暁美ほむらに集められたマミ、杏子、さやかの三人は――ほむらが繰り返す時間の中では珍しいことに――全員が何の憂いもなく力を合わせることができる精神状態にあった。
「一週間後、この街にワルプルギスの夜が来る」
ほむらの言葉に、さやかが首を傾げ、マミが姿勢を正し、杏子が鼻を鳴らす。
「確かなのか?」
「ギャラクトロンが観測済みよ」
ギャラクトロンが居るお陰で、ほむらも皆を納得させられる情報をすぐ出せる。
三人もギャラクトロンを引き合いに出されたことで、"まあギャラクトロンだから"ということで納得したようだ。
「ワルプルギスの夜の出現予測は、この範囲。
この範囲をカバーできるようにギャラクトロンを配置しましょう」
「うわっ、あたしとまどかの行きつけの店が範囲に入ってる」
「あら、じゃあ美樹さんはちゃんと街を守らないといけないわね?」
「さやかもマミも気楽なもんだな。噂じゃ結構やべー魔女だって話だけど」
「問題は、まどかと杏子が未来予知の魔法少女に聞いてきたという話の方よ」
「ん? マガワルプルギスってやつのことか?」
ほむらにとっての懸念事項は、美国織莉子が見たという
「―――っていう未来を見た魔法少女と、あたしとまどかが会って来たってわけさ」
「禍々しく悪しきもの、降り出で戯曲と共に過ぎ去りぬ……只者ではないわね」
「あれ? マミさん嬉しそうな顔してますね。ビビる様子さえ無いとか、さっすがマミさん!」
「え? え、ええ、そうね」
織莉子の言い回しが気に入った、とは言い出せない空気の中、マミは曖昧に笑んで誤魔化した。
「ただのワルプルギスなら、ギャラクトロンが倒せる。
けれど、そうでなかったら……私達が何らかの形で加勢することが必要よ」
「ギャラクトロンが勝てない相手にあたしらが勝てるわけねーだろ。サイズが違いすぎる」
「当日は、私がギャラクトロンに乗り込むわ。
巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子は随伴して頂戴。
ワルプルギスの使い魔を打ち払い、状況に応じてギャラクトロンの援護をして欲しいの」
ほむらはソウルジェムを手の中で転がす。
そう、ほむらならば、ギャラクトロンの強さを大きくブーストすることができる。
マミの火力であれば十分に火力の底上げも可能だ。
魔法少女が随伴すれば、ギャラクトロンの対応力はただそれだけでグッと上がる。
「まるで、戦車の運用法みたいね。
戦車もその力を生かすために歩兵の随伴が必要だと聞くけれど」
「マミさん、なんでそんなに戦車の運用に詳しいんですか?」
「嗜みよ」
何故一介の女子中学生がそんなに戦車に詳しいのか? かっこいいからだ。
「でも、暁美さんとギャラクトロンのコンビならきっと誰にも負けないわ」
「マミさんとも互角だったって話ですもんね!」
「からかわないで美樹さん。
でも、本当に強かったのよ?
