お姉さんの愛し方。   作:とととー腑

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人生を変える一言を。

何を思ったのか。

今となってはそれが分からない。

 

でも、5分前の俺にはそれが分かった。

分かったからこそ、今手のひらの重みを感じている。

 

 

昨日から9月に入った。

夏と秋の境目に、俺たちは生きている。

 

残暑が続いたかと思ったら、急に涼しくなったり。

きまぐれな季節に今を過ごしている。

 

今日はあいにく様、悪い9月だったみたいだ。

ホントに残暑か?と首をひねりたくなるぐらいに暑い。

8月と言われても信じてしまいそうなぐらいの気温。

 

歩けば歩くほど、汗が噴き出てくる。

脇から、熱い汗がぷっと出てきて、そのまま脇腹をなぞっていく。

 

 

俺はポケットに手を突っ込む。

しばらく、見つからなくてヒヤッとしたが、無事に発見した。

 

無意識にそれを弄んでしまう。

手のひらサイズに収まるので、俺としてはどうもあの価格に納得いかない。

 

給料3ヶ月分って、どうなってんの。

 

しかも、本体はさらに小さい。

まあ、指輪なんだから小さくなければ困るのだが。

 

 

結婚指輪。

 

去年には一生無縁かと思われたモノ。

なのに、今は俺のポケットに入っている。

人生とはつくづく分からないものだ。

 

衝動買いとかではない。

きちんと考えた上で、今日、買いに来たのだ。

 

もちろん、陽乃さんには内緒。

別にそこまで意識してるわけではないけど、出来ることならサプライズにしたい。

 

 

何度も、何度も。

陽乃さんの指を見つめてきた。

 

美しくて、飽きることなんてなくて。

それでも、どこか物足りなかった。

 

なんだろうって考えたとき、答えはすぐに出てきた。

 

左の薬指だけが、弱々しかった。

 

もしかしたら、俺の痛々しい勘違いかもしれない。

それでも、単純に思った。

 

だから、覚悟を決めた。

一生かけて、陽乃さんを、あのお姉さんを愛することを。

 

俺にしか分からない、陽乃さんの愛し方。

まだ長いとは言えない2人の時間だが、濃かった。

 

沢山の陽乃さんを見つけた時間。

照れると真っ赤になる頬も、怒ると怖い目つきも、ドキッとする言葉を放つ美しい唇も。

俺は全部知っていて、俺以外は知らない。

 

そのことに、嬉しくなる。

叫びたくなる。

 

 

好きとは何回も言った。

大好きとは少し言った。

愛してるとは沢山言わされた。

 

他に俺が言ってない、陽乃さんに贈ることができてない言葉はなんだろう。

少し考えてみた。

 

ああ、そうだ。

 

 

結婚してください。

 

 

これは、一度しか言ったことがない。

しかも、ノリで言ったようなもんだ。

 

ちゃんと、伝えきれていない。

大切な、言葉なのに。

 

だから、俺は。

 

陽乃さんの処女雪のように美しい薬指に、想いを込めた指輪をはめながら。

世界で一番、優しい声で叫んでやるんだ。

 

人生を変える一言を、忘れさせない。

細胞やDNAに、言の葉を刻み込んで、絶対に離さない。

 

 

ゆっくりと、覚悟を決める。

とりあえず、帰ろうか。

 

陽乃さんが待ってくれている、俺たちの家へ。

 

陽乃さんが、「おかえりなさい」と俺にしか見せない笑顔で言ってくれる、幸せな俺たちの世界へ。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「赤ちゃん」

「は?」

「私、八幡との子供が欲しい」

 

あまりの唐突さに、俺は目をパチクリ。

真昼間から何を言ってるんですか。

 

俺が帰宅すると、楽しみにしていたおかえりの挨拶もそこそこに、目を輝かせて詰め寄ってきた。

よく見ると、陽乃さんの手には雑誌が握られている。

「赤ちゃん特集」なるものでもあったのだろうか。

 

「ねぇ、欲しいんだけど!」

「なんのアピールですか……」

「襲ってほしいアピール」

「しないって言ったのは陽乃さんでしょ……」

 

俺が呆れたように言うと、陽乃さんは舌を出して、テヘッと笑う。

…………まぁ、許しますけど。

 

