お姉さんの愛し方。   作:とととー腑

6 / 10
夜空に抱きしめられて。

 

夏の夜風が頬を撫でる。

その風は妙に冷たくて、あったかい。

 

なぜだろう。

そう考えたら、答えはたぶん出てくる。

 

でも、考えなくても俺は知っている。

きっと体は分かっている。

矛盾しているナニカをどこかで抱きしめている。

 

 

カランコロン。

カランコロン。

 

 

規則正しい音が耳朶を打つ。

それは、あなたが歩いた音。

俺と同じペースで、ゆっくりと歩いていること。

そして、隣で微笑んでいてくれるということ。

 

俺は、繋いだ手をもう一度強く抱きしめる。

 

こんな色んな人が往来する中であなたを抱きしめることはできないから。

だけど、抱きしめたくなったから。

 

こんな泡沫のような想いは誰かに届くだろうか。

 

あいつには届かない。

あの子にもきっと分からない。

神様だって理解できない。

 

 

でも、あなたならきっと。

 

 

そう信じて、俺は右を見る。

陽乃さんの顔は、いつもより笑っていた。

 

 

今日は、夏祭り。

そして、夜空に花火が煌めく日。

 

打ち上がった花が、きっと夜空の星になる。

そんな素敵な夜。

 

 

抱きしめられた右手から。

抱きしめた左手から。

 

あなたを想う、午後7時。

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「夏祭りに行くよ!」

「イヤです」

 

午後5時30分。

唐突に陽乃さんが俺に提案してくる。

 

それを俺は拒否する。

相変わらず、テンプレートのような俺らの会話。

 

俺は外をちらっと見る。

もう、夕方は半分終わりを迎えている。

いわゆる、タソガレドキであろう。

 

窓から吹きつけてくる風は生ぬるく、まだ気温が下がってきてないことを示唆していた。

ひたすらに暑い夕方。

 

「ぶー、なんでよ」

「人が多すぎるからです」

「まぁ…それは否定できないけど」

「ほら」

 

大体、誰が望んであんな人ごみに飛び込んでやると言うのだ。

それに、言わないけど。

言ったら、陽乃さんが調子に乗るから絶対に言わないけど。

 

俺は、陽乃さんと2人きりで過ごしていたい。

大っきい花火なんて見なくてもいい。

2人しかいない公園で並んで線香花火を眺めている方がいい。

 

「あ、ほら!私と一緒に行けばVIP席に座れるよ。ガハマちゃんもいた時に座ったよね?」

「あぁ、そうでしたね」

「どう?」

「いや、この部屋見晴らしいいんで、花火は見えるんじゃないですかね。わざわざ外行かなくても」

 

俺たちが住んでいるこの部屋は、相当見晴らしがいい。

そして、幸いにも夏祭り会場に近い。

 

「ダメ!絶対行くの!」

「えぇ…」

「そもそもね、キミは絶対に行かなきゃダメなの」

「はい?」

 

陽乃さんが最後のカードを切ってくる。

その顔には自信がみなぎってた。

 

「名代」

「あ」

 

忘れてた。

最近、陽乃さんのことを一般市民だと思って接してたから。

 

この人、メチャクチャ由緒正しい名家の長女だった。

そして、俺はメチャクチャ由緒正しい名家の長女の婚約者だった。

 

「キミは絶対に行かなきゃダメなの」

「…」

 

強く、念押しされてしまう。

 

「…あのさ」

「なんですか?」

「私と一緒に行くのってそんなにヤなこと?」

 

流石に俺の態度が酷すぎたのか、尋ねられてしまう。

若干、目を潤ませて。

 

「…照れ隠しですよ。言わせないでください」

「ふ、ふーん」

「なんすか、その顔」

「いや、別に」

「そうですか…」

「そうなの」

 

顔が熱い。

これは多分、未だに下がらない気温のせいだ。

そんな俺を見て、陽乃さんはふふっと柔らかく笑う。

 

「いっぱい、楽しもうね」

「…うん、そうですね」

「今度さ」

「はい?」

「2人きりで、花火もしようね」

 

