戦国恋姫~偽・前田慶次~   作:ちょろいん

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ここでひと段落。


二十三話

十にも満たない鬼を瞬く間に切り裂いた。

 

「呆気ねぇ」

 周囲一帯には鬼だったもの肉塊が四散している。

 鬼の血で身体中を染め、手に持つ槍をブンと払い血を落とした。

 そんな修羅のごとき彼の戦いを身近で兵たちは呆然としていた。

(あんだけいた鬼をものの小半刻で……)

(流石は前田さまだ……)

(ええい!織田の前田は化け物か!)

 兵や将が口々にものを言う。

 

 彼は振り向き、兵たち全体を見渡した。

 大きく口から息を吸い込むと

「俺たちの‥‥‥勝ちだぁーッ!!」

 槍を空に掲げ、耳鳴りが起こるほどの声を張り上げた。

 

「「「「おーーーッ!」」」」」 

 一拍間を置き兵たちの勝鬨が夜の村にこだました。

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 それから数日が経ち三田村の復興が滞りなく進んだ。

 村民たちの穏やかな日常が戻って来たのだ。近くの川へ漁に出たり田畑を耕したりなど極々普通の生活へと帰ってきたのである。

 

 

 両手いっぱいに薪を抱えた慶次が古民家のすぐ脇に薪を置く。

「ここら辺でいいか?」

「ありがとうございます。前田さま」

「これでしばらく持ちます。本当になんてお礼を言ったらいいか」

 目の前の老夫婦が頭を下げた。 

 実はこの老夫婦、年のせいで復興の一助を担えなかったのだがどうしてもと眞琴に頼み込み軽い作業を任されたのだ。

 幸いにも二人は読み書きや軽い計算が出来、大いに復興へ貢献した。

 しかし軽い作業が重いものへと変わり体調を崩してしまったのだ。

 それを見た慶次は不器用ながらも彼らの生活の一部を担ったのである。

 薪割りに料理等々。

「気にしないでくれさ。俺がやりたくてやったんだ」

「そういっていただけると助かります」

 

 

「あーっ!慶次くんここにいたーっ!」

 後方からすっきりとした馴染みのある声が聞こえた。

「おう、市か」

 ものすごい速さで抱き着くように飛び込んで来る。

 その衝撃に思わずバランスを崩しそうになりふらついた。

「っとぉ、どうしたんだ?」

「まこっちゃんが小谷に戻るから連れてきてーって」

「そうか。もう戻んのか」

「?何か気になることでもあるの?」

「いや特にはねぇさ。ただ復興が思った以上に早く終わったからな」

「ふふーん。それもまこっちゃんのおかげだよ」

 自分のことのように胸を張った。

 実際眞琴の手腕の影響が大きかったのは事実。 

 迅速かつ丁寧な作業はものの数日で粗方の復興を終わらせたのである。

 色々とごたごたもあったが剣丞たちと協力し上手く事を抑えた。

 と言うのも慶次は眞琴に従って動いていたため、彼女が忙しく指示を出す所を見掛けたのだ。

 

「流石だな。眞琴は。んじゃあいつらも待ってることだし行くか」

「うん!」

 仲睦まじい姿を老夫婦に見送られながら眞琴たちが待つ場所へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 余談になるが二人の姿を見た久遠はとげとげしい雰囲気を出し、小一時間話を聞いてはくれなかった。

 

 

 

 

>>>

 

 

 

 ついに一乗谷へと送っていた部隊が帰って来た。

 

 浅井評定の間に集まった一同は報告を聞き唖然とする。

 五十人近く送った部隊は二人しか残っておらず、その二人も満身創痍だったのである。

「眞……琴さま。も、申し訳ござい、ません」

「わ、我ら一同全員帰ることが出来ず……」

 喋ることさえ辛いであろう彼らは必死言葉を出す。

「それ以上は喋らなくていい。傷に触る。ありがとう良く生きて帰って来てくれた」

 

 彼らが命がけで持ち帰った情報。

 それは越前が鬼で埋め尽くされているということだった。

 鬼は一塊で行動し兵士のような鎧を身に付け、知能を持たない鬼を知能をもつ上位の鬼が支配する。

 人間のたった一つのアドバンテージだった知能が無くなってしまった瞬間だった。

 

