Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 作:たたこ
昼① 一夜明けて
明、セイバーヤマトタケルが碓氷邸に帰ってくるのを待ち構えていたのは、勿論アルトリアとアサシンだった。墓地でなされたキャスターとの会話を、かいつまんで話したところ、元々大枠を知っていたアルトリアはともかくとして、アサシンは言葉を失っていた。
マスターの悟に話すべきかどうか、思案しているのは一目瞭然だった。
一同は碓氷邸のリビングに集結し、飲み物も出さずに明たちからの話を聞いていた。まだまだ夜は長い――そして夜が明けても、それはこの世界の寿命が近づいていることを目の前に突き付けられるよう。
だが、一度欠片でも知ってしまったならば、毒を喰うなら皿までと――アサシンは、最後まで黙って聞いていた。
また、アヴェンジャーの正体について、セイバーが所見を語ってくれた。
明たちも知らなかったことだが、セイバーはいつの間にかライダーとも隙を見て相談し――あのいきなりバーベキューの時だが――ていたようだった。
「編纂事象と剪定事象。端的に言えば、あれは剪定された世界の俺だ」
――魔術世界の言葉で『人理』というものがある。真エーテルの溢れる中で神が振るう権能に左右される神代が去り、物理法則に支配された人の世において、もっとも人類が多様性と可能性に溢れる世界の可能性を『人理』と呼ぶ。
つまり人類全部が幸せな世界となっても、完成すれば終わってしまう。ゆえにその世界は『人理』には当たらない。逆に何もかもに失敗し終わってしまった世界も、『人理』とはならない。
宇宙は誰も知らない可能性の未来に向かって膨張していくため、一本道ではなく多様な分岐を取り得る世界こそを人理となすのである。
つまり宇宙は異なる展開を見せる並行世界を許容するが、際限なく並行世界を発生させ続けると宇宙の寿命が尽きてしまう。そこで、一定のタイミング――太陽系においては百年に一回――で『もっとも強く、安定したルート』から外れた世界を伐採し、エネルギーの消費を抑える。この事象を魔術的に『人理定礎』、科学的に『
イメージとしては無限に枝を増やし続ける大樹から、不要な枝を伐採するようなもの。 そのため、メインとなる平均的な世界の出来事を『編纂事象』、伐採され消滅する世界の出来事を『剪定事象』と呼ぶ。
東征に旅立ち、並みいる悪神や魔獣・幻想種をなぎ倒したが、道半ばで倒れた皇子が編纂事象の
「とうに滅びた世界、剪定事象の俺――しかし、この編纂事象の世界には、剪定事象の記録も残っているだろう。あれのクラスが復讐者なのはあくまで聖杯の影響で、本来のクラスはおそらくアサシン。あれに、俺と異なる名前があるとすれば、それは――
倭武天皇――古事記や日本書紀では、日本武尊は天皇に即位していない。だが常陸風土記に現れる彼は、
しかし常陸風土記に書かれている「倭武天皇」とは雄略天皇のことであるなど、日本武尊の子は天皇に即位しているから後付で持ち上げられたものなど、日本武尊とは別人だと言われている。
「倭武天皇がいた世界線は滅んだのだろう。可能性のない世界として、剪定事象と認定された――何故、あの俺が天皇になろうと思ったのかはわからない。だが、お前たちも知っての通り、俺は父帝に好かれてはいなかった。大和に戻ってくるなと言われた。だから、俺が天皇になることは、本来ありなえいのだ」
そんな彼が、どのような手を使って天皇となったか。口先で父帝を丸め込む? 宮中に見方を増やす?
