お姉さんの愛し方。   作:とととー腑

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1日の始まりと終わりは。

始まったら、終わりを生む。

終わったら、始まりを産む。

 

これは世界の定説であり、永遠の命題であるのだろう。

でも、俺はそれを信じない。

いや、信じれないのかもしれない。

だって、始まったばかりの幸せを終わらせなくないから。

 

 

 

アラームが一定間隔で鳴り続ける。

その音で俺は目を開ける。

 

この天井で目覚めたのは初だ。

まだ少しぼやけてる視界が新しい天井を映し出す。

そんな新しい刺激を受けたせいなのかはわからないが、段々と思考が冴えてくる。

 

起動した脳がふと考えた。

どうしてアラームはアラームになろうと思ったんだろう、と。

 

毎朝、決まった時間に鳴って。

毎朝、世界中の人に悪態をつかれて。

 

ここまで世界のヘイトを集めているモノも他にはないのかもしれない。

そろそろ目覚まし時計のアンチが湧いてもおかしくない。

それぐらい嫌われてる存在なのかもしれない。

 

なんて益体のないことを考えながら俺は1日をスタートさせた。

…さっきから無視していたが、隣で規則正しい呼吸がしてる。

 

俺は起こさないように、ソーッと横を見る。

そこには優しい顔つきで寝ている陽乃さんがいた。

眠り姫。

そんな言葉が似合うぐらい美しい。

 

「陽乃さん」

「……すぅ……すぅ」

「起きてください!」

「……んー」

「朝ですよ!」

「んー、ん。……はっ」

「あ、起きた。おはようございます」

「う、うん。お、おはよう」

「…」

「…」

 

何を動揺してんの?と思って陽乃さんの顔を見ると、その顔は熟れたイチゴのように赤かった。

…提案したのそっちですよね?

 

そんなことを俺が考えてるうちに、陽乃さんは顔を隠すように俯きながらベッドからゆっくりと体を起こした。

 

「なにを照れてんですか」

「いっやー。これはヤバイね」

「ヤバイですか」

「うん。ヤバイ」

 

陽乃さんは後頭部に手を当てて、頭を掻く仕草。

いや、照れすぎでしょう。

なんだか俺まで照れてくるじゃないですか。

 

「1日がキミで始まるのはヤバイね」

「ヤバイですか」

「うん。ヤバイ」

 

キレイに天丼しながら、二人揃ってベッドから抜け出す。

あ、そういえば朝食はどっちが作るのだろう。

その疑問のまま聞いてみた。

 

「朝食、どうするんですか?ていうか、分担決めてませんけどどうしますかね?」

「あ。決めてなかったか…」

 

昨日はハイテンションまま疲れて、お互いすぐ寝てしまったからな。

情けない。

 

「今日の夜決めちゃおっか」

「ま、妥当なところですね」

「朝ごはんは私が作るよ。私今日、2限目からだし」

「あ、お願いしていいですかね?」

「うん、いいよ。シェフはるのんの作るご飯を楽しみにしててね」

 

ウインク1つしてから、パタパタと音を鳴らして部屋から出ていく。

 

…シェフはるのんはツッコミ待ちだったのかなぁ。

 

自分の鈍感さにホトホト呆れかえりながら俺もゆっくり部屋を出た。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

ジュージューとウインナーがステンレス製のフライパンの上で舞踏会を開いている。

包丁が目にも留まらぬ速さで、色とりどりの野菜を割っていく。

 

「ほほー」

 

俺は思わず顎に手を当てて声を漏らす。

この人、朝から本気出しすぎでしょ。

 

そんな俺の視線に気づいたのか、陽乃さんが手を止めずにふふっと微笑みかけてきた。

 

「どうしたの。そんなモノ珍しそうに見て」

「いや、シンプルに凄いなと思って」

「ふーん、惚れ直しちゃった?」

「はい。陽乃さんは最高です」

「…え?意外だなぁ」

「何がっすか?」

 

陽乃さんは目をパチクリさせている。

たまに褒めたらコレですか。

女心はよく分からん。

 