甘く囁くように陽乃さんは言う。

心が軽くなる。

それは、俺の想いが共有されていたことを知れたから。

 

陽乃さんは、妖しくウインク1つ。

心臓がどきりと跳ねる。

それぐらいに美しい。

 

俺はふと考える。

陽乃さんはどうしてここまで、真っ直ぐ自分の想いを伝えられるのだろう、と。

 

俺にはできない。

そこには、俺の中の色々な感情がある。

 

 

恥ずかしい。

俺なんかが。

キャラじゃない。

 

 

伝えようと思っても、勇気を振り絞っても。

いつか陽乃さんが俺に言った『自意識の化物』が、頭の中で言葉を囁いて俺を阻害する。

 

なんてキモチワルイ自意識だろうか。

でも、それが俺なのだ。

 

17年か18年、俺が俺として生きて分かったこと。

唯一、俺が理解できた人間は俺だけ。

そこは、多分変わり続けない。

 

 

どうしたって、人とはズレる。

楽しげに会話している友達同士だって。

世界に蔓延るバカップルだって。

 

どこかで、違和感を抱きしめている。

その違和感が、価値観の違いだって知りながらも、私たちはお互いを分かり合っていると嘯いている。

 

多分、その違和感を巧く言い換えた言葉が『個性』なのだ。

だから、個性を大事にしている。

 

 

でも、きっと。

 

 

俺は答えを見つけられたことが嬉しくて少し笑ってしまう。

すると、いそいそと準備していた陽乃さんが怪訝な顔でこっちを見てきた。

 

「どうしたの?急に笑って」

「いや、なんでもありません」

「ふーん。どうでもいいけど、早く準備しちゃってね」

「分かりました」

 

俺は陽乃さんに言われた通り、準備を始める。

と、言っても大した準備もないのだが。

 

俺はポケットに財布を突っ込み、少しだけ逡巡したが制服を着ていくことにした。

 

お偉いさんに沢山会うのだろう。

きっと、将来的にお世話になる人も沢山来ているのだろう。

だから、舐められないようにしないと。

 

単なるクソガキだと、思われないように。

いつか、俺が陽乃さんに誓ったようなカッコいい男になれるように。

陽乃さんの隣にふさわしいと微笑まれるように。

 

頑張ろう。

 

「陽乃さん、準備終わりましたよ」

「お。私も終わったよ」

 

そう言って、部屋の角から姿を見せる。

バッと俺の視界に陽乃さんが飛び込んできた。

俺は目を見開く。

 

「ど、どうかな…?」

「……」

「ね、ねぇ。なんか言ってよ」

「…あぁ、そうですね」

「で?どう?」

 

不安げな陽乃さんの身を包んでいるのは、白が基調の浴衣だった。

 

若干窮屈にも見えるサイズ感は、色気たっぷりの体のラインを強調している。

裾から覗く、綺麗な生足は一介の高校生には勿体無いくらい美しい。

 

 

口にはできないから。

多分、口にしたって伝わらないから。

 

俺は陽乃さんを抱きしめる。

強く、強く。

ただひたすらに、優しく。

 

「は、八幡!?」

「……」

「…えへへ。ちょっとだけ恥ずかしいな」

「俺も恥ずかしいです…」

 

きっと。

 

 

個性があるから。

誰かを好きになって、誰かを愛して、誰かを抱きしめたくなる。

 

個性があるから。

陽乃さんと違った自分を見つけて、陽乃さんを信じて、陽乃さんをキスする。

 

 

だから、俺は。

かけがえのないあなたが。

いじらしく乙女なところが。

ただひたすらに愛しい陽乃さんが。

 

 

大好きで、仕方がない。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

一歩、一歩。

また一歩と前に進むたびに心なしか周りの喧騒も加速しているように感じる。

 

そして、どこかから祭りのお囃子が聞こえてくる。

それを聞いて俺は、もう着くんだなと思う。

 

実際、会場との距離はもう200メートルもなかった。

まぁ、ここも会場みたいなモノだけど。

なぜかというと、もう周辺にはポツリポツリと屋台が出ている。

 

