秘密の部屋編載せたかったのですが、この日に投稿したかったので話を分けます。
今回は、オリジナル展開しかありません。
7月31日
「ハッピーバースデー、ハリー…ハッピーバースデー、ハリー…」
手を叩くリズムに合わせて紡ぐ、力のない寂しげなメロディー。また、その声の主を慰めるかのように、「ホーホー…」と、さめざめとしたフクロウの鳴き声が混ざり始めた。
ベットの片隅に座る少年に、カーテンの隙間から漏れた光が降り注ぐ。窓から入ってくる風は生ぬるく、不快感を感じるところだが、少年は気にはしなかった。去年までの物置小屋よりは断然ましだったからだ。
「…ありがとう、ヘドウィグ。僕の友達は君だけだよ。…ハッピーバースデー、ハリー…ハッピーバースデー、ハリー…」
「ホー」
「そういえば、ヘドウィグの誕生日って、いつなんだろう…君と出会った日でいいかな。その日には、必ず最高のご馳走をプレゼントするからね」
「ホーゥ」と機嫌のいい声で、ヘドウィグは鳴いた。
手紙がない。こないのだ。ホグワーツで唯2人の友達だったはずの、ドラコとハーマイオニーからの手紙がない。
ハリーは、夏休みに入った次の日からもう、2人からの手紙が待ち遠しくなっていた。ヘドウィグの籠に、鍵が掛けられていなかったのなら、直ぐ様手紙を出していたに違いない。
あまりに生活が違いすぎたのだ。裕福な家庭の中で貧しい生活を強いられてきたハリーにとって、ホグワーツでの生活は、まさに夢のようだった。そして本当に、あぶくの夢のように消えてしまったのだ。
夏休みに入って1週間、家事、雑用をこなしながら、毎日のように手紙を待った。然り気無く玄関の近くにいたり、部屋でも、もっぱら窓際にいた。
しかし、手紙は一向にこなかった。ショックではあったが、ハリーは自分で納得し始めていた。こんなに早く手紙は来ないだろうと。きっと、もうすぐ…。
学校のものは粗方取り上げられたが、教科書の類いは全て、新しく用意されたハリーの部屋にあった。
叔父バーノンは、魔法を使われたら堪らないと、すぐに杖を取り上げた。そして、他の学用品も全て物置に閉じ込めようとしたのだ。
しかしハリーは、杖がなくても魔法は使える、宿題まで取り上げたら、家を少しずつお菓子の家に変えてやると、バーノンを脅した。でまかせに過ぎなかったが、バーノンは本気で信じたらしく、ハリーは何とか宿題をできないという事態は避けられていたのだ。
宿題は、もう半分は終わっていた。
2週間経った。
いつまで待っても手紙を寄越さない2人に、ハリーは腹を立てていた。自分はこんなに待っているのにと、ふて腐れていた。もちろん、ハグリッドからも手紙は来ていない。
朝食のベーコンを少し焦がした責任として、ハリーの食事量が減ったりした。とばっちりを受けて餌が減ったヘドウィグと、少し険悪になった。
宿題は、もうすでに終わっていて、復習に入っていた。
3週間経った。
先週の苛立ちは微塵も残らず消え、その代わりに、ハリーの心は不安でいっぱいになっていた。
もしかしたら、かけがえのない友達だと思っているのは、自分だけなのかもしれない。ドラコとハーマイオニーにとっては、自分は手紙を出すほどの相手ではないのだ。そればかりか、友達だと思っていたのすら、自分だけなのかもしれない。
次々に押し寄せてくる不安と寂しさをまぎらわすように、ハリーは勉強に打ち込んだ。会話の相手は、もっぱらヘドウィグだった。ハリーは、ヘドウィグに話し掛ける内に、彼女が何を言っているのか、何となく理解できるようになっていた。
4週目。ハリーは部屋に軟禁状態にあった。未成年は魔法を使うことを禁止されていると、バーノンに知られてしまったのだ。
やっと届いたと思った手紙の宛名は魔法省。フクロウを目に入れた瞬間、歓喜から視界がぼやけていたハリーは、その内容を見て本気で泣いた。
全く覚えのない浮遊呪文。その呪文に対しての警告だった。しかも、もう1度でも魔法を使えば(一度も使ってないのだが)、ホグワーツを退学になるらしい。
結果バーノンにばれて、部屋に閉じ込められるようになったが、今までもほとんど部屋にいたのだ。そう変わりはなく、寧ろ家事をする必要がなくなっていいくらい…と思ったら、勉強道具を全て没収された。紛れ混ませていた両親のアルバムまでもが奪われ、物置に入れられた。
4週間経った。ハリーは、もはや諦めていた。夢も希望も手紙もなかった。自分は、手紙を受けとる価値もない人間だったんだ、自分ごときが手紙を貰えると思うなどおこがましいと、卑屈になっていた。
そして、何もすることがなくなったハリーは、目を閉じて、ホグワーツでの日々を思い出していた。もう、遠い昔のことのような気がして、ハリーは懐かしさを感じた。
ドラコ、ハーマイオニーは今頃何をしているのだろうか。
きっと、自分のことなど頭から綺麗にスッパリと忘れて、家族との素晴らしい日々を過ごしているのだろう。
ハリーは今までも、家族との幸せな日々を羨望することはあったが、ホグワーツに行くまでは、強く望んだことはなかった。それはひとえに、ハリーが知らなかったからだ。
魔法があるなんて知らなかった。惨めな自分が、英雄だったなんて知らなかった。友達と過ごす日々が、あんなに幸せだなんて知らなかった。
両親のことなんて、何一つ知らなかった。
両親の本当の死因なんて知らなかった。両親の写真すら1枚も持っていない。だから、顔も知らなかった。
ハーマイオニーとドラコが、親と並んで歩く姿を見るまでは、羨ましいなど思ったことはなかったのだ。
そして、7月31日の誕生日である今日。
「ハッピーバースデー、ハリー…ハッピーバースデー、ハリー…」
最後に朝日を拝んで、カーテンを綺麗にサッと閉める。早朝。付き合ってくれていたヘドヴィグはもう眠ってしまったようだ。
ハリーは今日はまだ、一睡もしていなかった。ちなみに、日付が変わったと同時に目を覚ましたから、それほど眠たくはない。変に頭が冴えていた。だからだろうか、真っ暗な部屋のなかで、考えれば考えるほどにハリーの気分は沈んでいった。
何で僕はこんなところにいるんだろう。ずっと、ホグワーツにいることはできなかったのだろうか。ホグワーツだったら、ご馳走も美味しいケーキも食べられたのに。
それなのにここでは……ここでは⎯⎯?
何で僕は、こんな場所に?何で僕は独り?何で僕は誕生日にこんな⎯⎯僕の、パパとママは?
