寝所にいる久遠はこじんまりと膝を抱え、何度目かわからないほどの深いため息をつく。すでに夜の帳は降りており寝所の中で揺れる灯篭の淡い明りが生気の抜けた青白い顔をした久遠を照らした。
赤く腫らした瞼が閉じることなくじっと一点を見つめている。その瞳は常時の彼女とは比較にならない程に弱々しかった。
「‥‥‥」
胸を突く一抹の不安。先の金ヶ崎の退き口で剣丞隊の護衛を勤める慶次の安否が知れない。兵の報告によれば場所は知れないが殿を勤めていたと聞いた。
慶次が死ぬ───頭ではそんなことはないと必死に振り払った。だが最悪の事態が脳裏によぎり胸を斬りつけたように痛み、その度に何度も何度も涙ぐんだ。
「‥‥‥慶次」
ささーと背後で障子が開かれる音を聞いた。
床のすれる特徴的な足音、おそらく結菜だ。
「久遠。夕餉を持って来たわ」
結菜が久遠の前まで歩み寄ると盆を枕元に置く。盆には海苔が巻かれた一口サイズのおにぎりが乗せてあった。
小さく竦められた久遠の肩を結菜は心配そうに顔を歪めながら抱いた。
「‥‥‥結菜」
「慶次なら大丈夫よ。いつも俺は死なないって言ってたじゃない」
苦し気な声音で久遠の袖山をぎゅっと掴む。
「帰って来た時にそんな顔見せてもいいのかしら。慶次なら笑顔が良いって言うはずよ」
「‥‥‥そうは言うが最悪の事態を考えてしまう」
久遠は震える声を出しながら身体を丸めた。
「我は‥‥‥こんなにも弱かった、慶次がいなければ我は‥‥‥」
膝に顔を隠し胸の内を吐き出すように細い声を出す。
「久遠……」
優し気に抱き締められると母親のように背中を撫でられる。不安が溶け出すような安心出来る温かさだった。
「大丈夫よ。絶対にね。いつもみたいに帰って来るわ」
「‥‥‥」
「だから私たちは笑顔でおかえりって言ってあげないとね」
「‥‥‥うむ」
「‥‥‥そのためにはきちんと食事を摂ることよ。慶次も痩せた久遠を見たら心配しちゃうわ」
「うむ。そうだな」
久遠は枕元にあるおにぎりに手を伸ばすと小さく口を開けた。
>>>
先頭の松平勢、一葉は既に渡河を終え、向こう岸へと渡っていた。
グガアアアアアアアアアアアア!!!
小夜叉の背から鬼の叫び声が響く。
それを皮切りに兵達の動揺する声がそこかしこから上がった。
「孺子! 早く行けっ!」
桐琴が焦りを感じさせる声を上げる。
ちらりと後方を一瞥すれば苦い顔を見せ舌打ちをした。
「クソガキ! 孺子を対岸まで運べ!」
「‥‥‥」
小夜叉の耳に桐琴の声は入っていなかった。
心に燻ぶる慶次の死という濃密な黒い感情が胸を支配していたのだ。
(勝手に……死にやがって)
慶次の訃報を知った小夜叉は空に慟哭した。彼女が経験した幸せや楽しさの思い出全て吹き飛ばしすほどの衝撃を与えたのだ。どうにか記憶を再び引っ張りだせば胸が痛む。
そしてまた思い出は吹き飛ばされ、引っ張り出し───その繰り返しだった。
「……ガキ。こんなときに言うことではないが‥‥…奴から言伝てを預かっている。……ありがとう、だそうだ」
「……なんだよ。それ」
小夜叉はその言葉を聞き全身が一気に熱くなった。
何がありがとうだ、勝手に逝きやがって。
ずっと一緒にいることが出来ると思っていたのに。自分よりも強いなら死ぬはずはないと思っていたのに。
だから小夜叉は彼の無責任さに憤慨した。
「勝手に逝って、言伝て残して。あいつはっ‥‥‥母ぁ。オレはどうしたらいいんだぁ」
嘆願するような弱々しい声を出す。
桐琴は一瞬、眉間に皴を寄せ心配そうな顔を浮かべる。
だがその表情はすぐに消え、不機嫌そうに小夜叉を見つめる。
「‥‥‥てめぇ個人のことは知らんな‥‥…だが」
桐琴は冷たく一蹴すると神妙な面持ちで続けた。
「いつまでもなよなよしてんじゃねぇぞクソガキ。てめぇは森一家の跡目だろうがよ」
「‥‥‥」
「奴はもう戻らん。ならば覚悟を汲み取り、死を踏み越え、前を向くしかあるまい」
覚悟、と小夜叉は頭で反芻した。
おそらくそれは───守りたいと言うことだったのだろう。
初めて会ったあの日から慶次は妙に女には優しくて、いつも女の前ではカッコつけてて───それでも男にも優しくて戦友だって言っていたのだ。
(! そっか。そう言うことか‥‥‥)
ただ女や友を守りたい。大切な彼らを守るためだけに一人残って奮戦する。
それが慶次の生きざまだった。
