お姉さんの愛し方。   作:とととー腑

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ダブルベッドの日常に。

日常が変わる瞬間というのは、どういう時なのだろうか。

俺が思うに、ターニングポイントを乗り越えた先に変化していく。

 

具体的に置き換えてみよう。

 

俺の住む場所が変わる。

大きく日常が変化していく。

これも、ターニングポイントを乗り越えたからだろう。

 

思い返せばそのターニングポイントは、陽乃さんが家に挨拶に来た時だろう。

その時のクズ親父の一言のせいで俺は家を追い出されることになった。

 

俺は目を閉じて、今日の朝に起きた出来事をフラッシュバックさせた。

 

 

ーーーーーー

 

 

バタバタと階下で走り回る音がする。

誰だよ。小町か?

 

うるせぇな。と思いつつ、俺はもう一回瞼を閉じる。

ドアがドンドン叩かれてる事については知らないフリをする。

 

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!お・き・ろ!」

「んー」

「起きて!」

「ヤダ」

 

俺がそう言い捨てると、ノックの音はピタリと止んだ。

あきらめたのか?俺の勝ちだな。

と、内心勝ち誇っていると、腹にドンと衝撃がきた。

 

「ぐえっ」

 

思わず変な声が体の底から出る。

おいおい。朝から殺す気かよ。

 

さすがに観念して目を開けると、そこには満面の笑みを浮かべた小町がいた。

 

「おっはよー。お兄ちゃん」

「おう。流石に起こし方が乱暴じゃないか?」

 

暴力だ暴力。

文句を垂れると、予想通り小町はイヤそうな顔をした。

 

「だって、お兄ちゃん起きないじゃん」

「あん?何が悲しくて土曜の朝から早起きしなきゃいけないんだよ」

 

さっき目に入った時計はぴったり7時を指していた。

わぁい。健康な生活。

とも思ったが、睡眠時間はたったの3時間なのでやっぱり不健康だった。

 

今日はバッチリ昼過ぎまで寝る予定だったのに。

 

「え?お兄ちゃん知らないの?」

「だから、何が」

「むー。ま、いっか!」

「は?」

「ほら。起きて!着替えて!顔洗って!ご飯食べて!」

「お、おう。そんな一度に言わなくても」

「9時までに全てを遂行すること!いい?」

「はい…」

 

その俺の言葉を受け、満足そうに小町は俺の部屋を去って行った。

なんだあの有無を言わせない感じ。

 

俺の扱いに対して文句があるが、逆らうと怖い。

大人しく小町の言葉通りに動くことにした。

 

っても、着替えるって何?

部屋着じゃダメってこと?

しょうがない。もう一度、あの恐怖の妹を召喚しよう。

 

「小町ー」

 

ダダダダと階段を異常なスピードで上がる音がする。

おいおい。踏み外してコケるぞ。

20秒ほどディレイを置いて、ドアがガチャリと開かれた。

 

「なに!言っとくけどね!小町今めっちゃ忙しいの!」

「あぁ、それは悪いな。それでも聞きたいことがあってな」

「なに?」

「着替えるって、何?」

 

そんな俺の言葉を受けて、小町は本気の呆れ顔。

いや、説明が足りないのそっちじゃん。

 

「着替えるって行為のことを忘れちゃったの?小町はお兄ちゃんの行く末が本気で心配だよ……」

 

とかなんとか言って、ヨヨヨと泣き崩れるマネ。

おい、そういう事を聞いてんじゃねえよ。

早とちりしすぎ。

 

「いや、違うぞ。部屋着に着替えていいの?こと」

「あぁ。ナルホド。察しがいいね」

 

なんて言って、ドヤ顔サムズアップ。

今日の妹のテンションはおかしい。

 

「はいはい」

「適当だなぁ。で?何着ればいいんだよ」

 

俺がそう聞くより前に、もう小町は俺のタンスから服を漁った。

 

「んー。ホントに種類が少ない。閉店前の魚屋さんみたい」

「指摘がピンポイントだな」

「前も言ったけどね。スーツ」

「…あぁ。すまんが頼めるか?」

「まぁね。引き受けたしね。なんとかして見せるよ」

「助かる」

 

