Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
――夜が来る。夜が来る。押し潰す夜が来る。
キリエ、明、アルトリア、ヤマトタケルが早めの夕食を済ませた後、それぞれが予定まで自由に過ごしていた頃合い。太陽は地平線の彼方に消え、中天に星が瞬きつつある夜の始まり――会社帰りのサラリーマンのような体で、影景は碓氷邸に戻ってきた。
「ふぅ、ただいま~」
トランクは碓氷邸に置いたままのため、今持っているのは別の皮張りのトランクだった。帰着した影景が最初に顔を見たのは、リビングのソファに座って向かい合うアルトリアとヤマトタケルだった。
アルトリアの方は武装まではしていないものの、既に青の戦闘用衣装を身に纏っていた。双方とも顔が真剣で、重要な話をしていることはすぐにわかるのだが、影景はあえて気にせずに大股でリビングに足を踏み入れた。
「これが切り札の礼装だ。ヤマトタケルの櫛を元にキャスター・大橘媛が再構成した」
影景はトランクをリビングのテーブルの上に置き、開いた。トランクの大きさの割に、中に入っていたのは深い茶色、木目も鮮やかな櫛がクッション材に包まれてはいっているのみ。
それは、先日まで粉々に砕けていたことがまるで嘘であるかのように、美しく新品のような品だった。
否、ある意味本当に新品にして別物なのだ。
「すでにアサシンによる譲渡は済んでいる。有効に使ってくれ」
「……ヤマトタケル」
「俺に構うな。持って行け」
ヤマトタケルは感情のこもらない声で言った。アルトリアは眼だけで一礼し、櫛を手に取った。
空気を読んでいるのかいないのか、影景はぐるりとソファの後ろから回り込み、アルトリアの隣に腰かけた。
「……さて、俺ができることはここまでだ。やはりオルタとやり合うのは騎士王なのか」
「ええ」
「俺はてっきりヤマトタケルも戦いたがると思っていたが」
黒い日本武尊――大和を滅ぼした天皇。編纂事象からはずれて剪定された事象の、もうひとりのヤマトタケルの姿。
アルトリアも、ここまでヤマトタケルが何も言わないとは思っていなかった。
「……もう一人のあなたは、あなたの愛した国を滅ぼした貴方です」
「それがどうした。俺は俺の生を終えた。悔いは多いが、終わったのだ。だから、別の俺には興味がない。そもそも、俺は大和を愛した覚えはない。父帝が、弟橘が好きだったものだから護ろうと思っただけだ」
この男は護国の英雄であれど、王ではない。彼が国を護ったのは結果論でしかなかった。
アルトリアの記憶では――これはねつ造である可能性が高いが――国など護ろうとしたことはないと嘯いた彼に対して、怒りを感じたことがあった。それは彼の言葉に対する怒りというよりは、自分が感じていた引け目だった。
自分の身が滅んだことも、自分が王として下した決定も考え抜いて最善を選んできた。だからこそ自分が王になったこと自体が間違いだと思っていたのに、目の前の
だが、見かけ上の生涯が似ているだけで、人格が似てくるはずもない。二人のセイバーは、志したものが、夢が、全く違った。ゆえに在り方で争うのは不毛でしかない。
「お前は黒い俺に一回負けているから再度戦いたがるのは道理だ。俺ならばそう思う。俺はあれがどうなろうと興味がないから任せる」
「くっ、あなたと同じ思考というのは少し腹立たしい……! しかし感謝します」
「何だそれは。しかし騎士王、お前のことだから無策ではないだろうが、あれを追いつめる算段はあるのだろうな」
言われなくとも、それは承知だ。見事にエクスカリバーを跳ね返された記憶は、まだ生々しく残っている。
こちらのヤマトタケルが持つ『
ちなみに先程影景から渡された櫛は、そもそも攻撃用の礼装ではない。
「……あちらのあなたは、あなたより護る力が強い。負けはしなくても、勝つのは難しい相手です」
却って黒いヤマトタケルの攻撃力も、こちらのヤマトタケルほど高くはない。無刃真打はカウンター故それ自体の攻撃力はない。
しかし千刃影打から生み出される宝具を防ぎきることが、そう何度もできるかどうか。
「戦法はお前が考えるだろうが、あれの宝具について伝えておく。世界は違ってもあれは俺だから、絡繰りはわかった」
