阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 江ノ島盾子の姉である戦刃むくろと、メール越しではあるが初の接触を行った次の日。今日も今日とて返って気分が悪くなりそうなほどの激しい快晴であった。

 

 僕はようやく、晴れて夏休みの補修から解放され、そしてやっとの思いで長期休暇を楽しみ満喫することができる。祝日や休日というものを嫌い、なによりも長い休みを良しとしない平日至上主義者の僕ではあるものの、しかし今回ばかりはそんな休みの日でさえ楽しみに思えている。

 実は今日から──というより、昨日学校に帰ってからすぐに向かう予定であったのだが、我が故郷である地方都市のその田舎、直江津市へと帰省することになっていたのだ。実家に対しては言葉にできないような嫌悪感を抱き、無意識下で遠ざけていたのだけれども、しかしこんなときくらいじゃないと帰れないというのも確かなことであった。どんなに嫌なものでも──それから長い間離れてしまえば、少しくらいは哀愁の感情が湧いてくるというものである。

 もっとも、後輩との用事ができたと親に話しそれは少し延期にすることになったけど、別に休みというのは幾らでもあるし(流石に、戦場ヶ原や羽川が親切で行ってくれている家庭学習をすっぽかす事はできないので限りはあるのだが)、一日くらいなら予定がズレたって問題ないはずだ。どんな話をするのかどうかはさておき、僕は戦刃との会話が終わり次第新幹線に乗るつもりである。

 妹からの反感がとても強く、幾度となくメールやら電話が届き着信音がうるさいがあまりに携帯電話の電源を切ってしまったのだけれども、さてはて、帰郷し面と向かって会敵したとき、僕の体はどうなっているのやら……。火憐ちゃん、怖いんだよなあ、あいつ、空手(という名の対人殺戮武道)習ってるし、悔しいことに体格差でも負けてるから勝てそうにないんだよ。

 五体満足で新学期を迎えられるかどうか、というのが、今のところの悩みだ。

 

 胃に穴があきそうなほどに、必ず起こりうる未来を苦しみながら味わいつつ、僕は希望ヶ峰学園付近にある緑乃公園へと向かった。

 

 緑乃公園。緑、なんて漢字を名前に付けているのも納得するほどに緑豊かな公園で、非常に大きな敷地面積を誇っている。ピクニックだなんてことをやってみても良いかもしれないな、なんていう風に思えた。

 十一時くらいに緑乃公園で──つっても、この公園はかなり広い、よく良く考えてみればもう少し厳密な待ち合わせ場所を決めた方が良かったなと、今更ながらに後悔する。

 戦刃の影を探すが、しかし、一度も会ったことがないやつを探すというのは、なんとも困難であるという事は言うまでもないだろう──。

 とりあえず自転車を止め、連絡を取ろうと近くのベンチに腰を下ろす。その矢先、隣の人に声をかけられた──()()()()()()()()()()()人間に声をかけられた。

 見た目はただの女子高生──至って普通の、可愛らしい女の子──であるはずなのに、まるで、恐れ慄くのに値する印象を僕は受け、思わず身を屈めてしまう。彼女の手にナイフが握られているわけではないのだけれども、なにかそういった危険性というものを、僕はヒシヒシと感じ取ってしまっていた。彼女の両膝の上に置かれたその右手甲にはオオカミか何かの刺青が入っていて、一際目を引いた。最近流行りのタトゥーシールというものなのだろうか、彼女の見た目に対する第一印象がその長身で(羨ましい)、スレンダーな体型、さっぱりとした艶やかな黒髪、また涼やかな顔立ちと、特徴だけをつらつらと列挙するならば、それは、ただの優等生のようにも見えるのだが──そう見えてしまうが故に、ファッションでだってタトゥーシールなんていうギャルがやりそうなことはしなさそうな人に見えた、そして、身長は僕よりも少し大きいようだ……。

 

「こんにちは、阿良々木先輩」

 

 と、その女子は笑みを浮かべる事なく言う。

 もしや、この子が江ノ島の姉である戦刃むくろなのだろうか。体型こそアレだが、顔立ちも少し、似ているような気がする。

 

 