――いや、そんな器用な事、日本武尊はしないできない、やろうとも思わない。
ならば、殺すしかない。
弑逆のみならず、文句を言う者どもを皆殺して天皇の高御座に腰かけたのだ。
だがそこで、明が慌てて割って入った。
「ちょ、ちょっと待ってセイバー。アヴェンジャーが別の世界のセイバーってことはわかるけど、それだけ天皇になったセイバーっていう仮定は飛び過ぎじゃない」
「いや、俺も絶対の確信を持っているわけではない。だが……あの、キャスター。弟橘媛は、アヴェンジャーに「走水でも死ななかった」と言われていただろう。それで確実に俺と共にあったヤツではないと確信した。それ以前から、弟橘媛はもっとアホっぽい顔をしていたはずだと違和感があったのだが」
「ヘイヘイその辺の話はいいから次に行ってくれ」アサシンはソファに転がり、至極どうでもよさそうな様子で言った。
「走水で弟橘媛が生き残った伝説も、残っているのだ。それが常陸風土記、俺が天皇となった伝説と、同じ記録体だ」
――神と人に橋をかける時代――公の時代にも並行世界を観測できる者はいた。
まだ魔法と魔術の別はなかった時代だ。そういう者たちの言説が、たとえこの世界の話でなくとも、記録として残されることは大いにある。
剪定事象の記録――きっと、日本武尊の叔母も見ていた世界。
「待ってください。それは別の世界の話ではありませんか。座に登録されている英霊でないと、英霊として召喚されないはずでは?」
アルトリアの問いに、自分も同じことを思ったとセイバーは言った。「……編纂事象において
「へえ、この結界内だからこそ、アヴェンジャーはまともなサーヴァントとして召喚されたってことか」
アヴェンジャーもまた、この結界に生かされた・造られた存在であることに変わりはない。
「で、あのアヴェンジャーの目的は何なんだ? 話を聞く限り、キャスターも知らず知らずのうちにゴミ箱として召喚したってことだったじゃねーか」
アサシンの問いに、今までよどみなく話していたセイバーの口が、ぴったりと止まった。どこか不機嫌そうでもある。
「俺はアヴェンジャーではない。それはわからない」
「それでも日本武尊は日本武尊じゃねーの?」
「知らん。俺には父帝を弑逆しようとした者の心のうちなどわからない。……だが、仮に俺がアレと同じ立場であったとしたら、俺の行いは多分、あれとそう変わらない」
「? お前、今目的なんかわからんっていってばっかじゃねえか」
「そうだが」
アサシンもセイバーも、正式な春日聖杯戦争でも遺恨があった二人ではない。だが、権力者とそれに抗う者という立ち位置上、相性はあまりよくはない。
言葉が喧嘩腰になっていく前に、明が割り込んだ。
「アヴェンジャーの目的はわからない。だけど、アヴェンジャーの行動だけ見れば、セイバーも同じことをするだろうってこと、だよね」
セイバーは頷いた。「そうだ」
「じゃあ、セイバー版でいいからさ。なんでセイバーは、アヴェンジャーの立場だったら、アヴェンジャーと同じことをしようと思うのか、教えてよ」
セイバーは何故わからない、と言いたげに不思議そうに首を傾げた。「それは、」
*
「……あ~~」
中途半端に開かれたカーテンからは朝日が差し込んでいた。彼女はうめき声を上げながら、絨毯の上に寝転がっていた自らの身体を起こした。
周囲を見回せば、恐ろしく狭い畳敷きの部屋に、自分と、ハルカと、もう一人別の男――確か名前は、山内悟という――雑魚寝していた。端に寄せられたちゃぶ台の上には、食べ終わったコンビニ弁当と空いたビール缶が転がっていた。
六畳一間のアパート、山内悟の部屋である。昨夜、碓氷明からシグマの居住地を聞き出したハルカは、脇目も振らずこのアパートまでやってきたのだ。
今でも鮮やかに、ここに辿り着いた時のことを思い出せる。押し売りのセールスマンもかくやとばかりのハルカは、眼を白黒させる山内悟を舌先三寸で言いくるめて――いや、ハルカはそこまで弁舌が巧みではなかった――殆ど居直り強盗の体で、この六畳間に居座ったのだ。
