「ところで、阿良々木先輩」
戦刃は──体格面から考えても僕より歩幅が大きいので、共に歩く以上は戦刃の方が先行しそうなものだがそこは彼女なりに気を使っているのだろうか──僕よりも一歩分後ろを歩いていた。
そのため、後ろから声をかけられる形になった僕は後方に意識をやって、前を向きつつ大きめの声で、なんだ、と返事を返す。
今の今まで僕が一方的に喋るばかりであったため(といっても、あんまり、おしゃべりな人間じゃないから二人揃って口を閉じていた時間の方が多かったと思うけど)、会話のキャッチボールではずっと受け身であった戦刃から話を振られたことに対し驚きを感じながらも、その言葉なりに興味に惹かれていた。
なんたって、あの江ノ島盾子の姉だ。
話の内容に興味を持たない方がおかしい。
怪異関係でないと限定するのであれば数少ない後輩のうちの一人の姉が、一体どんな人間なのか……。その正体を解き明かすにあたり、大きな手がかりとなる会話という手段を戦刃の方から提供してきたのだから、最初に僕が驚いたのも無理がないと言えるだろう。
双子の姉妹であり、そして人としての大切な何かを形成する時期を別々に過ごしたにも関わらず──それでも、お互いに超高校級の才能を獲得し、そして今では同じ高校に通う江ノ島と戦刃の二人に抱いた印象こそ──それこそ真反対であると言えるのであるが。
その身体に流れる血筋は同じものなのだから、どこか似たようなところがあるんじゃないだろうか、と。
育ちはバラバラでも、それでも、この二人の後輩には似てるところはあるはずだ、と。
そんな思いには、そうであってほしいという身勝手な願いも込められていたと思う。
二人からすれば迷惑な話かもしれないけれども、僕は超高校級の冠を被ることになった二人に一種の同情の心を抱いていたのだ。
何年か会っていなかったため二人の仲が芳しくないと聞いたときだって、なんとかその間を取り持ってやりたい、と、どうしたら良いのかを時偶考えていた。
結局手段という手段は思いつかなかったけど、だからこそ今回の出来事はチャンスだと思ったし、これから戦刃と関わっていくにあたり十分過ぎるほどに良いきっかけであった。
それに、戦刃の気持ちが分からないでもなかった。
妹との不仲という境遇が似ているから、ではない。
江ノ島に対する感情の抱き方が少し似ているように思えたのだ。
戦刃がアイツのことを「盾子ちゃん」と呼ぶように、そして不仲を不安に思うほどには家族愛を江ノ島に対して抱いている。
僕だって、戦刃ほどではないだろうがアイツのことを後輩として好きだと思っている。そこに大きな差はない。
ただ、江ノ島がその愛情をどう受け止めるかに、違いがあるんだと思う。
そして、戦刃が僕なんかに相談してきたところを察するに、それなりにこいつも江ノ島盾子という一人の人間の掴み所のなさというものを感じているはずだ。
江ノ島が姉を語るとき、愚痴を吐くことを楽しんでいる様子だった。
けれどもアイツはそういうやつだから。なんでも楽しそうにする──少なくとも激怒したり、涙を流して号泣したりはしない──やつだから、いくら笑顔を浮かべていても、その裏に伏せられた真なる想いというものを僕は汲み取れていない。
戦場ヶ原が以前言っていた、『江ノ島盾子はあまり関わらない方がいい。良い気分がしなかった』というのも、その実これが関わってきているのかもしれない。女の勘ってやつなのかは知らないが、戦場ヶ原はきっとそういう「本当の感情が表に出てこない得体の知れない何か」という江ノ島の
きっと江ノ島は、家族が死んだとしても、人に心配をかけまいと笑っていたり、愚痴を言ったり、死人を貶すような言葉を呟いたりするだろう。
その行動に同情はするが、理解はできない。
だからこそ指摘してやらなきゃいけないし。たかだか一年早く生まれただけだけれども、それでも僕は先輩という立場を利用して何かをしてやりたいと思っている。
戦刃だってそう思っているからこそ不仲を解消したいんじゃないのかって、勝手だけれども想像する。
そのためには、少なくとも二人には一般的な姉妹関係を築いてもらわなくっちゃいけないわけで。
