お姉さんの愛し方。   作:とととー腑

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俺が見つけたあなたを。

 

「さぁ、コーヒー飲みに行くよ!」

「…………は?」

 

あまりの唐突さと勢いに、俺は思わず目をパチクリ。

陽乃さんの瞳を覗いてみると、そこは既に期待で濡れていた。

 

 

先日のプロポーズも過去の事のように過ぎ、季節は巡っている。

もう、冬の足音はそばにあって、幾分か冷え込んできた。

 

しかし、目の前にいる女性。

これだけは、特別だ。

 

……仮にも結婚相手にこれと呼ぶ俺もどうかと思うのだが、そんな俺以上にすごいのが陽乃さん。

名の通り、陽のように明るい人だ。

 

たまに、眩しすぎて目を逸らしそうになる。

でも逸らさなかったから、今の自分たちの関係があるのだと、ちょっぴり誇らしかったり。

 

まぁ、とにかく。

普段から何考えてんだか分からない人だが、今日は一段と良く分からない。

脈絡がなさすぎる。

 

なんだよ、コーヒー飲みに行くよ!って。

 

「だから、コーヒー」

「突然ですね」

「でしょ。だって、私がさっき思いついた事だからね」

 

ちょっと誇らしげに語ってる。

それにしたって、コーヒー?

あんまり進んで飲むイメージはない。

 

「あ、そうなんですか……」

「ちょっと、なんでそんなため息混じりなの?」

 

俺が誇張気味に返事をすると、陽乃さんは少しだけ不満顔。

目を細めて、どこか遠くを眺めるみたいに、俺を睨んでくる。

 

「呆れました」

「ちょっと、なんでそんな正直なの?」

「じゃあ、なんでもありません」

「ちょっと、なんでそんな隠そうとするの?」

「ちょっと?」

 

思わず、右肩上がりの返答を返す。

陽乃さんはこんなやり取りが面白いのか、くつくつと笑っている。

 

そんな姿を見て、俺も思わずクスッと笑いを漏らしてしまう。

どうやら、2人の空間という甘い空気に当てられているようだ。

 

「ね、八幡、行こうよ」

「別に良いですけど……どこに行こうとしてるんですか?」

「よくぞ聞いてくれました!」

「……」

「ちょ、ちょっと!黙らないでよ……照れちゃうでしょ」

 

ボフッと音がしそうなくらい、朱くなった陽乃さん。

俺としては、そろそろ満足なのだが、面白いので表面上は真顔でいることにした。

 

「ね、ねぇ?ちょっと?」

「……」

「うー、…………ばか」

 

最後は上目遣い気味に、ジト目を向けてくる。

刹那、心臓ごと握られた感覚がして、景色がスローモーになる。

 

「っ……で、何でしたっけ?コーヒーショップ?」

「何回その話題に戻るのさ」

「確かに」

「一番最初のコーヒーショップ。って言えばわかるかな?はるのんちゃんが大好きな八幡先輩なら」

「懐かしいですね、それ」

 

2人でクスッと笑いあう。

はるのんちゃんって、語呂が良すぎるから言いたくなるのは分かる。

 

「で、どう?」

 

どこか残酷に、それでいて寂しげにもう一度確認してくる陽乃さん。

瞳はちょっとだけ曇り模様。

 

俺はそんな曇りを吹き飛ばしたくて、できるだけ爽やかかつ笑顔で頷いてみせた。

 

「良かった」

「そんなですか?」

「うん……」

 

ふっと息を一つ吐いた陽乃さん。

すると、空気が一気に弛緩してきたように感じる。

これぐらいが、ちょうど良い。

 

「じゃあ、すぐ行きましょうか。時間も無くなっちゃうことですし」

「おろ?八幡にしては積極的だね?どうしたの」

 

ニヨニヨと下卑た笑いを持って、俺に近づいてくる。

確かに、俺にしてはかなり積極的に進言したと思う。

 

でも、したい理由はちゃんとあって。

その気持ちに基づいて行動したまでだ。

 

「俺も……行きたかったですから」

「……!……ふふっ。そっか」

「えぇ、そうなんです」

「なら仕方ないね」

「はい。仕方ないんです」

 

一気に、陽乃さんの笑顔が華やぐ。

それは、とても言葉では言い表せないぐらいに魅力的で。

 

再び、恋に落ちるには、十分すぎる笑顔だった。

 

「ん?どうしたの、顔を朱くして」

「な、何でもありません!ほ、ほら準備しちゃいましょう!」

「えー。まぁ良いけど」

 

俺たちが行こうとしているコーヒーショップ。

そこは俺たちにとって、大切な場所で。

ずっと抱きしめていたい素敵な場所で。

 

それでいて、何だか行くのが怖かった場所。

 

理由はわかってる。

あの日、気づいた想いを今も持てているか。

そう思うと、怖くてたまらなかった。

 

でも、もう大丈夫。

 

 

だから安心して行こう。

再び、コーヒーを飲もう。

 

そうだなぁ。

今は十分甘いから、ブラックでも良いかもしれない。

 

そんな未来予想図に胸を膨らませながら。

俺は、いつものスニーカーに足を突っ込む。

 

 

出会いと想いが突然やってきた、コーヒーショップに行くために。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

あなたの横で歩くと、そこはすぐだった。

 

どこか古めかしい木目調のドアも、決して華やかではない外装も、それでいて駅前に面していて客足は途絶えない歪さも。

 

全部、あの日のまま。

 

すーっと、胸が膨らむ思いがしてた。

どこまでも飛んでいけそうな高揚感がこの胸を独占し始めた。

 

思わず、ギュッと拳を握ってしまう。

 

「行こっか」

「そうですね」

 

短い、2人の会話。

今なら、それが何よりも愛しい。

 

カランコロンと、変わらぬドアベルの音が耳を撫でた。

すぐさまウエイターさんが飛んでくる。

陽乃さんが笑顔でピースサインを作ると、「お好きなところにどうぞ」とにこやかに言われた。

 

俺たちは窓側の手頃な席に、向かい合わせに座った。

窓の外から広がる世界がやけに懐かしい。

 

俺がポヤーっと、窓ガラスを見つめてると、陽乃さんはクスッと笑った。

 

「また、そうしてるの?」

「あ……。そうですね」

 

また。

 