確かに今後陽乃さんと過ごすなら、いいスーツの1着や2着必要になってくる。

 

極端な例だが、よもや陽乃さんのお母さんの前で、『I♡千葉』Tシャツを着るわけにもいかない。

 

格式の高い家には、格式の高い服しか合わないのだ。

 

「はい。これ」

「お、おう」

「お兄ちゃんの手持ちの中で、一番マシな組み合わせ。ホント、センスの欠片もないんだから!」

「それはどうしようもできないな」

「はぁ……。陽乃さんなら治してくれるかなぁ」

「どうだろうな」

「…あ、こんなことしてる時間ないんだよ!ほら、準備準備!」

 

準備って言われても、こちらは何をするのか知らないんだが。

なに?有名人でも来るのん?

 

視線でその旨を伝えるが、小町はクルッと振り向いて部屋を出て行く。

なんて冷たい妹なんだ。

 

とりあえず、時間がないのは確からしいので急いで小町セットに着替える。

前々から思っていたが、小町のセンスは中々だと思う。

 

や。贔屓目じゃないぞ?

純粋にそう思う。

 

 

着替え終わった俺は、とりあえず1階に降りる。

顔を洗ってからリビングに入ると、違和感を目にした。

 

「親父?母さん?」

 

久々に見た。この人たち。

まぁ、俺に違和感て言われるくらいだからな…。

 

今日は土曜日。

いつもなら社畜ライフをレッツエンジョイしてるか、爆睡してるかの2択なんだが。

 

「おう」

「おはよう」

 

前者が親父で後者が母さん。

相も変わらず冷たいですね。

まぁ、慣れっこだけど。

 

テーブルに目を向けると、キチンと俺の飯も用意されていた。

大体俺は休日は昼まで寝てるので、朝は用意されないことが常なんだが。

 

今日は色々イレギュラーなことが起こる。

 

大人しく俺は食卓について、タダ飯を食らうことにした。

タダ飯って最高の響きだなぁ。

 

パクパクモグモグと無言で白米を咀嚼していると、何となく思考が活性化していく。

 

やっぱり、陽乃さんのことを考えてしまう。

この1ヶ月で、陽乃さんとの距離はとても縮まった。

というか、もう距離的には隣に居るようなもんだ。

 

情けない告白を俺からして、それを了承してもらって。

 

突然結婚のお誘いをされて、それを了承して。

 

雪ノ下家にまで行って、ご挨拶までして。

 

なんだかんだ、陽乃さんとずっと居た。

前までは怖い人だと思っていた。

あ。いや、ちょっと訂正。

 

今もちょっと怖いなって思う。

それでも、美人だし、何でもできるし、俺の事を好きでいてくれてるし。

 

結婚相手に求める理想を固めて作ったみたいな感じかなぁ。

いや、それも違うな。

 

俺は別に理想を求めて結婚したわけじゃない。

あの人なら養ってくれそう。なんて不埒な考えを抱いてたわけじゃない。

 

俺は雪ノ下陽乃を好きになった。

で、その好きになった人がたまたま理想の塊だっただけだ。

 

 

ただ、それだけ。

なんだか、陽乃さんに会いたくなってきた。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

飯を食い終わった後、小町の指令を全部こなして、指示待ち状態でいるとリビングで待機しておけとの思し召が。

 

その言葉通り、ただボーッと座ってる。

時折時計を見ているが、全く針は進まない。

先ほど小町が9時とか言ってたので、大体後20分ぐらいか。

 

って、本当に比企谷家に何が起こっているというのだ。

小町は朝から働き。

母さんは何故かメイクをし。

親父はスーツに着替え。

 

おいおい。そんな大層なことが待ってるのか?

俺だけいつも通りで何も知らないんだけど。

 

俺だけハブるとか小学校時代を思い出してしまうから是非やめていただきたい。

 

いつの間にか、親父、小町、最後に母さんの順番でリビングに集まってきた。

 

なになに。本当に何が起こるの?