僕としては戦刃のことも知っておきたいわけで。
結果だけ見ると後輩から女子高生を紹介してもらった男子高校生が日も置かずにその女子高生を実家に泊まらせるという、恋愛ゲームの主人公も真っ青な意味の分からない不埒な行動を取ってしまっているが……それはこの際気にしないでおこう。
必要悪だ、必要悪。
とにかく、だ。
僕はそういった思いが孕んだ期待を密かに寄せて、戦刃が次に口に出す言葉がどんなものなのだろうかと、耳を傾けていた。
「あの──」
と、言いかけたところで戦刃は、なにか他のものに意識を取られたようにして言葉を途切れさせた。
「ん、どうしたんだ? 財布を忘れたっていうんだったら心配いらないぜ。コンビニくらい、先輩である僕がお金を出すよ」
「いえ、そういうことではないんですけど……」
と言い、戦刃は躊躇った様子を見せながら街にいる女子高生らしき数人組の女子を指差した。
「……ああ。あの制服だと……私立直江津高校っつーここら辺じゃ頭の良いところの生徒じゃないかな。時間的に考えて、大方部活帰りってとこだろ」
「流石です、阿良々木先輩、制服だけでどの高校の女子生徒かを当てるとは。これは先輩にしかできないことですね。……でもそうじゃなくって、ただちょっと、変というか……」
「待て、僕は別に女子生徒の制服を見てどこの高校かを判別できるようなスキルなんざ持っちゃいない」
「え? 持ってないんですか? 服の上からヒップのサイズを女児限定で言い当てると語り継がれていたあの阿良々木先輩が、持っていらっしゃらないと?」
「持ってねえよ! 服の上からヒップのサイズを女児限定で言い当てるあの阿良々木先輩は、制服を見ただけでその高校名を言い当てる技術なんざ持っていらっしゃらないよ! そして訂正してもらおう、正確にはヒップでなくスリーサイズを、だ」
小中学生の制服ならまだしも、高校生はなあ。
専門外っていうか。高校生だと流石に引くというか。
「あの制服を着ている子が通う高校に──私立直江津高校に、ちょっとばかし、思い入れがあるってだけだよ」
「思い入れ、ですか」
「ま、深い事情とかじゃないさ。単にその高校が、希望ヶ峰に入る前の僕の第一希望の高校だったってだけで」
希望ヶ峰学園は完全なスカウト制で、高校生である者、または高校生としての資格を持つ者、高校生に進学する資格がある者の中から選ばれる。そのため、例えば一つ下の学年に所属してある石丸や桑田なんかは別の高校で一年以上在籍していて、そこで成果を挙げた結果超高校級の才能を持っているとしスカウトされたらしい。そのため僕と同い年、あるいは年上である。
僕らの先輩の中にだって海外でエスカレーター制度を利用し幼くして高校生としての資格を得、そして超高校級として希望ヶ峰学園にやってきた人だっているのだから、僕より学年が上ではあるけど年齢で言えば年下である、ということも少なくはなかった。
僕はというと、直江津高校に合格が決まった──つまるところ進学する資格を得た時点で、高校生と見なされ、スカウトが飛んできた。
戦場ヶ原も、羽川も、そして老倉も。話を聞くところによると恐らくはきっとそうだろう。
そういえば神原のやつも、直江津高校を受けてたんだっけか。希望ヶ峰に入れるかどうか分からなかったから、せめて戦場ヶ原が入学する予定であった直江津高校に入学したいと思っていたんだとかなんとか。そんな話を聞いたことがあったような気がする。
超高校級の才能を持つ五人が五人ともに同じ高校を受験するということは……それはさぞかし歴史ある高校なのだろうと噂されることは多かったが、別にそういった、一線を画するような高校ではないのだ。
羽川のような万能の天才が。
戦場ヶ原のような文武両道の天才が。
老倉のような異色の天才が。
神原のような努力の天才が。
少なくとも、そういう奴らが通うような高校ではない。
地域で有数の進学校であっても、あくまで一般的な高校である。
当時そこそこ頭が良かった僕が必死こいて勉強し、運が良ければ入れるような高校なのだ。
そんな高校に天才が四人も──僕を含めて五人、入試に合格していたというのだから、その神秘性や奇跡というものをどうしたって人は感じてしまうものだ。
