戦国恋姫~偽・前田慶次~   作:ちょろいん

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十二話

 

 森の中で剣戟が繰り広げられている。

 大勢の兵が一人の男を槍で、刀で、四方八方から襲っているのだ。

 一般の兵と雖も人体の弱点を理解しているらしく頸、腹部などを執拗に付け狙う。

 

 まさに多勢に無勢だった。

 しかし多勢と言う割には、兵達の顔は恐怖で一杯だった。

 

 一方の男──慶次は涼しい顔で難なく捌いていた。

「お、おとなしくそこを通せ!そうすれば貴様の命は助けてやらんこともない!」

 槍を構える斎藤飛騨は言葉を震わせていた。

 

 同時に彼女の手足も恐怖で震えて、今にもへたり込んでしまいそうでもあった。それでもそうならないのは己たちが多勢だからだと言うことだけだった。

 

「ここを通りたければなぁ……俺を殺してみせろぉおおおっ!」

 威圧感のある大声を上げる。雄叫びだった。

 すると、彼の背から一陣の大きな風が吹いた。

 目は爛々とし得体の知れない恐怖を感じさせる。完全に戦闘狂としてのスイッチに切り替えられていた。

 手には血濡れた武器があり一層深く、恐怖を刻みこむ。

「こ、こんなのに勝てるはずない!」

 

「飛騨さま、て、撤退をぉ!」

 

「か、数で押せっ! 奴とて人だっ! はやくやれ!」  

 斎藤飛騨の顔には恐怖と焦りが浮かんでいる。

 恐怖は慶次の武に、焦りは剣丞たちに向いていた。

 周囲の兵がさらに大人数で攻め立てるが慶次がそれをいなす。

 

 小一時間ほどそれは続いた。

 

 飛騨の目の前には倒れ伏している兵達がいた。すでに息はないのか、ピクリとも動きはしない。

「な、なぜだっ!? なぜこれだけの数を相手にできる!?」

 

「俺が強いからだぁぁ!!」

 脇差を抜きさり、兵達の屍を踏み越えて、煌めく刀身を飛禅の頸に当てる。

 

「あとはてめぇだけだ。どうする?」

 飛騨の頸に当てられた刀身が動かされ、薄皮が切れる。

 つーと頸筋に血が流れる。

「ヒッ……」

 恐怖にガタガタと震える飛騨の鎧の下からびちゃびちゃと水気のある音がした。

 死ぬかもしれないという恐怖が彼女を失禁まで追い込んでいたのだ。

 

「……行きな」

 頸に当てていた刀身を鞘に仕舞い込む。

 

「う、うわぁああああ!!!」

 飛禅は背中を見せると脱兎の如く、情けない声を上げながら森の奥へと走り去った。

「……行ったか」

 大きく息を吐くように呟いた。その顔には疲労の色は浮かんではいなかった。

「さて、剣丞たちのほうに行かねぇとな」

 そして踵を返して、一歩踏み出した直後。

 

「ガッ!?」

 左肩に焼き鏝を当てたような鋭い痛みが走る。

 恐る恐る振り向けば、殺したはずの兵が左肩を斬りつけていた。

 両手は血で濡れているが滑ることのないようにと両手で握っている。そして薄く笑っていた。

「へ、へへ。死ぬ前に‥‥‥一発。この、化け物が」

「‥‥‥やるじゃあねえかよ」

 もともと虫の息だったのか兵は地面に倒れた。

 倒れ伏した兵を一瞥すると剣丞たちを追うために歩き出した。

 

 

  2

 

 最後に稲葉山城を見ておきたかった。

 それが彼女が美濃に来た理由である。

「慶次‥‥‥」

 彼が消えていった森を見つめていた。

 美濃に行くなんて言い出さなければこんな危険な目に合わせることなんてなかったのに、と後悔の念が結菜を蝕んだ。

 せめて慶次の後を追いたいと立ち上がろうとするが──。

「痛っ!」

 少し足を動かすだけで鋭い痛みが襲う。

 ジンジンと響く痛みだ。これでは移動さえままならなかった。

「?」

 遠くから足音がかすかに聞こえてくる。

 誰か分からないが、そう数は多くないようだ。

 足音が近くまで訪れ、慶次かと思い顔を上げると、そこにいたのは剣丞たちだった。

 その両脇にはひよところがいる。ならば剣丞の背に隠れるようにしているのは十中八九、竹中半兵衛だろう。

 