なんで俺だけ知らされてないの?

どうせ小町のイタズラだろうが。

 

「おい、小町」

「なに?お兄ちゃん。今、若干緊張してるから話しかけないでよ」

 

なにに対してだよ。

 

「これから何が起こるの?知っておきたいんだが」

「えー。良いじゃん。大丈夫だよ」

「んな適当な…」

 

周りの緊張感から、そんな適当で済ましてはいけないような気がするが…。

諦めるしかない。

 

「あ、お父さん」

「なんだ?」

「お兄ちゃんにスーツ買ってあげてよ。これから必要になってくるでしょ?」

「あ、あぁ。そうだな。おい、八幡。今度一緒に行くぞ」

「あ、おう」

 

小町に甘すぎだろ。

親父、一言で陥落してるし。

 

これが俺なら相手にもされないこと請け合い。

ほんとに、冷たい。

 

と、俺が脳内で家族の在り方に本気で考えていると、突如玄関のチャイムが鳴った。

 

急に身を硬くする小町。

え。なに?予測済みの来客なんですか?

 

俺以外が無言で立ち上がって玄関に向かったせいで俺は完全に置いてかれた。

仕方なく、俺も遅れて玄関に向かう。

 

 

「おはようございます。雪ノ下陽乃と申します」

「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

玄関にて怒涛の挨拶合戦が繰り広げられていた。

あまりのかしこまり具合に若干辟易とするが、その中の言葉を思い返す。

 

雪ノ下陽乃。

 

え?

その言葉が持つ意味に気付いて、俺はもう一度玄関に目を向ける。

 

そこにはやっぱり陽乃さんがいた。

 

軽くパニックになる俺。

完全に予想していなかった事だ。

 

「まぁ、立ち話も何ですし。どうぞ、おあがりください」

「お邪魔します」

「つまらない家ですが」

「いえいえ。そんなことないですよ。八幡さんもいらっしゃることですし」

「…雪ノ下さん」

「はい?何でしょうか」

「家のクソ息子が何かやらかしませんでした?ご迷惑をお掛けしていたのなら、全力で謝らせていただきます」

 

おいコラ。クソ親父。

その一言であっさり現実に引き戻される。

 

その聞き方ってなくない?

 

とも思ったが、親父は割と本気だったようで、秒で土下座も辞さない構えになっていた。

 

「いえいえ、八幡さんには良くしてもらってます」

「そうですか……。良かった…」

 

親父が安心したように言うと、こっちに向かってみんなが歩いてきた。

なんだこの俺の疎外感は。

 

「ほら、お兄ちゃん。行くよ?」

「分かってるよ」

「あ、やっぱダメ」

「は?何でだよ」

「お兄ちゃんは、」

 

小町は一旦言葉を止めると、俺のことを押してきた。

 

なんだよ。

ちょっとバランス崩して転びそうになったじゃん。

 

「陽乃さんの隣だよ」

「あ、そう…」

 

なるほど。そういうことね。

俺は大人しく陽乃さんの横に立った。

なんだか、照れ臭い。

 

「八幡」

「あ、はい」

「おはよう」

「…おはようございます」

「あは。ちょっと不機嫌だね」

「当然です。陽乃さんが来ることを陽乃さんが来てから知ったんですから」

 

絶対、今日の主役って陽乃さんと俺でしょ。

その主役が知らないって、おかしいと思う。

 

「あはは。情報統制だね」

「大体、来るならなんで陽乃さんも教えてくれないんですか。少しぐらい教えてくれたっていいじゃないですか」

「サプライズだよ。サプライズ」

「…はぁ。確かにビックリしましたけどね…」

 

朝から疲れるなあ。

で、今日は何しに来たんだ。

少し分かってるような自分がちょっとだけ憎い。

 

「で?今日は何を」

「ちょっとー。分かってて聞いてるよね」

「まぁ。何となくですけどね」

「婚前のご挨拶ってヤツだよ」

「やっぱり」

「やっぱりって何?ホント、可愛くないんだから」

「可愛いとかどうでもいいです」

「ふふふ。そっか。ほら、行こっか」

「あ、はい」

 

