Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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昼④ 真名

「ハルカ様! 土御門神社へ行きましょう」

 

 起床したハルカに対し、キャスターがいの一番に言ったことはそれだった。ベッドから起き上がったハルカは、相変わらず最悪の気分のまま、彼女を押しのけて立ち上がった。

 

 昨夜、自分の本当の状態を知り、シグマを倒すと意気込んだハルカであったが――教会の神父もその居場所を知らなかった。

 街を廻って、美玖川にてこの間のアーチャーとそのマスターらに遭遇するも、黒い狼に阻まれたときにキャスターに怒涛の勢いで引きずられて離脱することになった。

 そのままこの拠点へと帰還した。

 

 喩え今自分が元気に動けているのが、すべてこのキャスターの宝具のお陰だとしても、ならばせめて今の状態で、シグマを下さなければならない。

 宝具が解けたあと、本当に動けなくなってしまうのであれば。

 

「だから今のテンパったハルカ様で勝てるわけないんですから!」

 

 そのキャスターの言葉がきちんと頭に入ってくるようになっただけ、冷静になっていると自己評価している。だがその現実を理解したとて、今の自分に何もない事だけが身に染みて感じられるだけ。

 参加すらできないで敗れた、恥辱。己の愚かさ。

 

 そして嬉しくもない朝を迎えたとき、このような言葉でキャスターはハルカを迎えたのだ。

 

 朝といっても既に十時を回っている。早く起きて何をするという気持ちのハルカだったが、キャスターは今か今かと起きるのを待っていたようだった。

 

「……土御門神社……何故」

「私、まだハルカ様に言ってないことがあります」

「……それで、何故土御門神社なのです」

「私も、何もかもをわかっているんじゃないんです。多分、事をお伝えする補助をしてくれる方が来てくれるはず、なので」

「……」

 

 これ以上、何があると言うのか。ハルカは回らない頭のまま、曖昧に頷いた。

 

 何にしろ、これ以上状態が悪くなることもあるまい。再びベッドに横たわったハルカに向かい、キャスターがご飯食べますかとか早めに出かけて散歩しますかなどと、しきりに話しかけてきていたが、彼は答えず眼を瞑った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 熊野村には、高倉下(たかくらじ)という男がいた。

 

 その人物が、彼に向かって一振りの太刀を差し出した。それはどこからみても、普通の剣ではなかった。

 およそ人を斬るとは思えない、長方形の刀身。刀身に刻まれた文字は彼にも誰にも読めなかった。高倉下曰く、夢に天照大神、高木神(たかぎのかみ)が現れこの剣を降ろしてきたという。

 

 これは神が下した――今よりも昔、神がこの国を平定した剣。

 

 だがそのような謂れよりももっと早く、雷に撃たれたような衝撃と共に彼は全てを理解した。

 

 ――嗚呼、公は神だったのだ。

 

 己が身が天照大神より五代を経て、かつ母と祖母は竜でもあり天神のみならず地祇からも大いなる加護を受けていることを、彼は生まれながらに知っていた。

 だが、それは自分だけではなく兄たちも同様だ。

 

 それでも、兄と自分の間には何か深い断絶がある。

 兄たちは死んでも、自分だけは生き残らなければならないと言う使命。

 

 その原因、その正体をかの断絶剣を手にしたときに知った。

 

 

 ――俺は建御雷神なのだ。

 

 建御雷命(たけみかづちのみこと)。神産みの際、伊弉諾(いざなぎ)が子の加具土命(カグツチ)十束剣(とつかのつるぎ)で切り殺した際に飛び散った血液から生まれた一柱。

 天照大神の要請に応じ、天鳥船と共に葦原中国を平定した雷神であり戦神。己はそれだと、彼は分かってしまったのだ。

 

 もちろん、彼は建御雷神そのものではない。天照大神から僅か五代のその体に、建御雷神の一人格を移したのだ。

 なぜそのようなことを天津神はしたのか――その理由も今や明白である。

 

 神代と人世の狭間。天津神の血統が薄れ行くことを恐れた天津神々は、葦原中国が神の手を離れる前に、天津神の血を引くものがこの地を統べる国を建てることを急いだのだ。

 

 そこで白羽の矢が立てられたのが、国譲りの実績を持つ建御雷神だった。

 しかし神代離れつつある今、彼ほどの神霊が直接降臨することはもう不可能であったがゆえに、天津神の血を通じてその一人格を移して生を受けさせた。

 それが彼の正体だった。

 