「剣丞、慶次はどこ?」

 てっきり共にに帰ってくると思っていたが姿が見えない。

 ──しかし何となくだが予想はついている。 

 その予想が外れてくれ、と心の中で剣丞の二の句にほんの少しの期待をした。

「今はいない。けど心配いらない、あいつは絶対に帰ってくるから」

 

「‥‥‥そう」

 やっぱりそうだった。予想が的中したことに不安で胸が押しつぶされそうになる。

 

 慶次は戦に出て帰ってこないことなんてなかった。負け戦に思えるようなものでもケロっとした顔を見せてくれるのだ。

 

(慶次は強い、だから大丈夫、絶対大丈夫。)

「絶対に帰ってくる」

 不安を隠すように口に出すが結菜の胸の圧迫感は消えなかった。

 

 

  

「お頭ー!二つ雁金の旗印がみえましたよー!」

「二つ雁金か。壬月さんたちだ!」

 帰りの道程。遠方で砂埃が舞い上がっていた。

 騎馬隊を率いてこちらにやってくる一つの集団が見える。

 早くこの胸の不安を取り除きたい。だからだろう。無我夢中で馬を降りた壬月に駆け寄った。痛みさえ気にせずに。

 

「壬月っ!慶次を助けて!」

「? 奴になにかあったのですか」

 

「それは俺から話すよ。実は……」

 剣丞は事の次第を述懐した。

 

 

「なるほどのぉ。慶次が殿を務めているか。‥‥‥わかった。柴田衆! 結菜さまの護衛は任せる。私は慶次の救援に行く」

 

「壬月頼むわ!」

「お任せください。なにも心配はありませんよ。あの慶次ですからね」

 心を見透かしているのか不安を取り除くような言葉を掛けてくれる。その言葉に少しだけ安心することが出来た。

「ありがとう壬月」

 

「では」

 壬月の姿が見えなくなるまで結菜は彼方を見つめていた。

(どうか無事でいて慶次)

 

 

   3

 

 

 油断大敵。

 この言葉ほど今の自分に当てはまるものはない。

「そこまで深くはないか」

 流血していた傷口はすでに閉じつつある。

「桐琴たちに笑われるわな、これは」

 あの人たちは絶対そうだろうと慶次は自嘲気味に笑う。

 そんな中、ふと空を見上げる。

「‥‥‥尾張に到着するのは明日か」

 天に昇っていた太陽が徐々に傾き始めていた。茜色の空。果てには逢魔時特有の紫苑色の空が茜色を侵食していた。夕暮れの訪れを告げるように月がうっすらとだが現れ始めている。

 歩いては休憩、歩いては休憩を繰り返しながら道を進んだ。

 それからどのくらい歩いたのだろう。気付いたときには辺り一面薄暗い。

 虫の鳴き声や梟らしき鳥の啼き声。風に揺れてざわざわと揺れる枝葉。不気味に夜の森に響く。幸いにも唯一の光である月光は今日も明るさを保っている。

 遠くから馬の蹄の音が聞こえる。

「……馬か」

 先を見ようと目を凝らすが、暗くてよく見えない。追っ手かと考えたが美濃方面からやって来る。つまり尾張からの早馬か、敵方の密偵ではないだろうか。

(密偵だった場合殺さなければならないな、ここでなにか情報を持ち帰られたら面倒だ)

 一応、槍を構え、木陰に身を潜める。聞き覚えのある声が耳に届いた。

「慶次はいったいどこに‥‥‥」

 赤紫色の服。小さく後ろにまとめた髪と片側に流れる長髪。虎を思わせるつり目。そして鬼柴田と謳われる猛将。

 彼が知る限り当てはまる女性は一人しかいない。今回は相棒の戦斧を持っていないらしく、右手を腰に当てキョロキョロと辺りを見渡していた。

「よう壬月」

 そっと背中に近付き、声を掛けた。

「うひゃっ!? 誰だっ!」

(いつも凛としてるのにこんなに可愛い声を出すのか)

「あ、すまん。俺だ」

「はぁ、貴様は‥‥‥全く」

 呆れ顔で大きくため息つかれる。

「毎度のことながら時と場所を考えんのか阿呆。馬を持ってきてやった、帰るぞ」

「はっはー。悪いなこれは俺の性分でね」

 お礼を述べて乗馬し、馬を走らせた。

 