納得のいかない部分もあるし陰鬱立った気持ちは晴れるまではいかない。
しかし軽くはなった。
「‥‥…最期のときまでかっこつけやがって。‥‥‥慶次は満足して逝けたのかな」
「ワシらを逃がしたんだ。そうでなければならん」
「そっか‥…」
へへと笑うと目尻に溜まる涙を拭った。
「ふん。いつものクソガキに戻ったな」
尊大な態度で安堵の感じさせる笑みを浮かべている桐琴に「おうよ」と元気よく返した。
>>>
兵達は様々な顔色で渡河をしている。ある者は今にも泣き出しそうな面持ちで、またある者は怒りを孕んだような鋭い目つきをしている。
そんな中、一葉は彼らを見据えていた。
「皆の者!疾くと渡河を果たせ」
銀に染まる髪を雨に濡らしながら一葉は叫ぶ。
じゃばじゃばと重そうな足を引きずりながら彼らはこちらへと進んでいた。
彼らの後方から膿のように漏れ出る黒い鬼は呻き声や叫びを上げながら逃がすまいと迫って来ていた。
「一葉」
白い服を雨や泥で汚した剣丞が駆け寄って来る。雨のせいか濡れている顔は目尻に少しだけ涙のようなものが溜まっていた。
共に駆けてきた森親子は彼を守るように左右に佇む。
いつ見ても気圧されるほどの威圧だがどうにも目の前にいる小夜叉の様子が変に思えた。涙を流した後のように赤く腫れた瞼。そして造り笑いと言うのだろうか、いつもとは違う力ない笑みだった。
「一葉? どうしたの?」
「‥‥‥っ。剣丞。無事であったか」
「‥‥‥ぁ。うん」
無事。
この言葉を聞いたからか、あからさまに剣丞は一葉から視線を外し、暗く沈んだ苦い顔となる。少しだけ開いた口は悔しさを噛み殺すようにぎりりと歯ぎしりをし、拳は色が変わるほどに強く握り締められていた。
剣丞の様子に一葉は何かを察する。
これほどまでに悔しさを隠さずに歯を噛みしめている。つまりここに来るまでの道程で何か剣丞に影響を与えかねない重大な事が起こったそれは───。
「っ!」
まさかと一葉の心臓がどきりとなる。嫌な予感が胸を突き───冷や汗が流れ出た。
「‥‥‥慶次はどうした」
静かな低い声音で尋ねた。
「‥‥‥」
剣丞は沈黙していた。直後、一葉はこの沈黙で自分の嫌な予感が正しかったことに気付く。
「おい。森の」
「なんだ公方」
「慶次はどこにおる」
「奴なら殿だ‥‥‥」
桐琴は気にも留めないかのように淡々と言った。だが一葉の知る桐琴と違いその声音はどこか暗さを感じさせるような沈んだものだった。
その声音から察するに苦渋の決断をしたのだろうと直感的に思った。
将軍である一葉には殿を勤めているその由を理解出来ていたし怒りなどはなかった。
自分だったらそうするだろうと言い訳染みた言葉で今にも泣き出しそうな心を必死に落ち着かせた。
そうして一葉は自分たちが生きることが先決だと考え声を出そうとした───そのとき。
>>>
「あの‥‥‥慶次さまが殿とは」
一葉が神妙な面持ちを見せている中葵はとある言葉を聞き思わず口を出してしまった。
終始黙っていようとしていたものの彼の名が出で居ても立っても居られなかった。
震えている葵の声にむっと一葉が険しい顔で見つめた。
「葵‥‥‥」
「‥‥‥」
「慶次は余らを生かすために殿を勤めておる。いいな?間違っても戻ろうなんて考えてはならんぞ」
語気を強めて言う一葉。
「‥‥‥ええ。それは重々承知しております。しかし‥‥‥」
初めて気になった殿方を失いたくはなかった。今まで生きて来た人生で一番と言えるほどの衝撃を与えてくれた殿方なのだ。
「余にも気持ちは痛いほど分かる。だが今は‥‥‥」
一葉は九頭竜川からの対岸―――鬼が溢れる出る薄暗い森を見つめた。葵も釣られるように見れば呻き声や叫ぶ声を上げながら徐々に数を増やす鬼がいた。
その先頭に立つ鬼は渡河を始めている。
天候のせいで河は荒れているものの鬼は川に足を取られることなく葵たちを囲むように扇形に広がり向かってきていた。
「この場を切り抜けることが先決じゃ」
「‥‥‥はい」
葵は一葉の言葉に頷いた。
side 剣丞
慶次が殿を勤めている。このことは剣丞隊、足利衆そして松平勢に大きな衝撃を与えるものだった。
ましてやたった一人、兵すら共につけず一人奮戦しているのだ。だからみんなが助けに行きたい、と考えるのは無理もなかった。だが誰一人として動くことはなかった。