「さて、まだ昼だね」

「まぁそうですね」

 

俺は朝イチで買いに出かけたので、今はちょうど昼ごろ。

そこそこ、お腹が空いてきた。

 

「ていうか、何しに行ってたの?」

「訊いちゃいます?」

「訊いちゃいますよ」

 

純粋な疑問をぶつけられる。

そりゃそうだ。

突然、朝に理由なく出かけられたら、絶対に訊きたくなる。

 

さて、どう答えたもんか。

 

「所用を済ませに」

「ふむ、浮気かね?」

「違いますから、その手を引っ込めてください」

 

陽乃さんは笑顔で殴る構え。

びっくりした。

殺されるかと思った。

 

「……ホント?」

「本当です」

「じーっ」

 

ジト目で見つめられる。

効果音を自分でつけないでくださいよ。

萌え死にそう。

 

「怪しい……」

「えー」

「うーん」

「信じてくださいよ」

 

未だに懐疑の目を向けられてる。

と、陽乃さんは何かを閃いたかのように明るい表情を浮かべる。

なんですか?

 

「ぎゅー」

「え、ちょ!」

「あったかいね」

「呑気に感想とか言わないでください」

「匂い嗅げば、分かるはず」

「……はぁ」

 

突然、抱きしめられた。

引っぺがそうとも思ったけど、俺の胸の中で、えへへと嬉しそうに笑う姿を見たらそんな意思はペタンと潰えた。

 

すんすん。

 

そんな音がしそうなぐらい、丁寧に俺の匂いを嗅いでいる。

女の人の匂いとか、香水の匂いとかしないでしょ?

 

「お、八幡の匂いしかしない」

「だって誰にも会ってないですもん」

「浮気はしてないんだね?」

「そう言ったじゃないですか……」

「あはは、ごめんね。ちょっとだよ。ちょっとだけ、怖くなっちゃって……」

 

気まずそうに、寂しげな顔をして俯く陽乃さん。

……反則ですよ。

 

 

「……きゃ!?は、八幡?」

 

 

驚いて、俺の方を見てくる。

それでも意地でも目は合わさない。

朱くなってることに気づかれてしまうから。

 

「えへへ、積極的だね」

「……まぁ、たまにはです」

「そうだね。たまにこういうことするもんね」

 

俺は強く、陽乃さんを抱きしめていた。

腰に手を回して、他のことなんて考えられないようにするため。

 

「あったかいね」

「さっきも言ってましたよ?」

「さっきよりも、あったかい」

「……俺もです」

 

いつまでも、幸せでいたい。

そう願っている。

 

願ったからといって叶うわけではないけど。

今、幸せなこの瞬間だけは、願っても許される。

と、真っ直ぐ思えた。

 

「八幡はさ」

「はい」

「私との子供、ほしい?」

 

瞳と瞳を交わしながら、問われる。

答えなんて、ひとつしかない。

 

大好きな人との子供がほしくない、男なんて。

いるのだろうか。

 

「欲しいです」

「そっか……。おんなじだね……」

「そうですね」

「まぁ、八幡はまだ高校生だし、先の話だよね」

 

と、陽乃さんはからからと朗らかに笑う。

その通りですね。

せめて、俺が稼げるようになってからかな。

 

脳内で俺が未来図を作っていると、陽乃さんがパッと俺から離れた。

急に吹き込んだ空気に、秋の寒々しさを感じる。

 

「今日の予定が決まったよ!」

「なんですか?」

「ベビーショップ行こう!」

「あぁ、良いですね」

「でしょ」

 

俺が肯定してみせると、自慢するような笑顔。

自慢げな顔はどこか幼げで、陽乃さんが小学生の時はこんな顔で笑ってたのかな。

と、パートナーの過去を想像して、ドキドキ。

 

「まぁ、でも最低5年後なんですから。気が早すぎる感じもしますけどね」

「おろ?」

 

俺が柔らかく否定すると、陽乃さんは変な疑問の声を上げた。

なにかありましたか?

