Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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夜② 青春、河原での殴り合い

 美玖川は静謐を讃えて横たわっていた。

 風もなく、黒々とした水面は羊羹のように、鈍く艶めいていた――しかしその静寂の上を、我が物顔で荒らしまわる黒い狼たち。

 アヴェンジャーを通して、彼にとってなじみ深い形で顕現したこの世全ての悪。

 

「……もう自ら死ぬこともできないらしい」

 

 宝具から打出した剣を自分の胸に突き立てても、瞬時に黒い魔力によって覆われる。心臓――サーヴァントたる今は霊核だ――は、聖杯の魔力によって造られた核になりかわっている。

 この世界を作ったのは大橘媛で、アヴェンジャーはあくまで呪いのはけ口として呼ばれたサーヴァント。

 あくまで彼の立場は従であったが、とうにそれは意味をなさなくなっていた。彼が自らのうちに呪いを貯め込むのを辞めた瞬間に、今まで溜めこんだ呪いが一気に噴出して春日を混沌に変えるだろう。

 殺してもらうならば、自分以外の魔力によってしかない。

 

 せっかく発破をかけてきたのだ。精々好きにやればいい――大橘媛は、楽しくやっているだろうか。

 

 編纂事象の弟橘媛は、行儀よく走水で死んだ――いや、神になったらしい。

 その死の先に大和の繁栄と、今の春日のような日本がある。弟橘媛――否、大橘媛も、このような繁栄を望んでいたのだろうとは、思う。

 

「……チッ」

 

 既に許容量から溢れた量は、黒い狼として春日を渉猟している。少し前まではまだ自分の意思で操れたのだが、もうそれも限界に近い。

 しかし彼は自らの内側――臓腑を焼き尽くす呪いの疼痛をおくびにも顔に出さず、背後に立つ巫女へと振り返った。

 

「――俺に用があるわけではなさそうだが」

 

 半袖のブラウスに、瞳と同じ碧玉のブローチ。碓氷素材の紺色のマキシ丈スカートを纏う、手ぶらのシグマ・アスガードが手持無沙汰に佇んでいた。

 その様子は、アヴェンジャーではない誰かを待っているようだった。

 

「……そうね。ここは春日の境、結界の境だから――あなたの意図しないことだと思うけれど、色々な人間が寄り集まりやすい場所になっている。だからもし、人を待つのであればここだと思ってね」

「……お前はこの世界で、成したいことを成したか」

 

 それきり話はなく途切れるはずだったが、アヴェンジャーは気まぐれに彼女に話を振った。本当に気にしているのは、この巫女ではないのだが。

 

「何? あなたから話し掛けてくるなんて」

「なんとなくだ」

「死なないここだと魔術師を食べられないから、きちんと現実に戻る渡りもつけたわ。あと、ちょっと変わった一般人を見つけたのは収穫。現実に戻ったら、ちょっかいかけてみようかしら」

 

 シグマのことを、幼女と言った少年がいた。シグマの見るところ、彼から魔術師の気配は全く感じなかったのだが、日本における「混血」などと遠い縁でもあるのだろうか。

 

 幼女。幼く、眼に見える全てを興味深く思い口にしてしまう生き物――自分のことながら、きっとずっとそのままだろうと思うと、さしものシグマも呆れるのだ。

 

 もし自分が、幼女から成長するのであれば――その時に自分に何が起きるのか。

 この空白が埋まった時には、これまでの自分をどう振り返るものか。わからない。

 もともと、自我など必要とされないし、今もないこの身。ライダーと、同じく。

 

「……幼女は幼女らしく、心の赴くままに遊び戦うものよ。ねえ――」

 

 美玖川を背にしたシグマが頤を上げた先にいたのは、河川敷の向こう、道路を渡りおえたところで佇む金髪の優男と、濡場玉の黒髪をもつ少女。

 

「ハルカ・エーデルフェルト」

 

 シグマの瞳が、一瞬金色の煌めいた。ほのかに、遠き異郷の女神の面影が滲む。

 

「……戦いにきました。シグマ・アスガード」

「ふうん、昨日よりは冴えた顔をしてるじゃない」

「むしろ、昨日は失礼をしました。今日こそは殺して差し上げます」

 

 ハルカは堂堂としてかつ大股の足取りで芝生をふみ、河川敷を横断する。その後をしずしずとキャスターがついてくる。

 シグマとハルカ、彼我の距離は十メートルほど。

 

