お姉さんの愛し方。   作:とととー腑

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ホンネはいつも曲がり角に。

あの日から1週間が経った。

とりあえず、恋人として成立している。

不安になることはあるが。

 

付き合い始めて、差を感じることが増えた。

それは俺も感じることもあるが、ほとんどは周りが感じていることだ。

 

確かに釣り合わない。

それは重々承知の上だ。

でもそれを分かった上で陽乃さんを好きになった。

陽乃さんと付き合った。

 

周りを気にしてはいけない。

そう頭の中で思っていても、気になるものは気になるのだ。

 

そもそも、陽乃さんに迷惑がかかっていると思う。

街で歩いていてジロジロ見られたことも一度ではない。

 

『弱味、握られてるのかな?』

 

なんて声が鼓膜を揺らしたこともある。

そんな無遠慮な行為があると、俺としては俯くしかない。

 

痛みには慣れていたはずだった。

1人でいることも、嘲笑われることも。

 

むしろそんな自分を誇っていた。

群れている奴らを冷めた目で見て。

嘲笑う奴らを鼻で笑って。

 

でも、いつからだろうか。

1人でいることが嫌になって。

陽乃さんと一緒にいる時に嘲られるのが無性に腹が立つようになったのも。

 

 

まぁ、要するに。

俺は陽乃さんの隣に居たいのだ。

 

ーーーーーー

 

「八幡!」

「こんにちは、陽乃さん」

「んー、キミの彼女でしょ?もうちょっとフランクに挨拶ぐらいできないの?」

「ムリですね」

「即答……」

「でも、そんな俺は俺じゃないでしょ?」

「……ま。そうかな」

「ですよね」

 

ただいま平日の午後5時。

学校帰りにそのまま落ち合った。

奉仕部は理由をつけてサボってきた。

…サボるたびに理由を問い詰められて、2人になじられるが。

 

ちなみに陽乃さんとの関係はまだ2人には言っていない。

これは陽乃さんが下した判断だ。

よく分からないが、俺としては従うしかない。

 

「んー、今日はどうする?」

「俺もどっちでも良いですよ」

「じゃ、適当に歩こっか」

「それにしましょう」

 

そう言って俺は無言で陽乃さんの手を触る。

いつも顔が赤くなる。

……お互いに。

そんな俺の顔を見た陽乃さんがうふふと怪しく微笑む。

 

ーーあなたもですよ。

 

なんて言ったら、照れ隠しの攻撃が襲ってくるので、自重する。

 

……恥ずかしいんでこっち見ないでください。

 

2人でテクテク歩きながら談笑する。

なんとなく、カップルには見えなさそうだ。

すると、突然陽乃さんが声を上げた。

 

「あっ!」

「ん?なんすか?」

「服」

「服?」

「この前選んでくれるって言ったじゃん!あの後も結局選んでもらってない!」

「あぁ…ありましたね」

 

完璧に忘れていた。

あの日は他のことのインパクトが強すぎたからな…。

告白した後もしばらくコーヒーショップにいて、そのまま帰ったからな。

 

「善は急げだよ、カレシくん!ほら行くよー!」

「ちょっ、ちょっと!」

 

強引に俺の手を引いていく。

無邪気だなぁ。

仮面はどうした?と言いたいぐらいだが。

そこは俺の前だと素でいられる。と都合よく解釈しておこう。

 

ーーーーーー

 

「とうちゃく!」

「やっとですね…。ここはいつも来るんですか?」

「んー、まぁたまにかな」

 

中を見ると金を持ってそうなセレブが跋扈していた。

ええ。制服でくる場所じゃないでしょ。

ココ。

 

陽乃さんは俺になんのフォローもせずに当たり前のように入っていく。

俺も遅れるともっと浮いてしまうので、陽乃さんの彼氏だということを周りに主張するように手を強く握りながらついて行く。

 

「いらっしゃいませー!…あ!陽乃!」

「やっほー!ちゃんと働いているか?」

「働いてるわ!」

 

えっ。

なにこの会話。

おい。陽乃さん!