ともかく、簡潔にまとめてしまうなら、私立直江津高校は僕からして『昔憧れを抱いていた学校』だ。
あそこに通っていたら、僕はどうなっていたか──考えることはあるが、明確な答えを出せたことは一度もない。
「ふーん……いや、そういう話じゃないんです。高校に興味が湧いたわけじゃないんです。そうじゃなくってですね、なんだか彼女ら、様子が変じゃないですか? こっちを見ながらずうっと、なにやらコソコソと話をしていますよ」
「? 気にしすぎじゃあないか?」
「……私は人よりも視線に対して敏感なところがあると自覚してますが、それ抜きでも……んむむ」
苦い表情で戦刃は言った。
言われてみれば、確かに、あの女子高生の集団はこちらを見て、そして何かを話しているように見える。僕ら二人の後ろに何かあるのだろうかと振り向いては見たが、特に変わった様子は無い。
僕も戦刃も、特段不審者めいた格好をしているわけでも無いし……。
「あれじゃないか? お前がなにかテレビで取材を受けたとかで、こんな地方でも有名なんじゃないのか? 昔っから、希望ヶ峰学園の生徒って憧れの的だろう」
僕の言葉を聞き、戦刃は何かを思い出すように黙った後、もっともな考えを口に出した。
「いや……私はあんまり、そういった類は好ましく思っていないので、基本的に断ってます。──あるとしたら、阿良々木先輩、あなたじゃないですか? そもそもここって、先輩の地元じゃないですか」
「それもそうだが」
確かにここは僕の地元であるが、しかしそう目立つようなことを過去にした憶えはないし……それに限って言うなれば、地域でヒーロー活動なんていう子供のようなことをしている火憐ちゃんが、僕のことを大きな声で触れ回っているという可能性しか考えられない。
それに、僕の他にこの地域には希望ヶ峰学園関係者が多数存在しているのだ。わざわざ僕なんかのことを記憶に留めている物好きはいないだろう。
「あれじゃないか? 戦刃が見慣れない顔だから、物珍しがっているとか」
「そういうもの……なんですかね?」
「そういうものだ……って、割り切った方が楽だろう」
「それもそうですけど……」
超高校級の軍人。
海外の軍隊に籍を置き、幾度もの戦線を潜り抜けてきたにも関わらず、その身体に傷というものは一つとして存在していない。
夏という季節によって晒された健康的な二の腕や太腿を見て思うが、普通の女子高生との違いは然程なく、運動部に所属している筋肉質な少女という触れ込みで紹介されたとしても疑問は湧かないはずだ。
その瞳に込められた力強さというものは計り知れないものがあるけれど。しかしそれでも女の子なのだと思ってしまうような幼さを感じ取れる。
そんな彼女を彼女足らしめる一因として、視線に敏感であることがきっとあるはずだ。人の気配にいち早く気付く、殺気を察する、妙な視線に気がつく。
そういった無意識で働く自己防衛が、こうした日常の場面でも発揮してしまうのは職業病であるだろうし、日頃からそうやって自分の身を守らなければ生きていけない世界で生きてきた、という可憐な少女らしからぬ半生によるものでもあるのだろう。
そんな彼女が人の視線をやたらと気にするのは至って普通で。
非日常が日常である彼女にとってはいつものことなんだろうけど。
なんだかそれは、とても悲しい。
「気にしすぎだぜ、別に悪いことをしたってわけじゃないんだからさ」
「それもそう、なん、ですかね」
どうも煮え切らないようで、所々言葉を区切りながら戦刃はそう言った。けれども、もう気にしないことにしたのか、それ以降その女子高校生たちについて言及することはなかった。
外を出歩いていて、誰か知人に出会う──という奇跡的展開に陥ることはなく、ごく普通にコンビニへ向かい、ごくごく普通に買い物を済ませ、ごくごくごく普通に帰宅した。なにか出会いに期待していたわけではないが、しかし少しガッカリとした思いであった。
帰宅し、玄関の扉を開けると、リビングのキッチンから名状しがたい音が聞こえてきた。おかしいな……あいつ、今料理を作ってるんだよな? なにか得体の知れない冒涜的な何かと戦っていたりはしないよな?