たった2文字。

それだけなのに、たった2文字なのに。

 

また。

 

陽乃さんがそう、口にした瞬間から。

胸の動悸が治まらない。

 

「八幡は窓が恋人なの?」

「それ、自分は辛くないんすか?」

「うっ……」

「え、マジで?」

「うぅ……」

 

そんな悔しそうに睨まれても、俺は知りませんよ。

勝手に自滅する陽乃さんが悪いんです。

 

「まさか、そこまで重病だとは思ってませんでした」

「うぅ……恥ずかしい……」

「窓に嫉妬しますかー」

「…………」

 

やば、楽しい。

俺の言葉のたびに朱くなる陽乃さんとか超楽しい。

 

「ばか」

「ん?」

「ばーか!」

「はいはい」

 

いつものパターン。

たまに俺が揚げ足とって陽乃さんを煽り倒すと、決まってこうやって罵倒してくる。

……可愛いから、かなりのご褒美なのだけど。

 

「むーっ。ちょっと調子に乗って!」

 

見ると、陽乃さんはふくれっ面。

顔の両サイドがぷくーっと膨らんでいる。

 

「まぁ、陽乃さんが婚約者って時点で、調子に乗る権利は有してると思います」

「え。誰目線」

「俺目線」

 

陽乃さんはポヤーっと、斜め上の方に顔を向ける。

どうしたのかなーと思い、ずっと見ていると、突然思い出したかのようにこっちを見つめてきた。

 

「どうしたの、突然!?」

「えっ」

「そんなこと言うなんて、八幡が。熱でもあるの?」

 

ピトッと、俺の額に手を当ててくる陽乃さん。

そんな無邪気な行為にドキドキ。

 

って、何だよ、さっきの陽乃さんの言葉。

倒置法で意外さを強調すんなよ。

傷ついちゃうだろ。

 

「俺でも、言う時は言うんですよ」

「ふーん。それが八幡のホンネなの?」

 

楽しげに目を細めて笑う陽乃さん。

まだ、覚えていたのか。

 

「……懐かしいっすね」

「こら。誤魔化さないの」

「すいません」

「で、どうなの?キチンとホンネは言えるようになった?」

「今の陽乃さんとの距離感を見てもらえれば分かるかと……」

 

俺が伏し目がちに言うと、陽乃さんはぽしょりと呟く。

まるで、隙間から水が漏れ出てしまったかのように。

 

「じゃあ、ウソなの?」

「……」

 

それは違う、と、否定しようとしたけど、陽乃さんの寂しげな顔を見ると、言葉が引っ込んだ。

 

「どうなの?」

「……」

「……ねぇ」

「……です」

「ん?」

「ホンネです!あの時から、ずっと。陽乃さんには、もうホンネでしか接しないことにしてるんです!」

 

心からの叫び。

きっと、俺は慟哭している。

身体は泣いていないけど、心は泣いている。

泣き叫んでいる。

 

「……そっか」

「そうです」

「じゃあ、もう安心だ」

 

そう言って、ニコッと笑う陽乃さん。

どきりと心が跳ね上がる。

 

「ズルくないですか……そういうの」

「えー?何がー?」

 

すっと目を逸らしながら言われても説得力がない。

俺は心の中で一つ、確信を得ながらもこう言う。

 

「可愛すぎるとこがです」

「……ほんとに、今日の八幡ってばか……」

 

いつまでもやられっぱなしの俺じゃないぞ。

と、密かに笑いながら思う。

 

 

毎日、言葉を積み重ねてきた。

2人だけの言葉を積んでいった。

 

それは、きっと。

世界で俺たちしか見られない、アートなんだ。

 

あの日から、変わってきた。

変えられてはない。

自らの意志で、変わることを望んで、今ここに生きている。

 

陽乃さんの隣で笑えている。

これが、何よりの誇りだ。

 

そして、それにはキチンとした理由があって。

信念を持って、陽乃さんと向き合ったからだと思っている。

 

ホンネを曲がり角に隠さずに。

 

真正面から、陽乃さんと言葉を交わしたからだと。

俺は、思っている。

 

だから、今は。

つかの間の幸せを享受していても罰は当たらないはずだ。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「ふー、満足だった〜」

「良かったですね」

「お、八幡もそう思う?」

「えぇ」

 

陽乃さんは満足げに笑いかけてくる。

この人が手放しでモノを褒めるなんて中々珍しいことだぞ、と、目を丸くする。

 

「それにしても、遅くなったね」

 

ちらりと時計を見ると、すでに9時を回ってる。

三日月が、俺たちを照らしあげていた。

 

「そうですね。ま、陽乃さんの買い物が長かったせいですが」

「うっ。それを言われると弱いな……」

 

なんて、陽乃さんは頬をポリポリ。

月明かりに照らされて、なんだか妖しく光っている。

 

俺たちは、コーヒーショップを出た後、街をぶらつき始めた。

その結果が、今の時刻なのだが。

 

「それにしても、美味しかったね」

「まだ言いますか。まぁ、俺も同じ意見ですけど」

「でしょ」

 

俺が苦笑気味に答えると、さらに陽乃さんは勢いを増してくる。

 

買い物を終えた後、どこか手頃な店がないかと探し、入った日本食店。

そこが、かなり美味しかったのだ。

おかげで、2人とも上機嫌。

 

「あ、そろそろ、着きますよ」

「おー」

 

陽乃さんがなんだか微妙な返事を返してくれる。

あー、多分疲れてんな。

 

「もう、寝ます?」

「イヤン八幡のえっち。寝ますだなんて」

「いやいや、そういう意味は一切孕んでないです」

「は、孕む……」

 

俺は無言で、陽乃さんの頭を軽く小突く。

なんか酔ってない?この人。

別に、アルコールとか入れてないはずなのに。

 

「あははは、ごめんごめん」

「ったく、タチが悪いですよ!」

「やっぱ、キミはからかわれるのが似合ってるね」

「……今すぐ返却したいポジションなんですけど」

 

不憫すぎるポジションだ。

別にご褒美でもなんでもない。

 

なんて、軽口を叩き合いながら、エントランスに入り、そのままエレベーターに乗り込む。

 

そして、自分たちの部屋のドアに直行して、ドアを開けた。

 

2人で靴を脱いだ後、そのままリビングに行く。

電気をつけて、やっと一息。

 