あなた絶対たまに来てるんじゃないでしょ。

いつも来ている常連客でしょ!

 

目でその旨を伝えるが、少しこっちを見て微笑んだだけで、また談笑を始めた。

 

「今日は何か見に来たの?」

「んー、まぁそうかな」

「で。そちらの彼は?」

「あー、この子ね」

 

陽乃さんに年下扱いされる。

当たり前のことだが、決して逆転しない年の差が妙に歯痒い。

 

「なんと、私のカレシくんです!」

「えー。冗談だよね?」

「ホントホント」

「んー、似合わないね」

「そうかなぁ。私にはピッタリの子だと思うんだけどなぁ」

 

……ま。店員のいうことも間違っていない。

なに一つ間違っていないのだ。

でも、俺の気持ちも考えてほしい。

店員から見た俺は、気味が悪くて、目が死んでて。

そして何より、俺のことを知らない。

 

だから陽乃さんと付き合ってるということが冗談になるし、似合わないという感想になるのだ。

それはアタリマエのこと。

 

でも俺は。

陽乃さんが好きなんだ。

そして、陽乃さんにそれを伝えて、認めてもらった。

彼氏になったんだ。

 

叫び出したいしたい衝動に駆られたが、仲よさ気な2人の談笑を邪魔する気にはなれず、口を噤んだ。

 

することもなく、陽乃さんたちの談笑も聞き飽きた俺は何気なく店内を見渡す。

 

 

…んだよ。文句あんのかよ。

他の客が全員俺をジロジロ見ていた。

しかも、俺がそっちを向くと目をそらすオマケつき。

 

ダメだ。ダメだ。キレては。

キレたら今後陽乃さんも来づらくなってしまう。

陽乃さんはここを懇意にしてるっぽい。

 

大丈夫だろ?

だって俺は痛みに慣れているのだから。

こんな視線、以前なら平気だっただろ。

だから落ち着け。

 

と、自分に言い聞かす。

 

でも、喉に何かが詰まった感覚がある。

なんどもホンネが胸を往来する。

言いたい。叫びたい。

陽乃さんが困るぐらいの愛を吐き出したい。

嘲る視線を向ける奴らに、言葉の中指を立てたい。

 

そんなホンネが体を循環する。

赤血球にホンネが結びついたんじゃないかってぐらいに、身体中が言葉で満たされる。

 

サケビたい。

 

 

「ん、八幡?どうしたの、難しい顔して」

「……え?あ、そんな顔してました?」

「してたしてた。超してたよ」

「マジすか」

「じゃ、そろそろ選んでくれる?」

「あぁ。まぁそのために来たんですからね」

 

と、陽乃さんは店員に向き直る。

 

「ごめん、そろそろ行くね」

「あ、わかった。こっちもゴメンね?こんなに引き止めちゃって。ごゆっくりどうぞー」

「はーい」

 

陽乃さんは振り返って歩き出したので、俺は一応店員に会釈してそれに倣う。

 

 

少しすると、陽乃さんが小声で謝ってきた。

 

「ゴメンね。あの子、悪気はないんだ。許してやってくれないかな?」

「大丈夫ですよ。もう慣れました」

「そう。ならよかった」

 

ホッと安堵してため息をこぼす陽乃さん。

あの店員とはどんな関係なんだろう。

ちょっと気になった。

 

「あの店員さんとは友達なんですか?」

「うん。大学のね。ここでバイトやってんだ。あの子」

「だいぶ、仲よさそうだったですね」

「あの子はいい子だよ…」

 

と、しみじみこぼす。

陽乃さんが優しい表情を見せる。

そんな表情を向けられる人が陽乃さんにいたことに安心する。

 

でも……そんな人だからこそ。

彼氏として認められたかった。

陽乃さんの友達には認めてほしかった。

 