私は加減されていたから平気だっただけだもの」
時間を止めて動き回るギャラクトロンの恐ろしさは、マミですらその全てを推し量ることはできなかったが、それでも絶対的だった。
どんな災厄が来ようとも、まず負けない。
マミはそう確信している。
マガワルプルギスがどんな魔女であろうとも、負ける姿がまるで想像できなかった。
ほむらは髪をかき上げ、話を締める。
「全員で、生きて……いえ」
言いかけた言葉を飲み込み、言い直す。
「誰も死なず、誰も壊れず、全員一緒に帰りましょう」
その言い直しの理由が、『"全員で生きて帰る"だとギャラクトロンが仲間外れのようだから』というものであったことを、皆が自然に察していた。
太陽の光も、月の光も、星の光も地上に届かぬ夜が来る。
ワルプルギスの夜が来る。
終焉の舞台装置が来る。
厚い雲が空を覆って、車さえ吹き飛ばす暴風が地上を撫でていた。
ワルプルギスの夜は、ある魔女が他の魔女の波動を集め、巻き込み、単体の魔女では到底成り得ないほどの巨大な嵐となったもの。
その性質は無力。
舞台装置の魔女の名の下に、歴史の中で破滅と共に語り継がれ、ひとたび全ての力を発揮すれば地表の文明を引っくり返してしまうと言われている。
だが、それだけだ。
この魔女に人類の虐殺はできても、人類の絶滅など到底叶わない。
叶わないはずだった。
今日までは。
ワルプルギスが地上を横切る時、空の向こうから『闇』が落ちて来た。
それは宇宙の遥か彼方、モンスター銀河より飛来した魔王獣・マガオロチの卵だった。
マガオロチはエネルギーの卵を産む、特異な生物である。
何の因果か、銀河の果てから流れ着いたマガオロチの卵は、星に着床する前にワルプルギスの夜という嵐に巻き込まれてしまった。
魔女と魔王獣の合いの子が生まれる。
生まれ落ちたそれは、ワルプルギスをベースとした
天と地の間に悠然と浮き、獰猛に牙を剥く。
通常の生物ではありえない、上も下も無い造形。
どれが手で、どれが足で、どれが角で、どれが翼か。それすらも分からない。
演劇の最後に出て来て、主役を食らう役を割り当てられたような、グロテスクな怪物だ。
それは、主人公の死で物語を終わらせるための舞台装置。
演目の最後を飾る、世界の終わりに来たる者。
―――終焉ノ魔王獣。その名は、マガワルプルギス。
「見える? ギャラクトロンくん」
まどかの声に応え、遥か彼方のマガワルプルギスを見つめるギャラクトロンが頷いた。
「そっか。ギャラクトロンくんは、あれと戦いに行くんだね」
ギャラクトロンは頷く。
自分にどこまでも忠実で、自分の言いつけを守って人間の味方をしてくれているギャラクトロンの姿が、ふとまどかに罪悪感を覚えさせた。
「……『他人の行動を制限すること』って、いいことなのかな、悪いことなのかな」
ギャラクトロンが今人間と共に歩んでいるのは、まどかにそう命じられたからだ。
命令だから従っている。
命令だから共存している。
それは、ある意味では共存の強制とも言える。
「私もね、昔は家の床に落書きしたり、遊びでお皿を割ってたりしてたらしいの。
そのたびに、ママやパパに『これはしてはいけないことだ』って言われて、学んだの」
地球は、短い生涯を生きる命が、弱肉強食の法則の下に食らい合い、親から子へと何かを伝えていくことで、誰もが繋がっていく命のサイクルを成立させる星だ。
"これはしてはいけないことだ"と教わることで、命は成長していく。
ギャラクトロンは"争いも食物連鎖もしてはいけないことだ"という行動原理を掲げ、まどかの教える"人を殺すのはしてはいけないことだ"という教えをその上に重ねている。
生き物にしてはいけないことを教えているのか。
機械に複数の命令を入力しているのか。
ギャラクトロンを見ていると、まどかはその両方をしているような気もするし、そのどちらもしていないような気もしている。