俺はパッとポケットからスマホを取り出し、時間を確認。

 

どうやら、スマホの情報によると現在は18時30分ぐらい。

確か、花火が上がる時刻が19時30分の予定なのできっかり1時間というところだ。

 

「陽乃さん」

「ん?なぁに?」

「花火上がるまでまだ時間ありますけど、何します?」

「何って…デートに決まってるでしょ」

「決まっちゃってるんですか」

「そうだよ。今更何言ってんの?」

 

陽乃さんは俺のことを心底バカにしているような声を出してくる。

そんなバカにしなくたっていいじゃないですか、と心の中で苦笑い。

 

「デートですか」

「うん。デート」

「なんだか、久しぶりな感じもしますね」

「あぁ、そうかも」

 

最近はお互い忙しくて、バタバタしてたからな。

しょうがなかった部分もあるのだろう。

 

「で?なに、寂しかったの?」

「や、別に」

「むー。そこは嘘でも肯定してほしかったな」

 

陽乃さんは心なしか頬を膨らませて、こっちをジトーっと見つめてくる。

そして、無言で自分の左手を突き出してくる。

 

流石にこれで察せないくらい、鈍感ではない。

むしろ、過敏な方だ。

 

俺は、黙って自分の右手を重ねる。

なんだか、触れ合っているその部分だけが、じんわり熱い。

 

「お。珍しく積極的」

「…カレシが勇気を振り絞ったのに茶化さないでください」

「あはは、こめんごめん。ここはカレシくんのフォローをするとこだったかな

?」

「そうですよ」

 

ったく。

変なところで鈍感なんだよな、この人。

聡いんだか聡くないんだかがよく分からん。

 

「あ、八幡!」

「なんですか?」

「りんご飴!一緒に食べよ?」

 

陽乃さんが指差す方向を見ると、人の良さそうなおばちゃんがやっている屋台だった。

 

 

いつもなら、絶対に断る提案。

でも、今日は多分いつもじゃない。

 

祭りの熱気にはまだ当てられたばかりだけど。

今日の俺はなんだか、変なのだ。

 

「いいですね」

「…え。意外」

 

陽乃さんは大きい目を2、3度瞬かせる。

どんだけ、意外なんですか。

 

「断られたとき用の言葉も考えてあったのに!」

「準備しなくていいですから」

「今日の八幡って、なんか積極的だね」

「そうですか?」

「うん。どうしたの?そんな八幡も好きだけど」

 

なんだか、唐突の告白を受けたような気がするが、気にしない。

いや、ちょっと気になるけど。

 

 

「…独占欲」

「え?」

「多分、独占欲です」

 

たぶん、稚児が抱くような程度の低いキモチ。

そんなキモチを今日の俺は抱きしめている。

 

でも、俺はずっと独占欲は持っていた。

それが表面上には現れないだけで。

 

やっぱり、今日はおかしい。

それこそ病気にかかったみたいで。

 

恋は病。

なんて陳腐な言葉を吐くつもりも、このキモチをその言葉で表す気も一切ないけど。

 

完治不能な病気に、俺はかかったんだ。

 

「ふふふ」

「?」

「ビックリしちゃった。キミが独占欲なんて言うなんて」

「…悪いですか」

「いや、全然。むしろ嬉しいんだよ」

「え?」

「女のコってね、好きな人から常に好きだって言われたいの。ずっと独占しててほしいの」

「そうなんですか?」

「キミはさ、良くも悪くも感情があまり表に出てこないし、捻くれてるし、照れ屋さんだし。女のコを不安にさせる要素ばっかり持ってるの」

 

グサッと陽乃さんの言葉が刺さる。

最後、俺の愚痴みたいになってるぞ。

 

「でもね、安心した」

「…」

「キミはちゃんと私のことを想ってくれているんだって。独占したいくらいに好きでいてくれていたんだって」

「そう…ですかね」

「うん。そうだよ。絶対にそう」

 

陽乃さんは力強く、俺を見据えて言ってくる。

そんな俺にだけ、世界で俺だけに向けられた言葉が、なんだか気恥ずかしくて。

 

俺は誤魔化すように屋台に向かうことにした。

 