「眠い」

「風呂入って、寝ましょうか」

「そうだねー。……一緒に入る?」

「そんなに妖しく言わないでください」

 

言葉上では平静を装ってみるが、内心はかなりドキドキ。

男子高校生に何言ってんすか。

 

「あはは、冗談冗談。そんな勇気はお互いにないよね」

「しれっと俺のことをヘタレ判定しないでください」

「違うの?」

「……違くはないかもしれないですけど、一応否定させてください」

「もー、何言ってんのさ」

 

陽乃さんはあきれ顔。

俺も自分で何言ってんのか分からなかった。

 

「じゃ、入ってくるね」

「はい。いってらっしゃいです」

「ふふっ。行ってきまーす」

 

にこやかに笑って、ドアをくぐって行った。

……さぁ、俺も寝る支度をしよう。

今日はなんだか、疲れた。

 

 

陽乃さんと交代で風呂に入り、上がると既に陽乃さんの姿はリビングになかった。

もう、ベッドに入ってんのかなーと、思い歯磨きを済ませる。

 

そして、ゆっくりと寝室のドアを開けると、そこにはブッスーと不満顔の陽乃さんがベットに座ってた。

女の子座りで、伸びる脚がなんだか艶かしい。

 

「遅い」

「あー、はい、すいません」

 

理不尽な。

時間指定とか別になかっただろ。

 

陽乃さんはいたく不機嫌なのか、俺の謝罪をプイッと横を見て聞き、その後無言で自分の横をポンポン叩いている。

 

「はいはい」

「ん!何その適当な返事。八幡に拒否権はないんだよ」

「すいませんね、お姫様」

「うむ。よろしい」

 

俺はよっと、陽乃さんの横に腰を下ろす。

なんだか、距離が近い。

風呂上がりのせいか、陽乃さんの頬は紅く、とても美しかった。

 

「…………」

「…………」

 

静かな空間が、流れる。

感じれるのは俺の横に人がいるということだけ。

愛する人が横にいるということだけ。

 

「…………なんか」

「ん?」

「いいね、こういうのも」

「そうですね」

 

窓が月明かりを受けて青白く光っている。

なんだか、幸せでお腹いっぱいだ。

 

「寝よっか」

「そうですね」

 

2人同時に、ベッドに潜り込む。

サラサラとしたシーツが肌に気持ちいい。

 

「ねぇ、八幡」

「なんですか?」

「好きだよ」

「……な、なんすか突然」

 

突然、放り込まれた言葉。

発言者は、布団に顔を埋めてクスクスと笑っている。

 

「なんか、言いたくなっちゃった」

「……そうですか」

「嬉しい?嬉しい?八幡嬉しいの?」

「どういう煽り方ですか」

 

陽乃さんは目元だけ出して、えへへと笑っている。

……あざとくて、ずるいですよ、そんな仕草。

ドキドキして、もうダメです。

 

「もう、バカです……陽乃さんは……」

「そっか。私、ばかか」

「えぇ、バカです」

「ふふふ、ばかかぁ」

「初めて言われました?」

「うん。ちょっと面白いかも」

「あー、あくまでちょっとなんですね」

「だってそうでしょ。冷静に考えたら、罵られただけだよ」

「あはは、そうですね」

 

だから、と、陽乃さんは口元まで出してくる。

そして、ピトッと俺の唇に立てた人差し指を当て、こう言った。

 

「八幡も、ばか」

「……ふっ、あはは、そうですね」

 

なんだかおかしくて、妙な笑いが漏れてしまう。

俺は、陽乃さんの手をぎゅっと握った。

 

だんだんと、まぶたが重くなってく。

みると、陽乃さんの眼を閉じられてきた。

 

「おやすみ、八幡」

「おやすみなさい、陽乃さん」

 

そう言って、いよいよ眼を閉じる。

 

2人のためだけのベッド。

いつまでも、支えてくれるような気がするこのベッド。

 

それは、ずっとあったかくて。

変わらない、日々があって。

とても、幸せで。

 

それは、きちんと繋がってて。

なぜなら。

 

ダブルベッドの日常がここにはあるから。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

眼を開けると、そこはやっぱりいつもの天井だった。

そんなことに安心を覚える俺がいる。

 

人の気配がしなくて、パッと横を向くと、既に陽乃さんの姿はなかった。

代わりに、遠くから料理する音が聞こえる。

どうやら、朝ご飯を作ってくれているようだ。

 

俺はムクっと起き出し、そのままペタペタと廊下を歩き出す。

冬に近づく廊下はきっと寒いはずなのに、なんだかあったかい。

 

俺はリビングへと繋がるドアを開け、そのまま入る。

もう、リビングにはソーセージの香ばしい匂いでいっぱいだ。

 

「おはようございます」

「おはよー。顔洗ってきて。ご飯もうできるから」

「ありがとです」

「いえいえー」

 

と、ひらひら手を振る陽乃さん。

仮にも料理中なのだから危なくないのか、と、勝手に心配。

 

まぁ、陽乃さんだから大丈夫だろう。

心の中で納得して、俺はまた廊下に戻り、そのまま洗面所に向かった。

 

 

顔を洗い、リビングに戻ると、陽乃さんは料理を終えており、ダイニングテーブルに料理を並べているとこだった。

 

……それぐらいは、俺にやらせても良かったのに。

と、戦力になれない自分がちょっと悔しい。

 

「ごめんなさい、全部任せちゃって」

「えー、気にしてんの?」

「まぁ……はい」

「ふーん、じゃあ、そんな八幡くんに任務を与えよう!」

 

指を立てて、妙に上官ぶる陽乃さん。

なんだろうと、次の言葉を待っていると、言の葉はすぐにやってきた。

 

「私が作った料理を、美味しく、きちんと食べること!いいね!」

 

ニッコリと笑いかけられる。

 

あぁ、もう。

ホント、この人は。

 

「分かりました」

 

優しすぎて、ちょっぴりズルい。

 

「ならば、よし」

「なんで上司風なんすか」

「だって、八幡は部下で奴隷で眷属でしょ?」

「違います」

 

ったく、からかうことしかできんのか。

部下はまだいいけど。

奴隷で眷属って、俺を下に見過ぎじゃないの?