 

「ん?」

「それって、もう家族計画立ててるの?」

「あ」

 

ニヤニヤ笑われながら、指摘される。

先ほど立てた計画をそのまま言ったのだが、あまり深く考えてなかった。

おかげで、ちょっと恥ずかしい。

 

「5年後ってことは、順調に行けば立派な社畜になってる頃か」

「恥ずかしいんで、冷静に考えないでください。あと、俺が社畜前提なのやめてください」

 

何故、社畜なんだ。

自分でもちょっと社畜体質なのは分かってるつもりだけど。

それでも、なる気はない。

 

「……お金かな?」

「そうです……」

 

陽乃さんの言葉通り。

子育てにはお金がかかる。

そのお金、つまり養育費だが、子供1人を大学まで行かせるまでに数千万はかかるらしい。

 

幸い、今でも、お互いに軽い収入はあるが、それでも2人で生活して割と余裕があるってぐらいだ。

そもそも、学生のうちに子供を作るとか、無責任だし。

 

再来年から、陽乃さんは働き始めるはずだが、それでも厳しいだろう。

だから、俺が就職するまでは待ってほしい。

 

「ちゃんと、考えてくれてたんだね……」

「……はい」

「……やば。ちょっと泣きそうかも」

 

すでに声が震えてる。

そんな、泣くなんて、大袈裟な。

俺まで、泣きたくなるじゃないですか。

 

「ねぇ、八幡」

「ん?」

「絶対、私たちの子供を作ろうね。そして、きちんと育てようね」

「約束します」

「あはは、安心だね。パパ」

「……それは気が早すぎますよ。あと5年待っててください」

 

パパって言われて、ちょっとドキッとしたのは内緒。

 

「分かった。待ってるよ、5年後まで」

「5年過ぎても俺が動かなかったら?」

「私が動くだけだよ」

「そうですか……」

「あはは、そうですよ!」

 

お互いにニコニコ笑いながらのやり取り。

幸せだって言葉が軽くなるから、言わないけど。

心の中ではずっと、想ってる。

 

 

陽乃さんと一緒にいれて、幸せだ。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

ガラス製の自動ドアをくぐると、一気に温度が変わる。

涼しくて、とても快適だ。

 

そんな事も起因してるのか、隣で手を握ってる陽乃さんは、上機嫌に鼻歌なんか歌ってる。

 

俺たちは、あの後昼飯を軽く食べて、すぐに近所のベビーショップに来てみた。

客層はカップルか、家族ばっかり。

 

「とりあえず、いろいろ見てみよう」

「そうですね」

「沢山あるねぇ……」

「うわ、このベビーカーすげぇ。めっちゃ高機能じゃん」

「どれどれ。おー、確かに」

 

赤ちゃんにも、親にも便利な機能が沢山ついてるベビーカー。

こんなのも、あるのか。

 

「あ、この服かわいい」

「女の子向けのやつですか」

「そうそう。あ、ちなみにさ」

「はい?」

 

陽乃さんはわざわざ商品を置いて、俺に向き直ってくる。

そんな大層な話があるんですか?

 

「男の子か女の子、どっちがいい?」

「あー。考えたことないですね」

 

定番のアレだが、意識したことなかった。

強いていうなら、女の子かなぁ。

 

「んー、女の子ですかね」

「その心は?」

「え、や、普通に女の子の方がかわいい気がして」

「ふーん。あ、分かっちゃったな。私」

「ん?」

「八幡が男の子を嫌がる理由」

「別に嫌がってはないですね」

 

陽乃さんは聞く耳を持たず、話を続けようとする。

こうなったら何を言っても無駄だと、知っているので、大人しく言葉に集中する。

 

 

「私がとられる事が怖いんだ」

「…………ないです」

「何その間!そうでしょ!絶対そうでしょ!」

「……ほら、行きますよ」

「あー!逃げた!八幡、ズルいよ!」

 

 

一瞬妄想してみて、湧いた独占欲にびっくり。

というか、バカすぎる。

自分の子供に嫉妬するとか。

 

「えへへ、可愛いなぁ。もう。どれだけ私を惚れさせればいいんだ」

「からかわないでくださいよ……」

「あー、出会えてよかったな。ホント」

「突然どうしたんですか」

 

どこか、他人事のような声音に、思わず笑ってしまう。

脈絡がなさすぎません?