結構長々話してしまった。

 

これから、本格的に陽乃さんを紹介するのか。

何だか、不思議な朝だ。

 

家族に陽乃さんを紹介するのはほんの少し緊張するかと思っていたが、予想以上に緊張していない自分にビックリ。

 

 

リビングに2人して入ると、もう既に小町たちは準備を終わらせて待機していた。

俺たちはその向かいに並んで座る。

 

「雪ノ下さん。今日は何の用でいらしたんですか?」

 

なんて白々しい聞き方。

みんな若干ニヤついてるし。

俺が恥ずかしいからやめて。

 

「単刀直入に申し上げます。八幡さんとの結婚を許していただきたいです」

「それは大丈夫ですけど」

 

あっさりし過ぎだろ。

ちょっと?息子の人生のターニングポイントなんだよ?

せめてもうちょっと深く考えるとかしないの?

 

お願いした陽乃さんも呆気にとられてるし。

 

「でも、1つだけいいでしょうか」

「何でしょうか」

 

さすが陽乃さん。

すぐに表情を切り替える。

 

そのキリリした表情もステキだな。

なんて、この中で一番適当なのは俺だな。

 

「何故、息子なんでしょうか」

「それは、どういうことでしょうか」

「数ある男の中でなぜ八幡が選ばれたのか。ということです」

 

なんて失礼なことを聞くんだ。

聞き方によっては陽乃さんに見る目がないって言ってるようにも聞こえる。

考えすぎ?

 

「それは、八幡さんが私を見てて下さったからです」

「おお。素敵な理由ですね」

「あはは。少々照れますね」

 

陽乃さんは赤くなった頬をポリポリ。

俺もちょっと痒くなってきた。

 

「それで、いつから結婚生活をスタートされるんでしょうか」

 

ん?

何を聞いてるんだ?

 

「ど、どういう事でしょうか?」

「いつ、同棲生活を始めるのか。という事です」

 

は?同棲?

何言ってんの、このクソ親父。

 

俺は助けを求めるように、陽乃さんを見る

しかし、陽乃さんは満面の笑みを浮かべていた。

 

「つまり、八幡さんと一緒に住むことを許可してくれた。という解釈でよろしいですよね」

「えぇ。もちろんです」

 

ちょっと?話がだんだん変な方向に向かってない?

唯一の味方が、遠くに行ってしまった。

 

「そして、私も既に実家を出ることを母に了承してもらったんですよね。部屋も既に押さえてあります」

「おぉ。つまり」

「えぇ。合鍵は2つです」

 

そんな確認のようなやり取りを終えると、陽乃さんは俺に向き直った。

 

「その、この鍵。受け取ってもらえますか?」

「え、あの」

「受け取って、もらえますか?」

 

顔を上げるとニコニコの陽乃さんの笑顔。

横を見ると小町をはじめとする、家族のにやけ顏。

 

味方はいないのか。

 

 

俺は黙って、陽乃さんが鍵を握っている手ごと握り返す。

俺だってやられっぱなしじゃない。

 

「はい。一緒に住みましょう」

 

横からはおおっ!と歓声が上がる。

 

「やった!お兄ちゃん!見直したよ」

「今日は赤飯ね」

「やっと小町と2人きり…」

 

最後の不穏な呟きは無視する事にする。

もしかしたら、全員グルだったのかもしれない。

 

はぁ。とため息1つ。

でも、楽しみだ。

 

「早速、行こっか?」

「はい?」

「さっき言ったじゃん。もう部屋は押さえてあるって」

「いやいや、家具とかは?」

「あぁ。もう設置済み。あと足りないのは八幡だけかな」

 

誰が上手いことを言えと。

横からは再び歓声が上がる。

ギャラリーがうるさいな。

 

