阿良々木暦は望まない   作:鹿手袋こはぜ

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 それから約一週間。日にちにして五日間。

 僕は毎日欠かさずしっかりと学校に通っていたし、そしてクラスで毎日のように学校を休んでいる一名を除き、遅刻早退はあったもののその五日間は全クラスメイトが揃っていた。珍しいことではなかったが、僕としては苦痛でもあった。

 もちろん、そのクラスメイトの中には七海のやつも含まれているわけであり。そして、毎日のように教室で顔を合わせているのだ。それも、笑顔で「おはよう」と話しかけてくるのだ。

 とても、キツかった。僕に良心が存在するのかは知らないが、そこらへんの感情神経が刺激されるようだった。

 

 それから日曜日を挟み週が明け、月曜日になっても、僕から声をかけることはなく、声をかけられても曖昧な返事をするだけであった。

 

 今までと変わらない関係……のはずだ。少なくとも、他の人たちからの目線ではそうだろうし、七海の心の中でもきっとそうだろう。いつものようにクラスメイトがクラスメイトに挨拶をしているだけで、いつものようにクラスメイトが挨拶を返すだけ──なのだろう。

 

 僕にも、そんなことが出来れば良いのだけれども、どうせいつも曖昧な返事なので変わったところはやはり傍目からしても無いのかもしれない。しかし、たまにこちらをニヤつきながら見てくる八九寺先生の様子を見ると、どうやら僕の悩みというものは大人にはバレてしまっているらしい。嫌な話だ。普通ニヤニヤとするか? 非難の目線を浴びせられた方がいくらかマシにも思える。

 一方的に名前を覚えられているのと同じで、一方的に心を見透かされるとどこか不平等さを感じざるを得ない。

 あなただけが僕の心の中を見るというのは、いささか傲慢では無いか──と。深淵を覗くものは、また深淵から覗かれているというわけだから。僕の心を覗かれるものは、また僕の心から覗かれていなければ割に合わない。

 

 そんな考えも、結局は戯言なわけで、極論思考を邪魔する思考でしかないのだ。

 

 ……どうしたものか。

 

 こんなことをいつまでもいつまでも引きずっているようじゃ、この先やっていけないぜ──と、自分の尻を叩いたりもするのだけれども、所詮自分に甘い僕の鞭なんて痛いわけがなく、ガラスのハートだというのにガラスの強度が勝ってしまっている。

 

 なんでも、ガラスは物理学でいうと液体だという話をなにかのクイズ番組で見たことがあるということを思い出したが、にわかに信じがたい話だ。

 

 また、明くる日。

 

 つまり、火曜日。

 

 僕がぼけっと自分の椅子の上でだらしなく呆けていると、勢いよく教室の後ろの扉が開いたかと思えば、また勢いよく閉まった。その音に驚き僕の体はビクリと震える。この横暴さは、同級生の男子だろう。

 

「あーららーぎせーんぱーい」

 

 後輩の女子だった。それも、かなり危険なやつ。

 

 おいおい、一体何度目だ? 本来ならあの購買部でのくだりで終了だというのに、何回登場したら気が済むんだ? こいつは。

 真っ赤な口紅を塗り、真っ赤なネイルをするという全身警戒色である彼女を恐る恐る見て見ると、その頰には先週までの僕と同じようにガーゼが貼ってあった。といっても、腫れた時用の湿布みたいなタイプのようだが。

 

 何かあったのだろうかとそれをマジマジと見ていると。

 

「え? なに? 私の顔をそんなに見て……私、別にセンパイのことは嫌いじゃないんだけどー。そのー、なんていうかー、ごめんなさい!」

「勘違いするな! 僕は別にお前に惚れたからジッと見てたわけじゃない! ……というか、なんで振られたんだっ?! 告白してもないのに振られるなんて前代未聞だなっ!」

「そりゃ阿良々木センパイが情けなくって頼りない人だからです」

「……はっきりと言うな……」

 

 ニカニカと笑いながら、他人に聞かれると誤解されかねない話をする彼女は、ようやく僕が目線を注いでいた場所が分かったらしく「ああ、これ? これはね……」と、ガーゼを上からさすりながら話す。

 

「ほんっと容赦ないんだよね。お姉ちゃんは。私モデルやってるって言うのにさ、この前──ほら、センパイをライダーキックしたことあったでしょ? あれ、他の人が見てたらしくってお姉ちゃんにその話聞かれたんだよ。で、叱られたって感じ」

 

 それはまあ、なんとも出来た姉だなと。僕はそう思った。どこが残念なんだ? 残念ならこっちの妹たちの方が比べるまでもなく残念なのだが。

 しかし、叱られた……か。腫れているようだし、きっとビンタでも食らったんだろう。身内に対しても手厳しい姉のようだ。

 

