「痛ぇ、やっぱり一日二日じゃ無理か」
肩に巻かれた布から薄く血が滲み始めていた。それほど多量の出血はしていないものの鋭い痛みがずきずきと襲っていた。
「仕方ないか。今日は休も」
そうして鍛練を中断した慶次。部屋に戻るもやることがなくぼーっとしていた。
(暇だ。町に行こ)
慶次が屋敷を出て、清洲城下に到着するころにはちょうどお昼時の時分だった。町行く人が往来の飯屋や団子屋に列を作っていた。
「結菜の飯も食いたいがなぁ。何度も行くのも迷惑だろうしな……うぅむ」
どうしようかと視線を泳がしながら悩んでいると、ある団子屋が目に入る。
そこまで列を作ってはいない場所だった。
ちょうど今の時間帯では日陰になるらしくどこか暗い雰囲気をしている。翻る旗には『だんご』と描かれて、風に靡いていた。近くには大きめな長椅子が併設されていた。
慶次はその団子屋まで足を運び、入り口から店内の様子を見渡した。壁に掛かったお品書きには『おいしい甘酒をぜひ!』とでかでかと書いてあった。甘酒を飲むことができるらしい。
外では列を成していなかったが店内はすでに満席状態。外見とは裏腹にガヤガヤとひしめき合い席が空く気配はなかった。
そんなとき店の入り口にポツンと目立たぬ位置に置かれる長椅子が目に留まる。慶次はそこに座ることにした。
(ええと、店員はどこだ‥‥‥いたいた)
「おーい。そこの姉ちゃーん」
呼ぶと気付き、小走りで駆け寄ってきた。
「団子を五つ頼むぜ、それと甘酒もな」
「はい!わかりました」
元気よく返事を返し、奥の厨房に消えていった。
「はい、お待ちどうさまー」
「ありがとさん」
皿に乗った三本の三色団子に甘酒の入った徳利とおちょこが慶次の脇に置かれた。
至ってシンプルだが空腹のためか天下一品の極上の品に見えていた。
団子を食べ終わり、しばらくの間、甘酒をちびちびと嗜んでいた。一気に飲むというのも良かったのだが風情がないのだ。
(やっぱ味あわねえとな)
だからこそ、こうして口に含み、香りを味わうのだ。それが形容しがたいほどに良い。
「美味いねぇ」
おちょこを見つめる。とても綺麗な色合いをした群青色の紋様がおちょこに描かれていた。
「風情があるなあ」
再び口元へとおちょこを運び、残りを飲み干した。ほどよい甘さが口一杯に広がった。徳利を傾かせて空になったおちょこに注いだ。
人が道行く往来を眺める。
忙しく走る者もいれば、逢引中なのか二人手を繋ぎ笑い合う男女もいた。
(こういうのが日常なのかねぇ)
ちびちびと嗜みながらそんなことを思った。
「失礼、隣りに座っても?」
唐突に女性が尋ねてきた。濃い橙色の髪に花の簪を刺した女性だ。
彼女は慶次が一方的にだが見覚えのある女性だった。
慶次は突然のことに戸惑いながら了承の答えを返す。
「! あ、あぁ。構わないぞ」
見覚えのあるこの女性───武田家の武藤一二三昌幸であった。
彼女は策士として有名だ。ボロを出さないようにと慶次は気を引き締める。
(それにしてもなぁ‥‥‥すごく可愛いぞ)
「?私の顔に何かついてるかい?」
ジロジロと見ているのがバレたようで怪訝な顔をされる。
「悪い。あまりにも可愛いかったんでな。つい」
彼女は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていたがすぐに破顔した。
「アハハッ!面白いんだね、君は。そんなこと面と向かって言われたのは初めてだ」
「そうかぁ? こんな可愛いのに目をつけねぇ男はどうかしてると思うがなぁ」
