこそ両手の指で事足りるようなほど狭いものだから、やはりそういった明らかな面からして、相違点があるだろうというのは明白だった。

 そう思うと、寂しい気がしないでもないが、ま、江ノ島が誰か一人を尊敬し敬うようなことは──それこそ命の恩人だとか、人生を変えてくれた人だとかしかありえないだろうから(それだって、アイツのことだ、そんな人に対してだってふざけた態度をとりかねない)、やっぱり僕がその位置に座ることなんていうのは叶わないことだろう。

 別に、江ノ島にそんな丁寧な扱い、されたかないけど。

 はっきり言って気味が悪いと思う。

 

「好きと嫌いは紙一重ってことだよ。それより、もう僕にできることはなさそうなんだけど……、どうする? 今日も泊まっていくか?」

「そうですね……じゃあ、お言葉に甘えて。明日の朝にでも帰ろうかと思います」

 

 そして、次の日の朝。目を覚ますと、僕の隣から人の暖かみを感じるには感じるのだが、いささかそれは小さなもののように思えた。戦刃はもっと、大きいはずだが……そう思い、気になって布団を捲り覗き見てみると、見慣れた幼女が静かに寝息を立てていた。

 

「……なんだ、忍か」

「なんだとはなんじゃ、失敬な」

 

 起きてるならそう言えよ。

 しかし忍がいるっていうことは……じゃあ戦刃はどこにいったんだ?

 そう思い一度布団から出て部屋を見渡して見ると、戦刃のあのリュックサックは部屋から消えていて。また、僕の机の上に見慣れない一枚の手紙が置いてあるのを発見した。昨日はなかったものだから、おそらく戦刃が置いていったものだろう。

 

 再び眠ったのだろうか、寝たふりかもしれないが、小さな寝息を立てる金髪の幼女を横目に手紙を開き、読む。

 

『阿良々木先輩へ。少し急用ができたので、先に希望ヶ峰へと帰ることになりました。挨拶もなくすみません。今回色々とお世話になりましたけど、お礼に何か差し上げようにも持ち合わせがなかったので、また今度いつかの機会になんらかの形でお返しさせてもらいます。戦刃むくろより。追伸、家の鍵を持っておらず、玄関の鍵を開けたままにするのは気が引けたので部屋の窓から出させてもらいました』

 

 確かに、窓が開いていた。……ここ二階だぜ? それにあの荷物を背負って出て行ったというのだから、とてもじゃないが女子高生のするようなこととは思えない。いや、戦刃は並みの女子高生じゃあないんだけど。超高校級であるのだが。

 

 おそらく即席で用意したのだろう飾り気のないその手紙を机にしまい、僕はまた布団の中に身を沈めた。

 二度寝をするために目を瞑ると、

 

「お主」

 

 と、忍が僕を呼ぶ。

 鬱陶しげに首を振ってから、「なんだ? 忍」と訊くと、忍はいつにも増して低いトーンでこう言った。

 

「あの残念娘、確か、派手娘の姉と言ったな」

「ああ、そうだけど。それがどうかしたのか?」

「……気を付けるのじゃぞ」

「気をつけるって、何がだよ。まさかあいつらが怪異に関わってたりするっていうのか? そんな感じ、しなかったけどさ」

「あほう。……怪異関連なら、まだ、儂とうぬとのツーマンセールスでどうとでもできよう。それでも、どうにもならないときは……癪なことじゃが、あやつら専門家にでも頼れば良い。……じゃが、そうでないものに、怪異殺しの名は無力じゃぞ」

「……なあ忍、僕はお前が何を言いたいのかがよく分からないんだけどさ」

「はあ。……ま、いずれ分かるじゃろ」

 

 そう言い残し、忍は布団を掴んで奥へと入り込む。

 いったいどういう意味なのか、説明を訊こうと布団を捲るも、既に忍は影の中に沈んでいった後だった。

 

 ……気をつけるも、なにも。まあ確かに、戦刃のやつは先日の通り実銃を持っていたりしたから、危険なやつではあるが。

 

 忍がなにを思ってそんな意味のわからない注意書きのようなことを言ったのか──そのときの僕には分からなかったし、分かっているにしたってそれに気付かないようにしているだけだったのかもしれないけれど。ともかく、難しいことは考えないでおこうと──それ以上。忍から注意されたということ以上のなにかを考えることはなかった。


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