「じゃ、1時間待ってもらっていいですか?持ってきたいものは当然あるので」

「分かった。あの、少々ここに居させていただきのですが、よろしいでしょうか?」

「あぁ。どうぞどうぞ。大歓迎です」

「お義姉ちゃん!小町の部屋いこ!」

「おぉ。お義姉ちゃんか。いいね小町ちゃん。いや、妹ちゃんかな?」

「きゃーっ!」

 

いや、コミュ力高いな。

お前。

 

中々の中の良さを見せる2人を尻目に、俺は一旦自分の部屋に戻る。

 

 

俺の日常は、いい意味で瓦解した。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

あぁ。思い出した。

全てはあのクソ親父のせいだったんだな。

 

俺はとりあえず、閉じておいた目を開ける。

荷物の準備をしなければ。

あんま沢山は持ってけないが。

 

俺は近くに放ってあった旅行カバンを引っ張り出し、物を詰める事にした。

 

本と、金と、勉強道具と、服か。

適当に手に取った順番に詰めていく。

 

服は小町に酷評されたのであんまり持って行きたくないが。

 

 

ちょっと出てきた汗を手で拭う。

全部、詰め終わった。

 

1時間もかからなかったな。

10分で終わったわ。

 

俺は立ち上がって、自らの部屋を見渡してみる。

なんだかんだこの部屋とも、少しばかりのお別れなのかもしれない。

そう思うと、少々寂しくなった。

 

あのシングルベッドは、いつまでもそこにあるのだろう。

そして、またあのベッドで寝たくなる日が来るのだろう。

それまで、少しばかりのお別れだ。

 

 

とりあえず俺は陽乃さんに準備が終わった旨を伝えるために、小町の部屋に向かった。

 

小町の部屋のドアの前に立つと、なんだか中から楽しげな声が聞こえる。

楽しげな時間を邪魔するのはなんだか心苦しいが、思い切ってドアを数回ノックした。

 

「どうぞー」

 

そう言われたので、お言葉に甘えてドアを開ける。

 

「あ、お兄ちゃん。準備終わったの?」

「おう、バッチリだ」

「それじゃ八幡、行こっか?」

「…そうですね。行きましょう」

 

やっぱ、楽しみだ。

好きな人と一緒に住むことが、どれだけ心地よいか。

 

それを考えるだけで、もはや心地よい。

 

分担も決めなきゃな。

そう思うと、さらにワクワクしてきた。

 

 

陽乃さんと、俺が。

一歩ずつ、一緒に歩くことを愛していこう。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「え?ここですか?」

「うん。ここ。イヤ?」

「そんなこと言ったらバチが当たりますよ」

 

陽乃さんが運転する車に乗ってきて、着いた場所は、超高層タワーマンションである。

確かここ、アホみたいに高かった記憶が。

階層も、値段も。

 

あと、陽乃さんが免許を持ってることにも驚き。

自分で運転しないタイプだと思っていた。

また1つ、陽乃さんを知れた。

 

「あはは。実はお母さんに無理言って、ここの一番いい部屋を貰ってきたんだ。あ、勿論家賃は私たちが払うわよ?いつまでも親のスネをかじってる訳にはいかないから」

「その殊勝な心がけは素晴らしいと思いますが…」

「が?」

「貰ってきたってどういうことですか!?」

 

スケールが違った。

貰ったって。

どういうことなの。

 

「あぁ。このマンションは雪ノ下建設が建てたモノなの。そして無理言って最上階の部屋貰ってきちゃった」

 

舌を出してテヘッ。なんて。

メチャクチャ似合ってるからタチが悪い。

 

「あの、絶対家賃高いと思うんですが。払えるんですか?」

「大丈夫。大丈夫。私も一応給料貰ってるし。八幡にもバイトしてもらうから」

「え?マジすか?」

「うん。会社の仕事を覚える大事なバイトだよ。頑張ってね。時給は高いから」

 

それならまぁ。

というか、働かないと。

なんて陽乃さんを前にしたら急に労働意欲が湧き上がってきた。

 

俺にとって陽乃さんは最高の飴なのかもしれない。

無論、ムチは仕事。

 

「それじゃ、入ろっか」

「え、えぇ」

「ふふふ。そんな緊張しないで。これからはキミの家なんだよ」

「そうですね」

 

