Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
何があろうと、朝は来る。
永遠に続く日曜日がないように、無情にも月曜日はやってくる。
土御門神社から去って、一人自分のアパートに帰った榊原理子だったが――彼女自身、どうやって辿りついたのか覚えていない。
正直、昨日は昼間に碓氷邸に行ってきたアーチャーの話を聞いただけで、頭がいっぱいだったのだ。夜、土御門神社での碓氷明とキャスターの話も、なんとか頭に入れるだけで精一杯だった。
一応ベッドには入ったものの、精々うとうとするだけで深い眠りにはつけなかった。カーテンを閉めていなかったのか、日光は全力で窓から差し込んできている。理子はそれを避けるように、タオルケットにくるまって丸くなった。
一体いつから、ここは虚数空間内の結界だったのか。
それを考えることは無意味なことはわかっていても、思ってしまう。ただおそらく聖杯の異常が起きて、一成と共に捜査をし始めていたころが結界の始まりなのだろう。それまではキャスターの話も、聖杯戦争の話も全くなかったのだから。
とすれば、ここ数日の――一成やアーチャーとともに、夜に春日の街を探し歩いたことも、現実ではすべてなかったことになると言うのか。
魔術のかかわりのない、ただの同級生だったころが本当の理子と一成。
それが、悪いということではない。ただこの数日が、恐ろしいことも怒ることもあっても、理子にとってはもう――。
「……ってか、碓氷は一体なんなのよ……」
理子はくるまったまま毒づいた。この世界の中で、キャスターと同じく、ここの記憶を持ったまま現実に帰還する魔術師。
キャスターは現実で契約したマスターを助けるため、なりゆきで宝具を発動させここを維持していたのはわかったが、あの女は一体何を目的に、この世界の維持に協力しているのかわからない。
虚数空間内に展開した固有結界という、貴重な事例の観察? それなら、この結界の絡繰りを最初からわかっていたなら、最後まで黙っていてほしかった。
理子はここの真実など、知りたくはなかった。
事態の究明に協力してはいたけれど、こんなことなら知らないで良かった。
ライダーという因果律を見てしまうサーヴァントがいること、明以上の春日のプロフェッショナルたる影景がいることもあり、仮に明が黙っていたとしても、一成らが彼らから聞き出す可能性もいくらでもあったのだが、理子は一倍、碓氷明を嫌悪した。
「私に、どうしろっての……」
あのライダーでさえ、手はないと言った。仮に(まず無理な仮なのだが)結界の一部である理子たちが現実世界に行くことができたとして、現実にいる自分との折り合いをつけねばならなくなる。
ひとり分の陽だまりに、二人が入ることはできない。
理子は、古くから続く由緒ある神社の跡継ぎであり神道魔術の跡継ぎでもあるが、彼女の家は、碓氷のような西洋由来の魔道の家とは趣を異にしている。
ざっくりと言えば、榊原家は碓氷のように、根源を求めて魔術の研究をしているのではない。神代より受け継いだ土地と神獣を、地域(霊地)共々守り続けること自体が目的なのである。
それは彼らが奉る大口真神が魔除けの具現であり、日本武尊の命に従っているからでもある。
――そのため、時計塔における「魔術師」の定義からも、彼女たちは外れる。有り体に言えば、根源を追い求めるための魔術師の資質である自己の客観化も、さほど求められていないのだ。
たとえば碓氷影景であれば、同じ事実を知ったとて、理子のように悩みはしない。
現実の自分が他に存在しているならば、結界内の自分がどうなろうと慌てることは何もないのだ。
ふと、理子が目線を上げた先に置いてある時計は、八時半を指していた。夏休みも終わりに近づいているということで、昨日に引き続き今日も文化祭の練習がある。昨日のような合わせ練習はないため、クラスメイトに一本電話を入れれば行かなくてもよい。
実際理子はそうしようかと思い、芋虫のようにはいずってベッドサイドのミニテーブル上のスマホを手に取った、が、やめた。