「いや、捻くれ者のキミなら確実に斜め上の回答を寄越すと思ってたから」

「陽乃さんの方が捻くれてるじゃないですか」

「ビックリしちゃったよ。ホント」

「…素直になりたい気分だったんですよ」

「ふーん」

 

なんだかんだ言ってこの人も捻くれてるよな。

それと、自分の感情にはアホみたいに不器用だし。

 

陽乃さんは優秀だけど、たまに欠点が見え隠れてしてる。

そんな陽乃さんのことを、何も考えずに率直に感想を述べると。

ひたすらに愛しい。

 

アバタもエクボと言うが、今の俺はまさにそれなのだろう。

まぁ、陽乃さんの欠点はアバタとも呼べないぐらい可愛らしいモノだが。

 

「ほ、ほら。それよりソーセージ焦げちゃいますよ?」

「あ!ヤバ。八幡、皿とって」

「はい」

「ありがと」

 

なんだか所帯染みたやり取りに、内心ホッコリ。

…俺も乙女心、持ってるのかも。

いや、でも汗臭い男子高校生の乙女心なんてキモチワルイだけだからやっぱ持ってないわ。

 

「さ、八幡。座って」

「あ、はい」

「ほい、ジャジャーン!特製朝ごはん」

「おお」

「む。テンションが低いなあ」

「俺の朝はいつもこんな感じですよ」

「ふーん。ま、食べよっか」

「はい。いただきます」

「いっただきまーす」

 

とりあえず俺はソーセージに手を伸ばす。

ソーセージの表面は肉汁で病的なまでに光っている。

それはまるで、先程の舞踏会で流した汗のようだった。

 

「あ、美味しいですね」

「ふっふーん」

「…炒めただけですけどね」

「……」

「いった!陽乃さん痛いです!」

 

陽乃さんは容赦なく俺の耳タブを引っ張ってくる。

冗談ですよ。冗談。

 

「はぁ…そういうこと言っちゃうからダメなんだよ」

「もう言わないように善処します」

「善処じゃなくて、絶対ね」

「はい…」

 

そして2人で目を合わせて吹き出す。

なんだか真面目な空気は俺らの家には似合わない。

 

「さ、早く食べちゃいなよ。時間なくなるよ?」

「あ、そうですね」

 

結構時間ギリギリかも。

とりあえず俺は、いつもの2倍のスピードで朝ごはんを食べることにした。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「1人で大丈夫?送らなくて大丈夫?」

「大丈夫ですから。そんな心配しないでくださいよ」

「キミってしっかりしてそうなくせに、しっかりしてないからなぁ」

「学校行くぐらいできますから!」

「そう?」

「そうです」

 

玄関先で陽乃さんと押し問答。

学校に行こうとする俺を引き止めて、心配とか言い放ってきた。

時間ないんですから。

早く解放してください。

 

「うーん。でもなぁ」

「…もう行きますからね」

「あぁ!ダメ!」

「なんなんですか…」

「ご、ゴメンね…。なんか、寂しくってさ」

「大丈夫ですよ」

 

そう言って俺は陽乃さんの頭に手を置く。

初めて触れた、セミロングの髪はサラサラで心地良かった。

 

「絶対この家に帰ってきますから」

「うん。分かってる、分かってるけどね…」

「き…スですか?」

 

なんだかその単語を口にするのが恥ずかしくて、詰まってしまった。

陽乃さんはそんな俺の言葉を受けてこくんと頷く。

 

「ダメです」

「え!?何で?完璧にキスする流れだったでしょ!」

「俺が帰ってきて泣いてなかったらキスしましょう」

「泣かないよ!私を何だと思ってるの!?」

「陽乃さんだと思ってるんですよ」

「はぁ…。ホントに生意気なんだから…。なんかもう腹立つからいいよ。いってらっしゃい」

「…はい。いってきます」

 

陽乃さんは若干口を尖らせながら、手を振ってくる。

そんな姿を背中で受けながら、俺は一歩踏み出した。

 

 

実はこのマンション、総武高校にかなり近い。

事前にGPSで確認したところ徒歩10分ほど。

実際はもっとかかるだろうが。

 