何でいないの。何で⎯⎯殺されたからだ。
ヴォルデモートに。両親がいないのは、ヴォルデモートのせいだ。
そいつが、全て悪いのだ。
そう、他の人は、誰も悪くない。バーノン叔父さんだって、ペチュニア叔母さん、ダドリーだって、意地悪をしても被害者なんだ。自分がいなければ、もっと幸せに暮らせていたはずなんだ。
だから、悪くないんだ。
だって例えば、自分が両親と暮らしていたとして、そこにダドリーがやってくるなんて、悪夢以外のなんでもないのだから。
ヴォルデモート、ヴォルデモートさえいなければ⎯⎯
自分も、両親と幸せに暮らせていたはずなんだ。
そう、僕は独りじゃなかったはずなんだ。
パパもいて、ママもいて、最高の誕生日に……何だろう。傷が、頭痛が、頭痛が……頭が割れそうだ⎯⎯
やつが、ヴォルデモートが生きていれば……
壁を背にして呟くハリーの暗く落ち込んだ影が、うぞうぞと蠢いているようで⎯⎯
コン、コン
「ハリー、朝食です。ドアの横に置いておくから」
カタ、と廊下にトレーが置かれた音で、ハリーはハッと顔を上げた。「ホー」とヘドヴィグが鳴く。ペチュニアの声で目を覚ましたのか、私の分は?と催促してきている。
重たい身体を引きずってドアを開けると、階段の前にペチュニアの姿があった。暗い瞳をしたハリーと、迷うように揺れるペチュニアの瞳が交差した。
そして、ハリーは気づいた。ペチュニアの手の中にあるそれに。
「返して…‼」
ペチュニアの手にある両親のアルバムにハリーは飛びかかった⎯⎯しかし、1日のほとんどをベッドの上、食事もろくに取れていなかったハリーだ。
その勢いのまま、床に顔をぶつけることになった。ガンっと打ちつけた額に鈍い痛みが走る。
「返して…返してっ」
ハリーは、顔を伏せたまま何度も繰り返した。あまりの情けなさから泣きそうになる。しかしそれでも、必死に手を伸ばした。
「…別に、取り上げはしません」
ハリーの伸ばした手に、アルバムはそっと置かれた。
「…なんで?」
ハリーはアルバムを両手で大切に抱えて、困惑の目でペチュニアを見た。思えば、物置にあるはずのアルバムを、なぜペチュニアが持っているのだろう。
「偶然、目についただけよ」
ハリーには、そう言ったペチュニアの声が泣いているように聞こえた。
悲しみと少しの喜び…それに、懐かしさ……?
理由は分からないが、ハリーは何となく感じ取っていた。だからだろうか、別に聞くつもりのない一言が口から漏れた。
「おばさんも、ママを殺した人のことが……」
「…ええ、私はリリーを殺したやつが⎯⎯」
そこで、ペチュニアはハッとなって両手で口を押さえ、後ずさった。まるで、自分の口から出た言葉を信じられないことかのように、その表情は驚愕に染まっていた。そして、ペチュニアはハリーをキッと睨み付け、バタバタと階段を降りていく。
その後、ハリーは部屋に戻ってアルバムを眺めた。1ページ、写真と写真の間隔が広くなったページを見つけたが、一瞥してすぐに次のページへと視線を移した。
昼頃、ブーンと車の出ていく音がした。機嫌の良いダドリーの声も聞こえてくる。今夜、取引先の土建会社の夫婦をお招きすると2週間も前から意気込んでいたバーノンだ。今になって、何か買い足しがあったのだろうか。それとも、家族3人で景気づけにランチにでも行ったのだろうか。
まあ、どうでもいいことだ。夜は部屋から出ないように言いつけられているハリーには関係のないこと。また、両親のアルバムに目をやったところで⎯⎯
「ハリー!!?」
ドアの向こうから、ペチュニアの悲鳴が響いてきた。随分とあせっているようだ。何だろう。ご自慢の花壇が猫にでも荒らされていたのだろうか。ああ、自分は誕生日に、ゆっくりとアルバムも眺めることもできないのだろうか。
そして、バタバタと階段を上がってくる音がしたと思えば、勢いよくドアが開いた。
「うわっ」
「ハリー!!?あなた“グレンジャー”に聞き覚えは!!?」
「え…あ、はい…友達……だと思います」
凄い剣幕だ。ハリーはたじたじになって答えた。しかし、その一言は、ペチュニアを納得させるものだったようだ。剣幕がぽろっと取れた。
「…あ、そう。…住所、教えたの?」
今度は、余計なことをしてくれたと言わんばかりの、ギラギラと睨み付けるような目だ。理由はわからなかったが、ハリーは悪いことをした気分になった。
「…ハーマイオニーには、教えたけど…マグル出身だし……」
「マグル……そう。ともかく今後、ここの住所を連中に触れ回らないように。変な輩が寄り付いたりしたら、追い出しますからね‼」
「…はい、ごめんなさい」
ちなみに、ハリーの住んでいる場所を知っているのはハーマイオニーだけだ。ドラコはと言うと、手紙はふくろう便で届くし、マグルの家になんて興味はないと、全く聞く気がなかったのだ。
ハリーが思い返していると、ペチュニアが信じられないことを言った。
「…外に、あなたのご学友と、その母親が待っているから、早く準備なさい」
「……え?」
ハリーには、ペチュニアが何を言っているのか理解できなかった。
「バーノン達が帰ってくる前に早く!‼」
「は、はい」
ピシャリと言って背を向けたペチュニアに、ハリーはもやもやとしつつも、いそいそと準備を始めた。
開けられた物置から、魔法界の通貨を持っていくか迷っていたところで、ペチュニアからお小遣いを渡された。ハリーはびっくりしたが、お礼をいって素直に受け取った。もちろん、バッグには一応、両方の貨幣を入れた。
「…あの、ヘドヴィグは」
「だめです、こんな昼間から出すなんて」
ペチュニアはぴしゃりと言った。ハリーは何か言おうとして、
「あとこれで、今日はホテルに泊まりなさい。お客様がいらっしゃっている時に帰ってこられちゃ困りますからね。ホテルから電話をすれば、明日車で迎えにいくわ。ふくろうはフィッグさんに預けておくから、ほらさっさと」
追加で渡されたのは、ハリーが持ったこともない大金だ。そして、口を挟む暇もなく急かされて、気づけば靴を履いていた。
玄関のドアを開けて外に出ると、見慣れない小さな車が、前の通りの少し離れた所に停まっていた。そして、その運転席には黒髪の女性。後部座席の窓からは、キョロキョロと不安な顔で周りを見回す一人の女の子が⎯⎯
「ハーマイオニー‼」
ハリーは、自分でも信じられないくらいの大きな声を出していた。そして足は早く早くと駆けていた。
一呼吸置いて、ハリーに気づいたらしいハーマイオニーは、すぐに車を降りた。にっこりと笑ってはいるが、よく見ると瞳は揺れ、その笑顔には固さがあった。
「ハリー!ハッピーバースデイ‼」
ハリーは、もう手紙のことなんかどうでもよかった。会いに、来てくれた。まだ1ヶ月前のことなのに、ハーマイオニーの顔が懐かしくて、彼女に会えて嬉しい気持ちが溢れる。
ハリーは、自分よりも少し背の高くなった少女に、飛びつくように、強く抱き締めた。
「…そう、手紙、届いてなかったのね…」
ハリーの話を聞いたハーマイオニーが、ふぅとため息を漏らす。顔は安心したように緩んでいた。
車に乗ってロンドンへと行く道で、ハリーとハーマイオニーは器用にも、口元を緩めながら、頭を悩ませていた。
手紙はなぜ届かなかったのか。どこにいってしまったのか。ハーマイオニーは、返事がないことを疑問に思って、ふくろう便に問い合わせもしたらしい。