自分の言葉がギャラクトロンの心に届いているのか、ギャラクトロンに心があるのか、それすらまどかには分からないのだ。
「私がギャラクトロンくんにしたことって、パパとママのそれと同じなのかな。
それとも、全然違うような酷いことだったのかな。……私、分からなくなってきた」
まどかは、ギャラクトロンが嫌いではない。
ただ、自分の命令が残っていなければ、好き嫌い以前の問題になってしまうということも分かっている。
まどかとギャラクトロンの間にはまだ、積み重ねた時間があまりにも足りていない。
「ちゃんと帰って来てね。
それで、またお話しようね。
私が何かをしないでって言わなくても、いつか一緒に居られたらいいなって、そう思うの」
けれどもいつかは、何か奇跡が起こって、ギャラクトロンが自分から進んで命の守護者になってくれる未来もあるんじゃないかと、まどかは思っている。
そんな未来があってくれたら嬉しいと、そう思っている。
「皆を守ってあげて。皆で笑って終われる未来を、私信じてる」
ギャラクトロンは頷き、迎えに来たほむらを胸の内に入れて、魔女の産む暗黒の雲に覆われた暗い世界を飛翔した。
「まどかも心配症ね。……今日は頼りにしてるわよ、ギャラクトロン」
『了解した』
ほむらの口元に笑みが浮かぶ。
―――誰も、未来を信じない。誰も、未来を受け止められない。だったら、私は……
―――もう誰にも頼らない。誰に分かって貰う必要もない
―――全ての魔女は、私一人で片付ける。そして今度こそ、ワルプルギスの夜を、この手で
自分でそう言っていた時が、何故か遠い昔に感じる。
そんなに前のループだっただろうか、と思うが、余計なことを考えるのはやめた。
今日の戦いに勝てば、全てが終わる。
長い旅も。
時の繰り返しも。
全てが終わり、平和がやってくる。
未来を信じるまどかに送り出され、頼れる機械の竜も居る。然らば何の憂いも無い。
この魔女を――魔王獣を――越えた先に、暁美ほむらの希望はあった。
ギャラクトロンは大通りに着陸し、赤黃青の信号機魔法少女達を従え、街中に立つ。
「さあ、行くわよ! これを最後の時間にするために!」
『奴を、リセットする』
ほむらに止められた時間の中で、ギャラクトロンはチャージに時間のかかる最強攻撃『ギャラクトロンスパーク』のチャージを開始。
そして情け容赦なく、星の生態系をリセットするほどの砲撃を、解き放った。
その砲撃が、絶望を呼ぶ。
ギャラクトロンスパークは、間違いなくギャラクトロン最強の攻撃だ。
これを初手に選んだのは、ほむらとギャラクトロンが共に合理性の塊だったからだろう。
動き出した時の中で、トラックさえも引っくり返すマガワルプルギスの暴風を、大気ごと消滅させながらギャラクトロンスパークが突き進む。
やべえ、と杏子は勘でその威力を理解する。
これはもう魔法少女の次元に無い、とマミは感覚で威力を測る。
すっげ、太陽も焼き尽くせそう、とさやかは理性で感嘆した。
その評価が、そのまま絶望に転換される。
「あの光を……食ってる……!?」
マガワルプルギスが、ギャラクトロンスパークを食っていた。
まるで、砂糖菓子を噛み砕いているかのように、美味しそうに食べていた。
「くっ、近付いてくると、暴風のせいで
「待って、杏子。なんか、暴風とは関係なく、あたしらの体……引き寄せられてない!?」
魔法少女の力で踏ん張らなければ立っていることすらできない、かき混ぜるような暴風の中、確かにマガワルプルギスへと引き寄せられる力が発生している。
川の水が、無尽蔵な空の雲が、この街に存在する大気が、避難が完了したビルや家屋が、舗装された路面と大地が、片っ端から引き寄せられている。
そして、引き寄せられたものは、マガワルプルギスに捕食される。
上下左右前後を問わず、遠近問わず、形があるかどうかさえも気にしない、絶対的捕食行動。