深くソファに腰かけた影景は、関係ない素振りを見せながらもしっかりと二人の会話には耳をそばだてていた。
「……あれは形こそ刀剣、槍の形を取っているが本質は違う」
「あらゆる武器を納める蔵が宝具、とかでしょうか」
「いや、あれの宝具本体は鉄そのもの。今は喪われた古き金属を鍛えて都度刀剣を打ち出している」
その喪われた鉄の名はヒヒイロカネ。日本武尊が生きた時代では鉄や銅と同様に扱われていた金属であり、三種の神器の原料でもある。
ヒヒイロカネは、その比重は金よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは
また常温での驚異的な熱伝導性を持ち、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。触ると冷たい、磁気で表面が揺らめいて見えるなど、その様子は様々で一定しない。
鏡の原料であり、勾玉の原料であり、剣の原料である――それは奇異な事ではないのだ。
何故ならヒヒイロカネとは、万能金属の名。鍛冶次第でいかようにも形を変える、金属という名すら相応しくないもの。
その物体は星の内海――この地球に存する魂の置き場から、過去未来の魂と記憶に接続するといわれたもの。つまりこれから何かを鋳造する時に、鍛冶の腕さえ見合うのであれば、望んだ未来の武装に形を変えることさえ可能となる。
「あれの両眼はほとんど見えていないと言ったな。眼帯で覆われている方は本当に外傷を負っている可能性もあるが、もう片方の視力低下は鉄を鍛える焔を見続けたせいだろう」
――「出雲は鉄・製鉄の王」。アルトリアとアヴェンジャーとの戦いで、アヴェンジャーが呟いた詠唱。製鉄の王・倭武天皇――編纂事象と運命を一にしていたころ、既に彼は前代の
「しかし刀剣を打ち出し真名解放までこなせるとはいえ、それでも究極の一には敵わないだろう。だがあれは腐っても
*
中天にかかる月。世界は何の変化もなく、今日も終わりを迎えようとしている。目の端々、油断すれば見逃してしまいそうな、黒い犬の群れ。
それを無視することができる者には、今日も世はなべてこともない。
この春日に暮らすほとんどの者にとって、世界は何もないまま終わるのだ。
ホテル春日イノセント、屋上。アーチャーが暮らしているホテルの屋上に、武装姿のライダーと宝具のフツヌシが、夜風に吹かれながら佇んでいた。
「ねえ、イワレヒコ」
「何だ」
「アナタはゴーイングマイウェイクソ野郎だけど、自己顕示欲はない。神の剣の仕様からして当然だけど……だから、自分のことにも頓着しない。だから、自分が消えようと気にならない。なのに、なんで」
相変わらず剣の声は太くて低い。しかし常のテンションの高さはなりを潜め、困惑の色を見せていた。
「今の自分の記録を、残そうとしているの?」
「――ふむ、お前には公のやろうとしていることが、そう映るのか」
「違っても驚かないけど……。生前だって、結局しなかったとはいえ神代と人代の繋がりを切っちゃおうとしてたじゃない。もう、何を思って何するかわからないんだからッ!」
過去を思い起こしてか、フツヌシはその場でぐるぐると回転した。ライダーはそれを見て、口元を緩めた。
「だが、お前は文句をいいつつも最後には公の手伝いをするだろう?」
「……もうッ!! タケミカちゃんの現身じゃなかったら、こんなことしないんだからッ!!」
「……お前ら一体なにやってんだ?」
ギィ、と屋上に上がる階段を通じて姿を見せたのは、土御門一成とアーチャー、榊原理子、ランサーの四人だった。
ライダーはそちらに向き直ると、満足げに頷いた。
「よし、役者はそろった。ランサーはキリキリ公を護れ。そのほかの草はファイトだ」
恐ろしく適当な言葉と共に、ライダーは武装を解除した。ポニーテールにされていた白髪は解かれ、衣服も白の着流しというシンプルなものに変わっていた。
その姿はこれから禊や潔斎を行う、神職者のようにも見える。
「キャッ! みんなありがと~~ほんとこのバカレヒコの思いつきに付き合ってくれて」
「い、いや、私たちも賛同してのことなので、全然気にしないでください」
一応目の前にいるのは神霊の末端ということもあり、理子はノリに戸惑いつつも丁寧に答えようと努めた。