「後悔しても仕方ないんだ。俺は慶次の覚悟を無駄になんかしない」
剣丞は九頭竜川に広がる鬼を見据えると桐琴と小夜叉に顔を向ける。
二人は待ってましたと言わんばかりに笑うと槍を手に構えた。
「オレたちがやってやるぜ」
小夜叉には陰鬱な顔は浮かんでいない。
いつもと変わらない獰猛な虎のような獲物を狩る瞳を爛々と輝かせている。しかし握り締めた槍からはみしみしと木が軋む音が聞こえていた。
「孺子。さっさと後退だ。ワシらも一撃を与えて退くからな」
「わかった。頼んだ」
そうして剣丞が桐琴たちを背に身を翻したとき───よく通る澄んだ声が響き渡った。
「ほんっっっと気持ちの悪い形相よね。あいつら」
不機嫌さを感じさせる声音で汚物でも見るような冷ややかな瞳で鬼を見つめる白い髪をした少女。
その隣には橙色の髪をした活発そうなイメージを連想させる少女がいた。
「そうっすねー。あれホントに気持ち悪いっす。それよりも御大将、鬼って強いんすかね」
「あいつら見れば分かるでしょ」
白い髪の少女はこちらへと視線を向けるとクスリと笑った。
「あんなにボロボロだもの。強いんじゃないかしら」
「あーなるほっどすー」
「「ああ?‥‥‥」」
空気が冷え固まったかの如く一気に重くなった。
少女たちの言葉に桐琴と小夜叉はガンを飛ばすように鋭く睨みつけていた。
だが件の少女たちは知らんとどこ吹く風。
終いには橙色の髪をした少女はぴゅーぴゅーと口笛を鳴らしていた。
それを見た白い髪の少女はふふっと笑う。
「母ぁ‥‥‥あいつら」
聞くのもおぞましいと感じてしまうほどの低い声音。
「あぁ。クソ小娘ども。‥‥‥頸だけにしてやる」
凄味を感じる薄い笑みを浮かべている。
今にもあの少女たちを襲ってしまうかの如く二人は殺気立った雰囲気を醸し出す。
二人が握りしめていた槍が突然悲鳴を上げ、みしみしと軋んでいた。
森衆も同じようで「うちの大将を‥…」「許せねぇ」「頸だけじゃものたりねぇ‥…」と彼女たち以上に物騒で殺気立っていた。
「ここは抑えて抑えて」
慌てて二人を宥めるように駆け寄ると我慢してと言う風に両手を上げる。
小夜叉はあの少女たちへと駆け出そうとしていたが大きくため息をつくと渋々引き下がる。
「‥‥‥わぁったよ」
「桐琴さんも」
剣丞は横目にそろりそろりと歩みを進めていた桐琴に顔を向ける。
はぁと大きくため息をつき不機嫌そうな顔付きで舌打ちをするとすんなりと引き下がった。
だが桐琴がやられて終わるはずもなく親指を立てて頸筋に当てると横に引っ張った。
そうして声を出さずに口をぱくぱくと動かす。「お・ぼ・え・て・い・ろ」と。
それを見た白い髪の少女はを歯牙に掛けることもなくふふふと不敵に笑っていた。
「うんうん。流石ね、織田の天上人サマはー。きちんと狂犬を飼いならしているもの」
あからさまに剣丞たちを煽ると白い髪の少女は大らかに腕を組んだ。少女の大きめな胸が強調される。
思わずそちらに目が行きそうになるが突如纏う空気が変わった。
少女の笑みは崩れ、真剣そうな面持ちで光を放つ無色透明なオーラが立ち昇った。
神聖さを感じさせるそのオーラは瞬く間に周囲広がり五人の人型を形どる。背が高く抜群のプロポーションを誇る美女の姿から手乗りサイズのひな人形の大きさまで様々な姿がそこにあった。
白い髪の少女は不敵に微笑むと近くに佇む少女へと手を伸ばす。
「ごめんねー。帝釈。初お披露目だから派手に行きたくって」
少女は全然かまわないと言う風に首を振った。
「ええ‥‥‥何アレ」
そのお家流らしき光景に言葉を失った剣丞は唖然としていた。
いきなり森一家を刺激したと思えば、突如光から女の子が現れたのだ。
もう何が何だかわからないと剣丞は思った。
「ふむ。流石と言うべきですな」
「‥‥‥幽」
飄々とした微笑を浮かべる幽。
軽く全身を見渡して見れば所々汚れが目立つだけで怪我はしていないようだった。
「おやぁ~どこを見ているのですか」
「どこって怪我してない‥‥‥か」
そうして再度全身に目を配ると妙に彼女の言葉が頭に残りつい胸部に目がいってしまう。こんな状況にも関わらず汚れ一つなく存在を主張しているソレに。
「いやー。剣丞どのに襲われるー」
棒読みで言葉を紡ぎ、近くにいる詩乃の背中に隠れる。ひょこっと背から顔を出すとしてやったりと言う風に目を細めて笑っていた。
