阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 電車に揺られて三時間。と言えば多少は風流があるかもしれないが、最近の電車というものは──特に新幹線というのは揺れがとても少ない。騒音なんてものもいじらしく控えめで、眠りから目を覚ました時なんて、あまりの揺れの少なさに電車が止まっているんじゃないかと思ったほどだ。

 ガタンゴトン。

 そんな言葉を、子供の頃は呪文のようによく唱えていたものだけれど、ひょっとすれば今頃の子供はもっと違う表現の仕方をするのかもしれない、すー、とか、しゃー、とか。……ホバー移動か何かか?

 ともかく僕は都心からは程遠い田舎街に──我が故郷へと帰ってきたのだ。帰ってきたのだが、しかし懐かしいや嬉しいといった感情よりも、長時間シートに座っていて体が痛いという思いの方がどうしたって強く表に現れており、今すぐにでも家に帰ってベッドに倒れ込んでしまいたい思いで僕はいっぱいだった。改札を出てすぐのあたりで一旦荷物を地面に降ろし、肩を降ろして息を吐く。あの公園で戦刃と話をし、そして急遽人数が二人となった帰省の支度に少し時間をかけてから三時間は新幹線に乗っていたのだ。右手首に巻いている腕時計を見ると、もう既に午後の四時である、おやつの時間過ぎてるじゃねえか畜生。別に三時になったらお菓子を食べるという習慣はないんだけど。

 午後の四時という昼でもなければ夕方とも言い難いなんとも曖昧な時間だけど、しかして僕の体は疲弊している。もとより、何かしら運動をするということは慣れちゃいないのだ。あの春休み以降吸血鬼としての能力(スキル)を手に入れた僕は常人と比べて()()()()()身体能力を保持しているが、けれども所詮それ止まりであるし、なんなら忍に血を吸わせてやらないと望むような力を発揮することはできない。最後に忍に血を吸わせてからだいぶ経っているもんだから、僕は身の丈にあった体力になっているのだ。

 ともかく。

 そんな僕と相反し、戦刃は新幹線に乗る前と変わらない面持ちであった。その上僕の顔色を伺っては「荷物を持ちましょうか」なんて言う始末だ。流石超高校級の軍人っつーか。

 しかし、だとしても、僕は先輩としての尊厳を守るべく後輩に頼るわけにもいかないので、丁重にお断りし、あるかないか分からないような力を出して電車を乗り換え、バスを乗り継ぐ。

 いつもは自転車で街を走っていたものだから、バスに乗ると否応無しに新鮮さを感じてしまう。こんなに高い目線で町を眺めるのはいつ以来だっけか。

 

「阿良々木先輩はこの街でお生まれになったとか」

「直江津市、これといった特徴もないただの田舎町だよ」

「……私の故郷も、こんな町でした」

 

 戦刃は水垢のついたガラス越しに町を眺めながらそう言う。鏡に映るようにして鏡面に映る戦刃の表情には、言い知れない哀愁があるように思えた。

 

「こんな町、って、まるで今は違うみたいな口ぶりだな」

「ええ、私が幼い頃に紛争が起きまして、ちょうど町は二大勢力に挟まれる形にあったので……今は焼け野原じゃないですかね」

 

 ……あまり聞いちゃいけない過去を聞いている気がする。それにしちゃあヤケにあっさりとした物言いだが。

 しかし、軍人になった理由はミリタリー好きが転じて──と聞いていたけど、実のところその紛争とやらに巻き込まれた際、助けてもらったから憧れを抱いた……なんていうベタなものなのかもしれない。

 

「いや、嘘ですよ。そんな悲しい顔しないでください。そもそも平和主義の日本で紛争なんて起きるわけないじゃないですか、私は生粋の日本人ですよ」

「そんなことだろうと思ったよ!」

 

 そして、帰宅。

 

「ほほう、ここが阿良々木先輩の実家ですか」

「神原とかには言うなよ、後が怖い」

 