高所特有の強い風が彼らにふきつけ、夏の夜の蒸し暑さも少ないこの場所――しかし今の彼らには、春日に起きる異変がまざまざと感じられていた。
特に聖杯戦争最終段階まで残った一成は、まるでここが土御門神社境内のような――黒い聖杯が目の前にあるような異常を感じていた。
「これ、本当に――春日は終わるんだな」
一成は「俺たちも」という言葉を呑み込んだ。今まで散々明やライダーから現状を説かれて理解はしていたものの、春日の暮らし自体は平穏で、幸せで、いつも通りだった。
「そうとも。さて、では準備はいいな。他サーヴァントが首尾よく黒狼を駆逐し、騎士王が滅国の王を倒すことを願って――」
役者はすべてキャスティングされている。それぞれしかるべき場所に配置され、各々春日の終わりまで死力を尽くして戦う。
これまでアヴェンジャーが身の内に封じ続けていた春日聖杯の呪いの全てが噴出している――それが最後に、
ライダーがくるりと一同に振り返り、いつもの全く変わらない意味深な笑みを浮かべて言った。
「過去の因果律を改竄し、ハルカ・エーデルフェルトが現実から来たことにするとしよう」
「――アルトリアさんの完了を待たなきゃいけないし、まだ時間はあるだろ。ライダー、聞かせてほしいことがある」
強い風に吹かれた一成が、今しかチャンスはないとライダーを見据えた。
「何だ?」
「何でこんなことをしようと思ったんだ。お前は世界の滅びや消滅を拒むやつじゃあないだろ」
それは、先ほどフツヌシが問い質していたのと同じ内容だった。
ライダーは暗い天を仰ぎ、それから笑った。確かにまだ時間はある――騎士王の戦果を待たねば、話は始まらないのだ。
「大した理由ではない。コンサートの最後が全員の合唱で終わるのは、嫌いか?」
*
とっぷりと暮れた春日の街。耳を澄ませば聞こえる、キィキィときしむ鳴き声。
姿はいまだ見えずとも、間もなく黒染めの犬たちは春日を食い荒らして破滅に導くだろう。
石畳が敷かれた碓氷邸の庭に、武装姿のヤマトタケル、アルトリア、明は空を見上げて立っていた。ヤマトタケルは真顔のまま、明に顔を向けた。
「お前はライダーのところに行かなくていいのか? 魔術師として、仮初とはいえ見ておきたい現象なのではないか」
明はゆるゆると首を振った。「……いや、お父様が絶好のビューポイントみつけたとか言ってたし、いいよ。最後までセイバーと戦うよ」
「そうか。うん、わかった」
二人は見つめ合い、笑った。これから最後の戦いを控えているというのに、彼らは穏やかだった。
そこにあえて無粋に、だが気まずそうに咳ばらいが入った。
「……アキラ、ヤマトタケル。それでは私は美玖川に行ってきます」
だが、当の二人は全く気まずそうにすることはなく、自然にアルトリアに顔を向けた。明は右手を、彼女に向けて差し出す。
「うん。アルトリア、色々ありがとう。そしてごめんね」
その謝罪は、何に対してか。本来巻き込まれるはずのなかった彼女を呼び起こしてしまったことか、彼女の記憶に欠落があるまま呼び起こしたことか。
「……いえ、謝ることはありません。アキラと聖杯戦争を戦ったことは偽りであっても、この数日は私にとっても快いものでした」
籠手のままではあるが、アルトリアは差し出された手を握り返した。
それからヤマトタケルにも顔を向けた。どこか楽しげな笑みを浮かべて。
「……あなたと戦った記憶も、偽りのようですね。一度剣を交えておくべきだったと、今では思います」
「やめておけ。常勝の王の名に傷がつくぞ」
「貴方こそ、日本最強の名を捨てることになります」
「えっ、酒宴?」
仲間内で妙な空気が漂い始めたその時、彼らの頭上からとどいた能天気な女の声。アルトリアたちが振り仰ぐと同時に、月光を遮りながら落下してきたのは――黒い巫女服を身にまとい、酒の甕をひっさげたキャスターだった。
彼女に引き続き降りてきたのは、親衛隊、いや茨木童子をはじめとする四天王たちだった。
「キャスター? なんで」
「私が呼んだに決まっているでしょう?」
遅れて優雅に、屋敷の玄関から姿を見せたのはキリエスフィール・フォン・アインツベルン。
聖杯戦争の時に着ていた白い長そでのワンピースに、腰にリボンを巻いていた。魔術師然として、ゆるりと微笑んで見せる。