陽乃さんは俺のことも考えて家を選んでくれたんだな。

そう思って、心があったかくなる。

 

俺はひたすら歩いていく。

総武高校に近づくにつれて、同じ制服に身を包んだ人たちがどんどん増えてきた。

 

「やっはろー!」

「…」

「ちょっと!なんで無視するし!」

 

諦めて俺が振り返ると、若干桃色の茶髪をお団子にした見知った顔がいた。

なんで朝から知り合いと会わないといけないんだよ。

 

「あぁ、由比ヶ浜」

「あれ、ヒッキーちょっと元気なくない?どうした?」

「原因はまるまるお前なんだがな」

「ひど!ヒッキーまじで最低!」

「…朝から元気だな。お前は」

「えへへ。ありがとう」

「バカにしたんだよ」

「え、ウソ!?」

 

2人で話しながら歩いていると、いつの間にか靴箱にたどり着いた。

さすがにここから一緒に行くのは恥ずかしいのでコソコソっと由比ヶ浜の視界から消えることにした。

 

 

「あれっ?ヒッキーは?」

 

 

どこかで由比ヶ浜の声が聞こえた気もするが、とりあえず俺は歩き出した。

 

 

何も考えずに階段を登る。

俺が何も考えないのは、この後沢山俺が考えるから。

それを俺は知っている。

 

いつも通り、俺のクラスに着いた。

…訂正。俺の言葉は間違っている。

俺のクラスではない。

そして、担任のクラスでもない。

 

ここは葉山隼人とその他のクラスだ。

絶対的で、閉塞的。

誰も彼もがそれを知っていて、それを認めている。

 

相変わらず、窓際で絶対的な王様として君臨してる。

周りには3バカを侍らせ、隣には女王の三浦。

その女王にも見た目派手な海老名さんと今はいないが由比ヶ浜と。

 

お前ら、それ課金したのかよってくらい豪華で煌びやかなメンツだ。

でも、それがきっと葉山隼人に求められている役目なんだろう。

 

人はどこかで必ず非日常を求める。

 

夜空に消えゆく花火に心打たれるのも。

悪役を倒すヒーローに憧れるのも。

 

それらが手の届かないモノだと知っているから。

心のどこかでそれらのモノを信じきれていないから。

 

だから、人々はそれに熱狂する。

自分は絶対に近づけないから憧れる。

 

 

女子は葉山に花火を重ねる。

イケメンで運動できて成績良くて家は金持ちで、優しい。

理想の男子だ。

でも、自分はそれを触れないし近づけもしない。

それはまるで夜空に燦然と輝く花を見つめるように。

だから、葉山隼人をムヤミヤタラに求め続けてる。

 

 

男子は葉山にヒーローを重ねる。

ウチの学校の男子は殆どが口先だけで嫉妬や怨念を口にする。

でも、所詮口先だけ。

実際は自分もああなりたいと。

心のどこかで思ってる。

それは、オハナシの中のヒーローに自分を重ねるように。

だから、葉山隼人に熱狂する。

 

 

葉山隼人という非日常を求めているから。

 

 

ーーーーーー

 

 

 

帰りのHRも終わり、後は部活に行くのみとなった。

そういえば、雪ノ下は自分の姉ちゃんが実家を出たことを知っているのだろうか。

 

もし、知っていたとしても俺と一緒に住んでることまでは知らないのだろう。

つーか、知られていたら俺は雪ノ下に張り倒される気がする。

なんだかんだ、あいつは陽乃さんを尊敬してるからな。

 

俺と陽乃さんが同棲してるなんて知った日には、罵詈雑言のマシンガンと絶対零度にも似た眼差しでこちらを睨みつけてくるんだろうな。

 

…絶対、そんな日を訪れさせてはいけない。

 

そんな覚悟にも似た、悲壮な決意をしていると、葉山が爽やかな笑顔を浮かべながらこっちに近づいてきているのが見えた。

 

一応俺の席の向こう側には戸部と大岡がいるので俺に用はないだろう。

…ホント俺って、自意識の塊。

 