「あら、昨日は私の魅了でノックダウンされていたけれど、大丈夫なの?」

「安心してください。その点については、対策を講じています。それに、今この結界内こそ、あなたを打倒する最大の好機です。もし今を逃せば、もっと難しくなってしまう」

 

 神霊の一端をその身に宿す。そんな離れ業に今の装備で勝てる道理が浮かばなかった。それこそ碓氷の娘の助力でも仰がなければ。一方シグマは腹を抱えて笑いだした。

 

「――アハハハハ! フフ、ちゃんとわかっているのね。そこまで言うんだもの、貴方が私を倒してせたとしても、貴方の命が明日まででも、現実のあなたには何一つフィードバックしなくても、倒すのね」

「もちろん。たとえ私が幻であっても、すべてを擲っていい理由にはならないのです。私とて人間です――絶望に打ちひしがれることもあります。けれどそのままではいられない。現実の私が面した絶望は、現実の私が何とかしなければならない。私が今すべきことは、自分のベストを尽くすこと。エーデルフェルトとして、己として恥じない行いをすること。ゆえにあなたを殺します」

 

 

「――そこまで言うと、ちょっとステキね。製造上の欠陥で、人の記憶が長続きしない私でも、このやりとは覚えておいた方がいいと思っちゃう」

 

 じゃあ、始めましょうかと花のような笑顔を浮かべたシグマだが、ちらりとキャスターに眼をやった。「……キャスターはそれでいいのかしら? 彼女、ずっとアヴェンジャーのことを見てるわよ」

 

 ハルカも、それには気づいていた。ここにアヴェンジャーが姿を現すことは想定していなかったが、丁度いい。

 昨日からキャスターの様子がおかしいことに、彼が関係しているのではないかと思っていた。目で彼女を促すと、キャスターは口ごもってからようやく尋ねた。

 

「……アヴェンジャー、私は、苦しくてあなたを呼んだでしょう。でもなぜ、今まで何も言わずにずっと、この世界を維持してくれたんですか」

 

 アヴェンジャ―が召喚されたのは、聖杯の残滓と直結しているキャスターが強く「助けてほしい」と願ったからだ。

 一番に思い浮かんだのがアヴェンジャーであり、呪いのはけ口を欲したからだ。

 

「何故、そんなことを聞く。お前の目的には関係ないだろう」

「た、たしかに関係ないですけど。でも、なんで。この世全ての汚濁です、そんな何の目的もなく耐えようと思うものじゃあありません!」

 

 アヴェンジャーも結界内でも現世を楽しみたかったなど、何かしら目的があればわかる。だが彼が春日の街を楽しんでいる姿を誰も見ていない。彼は本当に世界を維持するためにだけ活動している。

 その理由がわからなくて、キャスターは問うた。

 

「? 俺はこんな世界どうでもいい。だがお前にはここですべき目的があるのだろう。だから維持している」

「? それは、じゃあ私の為にってことですか。いやだから、それこそ何のために」

「――なるほど。結論はでましたね、キャスター。これであなたの疑問は解決したでしょう」

 

 ハルカは準備運動がてら両腕をぐるぐると回してから屈伸を行った。

 ハルカとシグマの間の空気は、既に張りつめていてお互いに顔に薄い笑みを浮かべていた。重苦しくもここちいい緊張感の中で二人は、二人だけの空気を作っていた。

 しかしキャスターはハルカのサーヴァントであり、彼が戦うというのならばまた彼女も戦うのである。アヴェンジャーの話は全くケリがついていないのだが。

 

 しかし、既にハルカの瞳には獰猛な光が宿っていた。

 一方のシグマも碧眼を煌めかせて、あくまで嫋やかに微笑んだ。疎外感を感じながらも、キャスター自身も武器でもある鏡を取り出して構えた。

 

「……ハルカ様、行きますよ!」

「ええお願いします! 強化と祓いを忘れずに!」

「いいわ、いいわ! 黄金の力(グルウェイグ)を降ろすのは無理だけど――やれるとこまでやってみよう、ね!」

 

 シグマの瞳に見え隠れする黄金の気配が不穏でならない。日本の神ならまだしも、異郷の神ではあまりに接続が遠くなり過ぎるとの話だが。

 もしやこの巫女、専門とする神霊以外を降ろそうと考えているのでは――しかし、キャスターの思考よりも二人の身体の動きが速かった。

 

「――さて、楽しみましょう?」

「ハルカ・エーデルフェルト。参ります!」

 

 それは、凄惨でもあった。神代よりの大家、アスガルド家の最高傑作たるシグマ・アスガードに素質で叶わず、ハルカは劣勢を強いられていた。

 