 ゆえに、生まれつき使命を帯びて生まれた彼が東に向かい、我が国を建てようとするのは至極当然のことだった。

 

 おそらく天津神々は、彼が自分の正体に気づいた時、その使命を天命と知り、ますますその使命に向かってまい進すると思ったのだろう。

 だが、彼は己が建御雷命の一人格(アルターエゴ)だと知っても、使命を知ってもそうは思わなかった。

 

 何故東に向かいたいのかという欲望に答えはもたらされたが、天津神々の目的は彼にとって面白くもなんともなかった。

 その上、己が天津神の一部であると自覚し、断絶の剣を受け取った彼には、この旅の結末がはっきりとわかっていた。

 まだ多くの犠牲を払いながらも、多くの悪神を殺しながら、天津神の子孫の国を確立する。

 

 己が人間として葦原国の初代天皇として、穏やかに生を終えるその時も。

 兄たちは、ただ彼を東に進めるための駒として、天津神が配置したことも。

 自らの正体を知って彼が抱いたのは、神々に対する反感だった。

 

 

 貴様ら、何様だ――?

 

 

 今を生きる人間にとって、天津神の国ができようができまいがどうでもいいことだ。

 それを神々の都合だけで造って壊して、兄のような生きざまを刻める人間を適当に殺し、高天原でのうのうと過ごしている。

 あまつさえ、自分がその神々の一人だと思うと吐き気がする。

 

 ――俺は、建御雷命であったな?ならば、

 

 男は剣を差し出した格好のままの高倉下が、いぶかしげな眼で自分を見ていることに気づいてはいたが何も言わなかった。

 体を押して勢いよく立ちあがり、剣を肩にかついで大股で屋敷から出て行った。

 

 この剣は、ふつ、という切断の擬音がそのまま剣の銘となった、世界の概念も断絶する剣である。

 葦原国を始めた剣。その剣をもってすれば、神の空想具現だろうと毒気だろうと、世界ごと切り裂いて雲散霧消させることができる。

 

 彼は表向き、熊野の毒気を払うために剣をとって一人深い森へと戻ったのだが――。

 

 天津神の考える、天孫の国を葦原国の王朝とする考え――筑紫から陣を刻み、大和を終着点とし、霊脈を組み替えて外様なる神秘を駆逐する大儀式――は、とても彼一代では成し遂げられるものではない。

 彼の建国は第一歩であり、周辺にはびこる悪神やまつろわぬ者どもを服従させるには、人として転生した彼一人の寿命では足りない。

 

 悪神どもを討伐しつくすためには、おそらく次なる神の剣が必要になるだろう。

 

 そうしてまた、兄のようにその道半ばで倒れる運命になる者も――。

 

 それが可能であるのは今のうち――あまりに時が経ち過ぎると神代と神々は、完全に世界の裏側に行かざるを得なくなる。

 結局彼がなにもしなくても、神代は時がたてば、葦原国には手出しできなくなるのだが――。

 

「ならば、いま終わらせてやる。神などいなくても、人は生きるのだ」

 

 ヒトでないなら、この神剣解放は彼にも可能である。

 そう、今この場で剣を以て――神代との繋がりを断絶し、神命も神の告げも届かぬ世界に早送りしてしまおう。

 

 周囲は鬱蒼とした森で、人の気配はない。時間の感覚も狂う中で、彼は静かに呟いた。

 

開闢(ひら)け」

 

 長方の剣が震え、薄明りを帯びる。彼とて、それが神々の意に沿わぬことは知っている。

 

 己の中の建御雷神である部分が、それをしてはならぬと騒ぎ立てていることは百も承知。

 神の国と人の国を断ち切ることは、彼に与えられた使命が完全に破却されることを意味する。

 

「――天地神明! 天地開闢! 断絶し開闢せよ――」

 

 与えられたこの剣は、断絶にして開闢。終わりを終わらせ、始まりを始める剣。

 一度彼がこの剣を本気で振るえば、高天原――天津神の国とこの秋津島を完全に断ち切る事さえもできた。

 

 当初、天津神は自らの正体に気づいた彼が発奮して国を盛り立てることを想定していたのだから、神の国と人の国を断ち切る暴挙にでるとは想像してすらいなかった。

 

 神代から残り続ける濃いエーテルごと切り裂き、時代を一気に進める。神代とともにあった巫女や神落としの術は零落し、神秘は千年以上も未来も同然となる。

 神々に葦原国に手出しはさせまいとしたが――彼はそこで手を止めた。

 

 そこで彼は、やっと自分の異変に気付いた。

 自分は元々神々なのだから、神々に反感を抱くのはおかしい。

 そもそも、建御雷は高天原の意向に反そうと思ったことなど一度もなく、今もないのに――。

 

(ならばこの、神々の意向に反感を抱いたのは、いったい誰だ?)

