宿に戻ると犬子とひよがぐったりとしていた。部屋に置かれた机に顔を突っ伏し、今にも眠ってしまいそうな状態だった。
「どうしたんだ?二人とも」
「じ、実はですね……」
それからひよは身振り手振りを織り交ぜながら事の次第を語った。
話をまとめれば二人が稲葉山の兵と喧嘩したということだった。あちらが犬子のこと馬鹿にし、過剰にキレたというわけであったようだ。
「犬子は少しくらい我慢しねぇとな。敵にはそんな風に馬鹿にしてくるやつがいるかもしれんぞ?」
ポンポンと慶次は犬子の頭に手をやる。今朝の怒りが嘘のように朗らかだった。
「うぅ、慶くぅん」
「それでも無事にもどってこれたんだ。それで善しとしよう」
「はわーさすがお頭ー!」
「はわーさすが剣丞さまー!」
「それに城内のある程度様子が分かりましたし、町の様子が把握出来なくても、ひとまずは任務達成できたかと」
「そうだね。けどやっぱり町の様子は知りたいし俺たちで回ってみようか。ひよ、手伝ってね」
「は、はいっ!」
「あ!それなら犬子もいくよ!今日はなにもできなかったし!」
「はは。そうしてもらいたいけど今日騒ぎ起こしたし、顔を見られてるかもしれないからお留守番ね」
「えーっ!」
犬子は露骨に嫌そうな表情をする。心なしか腰についた、ふさふさとしたしっぽも力なくしなだれているように見える。『せっかくここまで来たのにー』と口を尖らせ子供のように拗ねていた。
「と言いたい所だけど」
剣丞の声に犬子は目をきらきらと輝かせた。まるで餌をまつ犬のようにである。
「ころには久遠に知らせにいくよう頼んであるんだ。その護衛を犬子に頼みたい」
「わかった!犬子、ちゃんところを護衛してあげる!」
「剣丞。俺はどうすりゃいいんだ?」
「慶次は宿に残ってくれるか。流石にその身長だと目立つからさ」
「おう、分かった」
とは言え目立つのは身長だけではない。
派手な着流しや服装然り、月代でない長髪一つ結びの髪然り。彼を構成する全てが目立つ。
つい先ほどの──きこりの少女との邂逅ではそれを自覚していたらしく、敢えて姿を現さなかった。
(それに比べて俺は……)
彼が姿を見せなかったことに対し、立腹しそうになってしまった。すぐに彼の考えに気付いたから良かったものの、仲違いの原因にもなりかねなかったのだ。さらには彼自身、剣丞の面目を保つためか、自ら嘘をついたのだ。
(ほんと俺って短絡的だな。直さないと)
うん、と剣丞は己に活を入れた。
剣丞とひよ子は店という店を回り稲葉山の情報を収集していた。
「ありがとうございました」
そう言いまた次の店を目指す。
そんな中、得られた情報はどの店の人も共通して話す『竹中さまは良い人だった』と言う支持するような言葉。加えてだったと過去形であった。今の領主とかなり異なる評価なようだった。
民の支持を得る人物が謀反を起こす。よっぽどのことがあったのだろうか。
それとも『裏があったのか?』と考えながら最後の店を回った時だった。
「こんにちは」
抑揚のないぶっきらぼうな声が剣丞たちの背に掛かった。
振り向くと、白と桃色を基調とした服を着込むを少女がこちらを見据えていた。
前髪は目元まで伸び、謎めいた雰囲気を感じさせる。露出が少なめの装いだがスカートからすらりと伸びる足から覗かせる太腿は女性らしい健康的な白さ。
少女の背丈はちょうど剣丞の胸元辺りで女性としては平均的な部類だろう。
剣丞たちはその少女に驚きながらも返事を返した。
「こ、こんにちは」
「こんにちは!」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
静寂な空間が支配する。居心地の悪さを感じた剣丞が口火を切った。
「ええと、君はどちらさん?」
「詩乃、と申します」
「詩乃ちゃん、か。俺は剣丞。こっちはひよ。よろしくね詩乃ちゃん」
剣丞は笑顔で答えるが少女に反応はない。剣丞が自然にやったことだが前髪で目元が隠れているせいで反応はおろか彼女が視線を向けているかすらわからなかった。
黙り込みを決め込んでいた詩乃は唐突に口を開く。
「‥‥‥竹中さんには野心がありませんよ。多分、馬鹿な人たちに馬鹿にされたことが、我慢出来なくなったんだと思います」
馬鹿な人とは誰だろうか。主家か、それとも家臣の誰かか、はたまた斎藤家全体か。
「難攻不落の城などこの世には存在し得えません。敵は外だけにあらず、内にもあり。そう仰っていました」
「よく知っているんだね。竹中さんのこと」
「はい。ちなみにお二人のことも私はよく存じていますよ」
「ええ!?」
その言葉にひよは驚愕する。
剣丞は表情を変えずじっと詩乃を睨みつけた。
「良く聞こえる耳と目を持ってるんだね。俺はね、詩乃ちゃん。冷静沈着、従容自若とかそんな言葉が好きなんだ。泰然と生きているように見えてもちゃんと自分に誇りを持ってて、信念をもって生きている。俺はそういう人を尊敬するし好きだ」
(そう、慶次みたいな人だ)
「‥‥‥っ! 」
詩乃が目を見開く。
「詩乃ちゃん。竹中さんにさ伝えて欲しいことがあるんだ」
「伝えて、欲しいこと」
「‥‥‥俺はいつか必ず、君を傍におくってそう伝えて欲しい」
「‥‥‥ぁ!」
瞳から流れる一筋の涙を捉えた。
「どうして‥‥ですか?」
細く震えた声で剣丞に尋ねる。
「主家の本拠地である稲葉山を落城させた。こんなことをしたんだ。もう竹中さんは美濃にいられないと思う。けどね竹中さんが傍にいてくれればこの乱世だって早く収めることもできるかもしれない。近しい人を守ることだってできるかもしれないんだ」
「だからさ。俺が奪いにいくよ、君を。傍にいて欲しい。君が欲しいって本気で俺は思うから」
「っ!私は竹中さんではありませんっ……!」
服で拭うが彼女の瞳からは涙が溢れ続ける。止まることを知らない滝のように。
「詩乃ちゃん。‥‥‥待っていてくれるかい?」
「だから、私は竹中さんではないと」
「分かってる。ただね、ちゃんと伝えて欲しいんだ」
少しだけ赤くなった瞼を前髪の隙間から垣間見る。
詩乃はこくりと頷いた。
「ありがとう。じゃあ俺は帰るよ。ひよ!行こう!」
剣丞は詩乃の元から走り去った。
次第に小さくなっていく剣丞を詩乃はずっと見つめていた。
「あれが、新田剣丞。あんなに激しく求められたのは生まれて初めてです。それにしても傍にいて欲しい、ですか。フフっ」
彼女の瞳から涙が消え、くすっと笑った。
「この胸のときめきは……痛いけど、とても幸せで‥‥‥どこか変になって」
「それは恋ってやつだな」
「っ!?」
唐突に詩乃の呟きに答えた男。
剣丞よりも背が高く、そして何より風に靡く着流しが極めて印象的だった。その丈夫は彼らが駆けた方角を細い目で見詰めていた。
「大丈夫だ。俺は剣丞の仲間だ。剣丞を信じろ。あいつは信用できる男だ」
そう、言葉を残し丈夫は剣丞たちの後を追うように駆けて行った。