Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
昼① 夜を目指す
コンクリート打ちっぱなしのおしゃれなデザイナーズハウスの一軒家、広いリビングにおいて真凍咲は腰に手を当て、満足げにピンクのリュックサックを見下ろしていた。
「よし、準備はこれでいいわ」
今日は土御門一成から誘いのあった宿泊会である。健康ランドこと春日園に四時集合ということで、咲は家までタクシーを呼びつけて行く予定だ。
「タクシーとやらはまだか?」
すっかりTシャツにGパンが板についたランサーも、手提げに着替えをいれて準備が終わっているようだった。
配車依頼は終わっているので、あとはタクシーの到着を待つばかりである。本でも読みながらリビングで待つか、と咲がソファに腰を下ろした時、彼女は視線に気づいた。洗濯物かごを抱えているバーサーカーだった。
こちらも白いエプロンが板につき、坂東の荒武者はすっかり家政婦の装いである。ただ料理は任せられない。
「なあに、バーサーカー」
狂化で理性の大部分を失っているため、言語は操れない。しかし咲は彼をじっと見ていれば、なんとなく何を言わんとしているかわかるようになった。
自分がわかるようになっている、気になっているだかもしれないが。
「……あんたも行きたいの?」
バーサーカーは沈黙を守っている。
「でもあんた鎧脱げないし、一緒に行ったってずっと霊体化させてるしかできないって言ったでしょ」
バーサーカーは沈黙を続けている。
咲も沈黙を続けている。
バーサーカーは黙して語らない。
咲は肩をすくめた。「実体化許さないからね」
遣り取りを黙って眺めていたランサーが口を出す。「おやバーサーカーも行くのか」
「そうみたい。ずっと霊体化させておくからお金はかからないと思うけど」
「ハハハ、見上げた根性だな」
「私がいないんだから家事もないし、マスターがいない状態のほうがのびのび自由にできると思うんだけど」
「バーサーカーは理性がないから自由を感じ取らないだろう」
「ランサーも知ってるでしょ。バーサーカーといっても理性が全部なくなったわけじゃないって」
「だったらバーサーカーは残った理性で、お前といる方がいいと言っておるのだろう」
「……」
狂化A+、Aランクになれば理性は完全消失しマスターの制御さえ危うくなるとされるが、咲のバーサーカーのランクはBであり、理性の大半は消失しているが理性はある。
咲とて、バーサーカーが現代にも畏れられ続ける坂東の帝であっても、本来の彼は狂戦士と化すべきものではないのだろうと思っている。
周りが恐れ、時代が恐れ、魔人だとしても、咲にとっては目の前にいるバーサーカーがすべてである。
それにしてもランサーは、最後までの流れを承知で口出しをした気がする。いつもうまく宥められている気がする。
――私の父親も、こんな感じだったかな。
それも儚き夢。ロクなことになっていないだろうから、耳を塞いだ。
この偽物の春日が消える――それは、魔術師としてなんとかわかる。だが、「現実の」自分がどうなっているのか。それは碓氷もランサーも語らないが、咲も聞きたいとは思わなかった。
血で染まった廊下が見える。
肉片と化した死体が見える。
病院が地獄と化した。
人を食らうは、目の前にいる我がサーヴァント――。
正しく魔術師であろうとしていた、ありたかった。しかし真面目に考えてしまえば、きっとここから動けない。だから咲は意図的に耳を塞いだ。
本当を知り動けなくなってしまうくらいなら、欺瞞でもいいから己をごまかし、儚き世界でも今度は立派にあり続ける方を選ぶ。
「時間があればなあ」と、ランサーは言っていた。言い訳めいて聞こえても、それでいい。
その時、軽やかなベルの音が響いた。依頼したタクシーが来たのだろう。咲はさっと立ち上がり、バーサーカーに指さした。
「――絶対実体化しちゃだめだからね」
*
明、ヤマトタケル、アルトリアが宿泊会とやらに出発したため、碓氷邸には影景のみが残されていた。
影景自体、家に戻ってくるのは数日振りである。彼は食堂のテーブルでレンチンのパンケーキをつつきながら、しかしつつくばかりで口に運んでいなかった。
「ふぅむ」
今彼の脳内に渦巻いているのは、騎士王の宝具であるアヴァロンのことだった。
影景は実は、アヴァロン――エクスカリバーの鞘の現物を見たことがある。コーンウォールから発掘されたというそれは今も目に焼き付いている。