陽乃さんはエントランスに入ると、勝手知ったる様子でエレベーターを開ける。

遅れて俺もそれについていく。

 

陽乃さんは俺がエレベーターに乗り込んだのを確認すると、一番大きい数字が書かれたボタンを押し込んだ。

 

うへぇ。

高級マンションの最上階なんて、一生縁がないと思っていたのに。

 

エレベーターは結構なスピードで登っていく。

1分ほどして、ドアがに開いた。

 

「着いたよ」

「あ、はい」

「ふふふ。まだ緊張してるし」

「いや、さすがに収まりませんよ」

「あ、こっちだよ」

 

陽乃さんが先導してくれるので、俺は大人しくそれに倣う。

 

無機質なドアの前に着いた。

陽乃さんは鍵を使ってドアを開ける。

いよいよ、部屋と対面だ。

 

「お邪魔します」

「あ!お邪魔しますじゃないでしょ!」

 

着いて早々、怒られてしまった。

そうだった。

こういうことには厳しい人だった。

 

「た、ただいま?」

「なんで疑問系なの……。ま、いいや。おかえり」

「あ、なんかいいですね。こういうの」

「でっしょ?私がこだわるのも分かるでしょ?」

「えぇ」

 

あったかい気持ちになった。

笑顔の陽乃さんが、俺の帰りを出迎えてくれる。

それだけで、毎日元気に生きられる。

 

俺はいつの前にか用意されていたスリッパを履いて、廊下を歩く。

そして、リビングに続けであろうドアを開ける。

 

「うわぁ。広い。そして、景色がキレイだ…」

「私とどっちがキレイ?」

「…定番ですけど、ベクトルが違うのでなんとも」

「むー。煮え切らないなぁ」

 

口調はなんとも不機嫌そうだが、やっぱり陽乃さんも嬉しそう。

隠しきれてないですよ。

 

「あ、案内してもらえますか?」

「わかった。着いてきて」

 

 

案内されて、気づいたことがある。

この部屋、相当広い。

 

部屋数がとても多い。

風呂場がデカイ。

1つの部屋の面積が広い。

 

これは、そうとういい部屋を陽乃さんはぶんどってきたな。

と、心の中で苦笑する。

 

「そして、最後はここが寝室です!」

「あれ?2人してここで寝るんですか?」

「夫婦なんだから当然だよ!」

「そういうもんですか」

「そういうもんなんです!」

 

とりあえず、俺はドアを開ける。

そこには、ダブルベッドが一個。

 

ちょっと待て。

 

「陽乃さん」

「何?」

「なんで、ダブルベッド一個だけなんですか!こんなに広いのに」

「え?なんでってキミとくっ付いて寝たかったから」

「理由ですけど、理由になってないです!」

「矛盾してるよー」

 

この部屋はやけに殺風景。

まぁ、荷物がまだ少ないというのもあるのだろうが。

 

「まだ、恥ずかしいですよ…」

「そんな文句言わないでよ。私だって…ちょっとは恥ずかしいんだからね」

「じゃあ」

「それでも、八幡の隣で寝たかったの!」

 

はぁ。

もういいですよ。

本当に乙女です。陽乃さんは。

 

「分かりましたよ。これで寝ます」

「ホント!?良かったぁ」

 

今日一番の笑顔を見せる陽乃さん。

まぁ、そんなに喜んでくれるなら、こっちも嬉しいですよ。

 

 

これからは、これが日常になっていくんだ。多分。

 

1日をこのベッドで迎え、1日をこのベットで終わらせる。

きっと、そんな毎日。

 

 

そして、隣には陽乃さんがいる。

 

 

やっぱり、恥ずかしいが。

そんな日常を心待ちにする自分がいる。

 

いや、もう始まっているのか。

 

ここはもう2人だけの空間。

言うなれば、2人で描くアート。

きっと、素晴らしい作品が作れる。

 

 

シングルベッドの日常は終わったんだ。

これからは、違う。

 

 

 

ダブルベッドの日常が、ここにはある。


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