「ちょ、ちょっとりんご飴、買ってきますね。陽乃さんはここで待っててください」

「…ヘタレ」

 

後ろから怨念がましい声が聞こえたような気がするが、聞こえていない。

とりあえず俺は、おばちゃんに話しかけることにした。

 

「あの、りんご飴1つください」

「ハイよ。250円ね」

「はい」

 

俺はちょうど250円を手渡す。

そして、ほんの1秒前までは硬貨を握ってた手に、りんご飴を握らされる。

 

「彼女さんと仲良く食べてね」

「はい、ありがとうございます」

「大事にしなよ。べっぴんさんなんだから」

「分かってますよ。何よりも大事な彼女ですから」

「あはは。そこまで言うなら大丈夫だ」

 

俺は豪快に手を振ってくる、おばちゃんに軽く一礼して、陽乃さんの元に歩き出す。

まぁ、歩き出すと言ってもほんの5メートルぐらいなのだが。

 

「ほい。買ってきましたよ」

「ありがとね」

「いえいえ、ほら食べちゃいましょ」

「あ、そこにちょうどいい縁石があるよ。座っちゃお」

「はい」

 

俺たちは屋台の脇にある縁石に腰を下ろす。

周りにも、俺たちのようなカップルが同じように縁石に腰掛けている。

 

「先、食べていいですよ」

「ほんと?じゃあお言葉に甘えて」

 

陽乃さんがカプッと飴にかじり付く。

その顔はとても幸せそうだった。

そんな陽乃さんの表情を見てると、なんだか俺の頬まで緩んでくる。

 

「ん、甘くて美味しいよ」

「お、本当ですか。じゃあ俺も」

 

俺も陽乃さんに倣って同じようにかじり付こうとする。

すると、待ったがかけられた。

 

「ダメだよ」

「何がですか」

「そこから食べちゃうと、1発でリンゴにたどり着けないよ?」

「まぁ…確かに」

 

俺の肯定を受けて陽乃さんは、自分が齧った部分を俺に向けてきた。

なるほど、ここから食えと。

 

「…無理です」

「頑張ろ?真のカレシになるんでしょ?」

「いつ俺が誓ったんですか….」

「さっき、多分誓ってたよ。ほら、食べなさい。お姉さんの命令だよ」

「えぇ…でもなぁ」

「いいから!」

「わ、分かりましたよ」

 

有無を言わさないような陽乃さんの雰囲気にアッサリ流され、了承してしまった。

俺にプライドと呼べるモノは多分欠片も存在していない。

それを実感した場面だった。

 

俺は改めてりんご飴を見る。

陽乃さんのかじり跡が妙に官能的に感じて、なんだかドキドキした。

俺はゆっくり、ゆっくりと口を近づける。

 

 

シャリ。

 

 

甘い、ひたすらに甘い。

そして熱い。

だから、このりんご飴は甘くて熱い。

 

「美味しい?」

「お、美味しいですよ」

「ふふふ、そんな動揺しちゃって」

「や、動揺するに決まってるじゃないですか」

 

今更、間接キスとか言って騒ぐつもりはないが。

こんな公共の場でしているということになんだか背徳感を感じて、ソワソワしてしまう。

 

俺は自分の気持ちを誤魔化すかのようにスマホを取り出す。

表示させた画面には、煌々と現在の時間が表示されていた。

 

ああ。

こういう緩い時間も好きだ。

もちろん、陽乃さんが隣にいるとき限定だが。

 

隣であなたが微笑む。

隣であなたが冗談を言う。

それだけで、俺は。

 

 

あなたと過ごす、午後6時45分。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

俺は1つ息を吐いて天を仰ぐ。

先ほどより少しだけ灯りが少ないこの場所は、前より夜空を近く感じる。

 

ただ暗いだけではなく、明るい一等星だけではあるが、星も見えた。

 

「ほら、八幡。前はあっさり入ってたじゃない。そんな緊張する場所じゃないって」

「いや。絶対緊張すべき場所です。ここは」

「慣れてよね。これ以上の場所沢山あるんだから」

 