不味いと思いつつ詩乃に誤解を与えてはいけないとすぐさま反論を始めるも———。
「ちょ、幽今はそんなときじゃ‥‥‥待って。詩乃違うんだ信じてくれ」
前髪で隠れた詩乃の瞳からは冷めた視線が向けられているように感じていた。
「はぁ‥‥‥」
詩乃はため息をつくとやれやれと言う様に額へと手をやった。
「剣丞さま。あの少女の周囲に佇むのは護法神四天王と言い左から多聞天、持国天、広目天、増長天、そしてその長である帝釈天‥…ですね」
「あ、うん。ありがとう‥‥‥」
詩乃が眉をひそめる。
「剣丞さま、あまり幽どののからかいに素直に乗ってはいけませんよ」
「あはは‥…」
剣丞が乾いた笑いを残したその直後。
鋭さを感じる凛とした声が響いた。
「さぁ!みんな!!」
護法神四天王が剣丞たちの後方───鬼を見つめる。
「日ノ本の法を守る神として」
白い髪の少女の雰囲気が殺気立ったものに変わる。それに合わせるように護法神四天王からはっきりと目に映るオーラが立ち昇る。その瞳は神とつくだけあって神々しさを感じさせる一方で感じたことのない冷たさを保っていた。
「異形のもの共を皆殺しにしてあげましょ! お行きなさい! 私の可愛い妹たち!」
その刹那、彼女たち護法神四天王が神々しい光を纏い、とてつもない速さで飛び出した。
剣丞たちの頭上を流星のような光が通り抜ける。
グガァアアアアアアアアアアアア!!!
鬼の断末魔が終わることなく響き渡った。
眩いほどの光が暗闇の森を走る度に大きな光を放ち、目視できるほどに鬼は消えゆくのだ。
「数が多いわね。‥‥‥面倒くさいから纏めて殺っちゃおっか」
少女の物騒な言葉に呼応したように光を放つ護法神四天王は鬼を囲むように広がる。
そしてその直後———彼女の叫び声が響き渡った。
「
思わず目を閉じてしまうほどの強烈な光が目の前に現れた。
>>>
「‥‥‥生きてる」
目を開けると飛び込んで来る雲を孕んだ青い空。爽やかな風が吹き込み慶次の髪を揺らした。
身体起こすと全身に倦怠感があった。だが幸いにも筋肉痛はなかったようでほんの少しだけ安堵した。
立ち上がり肩を回すとぽきぽきと耳触りの良い音が鳴る。そうして全身を軽く動かした。
「ん?‥‥‥うわぁ」
服が汚れていたのだ。あれほどまでに派手だった色合いの服は色落ちしたようにくすんでいた。腰巻はそこまでのくすみはないものの泥が付着し、手触りの良い毛皮を撫でる度に乾いた泥が落ちた。
「まぁ仕方ねぇ。取り敢えずあいつら追っ掛けねぇと。越後だったかな」
半ばから折れかけた槍を手に取ると歩き出した。
その道中で足利の、そして剣丞隊の兵の骸を目にした。
どれもこれもが酷い有様で頭部がない者や四肢がないものなどばかりだった。中には倒木で踏みつぶされたような兵や木に括り付けられた兵もいた。そうして極めつけは野犬や烏に食べられていること。
だがどれもに共通しているのは腐乱して酷い臭いを放っていることだった。
常人であれば思わず鼻を摘まみたくなる臭いだが慶次はそれをしなかった。恐怖に襲われながらも勇敢に立ち向かっていって死んでいったのだ。まさに英雄ともいえる彼らにそんな臭い如きで鼻を摘まむなど無礼なことは出来なかったのだ。
(悲惨なもんだな。だが敵が取る。せめて安らかに逝け)
目に映る骸全てに慶次は一礼していった。
そうしてしばらく歩くと森を抜けて、九頭竜川へと出た。
ここでも兵の骸が散乱している。だがまだ腐乱はしておらず人としての原型を留めていた。
「悪い。この槍もらうな」
倒れ伏す一人の兵が持つ一本の槍。
固く握り締められたその手からは逃げ出したい、生きたいなどの激しい感情が容易に想像できた。
おもむろに兵の手を開き、槍を手にした。
「安らかに、な」
腰を下ろすと目を閉じて合掌した。
しばらく兵達へと思いを告げていた慶次は渡河を開始した。
陽光煌めき透明感のある九頭竜川。深さは膝程までだが踏みしめる度に地面に散乱した小石が当たり歩きにくかった。
そうして渡河を終え、川岸へと到達した。
目の前に伸びる道はまたもや森へと続いていた。
また森かと思いつつ歩みを進めた。
それから数日、果物や獣を狩りつつ歩みを進めついに──。
「ついた‥…」
やっとのことで到着した越後。
ここまで来るのに苦労したものだ。猪に出くわすは、熊に出くわすは。極めつけは馬である。