「ふふっ、ここだと陰陽道の方が通りがいいのよね。――臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! 来れ四神守護せし霊獣!」

 

 春日聖杯戦争でも使っていた、奪った陰陽。四神相応の地を守護し、安倍晴明の式神十二天将として数えられた霊獣・白虎の召喚。

 方角の吉凶と星に込められてきた概念にカタチを与えたものであるがゆえに、彼らは動く概念武装といってよい。日本においてさえ千五百年を超える神秘を持つ霊獣は、ハルカではなく――サポートのキャスターへと襲い掛かった。

 

「キャスター!」

「私は大丈夫ですっ、マスターはシグマさんに!」

 

 キャスター自身の来歴は、日本における白虎よりは古い(中国の白虎であれば、より遡るが)。それに加え、術者が真性陰陽師ではないこと――技をそのまま奪っただけのシグマであることが幸いして、即破られることはない。

 

「……とう! |常磐堅磐に護り給ひ幸し給ひ《ときはかきはにまもりたまひ さきわいしたまひ》、加持奉る 神通神妙神力加持!」

 

 襲い掛かる白虎を、浮遊する鏡を振り回して、頭から殴りつけ、一瞬怯んだ隙に、もう言一度同じ場所を殴りつける。

 この程度で宝具の発動とハルカへの祝詞を欠かすほど、倭姫命の元で温い修行をしてはいない。倭姫さま、キレイな顔してすごい厳しい(スパルタ)だもの。

 

(……あの、シグマの魅了。あれで全開じゃないとか、本気ですか? 私の祝詞でも、随時かけ直さないと破られるって……)

 

 影景が昼間に提案した魅了対策は、実に単純だった。キャスターが随時祓いの祝詞をかけ続ける、ただそれだけ。

 シグマの魅了は、女神グルウェイグの魅了で、魔眼ランクとしてはA以上のそれである。生半な防御術式を一度組んだだけではすぐに破られてしまうため、常に魅了と戦い続けるしかない。

 

 キャスターの宝具による強化、自らの礼装「宝石炸裂・機動装甲」によって、瞬間瞬間、シグマにインパクトする瞬間の強化も加えていく。握りこんだ宝石の爆発が、シグマの至近距離で放たれる。

 

Funf(五番)Dre(三番)Vier(四番)……!」

 

 その光景を、離れてじっと見つめているアヴェンジャー。

 彼はどうでも良さそうな顔で、どちらかを助けることもない。

 

 夜を照らし出す閃光と爆風を受けても、シグマは無傷だった。

 彼女の周囲を循環する濃密な魔力のドームが、彼女を護っているのだ。今の宝石はBランクの威力はあった筈なのだが、とハルカは歯噛みする。

 

 身体能力だけなら、ランサーと互角にやりあえるハルカの方が上だ。だが、彼女の鎧を破れない。

 

「アハハハハ!!! もっと、できるでしょう!」

「……ッ!! Sechs Ein Fus, ein Halt(九番、冬の河)!」

「……ッ!」

 

 キャスターは白虎から逃げつつ戦いつつ、宝具でハルカの身体を強化しつつ高速祝詞で常時祓いの言葉をかけ続け、シグマの魅了をその都度洗い流して落していく。

 

 しっかりと補佐の役目を果たしつつも、キャスターの脳内は混乱していた。

 

 彼が戦うのなら、自分も付き合うと決めている。

 だがわからないのだ。何でこれほどまでに、この儚き世界であっても、どうしてそこまで戦いたがるのかがわからない。

 

 その心を読み取ったかのように、背後のアヴェンジャーが口を開いた。

 

「あの手の男はたまにいる。戦うこと自体が楽しくて楽しくて仕方がないという者は」

 

 ――確かにハルカは、戦うことが目的と言っていた。

 だが死にたいとは、一言も言っていない。だからこそ、現実世界での自分がボロボロになっていることに、絶望していたのではないのか。

 

「ん~~それはちょっと違うワ、タチバナちゃん。あの男にとっての絶望は死ぬことじゃないの。戦えないまま、受けた恥を雪ぐチャンスもないまま、生きながらえてしまうことよ」

 

 何時の間にか空を浮遊してやってきたフツヌシが、したり声で言う。殺し合う二人に目を向けたままのアヴェンジャーは、それに頷く。

 

「そこの剣の言うとおりだな。あの手の男は簡単にできているから――落ち込む時は派手に落ち込むが、その分勢いよく浮き上がるだろう」

 