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 じわじわと、喧しく蝉が鳴いていた。日も傾き始めた頃合いの土御門神社、境内――生い茂った木々によって造られる木陰により、直射日光さえ避ければ比較的暑さはマシだった。

 丘の上にある神社のため、平地よりも風が通ることもその一因である。

 

 吹き抜ける風になびくは、ポニーテールの白髪。夏にも関わらず白い羽織に和服という季節はずれな衣装に身を包む赤眼の男――ライダーは賽銭箱の上に堂堂と座り、何故か数少ない参拝客に相対していた。

 

「――なにやってんの、アンタ」

「おや、バーサーカーのマスターか。お前こそ如何した。トイレはこの本殿を裏手にまっわったところだ」

「ありがとうございます! あの、KAMI NO TSURUGIですよね?」

「うむ」

「あの、握手してもらってもいいですか」

 

 ライダーは鷹揚に頷くと、参拝にきた男女のカップルの両方と固い握手を交わした。二人とてもにこやかにライダーに礼を言って、腕を組んで裏手へと向かった。

 あの参拝客もこのライダーに違和感はないのだろうか。真夏に羽織に総白髪の若者など怪しさ満点である。……というか、ファンか。制服姿の咲は胡乱な目つきのまま、ライダーに近付いた。

 

「ん? 私のシングルCDではないか。さてはファンだな?」

「違うっ! 何であなた、こんなの配って売ってんの? 私の友達でもライダーのこと知ってるんだけど」

 

 咲のクラスでも、春日駅前や公民館でゲリラ的にライブをしているライダーのことは噂になっていた。ライダーの日本人離れした風貌、そして歌はうまいため、咲の友人にも妙にァンがいる。そして布教のため、彼女はその友人からCDを「あげる!」といって押し付けられたのである。

 それに、最近最寄りのスーパーにいくと、店内BGMがライダーの曲だったりしている。どういう影響力だ。

 

「何で売っているかだと? 趣味だ」

「……」

 

 これはもう関わるはよした方がよさそうだと顔に書いて、咲は口を閉じた。「フフ、今の世では公の知名度は第二次世界大戦前ほどではない。だが今この春日においてKAMI NO TSURUGIとしてうなぎのぼりよ。ところで草、学校帰りかなにかか」

「……そうよ。友達があなたにハマってるから、何よからぬことをしようとしているのかと思って様子を見に来たの」

「で、お前から見た結果はどうか」

「変なことはしてた」

 

 喧しい蝉の鳴き声は続いていた。奥に行ったカップルが戻ってくる気配はない。何か――魔術師の気配を感じた。石階段をゆっくりと登ってくる気配。

 敵意は感じないが、知らない気配である。咲が気づいていることを、ライダーが気づかぬはずはない。

 ライダーの表情をそっと窺うと、その赤い眼はじっとこちらを見返していた。

 

「来客だ。いたければ草、お前もここにいるがいい。聞きたくなければ、去って耳を塞げ」

 

 ランサーから報告を受けていた、聖杯戦争を続けているとかいうキャスターとマスター。状況と気配から、いま来ようとしているのはその二人だろう。

 咲は、春日の異変に興味はったけれど、知りたいとは思わなかった。この微妙な気持ちを汲んでくれたのか、バーサーカーは何一つ言わない(元々喋れないけれど)。

 

 最近、咲は苦しい夢を見る。いつも体が重くて、息をするのも苦しくて、おまけに痛くて、父と母はどこにもいなくて、ただバーサーカーだけがいつも傍にいてくれる。

 

 血に染まった、春日総合病――。血臭と、死臭と、噎せ返るような熱気。

 

 

「――長兄であれば、聖杯戦争に召喚されうるかもしれない」

 

 咲は、ライダーの声で我に返った。そして鳥居の方向に向けば、金髪の青年と黒髪の少女が並んで佇んでいた。その様子は友好的には程遠く、殺伐としていながら、何かに諦めたような退廃的な雰囲気が漂っていた。

 ライダーは彼等に向かい、本題の前の枕とばかりに、呑気に語っている。

 

「だが次兄と三兄はありえない。それは編纂事象のお前と同じで、死んではいないからだ」

 