 さら追い打ちを掛けるように浅井同盟国、朝倉家当主も鬼になったのではとエーリカに推測された。

 鬼にはランクが存在しそれは人間の頃の肉体に依存する。つまり軍隊のような動きをする越前の鬼を率いているのは大名である朝倉義景ではないかということである。

 

「ぁ‥…あぁ‥…義景おねえさま‥‥‥」

 顔面を青白く染め上げる。 

「眞琴。我にも気持ちは分かる。だが今は鬼の被害を増やさぬようにするほうが先であろう」

「し、しかしっ……いえ。そうですよね」

 顔色はまだ優れないが毎度見る凛々しいものにもどりつつあった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく議論を交え、眞琴たちとのこれからの行動が決まった。

「浅井が鬼を食い止めている間に我ら織田が将軍を擁立し豪族共を吸収。そして鬼を一気に叩く‥‥」

 久遠が簡潔に話をまとめると視線を眞琴にやる。

 豪族などを纏め上げる間、鬼を止めてくれないかと目で語っていたのだ。

「大丈夫です、お姉さま。この城を、近江を鬼などに渡しませんから!」

 胸を張り久遠を見つめる。

 その瞳には江北武士で抑えて見せると強い決意が宿っていた。

「頼んだぞ」

 

 

 

>>> 

 

 

 

side 慶次

 

 

 彼は現在美濃と三河を結ぶ閑散とした道を馬で走り三河国へ向かっていた。

 三河は織田の同盟相手、松平元康が治める国である。

 元々松平元康は駿河・遠江・三河を治める大・大名今川義元に仕えていたのだが先の田楽狭間での討ち死により三河を治めるに至ったのだ。

 

 そんな三河国に向かっている彼の目的は越前の鬼攻め協力を求めるためだった。

 

 

「このまま真っ直ぐだぞ。慶次」

 声の主は彼の腕の中にすっぽりと納まりながら髪を揺らす。 

 

「やはり美濃と変わらんな」

 辺りの水田や田畑を一瞥した彼女はしみじみと呟いた。

 

「おお!見ろ!慶次。葵の城だ」

「おい久遠嬢。危ねぇから‥…」

 腕を彼女の腰回りに巻き付かせた。

 強制的に密着することになるがそんなことを気にする余裕は彼にはない。

「ッッ!!」

 

 

 

 なぜ彼と一緒に久遠がいるのか。

 それは半日ほど遡る。

 

 

 美濃の居城、岐阜城へと戻る道中で突然久遠が口を開いた。

『慶次。美濃につき次第、三河へいくぞ』

『あん?急にまた何で』

『葵の所に行く』

『なるほどねえ……上洛の準備はいいのかい』

『うむ。麦穂と壬月に任せる』

『なんともまぁ投げやりなことで。ま、いいさ』

 以上が事の顛末であった。

 

 

 

 

 松平元康の居城、岡崎城はもう目と鼻の先である。

 

 城門前まで馬を走らせ下馬する。

「何者か」

 兵が威圧感を出しながら此方を睨み付ける。

「織田からの使者だ。きちんと書状もある。確認するがいい」

 懐から書簡を取り出し兵に渡した。

「で、では少々お待ちを」

 兵は城門脇の小門へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 数分して兵が戻って来た。

 

 若干だが額に汗を浮かべていた。

 

「し、失礼致しました。こちらへどうぞ」

 

 門扉が重々しく開き城内へと入る。

 

 

 大広間へと案内され、二人の少女がいた。

 

 一人はどこか幼い印象を受ける少女。

 薄紫の髪を肩先まで伸ばし毛先は柔らかくふわっとし、柔和な雰囲気と儚さ‥‥まるで聖女ようだ。

 だがそれ以上に久遠とは違う芯の強さを感じることもできた。

 

 そしてもう一人は長い黒髪を後ろでポニーテールに結び、品のある佇まいから来る清楚さと純真さを持つ少女だった。

 正に大和撫子。

 

「うむ。久方振りだ。それでだ葵。単刀直入に言う」

 

 

 久遠はこれまでの戦闘と異形の物、鬼について、そして若干だが剣丞のことも交え簡潔に語る。

 

「なるほど‥…わかりました。この松平、織田の上洛への一助になりましょう。この日ノ本を守るためにも三河武士の力お貸しいたします‥‥‥と言いましても外は暗く何が起こるかわかりません。明日出立いたします。歌夜、彼を客室へ。久遠さま、詳しいお話は私の部屋で聞きましょう」