 手押しで玄関扉を開ける。すると、廊下の奥の方からうるさい足音が聞こえて来た。よし、閉めよう。

 直感的に迫りくる危険を感じ、僕はタイミングを見計らうもなにも無く玄関扉を勢いよく閉める。その音に戦刃は一つも心の揺らぎを見せない。そして、獣皮で地面を叩きつけるような足音が消えたかと思えば玄関のガラス越しに一つ足跡が見えた。それと同時に、電流が痺れたかのように肌が震える。後一歩扉を閉めるのが遅れていたら……きっと扉に残るくっきりとした足跡は僕の顔に付着していたことだろう。向こう側から「ああ? にいちゃん! なにやってんだよ!」と罵声が飛んでくるが、それはこちらのセリフである。

 

 扉を開き、背負っていたリュックサックを投げつけては「お前こそなにやってんだ……」と溜息混じりに言う。

 

「なにって……そりゃにいちゃん、挨拶だよ挨拶!」

「挨拶で実兄の顔に飛び蹴りを食らわす文化があってたまるか! 短パン小僧だって目と目があってから勝負を申し込んでくるぞ!」

「うるさいなあ……」

「いやっ、もっと喜ぼうぜ? お前の愛してやまないお兄ちゃんが帰ってきたんだしさ」

「ん? ああ」

 

 火憐ちゃんは気だるそうに右足を抜き上げると、それをなんの躊躇いもなく敵意を持ってこちらへと振りかざしてきた。

 

「うわっ! なにすんだてめえ!」

「いやっ……だって兄ちゃん寝言()ってるから起こしてあげようかと思って」

「そんな気遣いいらねえよ!」

「っかしいなあ。師匠はこれでいいって言ってたのに」

「一度僕は親を交えてお前の師匠と話をしなきゃいけないようだ」

 

 客人に立たせたままというのもなんだ、火憐ちゃんの手厚い歓迎は無視して戦刃をリビングの方へと案内した。

 

 今更だが、彼女にはどこの部屋で寝て貰えばいいだろうか……両親に後輩が泊まりにくると伝えてはいたが、どこに泊めるかということを一切決めてなかった。無計画もいいところだなと自分の愚かさ加減に呆れ、とりあえず僕の部屋でいいだろうと荷物を置いてもらうために先に二階の部屋に行くことにした。

 

「元気な妹さんですね」

「元気なだけだよ、まったく、可愛げがあって欲しいもんだよ」

 

 長い間換気をしていなかったからだろうか、部屋の扉を開けると埃っぽい篭った臭いが顔を包んだ。少し表情をしかめながら、リュックサックをベッドの上におろし窓を開けて換気をする。

 やはり夏だからか、夕方の時間帯になっても外はだいぶ明るかった。扉を開けたせいで、蝉の声がうねるように聴こえてきた。

 

「ここは僕の部屋だけど他に部屋もないし、ここで寝てくれ」

「それじゃあ阿良々木先輩が寝れないんじゃないんですか?」

「大丈夫、詰めれば二人くらい寝れるから」

「そうですか」

「んじゃまあ、荷物はここに置いといて、これから僕の無粋で乱暴な妹を紹介させてくれ」

 

 一階にあるリビングでは、火憐ちゃんが大きなボウルに生卵を入れ、バニラエッセンスをかけてすすっていた。……いったいどこのストイックなボディービルダーだ、お前は空手家だろうとツッコミを入れたかったが、それをグッと抑え。

 

「よう、火憐ちゃん、久しぶり。元気にしてたか?」

「おうにいちゃん。彼女出来たんだな」」

 

 ……なんだか激しく勘違いをされてる気がする。

 きっと戦刃のことを言っているのだろうと思い、少し申し訳なさそうな顔で戦刃の顔を見ると、笑っているわけでもなく、また怒っているというわけでもないが無表情でもないという筆舌しがたい微妙な顔つきをしていた。……ともかく、誤解は誤解なので急いで訂正を加えると。

 