「このご時世だから仕方がないんじゃないかい? まぁそんな時だからこそ私のような女でも仕官先を探すことができるんだけどね」
可愛らしく首を竦めた。
「仕官先ねぇ、浪人ってことか」
「そう。西の周防国から東の陸奥国までね。私の気風にあったお家を求め行脚の旅さ」
「なるほどな‥‥‥しかしな嬢ちゃん」
慶次の悪い癖。それは人をからかうことだ。知り合い問わずいつでもどこでも悪戯をしていたのだ。
だから彼女、一二三の言葉を聞き、慶次はびびっと閃いてしまった。
慶次の言う言葉は、まず彼女が主家としている者しか知らない情報だ。そしてその所以たるものが『足長おじさん』である。
つまり武田家であるのだ。
「もう仕えてる、だろう?」
武藤一二三は武田の人間だ。
音に聞こえた猛将・村上義清の守る城を計略で落城させたことで名を馳せた真田幸隆の娘である。
どのような経緯で武藤と名乗るようになったのか知る由もないが確かに幸隆の頭脳を受け継いでいるのだ。
彼女の仕官先を探す旅というのは建前で本来の目的は他国の情報収集であったのだ。現にここ、尾張に来た理由は剣丞の絡みのことだ。
(───って原作知識があったな)
「‥‥‥」
核心をついたと思ったが顔色一つ、いや眉一つ動かさなかった。何かしら行動を起こすと思ったがそうはならなかったようだ。
慶次はもう一歩踏み込み、告げた。
「そうだなぁ‥‥‥主君は甲斐の虎と謳われる名君、武田晴信」
「‥‥‥」
「そして嬢ちゃんの名は武藤一二三昌幸だ」
「っ」
小さく声を上げるだけで表情までは変化しなかった。
流石正史で表裏比興と揶揄されるだけはある。
(ここまでか……)
非常に残念だがもう慶次には打つ手がなかった。。
手にもつ甘酒を一気に飲み干し、懐から出した銭袋の中から多めに取った銭を彼女の傍に置く。
「意地の悪いことをしちまったな。今回は俺の奢りだ」
「‥‥‥いいのかい?」
「謝罪の気持ちだ。それじゃあな、嬢ちゃん」
勘定をすまし彼女、一二三の視線を背中に感じながら慶次は往来へと消えていった。
side 昌幸(一二三)
「着いた。ここが尾張ね……」
つい先日いた美濃の町とは大違いで人々の目には活気が溢れていた。
右に視線を移せば食事処に列が、左に視線を移せば露店商に値切りをしている人など、皆が皆思い思いに生活していた。
「さすがは尾張の国主、人々の心を掌握しているよ。うつけなんて噂は嘘だったみたいだ」
「それで、新田何某はどこにいるのやら」
田楽狭間の天人、空より現れた。
というが正直なところあまり信じられることができない、というのが御館様の言葉だった。
そういうわけで尾張に来た目的はその天人の調査だ。
「しかし腹がすいては戦はできないとも言うし昼食をとってからにしようか」
食事処を探すためとにかく歩くことにする。
だがどの食事処も列ができ並ぶことをためらうものばかりだった。
「どこもかしかも人ばかり、栄えるのはいいがこうも人がいてはね」
ふと、とある団子屋が目に入る。この時間帯としては珍しく長椅子の席が一つだけ空いていた。
座っている男は幸せそうな顔をしながら口に団子を頬張っていた。
相席にはなるが大丈夫だろうか。
「失礼、隣りに座っても?」
「!あ、あぁ。構わないぞ」
何か狼狽した雰囲気を見せる男。黒い長髪を後ろで一つ結びにした、なかなかの色男だった。何よりも目立つのは奇抜な色合いをした袴と着流しだった。
事前に放っていた吾妻衆からの情報によりここ、尾張周辺の国々は内乱が激しく他国に介入するほどの余地がないことが分かった。
その情報を踏まえるとこの男は織田の将だろう。服の上からでも分かる筋肉、そして手に出来た豆がそれを証明していた。