春日聖杯戦争時、あえてアーサー王を召喚するという手も考えたが、自分の所有物でもない聖遺物を使うには、最低明をイギリスにまで招かねばならず、また超一級の聖遺物を召喚に使わせてくれと突然言うわけにもいかず、あえなく断念したのだ。
彼は今まで「ここでは死なない」という特性を利用し、結界内という前提条件はあるものの、今まで理論だけ立てていた事件を繰り返し、幾度となく死んできた。
その結果はレポートにまとめ、明に渡してある。流石に精神の疲労は否めないが、いやあよく頑張った自分と悦に入ってたところに、降ってわいたように持ちかけられたのがライダーのしょうもない話だった。
――しかししょうもないが、大変興味深くはある。
そのために必要になるのが、エクスカリバーの鞘。正確にはエクスカリバーの鞘でなくともいいそうなのだが、それくらいの遮断結界を張れる礼装が欲しいとのことだ。
固有結界ならアーチャーが使えるだろうと言ったが、「アレはアレで別に使う」らしく却下された。
――「
それは防御というより遮断であり、この世界最強の守り。
「そこまで大層なモノは求めん。やりたいのは不老不死ではなくシャットアウト。世界からの干渉をカットしたい。六次元までとはいわんがニ三次元くらいは」
恐ろしく軽い口調で恐ろしくヘビーな要求をつきつけられ、影景はこれは生前の部下は苦労したろうと呵々大笑した。
そして影景はその要求を受け入れ、アヴァロンのニセモノを作ることになってしまったのだが……。
「ハハハ、できるか。舐めんな!」
影景は解析という己の特質上、投影魔術においては一流である。
ただし投影自体が使い勝手の悪い魔術で、儀式のための道具を投影するのに稀に使う程度しか使い道がない。
彼はその眼で実物の「鞘」を見た。もちろん妖精眼を使用した状態で。
ゆえにアヴァロンの魔力構成・質は理解しているし完璧に覚えている。そういえば噂だが時計塔にヤバい投影――正確には投影じゃないかもしれない魔術を使いこなす輩がいるとか、遠坂のBBAがなにくれとなく隠しているとかいないとか。
まあ、ないものを考えても仕方ない。
ただこの世界の唯一のメリットとして、何階魔術回路を暴走させて死に至っても蘇る点がある。いつもは「できても死んだら意味がない。記録してくれるのがいればまだ許すが」だが、今は何回もトライ&エラーができる。
「しかし、もう時間がない……。投影は却下……結界……遮断……ん?」
あるではないか、結界宝具。既に壊れているのが難点だが、砕け散っていてもヤマトタケルはアレを捨てていないはずだ。
そうとなれば善は急げ、春日園に向かって――と影景が立ち上がった時、彼は屋敷の来訪者に気づいた。結界が反応している。碓氷以外の魔術師の来訪を告げる音。
「これは……ハルカとキャスターか?」
気は急いていたが、こちらもなかなか重要そうな顔ぶれが来た。影景は指を鳴らして門を開けると速足で玄関に向かった。
「――これは何の御用かな?」
想像通り、目の前にはまっすぐこちらに向かって歩いてくるハルカ・エーデルフェルトの姿があった。前に教会で見た鬱々とした彼とは違い、影景のよく知る単純にして明快な戦う魔術師の顔をしていた。
それに引きかえ、彼の後ろにしずしずとついてくるキャスターの顔色はいまひとつだった。
「エイケイ、手を貸してほしい。私はシグマ・アスガードと戦い勝ちたいのです」
挨拶もなしに直截な言葉を切りだされ、影景は思わず噴き出した。「調子が戻ってきたなハルカ・エーデルフェルト。要望はわかったが、俺は忙しい」
「一緒に戦ってほしいとはいいません。あなたの眼力を以て、どういう風に戦うことがベストか戦法を共に練ってほしいのです」
「俺が観戦するのを良しとすることを引き換えに、一時間なら付き合おう」
「春日で戦う以上、あなたの眼を逃れられるとは思っていませんよ」
「全くお前は魔術師に向いているようで向いてない。だが楽しいならいいだろう」
二人の男は、顔を見合わせて笑った。キャスターは置いてけぼりを食らってやや不服そうな顔をしていたが、おとなしくハルカの後に従った。
影景は中に入れとばかりに背を向けたので、ハルカも遠慮なくその後に続いた。
十年以上振りに訪れた碓氷邸は、ハルカの中の記憶と相違しなかった。古めかしいが手入れと内部リフォームが行われている洋館。
碓氷明とサーヴァントは出かけているとのことで、今は影景一人である。一階のリビングに通されたハルカとキャスターは、茶を持ってくると言った影景に従い、ソファに腰かけて待っていた。
洋館住まいでも日本趣味の影景は、紅茶ではなく冷えた麦茶を運んできた。
「エイケイ、前に雇っていたメイドは?」
「ああ、色々あって辞めてもらったよ」