 

 薄紫の少女の言葉に久遠は満足そうに頷く。

 

 少女は答えるように微笑み、久遠を連れ、部屋を出ていった。

 

 

「ではそちらのかた。こちらへ」

 

 歌夜と呼ばれた少女に視線を向けられた。

 

 その後少女に案内され客間へと到着。

 

 通された客室は清洲城の客間と同様の間取りだった。

 広さとしては七畳ほど。

 左端は畳から一段高く造られ、一つの空間が出来ていた。そこには鷲が描かれた掛け軸があった。

 

「ご夕食は後ほど運ばせますのでそれまではごゆっくりと」

「あぁ。サンキューな」

「?さんきゅ?とは‥…」

 可愛らしく首を傾げ、後ろで束ねたポニーテールが揺れる。

(まぁた現代語をつかっちまったか‥…)

「あ、あーそれよりも名前なんて言うんだ?俺は堅苦しいのは嫌いなんだ。通称の慶次って呼んでくれ」

 ハハと笑いながら慌てて話を逸らし目礼した。

「ふふっ慶次さんですね。私は榊原小平太康政。通称は歌夜と申します。お気軽に歌夜とお呼びください」

「歌夜か。よろしくな」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 優しく笑みを零すその姿は大和撫子だった。

 

 それから彼女と何気ない談笑を交わした。

 

 自分のことにオープンな彼は趣味から行きつけの小料理屋、果てには桐琴に仕掛けた悪戯までも面白可笑しく語ったのだ。

 

 話の節目で丁寧な相槌を打つ歌夜についついヒートアップしてしまい気付いたときには真夜中。

 

「ふ~悪りい。かなり付き合わせちまったな」

 

「いいえ、構いませんよ。私も楽しめましたし‥‥‥!もうこんな時間。失礼しますね、慶次さま」

「おう。おやすみ。ありがとな」

「はい。おやすみなさい」

 退室していく彼女を見送り、いつの間にか側に置いてあった夕餉に手を付けた。

 

 

 

 

 

 翌日になり岡崎城を発った。

 美濃を目指す松平軍。

 その先頭には慶次、久遠、元康、歌夜、そして身の丈以上の槍をもつ少女がいた。

「じゃあじゃあ綾那たちはその鬼をやっつけるために尾張にいくです?」

 鹿耳のフードをかぶる彼女は本田平八郎忠勝、通称は綾那。後の戦国最強の者である。

「綾那。あまり慶次さまを困らせてはいけませんよ」

 

「そう言うわけじゃねぇが……まぁ簡単に言えば強え奴と殺り合えるってことか」

「っ!綾那楽しみですー!」

「こ、こら綾那。危ないからじっとしてて」

 馬上でピョンピョン暴れる綾那を歌夜が窘める。

 

 その光景を元康は微笑みを浮かべ眺めていた。

「松平の嬢ちゃん」

「どうかしましたか?」

「俺らはこれから戦友になるんだ。堅苦しいのはなしにしねぇか」

「葵。慶次は信の置けるやつだ。何かあったときに力になってくれると思うぞ」

「‥‥‥」

 眉を顰めると視線を宙に漂わせた。

 しかしすぐに答えが出たのか口を開いた。

「そうです‥‥‥」

 紡ごうとした言葉は一人の女性に遮られる。

 いつの間にか元康の隣にいる胸元を大きく開けた女性。

 彼女の名前は本田弥八郎正信、通称悠季。綾那の従妹である。

 

 悠季は元康一番を信条とし織田のことを余り快くは思っていない。増してや元康に天下を取らせようと画策している彼女は織田を利用しようとも考えているのだ。

「まぁまぁまぁ織田の鬼とおわすお方は口の利き方すらなっていませんのねー。さすがは尾張の野蛮人ですわー」

「おい、貴様口を‥‥‥ッ」

 

「‥‥‥ああ?」

 小バカにしたその一言が彼の琴線に触れたのか周囲の空気を重くした。

 慶次の目つきは鋭く周囲をさりげなくだが何かを探すように見渡していた。

「「ヒッ‥‥‥」」

 小さな悲鳴を上げ、顔を青く染める。

 元康まで慶次の迫力に恐怖し血相を変えた。

 

 

「おい。そこで見てるやつ、何モンだ」

 