アイスを買ったものだから冷凍庫に入れておきたかったんだけど、あの様子じゃあ部屋に入るだけで危険度マックスって感じがするし……。止めに行きたい気持ちはあったが、なによりもまずは客人である戦刃の安全を確保することが最優先であると判断し、リビングに向かうことはなく玄関から直接二階へと身を運んだ。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと言えば嘘になるな」
「じゃあダメじゃないですか」
ひとまず僕の部屋に連れてくることで戦刃の安全を確保し、ホッと息をつく。
「ちょっと用事があるからさ、少し部屋を離れるけど、適当にお菓子でも食べておいてくれ」
「用事ですか?」
「ああ。こっちの友達と少し話をしてくる」
「別に嘘はつかなくっても良いんですよ、妹さんのことですよね?」
「嘘なんてついてねえよ!」
「友達がいるという嘘は、後で自分を苦しめますし、あんまりしないほうが」
「だから嘘じゃない」
「いいんですよ。私たち、出会ってから日は浅いですが、これでも後輩として尊敬の念はありますから。嘘なんてつかなくっても」
「安い同情の目で僕を見るな! 本当に友達と会うんだ!」
友達って言っても、人間じゃないけど。
そして童女だけど。
別に嘘はついてない。
軽い憤りを感じながらも「本当の本当に友達と話すんだ!」という子供染みた捨て台詞を残して、僕は部屋を出、隣にある火憐ちゃんの部屋へと入った。手土産に友達の好物であるカップアイスを携えて、だ。
部屋に入るとすぐにその姿が目に入る。ベッドの隣に、グデン、と。まるで人形のように力無い表情で座り込む童女──もとい式神である斧乃木ちゃん。入ってすぐの場所に居るというのもあるが、なによりそのロリータドレスという洋風な格好がとても目立っていた。
相変わらずなに一つ変わらないなあと懐かしみを覚えるが、それもそのはずである。彼女は式神──怪異なのだ。人でなく、怪異。
魑魅魍魎、妖怪、異類異形、変怪、魔物、お化け──そういったものに
今はいい大人である怪異専門家たちが大学のオカルト研究サークル時代に作成した死体人形──それが、斧乃木余接。
だから斧乃木ちゃんは普通の人間には出来ないことができるし、その幼げな容姿からは想像がつかないほどの並外れたパワーと戦闘能力を有している。また、寿命もきっと半永久的なものなだろう。致命的な傷さえ負わなければ永遠に生きていられるはずだ。いや、もしかしたら術式に期限があるかもしれないので堂々胸を張って言えないことではあるが、既に死んでしまっている死体人形の彼女がもう一度死ぬことはないはずだ。
そして、そんな斧乃木ちゃんには表情がない。なにかを愉快に思うことはあっても、悲しいと感じても、怒りを覚えたとしても、常に無表情なのだ。感情がないわけではない、ただそれが表に出てこない。それに──死体な訳だから体温があるわけでもなく、また汗もかかず生理現象もない。
トイレに行かなくていいというのはなんだか楽そうな気がするが、汗をかかないというのは体温調節ができないということなので、夏はとても熱くなってしまうんじゃないだろうかと、どうしたって気になってしまう。
斧乃木ちゃんは死体なわけだから、地球温暖化が進みつつある現代の夏の日射で、腐っちゃうんじゃないかと心配し僕はアイスクリームを毎日のように送っているのだが──実際は腐らないかもしれないが、石橋を叩いて渡る。というものだ。杞憂に終わればそれでいい──それでも、直接確認しておかないと不安であるし、なにより長い間会っていないと気持ち的に寂しい。
「斧乃木ちゃーん」
声をかけるが、反応がない。『どうやら ただの しかばねのようだ』、というエフェクトが出てていてもおかしくない。
さらに声をかけてはみたがやはり反応がなく、スカートの中身を覗いたりほっぺたを引っ張ってみたり目の前で手を振ってみたりしたのだが、やはり反応は皆無だった。
あれ? 斧乃木ちゃん、もしかしてただの死体に戻っちゃったんじゃ……。