「でも、よかった…」
「何が?」
ほっと胸に手を当てて安心の声を漏らしたハーマイオニーに、ハリーは疑問で返した。
ハーマイオニーは、言いづらそうにして、運転席の母親をチラリと見て⎯⎯それに答えた。
「私、ハリーのこと疑ってた。手紙を返してくれないのは…もう、私のことどうでもよくなったんじゃないかって。…友達だと思っていたのは私だけだったのかもって。それで、ママが言ったの。そんなに気になるなら会いに行けばいいじゃないって」
「……」
ハリーは、唖然とした。ショックだったからではない。自分も同じことを考えていたからだ。いや、自分の考えていたことの方がずっと酷かったに違いない。
「酷いよね私。ハリーは一人っきりで私よりずっと寂しかったのに……私、のけ者にされてると思い込んで、マルフォイにまで憎しみの感情がわいていたの」
うつ向きながら話すハーマイオニーの表情は、ハリーには窺えない。
車内に、シンとした空気が広がりかけたところで、ハリーが口を開いた。
「僕も同じだ」
「…え」
「…君とドラコを疑ってたんだ。…それにたぶん、もっとずっと酷くて最低なことを考えてた。僕、友達失格だ…」
ハリーは、恥ずかしかった。今思えば、たったひと月手紙が来ないだけで、大切な大切な友達を疑っていたのだ。ハーマイオニーのように、ふくろう便に問題があるかなんて考えもしなかった。なんて、酷い奴なんだろうか。初めから友達を疑っていたのだ。ハリーは憂うつになった。
「……」「……」
沈黙が続く。ハリーもハーマイオニーも、互いに申し訳ない気持ちでいっぱいで、言葉が出ないのだ。
そんな2人の様子に焦れたのか、運転をしているグレンジャー夫人が呆れたように言った。
「もう…素直に仲直りすればいいんじゃないの?」
「……」「……」
「今回は、二人とも悪いとも思ってる。だから仲直りなんて簡単じゃない。それに、折角のお誕生日をそのまま過ごすつもり?」
「……」
「…うん。そうよね…そうだわ!」
ハリーはグレンジャー夫人の言葉でも煮え切らない気持ちは変わらなかったが、ハーマイオニーは違ったようだ。目にキッと力を入れて、一度決心するように頷き、そしてハリーに向き直った。
「ハリーごめんなさいっ‼…これかも、友達でいてくれる…?」
「ぼ、僕もごめんなさい…これからも友達でいてください…!」
「…」「…」
真面目な顔に、何だか可笑しくなって、クスリと笑ったタイミングは、同じだった。
ファーストフード店で軽食を済ませた後、ハリーとハーマイオニーは、“漏れ鍋”を介してダイアゴン横丁の中をまわっていた。グレンジャー夫人はというと、「先に魔法世界に入るのは悪いから」とロンドンに住んでいる友人に会いにいっている。
ハリーとハーマイオニーがダイアゴン横丁に来た目的は、ハリーへのバースデープレゼント。ホグワーツには、マグルの製品の大半は持ち込めない⎯⎯という理由もあるが、2人ともただ来たかったのもある。実際に、魔法を知らないままに来た去年とは、随分と印象が変わって見えて、2人は大いに楽しんでいた。
「はい、ハッピーバースデイ、ハリー」
「ありがとう、ハーマイオニー」
ハリーが貰ったものは、中古本屋で見つけた“クィディッチの今昔”という本だった。ホグワーツで、ハリーとドラコの身を震えさせたエピソードなども、この本に載っているらしい。ホグワーツの図書館にもあるそうだが、すぐに読みたかったハリーはこの本をお願いした。だって、夏休みはまだ長いのだ。そんなに長くは待てない。
そして、色んなところを歩き回って疲れた2人は、日陰のベンチで休んでいた。
「アイス買ってくるよ、何味がいい?」
「あ、ありがとう…そうね、さっぱりした柑橘系のをお願いしてもいい?」
「かしこまりました」
大げさに言ったハリーに、ハーマイオニーがくすくすと笑った。
ハリーは、最高の気分だった。何て言ったって、誕生日に友達と過ごしている。友達に祝ってもらう、初めての誕生日だ。本当に最高だ。
でも、ふと浮かんだのはもう一人の友達。彼は今ごろ何をしているんだろう。きっと、ドラコも手紙を書いてくれていたはずだ。だとすれば…
「ポッタァアアアーー!!!」
■
ドラコかわいい。
間違えたわ。
ドラコがホグワーツからやっと帰ってきた。嬉しい。
ドラコがホグワーツから帰ってきたその日の夕食後。ルシウスと共に机を挟んで、ドラコと向かい合ってソファーに腰を下ろしていた。
会話の内容は、ドラコのホグワーツでの生活のことだ。全て包み隠さす話せ、とルシウスから睨まれたドラコは、涙目になって、しかし目をそらさずに、はっきりとした口調で語った。まるで、恥ずべきことは何一つないかのように。
やはり、ハッフルパフへと寮が決まった頃から、ルシウスの雰囲気が重くなった。私も事前に知っていたとは言え、やはり眉を潜めてしまった。だって、組み分け帽子が触れた瞬間にハッフルパフってあり得るのだろうか。入学前の適性から鑑みても、この子はどうみてもスリザリンだったのだ。
話は続く。これも事前に知ってはいたが、やはり実際に聞くのとはまた別で…。寮部屋が2人部屋で、その相方がまさかのハリー・ポッター。自分はそうでもないが、やはりルシウスは複雑だったようだ。
だが、夫は同時に喜んでもいた。当初はハリーに闇の帝王に代わる支配者として魔法界導いていくことを期待していたからだ。まあしかし、その淡い希望は、ドラコの話を聞いていく中で崩れさることになるのだが。
ハリー・ポッターの話をし始めたドラコは、びくびくしていたのは何処かにいってしまったかのように、本当に楽しそうに話をした。…ドラコのこんな顔を、私は今まで見たことがあっただろうか。
ドラコの勤勉さにも驚かされた。もちろんドラコは元々優秀だったが、好んで勉強をする子ではなかったはずだ。それなのに、図書館で勉強漬けの毎日に、休日は呪文の練習ときたのだ。全てハリー・ポッターと共にやってきたらしい。
そこまでしたのなら、「呪文学はさぞ良い点だったのだろうな」と冷たく問うルシウスに、ドラコは「はい…110点だったのですが、これは負けてしまいました」と返した。110点?聞き間違いだろうか。ところが、聞こうとしたところで、ドラコが誤魔化すように話を進めたので、タイミングを失った。まあ、後から聞けるだろう。
ハロウィンの話になったところで、自分の顔が真っ青になるのがわかった。トロール…‼そんなものの侵入を許すなんてダンブルドアは何をしているのだと怒りが沸いた。
しかし、そのトロールをドラコが退治したという。ハリー・ポッターが盾の呪文で防いだお陰というが、武装解除呪文でトロールを倒した息子が私は誇らしかった。…でも、出来れば危険なことはしないでほしい。本当に無事でよかった。
ルシウスも表情は変えなかったが、テーブルの下でしっかりと拳を握っていたのを、私は見逃していない。
問題は、ハロウィン以降に、時折り出る、グレンジャーという女子生徒の存在だ。ルシウスが「その子は純血か」と聞けば、ドラコは言いづらそうにして、「マグル出身です」と答えた。
ハリー・ポッターと違い、友達ではないと言う。グレンジャーは、あくまでハリーの友達。だから偶然一緒にいる。
しかし、そう話すドラコには、ホグワーツに入学するまで持っていた、ルシウスそっくりの、マグルに対しての嫌悪感が存在していなかった。