言葉は強い。

だからこそ、オブラートに包めるし、1発の弾にもなり得るのだ。

 

多分、俺は無遠慮な言葉の銃弾で撃ち抜かれたのだろう。

心がえぐられる。

言葉にはできないホンネが、血の代わりに溢れ出していく。

 

俺はそれを隠すように苦く笑った。

陽乃さんが困った顔で見ていた。

 

「じゃあ八幡、選んでね!」

「いやいや、無茶ぶりすぎでしょ。せめて選択肢をくださいよ」

「ええー。じゃあ服の好みのジャンルを教えてよ。漠然としすぎてて、分からないよ」

 

ちょっとだけ、恥ずかしい。

よもやこんな場所で自分の好みというかフェチズムを暴露することになるとは。

 

「……そ系です」

「ん?」

「清楚系です!」

「なるほど。ムッツリなカレシくんは純情だねぇ…。選んでくるからちょっと待っててね」

「ハイ…」

 

パタパタと嬉しそうに服を選ぶ陽乃さん。

たまに年上のお姉さんに見えない時がある。

今なんてまさにそうだ。

 

でも、いっつも思い知らされてばかりだ。

3つの年月の差はとてつもなく大きくて。

どんなに手を伸ばしても、どんなに努力を重ねようとその差は覆らない。

 

その差が。

1095日以上の差が。

 

どんなに辛いのかを、陽乃さんは知らない。

店員は知らない。

彼も知らない。

彼女も知らない。

 

 

俺だけが、知っている。

 

ーーーーーー

 

やや時間はかかったが、陽乃さんが戻ってきた。

手に3着ほどの服を抱えて。

 

「やぁやぁ、ちょっと時間かかっちゃった。ゴメンね」

「大丈夫ですよ。見せてくれますか?」

「はい、どうぞ」

 

陽乃さんの手から1着服を受け取る。

淡い青色のカーディガンだった。

その色はまるで泡沫のようだった。

触れてしまったら消えてしまいそうな、不思議な感じ。

その微妙な色合いに、センスを感じる。

 

「あと、これとこれね」

「あ、はい」

 

若干、苦しみながらもなんとか2着とも受け取る。

 

1つは白のブラウス。

シンプルだからこそ感じられる作りの丁寧さが、この店の品位を押し上げている。

 

もう1つはボルドーのカーディガンだった。

またカーディガンかよ。

とも思ったが、VネックとUネックの差があったので、おとなしく黙り込む。

 

「どうかな…?」

「一つに選ぶのが難しいほど、良いものを選んできてくれましたね」

 

困るなぁ。

全部陽乃さんに似合いそうで、全部着てもらいたい。

 

でもやっぱり、一つに決めなきゃダメだ。

……これかな。

 

「これで」

 

そう言って胸の前で掲げる。

淡い青色のカーディガンを。

 

「ほう。コレですか」

「もうすぐ夏が近づいてくるので使いやすいかなと思いまして。ほら、夏っぽいし、俺も喜ぶしで一石二鳥ってやつですよ」

 

あとこれを着ている陽乃さんが見たくて。

と、口内だけで呟いてみる。

 

「ふーん。その発言は夏まで付き合いが続いていること前提の発言だね?」

「あ…」

 

うふふと陽乃さんが微笑む。

待って。

 

別れたいってこと?

からかってるんだよな?

わからない。

ホントに言葉は掴めない。

俺をすり抜けて、届きそうで届かない。

 

「大丈夫だよ。別れる気なんて一切ないからね」

「あ、そうなんすか….」

 

心の底から安堵する。

良かった……。

 

「ちょっとからかってみたくなっただけだよ。私はキミしか見えてないから安心してね?」

「それはそれでどうかと思いますが…」

 

恋は盲目とはよく言ったものだ。

ホントに見えなくなるから困る。

特に、何考えてんのか。

ホンネはどこにあるのか。

 