「ヒキタニくん」

「……え?」

 

思わず声のした方向を確認。

そこにはいつも以上の爽やかスマイルを浮かべた葉山の姿がある。

 

葉山という王様の登場にクラスの注目が一気に俺の方に集まる。

なにしやがる。

こちとら底辺カーストだぞ。

と、勝手に葉山に敵意むき出しにしていると、柔らかな声で葉山は尋ねてきた。

 

「ちょっといいかな?」

「…おう」

「ありがとう。突然だけどヒキタニくん。最近陽乃さんとはどうだい?」

「は?」

 

唐突に投げかけられた問い。

どうと聞かれても。

 

あ。朝、キスをしなかったからちょっと拗ねたぞ。

 

「ははは。突然言われても困るよな。じゃあ、この写真を見てくれ」

「なんだよ…」

 

葉山はポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきで操作してから画面を俺に差し出してくる。

どうやらメール画面のようだ。

写真じゃないじゃん。

 

パッと見ると文面には、

『♡♡♡なかよし♡♡♡』

とアタマが悪そうな文章が書かれている。

 

「どうしたんだよ。わざわざ見せるものでもねぇだろ。コレ」

「違うんだ」

「何がだよ」

 

葉山は無言で文末にヒョロヒョロっとついたURLを示してくる。

その葉山の意思通りにそれを俺は軽くタップする。

 

3秒ほど遅れて表示された画面。

表示された画面を見て俺は驚愕した。

 

「…え。え!?な、なんだよこれ!?」

「…」

「え、は?なんで…」

「聞きたいのはこっちの方だよ」

「いや、俺も聞きたいんだが…」

「なんで、君が陽乃さんと添い寝してるんだ!そしてなんでそれを俺に送ってくるんだ!」

「知らねえよ!」

 

そう、写真の中の登場人物は2人いる。

まず、ばっちり目を閉じて熟睡している俺。

そこまではいい。

 

2人目はその俺の首に手を回して添い寝している陽乃さん。

添い寝はまだ分かる。

だってお互いの了承のもとに添い寝したのだから。

 

問題は、なぜその光景を自撮りし、それを葉山に送りつけたのか、だ。

2人の関係は秘密じゃなかったっけ?

 

「君は陽乃さんの何なんだ?」

「…本人から聞いてくれ」

「そうやって、逃げるのかい?」

「煽られたって言わないものは言わねえよ」

「そうか…」

「ちなみにコレはいつ送られてきたんだよ」

「朝のHRが始まる直前に突然送られてきた」

「…」

 

朝、からかいすぎたのが原因か。

しばらく忘れていたが、あの人は負けっぱなしは絶対しない人だった。

必ずどこかでやり返してくる。

 

「おっと、長話しすぎたよ。じゃあ、俺は部活行ってくる」

「おう…」

 

葉山の背中を完全に見送った後、俺はノロノロと自分の席から立ち上がる。

気づくと、教室の人影はまばらになっていた。

残っているのは、話をしている女子数名と顔を突き合わせて猥談をしている男子たちだけだ。

 

 

教室の中で語る妄想はホドホドにしておけよ。

女子がガン見しているぞ。

 

 

心の中で名前もよく知らない男子にエールを送りながら、俺も教室を後にした。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「遅い」

 

ドアを開けた刹那、文句を放たれた。

ナゼか、奉仕部部長雪ノ下雪乃は不機嫌のようだ。

 

「比企谷くん、今日は話があるわ。だからそっちに座って」

 

爽やかな笑顔を浮かべながら、いつもは依頼人が座るハズの席を指さされる。

なに。今度は俺のことを部員だと認めない新手のイジメですか?