「彼女は優秀なんです。利用できるものは利用すべきです」と慌てて付け加えて言うドラコに、私は何も言えなかった。
クリスマス休暇の出来事について話すドラコは、さらに生き生きとしていた。3頭犬の話では眉をひそめることになったが、ドラコは「ハリーは仕方ないやつなんです」と、まるで弟の面倒を見る兄のように笑う。これを見て息子の成長を感じたのは私だけではないだろう。
そして逆に、貸し切り状態の競技場で一日中箒に乗っていたという話をするときのドラコの笑顔は年相応に幼いものだった。
ドラコは、こんなに表情豊かに話す子だっただろうか。いや、今までも笑っていなかったわけではないのだ。でもやっぱり、こんなに楽しそうなドラコの顔は見たことがなかった。
そして更に話が続いても、私は何も言わずに黙って聞き続けた。いや、さすがに学年末試験で満点を越えた点数をとってトップになったと聞いたときは、少々はしたない声をあげてしまったが。ルシウスも小声で「なんだと…」とか呟いていた。確か彼は学生時代、満点をとって「当然だ」とか言って喜んでいた気がする。きっと信じられない思いなのだろう。
ここ数十年の1年生の点数でもトップらしい。さすがドラコ。ちなみに、2位は2点差だったグレンジャーだそうだ。マグル出身の少女が…と少し驚きはした。いや、やはり複雑な心境だ。…しかし、なんにせよ、ドラコがトップなのだ。もう誇らしい気持ちで満たされていた。
ドラコが話し終えた後、ルシウスがダームストラング校に編入してはどうかとドラコに提案した。実際、カルカロフ校長にも話を通し⎯脅したとも言えるが⎯既に編入手続きは終えていた。しかし、いや、やはりと言うべきか、ドラコは編入を断った。
「僕はスリザリン寮にも入ることができず、お二人を失望させてしまいました。ご迷惑もおかけしてしまったかと思います。でも、申し訳ありません、今ではこの組み分けに感謝しているんです。…僕を、これからもホグワーツで学ばさせて下さい」
これが、こどもの成長というものだろうか。嬉しいけど、少し寂しい。
ドラコは、夏休みだというのに机にかじりつくように勉強をしていた。ルシウスの書斎から本を引っ張り出して、夜遅くまで読み耽る姿を見かけるのも、一度や二度ではなかった。がむしゃらになっているようにも見えるが、大丈夫だろうか。
日に日に、ドラコの元気がなくなっていった。ついに、耐えきれなくなって聞けば、ハリー・ポッターから手紙の返事がこないらしい。…どうしてくれましょうか。
健気なドラコは、紛失の可能性を捨てきれず、ふくろう便局に問い合わせもしたが、問題なく受け取りがされているという。どうしてくれましょうか。
それでも健気なドラコは、ハリー・ポッターの住む家には意地悪なマグルがいるそうだから、手紙を止められているのかもしれないと、ハリー・ポッターを心配していた。しかし、確信はないようで、これまで以上に落ち込んでいた。本当にどうしてくれましょうか。
健気で友達思いのドラコは、ハリー・ポッターの誕生日にプレゼントを送った。何を送ったかは教えてくれなかった。
…今回も、返事はおそらくこない。そんな予感があった。ドラコも同じ気持ちだったようで、泣きそうな顔をしていた。
気分転換にと外へドラコを連れ出した。行き先はダイアゴン横丁だ。何か理由をと思い、ルシウスにドラコの箒の購入許可を得た。しかし、それを伝えても、ドラコは少し笑顔を見せたきりで、どこかボンヤリとしていた。
知り合いに会ったため、会話を交わしていると、ドラコとはぐれてしまった。
次にドラコを見たのは、ハリー・ポッターと共に拳を突き出して、1人の少女をノックアウトする瞬間だった。
■
「ポッタァアアア⎯⎯!!!」
「ドラコっ!ぐえっえぇ」
ハリーは、ドラコの声を耳にして、懐かしさが込み上げてきた。しかし、笑顔で振り返ろうとした瞬間に、乱暴に肩を掴まれて反転させられた。そのあげく、息をするのが苦しくなるほどに、胸ぐらを掴みあげられた。その拍子に、両手に持っていたアイスクリームも、地面へとまっ逆さまだ。
何が起きたのか理解出来ない状況に混乱するハリーの目の前には、青白い顔を真っ赤にさせ、泣きそうな顔をして、憎しみのこもった目で睨み付けるドラコがいた。
「マルフォイッ!やめてっ何するの!?」
ハリーが苦しそうな声を上げた時、ハーマイオニーが悲鳴を上げながら駆け寄ってきた。そのままハーマイオニーは、ハリーからドラコを引き剥がそうと手を伸ばすが、びくともしない。
「…グレンジャー。…やっぱり僕は……僕だけだったんだ…」
ドラコはハリーの胸ぐらから手を離し、うつむいて、ふと納得したように呟いた。
座り込んでごほっごほっと、苦しそうに咳き込むハリーをよそに、ドラコはブツブツと呟きながら、身体を反転させて、フラフラとその場から離れていく。
そこに、ハッと何かに気づいた様子になったハーマイオニーが、弁明するような口調でドラコに追いすがり、その腕へと手を伸ばす。
「ちがうの、マルフォイっ。ハリーはーー」
しかし、その手が触れる瞬間に、ドラコによって乱暴に払われた。ドラコの目は、ハリーを見るとき以上の憎しみを持って、ハーマイオニーの姿を認めていた。
「僕に触れるなッッ!この…穢れた血めー!!!」
ハーマイオニーは、手を払われたことに驚きはしたが、何を言われたのか分からず、きょとんとした顔で固まった。その言葉の意味を知らなかった。
つかの間、一瞬の間を置いて、ハーマイオニーの視界からドラコか消える。
ハリーが、ドラコに飛びかかったのだ。
ハリーは、自分でもわけが解らないほどに頭に血が登り、激昂していた。
ハリーは、その言葉の意味⎯⎯マグル出身の蔑称であることを知っていた。教えてくれたのは、他でもない、ドラコだったのだ。
去年の、クリスマス前のことだった。スリザリンとの合同授業後の廊下で、スリザリンの生徒がドラコに言ったことがきっかけだった。「穢れた血なんかと一緒にいるようになったなんて、落ちるところまで落ちたな」と嘲笑されたのだ。その時は、結局無視して終わったが。
まさか、それをこいつが言うなんて。
他人が同じようなことをハーマイオニーに言ったとしても、ハリーはここまで感情を剥き出しにしなかっただろう。
ハリーだって、殆どマグル出身のようなものだ。本当の意味でその蔑称を理解していなかったし、したくもなかった。言いたい奴には言わせておけと、無視していただろう。
だが、今回は話がまるで違った。ドラコだから、彼だからこそ、ハリーは許せなかったのだ。
出会い頭に首を絞めつけられたこともあってか、激情に駆られたハリーはドラコを押し倒した後、力一杯に頬を殴り付けた。
それからはもう、互いに腕を振り回すだけの殴り合いだ。もしくはただの取っ組み合いとも言えるだろう。
ドラコのパンチが入れば、ハリーも負けじと同じところに拳を突き出す。ゴロゴロと二人して転がったときも、頭の突き合いを止めない。
ボロボロになっていく2人に、ハーマイオニーは手を出せずにオロオロとするしかなかった。
幼いころから勉強ばかりしていたハーマイオニーにとっては、初めて目にする本気のケンカだ。2人があまりに怒りの表情を浮かべて殴り合っているため、恐怖で近づくことができなかった。