 夜に騎乗というのは新鮮だった。

 全身当たる風がとても心地良く、少しばかりの眠気を誘発させる。

「ふぁ~あ」

「なんだ、眠いのか」

「あぁ。ちょっとばかし無理しすぎたみたいだな」

 血を流しすぎたせいで血が足りないのかもしれない。

「少しの我慢だ。あと一刻ほどで尾張につく」

※一刻=三十分

 

「おうさ」

 

 

 

 尾張に到着し馬を小屋に掛けて城下町に入る。

「壬月。ありがとな」

「気にするな。あと結菜さまが心配しておったぞ。後で顔を見せておけ、ではな」

 

「おう」

 壬月は自分の屋敷の方へと姿を消していった。

 町は暗く静かだった。

 提灯の灯りはなく、今が真夜中ということを教えてくれる。

 慶次は森の屋敷へと帰るため歩いていた。

 右へ歩き左へとジグザクと歩く。しかしそうと思えば突然立ち止まり後ろを振り向いた。

(つけられてんのか。これは)

 先ほどから背中に鋭い視線を感じていた。

 人数はおそらく二人、手練れと素人らしい。

 らしいというのは手練れと思われるやつが素人をカバーしているからだ。

(俺の命を狙っているのか、それともただの偶然か)

 前者はまだしも後者はまずないと切り捨てる。

 今の時間出歩くやつなどいないからだ。

 面倒だが少し痛い思いをさせ、理由を問いただそうか。そう考えて近くの路地まで誘導させることにした。

 

 路地に入り、出口脇で待ち伏せる。

「……遠……てるの」

「お……る」

「結……ぞ」

「わか……」

 尾行者は声の高さをみるに二人組の女性だろう。刻々と足音が近付き、女性たちが出口に差し掛かったところで───先頭の女性の手を捻り上げ、地面に押さえつけた。

「っ! うぐっ!?」

「久遠っ!?」

 途端に肩の傷口が開き、痛みが走った。流血し出しことが分かり肩口がじんわり濡れるのを感じていた。

「後ろの! 動くな」

 

 今出せる最も低い声を出し、威圧した。

 路地の影で姿が見えない、路地奥の女性が立ち止まったことを確認し、押さえつけているもう一人の女性に目を向ける。

 

 

 そした露になった女性の正体は。

 

「‥‥‥久遠嬢じゃねぇか。つけていたのか」

 ということは───路地の奥から歩いてくる女性は案の定結菜だった。

 

「ちょっと慶次。女の子に暴力はダメよ。久遠を離してあげて」

 

「!‥‥‥すまん! 久遠嬢!」

 彼女を立たせると身体についた埃をはらう。

 

「き、気にするな。我が勝手につけたのが……悪かったのだ」

 目尻にキラリと光るものが映る。さらには彼が捻り上げた箇所をさすっていた。

 

(……勘違いとは言え暴力振るっちまったんだよな、泣くのは当たり前か)

 

「悪かった久遠嬢。この通りだ」

 慶次は最大限の気持ちを込め、頭を下げるが、身体を傾けたせいで負傷した肩から血が滴り落ちてきた。

 

 それを見た二人があからさまに顔色を変え、詰問してきた。

「慶次っ!あなたその肩の血はっ!」

 

「えっ!? け、慶次が怪我をしたのか!?」

 

「落ち着け落ち着け。これはまぁ油断し結果ってやつだ。気にすんな」

 油断大敵という言葉が本当に正しかったのだ。戒めともとれるいい経験になったとしみじみ思う。

 

「気にすんなってあなた! 私があの時どれだけ心配したかわかってるのっ!」

 

「そうだ。我は慶次が殿と聞いて……いなくなってしまうんじゃないかって、とても心配したんだ」

 

(全く‥‥心配かけすぎちまったか)

 一緒にいた時間は長がったせいだろう。

 だからそんな慶次が危険なことをすれば心配するのは当たり前かもしれない。

 それならば死にはしないと、いなくなったりはしないと信じてもらうしかない。

 

「すまねぇな。だが帰らないことなんてなかっただろう。心配なんていらねぇさ」

 久遠、結菜の順に優しく頭に触れる。二人の髪はサラサラとし、いつまでも触れていたい気持ちにさせた。

 

「っ! 慶次っ 」

「ふふっ」

 身体に衝撃が走り、久遠が慶次の腰に抱きついた。

 それを見計らったかのように結菜までも。

 二人分のとても甘い香りが鼻腔をつき抱き締めそうなる───がぐっとこらえた。

 

「おいおい、どうしたんだよ一体」

 