 

「な、なんで?」

「いいから」

「ヒッキー、早くしなよ」

「なぁ。なんで2人とも不機嫌なんだよ」

 

突如口を開いた由比ヶ浜の声色も何かに怒ってるかのような色だった。

今日の部室には有無を言わさない空気が蔓延している。

 

「いいから。早くしなさい」

「分かったよ…」

 

これ以上抵抗するのも時間のムダなので、渋々その席に座る。

と、ここで1つ気付く。

椅子が並んで2つ設置してあるのだ。

 

「なんで椅子が2つあんだ?」

「じきに分かるわ。だからもう少し待ってて」

「ヒッキー、逃げちゃダメだからね」

「逃げねぇよ」

 

だって怖いもん。

今日の雪ノ下と由比ヶ浜。

 

 

5分ほど経った。

以前状況は変わらないままである。

雪ノ下は目を閉じて。

由比ヶ浜は俯いている。

 

すると、突然。

固まり始めた空気を切り裂くかのように、鋭利なノック音がした。

 

「どうぞ」

 

雪ノ下がそう言うと、由比ヶ浜は顔を上げる。

それは、ドアの向こうの人物を知ってるかのような行動だった。

ドアは、勢いよく開かれた。

 

「ひゃっはろ〜」

 

俺は思わず目を疑ってしまう。

もっとも、想像しなかった人物が現れる。

それだけで、驚きだ。

しかし、俺以外の奉仕部メンバーは表情を変えずに座っている。

 

「姉さん、比企谷くんの隣に座って」

「はいはーい。お姉さん、比企谷くんの隣は嬉しいな。ね!八幡!」

「え!?」

 

突如の名前呼びに動揺。

俺の向かい側の由比ヶ浜は、ポツリと呟く。

 

「名前呼び…か」

 

 

「それで?何の用?私もそんな暇じゃないんだよ。用件があるなら手短にね」

「とぼけないで」

 

そう雪ノ下が冷たく言い放つと、ある画面を見せてきた。

それはさっき俺が葉山に見せられた写真。

雪ノ下にも送ってたのか。

 

「陽乃さん…これはどういうことですか!」

 

由比ヶ浜が突然、自分の携帯を握り締めて立ち上がる。

その目元は若干潤んでいた。

由比ヶ浜も見たのか。

 

「何って、一緒に寝ただけよ」

「それが問題なんでしょう。姉さんは何を考えているの?こんな犯罪者予備軍みたいな男と一緒に寝て。襲われても知らないわよ。それとももう襲われたのかしら?」

 

雪ノ下は早口でまくし立てる。

よく見ると、雪ノ下の目元も赤くなっている。

 

「ふーん、私は別に八幡になら襲われても良いけどね」

「それと姉さんはなんで彼のことを下の名前で呼んでいるのかしら。彼には立派なヒキガエルという名前があるのだからそっちで呼んでくれないかしら」

「私の勝手でしょ?あとね雪乃ちゃん」

「何かしら」

「泣きたいのなら泣きなさい」

「ど、どういうことかしら」

「ガハマちゃんもだよ」

「…」

 

陽乃さんは深く息を吸い込んだ。

その動作は武士が刀を振り上げる姿にソックリで。

何かに、引導を渡そうとしている。

俺はそう感じた。

 

「もう、わかっているんでしょう。心のどこかでもう知っているんでしょう。でも、それを認められないんでしょう。だから、泣きなさい」

「な、なにを…なにを言ってるのかしら…」

「ゆきのん…ゆきのん!」

 

由比ヶ浜が雪ノ下に抱き付く。

雪ノ下は驚いてはいたものの、抵抗は全くしない。

 

「私、私ね。分かっちゃったの。私たちは遅すぎたんだって。立場に甘えすぎちゃったんだって」

「でも、でも…」

「ダメなの。もう願ったって手に入らないの。欲しいものは、大体1つしかないの」

「ゆいがはま…さん」

「だからね、受入れようよ。応援しようよ。祝福しようよ。それで…それでね」

 

俺は目を見張った。

凛として咲いていた由比ヶ浜。

それが突然、言葉を詰まらせて大粒の雫をこぼし始めた。

すると、今度は雪ノ下から由比ヶ浜を抱きしめた。

 

「大丈夫よ。由比ヶ浜さん。私がいるわ。あなたの全てを受け止めてあげるから、ちゃんと言いなさい。言葉にしなさい」

「それで…」

「ええ」

「それでね…」

「落ち着いて。大丈夫よ」

「…ゴメン、ゴメンね…諦めようって言おうと思ったけど、言えないや。絶対に言えない」

 