妹の部屋にいることがバレると色々ややこしいことになるので、ひとまず部屋を出てから考えようかとドアノブに手をかけると。
「やあ、鬼のおにいちゃん。略して鬼いちゃん。どこに行くんだい、せっかく再会したっていうのにさ。……もっとも、その感動の再会でスカートの中身を見るというのは人間性を疑うけどね」
「生きてるならちゃんと最初から反応を示せ。死んだのかと本気で心配したぞ」
「おかしなことを言うんだね。心配もなにも、僕はとっくの昔に──百年前に死んでるっていうのにさ。死体なんだから」
無表情から繰り出された自虐に、どう反応していいものか口をぱくぱくとさせていると、そんな僕の様子を見かねてか、まるで糸の切れた操り人形のように力を感じない佇まいであった斧乃木ちゃんは人間らしからぬ挙動で重力に反した起き上がりかたをし、僕の前にゆっくりと立った。
日本の地方都市には相応しくない華美な洋服は、一つひとつの所作ごとに所狭しと
なんでもこの服は、暴力陰陽師と悪名高い影縫さんの趣味だとか。
ひょっとすればあの影縫さんも、人前では見せないだけで家ではこういう服装をしていたりするのかもしれないと思うと、見てみたいという興味が心の中にふっと現れる。けれども、そんな影縫さんのプライベートを覗いてしまった日には二度とその目では何も見れなくなってしまいそうだと戦慄する。
「で、その手に持っている円柱形の冷たくて甘そうなものはなんだい。せっかくだし、乗り気じゃないけど、これも縁だよね。僕が味見するよ」
「アイスってわかってるじゃねえか」
「アイス? ああそれ、アイスだったんだ」
「醜いぞ」
「醜いのは鬼いちゃんの心だよね、アイスなんかでいたいけな童女の心を惹きつけようとしちゃってさ」
「生憎だが、童女なんかに興味はない。僕はおねーさんが好きなんだよ、包容力のある、おねーさんがさ」
「よく言うよ」
真夏の密室は非常に熱がこもる。火憐ちゃんの部屋にいることがバレないようにと扉や窓を閉め切っていることが災いし、僕の体温は上がるばかりで、四肢には気怠さがまとわり始めた。
帰省するための長時間の移動の疲れが溜まっていたというのもあってだろう。いい加減な態度で、押結露でふやけたカップアイスを押し付けるようにして斧乃木ちゃんに渡す。
斧乃木ちゃんは、強引に手渡された手中のカップアイスを驚いたように見つめたあと、火憐ちゃんのベッドの上に座った。
妹のベッドに腰を下ろすわけにもいかないため、床に転がっていた椅子を起こしてそこに座る。
「それで、夏休みはどういった調子かな? 友達の少なさに絶望したりしないのかな、鬼のおにいちゃんはさ」
「そこそこって感じだ。というか、夏休みもなにも補習ばっかりだったし」
「補習……、補習ってアレ? 定期考査で点数が芳しくなかった人が受ける、例のアレかな?」
「む……」
斧乃木ちゃんは感情が表情に出ないのと同時に、声にも感情が乗らない。いつだって安い機械音声のような喋り方をしているのだが、どうも今の言葉には僕を嘲るような気持ちが込められているように感じた。
「……ねえ、このアイス溶けてない?」
不満げな態度で、斧乃木ちゃんは液状化し始めたアイスの表面をスプーンを使って叩く。
「斧乃木ちゃんがすぐに起きなかったからだろう。僕に責められる謂れはないよ」
「そうやって人に責任を押し付ける癖をどうにかしないと、鬼いちゃん、友達なくすよ」
「現に今、こうして目の前に実例がいるもんだから首肯することしか僕にはできないな」
「まるで僕が、人に責任を押し付けていて、友達が一人もいないみたいな言い方をするんだね。今このワンカットしかこのSSでは書き表されていないからって、厚い人望を各所から集めるみんなのアイドル的存在な僕の人物像をデタラメにでっち上げるのはどうかと思うな」
「そう言ってるんだよ! つーか、でっち上げてるのはそっちじゃねえか! デタラメ言いやがって!」
「怖いよー、鬼いちゃんがロリかっけーみんなのアイドル斧乃木余接ちゃんを虐めてくるよー、画面の前のおにいちゃんおねえちゃん、助けてー」
斧乃木ちゃんって、こんなキャラクターだっけ?