「我の前から絶対にいなくならないで欲しい。我はお別れなんて……したくはない」

 慶次の服に顔をうずめた久遠は慶次の腰に回した腕を強くする。さながら母親に甘える子供のようだ。

 

「私からもお願いよ慶次。絶対にいなくならないで」

 此方を見上げる結菜の悲愴な表情を浮かべていた。

 今朝の殿の件があった手前、一番つらい思いをしていたのだろう。そんな気持ちの代弁なのか、慶次の服をぎゅっと掴んだ手にはかなりの力が込められていた。

 

「大丈夫だ、俺はいなくなったりなんてしねぇって。約束だ」

 

「言葉だけでは信じることができん」

 

「私も同じ。慶次、言葉だけじゃ信じることができないわ」

 

(参ったな、言葉だけじゃ無理か……まぁ)

 肩の痛みを我慢し両腕で覆うように二人の肩を抱いた。

「ぁ……」

「っ!……」

 彼女たちの甘い香りが胸一杯に入り込んでくる。呼吸をするたびに頭がクラクラしてくるが気合いでなんとか正気を保った。

 

 二人の身体は細くもあり柔らかくもあり、温もりを感じることができた。なんとも抱き締めがいのある身体だった。

 特に胸部装甲はとても破壊力のあるもので彼は自分の息子に血が集まるのを感じていた。

 

「……慶次……我は慶次のことが」

 

「(ダメよ、久遠。今はまだ言わない約束でしょ)」

 

「(しかし結菜。我はもう……)」

「(それは私だって同じよ。でもまだ……)」

 二人が何か話しているが今の慶次には聞こえていなかった。

 密着しているせいで息子のポジションを変えることができないことに彼は焦っていたのだ。

 

「慶次なんでもないからな!」

「慶次、気にしないでね」

「っ!」

 本当は気になるが今はそれよりもポジションを変えることに集中する。気付かれないよう細心の注意を払いながら。

 

「慶次、我は、もっと……してほしいのだが」

 背が高いため二人は自然と上目遣いになった。

「……慶次、久遠にするなら私もいっしょにね」

 

 そんな二人の瞳が心にグッとくる。

 仮に断ったとしたら泣きそうな顔をするだろう。

 つい先ほどもう辛い思いをさせないと誓った手前断ることは出来なかった。

「全く甘えん坊だな。お前らは」

 

ぎゅう。

 

「っ!」

「慶次ぃ…っ」

(やましいことはしてないしてない)

 彼の脳内には一つの布団で共に横になる三人の姿が映し出されていた。慶次が真ん中で右に久遠、左に結菜が付く。そして彼女たちは胸をはだけさせて───。

 

「ごめん、なさい。慶次」

 ふいに来た結菜の謝罪。

 結菜が耳元で囁きながら抱きついていた。

「私が、美濃に連れていったから。危険な目に合わせて、怪我もさせて……」

 そんな絞り出すような、か細い結菜の声。どれほど辛い思いをさせてしまったのか、慶次は胸に染みるほど理解させられる。

 増してや肩の怪我である。責任を感じているのだろう。

 

 だからこれは結菜のせいではない。そう伝えるために彼は同じように耳元で囁いた。

「結菜が気にする必要なんてどこにもねぇ。言っただろう?これは俺の油断が招いた結果だって」

「……ありがとう」

 その言葉を聞いた途端、誰もが見惚れるような笑みを見せ、さらに強く抱き付いてきた。

(お願いだ。それ以上強く抱き付かないでくれ! 胸が直接当たるんだ。俺の息子がさらに育って)

「……そう、だったんだな。結菜と慶次は……」

 先ほどまでの笑顔が消え失せ、今にも泣きそうな顔をみせる。

「なら久遠嬢。もっと寄りな」

 背中に手をやると抱き寄せた。元々彼が手を久遠の背中に回していたこともあり、久遠はすんなりと身を任せていた。───久遠の嫉妬だっだ。

 瞬く間に久遠嬢の顔に眩しいくらいの笑顔にはなる。

「えへへ ♪」

 久遠が腰に回す腕をさらに強くした。胸が強く当たり形が変形してしまうほど。

 

「っ!」

息子が臨戦態勢になってしまった。

「ん?慶次。この大きいのはなん……だ」

「あら、本当。張ってる……わね」

 

 彼女たちの顔が一瞬の間を置き、たちまち真っ赤に染まる。

 

 次の瞬間、慶次のみぞおちに何かが直撃し、崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 


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