 

「だってさ、本来なら絶対出会えない組み合わせだよ!」

「あー、まぁそうですね」

 

先生の気まぐれで入れられた部活の部長の姉。

しかも、出会ったのは雪ノ下と出かけてた時で、出かけてた理由も、由比ヶ浜が奉仕部のドアを叩かなければなかった。

 

つまり、奇跡の連続で、今隣にいる。

 

「だから、たまにフワッて思うの」

「どういうことですか?」

「出会えて良かったなって。それで、奇跡に感謝したくなるの」

「感謝ですか」

「そ。ホントに、ホントに良かったなって、沢山思うの」

 

俺も、良かったと思う。

だって、今が好きだから。

隣の陽乃さんが大好きだから。

2人の時間を愛してるから。

 

「だからね、ありがとう」

「へ?」

「私を選んでくれて、ありがとう。好きでいてくれて、ありがとう。私に世界一幸せな時間をくれて……ありがとう」

 

言葉の一つ一つに、陽乃さんの想いが詰まってる。

それは俺も同じだ。

 

「俺も、いつも感謝してますよ」

「えー、そんな素振りを見せないくせに」

「俺の隣にいてくれてありがとうって。幸せにしてくれてありがとうって」

「ふふふ、八幡も思ってたんだ」

 

なんだか終わりの挨拶みたいだ。

でも、終わっていかない。

というか、俺が絶対に終わらせない。

 

終わりが終わりを望んでも、終わらせない。

世界の常識でも、定説でも、法則でも、なんでも捻じ曲げてでも、終わらせない。

 

こんな世界一の時間を、終わらせやしない。

 

俺が俺で、いて。

陽乃さんが陽乃さんで、いて。

お互いがお互いで、いて。

 

2人が2人で、ありのままになれる空間。

だが、今のままではまだ、ほどけやすい。

 

俺はポケットに手を突っ込む。

すぐさま、ゴツゴツとした感触にぶつかる。

良かった、ちゃんといてくれた。

 

 

指輪はきっと、お互いを強くしてくれる。

そして、2人の結びつきまでも強くしてくれる。

 

 

終わらせたくないと願ったのなら。

ちゃんと、言葉にして物にして行動にしないといけない。

 

だから、俺は。

今日、陽乃さんに結婚指輪を渡すのだ。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「なかなか新鮮だったね」

「そうですね」

「次どこ行こっか?」

「うーん……と」

 

すでに、ベビーショップは後にしている。

今は、何気なく歩道を歩きながら、次の予定を立てている。

 

「特にないよね……」

「買い物も一昨日行きましたもんね」

「そうなんだよ。うーん」

 

2人で悩みながらも、足は止まることがない。

もしかしたら、良い店の前を通るかもしれない。

そんな淡い期待を持ちながら、足を動かし続ける。

 

「あー、そうだ」

「なんですか?」

「家具屋さん行かない?」

「別に良いですけど、なんか欲しいんですか?」

 

足りてない家具なんてないと思うけど。

強いて言うなら……いや、やっぱり無いな。

 

「ベッドとかを見に行こ?」

「へ?ベッドですか」

「うん。だ、ダメかな……?」

「え、や、別に駄目ってことないですけど」

 

ベッドに別に文句はないんだけどな。

2人で一緒に寝ても、広さ十分なダブルベッドだ。

 

「それじゃ、行こっか」

「分かりましたよ」

「すぐそこだしね」

「え?あ、本当だ……」

 

陽乃さんが指さした方向を見ると、大型な店が、構えてあった。

どうやら1分ぐらいで着きそうである。

 

「ねぇ、陽乃さん」

「ん?」

「ベッドに問題ってありましたっけ?」

「なーんもないよ」

「じゃ、何で?」

「ちょっと確認しときたいんだよね」

「だから、何を」

「3人用のベッドの価格とサイズをだよ」

 

と、陽乃さんは片目を瞑りながら、いたずらな顔を浮かべてる。

そっか、そういう事ですか。

 

「……5年後の為ですね」

「そ。私とキミの5年後の為だよ」

「陽乃さんって5年後をめちゃくちゃ楽しみにしてません?」

 

さっきから話題の中心に君臨している。

どれだけ、楽しみなのだろうか。

嬉しい反面、ちょっと恥ずかしい。

 