「世界を……この星を……形の有るものも無いものもお構いなしに、全部食べようと……!?」
見滝原が食い尽くされれば、おそらく次はこの星そのものを補食しにかかるだろう。
「あれはもう、怪獣の形をしたブラックホールに近いものよ!」
マミは叫ぶ。
捕らわれれば光さえも脱出できない、光さえも捕食する闇の塊。
それが、今のワルプルギス。魔王獣マガワルプルギスの在り方であった。
「ギャラクトロン、もう一度時間を止めるわ。
もう一度ギャラクトロンスパークを撃ちましょう。
今度は頭上から、着弾ギリギリまで時間を止めてから撃つわ!」
ほむらがまたしても時間を止める。
だが、止まらない。
マガワルプルギスは止まらない。
止められた時間の中を、マガワルプルギスはギチギチと動いて、時間を止めているほむらの盾がガチガチガチと嫌な音を立て始めた。
「な……!?」
止められた時間の中を動けるのは、ほむらとほむらが許した者しか居ないはずなのに。
「
マガワルプルギスは、世界を食らう。星を食らう。空間ごと食らう。
魔法少女が止めた時間を認識して、それさえも食らおうとする。
マガワルプルギスによって『ほむらだけの時間』はぺろりと平らげられ、彼女らの下に元の時間が返ってきた。
ギャラクトロンは頭上を取るのをやめ、左手のギャラクトロンブレードを構えた。
『これは、宇宙を脅かす害悪と成り得る』
「ええ、どの道……こいつを倒さなければ、私達に明日はない!」
踏み込み、斬りつける。
だが頑強な骨、強靭な筋肉、強固な皮膚に頑丈な体毛で守られているマガワルプルギスには、あまり有効な攻撃にならない。
体毛の上を剣が滑って、体毛を何本か切り落とすに留まった。
マガワルプルギスが笑う。
狂った童女のように。
荒れ狂う獣のように。
ほむら達の無力を嘲笑する。無為を嘲笑する。無駄を嘲笑する。無価値を嘲笑する。
嘲る笑いは、気持ちの悪さと腹立たしさの両方を感じさせた。
「マミさん! 杏子! 何か来るよ!」
笑いながら、マガワルプルギスの体から小さなものがいくつも生まれる。
それはワルプルギスがこれまで嵐の中に巻き込んできたもの。
無数の魔女の残滓であり、魔法少女の残照だ。
マガオロチの卵という無形のエネルギーが、それら魔法少女の成れの果てと結びつき、魔法少女の
言うなれば、『少女ノ魔王獣』。
それぞれの魔法少女のエレメントに即した存在でありながら、一体一体が人間サイズの
「佐倉さん! 美樹さん! これを、ギャラクトロンに近付けさせては駄目よ!」
魔法少女の戦いもまた、始まった。
「くぅっ……!」
さやかが少女ノ魔王獣の一体と剣を合わせる。
合わせたのはいいが、ジリジリと押され始める。
腕力でも、魔力でも、少女ノ魔王獣は明確にさやかの上を行っていた。
「バカ、何やってんだ!」
杏子は二体の少女の魔王獣の攻勢を捌きながら、さやかを襲っている少女ノ魔王獣の脇腹に蹴りを入れてさやかを助ける。
その上でギャラクトロンの背後を守れる位置取りを意識し、ギャラクトロンの背中に放たれる魔王獣達の魔法を切り落とし続けていた。
「流石に、これは……!」
マミは一番忙しくしていた。
マスケットを撃ち、リボンを手で振るい、足で踏んだ路面に魔法でリボンの罠を仕掛ける。
他の者達が一手打つ間にマミは三手を打つペースで対処を続け、総合的に見れば実に十二体の少女ノ魔王獣を自分一人で処理し続けている。
それでも足りない。
「手が、足りない!」
巨躯の少女ノ魔王獣が、ギャラクトロンの膝裏に体当りした。
ギャラクトロンの膝が曲がり、姿勢が崩れ、マガワルプルギスの体当たりがギャラクトロンの巨体を横倒しにする。
少女の姿とはいえ魔王獣。
その力は、ギャラクトロンに細かな妨害やダメージを与えて余りあるものだ。
「佐倉さん! 美樹さん! 乱暴なやり方でも良いわ!
魔力もグリーフシードも出し惜しみしないで!