「阿良々木先輩?」

「……あ、ああ。ひょっとして、お前が戦刃か?」

「ええ、まあ」

 

 やはり彼女が、江ノ島盾子の姉である戦刃むくろだったらしい──。

 しかし、なぜこうも早く彼女と僕は出会うことができたのだろうか、例えるならば、都心の駅で待ち合わせる──それこそ東口だとか西口などがあると言うのにもかかわらず、そういった所で細かな場所を決めずに待ち合わせをしていたにも関わらず、地下鉄から外に出たところで声をかけられるような──そんな、不思議な感覚に見舞われた。まさかずっと後ろをつけていたわけじゃあるまいし……なんとも、奇怪なこともあるものだ。

 

「僕の名前は──んん、知ってるか」

「はい、以前からお聞きしています」

「…………」

「…………」

 

 …………。

 話題が無くなった。

 無くなっちゃった!

 

 別に、話術に長けているつもりなんてサラサラ無かったけれど、まさか開始数秒で喋ることがなくなってしまうとは、予想だにしていなかった。

 

 妙に気まずさを感じ、僕は様々なところへ視線を巡らす。やがてそれは戦刃の右手の甲にあるオオカミのタトゥーへと移っていた。それに戦刃も気付いたのだろうか、(おもむろ)に右手を胸元まで持ち上げては、そのタトゥーを僕に見せるようにして語り始めた。

 

「気になりますか?」

「ああ……まあ、なんつーか、あんまりそういう刺青とかはしなさそうなイメージだったから、意外でさ」

「そうですか、でも最近流行ってるらしいですよ。盾子ちゃんもタトゥーシールなんていうものを貼ってる時がありますし──もっとも、これはシールでもペイントでも無い、ただのタトゥーですけど」

「そのただのタトゥーがだな……」

「些細なことですよ」

「そうか?」

「そうです」

 

 なんでも子供の頃からミリタリーに憧れていたらしく、中学校時代に欧州旅行の最中で家出をして……えっ?! 家出って! なんというか、やはり超高校級ともなる才能の持ち主はやることが違うというか……僕のようなただの一般人には思いもつかないようなことであるというか……戦刃という名前は、ひょっとすると海の向こう側で付けた名前なのかもしれない。だとすれば洋名なのかもしれないな、イクスァヴァみたいな……そんな地名なり神様が、ひょっとすれば海外には存在するやもしれない。

 ともかく、それで、伝説とまで言われる傭兵部隊、フェンリルに入隊。なんでも手の甲の刺青は──オオカミのタトゥーは、その傭兵部隊のシンボルらしい。軍人として実際に戦場に赴いていたようだが、夏服のため露出格好であるためよく肌が見えるのだけれども、その露見した部分からは筋肉質であるものの引き締まっているという素晴らしい肉体美がお淑やかに存在しているだけで、銃創はおろか、火傷の跡や擦り傷の跡すら垣間見えなかった。

 

「……? 変なとこ見てませんか」

「気のせいじゃないか?」

 

 そもそも女子高生が──活動自体は中学生の頃からのようだが、そんな年端もいかない女の子が戦場で生き抜き、今ここに五体満足で存在しているということが──彼女自身の実力を証明しているわけで、生きていること自体が強さの証、同い年の女子の中に混じっても傍目ではそう見分けが付かないことが彼女自身の凄さを表しているのだと──そう思った。

 

 しかし、そんな文武両道という道を月進月歩してそうな──まさしく超人という言葉をその体で示す彼女が、一体僕のような極一般人なんかに何の用があるというのだろうか。

 むしろ僕があれこれ聞くような立場であるとすら思える、人生経験も彼女の方が、きっと豊富だろう。

 僕は少しばかり背を伸ばしながら、何の用だと訊いた。

 

「その、お恥ずかしい話なんですけど。盾子ちゃん──妹と仲良くなれないっていうか、接し方がよく分からないといいますか……その、ほら、中学から今の今まで家を空けてたわけですし」

 

 今でも十分上手くいっているような気がするんですけど、ちょっと壁があるような気がして──と、彼女は幾分自信なさげに付け加えた。

 

「──そうか、それで、僕に江ノ島との付き合い方みたいなのを教えて欲しいってことなんだな?」

 