由比ヶ浜はそう強く言い切ると、雪ノ下の肩に顔を預け、なきじゃくり始めた。

 

「きっと、私もよ…」

 

その独白の意味は、きっと由比ヶ浜にしか分からないのだろう。

雪ノ下も、静かに涙した。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「ごめんなさい…みっともないところを見せて」

 

30分後、泣き止んだ2人は憑き物が落ちたような凛々しい顔をしていた。

きっと、進めたのだろう。

 

あの2人の涙の意味はわかる。

さすがにそこまで馬鹿じゃないし、鈍感でもない。

ましてや、自意識過剰で勘違いしやすい男のコならすぐに分かる。

 

雪ノ下と、由比ヶ浜。

素敵な2人だ。

だからこそ、きっと。

いつか、幸せになれるはずだ。

今日流した涙が、幸せを育てる雨になったはずだ。

 

「もう、私とゆきのんは大丈夫です。だから、陽乃さん。私たちに引導を渡してください…」

 

全員の頭に電気が走ったような衝撃が訪れる。

まさか…。

 

「由比ヶ浜…」

「ヒッキー。私たち、覚悟を決めたよ」

「お前が、引導なんて言葉を知ってるなんて…」

「そこ!?そこなの!?」

「ごめんガハマちゃん。私もびっくりした」

「陽乃さん!?」

「……ごめんなさい」

「ゆきのんまでぇ!?ヒドイよ!」

「あはは、ゴメンゴメン。気を取り直して、いくよ?」

 

2人は黙って頷く。

陽乃さんは、ゆっくりとその唇を動かし始める。

 

 

「私は、八幡と。結婚することにしたの」

 

 

世界が動く。

2人は、笑顔で泣いていた。

 

「おめでとう…ホントにおめでとう」

「おめでとうございます!」

「ありがとう」

「…ありがとな」

 

強いと思っていた女のコたちの慟哭。

それは中々に心に刺さるモノがある。

 

「比企谷くん」

「なんだ?」

「好きだったわ。好きになっていたわ。コレだけは、知っておいて欲しいから」

「…」

「もうどれだけ星に願おうと、届かないものだとわかったから。それでも、永遠に私のこの言葉だけは忘れないで」

「分かった」

 

雪ノ下は、もう泣いてはいなかった。

ただ、泡沫のような笑みを浮かべていた。

それがなんだか、美しいなぁと思う。

 

「ヒッキー!」

「なんだ?」

「私も、ずっと好きだったの。サブレを助けてもらったあの日から。クッキーを食べてくれたあの日から。一緒にハニトーを食べに行く約束をしたあの日から」

「…」

「だからね。忘れないで。あの日に起こったことを絶対に覚えていて。ワガママだけどね、それぐらい許してね」

「おう」

 

俺は、窓の外を眺める。

すっかり陽の落ちてきた世界は、すでに温かみを失ったような印象を受ける。

セピア色で出来ている、そんなイメージ。

 

だけど、この中は。

ひたすらにあったかくて、パステルカラーで出来ている。

少なくとも、俺はそう信じている。

 

 

1日の終わりが近づいてきている。

俺は今日、何を手にできただろうか。

 

始まりがあったのなら、終わりもその隣にいる。

そして、終わりがあったのなら、近くに始まりだって転がっている。

 

 

それでも、俺と陽乃さんは終わらない。

そう思うのは傲慢で、酷く独善的だけど、絶対に終わらない。

 

始まっているけど終わらない。

そして、終わらせない。

 

世界の定説なんて捻じ曲げてやる。

俺と陽乃さんをそんなくだらない常識が引き裂くのなら、そんな常識なんて無視してやる。

 

 

1日は終わるけど、俺と陽乃さんは終わらない。

そう思うのは矛盾しているだろうか。

 

俺はそうは思わない。

俺が、それを信じて願っているから。

 

そしてこの俺の気持ちは、10年後だって、50年後だって変わらない。

 

 

1日の始まりと終わりは全て、陽乃さんから。


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