「そうですか。ところで、早速本題に入りたいのですが」
「ああ、シグマ・アスガードと戦うってやつだな。敗者復活戦か?」
「そうです」
あまりにも直截なハルカの言い方に、影景は思わず噴き出した。悪く言えば馬鹿正直で、時計塔での陰謀や交渉術には不向きであるのだが(エーデルフェルト本家もわかっているようで、彼をその手のことには使わない)、それだけに影景はこの男を友人としている。
「春日聖杯戦争でのように、不死の身体になることはない。それだけの時間もないしな……だが魔力を周囲に循環させて鎧にする術は面倒だ。むしろその辺の解除と対抗は、キャスターに任せろ。お前は、ただただ殴る準備をするべきだ」
影景は思わせぶりにキャスターを見た。居心地悪そうに身じろぎをしたキャスターは、渋々頷いていた。
必勝法、とはいわないまでも、自分で考えるよりは遥かに有意義な会議を終え、ハルカは今夜へのやる気に満ちていた。
ハルカ・エーデルフェルト、完全復活の趣である。しかしハルカは、完全に寛ぎモードに入っている影景に対し、文句ありげに口を開いた。
「エイケイ。あなたも再生体とはいえ、この春日の管理者です。自ら調査し、異変とその原因は早くにわかっていたはず。全く、私に声くらいかけてもよかったのでは?」
「ああ、その通りなんだが……。こっちもこっちで死なない世界ということで、やりたいこととやるべきことが一気に増えてな。お前に構っている暇がなかった!」
キャスターは二人の会話では余計なことは言わず、話しかけなければ黙っていることにしていた。
そのため、影景とハルカのやりとりが軽妙で楽しく、本当に友人なのだろうと理解できた。
だが、相手を大切にして互いに助け合う、という友人ではないこともまた、よくわかった。
「はあ……そんなことだろうとは思いました。文句を言うだけ無駄なようなので、やめます。……ところで、あの教会の神父は何なのですか?」
「端的に言えば変態だ。俺は気に入ってるし興味深い相手だが、お前には毒みたいな男だな……で、今度は俺の話だ」
麦茶のグラスをテーブルに置いて、影景は意味ありげに口角を釣り上げた。「お前の戦いにアドバイスしたのだから、お前の拠点を見せてもらいたい」
碓氷影景との会議を終え、ハルカとキャスターは影景を伴って拠点へと帰着した。
前述したが、ハルカたちの拠点は結界のエアスポットに設置されている為、影景ですら存在は把握できても、実際に現地に行くと邸を認識できない。
拠点を設定したキャスターが共にあってこそ、はじめて現地で屋敷を見つけ、入ることができる。
拠点の敷地内から外を見るならば通常だが、外から内側は意識できない。最上級の結界は「ここに結界がある事すら悟らせない、意識させない」ものである。
とすればこの拠点は防衛には最高だろう。
およそ十日間キャスターとハルカが暮らしていた為、長らく人が住んでいなかった屋敷にも生活感が出てきている。テーブルの上に載った塩コショウ、椅子の上に放り投げられている上着。影景は勝手に椅子を引出して坐ると、溜息をつきながら言った。
「キャスター、前々から感じていたが、もしかしてアホか? 結界主の力でこんな場所に拠点を作れるのなら、聖杯戦争をするハルカをバカ勝ちさせるような結界の作り方もできたろうに。他サーヴァントをバカ正直に春日自動記録体通りにせず、改造してもいいだろう」
「……あ、あの時は必死だったんです。あの影使いの人、明さんからどうにか逃げなきゃで、現実のハルカ様が聖杯戦争聖杯戦争言ってたからそれが頭に残ってて」
「……私はむしろ、貴方がそんな改造をしなくてよかったと思っています。私は一方的な蹂躙を楽しむためにここにいるのではないのですから」
「お前ならそういうだろうよ。これだからバトルバカは」
影景はさて、と話を変えた。「俺はこの拠点を見回ったら帰る。お前たち、シグマの住処も知ってるみたいだし、これ以上言うことはないな」
影景がここに来たのは、勿論一緒に戦うためなどではない。管理者の自分をしてつかめなかった拠点がどのようなものか見たいとのことで、彼はハルカの拠点に来たかったのだ。
「私たちは夜に備えて準備をしますので、御随意に。見られて困るものもありませんし。ただ二階に籠っているので、邪魔はしないでください。帰るときに挨拶も不要です」
「了解。好きに調べたら適当に帰るさ」
影景はもうハルカたちの方を見もせず、眼鏡を外してあちらこちらに視線を彷徨わせていた。ハルカとキャスターは二人連れ立って、二階の部屋に向かった。
――知恵は得た。あとは、戦うのみである。