(織田当主は今は美濃にいる、つまり留守を任されているということか。城下に出ているところを見る辺り愚鈍な将、かな)
そう決めつけるように考えるが、彼の視線が思考を中断させた。
「?私の顔に何かついているかい?」
「悪い。あまりにも可愛いかったんでな。つい」
心がはじけそうになった。見た目も相まってそんなことを言われてしまうと意識してしまう。
ましてや一度も異性から掛けられたことのない言葉だったためか、こそばゆく、恥かしい思いで一杯になった。
「そうかぁ?こんな可愛いのに目をつけねぇ男はどうかしてると思うがなぁ」
この男はたらしなのかもしれない。臆しもせずに堂々といってくるあたりがそうだ。
(自覚がないらしいね。質が悪いよ、これは)
「このご時世だからね、仕方がないんじゃないかい?まぁだからこそ私のような女でも仕官先を探すことができるんだけどね」
誤魔化すために浪人ということで通したが何かを考えているのか難しい顔をしている。
「なるほどな‥‥‥しかしな嬢ちゃん、もう仕えてるだろう」
「‥‥‥」
「そうだなぁ‥‥‥主君は甲斐の虎と謳われる名君、武田晴信」
愚鈍な将といったがそれは私の間違いだったのかもしれない。武田に仕えていること知っている、この男は───"草"か。
織田のような小規模な勢力の草は元来、情報収集に力を入れる傾向が強い。常に周囲に気を張らなければ自分たちが滅ぼされるからだ。
(……もしや私の名前まで───)
「そして嬢ちゃんの名は武藤一二三昌幸だ」
「っ」
心の臓が鷲掴みにされるようだった。まさか本当に私の名前まで知っていたとは最悪の事態だ。
(間違いない。この男は草だ……さてどう対処したものか)
この場を切り抜けるための策を考える。
しかしそれは無意味に終わった。
「意地の悪いことしちまったな、今回は俺の奢りだ」
根掘り葉掘りと聞かれると考えていたが出た言葉は予想外のものだった。
「……いいのかい?」
「謝罪の気持ちだ。それじゃあな、嬢ちゃん」
銭を私の傍に置き町中に消えていった。
(織田の草は一筋縄ではいかないね。これは骨が折れそうな相手だ……けど)
私が武田の臣であることを、そしてのなぜ私の名前を伝えたのか。それがどうしても分からなかった。
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慶次が一二三と会う前日の晩、久遠は戦の準備に取りかかっていた。
馬に跨がり夜の城下を走りぬけ、一人街道に出る。
「……」
法螺貝の音が響き渡った。
どうやら兵の一人が久遠の出陣に気付いたようだった。
「久遠!」
「遅いぞ。剣丞」
「そうは言うけどさ、夜中だぞ?いきなりすぎるって」
剣丞の言うことは最もだった。
実際剣丞の髪は若干だがボサボサで寝起きを意味していた。
「まごついていれば時期を逃す、許せ」
「殿ぉー」
遠くから大声が聞こえた。声の主であろう一人の女性が数千規模の軍勢を引き連れやってくる。
「壬月か。ご苦労」
到着した壬月の顔には玉の汗が浮かんでいた。
「ご苦労、ではありません!突然のご出陣はご勘弁をといつも言っているでしょう!」
「そうは言うが、稲葉山の兵が少ない今が好機なのだ。それにさっさと動かん貴様らが悪い」
「相変わらずの仰りようですねぇ。少しは後ろを追いかける者の身にもなってくださるとうれしいのですが……」
いつの間にか到着していた麦穂が苦言を呈す。
「気が向いたらな……」
麦穂の苦言にどこ吹く風のようにさらりと流す。