いつだって人の気持ちなんてわからない。

だから諦めていた。

気持ちを理解することを。

すれ違ったらそれまで。

誤解されたら解くことはしない。

 

でも、始めて理解して理解されたいって思った。

すれ違ったら振り返って、誤解されたら必死にそれを解く。

それがきっと、恋心っていうものだろう。

 

「むー。ちょっとふざけただけじゃん。からかわなくても良いじゃん!」

 

ブーブーと文句を言ってくる陽乃さん。

そんな姿に内心ほっこりしたものを感じながらうまく話題をそらす。

 

「試着は良いんですか?」

「大丈夫でしょ。だっていつも着ている店のだし」

「そうですよね。それじゃ、買ってきます」

「うん。お願い…ってちょっと」

「ん?」

「私が払うよ」

「なんでですか?」

「なんでって…」

「俺は陽乃さんのカレシなんですよ。これぐらい買えます」

 

いくら高校生のガキでも、年下でも彼女に対してこれぐらいはできる。

意地だ。

 

「え、でもここ高いよ?」

「それを言われると弱いですが…最近臨時収入あったんで大丈夫です」

 

主にスカラシップでの錬金術によって。

まぁ、今日はたまたま多めに持ってきてるから大丈夫だろう。

 

「でも、でもな…」

 

もうしつこいので無視してとっととレジに並ぶ。

 

ありがと…って聞こえた気がしたが、気のせいだろう。

ただ、悪い気はしなかった。

 

「いらっしゃいませー、あ、カレシくんだね?」

「あ、こんにちは」

「うふふ、陽乃へのプレゼント?」

「そうですね」

「お金足りるの?」

 

どんだけ俺は金を持ってなさそうに見えるんだ。

この短時間で計2人に心配される。

 

「多分ですね。まぁ足りなかったなら陽乃さんを呼び出します」

「足りることを願ってるね…」

「それで良いと思います」

「はい。じゃあ、これ一点ね」

 

カーディガンを手に持つと何やらレジをいじりだす店員。

 

「はい。約7000円ね」

「……ふぅ」

「あ、足りたのね」

「ハイ…なんとか」

 

心の底から安堵しながら、財布から7000円を引っ張り出す。

お札の消えてしまった財布はなんだか寒々しかった。

 

「はい、お買い上げありがとうございました!」

「ありがとうございます」

「ねぇ…」

「ん?」

 

商品を持って行こうとした瞬間に店員に呼び止められる。

なんだろう。

そんな思いを一文字に込めて返答した。

 

「陽乃のことだけどさ」

「はい」

「最近ね、よく笑うようになったの」

「はぁ…」

「分かってないね。君と付き合い始めてからよく笑うようになったんだ」

「…」

「だからね、陽乃は幸せなんだろうなって。だから、彼氏の君はね」

「…」

「迷っちゃダメなんだよ!周りを気にしすぎちゃダメなんだよ!」

「あ…」

 

その一言がガツーンと心を揺さぶる。

そうかな、そうかもな。

ただ、脳裏によぎる光景があるのもまた事実なのだ。

こっちを見てくる視線。

嘲る顔。

 

分からない。

 

「だからね、大切にしてね。陽乃の彼氏は、君なんだからね」

「…分かりました」

「うん。それでよし!それじゃ、愛しの彼女のところに戻ってあげな」

「はい!」

 

手を振ってくる店員にお辞儀しながらその場を離れる。

陽乃さんのところに戻ると、なんだか微妙な表情をしていた。

 

「はるの…さん?」

「遅い」

「あ、すいません」

「で?あの子となにイチャイチャ話してんの?」

「いや、別にそんなつもりは」

「はい?」

「スミマセン…」

「あはは、ウソウソ。ほんとはすっごく感謝してるんだよ。服を買ってくれて」

「あ、服持ってますね」

「…ありがと」

「いえいえ、それじゃとりあえず出ますか?」

「そうだね」

 

俺たちは店のドアをくぐって外に出る。

もちろん手を重ねることを忘れない。

 