「……で、なんだ? 僕に許しを乞うっていうのか?」

「そういうこと、でも、ただで許してもらえるなんて思ってないし……」

 

 江ノ島はそう言い、おもむろに服を脱ごうとしだしたのでこの姿勢から加えられる限りの力を拳に込め、全力で振る。

 

「あがっ?! いっつつつつ……なにすんだ阿良々木てめぇ!」

「口調が荒いぞ、あと阿良々木センパイだ。呼び捨てにするな……というか、別に僕はそういうことをお前に求めちゃいないぞ!」

「えっ……もしかして、阿良々木センパイってあっち系の……」

「あっち系って言うな! 最近そういうのは人権侵害云々で規制が手厳しいんだ」

 

 ……ただひたすらに、ため息しか出なかった。

 

「……いや、嘘嘘! じょーだんだって! じょーだん。アメリカンジョーク!」

 

 半裸になった姿でグッドサインを天高々に挙げるが、全く良いジョークじゃないし、またしても人に見られたらヤバイ状況になってしまっている。

 色々と身の危険を感じたため、急いで江ノ島にはしっかりと服を着てもらい、一度僕の前にある席に座らせた。一年生の頃から休んでいるやつの席だ。

 

「……まあ、さっきのは冗談なんだけど」

「…………」

「いやいやっ、本当だって!」

「…………」

「……それじゃあ、本題に入るけど」

「ふむ」

「いや、ほら、そう簡単にお詫びなんて出来ないだろうし、流石に菓子折りなんて持って行っても阿良々木センパイって甘いものが好きだーって感じがしないから、他に何かあるかなあって考えたわけ」

「ほう」

「それで、なにかしてほしいことがあったら一回限りで電話でもしてもらおうかなと」

「ほうほう」

 

 ほうほう?

 どういうことだ、話があまりにも飛躍しすぎて頭が追いついていないぞ? そもそも僕は江ノ島の電話番号を知らないわけだし……。

 

「ああ、それで阿良々木センパイにはメルアドおよび電話番号を交換してもらうね」

 

 言うより早いか、コテコテにデコられもはやどんな機種なのかわからない携帯電話を江ノ島は小さなハンドバッグから取り出し、その画面を見ながら打鍵を打ちつつ僕の携帯電話を渡せと言わんばかりに右手を無言で差し出してきた。

 一瞬戸惑ったが、流石にここで変なことをするとまたその残念らしいお姉ちゃん(真偽不明)に叱られるだろうから、きっとそんなことはしないだろうと高を括り、パスワードを解除済みの携帯電話を江ノ島の手のひらに乗せる。

 

 打鍵スピードは羽川の数倍速かったように見えたが、江ノ島はおよそ五分にも及ぶ超打鍵の末に(超〇〇って死語っぽいな、なんかさ。超高校級の僕がいうのもなんだけど)僕の携帯電話を返してくれた。一体なにをしてたんだと急いで画面を開き、暗証番号を解除すると。

 

「……江ノ島さん? なにこれ?」

 

 あまりの驚きに、思わず年下に向かって──それも、江ノ島に向かって敬語になってしまう。まあ、冗談含めたものではあるものの。

 

「なにって……そりゃ、私が知ってるだけの役に立つだろう連絡先……?」

 

 なるほど、納得だ。

 いくら下にスクロールしても、その宛先の名前の限界が見えない。まるで湧き水のように画面の下からどんどんと出てくる……この量を、ほんの五分で……江ノ島盾子、恐ろしい後輩だ。

 しかし、役に立つ連絡先ってどんなのなんだ?

 そう疑問に思い、チラリと見て見たりすると“暗殺家”や“始末屋”、“警視庁”などの文字が目に入ったので、僕は目を閉じ静かに携帯電話を閉じた。

 

「……なんで、こんなに連絡先知ってるんだ?」

 

 というか、覚えてたのか?

 

 そう疑問を投げかけると、彼女はニヘヘと笑みを浮かべ。

 

「ま、ギャルやってたら色んなところと関係持って、その人繋がりで関係持ってんのよ。なんでも、世界中の誰でもおよそ八人の紹介で繋がれるっていうし」

 「はへえ」

 

 さすが超高校級……と言うべきか、同じ人間だとは、同じ学校の生徒だとは到底思えなかった。この後輩に、こんな力があったとは……今思えば、この笑顔からも末恐ろしいものを感じる。

 いや、流石に超高校級の一言では語りきれない何かがあったが、それを問いただすことは野暮というものだろうか……聞いても教えてくれなさそうだし。

 

 そのあと、駐輪所まで江ノ島が同行してきたのだけれども、流石に僕が自転車を漕ぎだした後は付いてこなかった。トンデモナイ奴がいたもんだと、心をただただ驚きで満たしながら帰宅した。


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