「そう言えば三若の姿が見えんな」
「母衣衆は一番後ろ、ですね…」
「あの、馬鹿どもが……」
壬月が握り拳を作り手を震わせる。三若が御叱りを受けることが確定した瞬間だった。
しかしそれも当たり前のことであった。
殿の身辺を警護する役目も承っている彼女たちは久遠と共にいて当然なのだから。
「待っている時間が惜しい。壬月と剣丞は我と共に先行せよ。麦穂は三若と後続を纏めておけ」
「「はっ!」」
「行こう、久遠」
久遠を先頭に壬月、剣丞がついていく。その後ろには久遠の騎馬軍、そして壬月の軍が続く。
一人の兵が汗だくで久遠に近づいてくる。鎧を見るからに織田の足軽のようでよっぽど急いでいたのか汗だくだった。
「伝令!斎藤龍興は稲葉山城へ籠城を選択したとのこと!」
「苦労。稲葉山の前に陣をとる。壬月、麦穂が着きしだい軍義を行う。主だったものを集めておけ」
「御意」
稲葉山城・前方
稲葉山に到着したころ織田の軍勢は倍に膨れ上がっていた。内応を約束していた地方の豪族が加わったのである。その中でも西美濃三人衆が加わったことはとても大きかった。
家臣たちは緊張した面持ちで軍議に臨んでいる。今から落とすのは堅城と謳われる稲葉山城であり当然のことだった。
「……知っての通り天下に名だたる堅城、稲葉山。包囲したからと言って早々には落ちんことは明白、よって今回は短期決戦、強攻を行う」
「……なんとっ!」
壬月が驚くのも無理もなかった。確かに城攻めは長い時間をかけるより短い時間で行ったほうが良いだろうが城への強攻はメリットよりもデメリットのほうが多いのだ。
元々勢力として弱小だった織田は無駄に兵力を消耗できず兵糧攻めが基本だった。今もなお、弱小とはいかないが周囲の勢力と比べ見劣りするのは事実で、兵を消耗すればお国の守りが薄くなるのは分かり切ったことだった。
「しかし強攻したからといって城が落ちるわけではございません。ましてやここで兵を死なせてはお国の守りが──」
「尾張には慶次がいる、心配はいらん。それに策がある。我も先日聞いたのだが……剣丞」
久遠が呼ぶと剣丞が一枚の地図を机上に広げる。
「実はね、この前の偵察で稲葉山城の裏手、ええと……ここか。三の丸に繋がる道をみつけたんだ」
この情報に家臣団が驚きの表情を浮かべる。一部何を言っているのか理解の及んでいない者がいるが。
「中々に狭い道でね。大勢で移動できるものじゃない。 だから少人数の俺たち剣丞隊が潜入して城門を開けようと思っている。成功したら合図を送るから、なだれ込んでもらって制圧して欲しい」
「成る程。剣丞どのの策でいくとすれば、稲葉山の落城は目と鼻の先。しかし危険ではないでしょうか」
麦穂の言うことは最もだった。兵が其処ら中に警戒を敷いているため、見つかればまず命はないといっても良いだろう。
「危険なのは承知の上。だが我は必ずやれると信じている」
「はぁ、全く殿は……孺子いや剣丞。いけるのか?」
「うん、天下の堅城ってことは敵は油断してると思うんだ。潜入されるなんてあり得ないってね。けどそのあり得ないを」
「逆手に取る、か」
「逆手に取る、ですね」
考えていたことが同じだったためか二人の声が重なる。
「そう言うこと。だから任せてくれ」
「……分かった。信じているぞ、剣丞」
「くれぐれも無理だけはしないでくださいね」
「話は纏まったな。……では剣丞隊以外の者は七曲口より入り鬨の声を上げ続けよ。剣丞隊の潜入を悟られんよう注意を引く。よいな?」
『御意』
剣丞隊による稲葉山城の潜入が始まる。織田による美濃奪取はもうすぐそこだった。