また誰かに影響されたのだろうか……最初に会った時は、もっとこう……冷たいっていうか、クールで大人びていたような気がしなくもないのだが。
「人に理想を押し付けるのはやめてほしいね」
「だったらみんなのアイドルなんざ辞めちまえ。つーか、ナチュラルに僕の心を読むな」
「付喪神として人にできないことができたりするけど、人の心を読むのは、それは
「まあ、エスパーっていうよりかはゴーストって感じだしな」
「うーん、まあ、かくとうに敵わないあたりゴーストタイプって感じはしないよね。もっとも──お姉ちゃんは、ゴーストタイプ相手でも“こうかはばつぐん”を決めてきそうだけど」
ありえそうで怖い。というよりか、むしろそういったヴィジョンしか見えてこない。
話すネタが尽きたわけではないのだが、何故だか黙ってしまう。よくあることだけれども、未だにこの感覚に慣れることはない。
アイスを舐める斧乃木ちゃんを見て、味を感じたりするのだろうか──と気になったのだが、聞くだけ野暮だろうと好奇心を抑えた。そんな僕の視線に感づいたのか、斧乃木ちゃんの方から僕に話を振ってきた。
「ところで、夏休みはどうだい? 元気に補習やってる?」
「…………。補習自体は、つい先日終わったばっかりだよ、これから何して遊ぼうか胸がワクワクしてる」
「卒業できるか分からないっていうのに、呑気なもんだね」
「卒業くらいできる! ……多分」
「多分、おそらく、きっと……そうやって人は過ちを繰り返していくんだね」
呆れたように、斧乃木ちゃんはアイスの乗っていないスプーンを口で咥えた。
「こっちの近況報告をするのなら、特になしって感じだよ。依然変わらず……かな」
「そうか、ご苦労様」
斧乃木ちゃんは、僕と忍が無害認定を得た時から一緒にいる存在だ。
名目上は僕が友達からもらった人形として希望ヶ峰の方にある僕のアパートに住んでいて、主な仕事は僕と忍の監視──のはずだったのだが、この夏休みは休暇ということで、今現在、この田舎町にある僕の実家に滞在している。自然の空気が吸いたいなんてほざいていたが、この街は決して緑が多いわけではないし、山だってそう近いところにはない。
そして監視というのには、また訳がある。
臥煙さんが元締のネットワーク下での無害認定を貰いはしたが、やはりそれでも不確定な要素が多いわけで。外部内部両方からの批判が殺到しているらしいのだ。
しかしそれも、もっともな意見である。
怪異を喰らう者であり、怪異の王と呼ばれ、長きに渡り脅威と猛威を振るってきた忍に対する“危険だ”という意識が、もう危険じゃないなんていう言葉一つでそう簡単に覆るはずもなく──事実、僕が死ねば、忍は全盛期であったあの頃の姿に返り咲くことができるのであるから、それは今にも発射しかねない全世界に照準が合わされた核弾頭のようなもので──そのため、今となってはただの小さくて可愛い幼女に成り果ててしまった忍に対し危険視する意見はそう少なくはない。
そこで、斧乃木余接という式神を監視につけることにより何か異常事態があれば暴力陰陽師と呼ばれる、不死性の怪異専門家、影縫余弦さんに即連絡……また、最低限の対処が出来るように──ということらしいのだが、その連絡andストッパー役もこのザマである。
なんだよ休暇って。
君の代理なんていないぜ?