「そりゃ、楽しみだよ!」

「そ、そうですか」

「うん!大好きな人との子供なんて、素敵で、本当に幸せだと思うよ」

「ま、それには同意します」

「だから、楽しみにするのも、しょうがないんだよ」

「しょうがないんですね」

 

と、言って、2人で笑いあう。

今でも幸せだ。

それは、大声で言える。

なんなら、世界の中心で叫べるまである。

 

でも、子供が産まれたら、どれほどまでに幸せになれるんだろう。

毎日がどれぐらいまで輝くのだろう。

 

それが知りたくて、俺たちは5年後を追っている。

幸せだと笑う、陽乃さんが見たいから、俺は5年後を追っている。

 

 

でも、未来ばっか見てたら駄目だろう。

手元の幸せに気付けなくなるはずだから。

ごく僅かな想いに触れられなくなるから。

 

世界なんて泡沫のように切なくて、不安定だ。

いつ、何が起こるかなんて分かりはしない。

 

だからこそ、美しくて、残酷なまでに綺麗なのかもしれない。

 

 

嘘ばかり、欺瞞ばかり、虚言ばかりの救えない世界だけど。

隣にいる陽乃さんは、嘘じゃない。

欺瞞じゃない。

虚言じゃない。

 

 

だから、この世界が嘘じゃないって、証明してほしいから。

俺が本当だと信じれる陽乃さんが、俺に世界を見せてほしい。

 

陽乃さんを介してみれば、セピア色の絵にも、パステルカラーになっていく。

 

だから、いつまでも、陽乃さんの横にいて世界を歩きたい。

 

そう、独りで、陽乃さんの隣で、考えた。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「陽が傾いてきたね」

「そうですね。秋の日は釣瓶落としですか」

「うんうん。まさにその通りだね」

 

住宅街に近いこの公園は、都会の喧騒とは切り離されていて、とても静かである。

 

家具を見終わった俺たちは、俺の提案で公園に行く事にした。

まぁ、俺の理由は一つである。

 

プロポーズ。

そう、思った瞬間に、ポケットの箱が存在を主張し始めた。

変に緊張するから、考えないようにしてきたのに。

 

「やーでも、3人用のベッドは大っきかったね!」

「そうですね。値段もビックリしました」

 

陽乃さんは、興奮したような声音で俺に感想を伝えてくれる。

気持ちはわかる。

かなり大きかった。

 

「いやー、あれだと3人で雑魚寝しても全然大丈夫だね」

「……陽乃さんは本当に家族が欲しいんですね」

「何回も言ってるじゃん」

 

会話をしながら、タイミングを計っていた。

きっと、ベストなタイミングは、今だ。

 

「正直に言って良いですか?」

「ん、なに?」

「俺はですね、今子供より欲しいものがあります」

「どういうこと?」

 

陽乃さんが怪訝な顔になる。

俺はそんな顔を見ながら、覚悟を決めるかのように息を1つ吐き出す。

 

 

「陽乃さんとの……関係です」

「……えっ」

 

 

静かに、陽乃さんは息を飲む。

この場の空気だけがピンと張り詰めていくのがわかる。

 

「陽乃さん」

「うん……うん」

 

もう陽乃さんはほとんど泣いている。

流石に聡明だ。

たぶん、この先に起こるであろう世界をちょっと知っているのだろう。

 

もしかしたら、出かける前に俺の服装を見て、少しだけ察したかもしれない。

……迂闊だった。

と、今更ながら後悔。

 

「俺はもう18歳です」

「そうだね」

「日本国憲法では、もう結婚できます」

「そう……だね……」

「俺たちって今は、まだ婚約ってだけですよね」

「うん……そう、だよ」

 

陽乃さんは、細切れながら、なんとか言葉を紡いでくれる。

すでに、瞳からは沢山の宝石が止めどなく零れている。

 

指輪とどっちが美しいだろうか。

と、見劣りしないかとちょっと気にしてみた。

 

「だからですね」

「う、ん」

「だから、だから……」

 

ゆっくりと、頭の中で言葉を再確認。

どこか間違えてないだろうか、変ではないだろうか。

 