ここでゴロゴロしても何もならない。それならば、友人の顔でも見て騒いで文化祭準備をしたほうが、気も紛れる。
それに、今日の練習にも自分は行くと言ったのだから、体調不良でもないのにサボるのは避けるべきだ。
「……っしょ」
理子はのろのろと、だが確かにベッドから這い出した。行くと決めたなら、行き、練習をする。
たとえその文化祭当日が、永劫に来ないものであっても。
今日も憎らしくなるほどの晴天で――というか、春日に異変が起きてからずっと晴れているような気がする。それが結界であるがゆえに固定された天気なのかそうでないのか、理子にはわからない。
雲一つない空の下、暑さにうだりながらも、理子は高校に辿り着いた。
着替えはもちろん教室を分けているが、終わった者は多目的教室に行って各々ダンスの演習をするゆるい練習回の予定である。
朝布団の中でうだうだしていたため、珍しく遅刻した理子が教室に行ったときには、誰もいなかった。通学バッグや制服が置いてあるので、皆多目的教室に行ったのだろう。踊りやすいようにジャージに着替えると、急ぎ足で教室を飛び出した……と、見たことのある後ろ姿が眼に入った。
*
クーラーの効いた多目的教室で、男子生徒女生徒とあわせて十人がダンスの振付の確認をしていた。
流石に体育館より手狭であるが、普通の教室よりは広い。その中で一成は窓際で練習をしていたのだが。
「おい一成!」
「うあっ!? 何だ!?」
いきなり背中を叩かれ、一成は前のめりになった。後ろにはジャージ姿の桜田が口をとがらせていた。どうも怒っているらしい。
「何だじゃねーよ、さっきから声かけてるのに全然返事しねえから」
「悪い、ボーっとしてた」
素直に謝罪されて、桜田は溜息をついた。「いや、いーんだけどよ。何か元気ないみたいだから気になった」
「いやほんとボサッとしてただけだから。気にすんな」
知ってはいたが、相変わらず桜田は目ざとい、気の付くやつである。一成自身としてはへこたれているつもりはないのだが、違和感は出てしまっているようだ。
勿論一成の脳を占めているのは、昨日の話――この春日についての話だ。
いきなりこの世界はキャスターによって創られたもので、自分は記録から再現されたニセモノで、しかもこの世界はあと数日で消滅すると言われても、現実感皆無だ。
ただ言われてみれば、神父の記憶、食い違うアーチャーの記憶……思い当たる節々は多いため、否定する気は起きない。
俄かに信じられることではないが――キャスターはともかく、明がこんな嘘をつくとは思えない。その上、この状態を根本的に解決する方法もないと来た。
本当に自分は、別にいる。
何も知らず幸せに死ぬか、知って来る滅亡に怯えるか――一成は急に立ち上がった。
「アー!! よし、踊るぞ! 妖怪体操第二!!」
この問題は、自分が悩み続けて解決する類ではない。もし策を模索するなら明や、あとはライダーなどに持ちかけるべきだ。
今、自分は何をしに来たか――そう、文化祭のダンスの練習に来た。世界が消えれば文化祭はない? そんな未来の話は知らない。
俺たちはいつを生きているのか? 今でしょ。
だが一成の内心など知ったこっちゃない氷空は、期待に満ちた顔で全く違う話を持ち出した。
「そういえば一成氏、キリエタンは?」
「今日は来ねえよ!」
「つか今ダンスで練習してるの妖怪体操じゃねえって」
山田の言う通り、良く聞けば今流れているのはBad――マイケルジャクソンのダンスナンバーだった。一成はきまり悪そうに頭を掻いていたところ、急に扉が開かれた。
「よーしみんな、集まったか!」
「げえっラン……本多さんと大和!?」
サーヴァントたちが、平然とこのクラスの文化祭に首を突っ込んでくるのはどうなんだろうか。碓氷明という地主(の娘)の力は絶大だ。
二人とも真名まるだし、かつその真名らしさのある人物(というか本人)のため、妙にクラスメイトの人気を得てしまっていた。しかも二人とも運動神経がよく、舞踊もまたたしなみがあるから手におえない。