 

「ふふふ。じゃ、食べよっか」

「そうですね」

 

お互いに笑いながら、手料理を食べる。

昨日も思ったけど、やっぱりこの家はあったかい。

 

たぶん、俺がこの先、どれだけ心を壊されたとしても。

きちんと、この家に帰ってこれたのなら、きっと大丈夫。

 

1日の始まりと終わりを陽乃さんと過ごせるということ。

 

その幸せを噛み締めながら。

陽乃さんの手料理と一緒に、飲み込んだ。

まるで、心に収納するかのように。

 

 

今日は日曜日。

休日はまだ終わらない。

さぁ、今日は何をしようか。

 

朝ご飯を食べを終わった後、俺は1人考えた。

……まぁ、俺だけで答えが導き出せるわけがなくて。

 

「今日、どうします?」

「んー、特に」

「やっぱり」

「何それ」

 

陽乃さんはクスッと微笑む。

 

ホントに何しようか。

まぁ、何もしないが正解なのか。

 

「じゃ、俺は今日部屋に篭ってます」

「何すんの?」

「課題と読書ですかね」

「ふーん」

 

えらく興味がないご様子。

……もうちょっと関心を持ってくれてもいいんじゃないですか?

 

「じゃ、私は……」

 

陽乃さんは口元にトンと人差し指を当て、考えるポーズ。

俺はできることがないので、ボーッと待機。

 

「あ、そう」

「ん?」

「八幡の部屋にある本が読みたい」

「あー、いや、言わなくたって勝手に持ってっていいですよ?」

 

だって、夫婦だし。

……なんて、流石に恥ずかしすぎて言えるわけがないので、ぽしょりと心で呟く。

 

「違うよ?」

「ん?」

「八幡の部屋で本が読みたいの」

「んん?」

「なんで分かんないかなぁ……」

 

ふっとため息をつかれる。

なんだこの、さっきから食い違っている感。

 

「だからね」

「はい」

「私、雪ノ下陽乃はね」

「はい」

「夫、雪ノ下八幡のね」

「……はい」

 

夫って言われて、ちょっと照れた自分が悔しい。

早く慣れなければ。

 

「部屋で、部屋にある本が読みたいわけ。分かる?」

「……あー!納得です」

「ふふん。どうよ、この完璧な説明」

 

完璧な説明の後に、完璧なドヤ顔を見せてくる陽乃さん。

刹那、心臓が肉食動物になって、胸筋が食いちぎられるような思いがした。

 

……反則だよ、その笑顔は。

 

「分かりやすかったです」

「どーもどーも」

 

俺の褒めに、なんだか適当な返事を返してくる。

ただ口元は綻んでいるので、嬉しくないわけでもなさそう。

 

「さて、じゃあ実行しよう!」

「うーん、まぁいいですけど」

「む。なんでそんな渋い返事なの?」

「邪魔しないんだったら良いですよ。今日の課題面倒くさいんで」

「……あぁ。フリか。もっと、わかりやすくフッてよ。芸人さん失格だよ?」

「二つの意味で違いますから」

 

真面目くさった顔でなんか考えてたから、ちょっぴり身構えたのに。

アホみたいにくだらない事だった。

 

おかげで、軽く吹き出してしまう。

 

「あはははは、ごめんごめん」

「ったく。からかうのも良い加減にしてくださいね」

「善処しまーすっと」

 

そう言いながら、陽乃さんは廊下に続くドアの方向に向かいだした。

行き先は、ほぼ確定的に俺の部屋であろう。

 

はぁ……。

と、軽くため息をつきながら。

 

こんなゆるい日曜日も悪くはないかな、と、なんだか肯定できる自分もちゃんといた。

 

 

俺が遅れて、部屋に入ると、すでに陽乃さんは本棚の前に立っていた。

見ている棚はどうやらラノベらしい。

 

「興味あるんですか?」

「うん。世の中の男性がハマる作品ってどんなもんかと思って」

「……ぶっちゃけると、拙い作品も多いですよ?」

「あー、やっぱ。なんとなく分かってたけど」

 

と、ぱちりウインク一つ。

別にそんなことをするような場面じゃないでしょ、あざといでしょ。

なんて、心の中で罵倒してみる。

 

「ま、とりあえず読んでみます」

「それが良いと思いますよ」

 

陽乃さんは、学園ラブコメ物の1巻を手にとって、座椅子にスッと座った。

 

「言っときますけど、俺は構いませんからね」

「うんうん、お構いなくー」

 

なんて、適当に言いながら、文字を目で追い始めた陽乃さん。

内心、不安でしょうがないが、あんまり疑っててもしょうがない。

 

と、切り替えて、俺はいつもの定位置に座った。

メッシュ素材のチェアが一瞬、キュッと軋む。

 

パラパラと課題のページを一旦確認してみる。

多くもなければ、少なくもないといったところか。

数学が少ないだけまだマシだ。

 

カチカチと2回、シャーペンをノックし、問題を読み始める俺。

 

今は、ペラペラとバラバラのタイミングで捲られるページの音がなんだか心地よく感じられた。

 

面倒くさいが、早く課題を終わらせたい。

その衝動が俺を突き動かす。

 

まぁ、何というか。

 

座椅子は、まだもう一個ある。

理由はよくわからないけど、事実としてこの部屋には座椅子は2個ある。

 

だから。

 

俺は陽乃さんの横で本が読みたい。

 

何気ない、想いではあるが。

きっと、何よりも美しくて大切な想いなんだろう。

 

そして、そんな幸せな日曜日を創るために。

今は、課題を頑張るだけだ。

 

と、自分に覚悟を決め、再び問題に向き合う。

今なら、どんな難問も解けるような気がした。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

体を揺すぶられるような思いと、膝に感じる、ゆるい重さが俺の睡眠から引き戻した。

 

パチっと目を開けると、視界に飛び込んできたのは陽乃さん。

なんだか、ニコォっとした胡乱な笑みを浮かべいる。

 

なんだか、直視できずに、パッと目線を外すと、窓が目に入る。

そこにあったのは、柔和な昼の陽射しではなく。

冷酷な夜の月明かりであった。

 

「……私の言いたいこと分かる?」

「……俺も言いたいことあります」

「ん」

 

顎でしゃくって、俺に回答を求めさせる陽乃さん。

なんでそんな上司ぶるん?