「どこ行く?」

「とりあえず歩いて決めませんか?」

「いいね。採用」

「採用もなにも、いつも通りのスタンスですよ」

「新鮮な気持ちを忘れちゃダメなんだぞ」

「はぁ…そんなもんすか」

 

ひたすらにくだらない事を喋りながら、真っ直ぐ歩く。

すると、後ろから他の車とは明らかに違う、重厚なエンジン音が聞こえてきた。

 

後ろを振り返ってみると、いつぞや俺を引いたあの車だった。

もう、あの事にどうこう言うつもりはない。

整理もついた。

でも、何故ここに。

 

「陽乃さん」

「なに?」

「あれって…」

「ん?……あ」

 

陽乃さんが珍しく焦ったような声を上げる。

やっぱり、家族の誰かが乗っているのだろうか。

 

俺は陽乃さんの回答を得る前に、自ら答えを得た。

車が俺たちの横で止まったのだ。

窓がゆっくりと下がっていく。

 

「陽乃」

「あ、あはは。お母さん、どうしてここに?」

「会議の帰りだったのよ。そしたらあなた達を見つけたから」

 

ちらりと俺を見てくる。

陽乃さんのお母さんに会うのはこれが初めてじゃない。

 

ただ、陽乃さんと一緒にいる時に出会ったのは初めてだ。

まぁ、最近付き合い始めたんだから当たり前か。

 

正直、冷や汗をかいている。

なにを言われるのか。

そして、俺と陽乃さんの関係を認めてくれるのか。

 

「で、陽乃」

「はい」

「そちらの彼はどなた?」

「あ、えっと…比企谷八幡くんって言うんだ」

「なるほど。関係は?」

 

その声で、陽乃さんの体がキュッと縮こまる。

 

「あ、えっと…その」

「彼氏です。陽乃さんの」

 

たまらず口を出してしまった。

陽乃さんのお母さんはじっと俺を見つめてくる。

 

「…つまり、あなたと陽乃はお付き合いをしていると」

「ええ。そうですね」

 

陽乃さんはさっきから俯きっぱなしだ。

体も少し震えている。

多分、見えない結果が怖いんだろう。

 

「ふむ…。私はいいと思いますよ」

「えっ!?」

 

陽乃さんが驚いて顔をばっと上げる。

無理もない。

別れさせられるものとでも思っていたのだろう。

俺も頭に一瞬よぎった。

 

「最近、陽乃が笑顔なんです」

「というと?」

「昔はあんまり家では笑わない子だったのに、最近はずっとニコニコしているんです」

 

さっき店員に言われた事を思い出す。

 

「そうなんですか?」

「ええ。それでどうしたのかしらと思っていたら、たった今比企谷さんのおかげなんだということに気付きました」

 

陽乃さんが顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。

耳まで赤いので隠しきれてないが。

 

「陽乃を変えてくれた。それだけで陽乃には相応しいじゃないですか」

「俺は変えれました…かね?」

 

そこについては自信が全くない。

 

「ええ。陽乃は変わりましたよ。あなたが気付いていないだけで、親からするとだいぶ違うんです」

「そうなんですね…」

 

良かった。

俺の身体中がそう叫んでいる。

これからは陽乃さんのお母さん公認なわけだ。

 

「でも、これだけは言わせてください」

「はい?なんでしょうか」

「周りは、あなた達を快く受け止められないかもしれない。釣り合わないと糾弾するかもしれない。それだけは心に留めておいてください」

「…」

「分かりましたか?」

「…はい」

「それじゃ、また会いましょう。今度はゆっくりお茶でもしながらね」

 

そう陽乃のお母さんは言い残すと、車で走り去って行った。

結局、嬉しさと安心に浸る余韻すらなかった。

改めて言われると、ショックが大きい。

 

分かっていた。

と思っているだけで、分かっていなかったのかもしれない。

 

いつの間にか、陽乃さんも重い表情になっていた。

 