戦国時代の馬は現在の馬と違いぽっちゃりとしたずんぐりな馬だ。身体の大きさの反面、生命力が強いことで有名だ。なによりその性格は穏やかで優しいことで扱いやすいと人からの言伝で聞いたことがあった。
つい前日に慶次は泉の際になるアケビを美味しそうに食す二頭の馬を見つけたのだ。だがその二頭、今にして思えば様子がおかしかったのだ。片や西洋の馬のように気品の感じさせる茶色の毛色をした非常に体格の良い馬。片や日本固有種、つまりこの時代では平均的な体格をした黒い毛色の馬。
黒い毛色の馬はアケビを口に咥えると体格の良い馬の前に置いた。しかし体格の良い馬はそれを気にも留めずに自分でアケビを取って食していたのだ。黒い馬は何度もそれを繰り返すとおもむろに体格の良い馬の後ろへと移動し、いつの間にか屹立している彼の息子を突き立てようとしていた。
それを好機とばかりに慶次は林から飛び出すと木になるアケビを取ると口にいれた。二頭は驚いたようにぎょっとしていた。それを皮切りに体格の良い馬は自分が何をされそうになっていたのか気付くと黒い馬を後ろ脚で蹴り上げた。黒い馬は悲鳴のような嘶きを上げると逃げるように森へと去っていったのだ。
一方の慶次は久しぶりに感じた甘さに歯止めが気かなくなり兎に角胃へとアケビを送り込んでしまったのだ。
最終的に満足した慶次はその場を離れようとしたのだが───驚いたことに体格の良い馬が後を着いてくるのだ。
逃げるように走るも馬と人間の走る速度は傍目にも分かるほどに結果はわかりきっていた。
諦めた慶次はため息をつくと体格の良い馬へと歩み寄る。
馬の頸をくすぐるように触れる。思った以上に温かみを感じ、手触りよい毛並だった。
馬は気持ち良さそうにつぶらな瞳を細めて、小さな嘶きを上げた。
「俺は前田慶次ってんだ。‥…一緒に来るかい?」
相変わらず気持ち良さそうに目を細めていたが返事をするように高い嘶きを上げた。
「ははは。じゃあ行くか」
慶次は早速背に手を掛けると騎乗。
特に嫌がる素振りも見せずに自然と受け入れてくれた。
「そうだな。お前の名前は‥‥‥松風。どうだ?」
馬の頸をさわさわと撫でながら又も返事を返すように嘶きを上げた。
そうして馬こと松風に乗った慶次は想定していたよりも早く、越後へと到着したのだった。
ちなみに走らせているときは手綱がないため頸を締めないよう細心の注意を払いながら抱きしめるよう掴まっていた。
その手綱を含む馬具を越後で揃える予定なのだ。
山で囲むようにして造られた城下町では活気のある人の営みがある。
ごった返す人混みの中、我が道を行く気分で往来を進む。
松風を見た町人たちはその立派な凛々しい姿に感嘆の声を上げていた。
人が行き交う往来では露店商が立ち並ぶ。店主たちは藁を敷き新鮮な果物や穀物、真新しい草鞋や蓑傘、そして馬具用品を並べていた。
早速見つけることが出来た馬具用品を扱う露店商。
店主である男は顔をうつむかせ書物と対峙していた。
「おう、親父」
顔を上げたひげを生やした初老の男は松風を見るなり目を見開いた。
「この馬にあう馬具一式くれねぇか」
馬を降りると松風がぶるりと震えた。どうやら慣れない視線に緊張しているようだった。
慶次は落ち着かせるように首筋を撫でる。
「‥‥‥こりゃぁ立派な馬だ。しかも頭が良いときた。よし。ちょっと待ってな」
そう言うと男は往来に消えていった。
しばらく待っていると台車を引き連れて帰って来る。
「遅くなったな。お前さんの馬は立派だ。それなら馬具もそれなりにしないとならんのだ」
「まぁそれは嬉しいがそんなに手持ちねぇぜ?」
「特別にあんちゃんには通常価格で売ってやる。感謝しな」
「悪い。助かる」
「よし、じゃあ早速付けるぞ」
言うなり慣れた手つきで馬具を装着し始めた。
轡から始まり次いで手綱。その後頭部を守る銀面から背の鐙。ものの数分で装着してしまった。
「ありがとな。親父。」
これが職人かと感心しつつお礼と共に懐から銭を取り出すと男に渡す。
「きにすんな。あんちゃん」
男の朗かな笑みを背に慶次は松風と共に往来へと戻った。
しばらく松風に揺られながら往来を進むと大きな屋敷が見えて来た。
屋敷の前には木造家屋が大小ともに統一感など見せずに煩雑に立ち並んでいた。生活感はあるために隙間の空いた板戸からは白い煙が漏れ出ている。