 神武天皇の兄である稲飯命(いないいのみこと)三毛入野命(みけいりののみこと)は、荒れて進軍できない海に向けて「父は天津神・母は海神なのに何故進めないのか」と憤慨し、入水したとされる。

 

 ――その話はどこか、日本武尊伝説の弟橘媛と似ていないだろうか。

 

「編纂事象のお前と我が兄たちは同じだ。己の身を以て神霊となし、世界を操る。ただ弟橘媛と違ったのは時代だ。公のころはまだ、常世郷に歩いて行けたからな。兄も当初は戻ってくるつもりだったのかもしれん」

 

 あの度し難い兄だからわからんが、とライダーは愉快そうに笑った。

 

「我が兄は元気か、()橘媛」

「――」

 

 参拝客――もとい、キャスター・弟橘媛とハルカ・エーデルフェルトは硬い面もちのまま、ライダーに対峙していた。ライダーの問いかけには答えない。

 

「……貴方はどのようにこの世界を終わらせるつもりですか」

「異なことを。ここを作ったのはお前だろう。それに仮初とはいえ人生だ。自分の終わりくらい自分で決めたらどうだ」

「キャスター、彼は……」

 

 キャスターの「事情をきちんと説明したい」という言葉のままに連れられてきたハルカには、事の次第が呑み込めない。

 目の前の男が尋常ならざるサーヴァントであることは認識しているが、あたかもキャスターと彼は知り合いのようであるのが不思議である。

 

 それに、「世界を終わらせる」とは。

 

「――ハルカ様、私は、貴方にまだお話していないことがあります。わざわざここまで来ていただいたのは、ライダー(スメラミコト)もいらっしゃった方が、私も把握できなかったことが把握できると思ったからです」

 

 ざわざわと、吹き抜ける風に木々が木の葉を揺らがせていた。

 日本の夏に弱いハルカだが、木々に囲まれた神社は比較的過ごしやすく感じていた。いつもはふざけていることの多いキャスターも、今は真面目な顔をしていた。

 

「……正直、話さなくても問題ないかな~とか、結構ごまかしききそうだし? 思ってたんですが……なんかこのままいくと、どうせすべてが明るみに出てしまいそうなので……」

「キャスター」

「ヒッすみません! 悪気とかそういうのはないんです!!」

 

 ハルカは半ばあきれながらもキャスターを睨みつけた。もうすでに自分の身体がボロボロの死に体であること以上に悪いことなどあるものかと、先を促した。

 ハルカとしても、ここまで中途半端に事情を知った状態でごまかされるのでは堪らない。それに自分の現状を解決するにも、状況は正しく知っておかねばならないと思う。

 

 ……知ったところでどうする、という気持ちを呑み込んだまま。

 

 キャスターは、ハルカに向き直った。

 

「……本来『弟橘媛』はこのシステムの召喚式では呼ばれません。人として死を迎えていない以上、座に登録がないのですから」

「……じゃあ、貴方は誰なのですか」

「『弟橘媛』は走水で入水し、神霊の一端となった。私は走水で入水したものの、神霊の一端とはならず――そのままおめおめと生きながらえてしまった弟橘媛です」

 

 走水の海で、海神の怒りを収めるために我が身を捧げて入水した弟橘媛。

 彼女は海神の妻となり――神霊の一端となり、人として二度と日本武尊の元に戻ることはなかった。

 

 しかし『常陸風土記』に曰く。

 日本武尊は、走水で入水したはずの弟橘媛と再会している。その彼女は、海亀に助けられ生きて帰ることができ、常陸国でお互いの無事を喜んだとされる。

 

 弟橘媛の生きた時代、未来を・過去を・並行世界を垣間見る巫女のいた時代――彼らは、剪定された世界の記録も残していた。

 神代を過ぎ去らりきらない古い時代から残され、長い時を経ても人々の記憶に残り続けた記録は、本来は消されたはずの事象の英雄を呼んだ。

 

 聖杯は過去・未来・並行世界からの英霊を呼ぶ。

 実際に生きていた彼らであれば、編纂事象ではなくとも英霊として呼ばれうる。編纂事象の弟橘媛の、皮を被り。

 

 そして『常陸風土記』に曰く。

 日本武尊は倭健天皇(ヤマトタケルノスメラミコト)となり、常陸を巡幸したとのこと。

 

「……私の真名は、()橘媛。景行天皇を弑逆(しいぎゃく)し、倭健天皇として即位した者の妻です」

 


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