「んで、斧乃木ちゃん。特に用事はないんだけどさ」
「ないなら帰ってよ」
冷たい童女だ。アイスに影響されて体はおろか、心まで冷たくひんやりしてしまったんじゃないか?
悪態をつかれながらも、ふと、聞いてみようかと思った疑問を斧乃木ちゃんに尋ねてみる。
「斧乃木ちゃんは、姉が欲しいとかって思ったことはあるか?」
「……妹が、ならその質問はあってるかもしれないけど、姉? おいおい。養子をとるのかい? 鬼いちゃんは」
「とらないよ」
つーか、それだとまるで斧乃木ちゃんが僕の娘みたいになってしまうじゃないか。十代で子供はちょっと早いよ。
「──そうだね、そんなこと、考えたことないね」
斧乃木ちゃんは、アイスを半分ほど食べてから蓋の裏についたアイスをペロリとなめとる。
「姉も妹も兄も弟も父も母も叔父も叔母も従兄弟も従姉妹も甥も姪もお爺ちゃんもお婆ちゃんもいない僕に、もし家族が出来るなら──なんていう質問は意味をなさないよ。そんなの、人間に翼を使った空の飛び方の教えを乞うようなものだからね」
あっでも、お姉ちゃんはいるけどね。
それでも、家族ってわけじゃないんだけど。
──と、やはり無表情で答える。
「でもまあ、僕は翼なんか使わなくったって飛べるけど」
そういって、斧乃木ちゃんはピンと一本伸ばした人差し指を瞬間的にバレーボール大のサイズに肥大化させた。
半永久的に死なないというだけの斧乃木ちゃんがなぜ、弱体化してもなお危険だと嘯かれている旧キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード──現忍野忍の暴走時のストッパーを任されているのかという疑問に対しては、先述の力が大きく関わってくる。
その力とは、斧乃木ちゃんの童女と違わないような小さき体躯からは到底想像がつかないような暴力的、破滅的な能力である。体の一部を瞬間的に肥大化させ、相手に打つける──至極シンプルな力ではあるが、こと破壊においてシンプルさというものは何事にも変えがたいものだ。
その力を足で使うことにより、肥大化からくる多大な反動で斧乃木ちゃんは文字通り空を跳ぶのだ──飛ばされた、吹っ飛んだと形容した方が適切かもしれないけれど。
「飛ぶっつーか、跳ぶって感じがするけど」
「誤差だよ、誤差。翼なんて適当に見繕っておけば、見た目だけは飛んでいるように見えるんじゃないかな」
「その翼が、跳んだ瞬間に付け根からもげていく未来しか見えないんだけど」
「羽が舞うなら、それはそれでまた幻想的じゃない?」
正体不明の童女が地面を破壊して空高くへと発射され、後には無残に千切れた羽しか残らない……というのは、幻想的っつーかトラウマになりそうなものだけど。
「そうか、ありがと。僕は帰省に来たわけだしもう少し滞在するんだけどさ。帰りは、一緒に帰るか?」
「良いね。ああいうカバンの中に入ってどこか施設に侵入するっていうやつ、一度でいいからやってみたかったんだよ」
「ちゃんと金を払って乗車しろ!」
「百歳は超えてるだろうから、シニア割引発生するかな……?」
「……子供割引でいけるんだから、わざわざシニアの方で行こうとするなよ」
「子供扱いしないで。僕だってもう大人なんだからさ」
「高校生からアイスを貰う大人とは」
「付喪神だからね、神饌みたいなものだよ。氷菓子の神饌」
「安上がりな神様だな!」
別に神様ってわけでもないだろうに。