「陣地を護るならキャスターよ。ここの防衛は私たちに任せて、アルトリアはアヴェンジャーに、ヤマトタケルは遊撃で戦いなさい」
碓氷邸の屋根から舞い降りた赤毛の美女は、面倒くさそうに髪をかき上げたがその顔は笑っていた。
彼らは暴れること自体にはやぶさかではない――本来ならバーサーカーで召喚される彼女たちなのだから。
「私はライダーがしようとしていることにも興味ないけど、ご主人に呼ばれたからねぇ」
「俺らはお頭がするっつんならするだけだしな」
キャスターの後ろに、ずらりと並ぶ茨木童子・星熊童子・虎熊童子・かね童子・熊童子。その顔を見て、明たちは頷き交わす。
「……じゃあ、任せたよ。行こう、ヤマトタケル、アルトリア」
ヤマトタケルは明を左小わきに抱えると、庭で助走をつけて空に舞った。アルトリアは同じく助走つけて加速し、塀を乗り越え流星のように、屋根から屋根へと飛び移り美玖川へと一直線に向かった。
二筋の閃光を見送り、キリエは首に下げた小瓶を見た。
その中には透明な液体が入っており、ゆらゆらと揺れている。彼女は一度息をのむと、息を吐き、それから一気に中身を呷った。
「……行くわよキャスター。魔術の準備はいいかしら」
「え~茨木、大丈夫?」
全く能天気に、キャスターは隣の茨木童子に声をかけた。キリエの脱力を受けたように、茨木童子は苦笑いで肩をすくめた。
「大御頭、お頭は魔術は忘れてるからな。俺がやるさ……他の奴らは配置につけ!」
「「「イエッサー!」」」
キャスターの強みは、宝具以外にも召喚術にて四天王たちを召喚したことによる人数の多さだ。
それぞれ、碓氷邸の四方へと飛んだ。残された茨木童子、酒呑童子、キリエは既に門の前に蟠る、黒い呪いを見据えていた。
碓氷邸は春日でも三指に入る霊地であり、すなわち霊脈の上に位置する――そしてすなわち、この世界においては魔力の流れの上にあり、同時に呪いの上に立つ場所である。
「ここは結界も構築されている。だから比較的持つとは思うけど――準備はいいかしら、キャスター?」
「ええ、任せてご主人」
あくまで歌うように軽やかに。
鬼にとって、戦いなど日常茶飯事。楽しく骨を折り、首を取り、血の河で笑うモノ。
「防戦なんて趣味じゃないと思うけど、力の限り戦いなさい」
碓氷の邸は、春日の霊地の一つだ。魔力の集まりやすいところに群がるというのなら、この地を黒狼から護り続けることで、時間稼ぎになる。
碓氷邸を囲う前の塀に、獣の足先がかかっている――「急急如律令!」
キリエの陰陽術がさく裂し、大きな唸り声をあげて黒狼は塀の外へ押し出された。剣戟の音――おそらく虎熊童子の二刀流の唸り――も、響いている。
「とうっ」神便鬼毒酒を呷ったキリエは、陰陽術と体術で、酒呑童子たちに負けず劣らず肉弾戦を行う様子を見せている。
「さ~て、ちょっとは頑張っちゃうわよ!」
*
ホテル春日イノセントを蓮向かいに眺めるオフィスビルの屋上に陣取った碓氷影景は、目の上に手をあてて、フェンスから半ば身を乗り出す形になっていた。
「おお、ここからなら良く見えるな」
常の如く皺ひとつないスーツだが、風に吹かれてネクタイが勢いよく舞っている。そして影景の背後には、黒いカソックに身を包んだ神内御雄が悠然と佇んでいた。
「おい御雄、折角だからお前も見ていくといいぞ。いわば神代具現化か――現実の俺に伝えきれないことが実に口惜しいが、だからといって無関心ではいられない」
「私は魔術師を廃業したのだがな」
「細かいことを言うなよ、インチキ神父」
土地管理者の魔術師とその土地の聖堂教会は、水面下はともかく、面と向かって対立していることは少ない。
神秘の秘匿という一点において了解のある双方は、ある程度互いに連絡・連携を取っていることが多い。
それを差し引いても、春日の管理者碓氷影景と春日教会の神内御雄は、珍しいほどに昵懇の仲であった。逆に御雄の養女である美琴と影景の仲は表面上にとどまっていた(こちらはこちらで、明とは良好な関係を築いていたが)。
その仲の理由は、影景が御雄の目的を知っていたから――御雄が聖堂教会の神父となったのは、聖杯戦争の監督役となり戦争を砂被り席でみたいからだと知っていたからだ。