まぁ、いいけど。

 

「陽乃さん、なにがっつり昼寝してくれてんですか!」

「……ふぅ。私も言うよ」

「ん」

 

陽乃さんに倣って、俺も顎でしゃくってみる。

すると、途轍もなく冷たい眼差しでギロリと睨まれたので、慌てて頭を下げてみる。

 

……俺の立場、弱すぎかも。

 

「八幡、なにがっつり昼寝してんのさ!」

「……つまり、こんな状況と」

「そうだね。残念なことにね」

 

念押ししておくと、今は夜だ。

そして、今日は日曜日だ。

 

「俺たちは、日曜のグッドタイムを、昼寝という堕落に棄てたんですね……」

「なんで、ちょっと悟りを開いてんの?」

「休日を楽しむ。という俺のスタンスが睡眠によって破壊されたことによるアイデンティティクライシスが引き起こした闇です」

「うん、長い」

 

人の演説を、長いって言葉一つで流せる陽乃さんはすごいなぁと、他人事のように感嘆してしまう。

 

「でさ、八幡」

「はい」

「どうする?」

 

なんて、俺に訊いてくる陽乃さんは苦笑いを浮かべている。

もったいないことをしたんだなと、改めて実感してきた。

 

「お腹すきました」

「私も」

「……」

「……」

 

何故か、沈黙が流れる。

お互い寝起きでペースが掴めないのかも。

 

「具体的には何時なの?」

「えーっと、6時半ぐらいですね」

 

パッと、スマホの画面を表示させた俺は、そのままデジタル表示の時刻を読み上げた。

 

「うーん、食べに行く?」

「二日連続ですか」

「うん」

「じゃあ、いっぱい食べれて安いところにしましょう」

「それ、採用」

 

ニッコリ、笑いかけてくれる。

どつやら、俺の提案は陽乃さんの琴線に触れたようだ。

 

「じゃ、行く準備しますか」

「うん!10分後、玄関集合ね」

「了解です」

 

別に、同じ家だし、約束する必要がないでしょ。

と、自分自身に言いそうになるが、こういうのは雰囲気が大事なのだ。

 

陽乃さんは、スッと立ち上がると、そのまま俺の部屋を出て行った。

上品な花の残り香が俺の鼻を包む。

 

とりあえず、俺は座椅子を1つしまうことにした。

2つあっても、普段使わないから邪魔なだけ。

今日がイレギュラーなのだ。

 

タラタラ片付けながら、俺は考える。

 

なんで寝たかなぁ。

2人とも、いつのにか寝てたなぁ。

 

考えられる理由は2つ。

 

昼飯を食ったから。

眠かったから。

 

……理由がひどいな、と、自分でツッコミをいれる。

幼子のような、稚拙な欲のままに行動してるぞ、俺たち。

 

ま、別にいっか。

と、思い、それ以上深く考えることはやめておいた。

 

だって、過去なんて振り返ってちゃしょうがないし。

振り返ってたら、前が見えなくて、いつの間にか危険にさらされてるかもしれないし。

 

だから、俺は前を向いた。

 

 

夜、ということもあり、ちょっとだけ自分を大人びたコーデで包んでみた。

 

内心、かなりドキドキしていたのだが、玄関で俺の姿を見た陽乃さんは一言、「……似合ってるよ」と赤面しながら言ってくれた。

 

それで、すっかり自信をつけた俺は、意気揚々と家を出てきた。

 

「で、結局なに食べる?」

「あー、」

 

歩き始めて数分。

街に差し掛かり始めたところで、陽乃さんが苦笑交じりに確認してきた。

 

「お腹すきました」

「うん、私もだけど、それさっきも聞いた」

「俺も言ったこと覚えてました」

 

なんて、お互い目を合わせてクスクス。

あ、いけない。

また、脱線してしまった。

 

「で、そうですねー。やっぱファミレスですか」

「んー、まぁそうかな。あんまりお金を使う気もないし」

 

そう言いつつ、陽乃さんは持ち前のバッグをポンと叩く。

絶対、今月も苦しくないはずなのに、わざわざ節制してくれる。

そんな、奥さんの金銭感覚に、頭を下げそうになった。

 

「じゃ、コッチですかね」

「うん。そこらへんは八幡の方が詳しいだろうしね。案内、よろしくです」

 

ピシッと、綺麗な敬礼。

思わず、俺も反射的に返してみる。

すると、反応はまずまずだった。

 

とりあえず、俺は距離を試算してみる。

30秒後に俺の海馬が導き出した結果は、徒歩5分かかるという情報。

 

これぐらい、千葉二ストの俺には造作ないことだ。

と、内心、胸を張ってみる。

 

「5分ぐらいですかね」

「おっけ。……んー、それにしても今日は晴れてるね」

「そうですか?……おぉ、まぁ確かに」

 

夜に、晴れてるという感想を持つ人はあまり多くないと思うが、今日はそう思えた。

 

なぜなら、夜空に星々が瞬いていたから。

流石に、田舎ほど綺麗に見えやしないが、都会育ちの俺としてはコレだけでも感動ものである。

 

「冬の大三角形とか、分かります?」

「分かるよー!私をなんだと思ってるの」

「あははは、ごめんなさい」

「ったく」

 

さも、当たり前のように言われて、俺は少し冷や汗。

やべぇ、俺、しらねぇ。

 

「きゃ!あ、は、八幡!」

「ん?」

「流れ星!流れ星!流れ星が見えたよ!」

「おー、珍しい。お願いしないんですか?」

「する!……あ、もうない……」

 

事実に気づき、陽乃さんはしょんぼり。

ちょっと可哀想に見えるが、やっぱり当然のことだろう。

 

あんな一瞬に、3回も願うなんて、ほぼほぼ無理だろう。

 

「あー、残念でしたね」

「うん……」

 

なんだか、空気が重い感じに。

せっかく、いい雰囲気だったのに、と、罪のない流れ星を少し恨む。

 

「あ!」

 

あ、と、俺は気づいた。

そうだ、陽乃さん。

 

「ん?」

「陽乃さん」

「はぁ」

「ちゃんと、3回お願いできてたじゃないですか!」

 

俺が勢いよく告げると、若干引きつった笑顔で続きを促してきた。

ちょっと?冷たくない?