助けを求めて周りに視線を巡らせたハーマイオニーは、ハリーとドラコを囲むように人々が群がっていることに気づく。しかも、その円の中に自分も入ってしまっている。そして、囲んでいる魔女、魔法使いの口から囁かれるほとんどが、女の子の取り合いで喧嘩をしているというものだった。
急にあほらしくて、恥ずかしくなって顔を真っ赤にさせたハーマイオニーは、2人を止めるべくーー何を思ったのか、拳が飛び交う場所に突っ込んでいった。
「やめてっ」
ぱきっ ぽきっ
「なっ…」「…あ」
ハーマイオニーの顔に、ハリーとドラコの拳が突き刺さる。体重も何も乗っていないそれらだったが、ハーマイオニーの口と鼻を綺麗に撃ち抜いていた。
パタッとゆっくりとハーマイオニーが仰向けに倒れる。幸い、野次馬の誰かが呪文で地面を柔らかくしたおかげで、頭を打ちつけることはなかった。しかし、ハーマイオニーの鼻からは、粘膜が傷ついたためか、血がどくどくと溢れ出す。そして最後に、口もとから白く輝くものがポロっとこぼれ落ちた。
ハリー達は今、注目を集めていた場から逃げるように離れて、“漏れ鍋”に来ていた。
「もう大丈夫かしら」
「はい、ありがとうございました。でも、まだ少し痛い…」
「…ごめんなさい」
「……」
恨み辛みの視線を向けるハーマイオニーに、ハリーとドラコはパンパンに腫らした顔を逸らしながら、詫び入ることしかできなかった。
ハーマイオニーの折れた鼻と歯は、ドラコと共にダイアゴン横丁に来ていたナルシッサによって治療され、一応の事なきを得ている。ちなみに、治療前と比べ、ハーマイオニーの前歯が若干縮んでいる。そのことに気がついているのは、現時点では、高価な魔法薬を用いて治療した当事者のナルシッサだけだ。
「まさか、手紙が1通も届いていなかったなんて…」
ぼそっと苦虫を噛み潰した顔でドラコが呟く。ハーマイオニーから一連の出来事の説明を受け、早まった行動をしてしまったことに後悔していた。
「…何か言った?」
不機嫌な声で反応したのはハリーだ。ハリーの怒りは収まっていなかった。いくらドラコと言えど、いや、ドラコとだからこそ、ハーマイオニーを侮辱したことが許せなかった。
ハリーはドラコを一瞥して、ハーマイオニーにチラリと視線を移す。ドラコはハリーのその動作で何が言いたいのか理解して、顔を強ばらせギリッと歯を食い縛る。そして、ナルシッサを一瞬迷うように見て、ハーマイオニーに向き直った。
「…殴って悪かった。それと、その…穢れ……ッ酷いことを言った!本当に、すみませんでした…」
「…うん。酷い言葉だっていうのはわかったから…もう言わないでね」
「…ああ、もう絶対に口にしない」
ドラコは、これで満足かとハリーを睨み付ける。ハーマイオニーに対して申し訳ない気持ちはあったことは事実だ。謝罪も本心からの言葉だ。しかし、ハリーはまだ不機嫌な表情をしていたためか、自然とドラコの表情も険しいものになっていく。
実際には、2人とも内心では、早く謝って仲直りしたかった。どちらもそう悪くないことは理解していたのだ。ただ、不幸な行き違いがあったのだ。
しかし、あんなに殴り合った手前、自分からはちょっと謝りたくない。仮に謝るにしても、どう言えばいいのか。何と切り出せばいいのか。ハリーとドラコにとって、あれほど感情をさらけ出した喧嘩をしたのは初めてのことで、どうすればいいかわからなかったのだ。
ハリーとドラコはぶつけ合った視線を、力なく逸らす。
ハリーはハーマイオニーを、ドラコはナルシッサを、助けを求めるように然り気無く見る。しかし、ハーマイオニーは困った表情を、ナルシッサは僅かに微笑んでいるだけで、何を考えているのかわからなかった。
「…何か?ドラコ?」
「…いえ」
「そうですか。それで、このあとはどうするの?」
そう言われても、ドラコも答えを持ち合わせていない。
その代わりに答えたのは、ナルシッサの顔色を窺って、オドオドとしているハーマイオニーだった。
「あ、あの…私の母とロンドンにあるレストランで待ち合わせしているんです。その、ハリーのお誕生日のお祝いに…」
「…そうですか。それは…マグルのレストランですよね?」
「…はい。私の両親は非魔法族なので…」
縮こまりながら答えたハーマイオニーの言葉に、ナルシッサは頭を悩ませる。
あからさまに差別をするわけではないが、純血の家系で育ったナルシッサにとって、マグルを見下す感情は自然なものだ。事実、眼前の少女を下に見ている自分がいるのを理解している。
しかし、ドラコに視線を移せば、羨ましそうな視線をハリーとハーマイオニーに向けていることがわかっている。ならば、何を悩む必要があるのか。取るべき手段は決まっているのも同然だったのだ。
「そのディナー、よろしければ御一緒しても?」
「ねぇ、君のママって…」
何か聞いていた話とは違う。魔法界の通貨を両替しに行ったナルシッサを眺めながら、ハリーはドラコに振り返って、そう尋ねようとした。
「…え、あ、うん。何か変だな…違う人みたいだ…。父上が見たら卒倒するんじゃないかな…」
ドラコは、自分の見ていた光景が信じられないのか、目を丸くさせて言った。そして、待ち合わせはマダム・マルキンの洋装店。ナルシッサはマグルの服をそこで購入していくという。
「ママびっくりしないかな。…ねえ、私の顔何か変じゃない?さっきは言わなかったけど、違和感があるような気がするの…」
不安な様子で聞くハーマイオニーに、ハリーとドラコは、あ~と言いづらそうに顔をそらした。
「「「「ハッピーバースデーハリー」」」」
「…ほら、セブルスも」
「…ハッピーバースデー…ポッター」
「みんな…ありがとう」
ハリーは、瞳いっぱいに涙を溜めて、頬を赤くさせながらお礼を言った。
スネイプがなぜこの場にいるのか。時は少しばかり遡る。
ナルシッサがマグルの通貨への両替を終え、服飾店でナルシッサがハーマイオニーの意見を聞きながら服を選んで、ドラコも買い物があると言い、席を外している時。店の表で待っていたハリーが、スネイプに呼び止められたのだ。
「ポッター、校長がお呼びだ。手紙が途絶えている件、魔法の行使について聞きたいそうだ。姿現しをするから腕を掴め」
いきなり現れて矢継ぎ早に言うスネイプに、ハリーは混乱して固まった。
「え?何で知って…?それに、僕、これから…」
「手紙によってだ。それほど時間はかからん。我輩も暇ではないのだ」
不機嫌な様子でずいっと腕を差し出すスネイプに、ハリーはたじろく。しかし、手紙?いったい、誰が?
そこで、助け船がやって来た。
「スネイプ教授?」
「…おや、もしやポッターと一緒だったのか…?」
スネイプは少し困惑した。聞いていた話では、ハーマイオニーだったはずなのだ。それが、なぜ。
しかし、不幸と言うべきか、更なる困惑がスネイプを襲う。
「あら、セブルス。お久し振りね」
「…は、えーー?」
スネイプは、目を疑った。覚えのある声がしたと思えば、そこには、マグルの服を着こなしたナルシッサがいたのだ。
「あ、スネイプ先生?こんにちは。…あの、ナルシッサさん、ローブどうぞ」
「…あら、忘れていたわっ。ありがとうハーマイオニー」
ハーマイオニーから渡されたローブを、店内に引っ込んでいそいそと身に纏うナルシッサに、スネイプは今度こそ目眩がした。これは、何の冗談だ。あのマルフォイ家の夫人がマグルの格好で、グレンジャーのことを…もしや、何者かが化けて?