 どうして、全然ハルカの傍にいなかったはずのフツヌシとアヴェンジャーが、ずっとハルカの傍にいたはずの自分より彼をわかったような風でいるのか、わからない。

 

 もう、キャスターには何が何だかわからなかった。

 その一方、彼女の宝具(強化)を得たハルカは、シグマ・アスガードを傷つけるべく、とっておきの宝石を放とうとしていた。

 

 シグマのあの魔力ドームを貫くには、爆撃よりも錐のような一点突破のAランク相当の攻撃を放つしかない。いや、もしかしたら――キャスターは唸る白虎に遠当を叩き込みながら、その案を実行に移そうとした。

 ハルカは、こちらに気づいてくれるだろうか。

 

「っつ、猫さん、こちらっ!」

 

 キャスターは白虎に背を向け、全速力でシグマに向かって走り出した。

 白虎も当然、キャスターを追いかける。キャスターは減速する気配なく、そのままシグマの魔力ドームに激突してしまうが、一緒にあとを追いかけてきた白虎も、それは同じ。

 キャスターは僅かに体をずらし、白虎の突撃をすんでのところで避けた――その結果、獣の牙は魔力に突き立つ。それは、動く概念武装の刃だ。

 

「……生兵法は怪我の元、って言うらしいですよ」

「……っ!?」

 

 シグマの盾に、穴が開く。そしてハルカ・エーデルフェルトの宝石が光を放ち、魔力の渦が唸り迫る。

 

Der Riese(終局)――nd brennt(炎の剣)das ein Ende(相乗)!」

 

 

 真夜中に光る、紅。

 宝石はルビー――まるで剣のような一筋の赤い閃光が、シグマを貫いた。

 

 

 魔術の粋を凝らされたシグマは、人間の女の胎から生まれこそすれ、人間として設計されてはいない。神の器に、人格は不要。神が、人になってはいけない。

 その器が、人になってはいけない。

 人と接するうちに、人の価値観に染まってはいけない。

 

 何故ならコレは、神の器。魔術や知識については蓄積することに問題はないが、人との関係性を蓄積することは、そもそもの機能に影響を及ぼす。

 

 だから、忘れよ。変わってしまう前に。

 

 シグマは、一般的にエピソード記憶――時間や場所、その時にかんじられる感情――と呼ばれるモノを忘却する。

 それは、前述のようにアスガルド家の者が、器を器足らしめるべく実装した機能である。誰と仲が良いとか、こんなことをしてもらったとか、人情をもたらすための記憶が、定期的に喪われる。

 

 喩え脳からその記憶が抜けたとて、体が忘れたわけではないのだが――シグマは、器として不要なものは、たとえ本人がどれだけ収集しようと、失くしてしまう。

 

 ただ、シグマが魂食いに拘っているのは――彼女が器としては不要と認定されているものにも、価値を見出しているからかもしれないのだが。

 

 ――氷空が彼女を、幼女と評したことは、決して的外れではない。

 

 

 

 

 万一のカウンターを危ぶみ、ハルカは、後ろへと距離を取った。だが、魔力のドームを破った今を置いて叩き込まねば、次はいつチャンスが訪れるかわからない。

 

「ハァッ……叩き込みます! Es last frei(解放)Eilesalve(一斉射撃)――――」

 

 宝石の流星。

 ルビー・エメラルド・トパーズ・ダイヤモンドの煌めきが中天に輝き、一斉に流れ落ちシグマへと降り注ぐ。煌めきに似合わぬ轟音を上げて、火柱が立ち上る。

 ハルカは眼を細めつつ、グラウンドゼロを油断なく見つめて――そして目を疑った。

 

「……焦ったわ」

 

 脇腹から鮮血を流しながらも、シグマ・アスガードは健在だった。

 服の端々が焦げ付いているものの、その足で立っていた。濃密な魔力ドームは構成できていないのに、なぜ無事なのか――それは、キャスターの結界によって守られていたからだ。

 

 キャスターは決して意図的にシグマを護っていたのではない。

 ただ、今の一連の攻撃の起点が、キャスターのシグマへの突撃であり、彼女がシグマのそばを離れる時間はなかった。

 一撃目の針のような閃光はよいとしても、二撃目の流星は広範囲攻撃で当然キャスターをも巻き込む。ハルカは当然、キャスターは自分で防ぐと思っていたのだが――あの刹那、シグマは近くのキャスターに飛びつき、自分も守らざるを得なくした。

