雪割草   作:FARADON

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第5話

かじかむ手を握りしめ、僕はアパートを背に駆けだした。

頬にあたる雪が冷たくて、僕の瞳から涙がこぼれ落ちる。

街の大通りを抜け、学校の横を曲がり、僕は走り続けた。右手にちらりと松山の家が見えたけど、僕は見ないふりをして走り続けた。

やがて、建物がまばらになり、僕はようやくすっかり町外れまで来てしまった事に気付き、走るのをやめた。立ち止まると、手と顔が凍える程、冷え切っているのが解る。

いつの間にか雪は止んでおり、僕はふと頭上に重くのしかかっている雲を見上げた。

 

ポツンと独り。

誰もいない。

何故だろう。笑いがこみあげてきた。

僕は、何を惜しがっていたのだろう。

いつだって僕はこんなふうにずっと独りだったのに。

少しだけ、此処の人たちがいつもより優しかったからといって、それが何だっていうんだ。

此処を離れて数ヶ月もすれば、彼らだって僕のことなんか忘れてしまう。

いつだってそうだ。

当たり前だ。連絡先だって解らないんだから。手紙も書けない。電話も出来ない。逢うこともない。

僕は通りすがりの誰かさんと同じで。

同じで。

 

「岬! どうしたんだ、おまえ」

「…………!」

顔をあげると、目の前に金田が立っていた。

「か……金田!? なんで……こんな所で……」

「その台詞、そっくりそのままお前に返すよ」

呆れた顔でそう言うと、金田は腕に抱えていたマフラーを僕の首にかけた。

「いくら春が近いったって、まだまだ夜は寒いんだ。マフラーも無しでこんな所に来て、お前、凍死したって知らないぞ」

「…………」

金田がかけてくれたマフラーがやけに暖かくて、僕はその時初めて金田が自分の首にもきちんとマフラーを巻いているのに気付いた。

「……あれ? このマフラー……」

「服の中入れてずっと抱えてたから暖かいだろ。お前、マフラーも手袋もなしで走っていったって松山が言ってたからさ」

「……えっ?」

「お前、さっき松山ん家の前、すごいスピードで駆け抜けてったんだってな。様子が変だったから、そっちに行ったら気を付けておいてくれって電話もらったんだ。ほら、ちょうどこの近くだから、オレん家。そろそろ来る頃かなあと思って様子見てたんだ」

「…………」

小学校の大通りの側にある松山の家から、少し先の町外れにある金田の家。

連絡をもらってすぐ、金田はマフラーを抱えて外へ飛びだしたのだ、きっと。

「何? どうしたんだ? 岬」

「……父さんと」

「…………」

「ちょっと……父さんとやりあっちゃって…………」

小さく僕が言うと、金田は意外そうに目を丸くして僕を見つめた。

「珍しいな。なんかお前が喧嘩するとか、想像できない。いつも優等生の良い子なのに……」

「僕は良い子なんかじゃない!!」

自分でも驚くほどのきつい口調で、僕は金田の言葉を遮った。

「僕は良い子じゃない。良い子を演じようとしてきただけで、本当はちっとも良い子じゃない」

「……岬?」

「僕が本当はどれだけ悪い奴か、みんな知らないだけだよ」

「…………」

 

本当は、いつだって言いたかった。

旅も嫌いだし、貧乏な生活も大嫌いだった。

お母さんにも甘えられず、友達も作れず。転校を繰り返すのも、もうウンザリだった。

寒い地方も暑い地方も、炊事も洗濯もゴミ出しも何もかも。

大嫌いだった。

明日の保証のない生活も、物珍しそうに僕を見る不動産屋の主人もアパートの管理人も。みんないなくなればいいと思った。

荷物になるからいけないと、必要最低限の物しか持てず、遊び道具はサッカーボールひとつだけで。

他の楽しみなんか何一つ与えられなくて。

僕は……

 

「やっぱり、お前、雪割草みたいだ」

ぽつりと金田が言った。

「知ってるか? 雪割草の花言葉」

「……?」

「雪割草の花言葉はね……」

「忍耐だろ」

突然の後ろからの声に、僕達は驚いて振り返った。

「松山!?」

「お前、結構足早いのな。急いで追いかけたのに、こんなに引き離されちまった」

そう言って笑いながら、松山は僕に手袋を投げてよこした。

「ほら、これで完全防備。寒くなくなったろ」

「…………」

僕は松山の言葉に従い、おとなしく手袋をはめた。

凍えた手にじんわりと奥から暖かさが戻ってくる。

「……雪の下でさ、ずっと寒さに堪え忍んで、ようやく春先に花を咲かせるんだ。雪割草は」

金田が言った。

「辛いこといっぱい抱えて、でも、それをじっと我慢して、オレ達に春をプレゼントしてくれるんだ」

「…………」

「岬、実はさ、オレ達が全国大会にいける自信を持てるようになったのって、ここ2ヶ月くらいなんだよ」

「…………?」

「お前が此処に来て、いろいろ教えてくれたろ。ゲームの組立から、センタリングのあげ方のコツ。ドリブル、パス。オレ、同じMFとして、お前のサッカーセンスってすごいなって思ってた。お前にもらった沢山の技術がオレ達に全国大会の夢をくれたんだ」

「…………」

「オレ、雪割草、好きだよ」

「…………」

「すごく、好きだよ」

金田の言葉を聞いていると、なんだか涙が溢れてきた。

マフラーも手袋も暖かくって、涙がとまらなかった。


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