 

「さっき、陽乃さん、流れ星が落ちてきた時、俺に伝えてくれましたよね?」

「はぁ。そうでしたね」

 

ちょっと?なんで敬語になってるんですか?

他人じゃないですよ?

 

「その時、3回繰り返してたじゃないですか!つまり、お願いは出来たんですよ」

「おぉ、すごい」

「え」

「え」

 

ローテンション。

どうすりゃいいんだ、これ。

 

「だって、なんのお願いさ」

「……確かに」

 

納得させる側だったのに、俺が納得してる。

さすが、陽乃さん。

……この場合は、俺が馬鹿なだけだけど。

 

「……ふふっ、ふふふふ」

「えっ……。どうしたんすか」

「今度はキミが引く番なの?」

「今のは、絶対にドン引きしないといけない笑い方ですよ。なんですか、突然」

 

暫く、無言でいると、突然陽乃さんが不気味に笑い始めた。

 

夜道に唐突に笑う女性。

 

陽乃さんというフィルターを通して見ても、やっぱり不気味だ。

 

「いや、ね。私のこと励まそうとしてくれたんだなーって思ったら、嬉しくてね」

「あー、うん。気にしないでください」

「そうする。だから、キミも私の笑いを忘れてね?」

「はい」

 

冗談めかした口調だったけど、どこか本気さを感じた。

俺は一も二もなく肯定してしまう。

 

そのまま、2人は無言に。

でも、さっきと違って、あんま気まずくない。

 

唐突に始まった、陽乃さんと俺の、日曜日の夜。

そんな夜は。

 

いつまでも、夜空が抱きしめてくれる。

 

という、予感に胸を膨らませながら。

俺はゆっくりと、顔を上げる。

 

数こそ少ないものの、確実に星はそこにあって。

己の存在を示すかのように、自慢げに光っている。

 

そんな、星々を見て、俺は。

いつの間にか。

 

流れていかない一等星に、好きを希っていた。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

店内はポップな音楽と、子供の適度な笑い声と、暖かい空気に溢れていた。

 

流石、日曜日の夜。

家族連れでいっぱいだ。

 

入店と同時に近寄ってきた店員に、陽乃さんが昨日と同じようにピースサインを作ると、幸いすぐ座れるようだ。

 

そのまま、席に案内される。

 

とりあえず、座れた俺たちは、寄ってきた店員に料理の注文をして、一息つく。

身体はすっかり冷え切っていた。

 

「寒かったねぇ」

「そうですね」

 

店内があまりに心地よいもので、自然と外の悪態をついてしまう。

それぐらい、ここには微笑ましい光景がたくさんある。

 

「……可愛らしいですね」

「……え?なに、私?」

「絶対ないです」

「ぶー。冷たいなぁ」

「なんか、女児っていいですね」

「…………」

「あぁ!?ごめんなさい!完全に失言でしたから!そんなゴミを見るような目で見ないでください!」

 

やってしまった。

が、吐いた言葉は戻ってこない。

それは、人間世界で最も不便な事実なのではないか。

 

「…………このロリコン」

「分かった、分かりましたから!そんな静かに呟かないでください!」

「ん?じゃあ、叫べばいいの?『夫がロリコンだったんですけどー!』って?」

「ファミリー層で構成されてるファミレスに、どんな爆弾を投げ込もうとしてるんですか」

「テロでしょ」

 

なんてニヒルに笑ってみせる陽乃さん。

 

「ふぅ……」

「なにちょっと安心してんの。まだ私は怒ってるんだからね」

「そうですよね……って、怒ってる?陽乃さん、怒ってるんですか?」

「そうよ!」

 

たった3文字に気持ちを乗っけてくる。

なんで、怒ってんの、この人。

 

可愛らしいって言ったのも3歳児ぐらいの子だし。

3歳児と21歳で可愛さで争えばいいんだ!

 

「仮にも、年上の嫁を持ってる男なのに!なに、年下の娘を褒めてんの!将来のライバルになっちゃうでしょ……」

「えぇ……」

 

なに言ってんだ。

愛が重すぎる。

 

「まぁ、99.5パーセントぐらい嘘だけど」

「良かったぁ」

 

心から、安堵の声が絞り出される。

これが本気だったらどうしようかと思った。

 

「……なにそれ。私には愛されたくないんですかー」

「言ってない言ってない」

「むー」

「そんな恨めしい目で睨まれても……」

 

これはどうすればいいんだ。

対処法がさっぱりわからない。

 

「決めた」

「はい?」

「負けっぱなしは悔しいの」

「はぁ」

 

わざと、隠されているのか、核心にはなかなか踏み込んでこない。

ので、俺は模糊とした言葉を返すしかなかった。

 

「だから、私」

「…….」

「今から、後輩になるね」

 

はぁ?と、耳を疑う。

後輩というワードで、頭によぎったのはうちの学校の生徒会長と、だいぶ前のデートの記憶だ。

 

……あんまり、思い出したくない記憶だ。

なんたって、恥ずかしかったから。

 

「せーんぱい」

「ねぇ、やめましょうよ」

「やだ!絶対するの!」

 

なんて、プクッと両頬を膨らませる陽乃さん。

お互いの視線が交差する。

 

と、ここで料理が来たので、一旦休戦。

……さっきまでの変な会話の時に来なくてよかった……と、胸をなでおろす。

 

「さて、食べましょうか」

「そうですね!」

「ねぇ、だから!」

「ほら、そんな感じで敬語を外して!」

 

ニヤリと笑う陽乃さん。

そんな、無邪気に笑わないで。

 

思わず、了承しそうになるから。

心が支配されるから。

 

「お、おう」

「ふふん、そんな感じです」

 

……思いっきり、自己嫌悪。

嫌だとかじゃなくて、むしろ嬉しいけど。

とても、恥ずかしいから、やりたくなかった。

 

「料理、美味しいですね!」

「うん、確かに」

「なら、もっと美味しそうな顔してくださいよ」

「うっ……」

 

核心をつかれた。

いや、そんな大層なものでもないけど。

 

「ふふふ、やっぱかわいいですね」

「それ、俺に可愛いって言わせようとしてる?」

 

俺が言うと、陽乃さんは猛烈に目を逸らした。

バレバレだよ、と、内心勝ち誇ってみせる。

 