 僕と江ノ島はあくまで先輩後輩としてつるんでいるわけだから、そういった姉妹間の関係に口出しできるような立場じゃあないし、例えそんな立場に位置付けられていたとしても、僕はそれを万事解決万々歳で結果オーライには出来ないだろう。そういった旨を言おうと思ったのだが、それを制止するように彼女は話す。

 

「いえっ、そういうことじゃなくって、私は妹との接し方を教えていただきたいといいますか……」

 

 言葉を濁らせながらも、さらに切り込む。

 

「その、ほら、阿良々木先輩は妹さんがいらっしゃると聞きました。それなら、妹の扱いも上手なんじゃないかと……思いまして」

 

 ……ああ、そういうことか。なるほど、確かに僕には妹がひとりいるが──

 

「生憎だけど、僕は妹と仲良くなんてないぜ? むしろ嫌われてる」

 

 笑いながら、僕は言う。

 

「そう……ですか」

「そうだよ、目と目が合わなくてもリアルファイトって感じだ。罵倒よりも拳が先に飛んでくる」

「それは、なんとも」

 

 姉、か。

 妹、か。

 

 この後輩に何かできることがあるならばしてやりたいという気持ちはもちろんあったし、できないことでも全力を尽くして最善を尽くしてやろうとは思っていたけれども、今回の場合はどうにもならなそうだという結果を迎えてしまいそうだ。

 きっと、僕と妹との関係は修復のしようがないだろう。最低ではないものの、しかし良でもなければ可でもない。

 申し訳ないという気持ちで声をかけようとすると、戦刃はパッと顔を上げ、距離を詰めてくる。

 あまりに急なものであったため僕は無様にも驚き少し後退してしまった。

 

「ど、どうした?」

 

 とても明るい表情で、彼女は口を開いた。

 

「妹って、大抵理想の姉を思い浮かべるっていうじゃないですか、まあ体験談なんですけど。それも、姉がいなかったら特にそうでしょうし、阿良々木先輩の妹はどうやら一人のようですから──それに、仲が悪いというのであれば、何かしらの理想を抱いていてもおかしくないんじゃないかって」

 

 江ノ島、お前の姉は残念なんかじゃないんじゃないか?

 僕自身が残念な兄なので、他人の姉を評価する資格というものをきっと持ち合わせちゃいないだろうが、しかし、それでも残念なんかじゃないと思えるような名案だと思った。

 

「じゃあ、早速阿良々木先輩の家に向かいましょう。私、電話で聞くより生の声が聞きたいんですよね、電話はあまり慣れないというか……落ち着かないというか……、ほら、誰に盗聴されてるか分からないですし」

 

 なにが「ほら」なのか全く分からなかったが、しかし、僕の家にまで来る必要があるのだろうか──そう疑いを持つが、まあやぶさかでもない。彼女は軍人らしく、とても強いらしいのであの妹からも守ってもらえる……はずだ。それに丁度、今日家に帰省する予定だったんだから好都合極まりなかった。

 

 ので、かなりの急展開アップテンポながらも後輩とぶらり電車の二人旅、実家帰省ということになった。

 

 戦刃にも色々と話をし、僕も僕とて親に連絡を入れ、また、お互い旅の準備を終わらせてから(戦刃は大きめのリュックサック一つで、何が入ってるんだと聞くと「いつものやつです」、と言っていた)大きな駅へと向かい、新幹線に乗って僕の実家へと向かった。はてはて何年振りの帰省だろうか……いや、何年もなにも、僕は春休みやゴールデンウィークに帰省したじゃないか──もっとも、家に帰ったとはいえその(ほとん)どの時間を外で暮らしていたけれど、しかしあの地獄のような春休みと、悪夢のようなゴールデンウィークをあの街で過ごしていたじゃないか。

 

 忘れっぽいのも考えようだなと、僕は頭を撫でた。

 

 僕らは面と向かい合うタイプの席に座った。車窓からの眺めを視界の端で追いながら、僕は眠ってしまっていた。

 

 戦刃もいつのまにか寝てしまったようだが、寝息一つ立てずに、まるで死んでしまったかのように眠っていた。


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