「……へ」

「ホッ‥‥‥」

 元康は思わず安堵のため息をついた。

 彼の怒りはこの場に姿を見せない松平のもう一人の家臣に向けられていた。

「小波。出てきなさい」

「‥‥‥ここに」

 影も形も作らず突然元康のもとに現れたのは紫紺のマフラーで口元を隠し身軽な恰好した少女だった。

 隙のない身のこなしに腰に巻かれた数本のクナイ、俗に言う忍者、”草”である。

「申し訳ありません。前田どの。火急の時を考え伏せて置いたのです‥‥小波」

「はっ。この身は松平衆・伊賀同心筆頭、服部半蔵正成。通称は小波と。よしなに‥‥‥」

「おう。よろしくな。俺は前田慶次。慶次でいい」

 彼は小波に手を差し出す。

「あの‥‥‥これは」

「あん?握手だ握手。俺たちは戦友だからな、ほら」

「いえ、わたしのようなものには‥…」

「っち‥‥‥」

 まどろっこしいと思った彼は舌打ちをしながらも小波の手を握る。

 

「よろしくな」

 二カっと彼は笑顔を向ける。

「ッ!ッッ!」

 手を握られた挙句笑顔を向けられた小波は恥かしさからか目の前から一瞬で煙のように消えた。

 

「ライバルがまた‥‥‥」

「?よし次は松平の嬢ちゃんだ。さっきも言ったが慶次でいいぜ?」

 久遠の言葉に疑問を抱きながらも元康に向き直る。

 

 小波にやったように手を差し出す。

「は、はい。わ、私は葵とも、申します‥‥‥」

 先ほどの恐怖からかゆっくりと手を伸ばし彼の手を握ろうとする。

 しかし中々握ろうとしない葵にまたも彼から手を取りに行った。

「あっ‥‥‥」

「よろしくな。葵」  

 名を呼ばれたことか、あるいは手を握られたことにか頬を染めた。

 

 

「おい慶次。いつまで握っているんだ」

「あん?いつまでって‥‥‥葵、手。離さねぇのか?」

「ッ!も、申し訳ございませんっ!」

 

「あ、葵さまっ!これで手をお拭きくださいませ」

 すぐ隣で一連の流れを見ていた悠季が自身の袖口からハンカチのようなものを取り出した。

「こんな野蛮人の手を御身が握られてしまいましたら子を孕んでしまいますわ!」

「こら!悠季、何てことを言うのですか!慶次どのに謝罪なさい!いくらなんでも失礼ですよ!」

「で、ですがっ!」

 ハハと苦笑を零し、悠季の方を向く。

「大丈夫だ悠季。葵を取ったりはしねぇさ」

 

「?私を取るとはどのような意味でしょうか」

 葵の呟きを聞いた悠季にキッと双眸で睥睨されるが葵の一喝のせいか涙目のため恐怖はない。

「ど、どういうことだ。我では不満なのか‥‥‥」

 捨てられた子犬のような表情をする久遠。

「不満もなにもねぇさ。心配すんな、一緒にいるぜ?俺は」

「慶次‥‥‥」

 

 

 そんなにぎやかな一件もありながら一行は美濃に向けて足を進めていた。

 

 

 

 

 

「今日はここまでに致します」

 日が落ちる前に葵は軍を止めた。

 場所はちょうど美濃と三河を結ぶ中間地点。

 

 いくら勇猛果敢で名を馳せる三河武士とはいえ人間、疲労を考えてのことだった。

 

 ちなみに久遠と綾那、歌夜はこの場にいない。先触れとして慶次が美濃に送ったのである。

 しかし久遠の場合は別で二か国の長ということもあり士気の関係や策の立案などを考えてであった。

 

 

 

side 葵

 

 

 夜の戸張が下り、皆が寝静まった頃だった。

 松平の家紋が描かれている陣幕の中でふと、葵は目を覚ます。

 生理現象や寝心地の悪さからではなく、ふと何気なく目が覚めたのだ。

 目を閉じようにも寝れず逆に目が冴えていくばかりだった。

 仕方ないと思いつつ散歩がてら陣幕を出る。

 

 特に意図もなく空を仰ぎ見ると飛び込んでくる一面に広がる星々。

 キラキラと宝石のような輝きを放つ星に葵は懐かしさを覚えていた。

(昔はよく一緒に母上様と‥‥‥)

 「そう。あれは‥‥‥」

 