「じゃあ、せんぱい」

「ん?」

「はるのんちゃんのこと、可愛いって言ってください」

「…………」

「な、なんですかその、蔑むような瞳は。え、いや、ほんとに」

「いや、開き直ってきたなぁと思って」

「欲望には基本的に忠実なんですよ」

「ほう」

 

なんだろう。

やっぱり、陽乃さんが後輩とか考えたら、突き抜けるようなむず痒さがある。

 

違和感ゆえなのかもしれないけど、すっごいゾワッとする。

 

「じゃ、じゃあ。言うぞ?」

「はい」

「……ふー」

「はい、ストップ」

「おい」

 

言おうとしたら、なんだか遮られてしまった。

せっかく、覚悟を決めたのに。

 

「なんでそんなに、溜めてくるんですか」

「いや、だって緊張するし」

「……ヘタレせんぱい」

「……悪かったな」

「でも、だからです」

「ん?」

 

がっちり、目を合わせられる。

それは、もう、離さないという意思表示のように感じられた。

 

「ヘタレだからこそ、好きなのかもしれません」

 

キュと、時間だけが止まったかと思った。

 

多分、これは陽乃さんの心からの言葉。

もしかしたら、後輩というポジションに擬態したから言えたのかもしれない。

 

やっぱり、言えないことってある。

タイミングや、立ち位置や、運とか。

様々なことが絡み合ってる。

 

陽乃さんは、ずっとこの事実を伝えたかったのではないか。

 

……やばい、ちょっと顔が熱い。

とりあえず、なにか言わないと。

 

「……そうか」

「はい!そうですよ!」

 

いつもと違うから、言えないことってある。

でも、それは言い換えれて。

 

いつもと違うから、言えることってある。

 

言いたいことを言えないのは、辛いことだ。

自分の気持ちを伝えられないのは、とても歯痒いことだ。

 

だから、まぁ。

 

たまには距離感を変えてみること。

 

それも、大切なことなのかもしれない。

……たまには、なら、いいかもしれない。

 

あくまで、たまにはだ。

だから、当分はしない。

と、心に誓って、陽乃さんを見た。

 

浮かべているにこやかな笑顔。

それはきっと、ずっと俺の心を掴み続けるのだろう。

 

と、予感を脳裏に走らせながら、俺は進んでいない料理を一口ぱくついた。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

食事を終え、店を出ると、更に静謐な空気は高まっていた。

 

どこか、清廉ささえ感じられる空は、澄み切っていて、冬の訪れを知るにはちょうどいい。

 

「さて、どうします?」

「んー、まぁ、帰る?」

「んー」

 

それはやっぱりなんか嫌なのが、二人の総意。

でも、寒いってのが現実にある。

 

「分かった。ちょっとだけ、公園に行こっか」

「そうですね。ちょっとだけ……ですね」

「うん」

 

そう言い合い、足を動かし始める。

公園の位置はお互いに把握してあるので、確認する必要もない。

 

テクテクと歩く。

交わすのは何気ない会話と、視線だけ。

 

それが何よりも代え難くて。

ほんとに、大事な世界で。

ずっと、失いたくない。

 

傲慢な願いだと思うけど、いつも願ってしまう。

だって、好きだと、自覚してしまったから。

 

俺が陽乃さんを好きで。

陽乃さんが俺を好きで。

 

なんて、嬉しくて。

でも、失うことを考えるととても悲しくて。

 

いつも、いつでも矛盾した想いがこの心に巣食っている。

いつか、自意識の化け物と呼ばれたこの心が。

 

きっとそれには、名前が付いている。

矛盾した、この感情には、名が与えられている。

 

独占欲。

 

稚拙で、どこまでも幼げな感情。

でも、それにはきっと意味があって。

その意味を、今でも探している。

そして、多分これからも探し続けていく。

 

誰しもの独占欲にも、千差万別の意味があって。

そして、意味が。

その恋の、答えに繋がっていくのだろう。

 

じゃあ、それなら。

 

俺にしか触れない独占欲にも、意味があるんだ。

 

そう思えば思うほどに。

この恋の答えが知りたくなってくる。

 

まぁ、でもゆっくりと探していけばいいか。

まだまだ、終わらせる気はないし、終わるわけがないのだから。

 

 

しばらく歩くと、近所の公園に着いた。

ここが、俺たちが指す公園である。

 

「ついたねー」

「そうですね」

「座ろっか」

「えぇ」

 

陽乃さんが3つあるうちの1つ、最も俺たちに近いベンチを指差した。

俺としては断る理由がないので、思いっきり縦に頷いた。

 

しずしずと2人で、ベンチに腰掛ける。

夜の外気にさらされ続けていたベンチはいくらか冷たかったが、きっと大丈夫だ。

 

俺は勇気を出し、手を握ってみた。

 

「お?積極的だねぇ…….」

「寒いかと思って。ていうか、茶化さないでくださいよ…….」

「あはは、ごめんね」

 

繋がっている手の部分を中心に、体がじんわりとあったかい。

幸せが温度になったのなら、きっとこんな温度を幸せと呼ぶのだろう。

 

「ねぇ、八幡」

「はい」

「私、今幸せだよ」

「……ふふっ」

「ん?どうしたの?」

 

陽乃さんは訝しがるような顔。

そんな顔が、更に面白い。

 

「いや、俺も考えてましたから」

「ん?」

「俺も、今幸せだなって思ってましたから」

「ふふふ、確かにそれは面白いね」

「えぇ」

 

ゆっくりと、時が流れているような感覚がしてた。

なんだか、不思議だ。

 

「ずっと、好きだから」

「突然ですね」

「八幡はどう?」

「言わせます?」

 

陽乃さんはこくんと頷いた。

俺はちょっと呆れる。

わかってるくせに、言わせるなんて。

やっぱり、陽乃さんはちょっとイジワルだ。

 

「ずっと、す、好きですよ」

「うん、知ってたよ」

「……冷たいですね」

「だって、信じてたもん」

「あ、デレた」

 

と、言うと、脇腹を繋いでる手とは逆の手でど突かれる。

そこそこ痛い。

 

「ばか。そういう事言わないの」

「学習しました」

 

無論、痛みを持って。

完全に調教しに来てる。

 

「あー、良かったなぁ」

「何がですか?」

 

本気でわからない。

すると、陽乃さんはこっちに向き直って。

そしてこう言った。

美しい唇を、少し歪ませて。

 