この戦いで……いいえ、短期戦で全て使い切るくらいの気持ちで戦って!」
「分かりました、マミさん!」
「気軽に言ってくれんなあったく!」
少女ノ魔王獣を放置すれば、どう足掻こうがギャラクトロンはマガワルプルギスに勝てなくなってしまう。
魔法少女達も必死だ。
彼女らは今の自分が持てる全てを注いで、ギャラクトロンの背中を守る。
「ギャラクトロン、もう一度時間を止めるわ。合わせて!」
『了解した』
ほむらが時間を止め、マガワルプルギスは止まる気配すら見せず、ほむらだけの時間を食らう。
だが、それは囮だ。
もはやほむらの時間停止はマガワルプルギスに餌をやること以外の何もできないが、それでも餌かつ囮の役目を果たすことはできる。
ギャラクトロンの右腕が分離し、飛翔し、マガワルプルギスの背後に回り込んでその背後から雷撃を叩き込む。
更には正面から剣を構えたギャラクトロンが突撃した。
普段は超重量でゆったりとした動きをするギャラクトロンが、全体重をかけ体当たり気味に剣を突き出す。狙うは頭。
(決まった!)
ほむらが決まったと思った、その瞬間。
マガワルプルギスが、嘲笑った。
「っ!」
マガワルプルギスの全身から、あらゆる破壊が垂れ流される。
炎、氷、木、闇、光。時にはビーム、時には雷、時には魔法少女の武具の形となって、マガワルプルギスの360°全方向へと攻撃が放たれてゆく。
それはギャラクトロンの分離右腕にも当たり、ギャラクトロン本体にも当たり、魔法少女達にも当たる軌道で放たれる。
「ギャラクトロン、攻撃をっ―――!」
ほむらは、攻撃の継続を勧めた。
攻撃することで敵の行動に負荷をかけようとした。
されど、ギャラクトロンは無視する。
ギャラクトロンは敵の攻撃を左手一本で弾きながら後退し、右腕をマミと杏子とさやかを守るために飛翔させた。
右腕は空を飛び、マガワルプルギスの攻撃の雨の中を突っ切って、過剰なダメージを受けながらさやか達の守りに入る。
マガワルプルギスの攻撃終了後、ギャラクトロン本体は左手の剣によって守り切れたが、逆に魔法少女を守るために使われた右腕は、二度と動かせないほどに壊されただの鉄屑と化していた。
「……あなた、そんなにあの子達を守りたいの?」
『それが私に与えられたコマンドだ』
「本当に……本当に、私の繰り返しは……いつだって……」
倒せと、製作者に言われた。
守れと、まどかに言われた。
争いを産む敵を倒すか、今足元に居る人を守るか。
二つのコマンドの内から後者を選んでいるのは、ギャラクトロンだ。
その選択が、ほむらには心底計算外で、彼女の心に重いものがのしかかる。
「これはある意味、当然の結末だったのかもしれないね」
「! インキュベーター!? ここはギャラクトロンの中よ、どうやって……!」
「色々と小細工をして、君の盾の中に潜んでいたのさ。
君の盾の中ならギャラクトロンにも見つからない。
この方法なら、安全にギャラクトロンの内部に入ることができるというわけだね」
マガワルプルギスと切り結んでいるギャラクトロンの中で、ほむらがキュゥべえの額に銃を突きつける。
「暁美ほむら。君の感情は、特に理解に苦しむよ。
君は善意で動く人間を信頼していなかった。
むしろ打算と合理性で動く人間の方を信用しているフシすらあった。
君は何故か分からないけど、善意で動く者を味方として信じることをしなかったよね」
「黙りなさい」
「だから、ギャラクトロンは君の味方になれたわけだ。
あれほど善意や良心から遠い存在はそう居ない。
善意で動かない、善意が生む悲劇を生み出さない、だから君はギャラクトロンを信頼した」
ギャラクトロンが敵の打倒より人の守護を優先したという事実が、ほんの一瞬でも『ギャラクトロンに良心があるように感じてしまった』という事実が、ほむらを揺らがせている。
「君にとって、ギャラクトロンは希望だったんだろう?
あらゆるものを破壊し、君の願いを叶えてくれる暴虐の希望。
けれど、それは違う。
君が信じて頼ったギャラクトロンは、君に絶望を運んで来たんだ」
ほむらが構えた銃口が、震え始めた。
「君は時間と因果を螺旋状に繋げている。
気付いているだろう?