ランサーもセイバーもラフなTシャツとGパンで現れたが、セイバーは「日本最強」Tシャツ、ランサーは「一番槍」Tシャツだった。
「おい、なんで来たんだよ!」
「いや、そこな桜田から本日も文化祭の練習があると聞いていてな、参ったのだ」
何時の間に桜田とそんな話をしていたのか。セイバーもランサーも、一度来て勝手も理解している為、もう学校に来ることに苦労はしなかっただろう。しかしサーヴァントたちのスペックを除いても、このクラスの面々、順応力がやたらと高い気がする。
「本多さん、また護身術教えてください!」
「大和さん、女装練習したんで後で見てもらってもいいですか!?」
「うぉい! お前ら何しに来たんだ! 後にしろ!」
桜田が斜め上の理由でサーヴァントたちに駆け寄る同級生を阻止し、ぐいぐいと教室内へとひっぱりもどした。昨日の騒動、春日の話にもかかわらず、セイバーは至っていつも通りだった。……ランサーは、その話を知っているのだろうか。
セイバーと行き合わせたなら、その話を聞いているのであろうか。
「ここは女子も男子もいるようだ。場所を変えた方がいいだろう」
「じゃあもうひとつの多目的教室に行きましょう。三階です」
「ならば行くか」
イケメンは万難隠す。もう好きにしてくれ。と一成は考えるのを辞めていたが、ランサーもランサーで妙な事を言いだした。
「儂も女装したら似合うのか?」
「おいラ……本多さん、変な扉開くなよ!」
「そうは言っても陰陽師、趣味とするかはともかく、儂の時代に女装はそう奇異な事でもないのだ。魔除けに男児を女装させることもあるしな」
装いを変えることは、魔術にもつながる。一成としてもその知識がないわけではなかったが、それでも悲しき現代人、残念な女装ランサー本多忠勝の図が浮かんでしまう。
「……いや、やっぱやめておこうぜ。俺らはダンスの練習するから、ちょっと見ててくれ」
「本多さん、動画ありますよ! ここ押してください」
桜田が脇からスマホを渡した。教室でやるため、今は列を組んで踊るわけではないのだが参考にはなる。
ランサーは教室の床より一段高くなった教壇に坐り、ふむふむと動画を眺めはじめた。
とそのとき、ランサーら大柄な男二人の背後に隠れて、ジャージ姿の榊原理子がひょっこり顔を出した。
「さ、榊原。おはよう」
「……おはよう」
「お前が遅刻するなんて、珍しいな」
昨夜、不完全燃焼のまま別れて帰宅してしまったため、一成はいまひとつ調子がつかめず、月並みな話し方をした。
今はクラスメイトも周囲におり、文化祭練習の時なのだから、あの話は後回しにする。
「よし、じゃあちょっと音楽して踊るか」
やはり自分はひとつひとつ振付を確認して覚えていくよりも、不恰好であっても音楽を流して踊れている人を見ながら一緒に踊る方が憶えると、一成は思った。
「一つ提案なのだが、ここの振付でジャンプを入れると映えるのではないか? ……このように」
ランサーが言及している箇所は、動画では長い間マイケルが曲なしで歌っているところだ。他のダンサーは背後に並び、マイケルの歌に合わせて合いの手を入れており、ダンスがほぼない。
動画ではセットが雰囲気をだしているが、ここは教室――もうすこし動きを取り入れた方が、見る側としては楽しいと言ったのだ。
「今から全く新しい振付をつけるのは手間だし……他の箇所のを組み合わせてって感じでいけるかな」
「それでも大分変わると思うぞ」
実行委員長の桜田と振付役の山田が額を突き合わせ鳩首している間、ダンスでヨレヨレになった氷空が教室の床に倒れていた。
絵に描いたようなインドアで内気に見える彼だが(内気に見えるだけ)、一生懸命ダンスをしている。
「……ハァ……ハァ……体力おばけどもめ……」
「いやお前がないだけだろ。ポカリ飲むか。飲みかけだけど」
「くれ」
氷空の体力がないというよりは、彼は机に向かう作業であれば二十四時間イケると豪語するので、体力の使い方の問題だろう。
見ての通り、運動自体が好きでないと同時に得意でもないのだ。と、その時桜田が壁の時計を見てから声をかけた。
「よーし、今日はこのところにしとこう。そろそろ片付けるか」