屋敷は正面から入れないように堀で仕切られていた。後ろには馬出が作られていた。
何より目を引くのはその奥———山に連なるように曲輪が複数建てられたような場所に立つ家屋だった。
(あっれー。春日山城ってこんな城だったけか)
慶次が想像していた越後春日山城とは百八十度違ったのだ。
まず堅牢な山城だと聞いているし目の前にある平屋のようなものなどではない。
そしてなにより剣丞たちの姿が見えないのだ。敢えて目立つように松風に乗ったのは彼らに見つけてもらうためだったのだ。
おかしいぞおかしいなと慶次が屋敷前で唸っていると幼さを感じさせる声を聴いた。
「おい!そこのお前!」
「あん?」
閑散とした雰囲気の中お前と言うことは自分だろうと聴こえた声に辺りを見回す。が声の主であろう者は見えなかった。
いやまず人が一人もいなかったのだ。
慶次はその声にもしかしてと———松風の頸筋を撫で上げる。
「馬じゃない!まずは降りるのら!」
舌足らずなその口調は確かに周囲から聞こえる。
慶次はきょろきょろと再度辺りを見回した。
「らからまずは降りるのら!」
「降りるだぁ?なんで俺がそんなことしなくちゃなんねぇ」
「言うこと聞かないと痛い目見るのら!」
怒りを含んだ口調に慶次は渋々松風から降りた。
「降りたぞ。どこに‥‥‥なんだこのちんちくりんは」
声の主であろう少女と目があった。
だが少女と形容するにはまだ幼い───幼子は目を大にしてこちらを睨んでいた。
兜のこめかみ部分からウサギの耳のようなものを生やしひょこひょこと可愛らしく動いていた。
「ちんちくりんじゃないのらー! それよりもお前! ろうしてここにいるのら!」
「んなの。春日山に来たからに決まってんだろう」
「‥‥‥か‥‥‥かす」
驚愕に染まる顔で大きく口を開きぱくぱくと動かす。
幼女はむぐっと口を閉じると息を思い切り吸い込んだ。
「ここは春日山らないのらー!!」
耳を塞ぎたくなるほどに叫んだ幼子。
興奮したかのように肩を震わせている。
「‥‥…へ」
「あんなへっぽこな城と一緒にされたら困るのら!」
「あ、あぁ。悪い、な?」
慶次のよくわからない返答に幼女は、ぱっと顔色を変えた。
「もしかしてお前、長尾の間者らな! おい! 捕らえて地下牢に入れておくのら!」
幼女が矢継ぎ早に指示を出すといつの間にか近くに控えていた兵に両腕を拘束された。
木製の手錠で手を拘束されると引っ張られるように屋敷の中へと連行される。
ちらりと松風を一瞥するとつぶらな瞳がこちらを心配そうに見つめていた。
「馬に罪はないから御館さまに乗ってもらうのら!」
そうはいかない。松風は自分の馬だ。
慶次は声を大にして叫んだ。
「松風ー!絶対に迎えに来るからそれまで世話になっておけー!」
松風は答えるようにこちらにも聴こえるほどの嘶きを上げた。
「お前ー! うるさいのら!」
慶次の声は幼女に一蹴されてしまった。
慶次は兵達に連行されて地下牢へと入れられた。
もちろん武器と銭は没収されてしまった。
薄暗く酷く不気味な牢だ。ロクに手入れがされていないのか地面には苔が生え放題だった。四方に区切られた壁や牢の四隅には小さいながらもキノコが生えていた。
「なぁ。そこの」
慶次は牢の前で控えている兵を呼ぶ。
気付いた兵は不機嫌そうに眉をひそめていた。
「なんだ」
「ここってさ。長尾じゃあねぇ‥‥‥あだっ!?」
じわじわと胸に残る鈍い痛みだった。
木製格子の外から槍の柄が伸びていた。どうやら兵に槍の柄で胸をどつかれたようだ。
「長尾だと?ふざけたことを」
嘲笑するような薄い笑みでこちらを見る。
痛みで押さえる胸に視線をやるとさらにその笑みは深くなった。
「‥‥‥ここは武田だ」
「武田‥‥‥だと」
思わず口に出してしまった。
なぜ越後に向かっていたはずなのに信濃の武田にいるのか───正直な所、舌足らずな幼女を見たときからここは越後ではないと薄々は感じていた。
しかし原作キャラの一人である彼女、高坂弾正昌信、通称は兎々。彼女を見てから心が高ぶってついつい話し込んでしまったのだ。
だがその結果が
(まぁいいか。時期に出れんだろ)
「驚きで言葉も出ないか。大人しくしているんだな」
そう言うと兵は不機嫌そうに去っていった。
「‥‥…はん」
慶次は不貞腐れ、ひんやりとした冷たい石床に横になった。
「‥‥‥ら!」