ワルプルギスの夜は必ず現れる。
まどかはループを繰り返す度に強くなっている。
前のループで起きた面倒事は、次のループでも起きやすくなっている。
だからね、次回以降のループではおそらく、マガワルプルギスが必ず登場するようになる」
引き金にかかる指までもが震え始める。
「ここでギャラクトロンが勝てないのであれば、それで終わりだ。
もうマガワルプルギスは鹿目まどか以外の誰にも倒せなくなるだろう。
君の全ての行動が無意味になるループの到来、というわけさ。
まどかが契約しなければ絶対に倒せない、舞台装置の敵が固定されるわけだからね」
銃を握る手が、力なく垂れ下がった。
「もう何人魔法少女を救おうとも意味がない。
もう何体魔女を倒そうとも意味はない。
地球の全ての戦力を集めても、マガワルプルギスは倒せないだろう。
君の次回以降のループの結末は確定した。君にはもう、まどかを救えない」
「―――」
「分かっているんだろう? ここが、君の
そして、マガワルプルギスの光線が、ギャラクトロンの胸部を貫いた。
ほむらが衝撃で、胸の穴から外へと放り出される。
魔法少女の身体能力で衝撃に耐え、着地できたものの、常人であれば間違いなくミンチになっていた。
そんな彼女の前に、同様に着地したキュゥべえが歩み寄る。
キュゥべえの目には、ほどよく濁ったほむらのソウルジェムがよく見えた。
「受け入れるんだ、暁美ほむら。ここが君の願いの果て、祈りが迎えた呪いの形さ」
「私、はっ……!」
そんなキュゥべえを、ギャラクトロンが踏み潰した。
人間の体を借りて人の言葉を喋る機能も、胸部を破壊された時点で既に無い。
だから無言で、ギャラクトロンは戦い続けた。
けれど、胸部を破壊された時、胸部の内に保管されていたまどかの花冠が外に飛び出してしまっていた。
飛び出していった花冠は、暴風に揺られながらふらりふらりと落ちて行き、マガワルプルギスの吐き出した破壊光線の射線上に入ってしまう。
そんな、ただの花冠を、ギャラクトロンは身を挺して守った。
マガワルプルギスの光線が、ギャラクトロンの顔の右半分と、右目を破壊し粉砕する。
―――いつも皆を守ってくれてありがとう
まどかがそう言って、感謝の気持ちと共に渡したというだけの、ただの花冠だ。
花冠が壊れれば、まどかの心が傷付くかもしれない。
そんな単純な理屈での行動だったかもしれないし、そうでないのかもしれない。
ただ、人を守れとは言われたが、花冠を守れとは言われていないことは、動かしようのない事実で。それを見たほむらは、何かを噛み殺すような表情で、無力感に耐えていた。
「ギャラクトロン……!」
人間を、花冠を、ギャラクトロンは自己の判断にて守る。
それが自分に入力されたコマンドだと口にして、命令に沿って皆を守る。
守って、壊れて。
助けて、壊れて。
救って、壊れて。
入力された命令に沿って、マガワルプルギスから人を守る。
「バカ、そんなボロボロな体で……!」
杏子を守った。
左手の剣を、杏子を守る盾とした。
「もういい! もういいから! あんた十分、頑張ったから!」
さやかを守った。
その代価として、左腕を根本から引きちぎられた。
「待って……待ってっ!」
マミを守った。
その代価として、防御に使った右足を粉砕された。
後頭部から伸びる竜の尾を使って体を支えたが、もう普通に立っていることすらできない。
―――皆を守ってあげて。皆で笑って終われる未来を、私信じてる
まどかの最後のコマンドを、ギャラクトロンは自らと引き換えにしてでも果たそうとする。
ギャラクトロンは思考する。自分に笑う機能は無い。『皆』に自分は含まれていない。ゆえに『笑うことができる人間』だけを守りきればいい。それでコマンドは達成される。