ただ、この家主の山内悟もさるものというか変人に慣れているのか諦めているのか、最後にはわかりましたわかりましたと、ハルカに茶まで出していた。
「シグマさんはここに住んで……住んでるっていうのかな? まあ、とにかくいますけど、毎晩帰ってくるわけじゃないですよ」
その言葉通り、明方までここで起きていたハルカであるが、全くシグマが現れないため、丸くなって眠ってしまった。それにつられて、睡眠を要しないキャスターもうたたねしていたが、誰よりも早く起床した。
静かな朝だが、ハルカと悟の寝息が聞こえる。
「……はぁ」
この、アサシンのマスター山内悟は、この世界・結界の真実にひどく驚いていた。
シグマが泊まるくらいなのだから、魔術の徒だとばかり思っていたハルカは、土御門神社で明かされた話をそのまま、悟にもした。
彼はにわかにも信じられない様子で、冗談でしょうとかウソでしょうと繰り返していた。記録によれば、山内悟は聖杯戦争のマスターではあったが、一般人で魔術のまの字も知らなかったのだ。
あと数日で世界がなくなるし、自分の消えます。というか、自分は本物の自分ではないといわれて、魔術や神秘を知らない人間が、信じるのか。
結局悟は悲嘆以前に実感がないまま、眠りについたのだ。
「……これから、どうしましょう」
この世界が消えてしまうことを防ぐことは不可能だ。穢れた魔力による世界の変質は免れない。この世界を終わらせられる人物は複数人いても、延命させられる者は一人もいない。
ここまでややこしい事態になってしまったが、大本は、ハルカを助けたかっただけだ。
ただ助けを求められたから――生前、誰も救うことができなかった身勝手な己でも、誰かを救ってみたかった。
だがそれすら、もう絶望的となった。何もかもが中途半端だった。死ぬ前と同じか。
境界の彼方から倭武天皇まで呼び寄せておいてこの様か。
出会わない方がマシだったのか。
キャスターは、昨夜のもう一人の神の剣、神武天皇を思った。あのライダーがアヴェンジャーに助け船を出したのは、きっとまだこの世界を楽しみたいからだ。
早かれ遅かれ、世界は終わる。それが一日先か、何千年先か、それだけの違いだと原初の帝は言う。
あれにとっては、結界のここも、現実世界も同じなのだ。
――そう、ここで生きているのなら、ここが世界なのだ。
英霊が願いを抱き、サーヴァントとしてかりそめの肉体を得ても、生前の業には縛られ続ける。
だから自分は、ここでさえ、誰かの為に死ぬこともできなかったのだ。
救おうとしたハルカも、ここにいるのは現実のハルカではなく記録からの再生体で、現実のハルカは倒れているだけだ。
キャスターはそろそろと四つん這いで、隣にハルカの顔を見つめた。今は静かに眠っているが、起き出した途端に何をし始めるかわからなくて不安でもある。
ここでシグマを倒そうと、現実にはフィードバックされないはずだ。
けれど昨夜のハルカは、それを知っているにも関わらず、シグマと戦う気満々だった。やはりまだ、落ち着く時間が必要なのではないかと思う。
そして何かにつけて脳裏をよぎるのは、アヴェンジャー、倭建天皇。聖杯の呪いを受けるなんて、想像を絶する痛みに苛まれ続けることになるはずなのに、何故それを甘んじて受けているのか。
キャスターは、常に彼の傍らにありながら、何故彼が父帝を弑するに至ったのかわからなかった。傍にはいたが、傍にいただけ。彼を止めることも、諌めることもできなかった。
彼は何に怒り、何に憤って、国を滅ぼし、自らを貶めたのか。
彼が父帝に厭われていても、悲しみはすれど父帝や大和を恨むことなど、なかったはずだ。
でも、多分、何故かはわからないけれど、彼はキャスター――大橘媛に対しても、怒っていたように思うのだ。
考えても答えは出なかった。キャスターは大きなため息をついて、畳の上に腰を下ろした。穏やかな朝と言えば朝だが、いつまでここにいればいいのだろう。
「……シグマさんが来るまでここで待機なんです……?」