俺は現実逃避をしていた。

去年は由比ヶ浜がいたからかもしれないが特段意識していなかった。

 

ただ、俺と陽乃さんしかいないとなると意識せざるを得ない。

俺が逃げたくなっちゃうのも必然というモノだ。

 

「ほら、行くよ!」

「あ、待ってくださいよ!」

「絶対イヤ」

 

陽乃さんに強引に腕を取られて引きずられていく。

端から見たら腕を組んでいるように見えるのかもしれないが、やられている側としては相当痛い。

 

陽乃さんは、VIP席の入り口に立っている警備員に一言二言喋りかけると、警備員は一礼すると入り口の前を開けてくれた。

 

…俺としては開けてくれなくても良かったのに。

ポソリと誰にも伝わらないように呟く。

 

「あれ?陽乃さん」

「なに?」

「人、少なくないですか?」

「えー…去年もこれぐらいだったよ」

「あれ?そうでしたっけ」

「うん。毎年これぐらいだよ」

 

等間隔に配置されたベンチにはポツリポツリとしか人がいない。

しかも、そのいる人も自分たちの空間に居て、周りなんて気にしていなかった。

 

「ほら、あそこ空いてるよ?座ろうよ」

「おお。いい席ですね」

 

陽乃さんが示した席は、障害物が何もなく全てが見渡せるような気さえした。

 

花火も、夜空も、陽乃さんも。

 

俺と陽乃さんはゆっくりとベンチに腰掛ける。

なんとなく、2人の距離は縮まる。

手は、繋がれたまま。

 

「もうすぐかな」

「たぶん」

「夏の思い出になるかな」

「…俺はもう、なってますよ」

「そっか…」

 

お互いに手を、もう一度強く抱きしめる。

言葉にしないだけで、2人とも想いは一緒だと俺は知っている。

 

 

バンと音が弾ける。

 

 

それは、夜空に花が咲いた音。

俺は、見惚れてしまう。

 

「綺麗…」

「そうですね…」

 

初めの一発を皮切りに、次々夜空に花火が打ち上がる。

カタチもイロもバラバラ。

だからこそ、美しい。

 

すっかり暗くなってしまった世界を花火が燦然と照らし上げる。

それはまるで、1人1人に向けられたスポットライトのようだった。

 

 

誰もが空の主演を見つめる。

でも、それは主演に見えてきっと主演じゃない。

言うなれば助演男優賞。

いや、助演女優賞かもしれないが。

 

本当の主演はいつだって近くにいて、隣にいる。

そして俺は、その主演の手を抱きしめている。

 

俺の人生の主演女優賞かもしれない。

いや、人生は言い過ぎだろうか。

 

 

…でも、俺には他に巧い言い回しは思いつかない。

やっぱり、人生と表現したほうがシックリくる。

 

「ねぇ、八幡」

「…なんですか?」

「私のこと、欲しくない?」

「藪から棒になに言ってんすか」

 

欲しくない?ってどんな自分の売り込み方だよ。

意味がわからないよ。

 

「ぶー。理解してよ」

「というと?」

 

陽乃さんは唇を動かして、その言葉を伝えてくる。

ったく、ホントに仕方のない人だ。

俺は思わず笑ってしまう。

 

 

俺は陽乃さんとの距離を詰める。

ただでさえ近い俺たちの距離。

もう、顔が触れそうな距離だった。

 

 

花火がまた打ち上がって、散る。

 

そこには刹那的な美しさがあって。

そこには泡沫のような美しさがあって。

 

 

俺は、陽乃さんの唇を奪う。

 

 

花火が打ち上がった音がする。

 

 

俺は、陽乃さんを抱きしめる。

 

 

今度は手だけではなく、体全体で。

黒が俺たちを包み込む。

世界が俺たちを見つけられるのは、花火が輝いた時だけ。

 

 

それはまるで、夜空が俺たちを愛しているかのようで。

俺が陽乃さんを愛しているかのように、当たり前のように隣にいてくれて。

 

 

多分、今日という夜が終わるまで。

俺と、陽乃さんは。

 

夜空に抱きしめられている。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。