「陽乃さん…」

「とりあえず、良かったね。別れずに済んだよ」

 

ただ、その声に喜びはない。

あるのは重い声だけだ。

 

陽乃さんに問うても意味はない。

そう思いながらも、問わずにはいられなかった。

 

「陽乃さん…。俺はどうやったらあなたにふさわしいって言われますか。どうなればあなたの隣に居れるんですか…」

「…」

「あなたの隣に座ってるだけじゃ…カップルに見えないんですか?」

「…そんなことない」

「でも、実際そうじゃないですか!」

「っ!」

「あ、ごめんなさい…」

 

陽乃さんに当たったらダメだ。

陽乃さんはなにも悪くない。

ただ、誰が悪い?

 

心が暗雲で覆われていく。

雨が降り注ぐ。

きっと、次に降るのは静かな雷だろう。

 

「陽乃さんは俺と付き合ってて良いんでしょうか…」

 

ポツリと降った小さな雷。

それは付き合った頃からずっと心に住み着いていたホンネだった。

それはいつしか、大きい雷になる。

 

「そもそも、俺は陽乃さんを好きでいて良いんでしょうか…」

 

 

パチン。

 

乾いた音が俺の頬を震わせる。

次に襲ってきたのは痛みだった。

陽乃さんと付き合ってきて、初めて受けた身体的な痛み。

これは、陽乃さんのホンネだった。

 

「なんで?なんでそんなこと言うのさ!」

 

目にたっぷり涙を浮かべながら、コッチの目を見据えてくる。

それは俺と陽乃さんのホンネが初めてぶつかり合った証拠だった。

 

「なんで分かってくれないの?私の気持ちを考えたことがあるの?好きって向けられた気持ちから逃げないでよ!俺のことを好きなんだなって思うことは…別に自意識過剰でも傲慢でもなんでもないんだよ…」

 

一滴、二滴と陽乃さんの足元を心の雨が黒く染め上げていく。

 

ああ、俺はなんてバカなんだろう。

今更自覚した。

大事な女の人を泣かせるなんて。

 

ただ俺は逃げていただけだった。

釣り合わないとか周りが指を差してくるとか、原因を求めていただけだった。

 

自信が無かったことを必死に隠していただけだった。

 

もう一度言う。

俺はなんてバカなんだろう。

 

「もう、そんなこと言わせないし思わせない…」

 

そう短く陽乃さんが呟くと、ギュッと俺に抱きついてきた。

一気に変わった景色と匂いが俺の視界を白黒させる。

 

「私だけを見ててよ!私を離さないでよ!私はここにいるから、八幡はどっか行かないで!八幡も…ここにいてよ」

 

切なげな声で、少し触れたら崩れてしまうような気がした。

 

「…分かりました。もう離しません。陽乃さんが悲しむことはしません」

「…うん。それで良し」

「ひとつ、約束します」

「うん?」

「俺は、陽乃さんに見合う男に絶対になりますから、待っててください」

「…うん、分かったよ。絶対だね?おばあちゃんになっても待っているから」

「はい!」

 

えへへと陽乃さんが微笑む。

それは迷いを捨てた清々しい顔だった。

多分、陽乃さんも迷っていたんだろう。悩んでいたんだろう。

 

俺たちの在り方に。

 

その答えは今日、見つかった。

 

 

「もう、お試し期間は終わったよ」

「ん?」

「お互いのホンネをぶつけ合った上でまだ付き合うんだからね。お試しはさっきまでだよ」

「あ、そうだったんですね」

「今日からはもう契約開始だからね」

「……契約期間は?」

 

そう俺が聞くと、待ってましたと言わんばかりの笑顔を浮かべて、口を開いた。

 

 

「一生…だよ?」

 

 

ーーいつも、ホンネって奴は胸の奥の曲がり角で潜んでいるが。

好きな人のホンネなら、見つけ出してそれさえも愛したい。

 

 

そう、確信した。


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