「綺麗だよな。星ってのはさ」

 唐突に聞こえて来た声に思考が吹き飛び、身体を震わした。

「悪りぃ。驚かしちまったか」

「‥‥‥慶次どの」

「おうさ。俺だ」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

 少しばかり居心地の悪さを感じ何か話題を振ろうとした葵だが先手を取られた。

「寝れねぇのか?」

 葵の方を向かず空を眺めながら言う。

「ええ。お恥ずかしながら‥‥‥」

「俺と一緒だな」

「慶次どのも、ですか」

「ハハハ、意外そうな顔をしてるな」

 相変わらず葵の方を向かずに笑った。

(武一辺ものだから。大方暴れたりないのね)

 葵の考える彼のイメージは織田の鬼、その渾名が表す通り筋肉馬鹿であり猪突猛進型であった。

「ははーん。俺を獣みたいになぁんにも考えないやつだと思っただろう」

 いつの間にか葵を視線に向けた彼は得意そうな顔をしていた。

「い、いえ。け、決してそのようなことは‥…」

「ハハハ葵は隠すのが下手だなぁ。そんなどもってると図星だって言ってるみたいなもんだぜ」

「‥‥‥」

「俺だって一応の学はあるさ。そうだなぁ、あれだ」

 彼が空を指さすと三角形を作る。

「かなり光ってるやつあるだろう?あれともうひとつのすげぇ光ってるやつ。それとその上の大きく光ってるやつ。あれを結ぶとな三角形になるんだぜ?夏の大三角って言ってな‥‥‥」

 

 それから聞いた彼の話は非常に興味深いものだった。

 葵は寝るためという本来の目的を忘れただただ、彼の話に熱心に耳を傾ける。 

 特に織姫と彦星の伝説、所謂、七夕。

 遠い地ににいながらも互いを思い続ける、そして二人が合うことが許される日は年に一回だと言う。

 よく小耳に挟んでいたことだがもっと早くに調べておけば良かったと後悔した。

 

「‥‥‥ってなわけだ。どうだ?俺にも学はあっただろう」

「は、はい。そうでございますね。私としたことが聞き入ってしまいました」

 

「なら良かっ‥‥‥ッ!。葵こっちに来い」

 いきなり一音低くなる彼の声。

 その視線は葵の後ろ、暗い森の中に向けられていた。

 

「?」

「葵。陣幕へ戻れ。今すぐにな」

 こっちへ来いだの戻れなどなんなんだと思いつつ彼の視線の先を見る。

「!」

 赤く光る双眸が森の中で蠢いていた。

 それは此方に向かっているようで徐々に徐々にその姿が月明りで露わになっていく。

「ぁ‥‥‥」

 得体のしれない恐怖感に思わず小さな悲鳴が出た。

「葵。あれが鬼って奴だ。今この日ノ本に巣食っている異形のもの」

「あ、あれが‥‥‥」

 噂で鬼について聞いてはいた。

 しかし剥き出しの牙は犬のようなものと考え、光る双眸は月明りの反射よるものだと思っていた。

 だが目の前にものはどうだ。葵の予想以上のものだった。

「小波いるか。葵を安全な場所に頼んだ。やつらは俺がやる」

 

 どこからともなく現れた小波に抱えられた葵は彼の前から消えた。

「それではご武運を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼が出現した場所よりほど遠い小高い丘で葵は彼の戦闘を見る。

 

 次に次に襲い掛かる鬼を軽くあしらいっていた。

 遠目でしか確認できないものの槍で突き刺し、鬼に蹴りを入れた。

 後ろから襲う鬼を槍の柄で顔を潰した。

 脇差を抜くと続けざまに鬼を斬り伏せるのが見えた。

(すごい‥…あんなにいた鬼が)

 一振り一振りで鬼を確実に仕留めていくその姿に葵は妙な高揚感を覚えた。  

 

 「戻ります。葵さま」

 再度、小波に抱えられ陣幕近くに戻って来た。

 葵の目に写る慶次の姿。

 彼の方が背が高く自然と見上げる形になる。

 夜空をバックに映えるたくましく精強な顔からよく鍛錬されたであろう肉体。

 葵が見たこともないものだった。

「ふぅ。何事もなく終わったな」

 地面に槍を突き刺し、身体を伸ばす。

「お、おおおつかれ‥‥‥さま、です」

 小波は少し怯えたような様相を見せながら労いの言葉を彼に掛けた。

「おうさ。おつかれさん」

 小波の肩を軽く叩く。

「ッ!」

 小波はまた今朝のように忽然と姿を消してしまった。

 