いやまあ、八百万の神がいる──何かそこに置いてあれば神だと思った方が良いくらいに神様っていうのはいるわけだから(なんせ、米粒の中にだって七人もいるらしい)斧乃木ちゃんが神様でも不思議ではないんだけど。
「で、どうする? 自分で帰ってくるか?」
「うーん、そうしよっかな。鬼のおにいちゃんと後輩さんを邪魔する訳にもいかないし」
「……、勝手に言ってろ!」
そう言って、僕は立ち上がった勢いで部屋の扉の方へと向かった。
「じゃあな、斧乃木ちゃん」
「うん、またね。鬼のおにいちゃん」
家の中なので、こうして別れの言葉を告げるというのは違和感のあるものだったが、一応はそう言ってから自身の部屋に戻った。
もしかしたら中で戦刃が服を着替えているかもしれないので(流石に先輩の部屋で着替えるほど無防備な女子ではないだろうが)、しっかりと紳士的にノックをし、そして声が帰ってきたのを確認し、どうやら大丈夫そうなので中に入ると、戦刃は武器の手入れをしていた。
扉を閉じた。
服を着替えていてくれた方が幾分マシな光景だった。
頭が酷く混乱したが、きっとあれはモデルガンとかいうやつだろう。軍人というし、日頃から体を鍛えてはサバゲーで実力を発揮しているのかもしれない。うん、きっとそうだ。
先鋭と煌めくサバイバルナイフが見えた気がしたが、きっとそういう練習用の素振りのやつなのだと、自分に説き聞かせるかのようにしてからもう一度部屋へと入る。
いやあ、そういう趣味があったんだな。ま、ミリタリー好きとか言ってたし、あり得ない話でもないか。ようし、ここは先輩として、話でも聞いてやるとするか。
「よっ、戦刃。サバゲーか何かで使うモデルガンか? 結構金属っぽい重量感があるんだな」
「いえ、実銃ですよ。気になります? これは
「…………」
「…………」
二人の間に流れる沈黙。
今日一番に饒舌に語らっていた戦刃は豆鉄砲を食らった鳩のように目をパチクリとし、うまく状況を飲み込めていないようだった。
「戦刃……日本はだな」
「あっ! 違います違います! 普段扱ってるのが本物なものですから間違えたんです! モデルガンですよ、モデルガン! なんなら触ってみますか?」
戦刃は見るに苦しい明らか様な言い訳を並べ、実弾と思しき薬莢、亀の甲羅のような模様をした無骨な手榴弾。また、レーションらしきものであったりを後ろに退けてから、先ほど説明のあった拳銃を前に出してきた。
いくら後輩の好意とはいえ(好意と言えるのだろうか)こんなものを受け取るわけにもいかないので、 拒否のモーションをとって後ろに退く。
しかし、ただの帰省で一般的な先輩の家にお邪魔するのにこんな法外なものを持ち出すとは……。
江ノ島、お前の姉は残念っつーか、もっと上のなにかなんじゃ……。
「ま、まあ。別に実銃を見たことがないってわけじゃないから、駄目ってわけでもないんだけどさ」
だからって良いってわけでもないんだけど。
「すっ、すみません。盾子ちゃんが『男は夜になると獣になる』なんて言うものですから、一応護身用に……別に素手でも大丈夫かと思ったんですけど、なんせ相手があの阿良々木先輩ですし……」
「僕だって銃弾が当たれば死ぬからな?! なんか僕のことを人間とは別のモノとして捉えてはいないか?!」
「当たらなければどうということはない、ってやつですよ」
「当たっちまえばそれまでよ、だ! というかそれ、撃たれる側のセリフだからな!」
閑話休題。
ともかくこの場から離れたいと思った僕は、「晩御飯ができたら呼ぶよ」と言い残し、逃げるようにして一階へと駆け降りた。
夜は廊下で眠ったほうがいいかもしれない。
3/31 修正