「そうだわ、セブルス。あなたも一緒にどうですか?本当は少し不安でしたの。でも貴方がいてくだされば安心ね」
「…は?」
「これ、よかったら…」
各々が注文したものを食べ終え、ホールのケーキにフォークを入れ始めた頃、ドラコが遠慮がちに、ハリーへと声をかけた。バッグから取り出したものは、ダイアゴン横丁の店で買った、新品の羽ペンセットだった。
「…いいの?」
ハリーの声にも遠慮があった。理由があったとしても、あれほど殴っておいて、バースデープレゼントを貰う資格が自分にあるのか自信がなかったのだ。
「いらないなら、いいけど…」
ばつが悪そうな顔をして、手を引っ込めようとするドラコに⎯
「…いる。ありがとう」
ハリーは慌てて、若干引ったくるような形になって受け取った。ハリーとドラコの頬は真っ赤に染まっていた。
「セブルスも何かあげたら?」
「な…」
この女さっきから余計なことばかり、と内心スネイプはイライラしていた。そこで更に、ハリーの期待するような眼差しが目に入る。スネイプは、今度は諦めたように、深く溜め息を吐いた。
学校でもそうだった。憎い男と同じ容貌をした少年には、冷たく当たっているつもりだったのに、いつからか尊敬の眼差しを向けられていたのだ。一体何の罰だと、スネイプはうんざりしながら、それでも何かないかと頭を巡らせる。
「魔法薬の図鑑だ。少々書き加えてあるが、問題なかろう。自学の役に立てるように」
「ありがとうございますっ」
「…かまわん」
居心地の悪い視線から目を背けて、スネイプは甘ったるいケーキを食べる手を速めた。
最高の誕生日だった。
ハリーは漏れ鍋の一室のベッドの上で、今日1日の出来事を振り返り、幸福に浸っていた。
そして、それだけではない。残りの夏休みの期間、ハリーはダーズリー家に帰らなくてよくなったのだ。そうなった理由に不安はあるが、それでも嬉しかった。
ダンブルドアに会いに、ホグスミード村へとスネイプの姿現しで行った帰りに買って貰ったお菓子の山を眺める。
ドラコとは、いつでも会うことができるし、ハーマイオニーとも教科書のリストが出たら、またダイアゴン横丁で会えるだろう。
ハリーは本当に久しぶりに、幸せな気持ちで眠りに就いた。
■
次の日の朝。ハリーは、ドアを激しくノックする音で目を覚ました。そして、ひとりでにガチャンと鍵が回った。
「よっ!ハリー!いい朝ね!」
「…え、だれ…?」
眩しいくらいに金色で、腰くらいまでの髪の女性がベッドの横からハリーの顔を覗きこんでいた。
「私はトンクス!今日からよろしくね、護衛だけど。うーん、私の想像していた顔とバッチリだ!それより君さ、ハッフルパフなんだってねー」
弾丸のように話すトンクスに、ハリーの寝ぼけた目は、すっかりと覚めてしまった。
「まだ自覚が足らんようだな。ええ?トンクスよ?」
「いいじゃんか、マッドアイ。私ハリーに会えるのすっごく楽しみだったの」
「そんなことでは、見習いから抜け出せんぞ」
ハリーは朝食の席で、スープを掻き込みながらそんな会話を聞いていた。
さっきとはうって変わって茶色の巻き毛の髪をしている女性は、ニンファドーラ・トンクス――トンクスと呼ぶように言われたぼ対して傷だらけの片目がギョロギョロと忙しなく動いている老人は、アラスター・ムーディー――通称マッドアイ――だ。
聞くところによれば、この2人が残りの夏休みの間、ハリーの護衛をしてくれるらしいのだ。
「見習い?」
「ああ、こいつはまだ見習いだ…闇祓いは知っているか?」
「はい、少しなら…」
「そうか。正式な闇祓いになるには、最低3年の訓練を受けねばならんのだ。儂も正式にはもう闇祓いではない。引退したからな。今では後身を…こいつを鍛えているというわけだ」
「――あ、だからって、手を抜いているわけじゃないよ。私の訓練の一貫てのもあるけど、マッドアイは最高の闇祓いだったし、ハリーは安心していいからね!」
「あ、うん。ありがとう」
「どういたしまして!」
ハリーは大袈裟なことになったと内心縮こまっていたが、周りからすれば、そうではなかったのだ。
特に、知るものからすれば、万全の守りだと思っていたものに、綻びが見つかったという看過できない事実。今はまだ悪戯の域はでないが、闇の魔法使いがハリーに関わっている可能性が捨てきれないと、気が気ではない状況だった。
ハリーは朝食を終え、部屋に戻ると、見覚えのない大きなトランクが置いてあることに気づいた。加えて、ベッドも1つ増えて――?
「あの、これ?」
「うん、よろしくなハリー!私もここに泊まるから!…あ、マッドアイの方がよかった?」
「あ、いや…」
チラリとムーディの表情を窺う。ギョロギョロと動く目が、ハリーを見つめていることに気づいて、サッと目をそらした。
トンクスを見ると、ニヤリと笑っていた。
「決まりだね。ハリー、私のこと、お姉ちゃんって呼んでもいいんだぜ?」
「え、本当にっ…?よろしく、お姉ちゃん」
「え」
「あれ、駄目だった…?」
「あー…いーやっ、全然おーけー」
トンクスの髪の毛が点滅しながら、真っ赤に染まる。ハリーは目がチカチカした。さっきトンクスから七変化ということを聞いて便利だと思ったが、そうでもないなと思い直した。
「おい、話は十分か?十分だな。よし、ポッター坊主、杖を構えろ」
「え、どうして…」
ハリーは疑問に思いながらも言われた通り杖を構えようとして――
「エクスペリ――」
「エクスペリアームス‼」
ハリーは反射的に呪文を唱えていた。
呪文の速打ち勝負。ホグワーツにいる間、ずっとドラコとしていたことだ。武装解除呪文では、ドラコに軍配が上がっていたが、持ち前の反射神経の良さもあり、ハリーもそれなりに鍛えられていたのだ。
ムーディが手加減していたこともあって、ムーディの杖がぽんっと後方に飛んでいた。
「――ほう、やるではないか。決まったなトンクス。この坊主も一緒にやるぞ」
「えーあれ本気だったの?勝手にそんなことするの不味くない?」
「問題はなかろう。儂はもう既に闇祓いではないのだからな。それに、お前も護衛も出来て訓練も出来る。儂も…そうだな、先の予行練習になるやもしれん。何の問題がある?」
「…おーけー。がんばろうぜっハリー!」
何を?
ハリーは、疑問でいっぱいだったが、嫌な予感だけは感じた。
腕を掴まれ、バチンっという音とともに、ハリーはその場から姿を消した。
「う……ぅぇ、おろろろ」
「ぎゃー!」
ハリーは、トンクスのローブに朝食をリバースした。
仕方ない。だって昨日が初体験で、まだ3回目なのだ。しかも朝食のすぐ後で、予告がないから心の準備もできなかった。昨日のスネイプはしっかりと予告して、姿現し後は吐き気止め薬を――文句を言いながらも――くれたのだ。
「…“エバネスコ”…“スコージファイ”…ぅぅ、酷いやハリー。私、汚されちゃった…」
「ごめんなさい、トンクス」
「ううん、仕方ないよ。でも…まったくもう、いけない子めっ」
「…」
ハリーの現れた場所は、周りが灰色のコンクリートに囲まれた場所だった。天井は遮るものが何もなく――いや、あった。うっすらとだが、何か透明なものが覆っているのにハリーは気づく。
「ここは?」
「闇祓いの訓練施設だ。といっても、ほとんど使われていないがな。儂は呪いがかけられていないか、ひと通り調べてくる。少し待っていろ」
ムーディーはそう言ってハリーに背を向けてあちこちで杖を振り始めた。
「あれは?」
「うん、まあ一応必要なことなんだけど…普通はここまでしないかな。闇祓いの施設に手を出す奴なんていないし。でも、マッドアイは異常なほどの心配性だから、ああしてる」
トンクスの説明を聞きながら、ハリーは、そうなんだ…とよく分かっていないが、ボンヤリと考えた。
「よし、じゃあ」
ハリーの腕はガシッとトンクスに掴まれていた。何だ何だと顔を上げれば、にんまりと笑っているトンクスが。
「え、何」