「慶次どの。ありがとうございました」

「礼はいらねぇさ。俺たちは仲間だからな」

「フフッ。そうですね」

 優し気なそれでいて柔らかい笑顔を見せる。

 

「そろそろ寝れそうなんじゃねぇか?」

「‥‥‥言われて見れば少しだけ。眠気が催してきました」

 欠伸は出ていないものの目がとろんとしてきているのを感じる。

「そうか。明日も早えんだ。おやすみな、葵」

「ええ。おやすみなさい慶次どの」

 

 

 そう言い陣幕の中へと戻ろうとした時だった。

 

 近くの草陰から顔を出した鬼と葵の視線が交差した。 

 鬼は剥き出しのギラリと光る牙を見せる。

 

 グガァァァァァァァァァ!!

 

 耳に残るような叫び声を上げながら葵を殺そうと強襲。

「ぁ‥‥‥」

 時間がゆっくりと進むような感覚だった。鬼の動きが非常に緩やかでありその姿を細部に至るまで確認することが出来た。

 唾液を垂れ流す鬼。そして目の前の鬼が自分を喰い殺そうとしているのを悟った。

(私は此処で‥‥‥死ぬ)

 そう理解した刹那、走馬灯のように今までの記憶が蘇る。

 優秀な家臣団との出会いや今までのつらかった忍従の日々。

 そして田楽狭間での合戦。はたまた先ほど慶次から教えてもらった七夕までも。

 

(あぁ。ごめんなさい。綾那、歌夜、悠季、小波。そして三河の民たち。私は此処で──)

 葵はすぐに訪れるであろう痛みから逃げるように目をギュっと瞑った。

 

 

 

 

 

 

 しかしいつまで経っても痛みはやっては来なかった。

 

 

 葵は恐る恐る目を開ける。

 

 「!!!ッ」

 思い切り目を見開いた。

 彼女の目の前には背を向け庇うようにして立つ慶次の姿があった。

 上手いこと槍で牙を防いでいたのだ。

「葵。大丈夫か!」

 流水のように軽やかに右手で鬼の顔面を殴りつけるとそのまま鬼の腹部に重い蹴りを入れる。

 何かが割れるような鈍い音が耳に入り鬼は後ろへ吹き飛び動かなくなった。

  

「葵。すまねぇ。俺が油断しちまったばかりに危険な目に合わせたな」

 

 呆然としていた葵は危険という言葉を聞き先ほどの恐怖を思い出した。 

 鋭利な刃物の如き牙、光る双眸。

 寒気を感じていないのにガタガタと身体が震え出し、顔からは血の気が引いたような後味の悪い感覚が残った。

 「ぁ‥‥ぁぁ」

 消え入る声を出し顔の穴という穴から体液が吹き出してきた。

(嫌ッ嫌ッ!死にたく───)

 

  

 その時だった。

 温かくそれでいて大きな何かに身体が包まれた。

「葵。大丈夫だ。俺がいる。お前は何も心配する必要はねぇ」

 優しい声色と共に葵を包む大きな身体が安心させるように背中を柔らかに擦った。

 今まで嗅いだことのない爽やかな香りが葵の身体に充満する。

 

「大丈夫だ、葵。大丈夫だ」

 ドックン、ドックン。

 彼の心臓の鼓動が聞こえるたびに安堵の気持ちが生まれ、不思議と身を蝕んでいた恐怖は徐々に消えてゆく。

 

 半刻ほど彼に抱きしめられていた葵が不意に顔を上げる。

 涙や鼻水で葵の顔はぐちゃぐちゃになっておりそれを見た慶次の顔に悲痛な色が表れた。

 

「慶次‥‥‥さま?」 

「葵。もう今日は寝な。一緒に俺もいるから」

 葵を抱きかかえると彼女の陣幕へと向かう。

 

 陣幕内には長方形の箱のような物があった。

 その上にござが敷いてあり、布団らしきものが敷いてある。

 葵をそこに寝かせると親が子供にするようにゆっくりと頭を撫で始める。

 それが十分ほど続きやがて葵からは規則正しい寝息が聞こえて来た。

 

 その表情は柔和でありとても穏やかなものだった。

 

 

 

 

 

 

 


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