「あー、思いっきりボール蹴りたいよう。何とかしろよキャプテン」
ひたすらボール磨きをしていた山室が、ついに根を上げて松山を見た。
「そうだ、そうだ、何とかしろよ、キャプテン。もう、ボール全部磨き終わったぜ」
「お前ら、そういう時だけ人をキャプテン扱いすんなよな」
腹筋の途中で首だけ振り返りながら、松山が言い返す。
「だって、ここ1週間まともにグランドで練習できてないんだよ。腐りもするよ」
ここ数日間、雪はずっと降ったり止んだりの繰り返しだ。
ようやく晴れ間が見えて、雪かきをして、グランド整備が終わった頃、再び雪がパラつきだす。
まるでイタチの追いかけっこだ。
「何が可笑しい。岬」
むすっとした顔で、加藤が僕の顔を覗き込んできた。
「岬、お前は初めてだから珍しいってだけで終わってるかもしんないけどさ、ホント毎年毎年これじゃ、さすがに嫌んなるんだぜ」
「そうそう、今年こそは大いなる野望を成就させる絶好のチャンス到来だってのに」
「野望?」
僕が磨き終わったボールを放り投げた山室に聞くと、待ってましたとばかりに、横から小田が身を乗り出してきた。
「ほら、オレ達、今度6年生になるだろ。ずっと言ってたんだ。6年生になったら本州へ殴り込みかけるぞって」
「……は?」
「バカかお前は。そんな言いかたしたって岬に解るわけないだろ」
ゴンっと派手な音をたてて小田の頭を小突き、金田が申し訳なさそうに笑った。
「今年の夏の全国大会、絶対行こうって決めてたんだ。オレ達」
「全国大会?」
「そう。7月の終わりから8月にかけて読売サッカーグランドで行われる全国少年サッカー大会。北海道代表の切符はオレ達で勝ち取ろうって」
「…………」
「オレ達、一度も北海道から出たことない奴、多いし。きっと全国には凄い奴がたくさんいるんだろうなあって、楽しみにしてんだ」
「へえ……」
「今年は狙えそうなんだよ」
「なんたって、去年めちゃくちゃ強かった室蘭大谷のゴールキーパー、卒業したしな」
「今年はオレ達の年になるぞって」
「なー」
楽しそうに頷きあうみんなを見て、ふと僕の心が重くなった。
今年の夏。
“雪が止んで春が来たら、この寒い地方ともさよならだぞ、太郎”
彼らが全国大会に行く頃、僕は此処にはいないんだ。
冬が終わって春がきたら、僕は此処からいなくなる。
春が終わって夏がきた頃、僕は何処にいるんだろう。
「だから、少しでも多く練習したいんだよ」
「あーあ。早く春が来ねえかなあ」
「せめて雪が止んでくれたらなあ」
悔しそうにつぶやきながら、みんなが窓の外を見上げた。
「なあなあ、松山。そろそろじゃねえか? 雪割草」
突然、小田がそう言った。
「そっか。もうそんな時期か」
「今週末なんかどうかな?」
「それはいくら何でも早いだろ。せめて来週か再来週になんねえと」
いきなり始まった2人の相談に、僕は戸惑ったように、金田を肘で小突いた。
「雪割草?」
「ああ、そっか。岬は知らないんだっけ。オレ達、毎年この時期になると雪割草探しに行くんだ」
笑いながら金田がそう言った。
「何の為に?」
「何って……別にたいした理由じゃないんだけどさ」
「…………」
「オレ達にとって雪割草は春の訪れを知らせてくれる花なんだ」
「……春の……?」
「そう。雪割草って、その名のとおり、春先、溶けかけた雪を割って花を咲かせるんだ。高山植物だから山の方へ行かなきゃならないんだけど。雪解けの谷川のほとりとかにさ、白い花がポッて咲いてるのを見ると、やっと春がきたんだなって気がする」
「…………」
「富良野の長い長い冬の終わりを知らせてくれて、オレ達に春をプレゼントしてくれる花なんだ。雪割草は」
「…………」
「5年くらい前にさ、オレと小田が偶然見つけて、それ以来、なんか毎年恒例行事になってるかな。みんなでワイワイ言いながら山登って探しに行くんだ。楽しいぜ」
金田は本当に楽しそうな顔でそう言った。
「白くて、小さくて、結構地味だけど・・・可愛い花だよ」
「……そう……」
必死で笑顔を作ろうとした僕の顔が微妙に歪んでいた。
「た……楽しそうだね」
「そういえば、岬ってなんか雪割草みたいだ」
突然僕の顔を覗き込んで、金田が言った。
とっさに表情を読まれないかと、僕はあわてて金田から顔をそむける。
「何……それ?」
「ほら、小さくって白くって、可愛いって……あれ? これじゃあ女の子の形容詞だ」
「何言ってんだよ、金田」
周りからすかさず、お前の方が女顔だろとの突っ込みがはいる。
春を呼ぶ雪割草。
僕は、ばれないように小さくため息をついた。
窓の外は静かに降り続く細雪。
雪を見上げるみんなの側で、僕は別の事を考えていた。
永遠に雪が止まなきゃいい。雪割草なんか咲かなきゃいい。
そしたら、春はこない。
春はこないのに……