笑えない自分を、後に残す必要はない。
ギャラクトロンは、そう思考する。
帰って来て、というまどかのコマンドは後回しにして。
またお話しようね、というまどかのコマンドは後回しにして。
争いに繋がるものを全てリセットせよ、という最初に入力されたコマンドすら後回しにして。
自分の中に入力された、複数ある矛盾するコマンドの中から、自らの意志で優先すべきものを選択していく。
そして、音楽が流れた。
「え……これ……」
それは、魔法少女達にも聞き覚えのある、ギャラクトロンの優しい旋律。
争いを止めるという意志が込められた歌。
同時に、ギャラクトロンスパーク発射直前、攻撃を宣告する際に使われる音楽でもあった。
「ギャラクトロン!」
ギャラクトロンはギャラクトロンスパークの発射準備をし、片足で飛びかかり、後頭部から伸びる竜の尾でマガワルプルギスの首を掴む。
二本の腕も、片足も、片目も無くしたギャラクトロンの勝機は一つ。
至近距離からのギャラクトロンスパークしか無い。
ギャラクトロンは自壊も覚悟で、竜の尾で掴んだマガワルプルギスに、至近距離からのフルパワーギャラクトロンスパークを叩き込もうとし――
「いいのかい? そっちにはまどかが居るけど」
――そんなギャラクトロンの耳元に、キュゥべえがどこからか声を届けた。
居た。
キュゥべえの言葉で、まどかの位置を把握してしまったギャラクトロンにはもう撃てない。
万が一にもマガワルプルギスが回避行動を取ってしまえば、ギャラクトロンスパークにまどかが巻き込まれてしまう可能性がある。
ギャラクトロンは射角を計算し、まどかには絶対に当たらない角度でギャラクトロンスパークを放とうとし……その僅かな発射の遅れが、マガワルプルギスの反撃を許してしまった。
マガワルプルギスの腕が、角が、光線が、魔法が、反撃として叩き込まれる。
ギャラクトロンの
ギャラクトロンの腹に大穴が空く。
顔の左半分までもが破壊され、残った方の目すらも潰される。
最後の足までもがもぎ取られてしまった。
両腕両足両目、加えて尾に全ての武装まで奪われて、胸と腹に大穴を空けられたギャラクトロンが地に落ちる。
暁美ほむらの悲鳴に似た絶叫が、戦場に悲しく響き渡っていた。
避難所近くの高台から、その戦いを遠目に見守っていたまどかが、膝を折った。
ギャラクトロンの体は大きいがために、その敗北は遠くからでもよく見える。
膝を折り、口元を抑え、今にも泣き出しそうなまどかの前に、微笑むキュゥべえが現れた。
「やあ」
舞台装置の魔女がその役割を果たした今、物語は最終局面に入る。
「どうやらもう、君が契約しなければどうにもならなくなってしまったようだね」
「……ギャラクトロンくんが壊れるまで、待ってたの?」
「僕がその問いにはいと答えてもいいえと答えても、君の中で答えは決まってるんだろう?」
じゃあ僕が答えるだけ無駄じゃないか、とキュゥべえは顎の下を掻きながら言った。
キュゥべえからすれば、まどかを魔法少女にするためには――その後魔女にするためには――ギャラクトロンが壊れた後、まどかが契約してくれた方が都合が良かったのだろう。
それゆえ、このタイミングでまどかに接触してきたのだ。
「願いでギャラクトロンを直しても、ギャラクトロンではアレには勝てないよ。
君がマガワルプルギスの打倒か、より強い力の獲得を願うしかない。
仮に他の願いで君が魔法少女になっても、君は総エネルギー量が多いだけの魔法少女だ。
それではマガワルプルギスは倒せない。あれは、文明の転覆者にして星の捕食者だからね」
最強の魔法少女になるという願いで、まどかが魔法少女になるか。
マガワルプルギスの打倒に願いを使うか。