 

「……ッ」

 

 単なる体術でキャスターを羽交い絞めにしたシグマは、花唇を開き、彼女の首筋に息を吐きかけた。

 

「キャスター!」

「白虎」

 

 近寄ろうとしたハルカを、召喚した白虎でけん制する。

 

「キャスター、あなた、本当にサポート専門のサーヴァントなのね。ピーキーすぎて、涙が出そう。人間に人質にとられるサーヴァントなんて、珍しい」

 

 抜け目なく、鈍器である鏡はシグマの足で押さえつけられている。シグマの言う通り、数少ない攻撃手段も遠距離が基本のキャスターにこれだけの近さは致命的である。

 そして同じ巫女として、キャスターはシグマの異常さをよくわかっている。

 

 巫女とは器。器の女。魂を、食うモノ。

 

「あなたがいれば、私はウズメの器にでもなれるかしら……?」

「……!」

 

 仮にも人間が、サーヴァントを食らう? そんなこと、本当にできるのか。キャスターが危ぶんだその時、十メートル以上先にいたはずのハルカの姿が消えていた。

 そして、次の瞬間には目の前にあった。

 

 直接にシグマから逃れる術はなくとも、ハルカへの宝具は怠っていなかった。

 ゆえにハルカは、サーヴァント並みの身体能力を維持したまま、白虎のかいくぐってシグマとキャスターに迫り――シグマの顔面を、殴り飛ばした。

 

「――ッ、!」

 

 途中までキャスターも一緒に吹き飛ばされたが、シグマは彼女を確保していられず、勢いよく投げ出して地面に転がした。

 ハルカは間髪入れず、畳み掛けるように地を走った。

 

 眼に追えない速さで繰り出された右ストレートを、何とか斃れなかったシグマは紙一重で回避した。魔力ドームは生成できずとも、瞬時にルーン強化を全身に施し、右拳を叩きこもうと踏み込む。

 

「あなた、何でそんなに私を倒したいの! 恨んでいるから?」

 

 こちらも強化された、岩石をも砕く破壊力の拳が、ハルカの金髪を掠める。ハルカは一歩引き、身を屈めてさらに勢いをつけて迫る。

 

「それも、あります。しかし、私はエーデルフェルト。雪辱は、晴らします!」

 

 腹部を狙った一撃は、見事シグマにヒットするが――彼女は吹き飛びも斃れもしない。力強く地を踏みしめ、ハルカの腕を捉える。

 

「ふうん。でも、ここで私を倒しても、現実世界には何も残らない。雪辱を晴らしたと言う功績も、ただの絵空事になるわ。それでも雪辱を晴らすの?」

 

 捕えられた腕が、まがってはいけない方向に捻じ曲げられた。

 ハルカは痛みに顔をしかめたが、キャスターの宝具の力で回復はすぐさま進む。腕を気にせず、宝石を至近距離で放つ。

 

「……晴らします。私は、魔術師としては二流でしょう。でもそれでいい。エーデルフェルトは私に、私を捨てた者たちを見返すだけのチャンスをくれたのだから!」

 

 双方吹き飛ばされるほどの爆風が巻き起こり、地面は抉れて土ぼこりが舞い起こる。宝石によるBランクの魔術行使、しかも至近距離ではただでは済まないが――二人は距離をおいて、無事だった。

 

「……あなたが強くなるならエーデルフェルトとしても有益だものね。わかっていると思うけど、エーデルフェルトはあなたに価値があるから助けているのよ?」

「承知です。今更そんなこと」

「現実のあなたは、きっとエーデルフェルトにとって無価値ね」

 

 それはハルカにもわかる、胸に痛い事実だった。エーデルフェルトに利があるからハルカを育てていたのでも、感謝があることに変わりはない。

 動けない己は見捨てられても、可笑しくない。だがそれよりも――ずっと、辛いことがある。

 

「戻ったら、二度と貴方とは戦えない体かもしれない。だから今、戦うのです」

 

 熱烈な愛の言葉にも聞こえるそれに、地面を転がっていたキャスターは耳を疑った。あんなにも教会にいて恐れ、怯えていた相手に対して吐く言葉とは思えない。

 

「あら、存外情熱的なのね」

「昨日の戦い、今もですが、あなたの魔術は群を抜いている。まだ私は封印指定の所以の力さえ見られていないのでしょうが――貴方は私より強い。強い者に殺されるのは仕方がありません。もちろん、自分が聖杯戦争に敗れていたことにショックはあります。戻りたくもない。だけど、それ以上に死んだらもうあなたのような強い魔術師と戦えない」