チェックの回数が3回を超えた時、異常がないということを理解した。

俺は、深く深く、息を吸い込む。

 

 

「陽乃さん」

「はい……」

「俺と、結婚してください」

 

 

世界は止まらない。

言葉も、流れ落ちる涙も。

 

答えは、すぐそこで待っている。

 

 

「はい……、喜んで!」

 

 

刹那、俺の身体が包み込まれる。

まるで、幸福に抱きしめられているかのような気持ちになった。

 

これだけは自信を持って、今叫べる。

俺が、世界で一番幸せだって。

 

「陽乃さん」

「八幡、ごめんね。嬉しいんだけど、嬉しくて、涙が止まらないよ」

「俺も、ちょっと泣きそうです」

 

耳元で陽乃さんが、泣き声をあげる。

これほどまでに美しい涙を、俺は他に知らない。

泣き声さえも、福音に聞こえる。

 

「ありがとう、ホントに愛してる。ずっとずっとずっと、離さないから!」

「離されませんよ」

 

なにそれと、陽乃さんはクスッと笑う。

やっと、笑ってくれた。

妻になってからの初めての笑顔だ。

 

俺はおもむろに、妻の左薬指を手に取る。

そんな俺の行動を、頭に疑問符を浮かべながら見てくる。

 

「なに?」

「あれ、分かりませんか?」

 

と、とぼけながら、俺はポケットに手を伸ばす。

陽乃さんは、気づいたのか、小さく声を上げた。

 

俺は柔らかく、陽乃さんをどかす。

そして、すっと、黒い箱を差し出す。

 

「これって……」

「ほら、もう泣かないでくださいよ」

「ごめん、ごめんね。でも、涙が止まらないんだよ」

 

再び、陽乃さんの瞳からは大粒の雫が溢れる。

そんな姿を微笑ましく思いながら、俺はゆっくりと箱を開ける。

 

姿を現したのは、陽乃さんのためだけに存在している、指輪だ。

ゆっくりと、それを取り出す。

 

 

「陽乃さん」

「はい!」

「付けてくれますか?」

「うん、付けるよ!」

「でも、今日は俺が付けたいです」

「あはは。奇遇だね。私も、今日だけは付けられたいって思ってたよ」

 

 

なら安心と、俺は陽乃さんの左手を持ち上げる。

宝石にも、指輪にも全く見劣りしない、美しい手だった。

 

俺は四番目の指に指輪をあてがうと、ぎゅっと優しく力を込めた。

綺麗な指に傷を付けないように、ゆっくり、ゆっくりと。

 

暫く、力を加えると、指輪が止まった。

なので、俺も手を離した。

 

「うわぁ……ホントに、綺麗……」

「気に入ってくれましたか?」

「気に入ったよ!ありがとう!」

 

陽乃さんは未だに泣いている。

そこまでかな?

と、若干の苦笑。

 

「ありがとうじゃ、足りないよ」

「そうですか?」

「うん。だから今、どうやって感謝しようか迷ってる」

「じゃあ、とりあえず涙を止めてください」

「あはは、無理だよ。だって、嬉しくて、嬉しくてしょうがないんだもん」

「全く……」

 

きっと、変わったんだろう。

俺と陽乃さんの全てが変わって、更新された。

 

この世で最も強い、愛の契約を交わした。

永遠の愛を、誓い合った。

 

 

人生を変える一言を言うには、責任が重いけど。

軽々しくなんて言えないけど。

 

 

言ったら、覚悟を決めて言葉にしたら。

 

愛しい人が、さらに愛しくなって。

いつまでも隣にいてほしい。

 

と、素直に思える。

ってことに、今更ながらに気付く。

 

ずっと、ずっと言いたかった。

前に結婚の約束をしたが、あの時は流れで言ってた。

 

しかも、指輪も渡さずに。

あの時に結婚とか言ってたが、まぁ婚約止まりだろう。

 

でも、もう違う。

指輪を渡して、結婚を誓って。

陽乃さんは婚約者から、妻になって。

 

色々なことが一瞬で動いた。

一生忘れない、忘れられない瞬間になった。

 

 

そして、今思っている。

きっと、俺は。

 

人生を変える一言を言えたのだから、世界で一番、幸せだ。


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