「あなたと、夫婦になれて」

 

次に陽乃さんはこう言った。

大きな目をちょっぴり細めて。

 

「あなたと、恋人になれて」

 

最後に陽乃さんはこう言った。

口元を大きく綻ばせて。

 

「あなたに、出会えて」

 

俺はゆっくりと、陽乃さんの言葉を飲み込んだ。

 

だから、俺はこう言うんだ。

世界の幸せ全てを集めたって敵わないぐらいの笑顔を浮かべて。

 

「俺も、良かったです」

「そっか」

 

なんて短く返事して、陽乃さんはふふっと柔らかく笑う。

淀みの一切ない、想いしかない微笑み。

 

きっと、俺はこういう陽乃さんの部分に惹かれたんだろう。

それをきちんと今、自覚できるほど、美しかった。

 

 

この笑顔を手に入れた俺。

手に入れられたことにはちゃんと理由があって。

 

その理由には2つの人生が密接に関わっていて。

全てを変えるほどの勇気を持てたから、今、俺はここにいる。

 

俺は、ここにいる。

ここで、笑っている。

 

人生を変える一言を言えたから。

 

俺は、ここにいる。

ここで、好きを形にしている。

 

それはきっと。

何も持っていない俺が、唯一世界に誇れるところで。

俺が唯一世界に勝っているところだ。

 

「今年、いろんな事が変わったなぁ」

「俺もです」

「ま、お互いがお互いに変えていったからね」

 

そうですね、と、俺は笑う。

 

あぁ、今年ももう終わるのか。

来年はどうしているのかなぁと、ちらと考える。

 

来年のことを言うと鬼が笑うとは言うが、今ばかりは鬼も見ていないはずだ。

 

「来年も、笑ってたいですね」

「うん。その為にはまず、きちんと大学に受からないとね」

「うげぇ、いきなり現実に戻さないでくださいよ」

「あははは、頑張れ、受験生」

「はい……」

 

 

俺はパッと空を見る。

流石に、雪が降るなんて奇跡は起こらないし、起こせない。

 

まぁ、それが俺だよな。

と、フッと笑ってしまう。

 

「あー、そっか1年終わるのかぁ」

「自分で言ってたじゃないですか」

「いやー、言ってから徐々に実感してきてねぇ……」

「なるほど」

 

あるかもしれない。

頭の中ではあまり自信ないのに、口にしてみると、なんだか安心してくる事。

 

「だから、私は言うよ」

「ん?」

「ちょっと、クサくて恥ずかしい事だけど、自覚したいから、口に出して八幡に言うよ」

 

周りは暗いので、頬の色はわからない。

けれど、きっと。

 

ギュッと、距離を詰められた。

気づけば、陽乃さんの唇が俺の耳元にある。

 

 

「私を見つけてくれて、ありがとう」

 

 

囁かれた音は、空気を切り裂き、俺の鼓膜を揺らし、やがて俺に言葉として届いた。

 

風が、吹き抜けたようだった。

泡沫が、割れたようだった。

花火が、咲いたようだった。

 

俺の世界が、確実に動いた。

 

 

耳元で囁かれた陽乃さんの言葉が未だに体を循環している。

まるで、俺の血液の一部になったかのように。

 

 

『私を見つけてくれて、ありがとう』

 

 

不安になる。

果たして、本当に俺は陽乃さんを見つけられたかな、と。

 

でも、最後に付けられた感謝の言葉が俺の疑問を払拭する。

 

グルグルと、俺の中で陽乃さんとの思い出が回る。

 

初めて出会った日のこと、

怖いなって思った日のこと、

苦手だなって思った日のこと、

寂しそうだなって思った日のこと、

好きを自覚した日のこと、

恋人になった日のこと、

デートした日のこと、

プロポーズした日のこと。

 

思い出せる全ての日々が輝かしくて。

陽乃さんとの思い出が全て大切で。

大好きだ。

 

ずっと、額にでも入れて飾っていたいぐらいに大好きだ。

でも、たぶんそれじゃダメだろう。

 

過去に後ろ髪を引かれるぐらいなら、そんなもの捨ててしまうべきだ。

写真として残しても、そこに想いは残さない。

 

だって。

大切な今に、陽乃さんがいるのだから。

 

だから、俺は。

過去は忘れないけど、忘れられないけど、ずっと大切な1ページとして自分の中に残り続けるだろうけど。

 

過去の中で陽乃さんとは歩かない。

 

もし、一緒に歩くのなら。

それは今という限られた時間の中で、隣で歩きたい。

 

きっと、新たな陽乃さんが見つけられるから。

思い出や過去にするのにはもったいなくらいの陽乃さんを見せてくれるはずだから。

 

俺は、今を歩く。

 

 

面倒くさくて、愛が重くて、嫉妬深いお姉さん。

可愛くて、乙女で、しっかり者のお姉さん。

 

こんなお姉さんを知っているのは世界で俺だけだろう。

そして、このお姉さんの愛し方を知ってるのは俺だけだ。

 

でも、まだ。

途中なのだ。

 

陽乃さんを見つけるということ。

陽乃さんの愛し方を探すということ。

 

この2つが俺に与えられた人生で、目標で、ご褒美だ。

 

ゆっくりと空を見上げみる。

別段代わり映えのない空は、どこか安心感を与えてくれた。

 

静かに願ってみる。

まだ、春には程遠い、冬の夜空に希ってみよう。

 

あぁ、そうだ。

頭の中で言葉を簡単にして見て気づく。

 

俺が欲しいもの、俺が願うものなんて単純な想いだ。

いや、想いからなるものだ。

 

自分がなかなか素直になれないのは知ってる。

中学生のような自意識が俺の言語中枢にフィルターをかけるのは分かってる。

 

それでも、いつか。

拙い語彙でありったけの想いを吐露できたのなら。

想いを明確な言葉にできたのなら。

 

きっと、更に陽乃さんが愛しくなる。

 

だから、俺は。

一生かけて、求め続ける。

 

 

陽乃さんという、お姉さんの愛し方を。




以上で、本編は完結となります。
お付き合いに絶大な感謝です!!!
最後まで読んでくださった方、ホントにありがとうございました(*^^*)


……もしかしたら、後日陽乃さん視点の番外編を投稿するかも……?

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