 

 愛の告白とは違う、熱烈で真摯な言葉。

 

「聖杯戦争での最大の悔いは、負けたことではない。戦えなかったこと。だから今がいいのです。今戦ってベストを尽くす。それがハルカ・エーデルフェルト!」

「ふふっ。私なんかに言われたくはないと思うけど、本当、魔術師というより戦闘狂ね――!!」

 

 二人の荒い呼吸が、非常に大きく夜に響いていた。ハルカは満身創痍で、得意の礼装もズタズタになっており、大の字で芝生の上にひっくり返っていた。

 シグマも満足に魔力ドームが作成できず、ルーンでなんとかするのがやっとの様子で、血を流している口の端をぬぐった。

 その上二人ともぬれねずみであるのは、双方とも一回は吹き飛ばされて美玖川に落下した経緯もある。

 キャスターは強化宝具こそ発動させていたものの、もはやただただ殴りあう二人に手出しができず、眺めているだけになった。

 これ以上の手助けをする方が、無粋な気がしてしまったのだ。

 

「は、ハルカ様……大丈夫ですか」

 

 キャスターも息を切らしつつ、とぼとぼとハルカの傍に坐り込んだ。キャスターの場合は、既に戦闘による疲れだけでなく、考え事のほうが影響を及ぼしていたのではあるが。

 

「はー疲れた!」

 

 魔術戦ではなく、まるでたっぷり草野球をした後のようにシグマは叫んでその場に座り込んだ。

 

「ねえキャスター、わたしに食べられてみない? ウズメを降ろせるかも」

「そう、ホイホイ神霊、呼ばれて、たまるもんですか! 私の立つ瀬が……」

「? そう?全然違うわよ。私は空想具現なんて操れないし……」

 

 キャスターの結界宝具も、純粋な空想具現化とはかなり違うのだが。その時、ハルカが痛む体を圧して上半身を持ち上げた。

 

「……く、キャスターの力を借りてこの様とは、現実世界のあなたは大層……」

「ハルカ様、無理をなさらないで、」

 

 しかしハルカはキャスターを押しのけるようにして、ふらふらとだが立ち上がった。身体中の痛みで苦しげではありながらも、その顔に曇りはなかった。

 

「……私も、まだまだですね。現実の私をしっかりしろ、と叩きたいところですが……それはもう、現実の私に頑張ってもらうしかないでしょう」

 

 その時、今までなかった気配が河原に現れた。白い短甲、同じく長い白髪を一つにまとめた、赤い瞳のサーヴァント。

 

 まるで今までシグマとハルカの戦いを観戦していましたといわんばかりにゆったりと――宝具、「天地渡る岩鳥船の神(アメノトリフネ)」に腰かけて悠々と音もなく河原に舞い降りた。

 

 天鳥船は小型の飛行艇のようなもので、物理法則外の軌道をとる。

 

 ――ハルカは彼の気配に驚きはしたものの、すでに当然の顔をしてフツヌシがいるのだ。ライダーが現れるのは予想できなくはなかったが、何のために現れたのかはわからない。

 

 ライダーは右手の指でフツヌシを呼び寄せると、手に納めて天鳥船から飛び降りた。

 その視線は、意思はここにいるもう一人の天皇に向けられていることは明白だった――フツヌシの切っ先が真っ直ぐに指し示す。

 

「――公は決めたぞ。倭武天皇(アヴェンジャー)――草には死んでもらうとしよう」

「――ほう? 異なことを言うな初代」

 

 アヴェンジャーが口角を吊り上げると同時に、再びどこからともなく黒狼が湧き出でてくる。彼は中空から三本の剣を抜いた。

 

「最早全員知っている。俺を殺すこと即ち、ここのおわりだと」

「勘違いするな。公は忙しいのだ、お前を殺しているほどヒマではない。ついでに伝えにきただけだ」

 

 では何をしに来たのか。ライダーはやおらハルカの方に振り返ると、ついでにキャスターにも目配せをして、笑っていた。

 

「ハルカ・エーデルフェルト。公の企みに乗ってみないか」

 

 その笑みはまるで、秘密基地を友達に教える悪童のようにも似て。

 自慢げに作った秘密基地を見せる子供にも似て――いや、既に良いプレゼントをもらった子供のようでもあった。

 

「お前がこの結界の被造物ではなく、最初から影使いのように――現実世界から連れ込まれたことにしようと思う」

 


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