声が聞こえる。
「‥‥‥ん‥‥‥るのら!」
ドンドンと揺らされる木製格子の乾いた音が響く。
慶次は徐々に大きくなる音にしょぼしょぼとした寝ぼけ眼を開けた。
ぼやける焦点を瞬きすることで合わせると目線の先にいたのはあの幼子。
苛立ちを隠そうともせずにこちらを睨んでいる。
「やっと起きたのら。食事を持って来たやったのら!」
彼女が盆に乗った質素な食事を格子のしたから通した。
「おう。悪いな。助かる」
「そんなこと言ってもここから出しはしないのら!」
「わかってらあ。んな怒るなよ、ちんちくりん」
「兎々はちんちくりんらないのら! 兎々って名前があるのら!」
ぷんすかと怒った様子で格子に詰め寄った。
「んじゃあ兎々」
「その名で呼ぶことを許した覚えはないのらー!」
「ははは。ったく面白いな、嬢ちゃん」
「むー!」
幼子は小さく頬を膨らましていた。
体格と相まって非常に可愛らしい。
元気のある子だなと慶次は思った。
話し方に特徴はあるものの怒った小型犬のような姿にくくっと苦笑を漏らした。
「お前には特別に兎々の名前を呼ぶことを許すのら! 感謝するのら!」
「ありがとな。兎々」
「お前も名前を教えるのら! 兎々だけ教えて不公平なのら!」
「おう。俺は前田慶次ってんだ。慶次でいいぜ」
「‥‥‥え」
名を伝えた瞬間、兎々の動きが止まった。目はひたすらに一点を見つめ半開きの口はぽかんとしている。
さながら石像のようだ。
兎々の目の前で手を振るが反応は返されない。
「どうしたんだ?兎々」
「お‥…」
「お? なんだ?」
「御館さまー!!!」
焦燥したように叫び上げ、一目散に駆け出して行った。
「‥‥‥なんだったんだ」
彼女が去った後の石牢は先のような騒がしさなど嘘のようになくなり閑散とした。
そのせいか慶次の呟きがやけに大きく響いた。
数日後。
「ほら出ろ」
牢屋から出されると手錠をされ兵達に連行された。
連れて来られた場所は襖で仕切られている部屋の———のすぐ前。
音一つ聞こえない静寂が包む空気の中、兵が襖に手を掛ける。
「御館さま。お連れ致しました」
「入りなさい」
くぐもった女性の声が聞こえた。
「失礼致します」
兵が襖を開くと慶次は背中を押される。おそらく歩けと言うことなのだろう。
部屋に入るなり感じた押し潰すような緊迫感。
かなりの広さを誇るこの部屋には正装をした武田の家臣団がずらりと並んでいた。ざっと見積もって百余名の家臣団が慶次に視線を向けていた。
ちらりと横目で周囲の家臣団を見れば、汗を流す者から深呼吸を繰り返している者、そして目を閉じて静かに佇む者がいた。
座敷から一段高さのある上座に座る落ち着きと共に栄えある威厳を感じさせる少女。
触り心地が良いであろう白いぼんぼんを両肩辺りに着け流麗な水色の髪はショートカットにしていた。
慶次はある程度座敷を進んだ所で腰を下ろす。
「あなたは金ヶ崎で殿を勤めた前田慶次、ですね」
威厳を感じさせる静かな声が部屋に響く。
静寂な空間も相まってかやけに大きく聞こえていた。
「あぁ?まぁ確かに俺は前田慶次だ」
その瞬間、部屋がざわざわとし始めた。
「嘘だろ!? 前田慶次って金ヶ崎で死んだんじゃねぇのかよ!」
「あの鬼の大群をたった一人で退けたのですか‥…」
口々に慶次に言及する武田の家臣団。
自分のことが話題となり少しだけこそばゆい。胸の内をくすぐられるようなそんな感じだった。
だが上座より一番近くに座る薄い桜色の髪をポニーテールに結んだ美女がぴしゃりと言い放った。
「静まれ! 御館さまの御前だ」
息を呑んだように一気に静まり返り静寂を湛え始める。
少女は気にする様子もなく口を開いた。
「先日は我ら武田のものがご無礼を致しまして申し訳ございません。ですが分かって頂きたいのは我らも警戒あってのことなのです」
「おう。俺は気にはしねぇさ。当主どのも気にすんな」
「そうですか。ありがとうございます」
慶次の言葉にふわりと微笑むと、ではと言葉を続けた。
「本題に入ります。前田どの。どうしてここ、躑躅ヶ崎館に来たのですか?」
「あー。それか。恥ずかしい話なんだが、まぁ最初は越後を目指していたんだ」
越後。
この言葉を聞いた途端、家臣団の纏う空気が変わる。
目の敵にでもするような強張った顔つきを浮かべていた。
慶次は長尾が原因かと思いつつも話を進めた。