「マッドアイのあれは、まだ時間が掛かる。走ろうぜハリー、まずは体力作りだ!」
「ぜっ…はぁー…ぜー」
「見た目を裏切らず、体力の欠片もないなハリー!よし、次は身体を伸ばそう」
「え⎯?痛あああ――」
「おいおい、ゴーレム並みに固いよ」
「ふぅー‼ふぅー‼」
「ごー…ごー…あとちょっとで5回達成だハリー!がんばれ!」
「ふぅー‼」
「――何をやっておるか」
「あ、マッドアイ。今日は終わるの早かったね。それと何って…見れば分かるでしょ?」
「儂には、小僧が生まれたての小鹿のように震えているようにしか見えんが」
「ぁ、あと…ちょっとぉっ…あっ」
バタンと倒れたハリーは、その拍子に強く顎を地面に打ち付け、白目を剥いた。
「あちゃー」
「根性はある…のか?」
「ははっ…ろくに説明もしなかったのに弱音吐かなかったし、大丈夫だよ」
「おい…まあ、いい。小僧が起きるまでお前の訓練だ」
「“エネルベート”!」
「おい」
「――はっ。あれ、ここどこ。箒で飛んでいたはずなのに…」
「おっいいね、飛行訓練といこうか」
「…はぁ。まあよい、始めるぞ」
「えっ…えっ?」
「うわぁあぁあ――」
「ほらハリー!…よっと…ほっと!しっかり箒を掴めばっ!バランスとって!こう!」
「ほう、これでもか…それ!そらそらそら!」
ぐわんぐわんと揺らされながらも何とか箒に乗るハリーに、アクロバティックな動きを見せるトンクス。それと、地面で杖を自在に振るムーディがいた。
「あっ……ぎゃあぁぁあ」
「マッドアイ!ハリーが落ちたよ!」
「地面に“衰え呪文”はかけている」
しかし、ハリーはそんなこと知らなかった。かなりの高さから落ちているのだ。地面が迫ってくるその恐怖は、並大抵のものではなかった。
このままでは、潰れたトマトのようになってしまう――‼そして、ついにぶつかるところで――ふわりとハリーの身体が浮き上がった。
「何だマッドアイ、びっくりしたよ」
ちゃんと浮かせたんだ、と安心の表情を浮かべるトンクス。
「いや、儂は何もしていない」
そこで、ハリーの身体が浮遊から解かれて、地面へと顔から突っ込んだ。しかし、衝撃は地面に吸収され、ハリーの身体にダメージはなかった。
「おーい、ハリー?…あれ、白目剥いてる。また気絶してるよ。ちょっとマッドアイー?」
「……いや、まさかな――なんだトンクス?」
ハリーはボロボロになりながらも、なんとか漏れ鍋の部屋に帰還した。いや、帰還できた。
「がんばったじゃん、ハリー」
「…うん」
今のハリーは、返事をするのも億劫だった。
「ひと通り調べたが、そうだな小僧は…闇祓いの素質がある。まだ2学年にもなっていないことも考えれば、素質だけで済まないような気もするがな。特に、開心術の才能がずば抜けている。その代わりに閉心術は“へ”の字もできていないがな。しかし、それも盾の呪文で防ぐ力がある…」
「すごいぜ、ハリー。マッドアイがこんなに誉めるなんて滅多にない」
「…うん…」
「どうだ、小僧。闇祓いは今は別にしても、儂が護衛期間中に鍛えてやろうか」
「うん…」
「そうか、では決まりだな!」
「うわぁ…」
ハリーの思いもよらぬところで決定され、トンクスが哀れみの目を向ける中、誰かがドアをノックした。ムーディが杖を構える――
「ポッターさん、ご友人が来ていますぜ」
ハリーの目に、少し光が灯った。
「おっ君がドラコ?初めまして!私はニンファドーラ・トンクスだよ!」
「…トンクス?ってことは、あなたは?」
「うんっ。親愛なる従弟くん、君もハッフルパフだってね!私もハッフルパフ出身なんだ!」
「あ、はい、Ms.トンクス。ところで、ハリーは…?」
「私のことはドーラでいいよっ。ハリーは後ろから来てる――」
そして、ハリーの様子を心配したドラコも――ムーディと父親のことでひと悶着あったが――次の日から護衛とは名ばかりの特訓に参加することになった。
そして次の日。
身体の疲労具合を考慮されて見学となったハリーは、昨日の自分と同じメニューをさせられているドラコを、遠い目で眺めていた。
■
「ハリー!」
9月1日。ホグワーツ特急が発車するキングズクロス駅で、ハリーは実にひと月ぶりに、ハーマイオニーと再会していた。
手紙のやり取りも全くなかった。
ハリーにはマッドアイとトンクスが護衛についている。ドラコも純血魔法族としても有名だ。まず手を出す輩はいないだろう。しかし、ハーマイオニーはマグル出身の魔女で、彼女が優秀と言えどまだ2学年にもなっておらず、魔法省でも検知できなかった者の相手をすることは無謀である。そのため、ハーマイオニーの安全を考えて、接触を控えることになっていたのだ。
だから、寂しい気持ちがあったのだろう。ハーマイオニーは、荷物もほったらかしに駆け寄って、ハリーに飛びつくように抱きついた。
「うわっ…と」
1ヶ月前のハリーだったならば、よろけ、終いには倒れていたかもしれない。しかし、見た目は変わらずとも、ムーディにひと月もの間鍛えられたハリーだ。持ち前のバランス感覚に体幹がプラスされたハリーには、同年代の少女を受け止めることなど造作もなかった。
「あっ、ごめんなさい!…あれ?ハリー背、伸びた…?」
「…だったらいいんだけど、背はまだハーマイオニーのほうが高いんじゃないかな…でもちょっとは大きくなったかな?」
「あ、うーん…逞しくなったわ…?」
ぺたぺたと感触を確かめるハーマイオニーに、ハリーは気まずくなる。
「…あー、ハーマイオニー、荷物とってきたら?」
ハリーは、ハーマイオニーの後ろでグレンジャー夫妻がクスクスと微笑ましく見ていることに気づいて恥ずかしくなった。こちらからは見えないが、ハリーの後ろではトンクスがニヤついているのも想像できた。
「本当っ、わたしったら」
ハーマイオニーがクルリと回って両親のもとへ駆けていく。それを見送ったハリーの肩から、ずいっとトンクスの顔が生えた。
「熱いハグだったな。私も今度会ったときはあれくらいしたほうがいい?」
今のトンクスの髪の毛は真っ黒でツンツンしている。毛先が首を突いて、ハリーは少しこそばゆかった。
「しなくていいよ…あっやっぱりしてもいいよ」
「おーけー。楽しみにしといてね。溶けちゃうくらいの、あっついのをあげるからさっ」
背中に感じたものにより、思い直したハリーだ。
思い返せば、ハリーがトンクスと同じ部屋で生活していたひと月は、終わってみればあっという間だった。
本当の姉のように接してくれていたのだ。家族愛に飢えていたハリーがなつくのに時間はかからなかった。そして、ほんの少しだが、年上の異性に対しての憧れのような感情を抱いていたのも確かだ。具体的には、姉9に対し、1くらいの割合だ。
だから、漏れ鍋の部屋を出るときはかなり寂しかった。思わず出た涙は誤魔化したが、きっとばれていただろう。何せハリー自身も、トンクスが涙声になっていたのに気づいていたのだから。
ムーディは、かなり厳しくて、ほんのり優しい。あとちょっと頭がおかしいおっさんだった。料理も食材も自分で用意したものしか食べないとか、用心深いを通り越していた。意外なのは、彼が料理上手だったことだろうか。少し分けて貰ったパイが美味しくて、度々分けてもらっていたハリーだった。
訓練と言う名の護衛も、ドラコも一緒だったし、しんどかったけど同じくらいに楽しく、ダーズリーの家なんて比べ物にならないくらいに充実した日々だった。
こうして、トラブルによって始まったひと月の出来事だったが、ハリーとってかけがえのない思い出になっていた。
■
「うぎゃっったあっ!」
9と3/4線に行くために、柱を通り抜けようとしたハリーだったが、それは叶わなかった。ゲートが閉じられてしまっていたのだ。突然の衝撃に驚いたヘドウィグがギャーギャーと騒ぎ立てる。
「ハリー大丈夫っ⁉」
慌てて駆け寄ってきたトンクスが地面に投げ出されたハリーを抱き起こす。
「でも、今の一瞬でなんで…」