「なんだ、彼女じゃねえのかよ。あたしは彼氏いるってのに、にいちゃんはまだなのか。遅れてるなあ、今時小学生でも惚れた腫れたの付き合いしてるぜ」

「ちょっと待て、お前に彼氏がいる? はっ、笑わせるな。僕はその彼氏とやらに会ったこともないぜ?」

「にいちゃんが会いたがらねえだけじゃんか。なんなら今から呼ぼうか?」

「ああ呼べよ、呼べるもんならな。というか、もし本当にいるならそんなどこの馬の骨ともわからないやつ、ぶん殴ってやる」

「にいちゃんはあたしのお父さんか!」

 

 確かに、これは僕のすることではないような気がするので不意打ちを食らわせるくらいにしておく。ともかく今は戦刃の紹介だ。

 

「こちら、戦刃むくろさん。僕の後輩。おかしな話だけど、僕も今日初めて会ったからよく知らないんだけど、仲良くしてくれよ」

「戦刃むくろです。その、よろしくね」

 

 素っ気ないというか、少し緊張しているのだろうか。彼女はかなり極限までに削られた挨拶をする。

 

「で、こいつが僕の無粋な妹。なかなかでかい図体をしてるし、神経も図太いからこき使ってやってくれ」

 

 人前でちゃん付けするのには少し抵抗がある──それも、後輩の前だから尚更なのだが、よく考えれば帰ってきて早々ちゃん付けしてたなと思い出した。今更どう取り繕うと手遅れかなあ。

 

「どーもお姉さん。あたしは阿良々木火憐……って、にいちゃん! こき使うってなんだっ? こき使うって! にいちゃんにそんな権限ねえだろ!」

 

 なにはともあれ、双子の姉と年違いの兄妹の妹の方との初対面であった。この妹を見て、戦刃むくろはなにを思ったのだろうか。火憐ちゃんの姿に江ノ島を重ねたりしたのだろうか──

 

「戦刃、お前ってアレルギーとかあるか?」

「いえ」

「それじゃあ、火憐ちゃん。ご飯作ってくれよ」

「ええっ! 嫌だよあたし、めんどいもん。にいちゃんが作れよ!」

「火憐ちゃん、僕は長旅で疲れたよ……」

「名作のセリフを使うな! あたしは名犬じゃないぜ!」

 

 名妹だ! と火憐ちゃんは自信満々に言うが、名妹なんて言葉ないだろうとツッコミを入れたい。

 

「でも、お客さんに料理をさせるわけにはいかないだろ? それに、僕は僕で故郷に帰ってきたわけだから色々と地元の知り合いに話をしに行かないといけないわけだ。だから必然的に消去法でお前がやってくれ」

「にいちゃんに知り合いなんていたっけ」

「いる!」

 

 と言ってみたが、よく考えなくてもこっちに知り合いはほとんどいなかった。せいぜい千石くらいだろうし、それにしたって同級生ではなくたまたま出会った昔の通ってた中学の後輩という近いようで遠い感じの関係だ(それにしたって僕と千石は四年以上年が離れているわけだから、同じ時期に中学で勉学に励んだことはないんだけど)。

 

 ともかく、なんとか妹を丸め込んで料理を作ってもらうことになった。その間暇であるので、少し戦刃と街へ出向くことにした。僕はだいぶ疲れてるし火憐ちゃんと話してさらに疲労が筑西されたわけだけれども、まあ、別段する事もないわけだから適当にコンビニでも行ってお菓子を買おうという考えだった。

 

 夏休み中ということは、もちろん他の生徒達も帰省しているわけであり。もしかしたら羽川や神原、戦場ヶ原もこの街に戻ってきているかもしれないなと思うと、流石にコンビニで会うことはないだろうが、その道中ならひょっとしてがあり得る。いや──けれども、羽川は確か家に帰っちゃいないんだっけか。あいつはあいつで、事情があるからな。この地域にお土産らしいものはないが、羽川にはお世話になっているから学園に戻るときにはなにか買って帰ろう。

 

 特になにも考えはなく、後輩を連れぶらりと外へ出向いた。


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