彼の神父にとって教会の秘儀や吸血種の殲滅こそ二の次であり、魔術師の影景と対立することがほぼ皆無だった。
何を犠牲にしても己の道を行く、という意味で二人は似たモノ同士であり、気も合うことが多かった。
只聖杯戦争に関しては、影景にとってはただの手段であり一手法でしかなかったが、神父にとっては目的そのものだったため、神父が主導権を持ってはいた。
春日聖杯戦争開催が確定したころ、影景はイギリスから電話を寄越した。
「前もって言ったが俺は聖杯戦争について、明には何も言ってない。あれの修行の場とするつもりだからな――だから明がお前の企みを土台からひっくり返すようなことをしたら、明の手柄だったが」
結果として碓氷明が聖杯戦争に勝利したが、彼女は戦争そのものを崩壊させることはなかった。
新たな神父の願いを崩壊せしめたのは、碓氷ではなく全く関係なかった土御門の末裔である。いや、その願いすら聖杯戦争中に新たに芽生えた願いであり、元々の「聖杯戦争を見たい」という願いはとうに成就しているのだ。
「結局明はそこまでできなかった。あれもまだまだだが――この世界が終わった後、俺は当主を正式に退こう。協会にも申請する。その旨は明に伝えてあるから、きっと現実の俺にも伝わるだろう」
「……成る程。現実の七代目の本意かどうかはともかく、お前を欺き出し抜いたことは確かだ」
「本意ではないだろう。だが俺がこの事態の究明に三日を要したことは確かだ。これを認めないでどうする。さてお前は――此度も娘になにも言わないのか」
「ああ」
美琴は今頃、教会での夜の集会を終えて後片付けをすませ、寝る準備をしていることだろう。
彼女は何も知らないまま、この世界と共に終わる。それは聖杯戦争中に、この養父である神父が何を思っているか知らないままに彼女が命を落としたのと、全く同じだった。
「……影景、記憶は」
「俺は結界で生まれた再生体だからな。記憶も現実を元に改竄を受けているが――齟齬は春日自動記録と突き合わせて訂正した。お前は現実ではすでに死んでいるから、他の人間よりも捏造による違和感・齟齬が激しいはずだ。自力で気づいたろう」
あっさりと「お前はもう死んでいる」と告げる影景は、御雄が良く知る彼と寸分たりとも変わらない。
とすれば、彼は何故、御雄が美琴を殺すことにしたのかまで理解している。
「魔術師かどうかの違いはあるが、俺もお前もエゴの塊だからな。俺は俺の後を超える跡継ぎにするために明を愛し育ててきた」
大事なのは人からどう思われるかではなく、自分が自分をどう思うか。
もちろん、ある程度の利便性のために体面の良さは考慮するものの、後者のほうがより重要だとするのが碓氷影景の根本である。
一般的に見れば自分が人でなしであることを承知で、彼は人に頼らず人を愛さず、それに不足と違和感を抱くことなく生きてきた。
「お前も俺と同じだ。だがな、自分の目的にまい進することと何かを愛することは矛盾しない。お前はお前なりに、養女を愛していたからな」
もし聖杯戦争がライダーというイレギュラーなしに集結していたとしたら、美琴は御雄の本性に気づかないまま戦争を終え、そのまま日常に帰ったであろう。
だがシグマの協力とライダーを得てしまった今、御雄はそのままではいられなかった。どういう結果になろうと、美琴は御雄の本性を知ったろう。それを知った時、彼女はどうするだろうか。
御雄にその想像は容易かった。
――あれは私の敵になるだろう。
嘆きながらも、事によっては殺しにかかったかもしれない。あれは、全き善性の女である。
「敵は事前に始末していたほうがいい。それに、あれも私のために悲しまずに済む」
「自己中極まりない。お前は自分の本性を隠しながらもよき親でいたかっただけだろうに。だから二流の聖職者で一流の呪術師なんだお前は」
影景は善なることを尊びはしない。だが御雄は、その養女の持つ善性を良きことだと思っていた。
己もそうあれれば、この業に囚われることもなかっただろうと――だが、御雄はそれを選べなかった。
「我ながら度しがたい。だが後悔もない。私は、私の望みを遂げた」
「やはり俺たちは似合いの神父と魔術師だよ」
追憶も僅か。世界の終わりを受け入れた魔術師と神父は遠く――奇跡を目撃して息絶える。