トンクスが疑問の声を上げる。
一番始めにゲートを通り抜けたのは、安全を確かめるために先行したムーディーだった。そして、次にハーマイオニーが通ったときにもゲートは開いていたのだ。
「トンクスどうすれば…」
ハリーが不安な声で言う。このままじゃ、特急に乗り遅れてしまう。そうなれば、ホグワーツにはいけないかもしれない。
冷静に考えれば、いくらでも方法はあるのだが、軽くパニックになったハリーはその考えに行き着くことができなかった。
対して、トンクスは見習いでも闇祓いだ。普段は頼りないところもあるが、しっかりハリーが落ち着くように言った。
「まあ、慌てるなよハリー。多分まだ半分の生徒も向こうに行ってないし。ホグワーツには行けるよ」
「…うん」
「これはね、一応予想していたことなの。犯人がハリーを学校から遠ざけようとしているって前に話したよね?」
「あー、なるほど…」
「それにほら、マッドアイがいるし……ほらね」
柱のゲートから出てくるマッドアイの姿を認めて、トンクスは、「ねっ」とハリーにウインクして笑いかける。
「おい、わかったぞ。小僧の…他との同一犯かはまだ確定はできんが」
「え?」
ハリーが疑問に、マッドアイは直ぐに答えた。
「この魔力の癖は記憶にある⎯⎯犯人は屋敷しもべ妖精で間違いなかろう。まさか、連中が手を出して来るとはな」
「えっと、本部に報告してくるね」
「屋敷しもべ妖精を飼っている家を調査するようにも言っておけ。まあ、それで見つかるとも思えんがな。それと、ダンブルドアにも手紙を出せ。対策を立てねばならん」
■
「いやー、またこの列車に乗る機会があるなんてね!」
「そっか…トンクスも学生だったんだね」
「いや、なんだと思っていたのさ」
「うーん、ただ想像できないなって」
「そうね…私ほどの模範生はいなかったかな」
「儂は、時折アホをやらかしていたと聞いたぞ」
「「うわぁ」」
何か想像できる…とハリーとドラコはトンクスに、可哀想な人を見るような目を向ける。
「マッドアイ!!私のイメージが崩れるでしょっ」
「いや、それはないな」
「うん」
「そんなっ」
ドラコとハリーが即座に否定した。
ショックを受けるトンクスを不憫に思ったのか、同姓であるハーマイオニーが身を乗り出す。
「大丈夫、トンクス。貴女は誰からも慕われていたに違いないわ。こんなにステキだもの」
「ハーマイオニーっ」
まだ出会って間もないハーマイオニーに、ひしっと抱きつくトンクス。ハリーとドラコは苦笑いだ。マッドアイにいたっては、呆れたとばかりに鼻を鳴らしている。
コンパーメント内に何とも言えない生ぬるい空気が流れ始めた時、控えめにドアが開いた。
「あ、あの…ここ空いて…あっ」
「お前がロングボトムの息子か、そうかそうかっ!ええっ?」
「は、はいぃ…」
コンパーメントの中を確かめた瞬間、ぺこぺこ謝りながら回れ右したネビルだったが、同寮のハーマイオニーに呼び止められ、異質なコンパーメント内へと引きずり込まれた。
そして今は、ムーディーがロングボトムの夫妻の息子と知るやいなや、やけに親しげな態度に戸惑っているネビルだった。
「マッドアイのテンションが沸騰してるぜ」
「教官のあの状態は心臓に来るな…うわ、鳥肌」
「同感だよドラコ。あのテンションはヤバい時だよ」
「何だかよくわからないけど、ネビル大丈夫かしら…」
4人が恐れおののいているなか、ムーディーはロングボトム夫妻の武勇伝を次々と並べていった。
「そうだ、名案があるぞ。ロングボトム、お前も学校にいる間に坊主たちのメニューを共にこなせ。いいな、貴様らも」
あたふたするネビルの返答も待たずに、ムーディーはハリーとドラコにギラリとした視線を飛ばす。条件反射と言うべきか、一瞬身をすくませた2人だったが、直ぐに何かを悟った顔になった。
「よろしくネビル」
「僕は、お前じゃついてこれないとは思うが…精々がんばれよ」
「えっ。あのぼくその…うん」
「経過は、同様に半月ごとに手紙で送れ」
まだよく状況を理解できていないネビルだったが、頷いてみせた。ムーディーの表情が満足げなものに変わる。
「ハーマイオニーは?一緒にしないの?」
「えっ⁉…わたし?」
トンクスがいいことを思いついたと言わんばかりの顔で言った。
自分は関係なくてよかった…とほっとしていた矢先に、ハーマイオニーは思いもよらぬ所から不意打ちを受けることになった。
普通に考えて無理だ。自分の運動神経が皆無なことを、ハーマイオニーはよくわかっていた。どうやって断ろうかと、優秀な頭脳をフル回転させる。
「ほう?確かお前も優等生らしいな。ポッター坊主が絶賛していたぞ」
ムーディがニヤりと口を歪ませる。
ハーマイオニーは心から思った。ハリー!余計なことをっ。
「あの…私…」
「そう固くなるな。儂は別に無理強いはしない。ただ、その気があれば、どうかと思ってな。気にするな」
「あ…はい。ありがとうございます」
ハーマイオニーはふぅと身体から力を抜く。よかった。理不尽を目の当たりにして悲愴な表情をしているネビルなんて視界には入っていないのだ。
■
「…ねぇ、マッドアイ。今さらというか、今だから言うけどさ…ハリー達にさせていたことって、あれ大丈夫なの…?」
大広間へと向かうハリー達を見送りながら、トンクスが大丈夫だよね…?と不安げな声でムーディに聞く。
ムーディはそんなトンクスを安心させるように(他人から見ればそうでもないが)笑う。トンクスも不安が和らいだのか、釣られて笑顔になる。
「馬鹿者。いいわけないだろうが」
「やっぱりだよっ」
あああーとトンクスが頭を抱えて呻く。まだ闇祓いになっていないのに私…と悲愴な声を出す。
「幾らかレベルを下げたとは言え、闇祓いの訓練とそう変わりないことをしたのだ。まだ未成年はおろか、2学年にもなっていなかった学生にさせることではない」
「じゃあ、なんで」
「ああそれはな――トンクスお前、マグルの学問はわかるか?」
「あ、うん。それなりには。ホグワーツの前は普通に学校通ってたし。パパがマグルだからね」
「まあ、儂も引退してからマグルの書物を読むようになったのだがな、興味深い記述を見つけたのだ。何でも、子どもの運動神経の発達――まあ、運動の才能だ。それは、約12才でその容量が決まるらしい。つまり、その年齢以降には、成長しない」
「それでハリー達に…?でも、あの子達もう12才になってるよ」
「それについては、問題ない。あ奴等の身体の成長は一般的なマグルの年齢のものに比べて遅いからな。坊主には悪いが、ダーズリーの奴等も役にたったということだ」
「それは、ハリーに言わないでね。マッドアイが忠告したから来年から大丈夫だと思うけど、酷い生活していたみたいだから。でも、うーん。ハリーはダーズリー家での生活のせいがあるから分かるけど…ドラコも?」
「あ奴はな、血が濃すぎるのだ。純血の魔法族に言えることだが、幼少期の成長がマグルと比べて遅いと、儂は見ている。話を戻すぞ――いや、話は簡単だ。儂はな、新たな世代。より優れた闇祓い、もとい魔法使いを造り出そうと考えたのだ」
「…なんか、やばそうだけど」
「なに、アズカバン送りになるほどではない。新たな教育の一種だと思ってもよいのだ。そして、あの小僧共は儂の想像を越えてきた。たったのひと月であれほどまでに成長したのだ。儂の考えも的外れとは言えまい?」
「いや、あれはあの2人が特別なだけじゃないの?」
「それもあるだろう。だからこそ、ロングボトムを押し込んだのだ。あ奴は出来損ないらしいが、優秀な血は引いている。それで成果があれば、文句を言う者もいなくなるだろう」
自信ありと、目をギラつかせて饒舌に話すムーディに対して、トンクスは内心、盛大に引いていた。何かヤバい。それだけは確実だ。嫌な予感しかしなかった。
「そんなに上手くいくかなぁ」
トンクスのぼやき声も聞こえないと言わんばかりに、ムーディは機嫌よく校長室へと歩を進めていた。