そのどちらかでしか、もうマガワルプルギスは倒せない。
そしてキュゥべえからすれば、マガワルプルギスを倒せない結末に至っても別に構わないのだ。
適切なことに願いを使わず、まどかが足りない力量でマガワルプルギスに挑み、戦いの中で絶望して魔女になってくれても一向に構わない。
エネルギーが回収できることには変わりないからだ。
この状況に持ち込んだ時点で、キュゥべえの望みは叶ったも同然と言っていい。
ここからどう転がろうとも、インキュベーターは宇宙を救うことができるだろう。
「さあ、鹿目まどか。
祈りを言葉にするといい。
その魂を代価にして、君は何を願う?」
「うん」
ほむらが時間を繰り返し、因果を束ねた鹿目まどかという特異点には、あらゆる願いを叶えるに足るエネルギーが充填されている。
だが、ここに計算外があった。
誰にも予想できないものがあった。
おそらくこの瞬間、まどかの胸に秘められた切実なる思いを予測できていた者は、この宇宙に誰一人として存在していなかったのだから。
「私は、皆が一人でないことを証明したい。
誰もが一人じゃないことを証明したい。
そこに、希望の光が有ることを証明したい。
誰だって……辛い時、誰かに助けて貰えるって、証明したい」
「へえ」
キュゥべえは、まどかの願いが予想外で期待外れだ、と言いたげな様子だった。
「今、誰が助けに来てるって言うんだい?
君達を助けになんて、誰も来ていないじゃないか。
『誰かが助けてくれる』という希望を無根拠に持つ。
そしてその希望が裏切られると絶望する。わけがわからないよ」
「そうだよ。私はいつだって信じてる。
私が辛い時には、友達が助けてくれる。
友達が辛い時は、私が助ける。
難しいことだと分かってるけど……それが一番だって、私は思うから」
まどかの祈りが『希望』であることを、まどかだけが知っていた。
「誰だって一人じゃない。ギャラクトロンくんだって……一人じゃない」
それは寄り添う祈り。助け合いを肯定する祈り。差し伸べられた手に希望を見る祈り。
「私は証明したい。
自分が困った時、誰かが助けてくれる。
誰かが辛い時、他の誰かが助けてくれる。
皆一人じゃないって、誰かが助けてくれるんだって、証明したい」
ほんのささやかな、助けを求める声を発する祈り。
「これが私の祈り、私の願い」
助けを求める誰かに手を差し伸べる誓い。
手を差し伸べてくれる誰かに手を伸ばすという救い。
命と命が助け合うという、この宇宙で最も美しい円環の肯定。
「さあ、叶えてよ! インキュベーター!」
キュゥべえはその祈りの本質を理解しないままに、まどかの祈りを奇跡に変える。
「ここに、希望の―――『光』を!」
光の祈りが、あらゆる前提を覆すほどの奇跡を喚んだ。
ワルプルギスが地上を横切る時、空の向こうから『闇』が落ちて来た。
まどかが祈りを形にしたその時、空の向こうから『光』が落ちて来た。
マガオロチの卵が空の向こうから落ちて来た時のように、空の向こうから雲を切り裂き、光が落ちてくる。
光は、まだ動いているギャラクトロンにトドメを刺そうと接近するマガワルプルギスの前に降り立ち、ギャラクトロンを守るように立つ。
「光……」
誰かが、思わず言葉を漏らす。
「でっけぇ」
大きな光を見上げ、呆然とする。
「光の……巨人……?」
そして、その名を呼んだ。
光の巨人と呼ばれたそれが、声に応えて名を名乗る。
「俺の名はオーブ」
ギャラクトロンは、まどかの心をオーブに例えた。
誰ともぶつからない優しい
ならば彼女が捧げた祈りは、とても優しい『
「闇を照らして、悪を撃つ!」
ギャラクトロンが、間違い暴走した正義なら。
その光はいつだって、誰かを守る『正義の味方』であった。