「けど道に迷ったらしくてな。越後についたぁーって思っていたらここだったわけさ」
「なるほど‥‥‥」
呟きのような細い言葉を残したっきり彼女は考える素振りを見せる。
そうしてどれくらいの時間、静寂が部屋を包んでいたのだろう。
体感としては三十分ほど経ったとき唐突に彼女が口を開いた。
「取り敢えず‥‥‥今日からは客人扱いにします。‥‥‥夕霧」
上座の少女が近くに控えていた色違いのぼんぼんを付けている少女に視線を向けた。
「御意でやがりますよー。さ、前田どの。こちらへ来やがれです」
慶次は夕霧と呼ばれた少女に促されるままに緊張感漂う大部屋を出る。
その後に部屋へと案内された。
「夕食の方は後で運ばせるでやがります」
「なぁ。少しいいか」
「? 何でやがりますか?」
「こんなとき言うのもあれなんだが。越後の急ぎの用があんだ。何時ここから出れる?」
夕霧と呼ばれた少女は難しい顔でむむむと唸った。
「‥‥‥分からないでやがります。前田どのの立ち位置は客人兼捕虜でやがりますから」
何とも微妙な立ち位置だ。
慶次は苦笑をした。
「はは。なるほどなぁ。‥‥…分かった、当主どのが決めるまで大人しく待とう」
「申し訳ないでやがります。しかし数日ほどでどうするかは決まるでやがりますから。安心して待つと良いでやがります」
「そうする。それで嬢ちゃん」
踵を返し部屋を出で行こうとする少女の背に声を掛けた。
「まだ何かあるでやがりますか?」
「悪い。名前聞いてなかったんでな。俺は前田慶次ってんだ。慶次って呼んでくれ」
「すっかり忘れていたでやがりますな」
少女はえへへと恥ずかし気に微笑を浮かべた。
「夕霧は武田典厩信繁でやがります。通称は夕霧と気軽に呼んでくれでやがりますよ」
その後部屋を出ていった夕霧。
しばらくして運ばれてきた夕餉を食べ、慶次の一日は終わった。
翌日。
部屋は夜明け前のように薄暗い。慶次が目を覚ましたのはまだ朝日が完全に顔を出していない時間帯だった。
だと言うのに武田家はどこか騒がしい。騒がしいと言っても喧噪や剣戟の音なではなくどことなく空気が締まっていたのだ。
慶次の部屋の前には庭があるのだがどうにもそこでは何者かがいるようで風を切る鋭い音がしていた。
気になった慶次が部屋の障子を開ければ朝特有の涼しい気な風が優しく触れて来た。
目の前に広がる庭は小さめな池と大きな一本杉がある。剥き出しの地面は踏み固められ閑散としていた。
その中心には、はっきりとは見えないが女性と思わしき人物がいた。
両手に握り締めた木刀を振るう度に後ろで纏めているポニーテールが忙しく揺れている。
(不死身の鬼美濃‥‥‥だったか)
確かと昨日の記憶を辿れば———大部屋で家臣団を嗜めていた美女だったと思い出した。
武田四天王の一人であり武田家臣団筆頭、そして傷一つ負わない彼女に付けられた渾名、不死身の鬼美濃。
彼女の怒声は渾名に負けない圧力があった。
そんなことを考えながら慶次は部屋を出てひんやりとした空気を感じながら廊下を渡る。
縁側に立つと少し大きめな声を出した。
「おはようさん」
「おや? 前田どのではござらんか」
動かしていた手を止めるとこちらへと顔を向けた。
「稽古かい?」
「うむ、武士は基礎が重要でござるからな」
「はーん。‥‥‥なら俺も」
慶次は呟くと縁側に置かれていたもう一本の木刀を手に取り軽く振る。
至って普通の木刀だった。
縁側の影にある
そのうちの一足を履くと彼女の元へと歩み寄る。
「前田どのもやるのでござるか」
「あぁ。最近やってなかったからなぁ。身体動かして感覚戻さねぇとな」
「うむ。ならば丁度良い。拙と一剣交えてはござらぬか?」
「お!いいねぇ。不死身の鬼美濃と手合わせしてみたかったんだ」
「そうでござるか。拙も織田の鬼には興味があります故丁度良いでござるな」
慶次は軽く素振りを行った後、「では」と鬼美濃の言葉を合図に対峙した。
目に映る不死身の鬼美濃。
構えられた木刀は隙を見せようとせずに真っ直ぐとこちらを向いている。
その雰囲気と言ったら桐琴を連想させるように鋭利、それでいてぴりぴりとした電気のようなものだった。
覗くその瞳は慈悲など感じさせることなどない冷徹さを湛えていた。
「いくぞ!!」
鬼美濃の刺すような怒気と共に仕合が始まった。
ちなみに朝の五時ごろである。